第16話 政治屋/エルフ/マルティスト
まず、隠居したとはいえ、実質的には指導者であった先代当主、
「荒次郎は、人が変わったの。天が滅びゆく三浦を憐れみ、天将を下されたのであろうか」
と、三浦の長老たちが言うと、若い者たちが憤って言い返す。
「何を言われるか。人の真価とは、極限まで追い詰められて初めてわかると言うもの。爺どもの目がそろって曇っておっただけよ!」
それ以前の荒次郎、三浦
ともあれ、荒次郎は当主として三浦衆を従えながら、伊勢宗瑞との最前線、玉縄城に詰めている。
いままで拠点にしていた新井城には、城代として重臣の
かわりに、というわけではないが、佐保田家からは息子の
そして、大きな変化といえば、もうひとつある。
重臣たちが渋い顔をし、佐保田彦四郎が胃を痛めている原因のひとつでもある。
それは。
「三浦
これである。
影武者として動いていた猪牙ノ助は、道寸が死んだことにより、表だって動けなくなっていた。
それゆえ、表に出して動かすために、影武者とは別人の三浦一門、猪牙ノ助という新たな位置を用意したのだ。
むろん、反対もあった。
影武者として、三浦家の多くの秘密を知る猪牙ノ助である。
内々に始末してしまった方が後腐れない、という意見も出た。
当然、荒次郎はこの意見に乗るわけにはいかない。ここは無理を通した。その分佐保田彦四郎が胃痛に悩むことになったが。
――重臣たちの不満は、猪牙ノ助さんの活躍で封じてもらう。
荒次郎はそう決めつけてしまった。
むろん、道寸と同じ面体はまずい。黒々としたつけ髭をつけて、眉を黒く染めた。不思議なもので、これだけの違いで、印象はまったく違ったものになってしまった。
「名は、どうする?」
「僧籍にあるのだ。法号があればよい。
と、本人の望みで、三浦道露と名乗ることになった。
三浦一門として、調停、交渉ごとにあたってもらう予定である。
その他は、特に変わらない。
父道寸の体制を、しばらくは維持しながら、必要とあれば機を見て変えてゆく予定である。
幸い
「しばらくは、小競り合い程度しか起こらないであろう」
というのが、猪牙ノ助の観測だった。
しばらくの間、荒次郎は論功行賞や、旗色を変えた国衆の対応に追われた。
その中で、ひときわ問題だったのが、
本来なら問題ではない。
旗色を衣装のようにとりかえるのは、国人の常だ。
横須賀氏が三浦氏諸家だからといって、そこまで角は立たない。
問題となったのは、彼が三浦道寸の妻、そして荒次郎の母であった女性の父だということだ。
そんな人間が道寸、そして荒次郎の最もつらい時、その場に居なかった――ばかりか、敵の旗下にまんまと収まっている。重臣たちの怒りのほどが知れよう。
当主自ら頭を下げに来れば、まだ可愛げがある。
しかし、横須賀連秀は他の国衆を介して、山のような礼物とともに、帰属を打診してきただけだった。
仲介した者が震えあがるほどに、重臣たちは無言の怒りを発した。
しかし、本来最も怒りを示さねばならぬ荒次郎が、これを許した。
「許す。俺は、横須賀殿に含むところはない。多少居心地が悪いだろうが、歓迎する、と伝えておいてくれ。それから、人質を寄越すように」
国衆との面会が終わったあと、一人残った重臣の大森越後守が不満を漏らした。
「……なにゆえ横須賀めに甘い顔をなさる。伊勢が動けぬいまなら、ひと揉みに出来ましょう」
それに対し、荒次郎は淡々と説く。
「潰すのは厄介だ。横須賀が、ではなく、それが自分にも及ぶのでは、と勘ぐる国衆がな。血縁を理由にしようにも、あいにく三浦衆はほとんど何らかの形で血縁だ」
「だからこそ、脅しになるのでは」
「だからこそ、反発も買う。そのようなことしていては、再び裏切って後、戻ってきてはくれんぞ?」
大森越後守の反論に、荒次郎はそう返した。
この重臣は、驚きを面に現した。
「若――いえ、殿は、再びそのような状況もありうると?」
「知っての通り、現在、西相模の国衆に調略の手を伸ばしている。向こうも似たようなものだろう」
調略を指揮しているのは、他ならぬ大森越後守である。
彼がうなずくのを待って、荒次郎は話をすすめる。
「――あいにく真っ向からの勝負では、まだ伊勢宗瑞に対抗できん。無いとは思うが、今川が出てくればなおさらだ。こちらの頼みは
これは、初音や猪牙ノ助と相談の末、考えたことだ。
猪牙ノ助が三浦道寸の元で蓄えた情報、真里谷初音が把握している、歴史知識。それをもとに、荒次郎が舵を取る。三頭による政治体制。それが裏の三浦家新体制である。
「だからといって。新参の侵略者などになびいた輩を」
「まだ待て。五年だ。その間に人質を募り、教化し、飼い馴らす」
