第20話 協調/対立/扇谷上杉

 荒次郎と猪牙ノ助は馬を急がせる。

 冬の鎌倉街道をひた走り、目指すは武蔵国。

 扇谷上杉家当主、朝良ともよしの居る川越城はそこにあった。



「荒次郎くんっ! 行くのなら江戸の太田資康おおたすけやす殿のところではないのかっ?」



 危なげなく騎馬を操りながら、猪牙ノ助ちょきのすけが問う。


 三浦家は扇谷上杉氏の配下にはあるが、常に従っていたわけではない。

 血縁があるとはいえ、他の国衆同様、利害が対立して敵方についたこともある。

 それに引き換え、江戸城の太田資康は義理の兄であり、三浦家と向背をともにしてきた。頼るとすれば、まず太田資康であるべきだった。


 猪牙ノ助の言葉に、しかし三浦家の若き当主は、首を左右させた。



「三浦家は現状扇谷の下だ。結果がどうなろうと筋は通す」


「しかし、現状、言い訳できんほどに吾輩たちは真里谷側だぞ?」


「それでもだ。筋は通す。順番は守る。遅かろうが、他の手段を模索するなら、それからだ」



 荒次郎の主張に、猪牙ノ助はふむ、とうなずいた。


 荒次郎のやり方は、不器用だ。

 筋を通す。そこに誠意はあろうが、ここで他方に手を打たないのは遅すぎる。



 ――だが、存外、悪くない。



 猪牙ノ助は考える。


 諸方の外交活動は行っているものの、これは荒次郎が当主になって初めての、緊急事態だ。

 そこでまず見せるものが誠意、というのは、案外将来の財産になるのではないか。



 ――しかし、難しい。難しいぞ、荒次郎くん。



 口元を引き結びながら、猪牙ノ助は荒次郎を追った。

 扇谷上杉側に、障害があるとすれば、それはおそらく――当主自身だ。







 道中、猪牙ノ助と相談を重ね、一行は目的地にたどり着く。

 川越城に着いた荒次郎は、すぐに上杉朝良と面会を果たした。

 謁見にあたって用意された広間には、しかし数えるほどしか人が居ない。

 猪牙ノ助は続きの間に控えさせられている。最低限の護衛を除けば、一対一で対面しているに等しい。



「よ、よく来たねえ。荒次郎」



 朝良は小心そうな男である。

 年のころは四十過ぎか。大柄な太りじしを小刻みに震えさせながら、他人の表情をうかがうように、おどおどと視線を向けている。

 荒次郎は、この男と一度会っている。父道寸の後を継いだ時だ。その時も、荒次郎の巨体に驚きかつおっかなびっくり話しかけてきたものだ。



「――ちょうどよかったよ。三浦の動向について聞かせてもらおうと思っていたんだ……いろいろと妙な噂を聞くんだけど、本当かい?」


「三浦が房総の足利義明よしあき殿につく、という噂であるなら、否定いたします。三浦が従うは、扇谷のみ」


「そ、そうかい」



 気弱そうな当主は、ほっと胸をなでおろした。



「御屋形様。今回の争い、当家の方針は」


「なんとかみんな仲良くしてほしいと思うんだが……駄目かな?」



 ――中立ってことは、どちらも敵にするってことだよ。



 荒次郎は、義兄、真里谷信保の言葉を思い出す。

 まさにその通りである。しかし三浦家は、それでも扇谷上杉に従うことが、安全保障上必須だった。


 扇谷上杉家はどうか。

 荒次郎は考え、質問をぶつけてみた。



「それではすべてを敵に回します」


「ああ、わかってる。(太田)資康すけやすや、(上杉)朝興ともおきのやつにも同じことを言われたよ。ああ、戦など、嫌だなあ」


「……御屋形様は、古河こが公方の命に従われるおつもりで?」


「正直、嫌だよ? だけど仮に房総の義明殿に着けば、きみの言う通り、すべてを敵に回してしまう。古河公方勢と、関東管領(山内上杉)、それに伊勢を、同時に敵に回す、なんてどうしようもない事態になってしまう」



 三浦家と同じ葛藤である。

 もちろん、伊勢宗瑞はここまで詰めて考えているに違いない。

 三浦家か、さもなくば扇谷上杉ごと、喰らう。それこそかの梟雄の心算だろう。



 ――情勢が読めない訳じゃない。上杉朝良も、乱世をしたたかに生きる武家の当主だ。



 しかし、それだけに厄介だ。

 煽ればなびくような愚か者では、決してない。

 荒次郎は腹を据えて、膝を押し進める。上杉朝良は、蒼ざめた顔をふるふると震えさせた。



「三浦は伊勢の敵です。協調はあり得ない。御屋形様。ひとつ進言いたします」


「……いいよ。言ってみてくれ」



 荒次郎の顔色をうかがいながら、気弱そうな当主は応えた。

 荒次郎はためらいなく、当主に言上する。



「関東管領(山内上杉)と連帯し、東関東に不介入を貫いていただきたい」



 声の大きさに、上杉朝良はびくりと身を震わしてから、おそるおそるといった風に尋ねた。



「……それは、中立とどう違うんだい?」


「中立です。だから、両方を敵に回せる大勢力を築くべきだ、と申しております」


「ふむ……いや、やはり無理だよ」


「というのは?」


「関東管領の懐には、伊勢宗瑞と気脈を通じあわせている白井長尾しらいながお家がある。両上杉われわれが古河公方に敵対すれば、蜂起もある。そうなれば関東管領をあてにできなくなって、うちは孤立してしまう」



