おまけ2 ある日の初音さん
ある春の昼下がり。
おりからの陽気に眠気を誘われ、
金髪碧眼に長い耳。文句のつけようのない美貌の主であるが、それは黙っていれば、と前置きがつく。
文机を枕に、書類の数々を布団にして、うつ伏せになって眠る少女の顔は、だらしなく緩みきっていた。
と、彼女の部屋に、静かに入ってくる者があった。
年のころは12、3。目元に幼さの残る、和服姿の美少女である。
名を、まつという。初音の侍女である。
主のだらしない姿にため息をつきながら、少女は寝所の支度をし、うんしょうんしょ、と初音をひきずって、布団に寝かせてやった。
その後、布団にもぐりこんで、なにやらごそごそとしてから……しばらくして、やり遂げた笑顔で額をぬぐいながら、彼女は部屋を出ていった。
「だい……し……さま……」
残された初音は、起きることもなく、むにゃむにゃと寝言を言っている
◆
真里谷初音は広間の最奥に座っていた。
左右には、向こうに傷した歴戦の武将たちが並び、初音に全面的な従属の姿勢を見せている。
諸将を見やりながら、手元では武田菱の入った紙漆の軍配を弄び、初音は不意にそれを振りかざした。
「諸君! 鎌倉公方を信望する諸君! よくぞ集まってくれた!」
応、応、と、方々で声が上がる。
「いよいよ戦だ。待ちに待った戦だ。大戦だ。かつてない大戦だ。空前絶後の大合戦だ――諸君。天下に名高き坂東武者の諸君。この戦の軍配は私が執る。三浦家当主代行、大軍師真里谷初音が!」
「軍師様! 大軍師様! 三浦家当主代行様!」
拳を振り上げ、唱和する武者たちを見やりながら、真里谷初音は笑った。
満足そうに――いや、どちらかというと、やけくそ気味に。
「はっはっはっは、死にたいよこんちくしょう」
初音にとって、この光景は夢だった。
なんの誇張もなく、そのままの意味で。
夢。夢を見ていると、自覚する。そんな夢がある。
いま彼女はそれを体験していた。
やけに感覚のない手をみやりながら、初音は乾いた笑みを浮かべる。
「たしかに望んでたんだけどさ……夢にまで見るとか情けなすぎる」
しかも、ちょっと嬉しいのが余計に情けない。
武将たちは「大軍師初音さま!」を連呼している。
まったくの素面で真剣に言われると、それはそれで気恥かしい。
「うわああああっ!!」
自分で「大軍師初音さま」と連呼していた自分が急に恥ずかしくなって、初音はごろごろと転げ回りたくなる。
が、体は思うように動かない。意識だけは覚醒しているが、体は己の意思とは無関係に、初音の夢を演じている。羞恥地獄である。
顔が真っ赤に火照る……こともない。
体のほうは、相変わらず得意絶頂で演説をぶっている“大軍師初音さま”が所有権を握っているのか、初音の感情にはまったく反応していない。むしろ妙に肌寒いくらいだ。
「我が妻よっ!」
と、唐突に、広間に巨漢が入ってきた。
身の丈七尺五寸の、筋肉の塊のような大男は、初音の夫、三浦荒次郎だ。
「旦那様」
と、初音の体は立ち上がり、艶のある笑みを浮かべる。
初音はこの時、すでに嫌な予感がしている。
「愛しい我が妻にして、信頼する大軍師、初音よ。この戦、すべてはお前の軍配にかかっている。頼んだぞ。信頼している」
――荒次郎はそんなこと言わない。
と、心の中でジト目になる初音。
だが、我がまま
「我が夫にして、愛しい
すっ、と、帯が解かれる。
白く、細やかな少女の裸身が露わになった。
肌は絹のようにきめ細かく、広げられた小袖の間からら垣間見えるつつましやかな乳房の先には、桜色の蕾が、ささやかにその存在を主張している。
――やめろ! 止めてください! 荒次郎の前でナニそんな危険行為してるんの!? なんでもするからやめてーっ!
初音の意思とは関係なく、少女の体は荒次郎に寄り添い、口は言葉を紡ぐ。
「抱いて下さい。愛しいひと。主さまの子を、私に……」
そのまま、唇と唇が重なり――
◆
「うわーっ! うわーっ!」
叫びながら、初音は飛び起きた。
わかっていたが、当然、夢である。
あたりを見回し、寝る前の状況を思い出して、初音はほっと息をつき――思い出したように布団を抱いた。
「あれは違うあれは違う夢だあくまで悪夢だ願望じゃない絶対に私の願望なんかじゃない荒次郎もげろもげ落ちろ私の心の平穏のために今すぐ即座に速やかに……」
呪文のように初音はつぶやき続ける。
ひとしきりつぶやいた後、自我を再起動させ、少女はようやく平常心を取り戻した。
「……あー、心臓に悪い夢だった……と、書類の整理をしてたはずだけど、なんで布団――まつがやってくれたんだ」
少女は身を起こし。
自分の身に纏うものが一切ないことに気づいて、ふたたび布団の中にもぐりこんだ。
「……まつの仕業か」
口調に毒を含ませて、少女はふたたびつぶやいた。
見事なまでの赤裸で、なぜか初音印の白足袋だけは履かされたままだ。
夢の中で妙に肌寒かったのも納得だ。現実で素っ裸に剥かれていたのだ。
「もー。まったくあの娘は」
言いさして、初音はぴこりと長い耳を跳ねさせた。
足音だ。重い足音が、急いだ様子で廊下を渡って近づいてくる。
「荒次郎だな。なんだか急いで――っ!?」
気づいて、初音は辺りを見回した。
脱がされた
「エルフさんっ! 大丈夫かっ!?」
「どどどどうしたんだ荒次郎?」
ふすまを開けて飛び込んできた荒次郎に、引きつった笑顔を向けた。
間一髪、間に合った。少女の身には、打掛が羽織られている。
――はだか打掛とかどんなフェチだ! しかも白足袋は着けたままとか、わかってるにもほどがある! 私も冴さんやまつの、はだか打掛姿見たいわっ!
