第7話 風間/風魔/相州乱波

「エルフさん、教えてくれ。俺たちが詰むってどういうことだ?」



 荒次郎は問う。

 三浦荒次郎、真里谷まりやつ初音、三浦猪牙ノ助ちょきのすけ

 未来から来た三人による深夜の会議の中、初音は唐突に言ったのだ。「このままでは詰む」と。



「エルフ言うな」



 半分あきらめたように抗議してから、初音は説明を始める。



「三浦道寸の娘婿で江戸城主の太田資康おおたすけやす。太田道灌どうかんの息子なんだけど、こいつが三浦を助けるためにこっちにぶっ込んで来て、しかも返り討ちにあって死ぬんだよ。遅くとも一月後には。それで三浦は完璧に詰む」



 灯明の薄暗い明りのなか、至極真剣な表情で、エルフの少女は語る。



「ひょっとして、それが伊勢宗瑞の、元々の作戦だったのかもしれない。いわゆる後詰ごづめ決戦ってやつ」


「後詰決戦?」


「有名なのが、織田信長と浅井長政の姉川の合戦かな。敵配下の城を攻めることで、後詰――助けに来た敵主力を迎え撃つ。また、援軍が来なければ来ないで、城方の士気が落ちて楽に攻め落とせるうえに、敵方の評判を落とせる一石二鳥の戦法」



 首をかしげる荒次郎に、初音はそう説明した。

 頭の中で絵図を描き、なんとなく理解した荒次郎は、「ふむ」とうなずく。



「なら、どういう手を打つか」


「来るなって言うしかないと思う。すくなくとも、援軍にまとまった兵力を投入できるまでは」


「どうやって相手に伝える? こちらは籠城中だ」


「海路はまだ生きてる。三浦水軍が生きてるからね。もちろん危険は伴うけど、完全封鎖されてる陸路を行くよりよっぽどましだ。相手にバレるかもしれないけど、最悪が回避できるならそれでもいいと思う」



 初音の主張に、荒次郎は沈思する。

 その間に、猪牙ノ助が口を開いた。



「なら、吾輩が草案を練ろう。そちらの兵力が整う――少なくとも、武蔵南部のまとまった兵力を動員できるようになるまで、援軍不要。準備が整えば連絡されたし、程度でよいか?」


「いいんじゃないか?」


「では、荒次郎くん。吾輩が文を書いておくから、署名だけ頼むよ」


「わかった」



 猪牙ノ助の要請にうなずいてから、荒次郎は手を挙げる。



「――この手紙が相手に渡った場合、どう利用される?」



 この質問に、初音たちは容易に答えることはできなかった。

 しばし、時間がたってから、口を開いたのは初音だった。



「ぱっと思いつかないな。この程度じゃバレても問題ないと思う……むしろ、荒次郎。ちょっと奇策を考えてみたんだけど」


「ほう?」


「相手にバレるかもしれない。それを心配するなら、バレるのを前提にして、相手を嵌めてやるんだ」



 少し得意げに、エルフの少女は言う。

 自身があるらしく、耳がぴこぴこと跳ねている。



「手紙の内容を知れば、相手はこっちの作戦――大規模な援軍が来るまでの長期籠城構想を読むだろう。自然、腰を据えた攻め方になる。その隙を塗って、相手の糧秣りょうまつを焼き討ちしたい」


