第17話 梟雄/姫君/戦国大名
空が高い。
夏が去り、涼やかな風が、街道を吹き抜けてゆく。
彼方に富士山を仰ぎながら、東海道を行く馬上の武者二人。
伊勢家
二人は現在、東
「御当主よ。大殿の機嫌は、まだ
「芳しくないねー。ま、年単位の戦が無駄に終わっちゃったんだから、無理もないけど。厳つい顔をしかめてさ。
「そしてドサ回りまで押しつけられた、か」
八郎兵衛が、ぼやき混じりに言った。
槍働きで身を立てたい彼としては、このような地味な仕事など不本意なのだろう。
「大事な仕事だよ? 相模支配の屋台骨が揺らいでるとこだし。特に今は、各地に三浦からの調略の手が飛んできてるとこだろ? 現地人の心を掴んどくには、こんな役も必要ってこと。ま、性分に合ってるし。これも新しい秩序のためと思えば、苦にならないって」
「……まったく、三浦にしてやられたものですな」
大道寺の荒武者が、忌々しげに舌打ちした、その時。
「ーーほんとに、なにやってんだか。ボクがいれば、いまごろ三浦家なんてこの世に存在してなかったろうに」
不意に、声が飛んできた。
二人が驚いて目をやると、浜風になびいた松の木陰から、旅装の幼い少年が、ひょこりと姿を現した。
その姿を見て、大道寺盛昌は目を瞬かせた。
「六郎じゃないか。足利学校から帰ってきたのか」
先代当主はすでになく、十を越えたばかりの若年ゆえ、叔父に当たる人間が当主を代行しており、当人は足利学校――下野国にある、関東の、事実上の最高学府に学んでいたはずだ。
「ああ。ちょっと叔父さんが、不穏な動き、してるみたいだから」
「後継の話か」
大道寺盛昌が水を向けると、幼い少年は、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「そ、元服までの代行の話が、そのままズルズル――って、どこかで聞いたような話だよね」
「で、戻ってきたと?」
「うん。足利学校で学ぶことなんて、もう無くなっちゃったしね」
あっさり言った少年の言葉は、しかし聞き逃しに出来ないものだった。
重ねて言うが、足利学校は、関東の最高学府なのだ。中途で学校を後にする者は居れど、わずか一年で「学びつくした」と言える者がいるとは、にわかには信じがたい。
「おい、あっち行ってから一年も経ってないぞ」
「だから? みんなバカばっかりで退屈でさ。気の利いたのなんて一人か二人だけ。書物のたぐいは全部読み覚えたし、偉いさんも、今の段階で、ここで学ぶことはもうないって。だから、もういいかなって」
ーー天才だな。
大道寺盛昌は、こそりと漏らした。
六郎の言葉が確かなら、彼は紛れもない天才だ。
「で、俺のとこ顔出したのは、後継者争いで味方につけようと?」
「だと言ったら?」
「悪いが
「だよね。目の前に
「六郎、妙なことを考えているだろう。大殿の手を煩わせるようなことはー」
「しないよ」
盛昌が目を眇めると、少年は、天真爛漫な表情のまま、首を振って否定する。
そして、にこりと笑った。
「――太鼓を叩けどみな踊らず、って面白い光景だよね」
ひやりとして、大道寺盛昌は思う。
この少年は天才だ。それも危険な性質の。
剥き身の才気を隠しもしない。己の才に惚れている。敵味方問わず血を欲する妖刀の類だ。
その性質を恐れたからこそ、足利学校の学僧や
「それよりさ、三浦との戦いだよ。大殿らしくない。じりじり攻めてりゃ相手は打つ手が無くなってたのに、焦って敵の罠に手を突っ込んじゃってさ」
「それは、あとから見てるから言えることだって。あの状況であんな綱渡り仕掛けて来るなんて、誰が思うよ? あれは向こうが切れすぎてる。いや、キレてるって感じか。兵糧の少ない状態で、海の補給線潰すなんて、誰が思うよ?」
「いーや、ボクなら気づいてたねゼッタイ。そもそも、敵の第一手がおかしい。
少年は笑う。無邪気な顔で。
「ーーボクなら、読んで潰してた」
恐るべき予測に、大道寺盛昌はため息をついた。
六郎の言葉が確かなら、伊勢宗瑞は三浦の若き当主に、完全に手玉に取られている。
そして、それを指摘した六郎に対し、あらためて思う。
こいつは天才だ。宙を飛び、またたく間に天空へ飛び上がる。
だが、ひとたび羽を失えば、墜落して死ぬ。そんな危うさがある。それも若さゆえか。
そう思う盛昌も、まだ若い。
しかし、地に足がついている。
言動に浮薄さは見られるが、発想に飛躍はなく、むしろ地面に土をひたすら盛り上げて、高みに達する。そういう地道な性質を持っている。
こういう人間が墜落することは、まずない。
転ぶこともない。そしてやがては、富士の高みにも達しよう。
――うちはいい当主を持った。
