第35話 因縁/決着/伊勢宗瑞

 喚声が耳を衝く。

 殺気が津波のごとく押し寄せてくる。

 つづら折りの化粧坂けわいざか切通しを駆け昇ってくる伊勢方の先陣。

 向けられる矢の、槍の、穂先がきらぎらと閃き、瞳は殺意と憎悪と功名心にたぎり、なお強く輝いている。


 矢が飛び来る。

 槍が繰り出される。

 そして、伊勢兵が襲いかかる。


 それらすべてを。

 三浦荒次郎義意は、丸太の一振りで薙ぎ払った。



「おおおおおっ!」



 吼える。

 それは、明確な意思の表れ。

 巨大な殺意の嵐を、ただひとりで撥ね退ける。


 大軍を展開できず、つづら折れゆえ遠間から弓で狙えない。

 長坂橋ちょうはんきょうでの張飛ちょうひ。あるいは、日本では土屋昌恒つちやまさつねの片手千人斬り。

 個人の武と地の利がかみ合った時、人は人知を越えた奮戦を見せる。


 このような存在を、隣国では、恐れまた敬してこう呼ぶのだ。



 ――万夫不当ばんぷふとう



「御見事っ!」



 三浦衆が賞賛の言葉とともに、荒次郎の援護に入る。

 木盾を並べ、弓を射かけ、時に藁巻きの丸太を落として敵の侵入を防ぐ。

 戦闘開始より四半刻。伊勢軍は誰ひとりとして、化粧坂を登り切ることができないでいた。


 にもかかわらず、伊勢宗瑞は化粧坂を攻めさせた。

 愚者のごとく進撃を命じ、味方を死の淵へと送り続けた。



「万夫不当の英雄も、永遠に戦い続けることはできぬ」



 疲れがある。睡魔が来る。食事をとらねばならぬ。

 その間を与え得ぬほど激しく、伊勢宗瑞は化粧坂を責め立て続ける。

 伊勢方は数で勝り、また、道の狭さゆえ、一度に投入できる兵数は限られている。


 であれば。

 昼夜交代で間断なく攻め続けることは造作もない。



「武名など、いくらでもくれてやるわ……代わりにわしは勝利をもらおうか。なあ、荒次郎よぉ!」



 叫びながら、宗瑞は多方面に風魔を送っている。

 隘路で多数の兵を前線に送り込めないのは鎌倉軍も同じ。

 であれば、他方面から伊勢軍を狙ってくるのは当然の理だ。


 戦闘開始より半刻。

 ようやく疲れを覚え始めた荒次郎は、三浦衆に向い、手を振り上げる。

 三浦衆は火矢を番え、射た。坂の下で転げていた藁巻き丸太に火がつく。



「頃合いだ。すこし休む。三浦衆、交代だ。伊勢兵を通すな」





 同刻、伊勢方。

 伊勢宗瑞の耳もとで、ひとりの風魔がささやいた。



 ――鎌倉軍、大船おおふね方面より迂回し、こちらに向かって進行中。



「数は……三千ん? こっちが本命ってかっ!」



 宗瑞から話を聞いた今川氏親いまがわうじちかが、獣のごとき笑みを浮かべる。

 しかし、伊勢宗瑞はうなずかない。



「いや。双方本命、でありましょうぞ」



 乱世の梟雄は、荒次郎の目論見を読み通している。



「――主力を化粧坂方面に残せば、北から迂回してきた兵が。主力を迎撃に回せば、荒次郎自らが化粧坂より出でて、背後より襲いかかる腹づもりでありましょう」


「……なら、軍を真っ二つに裂けば?」


「これは、意地の悪い。御屋形様も御承知でありましょうに」



 二人の英傑は、不敵に笑った。



「――双方、眼前の敵を喰い破らんと牙を剥く」



 伊勢宗瑞の言葉に、今川氏親は静かにうなずき、当然のように尋ねた。



「で、叔父御。どっちにする・・・・・・?」


「三浦荒次郎とはいささか因縁もございますれば、化粧坂に」


「なら、俺様は北だ。鎌倉方で三浦荒次郎を差し置いて大兵を率いられるとすれば、あの似非えせ公方しかいねぇだろ」


「いかにも」


「叔父御。今川軍うちから二千を預ける。荒次郎は難物だぞ」


「重々承知しております。御屋形様こそ、鎌倉公方の勢いを侮られませぬよう」



 兵を二つに割るのは危険だ。

 だが、二人はあえて兵を割った。

 二方から挟まれている現状、中途半端な対応は敗北に繋がることを、二人は知っている。

 荒次郎に振り分けられた五千という数が、二人の荒次郎への評価の高さをあらわしていた。







