6 唐突な禅問答



 夜更けを待たずにキシは缶ビール二本で眠ってしまった。

 もちろん泥酔でいすいしたわけではなく、ただ単に眠気に負けただけなのだけれど、キシがアルコールに弱いのも確かだった。


 帰宅しようとするキシをなかば強引に寝室へ押し込むと、僕はささやかな晩餐ばんさんの後片付けのため、アトリエ兼リビングに戻った。


 「次回からは焼き肉でお願いします」


 戻ると同時に、ようやく母星との交信を終えたらしいイルマからのダメ出しが待っていた。僕はまたはじまったとばかりに、はいはい、と二つ返事を返す。


 「肉無し焼き肉でいいならね」


 「それはただの焼き野菜です」


 僕が茶化すとイルマは至極当然といった表情で指摘した。

 確かに、と思うと同時に、僕はむっとする。

 誰が食費を出してると思ってるんだ。


 「肉が食べたいなら生活費いれなよ」


 「何故いつもぎりぎりなのでしょうか」


 「それはたぶん誰かの食費がかさむからだよ」


 「気付いていたはずです」


 「食費が足りないこと? そりゃ足りてないけど、そもそも生活費は折半せっぱんって約束だったはずだけどね」


 「問題ないと思い込みたがる傾向は、いかがかと」


 「それ自己紹介?」


 「後回しにした気掛かりは、いつか罠になって戻ってきます」


 「自分への訓戒くんかい?」


 「貴女は朝には知覚可能でした」


 僕は黙った。まるで嵐の前の雨戸みたいに。


 どうやらイルマが指摘しているのは、我が家のぎりぎりな経済状態ではないらしい。いったい何時から話しが喰い違っていたのだろう。

 反芻はんすうしてみても良かったけど、それが分かったところでイルマとの恒常的こうじょうてきなズレが埋まるとも思えない。

 ばつが悪い僕は好きでもないのに呑みかけのビールを口に含んだ。


 「今日は暑かったし。不調なのはキシだけじゃ……」


 言い訳でしかないという自覚が、僕の声を尻すぼみにする。

 確かに僕は午前中のデッサンでキシに会っていて、彼の不調のきざしを感じ取っていた。


 天候。気温。湿度。キシの不調。キシが患っている発作と地下鉄の危険。

 全ての条件が重なりあった時に起こり得る事態を、僕は朝の時点で知覚しなくてはならなかったのだ。


 そんな無茶な、と僕は思う。

 だけど僕のスポンサーは、「出来ません」では許してくれないだろう。


 「……タマサカさんみたいにはなれないよ」


 「当然です。彼と貴女は真逆ですから」


 「どうしてわたしなのかな」


 「貴女が彼と真逆だからでしょう」


 タマサカさんは美大の先輩で、この部屋を譲ってくれたスポンサーで、そしてたぶん才知さいちとか財力とか容姿とかカリスマ性とか、僕が思いつく限りの全てを持っている人だった。

 だからタマサカさんを引き合いに出して、「真逆、真逆」と連呼される僕は情けないくらい立つがないのだ。


 「予知なんて無理だよ。超能力じゃあるまいし」


 「いまどき流行りませんしね」


 見当はずれな相槌あいづちに、僕は首を傾げた。


 「流行りの問題?」


 「違うんですか?」


 イルマも首を傾げ返してきて、僕は脱力してしまう。


 「予知なんて無理──の方を論点にしてほしい、かな?」


 「そちらでしたか」


 イルマは得心顔とくしんがおで肯いた。


 「予知なんて無理ですね」


 「えっ。いきなり全否定? あれ。全肯定かな?」


 「違うんですか?」


 「……え? あれ?」


 真顔で問い返されて、僕はしどろもどろになってしまう。

 そもそも「朝には知覚可能でした」と指摘したのはイルマのほうだ。混乱する僕を知ってか知らずか、悟りでも開いたようにイルマは昂然こうぜんと告げた。


 「予知など存在しません。全ては既知きちです。──たとえ誰ひとり見る者がいなくとも、モナリザは微笑んでいます」


 唐突はじまった禅問答ぜんもんどう

 正直、意味不明だった。


 常に予想の斜め上を行くイルマとの会話は、何かの塩梅あんばいで大幅に脱線してしまう。そうなると僕の手には負えなかった。

 僕は早々に理解する努力を放棄ほうきして、「へぇ」という生返事とともに黙った。


 きっと僕は永遠にイルマを理解できない。


 なにせ彼は宇宙人なのだから。

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