六郎の危うさにひやりとしながら、二人のやりとりを横で見ていた荒武者は、密かに胸をなでおろした。
◆
大庭城の一室。
光も差さない暗がりの中に、伊勢宗瑞は居た。
「うむ……忌々しい。忌々しいぞ道寸の倅よ。いや三浦荒次郎
静かに。梟雄は怒りの声を発する。
当然だろう。数年がかりの軍事行動を無にされたのだ。
しかも、彼の三分の一も生きていない小僧によって、だ。
これが三浦道寸なら、彼とて納得もいった。
しかし、道寸の完璧に近い布陣をかろうじて噛み破り、宿年の好敵手を殺した先に、奴はいた。
宗瑞ですら不測の事態だった道寸の死すら予測のうちに収め、あえて危険を冒してまで、玉縄城攻略の際、自身と影武者をともなっていた。
どこまで手の内なのか。想像するだに恐ろしい。
しかもだ。
伊豆水軍の帰還と共に受けた報告に、宗瑞は衝撃を受けざるを得なかった。
伊豆水軍を足止めするために、荒次郎は
――奪取した玉縄城の、短期間の安全を買う。そのためだけに。
恐ろしい。
伊勢宗瑞は、荒次郎の無謀な若さが恐ろしい。
宗瑞は、じきに還暦を迎える。失敗すればすべてご破算になるような無茶など、出来るはずがない。
――生きているうちに、わしは荒次郎を凌げるか。
そう思えば、己の寿命は、まこと心もとない。
いや、策はある。あるが、むしろそれは伊勢宗瑞一代の夢を遠ざけることになる。それゆえ、宗瑞は深く、
「――よう、叔父御」
その時、不意に差した光と声が、宗瑞の思考を遮った。
――馬鹿者。
怒鳴りかけて、宗瑞は気づき、次いで目を見張った。
ふすまを開き、悠然と立っているのは、四十がらみと見える、男盛りの武者。
いや。
彼こそ、宗瑞の理想。
彼こそ、宗瑞の予測する、新しい支配の形を実現する者。
守護大名にして、戦国大名。足利家御一門にして、未来の将軍。
ーー
「御屋形様。いつの間にお越しに」
と、呼ばれた男は、貴種にふさわしくない獣の笑みを浮かべた。
「いま着いてまっすぐ来たさ。それにしても、らしくねえなあ、叔父御。あんたぁそんなタマじゃねぇだろ。負けたからって怯まねえ。むしろ負けを利用して搦め手を攻め、気がつきゃ相手を詰ませている。そんなえげつねえ手を平気で打つ。そんな男だろう?」
「なあ、叔父御」と、壮気あふれる大名は語る。
「ーー遠慮してるんだろ? 俺様を頭に担ぎたいからって。叔父御らしくないじゃねえか。ためらうこたぁねえ。手段を選ぶなよ。なあ、叔父御……
古河公方を味方に引き入れる。
そのための策を、伊勢宗瑞は思いついていた。
その上で躊躇っていたのは、公方として戴くなら、それは今川氏親しかいない、という宗瑞の個人的な願望からだ。
それを伝えると、今川氏親は、はっ、と鼻で笑った。
「馬鹿にすんなよ叔父御。俺様を誰だと思ってんだ。足利家御一門、今川家当主、今川氏親様だぜ? 古河公方ごとき潰せねえ俺様だと思ってんのかよ」
その言葉。その威。その雄姿。
真の王者を見た思いで、伊勢宗瑞は自然、頭を垂れた。
「……我が主よ」
「よせよ叔父御。俺様は叔父御のことを部下だと思ったことは一度もねえ。ただ叔父御の
今川氏親が、背後に控えていた少女に声をかける。
少女はしな、と主の影より出ると、宗瑞に向かって礼をした。
「桂子様」
伊勢宗瑞の声に、少女は口元に艶のある笑みを浮かべる。
はるか後に、彼女はこう呼ばれる。
「子を産んで腹も軽くなったんでな。ひさしぶりに嫁の顔を見せてやろうと連れてきた」
「うふ。叔父上、久方ぶりにございます」
少女は漆黒の髪を流しながら、艶々と笑う。
そうだ。と、宗瑞は悟る。
荒次郎は若い。だが伊勢の次代も、そして我が主も若いのだ。
小賢しくある必要はない。ただ関東制覇のため、なりふり構わず手を打ってゆけばよいのだ。
そのためには。
「古河公方と、
「ふん。叔父御よ、俺様を誰だと思っていやがる。速攻済ませてせっついてやる。桂子よ、京への働きかけ、期待してるぜ」
「うふふ。お任せくださいませ。お許しがあれば、存分に」
伊勢の、今川の策謀が、踊り始める。
しばらく後、まったく別の策謀の主が、荒次郎たちの元を訪れる。
男の名は、
◆
伊勢宗瑞――北条早雲。乱世の梟雄。下剋上を極めた男。
中御門桂子――公家の姫君。駿府の尼御台。女大名。
今川氏親――宗瑞の薫陶を受け、宗瑞の理想を体現する男。守護大名にして戦国大名。
V S
三浦猪牙ノ助――影武者。道路族
真里谷初音――エルフ。歴史マニア。ぽんこつ
三浦荒次郎――マルティスト
ファイっ!
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