不満げな重臣に、荒次郎はそう言って聞かせた。
極めて危険な内容だった。
「それで、機を見て頭をすげ替える。私どもにも、同じことをお望みで?」
重臣の瞳には、剣呑な色が潜んでいる。
一族を率いる手前、彼とて独自の事情や打算がある。
それを無碍にするようなら、それなりの覚悟をせよ、と言わんばかりだった。
荒次郎は、それを平然と受け止めて、口の端をわずかに曲げる。
「三途の川の渡し口までついて来てくれたお前たちに、それが必要か? だからこそ、こうして事前に知らせている。対策するつもりであれば、考えようがあるだろう……だが、越後よ」
言葉を切り、荒次郎は押し込むように告げた。
「その考え方はつまらんぞ。最も優秀な息子を送りこんで、次代の当主たちを掌握させる。そのくらいのことは考えて見せよ」
その言葉に、大森越後守は凍りついたように動かなくなる。
瞳には畏怖の色。
――猪牙ノ助さんの指導とはいえ、少々やり過ぎか。
視線を背に感じながら、荒次郎は広間を出た。
行く先は、自室だ。
「さて」
「終わったんだな荒次郎!」
飛び出すようにして迎え出たのは、エルフの少女、真里谷初音だ。
少女は、新しいおもちゃを前にした子供のように、目をキラキラさせて詰め寄ってくる。
「さあ、窮地は脱して七面倒くさい後処理も終わった! やれること全部やるぞ! 造船だ! 縦帆に三角帆、竜骨! 竜骨! それから火薬! 硫黄木炭に硝石だ! トイレの壁を掘りまくれ! 複式簿記だ備中鍬だそうだサツマイモを探しに行こう!」
完全にヘンなスイッチが入ってしまっている。
荒次郎はほほをかきながら、少女をなだめつける。
「落ちつけエルフさん。そんなもの矢継ぎ早に出来る力が、いまの三浦にあるとは思えない」
「その通りである。落ちつけいアホの子」
と、廊下から声をかけてきたのは、三浦猪牙ノ助。
禿頭の老人は、戸口に立ったままの二人を押すようにして部屋に入れると、初音の抗議を遮り、語る。
「――荒次郎の言う通りである。古代の政治家――韓非子であったか? も言っていたな。大国なら、いくつもの改革を矢継ぎ早にできるが、小国はひとつの改革もままならない。失敗によるダメージを受け止めきる国力がないからのう。改革の規模、影響を考えながら、小規模に実行し、徐々に手を広げていくしかあるまい」
エルフの少女は、おもちゃを取りあげられた子供のような表情になる。
「まず、とりかかるとしたら」
荒次郎が問う。
すこし涙目になりながら、彼女は迷った末に言った。
「……帆だな。クリティカルに効く。新井城の
この意見は的確だった。
三崎城、新井城、そして玉縄城と、海の城を持ち、敵に勝る水軍を有する三浦家にとって、船の強化は大きな力となる。
「……できれば備中鍬も作らせたいけど。あれ本当に威力すごいんだ」
おねだりをするように、長い耳をピコピコと動かす少女に、荒次郎は首を横に振った。
少女の耳が、しゅんとうなだれる。
「今は我慢しておくことだ。まあ簿記などは、家内でのみ、採用していいのではないかと思う。エルフさん、そのへんの知識は」
「任せとけ。完璧だよ」
エルフの少女は自信満々に、首を縦に振った。
それから少女は、両手を持ちあげて、ぎゅっと拳を握りしめる。
「よーし、見てろ伊勢宗瑞。お前らが国力を回復させてる間に、私たちはもっともっと強化してやるんだからな!」
少女の言葉に、二人の男がうなずく。
実際の戦いが始まるまでに、どれほど力をつけられるか。どれほど外の勢力と手を結べるか。
血の流れぬ戦が、すでに始まっている。
◆
「……こほん、そういえば」
と、咳払いしてから、思い出したように猪牙ノ助が口を挟んだ。
「荒次郎くん、以前言っていた道路の件だが」
「爺さんさっき自分で言ったこと忘れたのかよ! そんな余力あるわけないだろ!」
自らの欲望だけ棚に上げた発言に、エルフの少女は全力で突っ込んだ。
その横で、荒次郎がぼそりとつぶやく。
「丸太衆……」
「荒次郎それ本当に役に立たないから! 当主権限で独断でやったりするなよ!? 絶対にするなよ!?」
部屋の外では、偶然立ち聞きしていた佐保田彦四郎が、不穏な発言の連発に、胃のあたりを押さえながら、侍女のまつに追い払われていた。
◆用語説明
直近の血族の少なさ――ちなみに直近の分家は出口氏。
造船、火薬、複式簿記、備中鍬、サツマイモ――比較的再現が容易で効果が高いものばかりあげているあたり性質が悪い。
丸太衆――みんな、丸太は持ったな!!
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