 白井長尾家。

 関東管領、山内上杉の執事を長く務めた家だ。

 小国の国主に等しい勢力を有しており、かつて主家である山内上杉家に反旗を翻したこともある。

 その当時の当主。かつて太田道灌おおたどうかんと戦った長尾景春ながおかげはるは、老年ながらいまだ存命中である。警戒するのは当然だった。



「ならいっそ、房総の義明殿に付きますか」


「それは難しい。非常に難しい問題だよ、荒次郎」



 上杉朝良が、かぶりを振る。



「――とてもすぐには決められない。重臣たちとも相談しなくてはいけない」



 おどおどとしながらも、この当主は存外腹を割って答えている。

 そこになんとなく面白みを覚えながら、しかし荒次郎は、語気鋭く言い放つ。



「時間をとられれば、三浦は攻められます」


「ああ、そうかもしれないね……しかし荒次郎。君にはしばらくここに留まってもらうよ」



 上杉朝良が、さっと合図を送ると、続きの間が開く。

 完全武装の鎧武者たちが、そこには控えていた。



「なぜです」



 その気になれば、容易くひねりつぶせるであろう武者たちに、無抵抗で拘束されながら、荒次郎は尋ねる。



「ぼくと道寸は、どうしたものか馬が合ってね、気の置けない間柄だった。だから荒次郎、君のことは、嫌いじゃないんだ」



 上杉朝良は、どこか懐かしげに、荒次郎を見ている。

 おそらくは、荒次郎に三浦道寸の面影を見ているのだろう。



「――ぼくはね、荒次郎。三浦を見捨てない。だけど同時に、扇谷上杉の当主として、三浦の暴走からなし崩しに戦に巻き込まれることは、避けなくちゃいけないんだ。大丈夫。ほんの数日。会議が終わるまでの間だけだ。不自由はさせないよ」



 当主の言葉に、荒次郎はただ答えなかった。







 荒次郎にあてがわれた部屋は、粗末なものではなかった。

 むしろ賓客のそれに等しい。とても出入り口に木製の格子が嵌められているとは思えなかった。



「荒次郎くん。困ったことになったではないか」


「猪牙ノ助さん。無事だったか」



 格子越しに声をかけてきた猪牙ノ助を見て、荒次郎は立ち上がった。


 猪牙ノ助は、荒次郎とは立場が違う。

 三浦一族を動かす権限など持っていない。

 それゆえ、場外に出なければ、という注釈つきで、行動の自由が許されている。


 そのことを、猪牙ノ助が簡単に説明すると、荒次郎は胸をなでおろした。



「しかし、困った。このままでは、無駄に時間を浪費する」



 危険だった。

 現状、時間は荒次郎たちの敵になることはあっても、味方になることはけっしてない。



「ああ。朝良殿は、相変わらずというか、政治はともかく荒事に関しては感覚が鈍い。伊勢方からすれば、ここまで状況ができているのだ。あとは難癖でもなんでもつけて兵を動かし、既成事実化するだけだというのに」



 たったそれだけで、三浦は外交的に追い込まれる。

 だからこそ、荒次郎も猪牙ノ助も焦っているのだ。



「猪牙ノ助さん、時間の余裕はどれくらいあると読む?」



 格子越しに、荒次郎は問う。

 僧形の老人は、黒いひげをしごきながら、即答した。



「数日もてば恩の字であろう」


「そうか。なら、猪牙ノ助さん。頼めるか?」



 荒次郎の言葉に、猪牙ノ助がにやりと笑う。



「扇谷上杉の重臣を口説いて回る、であろう? 任せておけ。吾輩これでも国会議員。多数派工作はお手の物よ……しかし荒次郎くん、相手も利がなくては動かんぞ?」


「ふむ……それでは、猪牙ノ助さん。関東管領の地位ではどうだ?」



 荒次郎の言葉の意味を察して、猪牙ノ助が目を見開いた。

 関東管領。その地位は、古河公方体制の下では望むべくもない。



「房総の足利義明に与するか?」


「他に選択肢がない。真里谷信保あにに操られるようで気が進まないがな。この際だ。主家を全力で巻き込む」



 荒次郎は力強く言った。

 三浦家の将来を左右する決断だ。

 それが決まったとなると、猪牙ノ助も動きやすい。



「わかった。朝良殿おやかたさまも重臣を集めているところだろう。三日だ。三日で大勢を動かして見せる」



 胸を張る猪牙ノ助に、荒次郎はかぶりを振った。



「いや、猪牙ノ助さん。動かすのは、朝興どのだ」


「ふむ?」



 唸ってから、猪牙ノ助は荒次郎の意図を察して、にやりと笑った。



「荒次郎くん。面白いことを考えたなぁ」



 三浦家に危機が迫っている。

 残された時の中で、動くことを許されたのは、ただひとり。三浦猪牙ノ助のみ。







◆用語説明

川越城――作中では扇谷上杉当主、朝良の居城。

太り肉――肉づきが良いこと。

エルフさん――ここまで出番なし。言及もなし。三人組(笑)


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