第21話 二択/選択/分岐点
「なぜだ」
座敷牢に留め置かれた荒次郎は、つぶやくように言った。
何ひとつ不自由はさせぬ。そう言われていたにもかかわらず、荒次郎は耐え難い苦痛を味わっていた。
「なぜ、
無茶だ。八十五人力の荒次郎に持たせれば、丸太は凶悪極まりない武器だ。そんなもの、与えられるはずがない。
とはいえ、理由を言えば角が立つ。詰め寄られた見張り役は、半泣きになっていた。
荒次郎は不満だったが、丸太がないこと以外は、極めて快適な環境で、荒次郎は夜を明かした。
二日目の昼過ぎ。外がにわかに騒がしくなった事を感じて、荒次郎が格子越しに外をうかがっていると。
「よう」
唐突に引き戸が開き、ひとりの男が無遠慮に入ってきた。
丸太を粗く削ったような、荒々しい顔立ち。
六尺豊かな大男で、肩幅が異様に広く、常人の両肘を広げたほどもある。
「義兄上」
資康はからりと笑って見張りを追い払い、木の格子の前に、どっかと座りこんだ。
「聞いて驚いたぞ。いったいどうした。荒次郎殿よ」
「三浦の立場と主張をはっきり伝えに来たんですが……
「それは、災難だったなあ」
ふむ、と、顎をいじりながら、太田資康がうなずく。
「しかし、それだけではないだろう? 言ってみろ、弟よ。どんな火種を投げ込んだ?」
そう言って、資康はにやりと笑う。
虎のごときその笑顔に、荒次郎は肩をすくめながら、説明を始めた。
関東管領と協力し、中立を保てと提案したこと。
容れられず、次善の策として
すべてを話し終えた時、この巨漢の武将は
「面白い。血が熱くなるような話を、久々に聞いたわ!」
膝を叩き、嬉しそうに笑う義兄を見て、荒次郎は思う。
もとより、この男は父である太田道灌を粛清され、かつての主家と争い、また帰参している。それが、単純だった男の性格に、微妙な陰影を落としているのは間違いない。
ひとしきり笑ってから、義兄は口の端をつり上げ、言った。
「――どの道、放置すれば三浦が滅ぶ。なんとかしてやらねばと思っておったところだ。協力させろ」
◆
猪牙ノ助は、ときおり荒次郎のもとを訪れては、簡単に状況を説明した。
扇谷上杉家の去就を定める会議のため、重臣たちが次々に集まってきている。
仕込みは、順調。そう太鼓判を押す猪牙ノ助だったが、見張りに聞かれることを恐れてか、詳細は口にしなかった。
――この手の交渉は、猪牙ノ助さんに任せてしまった方がいい。
そう思っている荒次郎は、特に不満を感じない。
そして三日が過ぎた。
荒次郎は開放され、一門、重臣諸将とともに、会議の席に着いた。
左右に並ぶ武将たちの中で、7尺5寸の荒次郎の巨体はとびぬけており、悪目立ちしている。
「みな、よくぞ集まってくれた」
当主である上杉朝良がまず、口を開く。
見守る家臣たちは、それぞれに真剣な面持ちだ。
当然だろう。みな、この会議が何を決するためのものか、承知している。
古河公方か、房総の足利義明か。
というより、リスクを冒して扇谷上杉のすべてを守るか、あるいは三浦を、国衆の支持を失ってでも、扇谷上杉の家を守るかだ。
――そう、聞かされていた。
そして各々が、思惑含みの腹案を持ってきていた。
だから、挨拶が終わった後。朝良の開口一番の言葉に、重臣たちはとっさに反応できなかった。
「本日をもって、わたしは隠居する。家督は養子
しん。と場が静まった。
荒次郎はこっそりと唸る。
猪牙ノ助が狙っていたのはこれだ。
――さすがだな。
荒次郎は、朝良の狙いを正確に読みとった。
扇谷上杉は、房総の
うまくやれば、
――だが、あくまでこれは賭けだ。失敗すれば、扇谷上杉の家すら危ない。
だから、保険をかけた。
養子の朝興を当主にさせ、自身は隠居することで、自分の持っている古河公方ら旧勢力との繋がりを保とうというのだ。
それだけではない。
失敗すれば、養子朝興は責任をとって自害させられるか、よくて隠居。
そうすれば、朝良はなんの憂いもなく、幼い実子の藤王丸を後継にできる。
朝良にも情がある。
見え見えの生贄台に、養子を乗せることには、さすがに抵抗がある。
――だが、当の朝興が志願すればどうか。上杉朝良にとって、それは望むところではないか。
荒次郎が目をつけ、猪牙ノ助が衝いたのはそこだった。
説得の目はあった。朝良に実子が生まれてから、朝興の立場は微妙なものになっていた。
現状のはっきりしない立場から脱し、一転当主として立てる。危険は承知の上で、受けてもいいと思わせる魅力的な案だ。
扇谷上杉家にとってはともかく、上杉朝良個人にとっては十全の策と言っていい。
だから、朝良は朝興の提案に乗り、隠居を決意したのだ。
主座の主が変わる。
扇谷上杉家の当主となった男は、左右の武将たちを視線でひと撫ですると、口を開いた。
「では、この朝興が当主として決する。扇谷上杉は古河の御所を敵に回す。みなそのつもりで腹案を」
言いさして。
