第20話 協調/対立/扇谷上杉
荒次郎と猪牙ノ助は馬を急がせる。
冬の鎌倉街道をひた走り、目指すは武蔵国。
扇谷上杉家当主、
「荒次郎くんっ! 行くのなら江戸の
危なげなく騎馬を操りながら、
三浦家は扇谷上杉氏の配下にはあるが、常に従っていたわけではない。
血縁があるとはいえ、他の国衆同様、利害が対立して敵方についたこともある。
それに引き換え、江戸城の太田資康は義理の兄であり、三浦家と向背をともにしてきた。頼るとすれば、まず太田資康であるべきだった。
猪牙ノ助の言葉に、しかし三浦家の若き当主は、首を左右させた。
「三浦家は現状扇谷の下だ。結果がどうなろうと筋は通す」
「しかし、現状、言い訳できんほどに吾輩たちは真里谷側だぞ?」
「それでもだ。筋は通す。順番は守る。遅かろうが、他の手段を模索するなら、それからだ」
荒次郎の主張に、猪牙ノ助はふむ、とうなずいた。
荒次郎のやり方は、不器用だ。
筋を通す。そこに誠意はあろうが、ここで他方に手を打たないのは遅すぎる。
――だが、存外、悪くない。
猪牙ノ助は考える。
諸方の外交活動は行っているものの、これは荒次郎が当主になって初めての、緊急事態だ。
そこでまず見せるものが誠意、というのは、案外将来の財産になるのではないか。
――しかし、難しい。難しいぞ、荒次郎くん。
口元を引き結びながら、猪牙ノ助は荒次郎を追った。
扇谷上杉側に、障害があるとすれば、それはおそらく――当主自身だ。
◆
道中、猪牙ノ助と相談を重ね、一行は目的地にたどり着く。
川越城に着いた荒次郎は、すぐに上杉朝良と面会を果たした。
謁見にあたって用意された広間には、しかし数えるほどしか人が居ない。
猪牙ノ助は続きの間に控えさせられている。最低限の護衛を除けば、一対一で対面しているに等しい。
「よ、よく来たねえ。荒次郎」
朝良は小心そうな男である。
年のころは四十過ぎか。大柄な太り
荒次郎は、この男と一度会っている。父道寸の後を継いだ時だ。その時も、荒次郎の巨体に驚きかつおっかなびっくり話しかけてきたものだ。
「――ちょうどよかったよ。三浦の動向について聞かせてもらおうと思っていたんだ……いろいろと妙な噂を聞くんだけど、本当かい?」
「三浦が房総の足利
「そ、そうかい」
気弱そうな当主は、ほっと胸をなでおろした。
「御屋形様。今回の争い、当家の方針は」
「なんとかみんな仲良くしてほしいと思うんだが……駄目かな?」
――中立ってことは、どちらも敵にするってことだよ。
荒次郎は、義兄、真里谷信保の言葉を思い出す。
まさにその通りである。しかし三浦家は、それでも扇谷上杉に従うことが、安全保障上必須だった。
扇谷上杉家はどうか。
荒次郎は考え、質問をぶつけてみた。
「それではすべてを敵に回します」
「ああ、わかってる。(太田)
「……御屋形様は、
「正直、嫌だよ? だけど仮に房総の義明殿に着けば、きみの言う通り、すべてを敵に回してしまう。古河公方勢と、関東管領(山内上杉)、それに伊勢を、同時に敵に回す、なんてどうしようもない事態になってしまう」
三浦家と同じ葛藤である。
もちろん、伊勢宗瑞はここまで詰めて考えているに違いない。
三浦家か、さもなくば扇谷上杉ごと、喰らう。それこそかの梟雄の心算だろう。
――情勢が読めない訳じゃない。上杉朝良も、乱世をしたたかに生きる武家の当主だ。
しかし、それだけに厄介だ。
煽れば
荒次郎は腹を据えて、膝を押し進める。上杉朝良は、蒼ざめた顔をふるふると震えさせた。
「三浦は伊勢の敵です。協調はあり得ない。御屋形様。ひとつ進言いたします」
「……いいよ。言ってみてくれ」
荒次郎の顔色をうかがいながら、気弱そうな当主は応えた。
荒次郎はためらいなく、当主に言上する。
「関東管領(山内上杉)と連帯し、東関東に不介入を貫いていただきたい」
声の大きさに、上杉朝良はびくりと身を震わしてから、おそるおそるといった風に尋ねた。
「……それは、中立とどう違うんだい?」
「中立です。だから、両方を敵に回せる大勢力を築くべきだ、と申しております」
「ふむ……いや、やはり無理だよ」
「というのは?」
「関東管領の懐には、伊勢宗瑞と気脈を通じあわせている
白井長尾家。
