第12話 あくと11
教室の中はざわついていた。朝の教室の様子なんてこんなものだ。
仁は机に上体を突っ伏していた。住んでいるマンションから、この私立神ノ宮高校まで歩いて三十分くらいだ。
大都市圏から少し離れたところにあるこの高校に仁が進学したのは、もちろんあのド田舎から離れるためであった。
法子も寺の娘で、それなりの資産家の家だ。だから仁と同じマンションに住んでいる。法子までこっちに来る必要はないのに、と仁は言ったが、法子がどうしても仁と一緒の高校に進学したいと法圓に頼んだらしい。
さて、この学校に登校する途中もヒメと法子はキャンキャンワンワン口論を続けていた。あれでは犬の喧嘩だった。仁はなだめ役に徹して、なんとかかんとか登校してきたというわけだ。
「安藤、相当疲れてるな。昨日ちょっと遊んだくらいで疲れるってちょっと体力ないんじゃないか?」
前の席に座っている只野が椅子ごと後ろに向けて、そう聞いてきた。
「……まあ、いろいろあってね」
仁は一昨日から昨日、そして今朝に至る騒ぎを思い返した。あれだけのことがあればさすがに誰だって疲れるだろう。まあ只野はその騒ぎの一部しか知らないので、仕方あるまい。
「そうそう。清野さんと仲直りできたみたいだね。今日一緒に登校してたじゃん」
「まあね」
「ああ、そうか、あの後修羅場ったんだな。それで今朝疲れていると」
「……まあね」
確かに修羅場に次ぐ修羅場だった。訳の分からない美少女も出てきて大騒ぎだった。だが、それは只野には秘密にしておこうと思う。
「で、清野さんは職員室? 転入の手続きか?」
「うん」
「仁と一緒のマンションに住んでるんだよな? 本当にお前の一族って大金持ちなんだなあ」
感心したように只野は言った。仁は、まさかヒメが一緒の部屋に住んでいるとは言えない。そんなことを言えば大騒ぎ間違いなしだった。
「うん。僕と同じマンションに部屋を借りてるんだ」
「仁」
その声を聞いて、仁は体を起こした。法子の声だ。
「あ、綱島さん。今日は大丈夫なの? 昨日なんか病気だったみたいだけど」
「大丈夫よ。あたしがそんなにやわだと思う?」
「はは、そうだな。綱島さんなら、風邪くらい一日で治せそうだな」
確かに法子の回復力はすごいと仁は思う。あれほどまでにヒメに痛めつけられたのに、今朝から元気印だ。
「まあね。それより仁にちょっと話があるの、こっちに来て」
「ここじゃ話せないの?」
「こっちに来て」
仁は鷹揚に立ち上がると、法子について廊下に出て行く。そしてひと気のないところへやってくると、法子はこう切り出した。
「噂になってるわよ? きよひ……清野さんのこと。クラス中に」
担任の広野先生がわざわざ転入生が来ますよ、と紹介しなくても、仁は法子とだけでなく、別の美少女と登校しているのをクラスメイトに見られているので、それは当然のことだった。
「いいんじゃないのかな?」
「よくないわよ。もし一緒の部屋に住んでることが他の人にバレたらどうするのよ!」
「まあ、そうなんだけどね。同じマンションの別の部屋に住んでいるってことにすれば大丈夫なんじゃないかな」
「そう都合よくごまかせるかしら?」
「バレないことを祈るしかないよ」
仁が法子と話していると、担任の広野先生が廊下を歩いてやってくる。広野満知子ひろの まちこ先生。ショートカットで、小柄の可愛らしい女性だ。年齢は自称十七歳。十七歳と何日かとクラスメイトの男子が尋ねたことがあったが、ニッコリと十七歳ぴったりです、と言ってのけたものである。
後からヒメもついてきている。ヒメは、手を振って仁に呼びかけた。
「仁くん~。来ましたわよ!」
ヒメはお嬢様口調でそう言った。
「あら、安藤くん、綱島さん。もうすぐホームルームが始まりますよ? 清野さんのことが気になるのは分かりますけど、ここで待たなくてもいいんですよ」
そう言って広野先生はニッコリ微笑んだ。
「はい、分かりました。先生」
そう言って法子は教室の中へ入っていく。
「さ、清野さんは後から紹介しますんで、ここで待っていてくださいね。安藤くんも席についてください」
仁は広野先生にそう言われて、教室へ戻る。さて、ヒメがどんな自己紹介をするのだろうか。仁はとても不安だった。
「何の話してたんだ?」
席に着くと、只野が、不思議そうに尋ねた。
「まあ、ちょっとね。ほら、先生来たよ」
広野先生は、とことこと教壇にやってくると、手をパンパンと叩いた。
「はーい。皆さん。静かにしてくださいねー。普通ならホームルームを始めるところなんですけど、今日はホームルームの前に新しい友達を皆さんに紹介しまーす」
あの美少女が、クラスにやってくると知って、教室はざわめいた。
そして、入ってくる美少女にクラスメイトの視線が集中する。一瞬の沈黙。あまりにその少女が可愛らしかったからだろう。日本人形のような黒髪、ほっそりした体。それでいて出ているところはしっかりと出ている。
「簡単な自己紹介をお願いしますね」
広野先生に促されて、少女は頷き、白魚のような指でチョークを持って、自分の名前を黒板に書いた。
