つつぬけデイドリーム

晴れてじりじりとした空の下、山之内さんは憮然とした表情をしている。男手が必要だとまどろみの中を引っ張りだされたウメちゃんも、山之内さんの横で憮然とした表情をしている。同じように無理やり駆り出された板谷くんは、さすが最強のフリーターと名乗るだけがあって引越し屋の経験でもあるのだろうか、僕に的確に指示を出し、段取り良く荷物を運び入れていく。これが現在のさくら荘の男たち四人の様子である。全く統率がとれていない。四人囃子もあったもんじゃない。


無駄に張り切りすぎたのか、板谷くんの顔色がどんどん運動場の土の色みたいになってくる。常に笑っているような顔をしている男だから、余計に不気味じみてくる。リサイクルショップでかき集めた不揃いの家具家電をあらかた運び終えたところで、小休止をいれることにした。板谷くん、ちょっとお茶にしよう。今、用意してくるから。


「で、なんで山之内さんはそんな憮然としているんですか? いい歳してからに」


「歳は関係ないでしょう。あたしが聞きたいのはそういうことじゃないんです。なんでおおやさんの彼女の引越しの手伝いをあたしたちがしなきゃならないんですか? ってことなんですよ。あんな。若い子の。まったく」


「朝説明したじゃないですか。彼女じゃないですよ。昔っからの友人というか、まあ僕の妹みたいなもんです。だいたい、あの子、彼氏いますよ」


「ええっ?」と運動場の土の色から陸上トラックの色に回復してきた板谷くんから声が発せられた。そうか。朝からのあの張り切りよう、なんでも任せとけ的な男らしさ、全ては板谷くんの中での将来の彼女のためだったのか。ごめん。説明するべきやったよね、とそっと肩に手を置くと、あの笑顔はいったい……と言い残し、あぐらをかいたまま前倒れに倒れていってしまった。ありがとう。もう君の仕事は終わった。今はゆっくり休むがいい。


「で、そこのドラえもんはなんで働かんの?」


「え? ワタシ? 働きたくないからよ。ってその前になんでワタシがドラえもんなのか説明しなさいよ」


「やってアリカワさんとこの押し入れに住んでんっしょ? まんまやないの」と言うと、その例えにヒットしたのか、山之内さんが憮然な表情をやっと解き、「ふふふ。ドラえもん。体型もなんだか似てきましたしね、ふふふ」とやたら失礼なことを言い出した。ウメちゃんがきっとした目で山之内さんを睨んだ。山之内さん、面白いけど最近、体型のことをやたら気にしているウメちゃんにその話はまずいよ、と目で諭し、話題を変える。


「あ、あれか。わかった。ごめんな、僕が『男手』って言うたのがあかんやった。 違う違う。言葉のあやや。『女手』やったな。ウメちゃんにはな、こう、あの子の部屋を女の子らしくかわいくしてほしいねん。こういうのはさ、かわいらしいもんいっぱい知ってるウメちゃんやないと」


その言葉に気をよくしたのか、気が済んだのかわからなかったが、「そう? それじゃうちからなんか持ってくるね」とパタパタと二階へと上がっていったのであった。ウメちゃんはアリカワさんの住んでいる201号室にホシちゃんという女の子と一緒に住んでいる。一見、女の子の三人ぐらしのようなかわいい様相で、好きでよく見ていたテレビ番組を僕に思い起こさせるが、残念ながらウメちゃんは中性なのだった。ここ三ヶ月ぐらいの付き合いになるが、どうやって扱っていいのかわからない。依頼人は家族と思え、か。こんな家族はちょっと困るなと思った。


ウメちゃんのことでちょっとは反省したのだろうか、憮然とした表情からしょぼくれた普通のおじさんの顔になった山之内さんに改めて説明をしなければならないと思った。働いてくれないのは別に構わないのだが、隣の部屋に越してくる由佳ちゃんと仲良くやってもらわないと困る。なにしろ、お姫さまとして僕が呼んだのだ。全員でかしずいて接してくれというわけではないが、みんなのかわいいものとしてやっていって欲しい。すでにやられている板谷くんと、なにやらピンク色のジャラジャラした物体を首にかけてどこかの部族のようになって戻ってきたウメちゃんを含め、とりあえず今回のことをちゃんと説明することにした。


「ええと、さっきも言ったように由佳ちゃんは僕とは長い付き合いのある女の子で、妹みたいなもんです。やましい付き合いは一切ありません。というとなんか言い訳みたいになってくるな。まあでも、さくら荘に住んでいるみんなと同じように家族だと僕は思ってます。ややこしい話はまた個別に話すとおもいますが、彼女が元気で、できれば毎日笑顔で暮らせるように、泣くときも全力で泣けるようにみんなに協力してもらおうと思って、ここに呼びました。勝手なんですけど、僕は山之内さんに特に期待しているんですよ。僕が知っている男のひとでは山之内さんが一番やわらかくて世話好きの男のひとやから、うまく接してくれるんやないかって思って。僕やみんなにとってもね、兄みたいなもんですしね」


