第8話 比翼/鴛鴦/夫婦関係

「おひいさま」



 御殿ごてんの奥。三浦家当主義意よしおき室、真里谷初音まりやつはつねが住まう一室。

 文机を横に、畳の上に寝転がって絵図とにらめっこをしていた部屋の主は、侍女のまつに呼ばれてあわてて身を起こした。



「なにかな、まつ」



 言いながら後ろ手に隠した絵図を、まつは見逃さなかったようで、幼い少女は深く、ため息をつく。



「……もう。最近のおひいさまは荒事ばかり考えられて。すこしは御当主さまを奥から支えて下さらないと、まつも困ります」



 この少女、初音とともに真里谷家から来ているはずなのだが、どうにも初音に厳しい。

 初音が下手なことをして家門に恥をかかせないため、というのもあるだろうが、どうやらこの少女、三浦家――というか、荒次郎びいきな所がある。



 ――あのムッツリめ。



 いわれのない非難を脳内荒次郎に浴びせてから、初音はまつを懐柔するように、やさしく微笑みかける。



「いや、荒事とはいうものの、まつ、これは私のほかに、家中の誰もできないことなんだ。立派に主さまあらじろうを支える仕事なんだから、目をつぶってくれると嬉しいんだけど」



 耳をピコピコさせながら、エルフの少女は自己弁護する。


 たしかに。初音が絵図とにらみ合って考えているのは、これからの戦略に関わることだ。

 少々うかつな所はあるが、未来の知識を持つ初音の意見が代替の利かないものであるのはたしかだ。


 その事実を、ある程度察してはいるのだろう。幼い侍女は仕方がない、というようにため息をついた。



「すこしは御家のことも考えてください。おひいさまは、なんといっても三浦家当主の妻なのですから。大殿の側妾でしかない八重さまに任せるなんて、お可哀想じゃありませんか」



 八重は三浦道寸みうらどうすんの愛妾で、現在病身の彼を看病している。

 道寸の正妻がすでに亡い現在、三浦一族の出である彼女が奥を統制することも無理ではないが、やはり当主夫人と比べると、正当とは言い難い。

 初音なら命じれば済む場合でも、お願いというかたちにせざるを得ないことも多く、道寸の看病のこともあって、彼女は神経をすり減らしていた。



 ――いやいや、私に奥の統制とか無理だから!



 と言いたいが、そんなこと口にしようものなら、まつが激怒するのはわかっている。

 なんとか誤魔化せないかと考えているところへ。



「御免」



 ふすまの奥から、声が聞こえた。

 荒次郎の声だ。まつが「あら、あら」と顔を輝かせる。



「それでは、わたしはお邪魔でしょうから引っ込んでおきますね」



 荒次郎を室内へいざなうと、まつは入れ替わりに上機嫌で退がっていく。

 やれ、お小言を聞かずに済んだ。と胸をなでおろしながら、初音は「ようこそおいでくだしました」とよそいき口調で名目上の夫に声をかけた。







「……何かあったか、荒次郎」



 荒次郎を座敷に座らせながら、和服姿のエルフは口調を戻して問う。



「報告だ」



 座ってなお、初音より頭二つは高い荒次郎は、少女を見下ろしながら話す。



河内守かわちのかみに文句を言われた」


「河内守……ああ、佐保田の、あの“胃の腑が痛いです”の人か」



 初音の相槌に、荒次郎はうなずく。

 大将自ら敵中に乗り込むわ、勝手に丸太を集めるわ、大将自ら兵糧庫の警備に着くわ。やりたい放題の荒次郎に対して「もっと当主らしく」と懇願してやまない三浦家の重臣である。


 そのあたり、猪牙ノ助ちょきのすけがうまくとりなしているのだが。

 八重の胃を攻撃している初音といい、夫婦そろって他人の胃に厳しすぎる。



「なんで兵糧を半分も焼かせたんだ。敵の手を読んでいたのなら、最初から防いでいればよかったじゃないか、と」


「当然の疑問だな。なぜなんだ? 荒次郎」


「ふむ。ひとつは、相手が何度も焼き打ちをしかけてきて、こちらが消耗し、結局は焼かれる、などという事態を避けるためだ。もうひとつは、敵にこちらの手札の読み違いを起こさせるためだ。エルフさん――」


「エルフ言うな」


「俺たちと伊勢宗瑞が、まともにやりあえば、どちらが勝つと思う?」


「宗瑞」



 初音が即答する。

 考える余地もないことだろう。



「だろう? まともにやりあえば勝てない。だから宗瑞には一手、読み違ってもらう」


「そして、それを策に利用して勝つ、か……出来るかな?」



 初音は懐疑的だ。

 伊勢宗瑞の事績を、誰よりもよく知る彼女だからこそ、不安を感じるのだろう。



「まともでは勝てないんだ。どこかで賭ける必要がある。これはその布石だ――と、河内守にも言ったが、それで納得してくれた。独断専行はやめてちゃんと重臣たちにも相談や通達をしてくれ、とも言われたが」


「当たり前だよ。ホウレンソウ《報告、連絡、相談》は社会人の心得――ってのは抜きにしても、家臣たちを統制するのにも、ある程度相手に納得して動いてもらわないと。当主とはいえ、一族や家臣の力は馬鹿にならないんだし、籠城ってのは、内から崩れることのほうが多いんだからな」


