第18話 陰謀/策謀/合従連衡
永正10年も最後の月に入ったころ。
真里谷初音は、
「さあ、見ててよ、まつ」
などと自信たっぷりなエルフの少女に、侍女のまつは、心配そうな顔を向けている。
「くれぐれも気をつけてくださいね、お
初音が乗りこんだものは、小舟というよりは、筏と言うべきか。
ところどころ焦げあとのある板材が組み合わせてあり、城の改築にあたって出た廃材をちょろまかして作ったことがうかがえる。
中央部には、竹の骨組みを持つ三角形の帆がつけられている。
冬の風が強く、「くしゅん」とくしゃみをしてから、初音は侍女に向かって笑顔を返した。
「まあ、見ててよ。きっとびっくりするから」
言いながら、初音は船を乗り出す。
おりからの強い風を前方より受けて、舟はぐい、と前に進み出し。
驚愕に目を見張る侍女の目の前で、操船を誤った小舟は――見事に横転した。
「お、お姫さま!?」
「ひゃ、がぼっ、ちょ、
横倒しになった小舟に捕まろうともがきくが、水を吸って重くなった着物に動きを阻害され、思うように動けない。
初音の頭が水面の下に沈みかけた、その時、まつの背後から巨大な影が宙を舞った。
次いで、おおきな水柱があがる。
しばらくして、浮かび上がってきたのは、7尺5寸の巨体の主。
三浦家当主、三浦荒次郎だ。片手には、エルフの少女を抱いている。
溺れかけてパニックになっている初音は必死で暴れるが、荒次郎の丸太のごとき腕は微動だにしない。
「げほっ、げほげほっ……あ、あーっ、だづがっだー! ありがどうあらじろー」
涙と川の水と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、エルフの少女は荒次郎に抱きつく。
そこへ、やってきた老人が、呆れたような視線を少女に落とした。
「……何をやっておるのだ残念娘」
三浦猪牙ノ助だ。
「っげほっ……あー猪牙ノ助の爺さんも。帰って来たんだ」
「武蔵から帰ってきたと思えば……吾輩と荒次郎が居らぬうちに、何をやっておるのだ。言うてみい残念娘、ほれほれ」
「残念娘言うな! 残念でも娘でもないよ!」
初音は全力で主張したが、老人は聞き入れようとしない。
堀の中で横倒しになっている小舟を見て、にやりと笑いつつ。
「あれは、貴様が言っておった三角帆の小船ではないか。新井城で作らせておったはずだが」
「えー、あ、いや、その……えへへ」
「どうせまた、みなが驚く様子をじかに見たい、とかそんな理由で無理やり作らせたのであろう? で、頭でっかちな貴様のことだ。船の構造は知っていても操船方法などわからず、あっという間に舟を横転させた、というところであろうな! カカッ!」
事実を言い当てられて、エルフの少女は顔を真っ赤にした。
「へ、へーん。そんなこと言って、どうせ爺さんだって動かせないだろうが!」
「動かせない? カカッ。何をぬかしよる。吾輩の選挙区をどこだと思っておる! 湘南の海は、吾輩の海よ!」
禿頭黒髭の老人は、自信たっぷりに胸を張った。
その後、「体を冷やすから早く服を着替えてください」とせっつく侍女をなだめながら、初音は小舟を引き揚げさせ、猪牙ノ助に操作させた。
猪牙ノ助の操船技術は確かなもので、強風をしっかりと受けながら、すいすいと舟を動かす。
見物に来ていた玉縄城の侍たちが、驚愕の面持ちで声を上げる様を横目で見ながら、エルフの少女は「作ったのは私なのに……」と歯ぎしりしていた。
冬である。
風は冷たい。
怒りから寒気を忘れていたエルフの少女が、思い出したようにくしゃみをした、ちょうどその時。
みなが見守る中、敵対の意思がないことを示しながら、この小集団はまっすぐに荒次郎たちのもとへ向かう。
先頭の男は、若い。二十歳すぎに見える。
眉目秀麗。装いも所作も気品に満ちており、見るからに高い身分の人間だ。
男は荒次郎たちに笑顔を送り、言う。
「ひさしぶりだな。よくぞ生き延びてくれた、義弟よ。そして」
視線を転じた男は、親愛の情を隠さない様子で、初音にほほ笑みかけた。
「――ひさしぶりだね、初音。お兄ちゃんだよ」
この男、名を真里谷
初対面の実兄の言動に、初音は思わず顔をひきつらせた。
◆
義兄の来訪とはいえ、荒次郎も初音も全身ずぶぬれである。
相手の了解を得て、ふたりは入浴の時間をとることになった。