そこまで言うと世話好きの血がうずいてきたのか、山之内さんの顔がほころんできた。ウメちゃんや板谷くんの顔もなんだかうれしそうに見える。なんの縁なのかわからないのだが、さくら荘にはなぜか世話好きで、いい意味でお節介なひとばかりが住んでいる。ここ三ヶ月ぐらいのここのひとたちとの生活の中で僕もなんどか助けてもらうことが多かった。多分、祖母もそうやって助けられながらここで愛されてきたのだろうと思う。もしかしたら。もしかすると、祖母は僕の以前の状況をなんらかの形で知っていて、ここに呼ぶことが必要だと思い、僕にこのさくら荘を任せたのかも知れない。僕が由佳ちゃんをここに呼び寄せたように。そんなことを思った。


「どうでしょう? 山之内さん。幸せなままごとでもしませんか? ごっこでいいんですよ。勝ち負けのないゲームをみんなでやりましょう。みんなでいかに幸せに暮らせるかっていうゲームです。ちょっとクサくて仰々しいですかね?」、と自分で言ったことに照れくさくなってきてしまい笑いながら言うと、山之内さんも笑いながら、「わかりました。おおやさん。じゃあ今からゲーム開始です。リタイアは許しませんよ」とクサく応えてくれたのだった。


引越しのお手伝いのお礼ということで、夜は宇宙軒で好きなものを好きなだけ食べていいということに決めて、四人で出かけていった。本当はバイトから帰ってきたアリカワさんも誘ったのだが、わたしは手伝ってないですし、とにべもなく断られてしまった。もしかしたら山之内さんが「アリカワさんはおおやさんと板谷くんに狙われていますね」というなんの意味もなく、根拠のない世間話を信じてしまったせいなのかもしれなかった。僕や板谷くんが彼女に好意を持っているというのは本当のことだが、そういうことじゃない。僕たちは仕事を頑張り、ろくに働かないウメちゃんやホシちゃんを部屋に住まわせ、大学にもせっせと通っている彼女の頑張っている姿が好きなだけなのだった。なぜそんな意味もない、誰も得をしない世間話をするのだろう。理解に苦しむ。


一時期、学もないのに関わらず、都市伝説や地域で口伝で語られる伝承などの伝播について、いろいろな文献を読みあさったりしながら考察を重ねたことがある。これについては全く結果の出なかったのだが、さくら荘に数々と浮遊するよくわからないうわさ話の定着までの道程は僕にもわかったのだ。まず、山之内さんが勝手な推測や相手の心の機敏(でも大抵は勘違いか大幅な誇張だ)などから物語を作り出す。そしてその物語は話好きのウメちゃんかホシちゃんに伝わり、それがさくら荘の中の二大常識人であるアリカワさんと202号室のハシバさんにまで届くことにより、信憑性のある話として定着していくのだ。その証拠に、山之内さんがその話の主人公になることも、登場人物になることも全くない。僕を含め、みんなが山之内さんのことを知るのは、彼が自分で自分のことを話すときのみである。彼によってしか彼が語られることはないのだった。そんなことを焼肉定食を綺麗に三角食べしながら滑らかに話す山之内さんのことを見ながら考えていたのだった。


普段、ろくなものを食べていないのか、詰め込めるだけ詰め込んでグロッキーになったウメちゃんと板谷くん(多分、傷心のせいもあるだろう)を残し、久し振りにナッツダイナーにも行きたかったこともあるし、まだ若干、由佳ちゃんとのことを怪しく思っている節が見え隠れしているので、「おおやさん、今日はいい機会なので、お互い腹割ってはなしましょう!」といつにないテンションで推してくる山之内さんとサシで呑むことにしたのだった。


「いや、腹割るもなにも、僕は隠し事は一切してませんよ。あ、でもひとつあるといえばあるか。僕はですね、ちょっとネイティブアメリカンの思想にかぶれているところがあるんですよ」


「それがかくしごとですか?」


「や、それに関係はしてるんですけどね、僕はコミューンを作りたいと思ってるんですよ。家族単位でも国単位でもなく、気の合うひとたちだけが集まった単位でね、ひとつのコミューンを作ってね、みんなで楽しく暮らしていきたい。さくら荘はそのコミューンの一部だと僕は勝手に考えてるんですよ。それが隠し事です。まあ、隠し事つうか野望ですよね」