 一方、江の島方面。

 一度鎌倉に戻った三浦水軍は、夜が明けると再び船を出した。

 敵が渡河してしまった以上、鎌倉での水際防衛が定石ではあったが、真里谷初音まりやつはつねは船にこだわった。



 ――船乗りを陸にあげたら、そりゃあ負ける。私の指揮が悪いわけじゃないやい。



 そんな思いがあったからだろう。

 相模湾を出た三浦水軍は、腰越こしごえで伊勢軍分隊を発見した。

 すでに彼らは出陣準備を終えており、そればかりか、近隣の漁村から徴発したと思しき小船まで用意していた。



「好都合っ!」



 船を用意してるのなら、当然こちらの動きに合わせて船を出すだろう。


 そう判断した初音は腰越沖で、船をゆっくりと旋回させた。

 縦帆たてほ、三角帆の扱いに、すでに習熟している三浦衆は、裏帆も打たさず、見事な旋回行動を続ける。


 だが、いつまでたっても敵は船を出してこなかった。

 実はこの時、伊勢軍分隊は、船を出すに出せない状況に陥っている。

 三浦水軍の縦帆船が、風上に向かって悠々と進んでいく様に、操船を任された漁民が混乱を起したのだ。



「ひえっ、おそろしや!」


「なんまんだぶ、なんまんだぶ!」


「たしかにスゲェけど、ありゃ帆が特別なんだ! 神がかりじゃあないっての!」



 大道寺盛昌だいどうじもりまさがいくら叱咤しても、漁民は恐れのあまり動こうとしない。

 そればかりか、漁民の恐怖が伊勢兵にまで感染し始める始末。



「くそっ、こんな状態で襲って来られたら!」



 多目六郎ためろくろうは危惧したが、真里谷初音が攻撃の指示を出すことは無かった。


 彼女は、この混乱がどの程度深刻なものか、肌で理解していない。

 さらに、先だって敗北を経験している彼女は、敵将が速やかに混乱を収めて向かってくることを恐れた。

 だから敵の動きを待つためにも、旋回行動を続けさせた。それが、なおさら敵に恐怖と混乱を与えることを知らないまま。


 結果的に、真里谷初音率いる三浦水軍は、敵軍二千を拘束し続けた。







 大船方面。

 鎌倉公方、三浦義明率いる鎌倉兵三千は、桔梗ききょう山から大きく西へ張り出た尾根を避け、大きく迂回しながら南進する。



「伝令! 深沢ふかざわ方面より北進する敵あり! 旗印は二つ引両! 今川軍です! 数はおよそ二千っ!」


「がははははっ! 敵は今川氏親かっ! 相手にとって不足なし!」



 報告を聞いて、鎌倉公方、足利義明あしかがよしあきは笑った。

 笑ってから、きりりと口元を惹き絞る。



「――だが、数はおおいに不足っ! 鎌倉衆よ! 三浦介には五千が必要で、われらには二千で十分と見込んでおるらしいぞっ!? 後悔させてやるがいいっ!」



 坂東武者にとって、侮られることは、なによりも恥辱だ。

 怒号とともに、鎌倉兵は敵に向けて突撃を開始する。

 その先頭を、鎌倉公方は駆ける。



「鎌倉衆よ! 我々の力を見せてやるのだっ!!」



 嵩にかかって攻めよせる鎌倉軍。

 対する今川軍も、負けてはいない。



「尾根側から部隊をねじ込んで行けっ! それから、先頭突っ走ってる馬鹿公方に戦場の怖さを教えてやれっ!」



 今川氏親の号令に、今川軍は機敏にこたえる。

 東側に戦力を集中させながら、敵先陣の足利義明を弓で狙う。


 飛来する矢の雨に、しかし、足利義明はひるまない。



「公方っ! お退がりくださいっ! 公方に万一のことあらばっ!」


「無用っ!」



 剛毅の公方はこれを一蹴する。



 ――ワシが射殺されるようなことがあれば、それも天命よ。



 捨て鉢になっているわけではない。

 自身の運を過信しているわけではない。

 ただ、関東公方――いや、足利家の衰運を肌で感じているこの男は、戦場で矢を受けて死ぬ程度の人間に、大業を為す資格なし、と割り切っている。


 ゆえに、足利義明は前に出る。



「我こそは鎌倉公方、右兵衛佐うひょうえのすけ義明なりっ!」



 大胆にして剛毅。

 足利義明の姿に、鎌倉軍の気炎は天を衝く。


 その様子を目の当たりにして、今川氏親が舌打ちした。



