第7話 風間/風魔/相州乱波
「エルフさん、教えてくれ。俺たちが詰むってどういうことだ?」
荒次郎は問う。
三浦荒次郎、
未来から来た三人による深夜の会議の中、初音は唐突に言ったのだ。「このままでは詰む」と。
「エルフ言うな」
半分あきらめたように抗議してから、初音は説明を始める。
「三浦道寸の娘婿で江戸城主の
灯明の薄暗い明りのなか、至極真剣な表情で、エルフの少女は語る。
「ひょっとして、それが伊勢宗瑞の、元々の作戦だったのかもしれない。いわゆる
「後詰決戦?」
「有名なのが、織田信長と浅井長政の姉川の合戦かな。敵配下の城を攻めることで、後詰――助けに来た敵主力を迎え撃つ。また、援軍が来なければ来ないで、城方の士気が落ちて楽に攻め落とせるうえに、敵方の評判を落とせる一石二鳥の戦法」
首をかしげる荒次郎に、初音はそう説明した。
頭の中で絵図を描き、なんとなく理解した荒次郎は、「ふむ」とうなずく。
「なら、どういう手を打つか」
「来るなって言うしかないと思う。すくなくとも、援軍にまとまった兵力を投入できるまでは」
「どうやって相手に伝える? こちらは籠城中だ」
「海路はまだ生きてる。三浦水軍が生きてるからね。もちろん危険は伴うけど、完全封鎖されてる陸路を行くよりよっぽどましだ。相手にバレるかもしれないけど、最悪が回避できるならそれでもいいと思う」
初音の主張に、荒次郎は沈思する。
その間に、猪牙ノ助が口を開いた。
「なら、吾輩が草案を練ろう。そちらの兵力が整う――少なくとも、武蔵南部のまとまった兵力を動員できるようになるまで、援軍不要。準備が整えば連絡されたし、程度でよいか?」
「いいんじゃないか?」
「では、荒次郎くん。吾輩が文を書いておくから、署名だけ頼むよ」
「わかった」
猪牙ノ助の要請にうなずいてから、荒次郎は手を挙げる。
「――この手紙が相手に渡った場合、どう利用される?」
この質問に、初音たちは容易に答えることはできなかった。
しばし、時間がたってから、口を開いたのは初音だった。
「ぱっと思いつかないな。この程度じゃバレても問題ないと思う……むしろ、荒次郎。ちょっと奇策を考えてみたんだけど」
「ほう?」
「相手にバレるかもしれない。それを心配するなら、バレるのを前提にして、相手を嵌めてやるんだ」
少し得意げに、エルフの少女は言う。
自身があるらしく、耳がぴこぴこと跳ねている。
「手紙の内容を知れば、相手はこっちの作戦――大規模な援軍が来るまでの長期籠城構想を読むだろう。自然、腰を据えた攻め方になる。その隙を塗って、相手の
「はたして出来るかのう?」
「土地勘はこっちにある。やってやれないことはないだろ」
猪牙ノ助が茶々を入れると、初音はむっとして反論した。
もはや慣れた風景だが、子リスが古狸に噛みついているようでほほえましい。
しばし視線でやり合った後、ふたりは視線を荒次郎に向けてきた。
荒次郎は巨体を傾けながら、考え込む。
「ふむ。なるほど」
やがて口を開いた荒次郎は、続けて言った。
「――とりあえず、丸太束を用意させよう」
「なんでだよ!」
初音の突っ込みと、猪牙ノ助の笑声が奥座敷に響いた。
◆
伊勢宗瑞に見出された忍の一族だ。
相模入りした宗瑞に従い、足柄山風間谷を根城としている。
棟梁の名を、風魔小太郎。
二百ともいわれる忍の群れを従える猛者だ。
「棟梁。大殿の御下知は」
菊名の陣場ヶ原にほど近い林。
宗瑞の命が下るや、音もなく駆け入った小太郎に、声が投げかけられた。
闇の中、人影はない。しかし小太郎はいぶかることなく、大口を鼻尖の位置まで釣り上げて、語る。
「破壊だ」
語りながら、小太郎は笑う。
「――破壊だ。組頭どもよ。元より、わしらのやることといえば、それしか無かろう」
「然り」
闇から、また声が投げかけられる。
「破壊するのは、引橋の砦か?」
「馬鹿め。それでは大殿の意に沿わぬわ。三浦は落とさず苦しめる。攻めるは新井城よ」
「して、棟梁。動かす兵は」
「“月”。お主の組から十だ」
「承知。して、目標は」
「調べろ。新井城の構造だ。3日やる」
「はっ」
破壊とは別の命を下されながらも、“月”は淀みなく答える。
「そして“風”。お主を含めて五人。選りすぐれ」
「はっ」
「わしも出る。音に聞こえた新井の堅城、わしが
小太郎の口が、赤い三日月を描いた。
そして3日後。
選りすぐられた風魔の忍たちは、新井城への侵入に成功していた。
「天下の堅城も脆いものよ」
小太郎は声に出さずにつぶやく。
「屋敷も御殿も焼き放題じゃ」
――棟梁、どこを狙う?
