第19話 深謀/遠慮/一大戦略

 真里谷信保まりやつのぶやすとはどんな人間か。

 信保に与えられた部屋で、彼と対面しながら、真里谷初音は考える。


 眉目秀麗。二十歳といっても通じそうな若づくりの戦国武将にして、初音の実兄。

 所作は涼やかにして雅味豊かな貴公子だ。精神の安寧のために、是非とも爆発させておきたい美男子である。



「兄上」


「初音、ふたりきりなんだ。昔のようにお兄ちゃん、と呼んでくれないか」



 そして妹好き。

 頭にその情報を刻みつけながら、エルフの少女は頭を押さえた。

 こんなの・・・・でも歴史に名を残す武将なのだから、性質が悪いにもほどがある。



「お兄ちゃん」


「ああ初音! 君のお兄ちゃんはここにいるよ!」


「……お、お兄ちゃんは、主さまをどうしたいんですか? 何を狙っているんです?」



 初音の問いに、彼女の兄は曇りなく笑う。



「まるで三浦家の人間のように聞くんだね。いいことだけど、本家のことも忘れちゃいけないよ――ともあれ、わたしの本音は、先の会見の通りさ。一言一句、間違いのない本音だよ」


「三浦家も大変な時です。あまり、巻き込まないでほしいんですけど」


「初音。それは不見識だね。この乱世に、大変でない時などないよ。例え表面上は平穏でも、一皮めくれば謀略の戈矛かぼうが火花を散らしている。それに気づかない愚か者は、戦乱を彩る血泥のひとつになるだけさ」



 この人は、危険だ。

 初音は思う。


 平和を唾棄し、乱世を愛し、我がままに才知を振るう。

 さながら知略という名の恐るべき光で人を惑わし殺す、妖星のよう。


 きっと彼は、障害となれば父すら殺すだろう。

 必要とあらば公方を殺し、寺社を焼くことすら厭うまい。


 乱世を妖しく照らす魔星。

 それが、人の顔をして、平和な笑みを浮かべて、妹を愛でている。初音にとってはたまったものではない。



「そういえば、初音」


「……なんですか? お兄ちゃん」



 優しい笑顔にどん引きながら、エルフの少女は返す。



「荒次郎殿との子供は、まだなのかい?」


「え、と、その」



 もっとも触れられたくない話題だった。

 言いよどむ初音に、真里谷信保は整った眉をひそめた。



「いけないね。わたしはね、初音。三浦荒次郎という男を、ひどく見込んでいるんだ。早く子供を作って、我が家と三浦家とのつながりをより強固なものにしてほしい」


「あの、でも、その」


「まつから聞いたよ。夜のお勤めもろくにせずに、戦のことばかり考えているそうじゃないか。それではいけないよ。お兄ちゃんも、かわいい妹には嫁ぎ先で肩身が狭い思いをしてほしくないんだ。戦になれば自然、男女の営みとは疎遠になる。出来るときに、しっかりと励んでおくんだよ」