関東管領、山内上杉の執事を長く務めた家だ。
小国の国主に等しい勢力を有しており、かつて主家である山内上杉家に反旗を翻したこともある。
その当時の当主。かつて
「ならいっそ、房総の義明殿に付きますか」
「それは難しい。非常に難しい問題だよ、荒次郎」
上杉朝良が、かぶりを振る。
「――とてもすぐには決められない。重臣たちとも相談しなくてはいけない」
おどおどとしながらも、この当主は存外腹を割って答えている。
そこになんとなく面白みを覚えながら、しかし荒次郎は、語気鋭く言い放つ。
「時間をとられれば、三浦は攻められます」
「ああ、そうかもしれないね……しかし荒次郎。君にはしばらくここに留まってもらうよ」
上杉朝良が、さっと合図を送ると、続きの間が開く。
完全武装の鎧武者たちが、そこには控えていた。
「なぜです」
その気になれば、容易くひねりつぶせるであろう武者たちに、無抵抗で拘束されながら、荒次郎は尋ねる。
「ぼくと道寸は、どうしたものか馬が合ってね、気の置けない間柄だった。だから荒次郎、君のことは、嫌いじゃないんだ」
上杉朝良は、どこか懐かしげに、荒次郎を見ている。
おそらくは、荒次郎に三浦道寸の面影を見ているのだろう。
「――ぼくはね、荒次郎。三浦を見捨てない。だけど同時に、扇谷上杉の当主として、三浦の暴走からなし崩しに戦に巻き込まれることは、避けなくちゃいけないんだ。大丈夫。ほんの数日。会議が終わるまでの間だけだ。不自由はさせないよ」
当主の言葉に、荒次郎はただ答えなかった。
◆
荒次郎にあてがわれた部屋は、粗末なものではなかった。
むしろ賓客のそれに等しい。とても出入り口に木製の格子が嵌められているとは思えなかった。
「荒次郎くん。困ったことになったではないか」
「猪牙ノ助さん。無事だったか」
格子越しに声をかけてきた猪牙ノ助を見て、荒次郎は立ち上がった。
猪牙ノ助は、荒次郎とは立場が違う。
三浦一族を動かす権限など持っていない。
それゆえ、場外に出なければ、という注釈つきで、行動の自由が許されている。
そのことを、猪牙ノ助が簡単に説明すると、荒次郎は胸をなでおろした。
「しかし、困った。このままでは、無駄に時間を浪費する」
危険だった。
現状、時間は荒次郎たちの敵になることはあっても、味方になることはけっしてない。
「ああ。朝良殿は、相変わらずというか、政治はともかく荒事に関しては感覚が鈍い。伊勢方からすれば、ここまで状況ができているのだ。あとは難癖でもなんでもつけて兵を動かし、既成事実化するだけだというのに」
たったそれだけで、三浦は外交的に追い込まれる。
だからこそ、荒次郎も猪牙ノ助も焦っているのだ。
「猪牙ノ助さん、時間の余裕はどれくらいあると読む?」
格子越しに、荒次郎は問う。
僧形の老人は、黒いひげをしごきながら、即答した。
「数日もてば恩の字であろう」
「そうか。なら、猪牙ノ助さん。頼めるか?」
荒次郎の言葉に、猪牙ノ助がにやりと笑う。
「扇谷上杉の重臣を口説いて回る、であろう? 任せておけ。吾輩これでも国会議員。多数派工作はお手の物よ……しかし荒次郎くん、相手も利がなくては動かんぞ?」
「ふむ……それでは、猪牙ノ助さん。関東管領の地位ではどうだ?」
荒次郎の言葉の意味を察して、猪牙ノ助が目を見開いた。
関東管領。その地位は、古河公方体制の下では望むべくもない。
「房総の足利義明に与するか?」
「他に選択肢がない。
荒次郎は力強く言った。
三浦家の将来を左右する決断だ。
それが決まったとなると、猪牙ノ助も動きやすい。
「わかった。
胸を張る猪牙ノ助に、荒次郎はかぶりを振った。
「いや、猪牙ノ助さん。動かすのは、朝興どのだ」
「ふむ?」
唸ってから、猪牙ノ助は荒次郎の意図を察して、にやりと笑った。
「荒次郎くん。面白いことを考えたなぁ」
三浦家に危機が迫っている。
残された時の中で、動くことを許されたのは、ただひとり。三浦猪牙ノ助のみ。
◆用語説明
川越城――作中では扇谷上杉当主、朝良の居城。
太り肉――肉づきが良いこと。
エルフさん――ここまで出番なし。言及もなし。三人組(笑)
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