第23話 古河/鎌倉/関東公方
――
この知らせを聞いた荒次郎は、常になく顔色を変えた。
「……経緯を聞こう」
絞り出すように問うと、伝令は淡々と事実のみ答えた。
国人領主同士の、所領争い。
それが実は伊勢方の罠で、誘い出された三浦軍が、しかし
そして、報復行動として、
「では、エルフさんは無事だな」
「奥方様は、無事です。現在守城の指揮をとっておられます」
荒次郎は胸をなでおろした。
荒次郎の目から見た
なまじ戦国時代の知識や、史実の軍略を知っているだけに、思考が硬直しており、しかも能力を越えた活躍を望むきらいがある。
ただし、無謀ではない。むしろ、臆病と言っていい。
だからこそ、大失敗は犯さないだろうし、城も預けられる。
本当は軍師よりも民政に向いているのでは、と荒次郎は思っているが、指摘するとエルフさんが泣きそうなので、黙っている。
「やれやれ、残念娘が、心臓に悪いわい」
「さて、しかしだ。こちらは単騎。さすがにこのまま城に向かうのは無謀であろう。どうする、荒次郎くん?」
「考えるまでもない」
試すような猪牙ノ助の問いに、荒次郎は答える。
これは軍事というより、政治の問題だ。
「――近郊の支族に動員をかける。非戦闘員で十分だ。数百も集めて玉縄城に迫れば、それで相手は退く」
◆
数日後、荒次郎の援軍を察知した伊勢方は、即座に兵を引いた。
まさに、荒次郎が言った通りの展開だ。
「この城攻め、エルフさんにやられた失点回復の色合いが強い」
兵とも呼べぬ烏合の衆を率いながら、荒次郎は猪牙ノ助に話しかける。
「そのうえ、当初の目標としても、三浦家をなし崩しに敵方に押しやる名分づくりの色合いが強い。だったら、敵は本腰を入れて城攻めするつもりはない。大庭城の将兵のみを率いて出てきたのが、その証拠だ」
「うむ。敵としては、古河公方などの各方面と連携をとる前に、このまま泥沼に引きずり込まれるのが一番嫌であろうしな」
「まあ、こちらも事情は同じだがな。扇谷上杉と連携が取れたとはいえ、房総との連絡はまだだ。いま三浦の戦力を総動員するのは、勇み足でしかない」
「少なくとも、外交で不利を被ることになる。はしごを外されては目も当てられんしのう……まあ、こうやって退かせられたのだ。結果は上々であろう」
後日の褒賞の段取りを猪牙ノ助に頼み、ひとまず集団を解散させると、荒次郎たちは玉縄城に帰還した。
玉縄城の防備には、ほとんど損傷のあとがない。これだけ見ても、今回の城攻めが本気でなかったと察することができる。
「よく返ってきたな荒次郎! 見たか聞いたか大軍師初音さんの大活躍!」
と、城から飛び出してきたのは、留守を守っていた真里谷初音だ。
ほめてほめて、と尻尾を振らんばかりの表情だ。尻尾がないのでかわりに耳がピコピコ動いている。
その、彼女の耳を。荒次郎は無造作につかんた。
「ひゃ!? いきなり何するんだよ!?」
ばっと飛び退り、警戒姿勢をとる少女に、荒次郎はため息をつき、言った。
「無茶をする。肝が冷えた……とはいえ、よく頑張ってくれたな、エルフさん」
その言葉に、初音はきょとんとなって。
「え、えへへ、へへへへへ……いきなりなに言ってるんだよ荒次郎、照れるじゃないか」
喜びを隠せない様子で近寄ってきて、荒次郎の胸をぽこぽこと殴り始めた。
面に微細量ながら困惑の色を浮かべつつ、荒次郎は顔だけを猪牙ノ助に向ける。
「とは言え、状況はまだマズい。これからのことは、よくよく考えていかなくてはいけない」
「ふむ。ということは、アレであろう? 恒例の……」
◆
「第――えーと、何回目だか忘れたけど三浦家戦略会議ー!」
と、エルフの少女が宣言する。
所を変えて、玉縄城本丸御殿、荒次郎の私室。
集まっているのは、荒次郎、猪牙ノ助、初音の三人だ。
「エルフさんにも、現状を説明しよう」
「エルフ言うな」
あきらめ気味に初音が突っ込んだが、荒次郎は気にしない。
「まず、エルフさんの本家、真里谷家の房総新公方を中心とした新勢力構築構想、これに扇谷上杉を巻き込んだ」
「どうやって!?」
エルフさんが即座に突っ込んだ。
「
「……うわぁ……うわぁ」
と漏らす少女を尻目に、荒次郎は説明を続ける。
「現在、扇谷上杉家は
「うえ?」
と、変な声を出して、それからようやく理解したように、エルフの少女は声を上げた。
「え? 新公方ってあの足利
「扇谷上杉および、房総にも強い影響力を持つ三浦家の協力。そして房総管領の地位」
