第22話 軍師/軍略/大転倒
荒次郎が発った翌日のことである。
「ふっ。ふっふっふ」
そばに控えている侍女のまつが、その様子を不気味そうに見ている。
「玉縄城
荒次郎が居ない以上、城を預かるのは自然、初音となる。
初音は政務にも軍事にも深く関わっている。家中の人間も、みなこれを当然と受け止めていた。
三浦家多難の折、不謹慎ではある。
だが、仕方がない。初音は戦国時代を愛し、またマニアと言っていいほど精通している。
そんな人間が、戦国時代に来て、城主、大名、立身出世という言葉に、憧れないわけがない。
しかし、彼女は真里谷の姫になってしまったがために、荒次郎が戦国武将として名を為し、猪牙ノ助が出世するかたわらで、これといった地位の変動もないままだ。
そこへ、今回の事態である。
これまでも城を預かってはいたが、ただそれだけだった。
つかの間の平穏のなか、初音はろくに城代らしいことをしていない。
しかし今は、いつ戦が始まってもおかしくない情勢だ。玉縄城兵、水軍衆、在地の武士たち。すべて初音の思いのままなのだ。
「この全能感! ヤバイ! 伊勢宗瑞? ぼっこぼこにしてやんよ!」
耳をピコピコさせながら、立ったり座ったり、虚空に向かって拳を振りまわしたりする主に、まつは子供のやんちゃに呆れた母親の表情でため息をついた。
そこへ。
「失礼いたします」と断り、入ってきたのは。
「あ、胃の腑の人
「
初音が言うと、まつが突っ込んだ。
重臣、佐保田河内守の嫡男、彦四郎である。
「奥方さま。すこし、報せたきことが……」
彦四郎が持ってきたものは、近隣の在地領主同士の小競り合いの問題だった。
それ自体は、珍しいことではない。土地問題の解決能力は、彼らを従わせるための必須事項だ。
問題は、領主たちがそれぞれ、伊勢と三浦の下に着いているということ。
おまけに場所も、伊勢方
だが、放っておくこともできない。
みな今の状況で土地問題を放置などしようものなら、近隣国衆は伊勢に
「いかがなさいますか?」
彦四郎の問いに、初音は眉をゆがめて悩みながら、結論を出した。
「胃の腑の人」
「彦四郎です」
「すまない胃の腑の人。即座に動員できる兵は?」
夫婦である。
「……守城の兵を残して、とりあえず200は。すこし待てば、殿が急事に備えて三浦より呼び寄せられた将兵が着くと思いますが」
「待ってる暇はなさそうだ。とりあえず行けるやつを連れて“お話”しにいく」
「奥方さま自ら行かれるので?」
「仕方ないだろ。どうもきな臭い。いち早く事を収めるに限る。だったら、三浦家当主の妻であり、城代としてすべてを任されている私が出るのが順当だろう」
城代、と、強調しながら、初音は話を続ける。
「――だから、胃の腑の人は、本国からの兵が着いたら、あとからこれを率いて来てほしい」
「ふむ? 理由をお尋ねしても? 問題の領主どもは、いずれも小勢。威圧するにも、200で事足りると思いますが」
「ただの保険だよ」
初音はさらりと言った。
本当は、自信がないし怖いからとは言えない。
かわりに長い耳が少しだけ震えている。
「とにかく、この問題、長引かせると伊勢が出てくる。そうすれば、もう泥沼一直線だ。これは時間との戦いだ」
◆
「――と、相手は当然思ってるよね?」
少年は口を開いた。
十かそこらの、幼いこの少年、名は
伊勢家
伊勢方、大庭城。
多目家に与えられた屋敷の一室。
聞いているのは大道寺家の若き当主、
「でも残念、不正解。正解は、伊勢方と、伊勢方に転んだ領主の偽の争いなのさ。のこのこと出てきた三浦の重臣を、領主たちと
得意げに説明する六郎に、大道寺盛昌は冷や汗を流す。