手話で尋ねてきた部下に、小太郎は同様に手話で命じる。
――厩舎を狙え。わしはひとりで別の物を焼く
――それは?
小太郎は笑いながら、これだけは肉声で答えた。
「
千駄矢倉は、新井城が備える兵糧庫だ。
駄、とは、馬一頭に負わせることができる重量のこと。
米穀千駄を貯蔵する巨大兵糧庫。それが荒井城の千駄矢倉である。
ここを、焼き打てば。
もちろん海路が生きている限り、新井城に兵糧は運び込まれる。
しかし、糧道は細くなり、三浦一族はさらに追い詰められることになるのだ。
ほどなくして、厩舎に火の手が上がる。
馬のいななき。起き出した武士たちの怒声。闇に踊る炎と狂乱の中を、風の魔物どもは跳梁する。
「……ここか」
混乱に乗じて音もなく。小太郎は千駄矢倉の前に立った。
同時に見張り役二名の命を、声も立てさせずに断っている。
千駄矢倉は巨大な岩穴だ。
入口の広さは、縦に6尺、横に5尺。長身の小太郎は、屈んで中に入った。
中には火が灯っている。
その奥に、人影を見つけて、小太郎の目は鋭く光った。
「やはり。狙いはここか」
男は立ち上がる。
大きい。身の丈七尺を越え、人を見上げたことのない小太郎が、生まれて初めて見上げる相手だ。
「ぬしは。なぜ狙いが読めた?」
笑みを浮かべながら問いかけた小太郎に、男は答える。
「こちらも兵糧を焼くことを思いついた。なら、当然相手も思いついていると思った。間に合ってよかった……ああ、忘れていた」
言いながら、男は丸太を抱えあげる。
「俺は三浦荒次郎だ」
巨大な丸太が、震えひとつなく、ぴたりと構えられた。
◆
荒次郎は構えた。
たった一人でこの千駄矢倉を襲ってきた、影のごとき男――風魔小太郎も、直刀を引き抜き、構える。
荒次郎が7尺5寸。
小太郎が7尺2寸。
ともに身長2mをはるかに超える長身。
荒次郎が初めて出会う、体格的に見合う相手だ。
「ふんっ!」
荒次郎が丸太を押し出す。
縦横4間(7m少々)ほどもある空間だが、内部は米穀の俵が山と積まれている。
丸太を振りまわすには窮屈すぎる空間だったが、避ける隙間もまた、ほとんど無い。
しかし、小太郎は巨体を器用に折り、空いた空間に身をねじ込む。
そうしながら、突き出された丸太の上に立ち、荒次郎に向けて
「ふんっ!」
荒次郎は片手に丸太を抱えたまま、もう一方の手で米俵を掴み、投げた。
意表を突かれた小太郎は、直撃を喰らう。
そのまま、米俵ごと千駄矢倉から放り出された小太郎は、身をひねって音もなく着地した。
――躱せないと見て、自分で飛んだか。
二つ、三つと、米俵を投げながら、荒次郎は跳び出す。
避けながら、小太郎が手裏剣を投げてくるのを、荒次郎は丸太で防いだ。
「やるな」
「得物がいいのだ」
荒次郎は断言した。
荒次郎が丸太を振りまわす速度は、太刀による斬撃と比べても遜色ない。
超重兵器がその速度で飛んでくるのだ。ふつうの人間なら一瞬でミンチだ。
「なるほど、たしかにいい得物だ」
丸太の連撃を躱しながら、小太郎が笑う。
破壊を信条とするこの忍にとって、荒次郎が振るう凶器の威力は、認めるに値するものなのだろう。