「……あー、うん。十分、十分だけど」
荒次郎の答えに、少女はきまりが悪そうにほほをかいた。
「――悪い時に北条と問題起こしちゃったな。
「向こうもそれが狙いだ。エルフさんはその中で、なぜか最良手を打ったんだ。気にする必要はない」
「いや、えへへ――って、実はそれ、あんまり褒めてないよね?」
やにさがった表情から、一転目を眇める少女を、禿頭の老人が呵々と笑い飛ばす。
「なにを言う。残念な貴様にしては大金星である! 喜ぶがよいぞ! ほれほれ」
「爺さんあんたははっきりと悪意があるよねっ!?」
があーっと、猪牙ノ助に噛みついてから、ふと気づいたように、少女は口を開く。
「でも、本拠を鎌倉にって、大丈夫なのか? 三浦と北条の争いで相当荒れてるし、あそこ、実は守るの難しいだろ?」
初音がそう口にした、瞬間。
「ふおおおおっ! いまこそ鎌倉街道を整備して緊急時、周辺の武士たちが即座に集まれるようにすべきであぁるっ!! とりあえず
猪牙ノ助が吼えた。
色々と心の琴線に触れるものがあったのだろう。
なおまくし立て続ける老人を尻目に、荒次郎たちは顔を向けあって苦笑を浮かべる。
「そういえば、エルフさん」
荒次郎が、ふと口を開いた。
「足利義明とは、どんな人物だ?」
◆
鎌倉入りを決めた足利義明が三浦半島の付け根、江戸湾に面した
――早いな。
報せを受けた荒次郎は、供廻りを連れて馬を急がせ、どうにか鎌倉の東の入り口、
「そなたが
ひと目で一行の主と見える、身なりの良い男が、馬を
荒次郎は亡き道寸から、三浦一族惣領の世襲名である“三浦介”の名を受け継いでいる。
「はっ、三浦介
「がははははっ! ワシが
荒次郎は反射的に直立した。
そうすると、7尺5寸の荒次郎は、足利義明をはるか下に見下ろすことになる。
足利義明は六尺近い長身の主だ。
年の頃は、三十手前か。
顔は面長で、鼻が大きい。目は壮気に満ちており、なるほど源氏の貴種として、そして鎌倉公方として、不足ない
――すこし、腰が軽すぎる気がするが。
動座の素早さと、エルフの少女から聞いたこの男の最後を思えば、どうしてもそれが欠点に思える。
「がはははははっ! でかいな。それに強そうだ!」
「はっ」
荒次郎も
なにしろ規格外の巨体に巨腕だ。下手な謙遜は嫌味でしかない。
「それに、知恵も回るらしい。伊勢宗瑞との戦、話に聞かせてもらったぞっ!」
「運にも助けられました」
「武運を引き寄せたのは、ヌシの知勇であろうが。謙遜するな三浦介っ! がははははっ!」
どうもこの貴人、声を張り上げて笑う癖があるらしい。
しかも地声が大きい。なるほど将軍としては得難い資質だが、間近でそれを聞かされる荒次郎にとってはいい迷惑である。
「三浦介よ、ヌシにはヌシの思惑があったのだろうが、よくもワシを鎌倉公方にと言ってくれたっ! 胸がすく思いであったぞ! がははははっ!
よほど機嫌がいいのか、笑いっぱなしである。
「さあ、三浦介よ、ヌシとヌシが使うという丸太で、ワシに関東を取らせてくれよっ! がははははっ!」
――この人は、いい人に違いない。
荒次郎は確信した。
◆
足利義明を伴い、荒次郎は鎌倉入りした。
一刻ほど遅れて、扇谷上杉家当主、
さらにそれからしばらくして、上総真里谷家当主代理である
一同が集ったのは、
武家政権の祖、
この地で、足利義明は鎌倉公方として立ち、その事実を周辺諸勢力に周知させる。
他ならぬ足利義明の電撃的な動座に、さすがの
影響は絶大だった。
足利義明の鎌倉公方
義明を支持し、関東管領に就任した扇谷上杉に、
この、歴史上の事件と言っていい事態が、混沌で、混乱を極めた関東戦国の旗色を、明確に分けていく。
これより、関東を舞台にした棋戦の盤面は、激しく動き出す。
かつてない大乱の予感に、関東の誰もが息をひそめて様子をうかがう中で、先陣を切ったのは、やはりこの男だった。
乱世の梟雄。
戦国時代の化身。
下剋上を極めた男。
永正十一年、二月末日。
伊勢宗瑞――鎌倉へ襲来。
これが関東大戦の
◆
大軍師初音さんの大活躍……だいがふたつもあってかっこいいです。
房総……房総半島。
この男(足利義明)の最後……自ら陣頭指揮して敵に突貫、返り討ち。
荒次郎は確信した……丸太を褒められたら仕方ない。
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