「は、はい」



 脳内で侍女の襟首を持ってがくがく揺さぶりながら、初音はうなずくしかなかった。







 真里谷信保は、玉縄城にしばらく滞在した。

 滞在して、何をするわけでもない。ほうほうのていで逃げ回る初音の尻を追いかけながら、いたずらに時間をすごしたのち、上総真里谷城へと帰っていった。



「では、荒次郎殿。色よい返事を期待して待っているよ」



 帰り際、真里谷信保はそう言い残していった。

 当然のように。見透かしたように。玉縄城で無為に過ごした時間すら、計算し尽くしたものだとでも言うように。



「そういえば」



 ようやく兄から開放されたエルフの少女は、胸をなでおろしながら、ふと漏らした。



「――あの人、あれだけ妹好きなのに、私が別人になってること、気づかなかったな」


「え?」



 と、声を上げたのは、荒次郎だ。



「なんだ? 荒次郎、気づいてなかったか?」



 ふふん、と、得意げに鼻を鳴らす初音。

 荒次郎は、困ったようにほほをかくと、言った。



「いや、いまさらな話だと思ってな」


「え?」


「あの、だな。エルフさん。たとえば侍女のまつだ。彼女に自分がおかしいと、ちらとでも疑われた事があるか?」


「……あ」


「俺もそうだった。理由はわからん。だが、どうもそのようになっているらしい」



 荒次郎が荒次郎であることが、初音が初音であることが、あらかじめ決まっていて、どんな行動を取ろうと、それが疑問に思われることはない。

 初音に至っては、エルフな外見すら違和感を持たれていない。



 ――ならば、入れ替わったのは、精神だけでなく、存在そのものか。



 荒次郎はそう推測しているが、確証はない。


 ともあれ、考えて結論が出るわけでもない。

 ならば、戦乱の世を生き抜くためには、後回しにするしかない問題だ。



「なんだ残念娘。貴様、気づいておらんかったのか?」


「し、知ってたさそれくらい! なんだよ、人を残念な子扱いして! ばーかばーか!」



 ひょこりと顔を出した猪牙ノ助がそれを指摘すると、初音は顔を真っ赤にして強弁した。







 そんなこんなで、年が明ける。

 永正11年、一月の半ば。ひとつの知らせが玉縄城に飛び込んできた。


 凶報だった。

 猪牙ノ助の、初音の、そして荒次郎の顔が、一瞬にして蒼ざめるほどの。



 ――前古河公方こがくぼう足利政氏あしかがまさうじの次男、義明よしあきが上総の真里谷家支援のもと旗揚げ。房総の諸勢力がこぞってこれを支持する。



 時期もいい。

 前古河公方と、現古河公方、高基たかもと。両上杉に関東八屋形を巻き込んだ、いわゆる永正えいしょうの乱は、現古河公方側有利が続きながらも、いまだ決着を迎えていない。


 それはいい。まだ計算のうちだ。

 だが、ここからは、完全に予想の外。


 上総に兵を動かす余力のない古河公方は、二つの勢力に助力を乞う。

 ひとつは扇谷おおぎがやつ上杉。永正の乱の調停失敗で威勢を落とし、さらには大船おおふね合戦で戦力を損耗しながらも、いまだ余力をのこす西関東の巨木。


 そしてもうひとつの勢力は、伊豆、西相模を支配する新興勢力。

 乱世の梟雄。外から来た侵略者。新たな秩序を体現する、関東戦国の化身。



 ――伊勢宗瑞。



「やられた」



 荒次郎は吐き捨てた。

 すべては伊勢宗瑞の描いた絵図に違いない。



「猪牙ノ助さん、この状況、外から見て、三浦はどちら側だ」


「房総の足利義明側じゃな」



 猪牙ノ助が即座に答える。



「――義明最大の支援者である真里谷家と血縁であり、なによりその嫡子、真里谷信保を長期滞在させた、その時期が最高に悪い」



 真里谷信保が三浦家に長期滞在してから、新年を挟んで直後と言っていい旗揚げ。

 これで、三浦家はあくまで扇谷上杉側だと主張して、誰が信じるだろうか。



「わざと長期滞在したのは、お兄ちゃんの策……だけど」


「真里谷側の事情を察して、現状を作り上げたのは、おそらく伊勢宗瑞だ」



 足利義明を、真里谷を支援して旗揚げをさせ、房総に一大勢力を築かせることで、古河公方に自らの戦力を望ませた。むろん、その連帯をより強固にするための手も打っているに違いない。


 伊勢と古河公方の連帯。

 関東においてもっとも強力な名分を手に入れるとともに、扇谷上杉を友軍、ないしは中立化。山内上杉の現当主は、永正の乱において現古河公方を支持している。

 いまだ前古河公方の勢力が燻っているとはいえ、現状、三浦家に味方してくれそうな勢力は、房総の足利義明のみ。それとて、戦線を別に抱え、多大な支援は期待できない。


 孤立か、足利義明に与するか。

 このままではいずれにせよ、三浦家は伊勢宗瑞の注文通り、丸裸で最前線に身を置くことになる。


 すさまじい戦略だった。

 この数カ月、荒次郎や猪牙ノ助も外交努力を欠かしたつもりはなかった。

 しかし、伊勢宗瑞のこれは、別物。発想の規模も策略の厳しさも、何もかもが桁違いだ。



「どうする、荒次郎くん」



 蒼ざめた顔で、猪牙ノ助が問う。



「どうする、荒次郎」



 途方に暮れて、初音が問う。

 荒次郎は、しばし考え込み、言った。



「……行くぞ。武蔵むさし国だ。猪牙ノ助さん、供を、そしてエルフさん、留守を頼む」



 風雲急を告げる関東の動乱。

 荒次郎たちは鎌倉海道を北行する。

 時間は刻一刻と流れ、その分だけ、情勢は不利に傾いていく。


 まさにいまこそが、三浦家危急存亡のときなのだ。







◆用語説明

し、知ってたさそれくらい――エルフさん流石です。

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