第23話 古河/鎌倉/関東公方


 ――玉縄たまなわ城、伊勢方により攻撃中。



 この知らせを聞いた荒次郎は、常になく顔色を変えた。



「……経緯を聞こう」



 絞り出すように問うと、伝令は淡々と事実のみ答えた。


 国人領主同士の、所領争い。

 それが実は伊勢方の罠で、誘い出された三浦軍が、しかし真里谷初音エルフさんの指揮により、勝利を得たこと。

 そして、報復行動として、大庭おおば城の伊勢方が玉縄城に攻めよせてきたこと。そこまで聞いて、荒次郎は息をついた。



「では、エルフさんは無事だな」


「奥方様は、無事です。現在守城の指揮をとっておられます」



 荒次郎は胸をなでおろした。

 荒次郎の目から見た真里谷初音まりやつはつねの、武将としての評価は、高くない。

 なまじ戦国時代の知識や、史実の軍略を知っているだけに、思考が硬直しており、しかも能力を越えた活躍を望むきらいがある。


 ただし、無謀ではない。むしろ、臆病と言っていい。

 だからこそ、大失敗は犯さないだろうし、城も預けられる。

 本当は軍師よりも民政に向いているのでは、と荒次郎は思っているが、指摘するとエルフさんが泣きそうなので、黙っている。



「やれやれ、残念娘が、心臓に悪いわい」



 猪牙ノ助ちょきのすけの言葉が、彼女に対する認識のすべてを表している。



「さて、しかしだ。こちらは単騎。さすがにこのまま城に向かうのは無謀であろう。どうする、荒次郎くん?」


「考えるまでもない」



 試すような猪牙ノ助の問いに、荒次郎は答える。

 これは軍事というより、政治の問題だ。



「――近郊の支族に動員をかける。非戦闘員で十分だ。数百も集めて玉縄城に迫れば、それで相手は退く」







 数日後、荒次郎の援軍を察知した伊勢方は、即座に兵を引いた。

 まさに、荒次郎が言った通りの展開だ。



「この城攻め、エルフさんにやられた失点回復の色合いが強い」



 兵とも呼べぬ烏合の衆を率いながら、荒次郎は猪牙ノ助に話しかける。



「そのうえ、当初の目標としても、三浦家をなし崩しに敵方に押しやる名分づくりの色合いが強い。だったら、敵は本腰を入れて城攻めするつもりはない。大庭城の将兵のみを率いて出てきたのが、その証拠だ」