「ちっ。似非公方め。思ったよりやりやがる」


「いますこし、兵を連れて来るべきでしたか」


「馬鹿を言うな。俺様を誰だと思っていやがる」



 眉根を顰めた重臣の言葉に、今川氏親は、獣の笑みを浮かべて言い返す。



「――二千が千でも俺様は勝つ。兵法も知らん似非公方ごときが相手になるかよ」



 自信と覇気にあふれた言葉は、数多の戦歴に裏打ちされたものだった。


 今川氏親と足利義明。

 両者の戦いは、しだいに激しさを増していった。







 開戦より一刻が過ぎた。

 今川氏親が北に向かい、数を減らした伊勢軍。

 その前線は、荒次郎の奮戦による動揺が走っている。


 化粧坂での死者は、すでに二百を数える。ほぼ全員が伊勢方だ。

 三浦方の犠牲は、ごくわずか。しかし、彼らの顔には疲労の色が見え始めている。



 ――こちらも、頃合いだな。



 荒次郎は味方に手ぶりで合図をする。



大仏坂だいぶつざかの丸太衆に合図を――そして、三浦衆攻撃隊、出るぞ」



 大仏坂は、鎌倉大仏のある鎌倉南西部から、深沢へと抜けるごく細い道だ。


 荒次郎は、当然ここに兵を配している。

 守備のためと、そして、攻撃のために。

 後方に陣取っている伊勢宗瑞の喉元に迫る、それは刃。


 だが、伊勢宗瑞もこの細道の存在を知っている。

 風魔の報告で伏兵の接近を知った伊勢宗瑞は、即座に大仏方面への備えとして用意していた兵二百を動かし、迎撃にあたらせた。


 ここで、伊勢兵の心理について、想像してほしい。


 伊勢軍は数においてはるかに勝る。

 前夜での戦いは大勝利に終わり、敵は鎌倉まで退いた。


 鎌倉攻めも、簡単に終わるはずだった。

 だが、化粧坂を攻めあぐねているうちに、北から回り込まれ、今また南からも回りこまれている。

 他方面より攻めかけられ、正面では味方の死骸が量産され続けている。戦っていない伊勢兵の心境は、死の順番待ちに等しい。


 そこへ、三浦兵六百が、化粧坂を駆け降りてきた。

 死の化身が、今姿を現したのだ。



「おおおおっ!!」



 悲鳴、怒号。すべてを振り払いながら、荒次郎は血まみれの丸太を振りまわす。



「行くぞっ、三浦衆! 狙うは伊勢宗瑞の首ただひとつだっ!」



 衝撃に、伊勢方の先陣が散々に乱れた。

 三浦衆六百は、荒次郎とそれを守る丸太衆を鋭い錐先として、陣をまっすぐに切り裂いていく。



「ちぃっ! 西相模諸将に伝令! 陣のほつれを繕えいっ!」



 意外なもろさを見せる自軍に、伊勢宗瑞があわてて命じる。

 前線の怯えをじかに感じられる位置にいない梟雄にとって、この崩れは予想外だった。



「まさか、まさかっ! ここで勝負を賭けて来るかっ! 荒次郎よおっ!!」



 伊勢兵五千、対する三浦軍は六百。

 本来なら、容易く抑えきれる兵力差だ。たとえ三浦荒次郎という怪物が居たとしても、だ。


 だが、伊勢宗瑞には失策があった。

 本陣を後方に配したため、前線の兵士の心理を推し量りえなかった。

 大船方面の攻め口を放置したが為、ほとんど背後と言っていい位置での迎撃を余儀なくされた。


 前者は伊勢兵に心理的圧迫を与え、後者は判断の疎漏に繋がった。

 すべては、荒次郎の個人的武勇と、なにより、渡河戦で見せた、伊勢宗瑞に向けた一矢が産ませた失策。



「進めっ! 足を止めるなっ!」



 伊勢軍が、速やかに統制を取り戻していく。

 荒次郎は行き足をゆるめない。伊勢宗瑞めがけて走る。走り続ける。

 振りまわす丸太は、血に染まり真っ赤になっている。赤い丸太をなお赤く染めながら、荒次郎は走る。


 矢が、雨のごとく降ってくる。

 槍襖やりぶすまが、幾度となく向けられる。

 それを防ぐたびに、蹴散らすたびに。三浦兵が。顔も名前も知り、幾度となく言葉を交わした者たちが、ひとり、またひとりと倒れていく。


 荒次郎は無事だった。

 7尺5寸の巨体を幾度となく狙われながら、そのたび味方に守られて、手傷もろくに負っていない。


 ある者は言った。



「御当主を守ることが、一族を守ることだ」