本当のことだった。酒が入った勢いもあったが、ただただそんなことを夢想している自分に青臭くて鼻につくが、いつも思っていることだ。もちろん、算段もあった。なにを馬鹿なこといってるんですかおおやさん、と一蹴してくれ、そのままどうでもいいような話になってくれると思っての発言だった。だが、それは違った。そして美しい弧を描いて投げ返される白いボールのように、なによりうれしい返答となって返ってきたのだった。


「ああ、ローリングサンダーみたいな。それともリトル・トリーでしょうかね?」


「多分、その辺かパパラギかもしれませんけど、って読んだことあるんですか? というか本とか読まないひとだと勝手に思ってました。すみません」


「意外ですかね? これでも文学青年だったんですよ。司書になりたかったこともあったぐらいで」


「そんな……吹越満が七回ぐらい土の中から蘇ったような顔して……、っていうか言ってくれれば良かったのに」


「顔のことは余計です。良かったってなにが良かった、ですか?」


「うーん。なんというか、僕も本の話するの好きですし、いろいろ知りたいじゃないですか、やっぱり好ましいと思うひとなんで。ほら、本棚見ると人となりがわかるじゃないですか。そういう感じで山之内さんのことを知りたかったんですよ」


「だから、かくしごと、なんですよ、おおやさん。あたしはですね、あんまり自分のことを知ってほしくはないんですよ。つまらない。ひとのことはですね、すごく面白いのに、自分のことはつまらない。だから自分からは自分のことは話さないんですよ。誰もつまらない話なんて聞きたくないでしょうしね」


ひとの言葉をかつての自分のことだと思った。自分のことがつまらない。僕もずっとそう思っていたのだった。僕はそれを、ひとによって自分のことを語らせることによって自分のことを面白いと思えるようにもなったが、山之内さんはそれについてどう思うのだろうかと、それだけは訊いておきたいと思ったのだった。


そのことをあらかた話し終えると、山之内さんは微笑んだまま、ゆっくりと静かに頷いて僕に言った。「同じですよ」、と。


「同じなんですよ。あたしがね、みんなのどうでもいい話ばっかりみんなに話すのはね……」


「あ、自覚あったんですか。てっきり無意識にやってるのかと」


「ちゃちゃいれないでください。ここいいとこなんですから。ともかくね、噂好きのね、そういうひと、として見られていたいんですよ、少なくともさくら荘のみんなにはね。そのほうが元文学青年崩れの会計士より全然おもしろいですから」


「多分、おおやさんがね、二枚目になりたい三枚目に見られたいようにね、同じなんです」


そんなことまで見ぬかれていたとは、と驚いて言うと、そんなものはもうすでにみんなにバレてます、と答えられ、二度の驚きとともに落胆した。そして、そんな僕を慰めるためなのだったか、そのままのトーンで山之内さんはまるで弟に話すようにぽつりぽつりと自分のことを語ってくれたのだった。


「あたしはね、造り酒屋の五人兄弟の真ん中として生まれました。当時はまだ景気もよかったですから、お手伝いさんたちも含め、十人以上の大家族だったんです。それだけね、ひとが一緒に暮らしていますとね、毎日が戦争みたいなもんです。おかずの取り合いから始まって、誰かの寵愛を受けるためにも戦わなきゃならないですから。あたしみたいなもんは埋没しちゃうんですよ、あまりにも個性がなくて。それで本に逃げちゃったってわけです。こんなもんですかね? おおやさんが思っているあたしの面白いところってのは」


「山之内さんは」


「なんですか?」


「山之内さんは今、楽しいですか?」


「楽しいですよ、毎日。今日みたいなイベントがある日もそうでない日も」


「そうですね、さっき、大家族が戦争だって話しましたよね? 戦争なんですよ。太宰治も書いてましたが、例えば戦時中を生きたおおやさんのおばあちゃんには失礼なのかもしれませんが、戦争は熱狂なんですよ。平坦じゃない毎日が続いていく。それもあたしにとっては平和で日常なんですよ」


「じゃあ、あたしの野望も話しましょう。あたしはね、さくら荘が全部ひとつの部屋だったらどれだけいいかって思ってるんですよ。常にみんながみんなのことを気にしてる、そういう狭い空間だったらどんなにいいかって思ってるんです。それでね、さくら荘を全部買い取ってですね……」


「や、もういいです。っていうかそれは止めてください。今のままで充分大家族ですし、なにもかも筒抜けですよ、山之内さんには」


「じゃあせめて隣の壁をぶちぬくってのはどうでしょうかね?」


「隣、由佳ちゃんじゃないですか。犯罪なんで止めてください」


そう言って笑った。そう。僕も筒抜けの日常を望んでいる。そういうコミューンで一生暮らして行きたいと考えている。戦争の熱狂のような。まるで文化祭の全日が繰り返されていくような白昼夢を。それも山之内さんには筒抜けなんだろうかと考える。目の前の山之内さんは静かに笑うだけなのだった。

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