「うむ。敵としては、古河公方などの各方面と連携をとる前に、このまま泥沼に引きずり込まれるのが一番嫌であろうしな」



 くつわを並べ、黒いひげをしごきながら、禿頭の老人はうなずく。



「まあ、こちらも事情は同じだがな。扇谷上杉と連携が取れたとはいえ、房総との連絡はまだだ。いま三浦の戦力を総動員するのは、勇み足でしかない」


「少なくとも、外交で不利を被ることになる。はしごを外されては目も当てられんしのう……まあ、こうやって退かせられたのだ。結果は上々であろう」



 後日の褒賞の段取りを猪牙ノ助に頼み、ひとまず集団を解散させると、荒次郎たちは玉縄城に帰還した。

 玉縄城の防備には、ほとんど損傷のあとがない。これだけ見ても、今回の城攻めが本気でなかったと察することができる。



「よく返ってきたな荒次郎! 見たか聞いたか大軍師初音さんの大活躍!」



 と、城から飛び出してきたのは、留守を守っていた真里谷初音だ。

 ほめてほめて、と尻尾を振らんばかりの表情だ。尻尾がないのでかわりに耳がピコピコ動いている。


 その、彼女の耳を。荒次郎は無造作につかんた。



「ひゃ!? いきなり何するんだよ!?」



 ばっと飛び退り、警戒姿勢をとる少女に、荒次郎はため息をつき、言った。



「無茶をする。肝が冷えた……とはいえ、よく頑張ってくれたな、エルフさん」



 その言葉に、初音はきょとんとなって。



「え、えへへ、へへへへへ……いきなりなに言ってるんだよ荒次郎、照れるじゃないか」



 喜びを隠せない様子で近寄ってきて、荒次郎の胸をぽこぽこと殴り始めた。

 面に微細量ながら困惑の色を浮かべつつ、荒次郎は顔だけを猪牙ノ助に向ける。



「とは言え、状況はまだマズい。これからのことは、よくよく考えていかなくてはいけない」


「ふむ。ということは、アレであろう? 恒例の……」







「第――えーと、何回目だか忘れたけど三浦家戦略会議ー!」



 と、エルフの少女が宣言する。

 所を変えて、玉縄城本丸御殿、荒次郎の私室。

 集まっているのは、荒次郎、猪牙ノ助、初音の三人だ。



「エルフさんにも、現状を説明しよう」


「エルフ言うな」



 あきらめ気味に初音が突っ込んだが、荒次郎は気にしない。



「まず、エルフさんの本家、真里谷家の房総新公方を中心とした新勢力構築構想、これに扇谷上杉を巻き込んだ」


「どうやって!?」



 エルフさんが即座に突っ込んだ。



管領かんれいの地位をネタに、扇谷上杉家の後継者問題を利用して。ちなみに現当主は養子の上杉朝興うえすぎともおきだ」


「……うわぁ……うわぁ」



 と漏らす少女を尻目に、荒次郎は説明を続ける。



「現在、扇谷上杉家は房総ぼうそうと連絡をとっている。協力のため、そして、新公方を鎌倉で引き取るために」


「うえ?」



 と、変な声を出して、それからようやく理解したように、エルフの少女は声を上げた。



「え? 新公方ってあの足利義明よしあき? それをこっちで引き取る? いや、その威力果はわかるけど、出来るか? 真里谷家うちの掌中の玉だろ?」


「扇谷上杉および、房総にも強い影響力を持つ三浦家の協力。そして房総管領の地位」


「……あー、うん。十分、十分だけど」



 荒次郎の答えに、少女はきまりが悪そうにほほをかいた。



「――悪い時に北条と問題起こしちゃったな。真里谷信保おにいちゃんが喜びそうだ」


「向こうもそれが狙いだ。エルフさんはその中で、なぜか最良手を打ったんだ。気にする必要はない」


「いや、えへへ――って、実はそれ、あんまり褒めてないよね?」



 やにさがった表情から、一転目を眇める少女を、禿頭の老人が呵々と笑い飛ばす。



「なにを言う。残念な貴様にしては大金星である! 喜ぶがよいぞ! ほれほれ」


「爺さんあんたははっきりと悪意があるよねっ!?」



 があーっと、猪牙ノ助に噛みついてから、ふと気づいたように、少女は口を開く。



「でも、本拠を鎌倉にって、大丈夫なのか? 三浦と北条の争いで相当荒れてるし、あそこ、実は守るの難しいだろ?」



 初音がそう口にした、瞬間。



「ふおおおおっ! いまこそ鎌倉街道を整備して緊急時、周辺の武士たちが即座に集まれるようにすべきであぁるっ!! とりあえず朝比奈切通あさひなきりとおぉしっ! 歴史的遺産かなんか知らんが、文化庁の連中め、吾輩の効率化計画の邪魔をしよって! 見ておれぃ! 吾輩の築いた美しいまでに効率的な道路こそを鎌倉の文化遺産であると証明してくれるわっ!!」