「そんなに急いでなんの用? 荒次郎」
心の中で突っ込みつつ、初音は荒次郎に尋ねた。
素肌が打掛に擦れて、妙な感覚だ。特に蕾は刺激されて、変な自己主張を始めている。
こんな準備完了状態なところを荒次郎に見られれば、押し倒されること間違いなしだ。
「いや、まつがな。エルフさんが急いで来て欲しいと……」
――まつーっ!
あとで侍女をはだか打掛の刑に処すことを心に決めながら、エルフの少女は曖昧な笑みを浮かべた。
耳が不自然な挙動をしており、尋常な様子でないことは誰の目にも明らかだ。
「どうしたのだ、エルフさん。様子がおかしいぞ?」
――こんな場所でお前に裸見られたらピンチだから焦ってるんだ!
とは言えず、初音は誤魔化すように声を張り上げる。
「そういえば! 荒次郎に相談したいことがあったんだ!」
「うむ? なんだ?」
「いや、私、目がいいよね? 昔、荒次郎は弓を使ってみないかって言ってたけど、ちょっと時間取れるようになったし、練習してみたいなって」
弓の練習場に荒次郎を先にやり、「私は準備があるから」と残って、その間に着替える算段である。
「うむ、そうか……しかし、エルフさんが引ける弓が急場で用意できたかな? 城のみなが使っている弓は、三人張りの強弓ばかりだからな」
「さすが坂東武者だっ!?」
三人張り、とは、三人がかりで弦を張る弓のことだ。
いわゆる強弓の類で、引くのに相当強い腕力を必要とする。
ちなみに、伝説的な武勇を誇る
八十五人力を誇る荒次郎は、そのさらに倍。十人張りの弓を引く。ここまでくれば人外魔境の域だろう。
「じゃあ、私の弓、急場じゃあ、用意できないか」
「ああ。急いで用意させておこう」
「別に急がなくてもいいけど?」
「いや。窮地に陥った時、身を守る手段があるのはいいことだ。エルフさんの身をすこしでも安全に近づけられるのなら、やっておくべきだと思う」
「……なんか、そう気遣われると、私が保護対象みたいで釈然としないんだけど。一応、対等な関係のつもりだし」
「だからこそ、言っている。エルフさんが保護対象なら、護衛を百人もつけて城から出さん。今後も共に動いてもらうつもりだからこそ、エルフさんの身が大事だからこそ、勧めているのだ」
「なんか、くさい。照れくさいよ、荒次郎」
対等な仲間のつもりでいてくれることが嬉しくて、エルフの少女は長い耳を上下させながら、頭をかく。
「……ところで、エルフさん」
普段無表情な荒次郎が、妙に困った様子で口を開いた。
「なに?」
小首をかしげながら問い返す。
三浦家の若き当主は、視線を一点に定めながら、そこを指差した。
「なぜ、そのような格好をしているのだ」
エルフの少女は荒次郎の視線と指先を追った。
会話に夢中で手を外してしまったのだろう。衿を絞り、隠されていたはずの清らかな裸身が、あらわになっしまっていた。
「ふむ。よい――よい」
「じろじろ見るな荒次郎。これは、違うからっ!」
じりじりと退がりながら、初音は打掛の衿を閉じた。
眼福を邪魔されて、荒次郎がわずかに眉をひそめた。
「ふむ?」
「まつがね。私が寝ている間に着物を脱がせて、それでこんな状況を……」
「ふむ。なるほど。なら、俺は一度部屋を出よう。その間に着替えるといい」
と。この男は意外なことを言った。
いつもならばじりじり近寄ってきて、初音に追い返されているはずなのに。
「なんか今日は妙に物分かりがいいな。いつもならサカって迫って来るのに」
「失礼な。俺はいつだって、エルフさんの意に染まぬ乱暴はしていない。もっとも、エルフさんが望むなら――」
「望んでないっ! だから腰帯外すのは止めておこうか荒次郎」
臨戦体制に移ろうとする荒次郎を即座に制止させ――ふいに、少女はピンと来た。
「荒次郎。おまえここ来る前は、どこにいた?」
「……冴さんの
目を眇めるエルフの少女に、冷や汗を浮かべながら、荒次郎が答える。
初音の脳内で、すべての事象が繋がった。
「ああ、なるほど。そりゃあヤル気にならないよなー。いまのいままであのおっぱいイジり倒してたんなら。ああなるほど。それでまつは、こんなこと画策したんだ」
「まて、エルフさん。語弊がある。誤解がある。話し合おういや話し合うべきだ!」
両手を挙げ、必死で会話を呼びかける荒次郎に、エルフの少女は耳を逆立たせる。
もはや前を隠しもせず、荒次郎に近づいていき――魂の叫びとともに、白い足を叩きつけた。
「うるさいモゲ爆ぜろ羨ましすぎるぞこの助平っ!!」
「見えた!」
ある日の、昼下がり。
まったくいつも通りの、似た者夫妻の話。
◆用語説明
打掛……着物の上から羽織るための着物。
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