「はたして出来るかのう?」


「土地勘はこっちにある。やってやれないことはないだろ」



 猪牙ノ助が茶々を入れると、初音はむっとして反論した。

 もはや慣れた風景だが、子リスが古狸に噛みついているようでほほえましい。


 しばし視線でやり合った後、ふたりは視線を荒次郎に向けてきた。

 荒次郎は巨体を傾けながら、考え込む。



「ふむ。なるほど」



 やがて口を開いた荒次郎は、続けて言った。



「――とりあえず、丸太束を用意させよう」


「なんでだよ!」



 初音の突っ込みと、猪牙ノ助の笑声が奥座敷に響いた。







 風魔ふうま。そう呼ばれる集団がある。

 伊勢宗瑞に見出された忍の一族だ。

 相模入りした宗瑞に従い、足柄山風間谷を根城としている。


 棟梁の名を、風魔小太郎。

 二百ともいわれる忍の群れを従える猛者だ。



「棟梁。大殿の御下知は」



 菊名の陣場ヶ原にほど近い林。

 宗瑞の命が下るや、音もなく駆け入った小太郎に、声が投げかけられた。

 闇の中、人影はない。しかし小太郎はいぶかることなく、大口を鼻尖の位置まで釣り上げて、語る。



「破壊だ」



 語りながら、小太郎は笑う。



「――破壊だ。組頭どもよ。元より、わしらのやることといえば、それしか無かろう」


「然り」



 闇から、また声が投げかけられる。



「破壊するのは、引橋の砦か?」


「馬鹿め。それでは大殿の意に沿わぬわ。三浦は落とさず苦しめる。攻めるは新井城よ」


「して、棟梁。動かす兵は」


「“月”。お主の組から十だ」


「承知。して、目標は」


「調べろ。新井城の構造だ。3日やる」


「はっ」



 破壊とは別の命を下されながらも、“月”は淀みなく答える。



「そして“風”。お主を含めて五人。選りすぐれ」


「はっ」


「わしも出る。音に聞こえた新井の堅城、わしが破壊つぶさずして誰が破壊つぶす」



 小太郎の口が、赤い三日月を描いた。


 そして3日後。

 選りすぐられた風魔の忍たちは、新井城への侵入に成功していた。



「天下の堅城も脆いものよ」



 小太郎は声に出さずにつぶやく。



「屋敷も御殿も焼き放題じゃ」



 ――棟梁、どこを狙う?



 手話で尋ねてきた部下に、小太郎は同様に手話で命じる。



 ――厩舎を狙え。わしはひとりで別の物を焼く



 ――それは?