 猪牙ノ助が吼えた。

 色々と心の琴線に触れるものがあったのだろう。

 なおまくし立て続ける老人を尻目に、荒次郎たちは顔を向けあって苦笑を浮かべる。



「そういえば、エルフさん」



 荒次郎が、ふと口を開いた。



「足利義明とは、どんな人物だ?」







 鎌倉入りを決めた足利義明が三浦半島の付け根、江戸湾に面した六浦湊むつうらみなとに到着したのは、それから十日後のことだった。



 ――早いな。



 報せを受けた荒次郎は、供廻りを連れて馬を急がせ、どうにか鎌倉の東の入り口、熊野くまの神社の手前で、足利義明一行を迎えることができた。



「そなたが三浦介みうらのすけかっ!」



 ひと目で一行の主と見える、身なりの良い男が、馬を颯爽さっそうと寄せてくると、馬上から声をかけた。

 荒次郎は亡き道寸から、三浦一族惣領の世襲名である“三浦介”の名を受け継いでいる。



「はっ、三浦介義意よしおきにございます」


「がははははっ! ワシが右兵衛佐うひょうえのすけ義明であるっ! かまわん。礼は要らん。背筋を伸ばせいっ!」



 荒次郎は反射的に直立した。

 そうすると、7尺5寸の荒次郎は、足利義明をはるか下に見下ろすことになる。


 足利義明は六尺近い長身の主だ。

 年の頃は、三十手前か。直垂ひたたれの上からでもわかる、締まった肉体。

 顔は面長で、鼻が大きい。目は壮気に満ちており、なるほど源氏の貴種として、そして鎌倉公方として、不足ない貫目かんめを備えている。



 ――すこし、腰が軽すぎる気がするが。



 動座の素早さと、エルフの少女から聞いたこの男の最後を思えば、どうしてもそれが欠点に思える。



「がはははははっ! でかいな。それに強そうだ!」


「はっ」



 荒次郎も謙遜けんそんしない。

 なにしろ規格外の巨体に巨腕だ。下手な謙遜は嫌味でしかない。



「それに、知恵も回るらしい。伊勢宗瑞との戦、話に聞かせてもらったぞっ!」


「運にも助けられました」


「武運を引き寄せたのは、ヌシの知勇であろうが。謙遜するな三浦介っ! がははははっ!」



 どうもこの貴人、声を張り上げて笑う癖があるらしい。

 しかも地声が大きい。なるほど将軍としては得難い資質だが、間近でそれを聞かされる荒次郎にとってはいい迷惑である。



「三浦介よ、ヌシにはヌシの思惑があったのだろうが、よくもワシを鎌倉公方にと言ってくれたっ! 胸がすく思いであったぞ! がははははっ! 父君オヤジ兄君アニキめ、古河の地をせせこましく争っているがよいわいっ!」



 よほど機嫌がいいのか、笑いっぱなしである。



「さあ、三浦介よ、ヌシとヌシが使うという丸太で、ワシに関東を取らせてくれよっ! がははははっ!」



 ――この人は、いい人に違いない。



 荒次郎は確信した。







 足利義明を伴い、荒次郎は鎌倉入りした。

 一刻ほど遅れて、扇谷上杉家当主、上杉朝興うえすぎともおきとその重臣、太田資康おおたすけやすが息せききって駆けこんでくる。

 さらにそれからしばらくして、上総真里谷家当主代理である真里谷信保まりやつのぶやすが、ゆうゆうと姿を現した。


 一同が集ったのは、鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう

 武家政権の祖、源頼朝みなもとのよりともゆかりの神社であり、鎌倉武士の守護神だ。

 この地で、足利義明は鎌倉公方として立ち、その事実を周辺諸勢力に周知させる。

 他ならぬ足利義明の電撃的な動座に、さすがの伊勢宗瑞いせそうずいも対応が遅れ、すべては滞りなく終わった。


 影響は絶大だった。

 足利義明の鎌倉公方僭称せんしょうに、実兄である古河公方が猛然と反発。

 義明を支持し、関東管領に就任した扇谷上杉に、山内上杉やまのうちうえすぎが、これも激しく反発する。

 この、歴史上の事件と言っていい事態が、混沌で、混乱を極めた関東戦国の旗色を、明確に分けていく。


 これより、関東を舞台にした棋戦の盤面は、激しく動き出す。

 かつてない大乱の予感に、関東の誰もが息をひそめて様子をうかがう中で、先陣を切ったのは、やはりこの男だった。


 乱世の梟雄。

 戦国時代の化身。

 下剋上を極めた男。


 永正十一年、二月末日。

 伊勢宗瑞――鎌倉へ襲来。

 これが関東大戦の嚆矢こうしとなった。







大軍師初音さんの大活躍……だいがふたつもあってかっこいいです。

房総……房総半島。

この男(足利義明)の最後……自ら陣頭指揮して敵に突貫、返り討ち。

荒次郎は確信した……丸太を褒められたら仕方ない。

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