風呂からあがった荒次郎たちは、湯上りに火照る体で、真里谷信保と顔を合わせた。
席に着くのは三人。
三浦荒次郎、真里谷信保、そして初音だけだ。
「あらためて、よくぞ生き残ったね。義理の兄として誇らしいよ」
「……幸運だっただけです」
開口一番の賞賛に、荒次郎はかぶりを振った。
実際、賭けに頼った部分が大きすぎた。
将としての実力と兵数が隔絶していたこともあったが、二度と頼ってはいけない類の冒険だった。
「馬鹿を言うんじゃない。運も実力のうちだ。戦を経験した者なら、誰もがそれを実感している。今回の戦に、君が恥ねばならない要素は何一つとしてないよ」
真里谷信保は、悠然と笑い、そして言った。
「――そして、荒次郎殿。わたしは君の、その武運が欲しいんだ」
真里谷信保。
上総国真里谷城を本拠にする、真里谷武田家の嫡子だ。
若づくりではあるが、実年齢は三十を越えている。
初音が顔をひきつらせたのは、それが理由でもあった。
父である
風呂場の中で、エルフの少女は簡単に説明した。
この男こそ、関東の戦国に深い陰影を刻む、乱世の寵児の一人だと。
「欲しい、とは?」
「わたしの手に乗らないか、と言うことさ」
荒次郎の問いに、美男子は、冠からこぼれた髪をかき上げながら、そう返した。
「貴方の手、とは」
「わたしはね、荒次郎。古河公方
唐突に。この美丈夫は、恐るべき発言をした。
古河公方は名目上、関東を収める権限を有している。
しかし現在、古河公方政氏と嫡男
二男の義明は兄高基に協力していたが、元々折り合いが悪く、割れた勢力をさらに割る混乱が起きている。
「総州に公方をお招きし、これを中心に、房総諸勢力を糾合する。ここに、湾の対岸を支配する三浦の協力を仰ぎたい」
荒次郎は脳内で図を描いた。
内紛のまだ収まらぬ山内上杉と古河公方。
混乱の北関東を尻目に、自領に新たな関東公方を立て、南関東の東部を真里谷、三浦で牛耳る。それが真里谷信保の構想だろう。
「ふむ」
と、唸ってから、荒次郎は答えた。
「三浦は消極的にこれを支持する」
空気が凍った。
明確にそれを感じて、横に居るエルフの少女が青ざめた。
「なぜ、か。理由を聞いてもいいかな?」
「三浦まで巻き込んでは、大勢力を築き過ぎる。おそらく古河公方は看過すまい。すべてを巻き込んだ大乱になる」
「そうだよ。
すがすがしい笑顔で、美男子は言った。
「――大乱結構。戦う力と器量はあるつもりだ。荒次郎殿、わたしはこう言ってるんだよ。ともに関東を牛耳ってやろう、と。そして、教えてあげよう。君はさっき、こう返したんだよ? “わたしは古河公方も総州の新公方も両方敵に回します”と」
涼やかな瞳に、わずかに剣呑な色が混じっている。
それを確かに捉えながら、荒次郎は義兄から目をそらさない。
「消極的支持だ」
瞬間。貴公子の虚飾が剥がれた。
露わになったのは、獣の貌。戦国を生きる飢狼の眼光だ。
しかし、初音の怯えの視線を感じてか、獣の貌はすぐになりを潜めた。
「なぜ、か、聞いてもいいかい?」
「三浦は伊勢と敵対している。安全保障上、扇谷上杉との連携は必須だ。三浦は、例え房総と敵対しても、扇谷上杉と敵対するわけにはいかない。海を挟んだ相手なら、三浦の海軍力で防ぐ目もあるが、陸路で二方面に敵を持てば、俺たちは容易く潰される」
荒次郎は、その先を言わなかった。
たとえ真里谷が援軍を保証してくれたとしても、安全保障の相手が扇谷から真里谷に変わるだけだ。
命綱を真里谷に握られたままでは、いずれ三浦は真里谷に首を垂れることになる。むしろそこまで含めて、真里谷信保の狙いなのだろうが。
しばらく、見つめ合った後。
真里谷信保が、さわやかに微笑んだ。
「……頭がいいね、荒次郎殿。好きだよ。そういうの。だけど、君はきっとわたしを選ぶことになる。これは予言だよ」
会談の時は過ぎた。
あとは身内として、雑談に終始する。
「ひさしぶりにお兄ちゃんとお話ししよう」という信保に、初音は鳥肌を立てて嫌がっていた。
◆用語解説
きっとびっくりするから――まさしくびっくりである。
打掛が邪魔で泳げない――着物を着て泳ぐのは至難の業である。
残念娘――エルフさんのこと。類義語にぽんこつ娘などがる。
お兄ちゃん――兄上と呼ばれた方がよいと思うのだがどうか。
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