「だが、いつまでもつき合ってはおれんな」
小太郎の目的は、荒次郎の殺害ではない。
本来の目的を差し置いて、戦いを楽しむことはできないのだ。
「さらばだ」
再び手裏剣を乱れ投げながら、小太郎が跳び退る。
「逃げるのか?」
「ああ……目的は達したからな」
ボウ、という音を、荒次郎は背中で聞いた。
次いで熱。後方、千駄矢倉のなかから、それは感じられる。
「……油か」
「ああ」
荒次郎は察した。
最初の手裏剣とともに油の入った袋か何かを投げ、それが俵に染みるのを待って、二回目の手裏剣で矢倉内の灯明を倒したのだ。
炎は瞬く間に燃え広がり、消しようもなく兵糧を炎上させる。
煙はもうもうと上がり、あたりの視界を奪ってゆく。
異常に気づいたのか、兵士たちが駆けつけてくる。
「今回はわしの勝ちよ」
風魔の頭は、言って笑う。
「いずれまた会おう、三浦の当主よ。次は、ぬしの首を取れ、という命令をいただきたいものよ」
そう言うと、小太郎の姿は夜の闇に溶けた。
駆けつけた兵士たちに消火の指示をしてから、荒次郎はつぶやく。
「ああ。お前の勝ちだ」
言いながら、荒次郎は笑う。
「――半分だけはな……残り半分は、俺の勝ちだ」
火が消えたころを見計らって、荒次郎は矢倉の中に入った。
炭化した上に水浸しの俵をのけると、その奥には丸太が列を為している。
まだ乾燥していない生木は、表面を炎にあぶられながらも、しっかりと、その奥にあるものを守っていた。
「しかし、荒次郎。お前もすごいこと考えるな」
消火後に駆けつけていたエルフの少女が、呆れたように頬をかく。
「わざと兵糧を半分だけ焼かせるなんて」
丸太の壁の向こうには、無事に残った米俵が並んでいる。
ご丁寧に、床面は土でごく浅い堰が造られており、消火に使われた水も、奥まで届いていない。
「こんなものは、何度も狙われても困る。警備に割く労力も馬鹿にならないし、それで防ぎ続けられるとは限らないからな。ならば、成功したと思わせるのがいい」
正確には、千駄矢倉内の7割ほどが焼かれている。
しかし、他の貯蔵庫と合わせて、残ったのはおおよそ半分といったところだ。
「しかし、もったいない。焼かせるのはもっと少なくて――3割ほどでよかったのに」
眉をひそめるエルフの少女に、荒次郎は首を横に振った。
「いや、それでは少なすぎる。相手に疑念が生じるだろう。あれくらいは最低限、焼かせる必要があった……しかし、エルフさん」
「エルフ言うな。いい加減覚えろよ」
人前ゆえ、小声で抗議する初音に、荒次郎は言った。
「やはり丸太は役に立つだろう?」
満面の笑みを浮かべる荒次郎。
エルフの少女は返答に窮して、ものすごく微妙な顔になった。
◆用語説明
姉川の合戦――元亀元年(1570年)に行われた、織田、徳川連合軍と浅井、朝倉連合軍との戦い。
糧秣――兵員用の食料や軍馬用のまぐさのこと。
組頭――軍事組織の組の長。
厩舎――うまや。馬を飼育する建物。
丸太――万能兵器である。
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