あまりの急転に困惑する諸将の様子を見て、性急に過ぎたと思いなおしたのだろう。若き当主は言葉を変えた。
「――ふむ。すこし休め。半刻後にまた集まるよう」
朝興の言葉に、彼らはひとまず胸をなでおろした。
むろん、みな今回のお膳立てをした張本人を知っている。
知っていながら黙っていたであろう人物に、一同等しく恨みがましい視線を向けた。
――なぜだ。
荒次郎は心の中でつぶやいた。
この会議の絵を描いたのは、猪牙ノ助であって荒次郎ではない。
しかし、重臣たちがそうは思わないであろうことは明白だった。
彼らから見れば、なにもかもが自分たちの頭ごしに決められたのだから、当然といえば当然か。
ひとり、猪牙ノ助の動きを掴んでいた太田資康が、巨体を揺らしてひそかに笑っていた。
◆
「荒次郎殿。すこし残れ」
そう言われ、荒次郎は広間に残った。
太田資康も、何も言わずに残っている。傍目からは、このふたりこそが、当主交代劇の仕掛け人と映るだろう。
「わしは、三浦が好かん」
人の気配が絶えるのを待って、朝興は口を開いた。
太田資康がぎょっとした顔になり、荒次郎はふむ、とうなずいた。
「――好かんが、すでにわしらは運命を共にしておる。しくじれば、この三人で詰め腹を切らねばならん」
妥当な所だ。
そして望むところでもある。三浦を嫌う朝興を利益共同体に巻き込むことで、協力を引き出す。それもまた、狙いのひとつだ。
「しかし、房総を味方にして、それからどうする?」
朝興の言葉に、荒次郎はおや、と目を瞬いた。
「猪牙ノ助――道露が申しませんでしたか」
「知らん。お主に聞けと言われたぞ」
どうも猪牙ノ助は荒次郎をたてるため、戦略の詳細までは伝えなかったらしい。
朝興と太田資康、ふたりの視線に、荒次郎はゆっくりと口を開く。
「房総の足利義明様をお呼びして、鎌倉にて公方として立っていただく――つまり」
荒次郎は一呼吸ためて、言った。
「鎌倉公方を復活させます」
話を聞いているふたりが、息をのんだ。
そうさせるだけの衝撃力が、この策にはある。
「危険ではないか?」
朝興が、穏便な言い方で尋ねる。
かつて幕府のあった鎌倉は、それゆえ、四方に伸びる道路が整備されており、攻めやすい。
加えて、伊勢宗瑞と三浦道寸の争いで、鎌倉は荒れている。言葉で表すほどには、容易ではない。
荒次郎はこくりとうなずいてから、口を開く。
「危険です。しかし、だからこそ身入りは大きい。
それは、話を聞くふたりも、肌で感じている。
鎌倉公方。新公方。なんと関東武士たちの郷愁を誘い、また新しい風を感じさせる名ではないか。
泥沼の関東戦乱が始まってから、すでに百年近く。彼らは先の見えない戦の連続に疲れ、また飽いている。なにより、関東の旧勢力が、みな疲弊しきっている。
だから、伊勢宗瑞に
そしてだから、正当かつ新風である鎌倉新公方に靡く。
「だが、荒次郎殿よ。
現在、足利義明を擁しているのは真里谷家だ。
掌中の玉を、彼らがむざむざ手放すだろうか。
その疑問に、荒次郎は明快に答えた。真里谷の狙いは、
「真里谷は房総でも大きな勢力ですが、群を抜いているわけじゃない。彼らが必要としているのは、房総をまとめ上げる権限のみ」
「ふむ。では、房総の守護職を兼ねさせればよいか?」
「いえ、真里谷には
渋い顔をした朝興に、荒次郎は語気強く説いた。
房総は真里谷家に任せ、こちらは武蔵、相模での権限を強化。さらには下総への影響力も期待できる。それでいいのだ。
「しかし、
そう言う朝興は、まだ二十代だ。
荒次郎は十九歳。年かさの太田資康ですら、四十を迎えていない。
「古い新しいじゃない。良い悪いじゃない。必要だから。それだけです」
荒次郎は主張する。
「――そしてそれこそが、関東に望まれていることなのです」
それから。扇谷上杉家当主、朝興は、真里谷家に自らの意思を伝えた。
真里谷親子は、当初警戒心をあらわにしたが、結局、扇谷上杉の語る戦略を有効と認めた。
房総方面での主導権が保証され、またその軍事力を背景にできるのであれば、扇谷上杉の参入は、むしろ望むところだった。
しかし仔細を詰めようとしていたところ、足利義明がどこからかこれを聞きつけて、勝手に鎌倉行きを決めてしまった。
さすがに渋い顔をした真里谷親子だったが、義明が乗り気である以上、どうしようもない。小さな軋轢を生じさせながら、事態は、おおむね理想的に動いてゆく。
一方、即日玉縄城へ向かった荒次郎たちは、途中、伝令から驚くべき知らせを受けた。
――玉縄城、伊勢方により攻撃中。
荒次郎は、自分の血の気が引いていく音を聞いた。
◆用語説明
丸太(まくら)――荒次郎にとって丸太は武器であり防具であり枕でもある。生活必需品。
真里谷初音――かろうじて名前だけ出てきたエルフさん。次回活躍予定。
国人――領地の安堵さえしてくれれば、わりとどうでもいい。
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