 小太郎は笑いながら、これだけは肉声で答えた。



千駄矢倉せんだやぐら



 千駄矢倉は、新井城が備える兵糧庫だ。

 駄、とは、馬一頭に負わせることができる重量のこと。

 米穀千駄を貯蔵する巨大兵糧庫。それが荒井城の千駄矢倉である。


 ここを、焼き打てば。

 もちろん海路が生きている限り、新井城に兵糧は運び込まれる。

 しかし、糧道は細くなり、三浦一族はさらに追い詰められることになるのだ。


 ほどなくして、厩舎に火の手が上がる。

 馬のいななき。起き出した武士たちの怒声。闇に踊る炎と狂乱の中を、風の魔物どもは跳梁する。



「……ここか」



 混乱に乗じて音もなく。小太郎は千駄矢倉の前に立った。

 同時に見張り役二名の命を、声も立てさせずに断っている。


 千駄矢倉は巨大な岩穴だ。

 入口の広さは、縦に6尺、横に5尺。長身の小太郎は、屈んで中に入った。


 中には火が灯っている。

 その奥に、人影を見つけて、小太郎の目は鋭く光った。



「やはり。狙いはここか」



 男は立ち上がる。

 大きい。身の丈七尺を越え、人を見上げたことのない小太郎が、生まれて初めて見上げる相手だ。



「ぬしは。なぜ狙いが読めた?」



 笑みを浮かべながら問いかけた小太郎に、男は答える。



「こちらも兵糧を焼くことを思いついた。なら、当然相手も思いついていると思った。間に合ってよかった……ああ、忘れていた」



 言いながら、男は丸太を抱えあげる。



「俺は三浦荒次郎だ」



 巨大な丸太が、震えひとつなく、ぴたりと構えられた。







 荒次郎は構えた。

 たった一人でこの千駄矢倉を襲ってきた、影のごとき男――風魔小太郎も、直刀を引き抜き、構える。


 荒次郎が7尺5寸。

 小太郎が7尺2寸。

 ともに身長2mをはるかに超える長身。

 荒次郎が初めて出会う、体格的に見合う相手だ。



「ふんっ!」



 荒次郎が丸太を押し出す。

 縦横4間(7m少々)ほどもある空間だが、内部は米穀の俵が山と積まれている。

 丸太を振りまわすには窮屈すぎる空間だったが、避ける隙間もまた、ほとんど無い。


 しかし、小太郎は巨体を器用に折り、空いた空間に身をねじ込む。

 そうしながら、突き出された丸太の上に立ち、荒次郎に向けてましらのごとく襲いかかる。



「ふんっ!」



 荒次郎は片手に丸太を抱えたまま、もう一方の手で米俵を掴み、投げた。


 意表を突かれた小太郎は、直撃を喰らう。

 そのまま、米俵ごと千駄矢倉から放り出された小太郎は、身をひねって音もなく着地した。



 ――躱せないと見て、自分で飛んだか。



 二つ、三つと、米俵を投げながら、荒次郎は跳び出す。

 避けながら、小太郎が手裏剣を投げてくるのを、荒次郎は丸太で防いだ。



「やるな」


「得物がいいのだ」



 荒次郎は断言した。

 荒次郎が丸太を振りまわす速度は、太刀による斬撃と比べても遜色ない。

 超重兵器がその速度で飛んでくるのだ。ふつうの人間なら一瞬でミンチだ。



「なるほど、たしかにいい得物だ」



 丸太の連撃を躱しながら、小太郎が笑う。

 破壊を信条とするこの忍にとって、荒次郎が振るう凶器の威力は、認めるに値するものなのだろう。



「だが、いつまでもつき合ってはおれんな」



 小太郎の目的は、荒次郎の殺害ではない。

 本来の目的を差し置いて、戦いを楽しむことはできないのだ。



「さらばだ」



 再び手裏剣を乱れ投げながら、小太郎が跳び退る。



「逃げるのか?」


「ああ……目的は達したからな」



 ボウ、という音を、荒次郎は背中で聞いた。

 次いで熱。後方、千駄矢倉のなかから、それは感じられる。



「……油か」


「ああ」



 荒次郎は察した。

 最初の手裏剣とともに油の入った袋か何かを投げ、それが俵に染みるのを待って、二回目の手裏剣で矢倉内の灯明を倒したのだ。


 炎は瞬く間に燃え広がり、消しようもなく兵糧を炎上させる。

 煙はもうもうと上がり、あたりの視界を奪ってゆく。

 異常に気づいたのか、兵士たちが駆けつけてくる。



「今回はわしの勝ちよ」



 風魔の頭は、言って笑う。



「いずれまた会おう、三浦の当主よ。次は、ぬしの首を取れ、という命令をいただきたいものよ」



 そう言うと、小太郎の姿は夜の闇に溶けた。

 駆けつけた兵士たちに消火の指示をしてから、荒次郎はつぶやく。



「ああ。お前の勝ちだ」



 言いながら、荒次郎は笑う。



「――半分だけはな……残り半分は、俺の勝ちだ」



 火が消えたころを見計らって、荒次郎は矢倉の中に入った。

 炭化した上に水浸しの俵をのけると、その奥には丸太が列を為している。

 まだ乾燥していない生木は、表面を炎にあぶられながらも、しっかりと、その奥にあるものを守っていた。



「しかし、荒次郎。お前もすごいこと考えるな」



 消火後に駆けつけていたエルフの少女が、呆れたように頬をかく。



「わざと兵糧を半分だけ焼かせるなんて」



 丸太の壁の向こうには、無事に残った米俵が並んでいる。

 ご丁寧に、床面は土でごく浅い堰が造られており、消火に使われた水も、奥まで届いていない。



「こんなものは、何度も狙われても困る。警備に割く労力も馬鹿にならないし、それで防ぎ続けられるとは限らないからな。ならば、成功したと思わせるのがいい」



 正確には、千駄矢倉内の7割ほどが焼かれている。

 しかし、他の貯蔵庫と合わせて、残ったのはおおよそ半分といったところだ。



「しかし、もったいない。焼かせるのはもっと少なくて――3割ほどでよかったのに」



 眉をひそめるエルフの少女に、荒次郎は首を横に振った。



「いや、それでは少なすぎる。相手に疑念が生じるだろう。あれくらいは最低限、焼かせる必要があった……しかし、エルフさん」


「エルフ言うな。いい加減覚えろよ」



 人前ゆえ、小声で抗議する初音に、荒次郎は言った。



「やはり丸太は役に立つだろう?」



 満面の笑みを浮かべる荒次郎。

 エルフの少女は返答に窮して、ものすごく微妙な顔になった。







◆用語説明

姉川の合戦――元亀元年(1570年)に行われた、織田、徳川連合軍と浅井、朝倉連合軍との戦い。

糧秣――兵員用の食料や軍馬用のまぐさのこと。

組頭――軍事組織の組の長。

厩舎――うまや。馬を飼育する建物。

丸太――万能兵器である。


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