――やべえ。お家騒動で若い当主に変わって、家中がピリピリしてんのが、客の俺でもわかるのに、そのうえ志願して出兵とか。後ろから矢が飛んできてもおかしくねえ。
目の前の少年が、それを理解していないはずがない。
しかし、なんとでも出来ると思っているのだろう。六郎は平然として、うれしそうに策を説明してくる。
――危ういなあ。
思った盛昌は、お節介を焼くことにした。
「六郎。
大道寺八郎兵衛。一門の荒武者に、心の中で謝りながら、盛昌は少年に頭を下げる。
少年は邪気のない笑顔で、これを受け入れた。
「いいよ。余計だけど、心配してくれてありがとう。でも、言うこと聞くよう言っといてよ? 勝手に僕の策を壊されても困るから」
大道寺盛昌は、頭の中で八郎兵衛に再び謝った。
◆
三浦方玉縄城と伊勢方大庭城は、
兵の出し入れも、ばれない訳はない。だからこそ、速攻だ。幸い、紛争地までの距離は、玉縄城からのほうが近い。話が収まるならそれでよし。大庭城からの兵が来れば、ぶつかるしかないが、その場合、にらみ合いで時間を稼ぎ、援軍なり、荒次郎の帰還を待てばいい。
騎馬の一行は、鎌倉街道上ノ道をひた走り、目的地にたどり着いた。
「奥方さま、お待ちを」
随行してきた三浦家重臣、
刈り株も枯れた真冬の田んぼのなか、在地領主たちは、それぞれ手勢をひきつれて対峙している。
「ん? どうしたの、大森さん」
「両勢の動きに不審が」
「え……ああ、本当だ。領主の人たち、こっちと相手を交互に見てるけど、表情とか、仕草がちょっと変……ひょっとして、通じ合ってる?」
冷や汗を流しながら初音が問うと、この重臣は同意するようにうなずいた。
「そのようですな。もしやとは思っておりましたが」
「ふむ。では、どうするべきか」
内心冷や汗をかき、指摘してくれなかった
相手はどちらも100に満たぬ小勢、しかもほとんど百姓兵だ。
訓練された三浦兵200で打てば、ひと撫でにできるだろう。
二方から囲まれる体勢というのが厄介といえば厄介だが。それも問題ではない。
問題は、戦うべきか否か。
逃げれば、伊勢方はこれを声高に
戦えば、これまたその事実を
どちらの場合にしても、調停のつもりで身分の高いものを連れてきたことが仇になる。見事といっていい。
「嫌な手を使うなあ」
「まことに……して、奥方さま、どうされます?」
初音がただの女なら、大森越前守も尋ねない。
しかし、初音は戦場を渡り、修羅場も経験している。だからこの重臣は、初音の意見を尊重する姿勢を見せた。
しばらく考えてから、初音は命じた。
「とりあえず、待って。相手の動きを待つ」
初音は
相手の居る場所に罠を想像してしまい、それなら援軍が来るのを待って、多勢で揉み潰そうという腹だ。
坂東武者たちが、ものすごい勢いで不満を顔に出した。
◆
「……うーん。これは、読まれちゃったかな? やるじゃん。そこそこに、だけど」
すこし離れた林の陰で、多目六郎が頭をかいた。
領主たち、そして後方より伊勢方の伏兵が三方から襲いかかる策だったが、三浦方が停止したことで、それは困難となった。
「どうします?」
随行している大道寺八郎兵衛が尋ねると、六郎は、ふふん、と鼻で笑う。
「このままでも囲もうと思えば囲めるけど、包囲網が出来る前に、逃げられる公算が高い。だから、逃げられないようにしよう」
指を立てて、少年は冷たい瞳で配下に命じる。
「――向こうに合図を。三浦とぶつからせるんだ」
六郎の命令で合図が送られると、領主たちが、各々三浦方に名分を投げつけてから、同時に兵を動かす。
――これで三浦方も動く。動かざるを得ない。そうして、両者が当たったところで、伊勢方100で背後から衝けばいい。
多目六郎の思い通り、三浦方は領主勢に向かい、動いた。
ただし、50ほどが、その場に残って動かない。