 その言葉への反論を封じるように、その男は真っ先に身を盾にして荒次郎を守り、死んでいった。

 一心に突き進みながら、荒次郎はふと、玉縄城攻めを思い出していた。あの時も、荒次郎は味方を盾に、目的を果たした。



 ――どうも、俺はそんなめぐりあわせにあるらしい。



 ふいに、荒次郎は口元をほころばせた。

 返り血で赤く染まりながら、その顔は不思議と穏やかなものになっている。


 生まれた時からそうだった。

 母は、死んでなお胎の中の自分を守ってくれた。

 三浦一族は、命を盾にして、自分を守ってくれている。



 ――望まれているのだ。生きて、為せと!



 生きる。

 生きるために、殺す。

 味方を、敵を、伊勢宗瑞を。



「おおおおっ!!」



 荒次郎は吼えた。

 このとき、この瞬間。荒次郎は一点の曇りもなく、一個の獣だった。



「……荒次郎よぉ。お主はまぎれもなく強者よ」



 その、獣を目の当たりにできる距離にあって、伊勢宗瑞は鷹のごとき瞳を輝かせる。



「だが、わしは。この伊勢宗瑞は、無力であった応仁の乱の頃より、弱者が強者を破る法を考えてきた!」



 鋭い声をともに、乱世の梟雄は下知をくだす。

 伊勢軍の中核ともいえる家兵、そして譜代衆が、伊勢宗瑞の前に重層的な防御陣を作った。


 猛獣が、防御網にぶつかる。

 初めて、三浦衆の行き足が鈍った。

 寸分狂わぬ槍の穂先。確固たる覚悟をもって波のごとく押し引きする伊勢宗瑞の防御陣は三浦衆を受け止め、離さない。


 だが、獣は止まらない。

 吼え、叫び、味方に無造作に守られながら、挽肉を量産していく。



 ――道寸よ。ぬしゃあ恐ろしい男を育てたな。



 伊勢宗瑞は自ら弓を取った。

 間近に迫った死の化身に向かって、梟雄は矢を放つ。

 一心に伊勢宗瑞の姿を追っていた荒次郎は、丸太を盾にしてこれを受け止める。代わりに、荒次郎の行き足が、刹那の間、停止した。



 ――勝った!



 伊勢宗瑞は快哉を叫んだ。

 足の鈍ったぶん、三浦衆は長時間攻撃にさらされる。

 わずかに稼いだ時間の差で、伊勢譜代衆は三浦衆を揉み潰し得る。梟雄はそれを確信した。


 刹那。伊勢宗瑞の肩が灼熱した。

 見れば、肩からやじりが生えている。

 宗瑞は振り返り、そして見た。背後からばらばらと駆けてくる、三浦の兵たちを。



「大仏坂からの兵かっ!? 馬鹿なっ! こんな短時間で――」



 いいさして、伊勢宗瑞は言葉を止めた。

 中核を為す武将たちの装いに見覚えがあった。

 間違いない。三浦家の精鋭部隊、丸太衆のものだ。



「三方すべてが本命……なるほど。見事」



 梟雄は心よりの賞賛を口にした。

 幾多の闘争を経て、荒次郎は伊勢宗瑞を凌駕した。宗瑞はこれを是とする。

 知力でも腕力でも、暴力でもいい。力を示し、勝つ。宗瑞が新たな時代として認識する戦国乱世では、なによりも肯定されるべきことだ。



「大殿っ!?」



 近衆の悲鳴に、伊勢宗瑞は動じなかった。

 もはや動じる必要は無かった。なぜならば。



「――伊勢宗瑞、覚悟っ!!」



 動揺した伊勢兵たちの隙を縫って。

 伊勢宗瑞の死命を制する距離に、荒次郎は居たのだから。


 永正12年3月9日。

 鎌倉合戦最後の激戦地、梶原かじわらにて、伊勢宗瑞、三浦義意みうらよしおきに討ち取られる。享年60歳。


 これにより、鎌倉合戦の勝敗は決した。

 伊勢宗瑞と三浦道寸、荒次郎二代にわたる因縁も、ここに決着を見た。





「――三浦荒次郎義意、伊勢方大将、伊勢宗瑞を討ち取ったり!!」







◆用語説明

切通し……山や丘なんかを掘って作られた道。

~土屋昌恒の片手千人斬り……史実がどうとかは言っちゃダメです。

私の指揮が悪いわけじゃないやい……起きたまま夢を見るべきではない。

大仏……地名であり、坂の名前であり、名字でもあり、大仏の名前でもある。ややこしい。



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