「心得ておく……ああ、そういえば、城内の警戒レベルを上げたぞ。敵の侵入を、こちらの網で捉えられなかったのだからな。兵士たちも意気込んでいる。現状、敵も侵入してくる気が起きないほどには、見張りがやる気だ」



 淡々と告げる荒次郎に、エルフの少女は目を眇めた。



「おま……そのために、わざと警戒させなかったんじゃないだろうな?」


「そんなことはない。そこまでとっさに気は配れん。もう少し時間があれば、もっとうまくやれたかもしれんが」



 荒次郎は全能の神ではないし、万能からもほど遠い。

 自分が何でもできるとは、荒次郎自身、思っていない。

 荒次郎が誇れるものといえば、たったひとつ。くそ度胸だけだ。



「――と、そういえば、荒次郎」



 思い出したように、エルフの少女が手を打った。



「この間言ってた敵の兵糧庫の焼き打ちの件なんだけど」


「却下だ」



 いそいそと、絵図を出して来る初音の言葉をすべて聞く前に、荒次郎は一言の元に斬って捨てた。



「なんでだよ! 三浦家三人組軍師担当の面目にかけて、私は成功率の高い作戦ちゃんと考えたんだぞ!」



 いつの間に就任したのか、自称軍師はそんなことを言う。

 荒次郎はふたたび首を横に振った。



「タイミングが悪い。相手はこちらの兵糧を焼き打ったばかりだ。当然報復も読み筋に入れているだろう」


「でもでも、せっかく考えたのに!」


「いまは諦めてくれ。いま使えないと言うだけで、将来的には無駄にならんさ……たぶん」



 おざなりな慰めに、エルフの少女は頬を膨らませて不貞腐れる。



「じゃあ、どうするんだよ」


「それは……すこし待ってくれ。いまいち纏まりきっていない。エルフさんも、こちらの兵糧備蓄に対する認識の差を利用した策を考えてみてくれ」


「ああ、頼まれた! この軍師、真里谷初音にまかせなさい!」



 エルフの少女はそう言って胸を張った。

 この人いくつだったか、と荒次郎は不思議に思ったが、ともかく。



「そういえば、エルフさん」


「エルフ言うな」


「エルフさんは、魔法とか使えないのか?」


「お前がどんなエルフを想像してるのかは、わからないけど……荒次郎、例えばさ、ロープレの魔法使いと私が、意識だけ入れ替わったとしよう。入れ替わったのは完全に意識だけだ。あっちの世界の知識は完全に無し。魔法を使えることは知っていたとしても、これで魔法使えると思う? なにより私、エルフである以前に、戦国時代の真里谷初音だぞ?」


「ふむ。なるほど、たしかにその通りだ」



 うなずいてから、荒次郎は「しかし」と付け加える。



「エルフさんは実際、試してみたのか? ひょっとして、さして苦労もなく、出来るようになるかもしれないじゃないか」


「……ま、そりゃ、今の今まで試すヒマもなかったし? 魔法が使えるんなら、それに越したことは無いんだけどさー」



 言いながらも、すこしわくわくした様子で、エルフの少女はおもむろに立ち上がり、きっと表情を引き締め、目を閉じる。



「……ファイア!」



 しかし何も起こらなかった。



「出ないな」


「いろいろと試してみてはどうだ?」



 少女の指先が自分に向けられていることを不審に思いながら、荒次郎は助言する。



「むー……ファイアボルト! ファイアボール! 炎の矢! 三昧真火! はぁはぁダメだまったく出ない」


「属性が違うのかもしれん」


「そうか! エルフだしあれか! 風とかいろいろあるよな!

 ストーム! ウインドカッター! ウインドストーム! 風の精霊よ! 轟雷! 分光ミサイル! 転倒! 転倒!」


「もう少し集中してみてはどうだろう」



 四半刻(30分)ほどもそうやっていただろうか。

 疲れ果てて、肩で息をしているエルフの少女に、荒次郎は淡々と声をかけた。



「ふむ。どうやらエルフさんの予想通り、魔法は使えないものと思った方がよさそうだな」



 その言葉に、ふと我を顧みてしまったのだろう。

 少女の耳が、見る間に朱に染まっていく。



「だったら――こんな恥ずかしいことやらせんな死ねぇっ!!」



 怒りに震えた初音のみごとな延髄斬りが、荒次郎の首筋を捕えた。小揺るぎもしなかったが。



「なぜだ」



 荒次郎は意に介さず、ただ首をかしげた。


 後日、初音はこの日の騒ぎを勘違いした奥方連中に、「先日は激しかったようで」などと、いわれのないからかいを受けることになる。

 そのことで荒次郎は、初音からしこたま愚痴を聞かされることになるのだが、一見メリットしかないその勘違いが、なぜ悪いことなのか、荒次郎には理解できなかった。







◆用語説明

文机――読み書きに用いられる机。

三浦家三人組軍師担当――実在しない役職である。

延髄斬り――アントニオ猪木が考案したプロレスの蹴り技。後頭部を狙ったジャンプ蹴り。


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