「なんで半端に兵を残すんだよ。伏兵を警戒しするにしても、そりゃないんじゃない?」
多目六郎が不快気に眉をひそめた。
包囲を阻害する絶妙な位置に、兵が残されている。
潰そうと思えば出来なくもないが、せっかくの包囲網が台無しだ。
少年も、まさか、敵に突っ込むのを恐れたエルフさんが、前線指揮を重臣に任せ、表向き予備兵力、内実自分の護衛として50の兵を残したとは思っていない。
そして、150だとしても、三浦兵は強い。
騎射に長じた三浦兵が馬を寄せながら次々に矢を射かけると、百姓兵たちがてきめんに動揺する。
「くそっ。なんで思い通りにならないんだこの無能ども!」
戦況の推移に、六郎は地団太踏んで歯噛みした。
もはや、六郎が頭の中で描いていた戦図は、きれいさっぱり消えてしまった。
「まあいい。不格好だけど、囲めば勝てる。行くぞっ!」
「お供します」
多目勢のぎこちなさを見て、大道寺八郎兵衛が進言する。
「邪魔しないでよ」
不機嫌に言ってから、六郎は伏せていた兵を起こした。
その数、100。三浦に察知されずにこれだけの兵を集めた多目六郎の手腕は、見事といっていい。
突如背後より現れた伊勢方の伏兵に、三浦方重臣、大森越前守は、破顔した。
「おお、奥方さまはこれを読まれていたのか!? さすが真里谷の姫にして荒次郎さまの妻たる御方よ!」
と、重臣や兵士たちが勝手に過大評価しているのを尻目に、初音は
初音も、まさか背後から伏兵が来るとは思っていない。しかも相手は倍の数だ。身の安全などと言っていられない。
「必死で守れっ! じきに後詰めが来る! そうすればこっちが挟み撃ちだ!」
初音は声を振り絞って激励の声を飛ばす。
揉み合いが始まり、領主勢のほつれが深刻になり始めてきた時、ひとりの風魔が、伊勢方を率いる多目六郎のもとに駆け込んだ。
「玉縄城より援軍有り」
その報告を聞いて、六郎は蒼ざめた。
「ちょっとまて。ここまで、この戦況まで読んでたっての? このボクが手玉に取られた? なんだよ。なんでなんだよ。くそっ、なんでこのボクがこんな目にっ!!」
実際は違う。
初音が保身を優先するあまり、無駄に打った対応が、偶然伊勢方の策略を潰す結果に終わっただけだ。
ひとつ外れていれば、三浦の将兵は、この地に屍をさらすことになっていただろう。だが、そうはならなかった。
「六郎殿、潮時です。逃げましょう」
多目の将兵が腫れ物を見る目で六郎を遠巻きにする中、八郎兵衛が声をかけた。
多目六郎とて、その判断が正しいとわかるほどには、分別を残している。すぐに撤退の指図をした。
「くそっ、くそっ。誰だよ!
顔を真っ赤にしながら怒鳴る六郎の背後を守って、八郎兵衛も引く。
伊勢方の撤退を見て、領主たちがあわてて降伏し、恭順の意を伝えた。
初音は得意げに胸を張りながら、人質を条件に、降伏を許す。
伊勢方との戦が始まろうかというときに、これ以上この場に割いていい余力はない。
初音と三浦家は勝った。
しかし、伊勢方とて、最低限の目標は達成している。
戦端は開かれた。この二日後には、報復するように、伊勢方が玉縄城を攻めている。
止めようもなく、転がるように。
関東大戦に至る戦乱は、すでに始まっている。
◆用語説明
城代真里谷初音――不安しかない。
胃の腑の人――三浦家の胃痛担当、佐保田河内守とその息子彦四郎、故三浦道寸の側妾八重を差す。このうち八重は道寸の死をきっかけに出家して、無事胃痛担当を引退している。
坂東武者――脳筋、野人とほぼ同義。
初音は得意げに胸を張りながら――さすがですエルフさん。
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