清野ヒメ。
その名はもちろん、仁や法子が今まで振り回されてきた蛇精、清姫がこの人間社会で名乗っている名前であった。
「今日から、このクラスにお世話になります。清野ヒメと言いますの。これからよろしくお願いしますね」
そう言って、ヒメは神秘的な微笑みを見せて、ぺこりとお辞儀をした。こうした話し方をすれば、本当に深窓の令嬢のように思える。只野が、後ろを向いて、仁に尋ねる。
「おい、あのしゃべり方って」
「さすがにあの痛い話し方じゃダメだって僕が釘を刺しといたんだ」
「なるほどな」
ヒメの自己紹介にクラス中が喧騒に包まれた。
クラスメイトA 男子「すげえ、本物のお嬢様だぜ」
クラスメイトB 女子「お人形様じゃん……」
「清野さんは、実は安藤くんの親戚で、今まで病弱で学校に通ってないそうで、やっと病気が治ってこの学校に転入してきたのですよ」
広野先生が事情を説明する。もちろん仁はこれが、ヒメによって作られた『設定』ということが分かっていた。
「何かわたくしに質問はございませんでしょうか?」
そのヒメの言葉に級友の西が手を挙げた。
「清野さん、って呼んでいいのかな。ちょっと聞きたいんだけど!」
「はい、なんでございますの?」
好奇に満ちた目を彼女に向けながら、西はヒメにこう尋ねた。
「清野さんって、その、安藤と同じマンションに住んでるんだよね?」
「同じマンションどころかおな……」
「わあああああああああ!」
仁の叫び声にクラスメイトの視線がヒメから彼に移った。もちろん仁はヒメの話を途切れさせるために叫んだのだ。
「どうかしたんですか? 安藤くん?」
不思議そうな顔で仁に尋ねる広野先生。
「あのさ、窓の外に美少女が飛んでたんだよ! 二次元美少女! 初音○クみたいな!」
教室にドッと笑いが起こった。
「おいおい、安藤、美少女なら教室の中にいるじゃんよ! 転入生!」
そう只野が笑いながら言う。
確かにこのクラスの中にヒメほどの美少女はいない。もちろん窓の外にもいない。
「あ、ジョークなんだ。その、ヒメが緊張するといけないと思って」
もちろん嘘だ。ヒメが余計なことを言いそうだったから仁はそうやってごまかした。
「わたくしは緊張などしていませんわ」
そう仏頂面でヒメが言った。
「あの、先生。ちょっといいですか? ヒメに話したいことがあるんです」
「どうかしたんですか?」
きょとんとした様子でそう尋ねる広野先生にかまわず、仁は席から立ち上がって、ヒメのいる教壇のほうへと歩いていった。そしてヒメの手を取り、教室から出ようとする。
「あの、安藤くん?」
「先生、色々事情があるんです。ちょっと時間をください」
「分かりました。お話は早く済ませてくださいね」
あっさりと納得する広野先生。ここが先生のいいところだ。廊下に出た仁はヒメに小声で言った。
「分かってて言ったでしょ」
ヒメがぺろりと舌を出した。てへぺろ、といった感じだ。
「なぜ、一緒に暮らしていることを言ってはいかぬのじゃ?」
悪びれずに言い切るヒメ。どうやら開き直っているらしい。仁は困った顔をして、ヒメに言った。
「あのね。年頃の男女が一つ屋根の下で住んでるってことがバレたら大変なことになるんだよ? ヒメ、それも分かってるでしょ?」
「まあのう。ちょっと仁をからかっただけじゃ。どうせ仁が止めると思っておった」
性質の悪い冗談だ、と仁は思う。
「いい? ここではお嬢様設定だよ? 学校ではおとなしくしてて」
「分かっておる。仁には迷惑をかけぬぞえ」
今までのことを忘れてきたかのような言い方に、仁は嘆息した。
「まあ、いいや。教室に戻ろう」
「うむ」
仁は教室に入り、自分の席に戻った。ヒメは再び教壇へと向かう。
「あ、お話は終わりましたか?」
「はい、終わりましたわ」
広野先生が確認の言葉をかけると、ヒメはそう答えた。
「先ほどの質問ですけど、もちろん仁くんと同じマンションに住んでいますわ」
「すげー。あのマンションに住めるってマジすげえ」
クラスメイトの一人がそう驚いた様子で言った。
「他に質問はありませんこと?」
ヒメがそう言うと、今度はクラスメイトの女子、平山さんが手を挙げた。
「あの、清野さんって、今まで学校に行かず暮らしてきたんですよね。その間どうやって暮らしてきたんですか?」
「ええ、家に閉じこもりっきりで、外の情報はインターネットで調べて手に入れてましたの」
「退屈じゃなかったですか?」
「退屈でしたわ。早く元気になって、外の世界を見てみたいと思っていましたの。そして仁くんと遊びたいと思っていましたわ」
「安藤くんのこと、その当時から知っていたんですか?」
平山さんがさらに突っ込んだところをヒメに尋ねた。
「ええ、小さい頃に一度きり……そのころから、そのころからわたくしは……」
そう言ってポッと顔を赤らめた。教室が騒々しくなる。クラスメイトの視線が仁に向けられる。
「じゃ、じゃあ。もしかして清野さんって、安藤のことが好きなわけかよ?」
クラスメイトの男子の一人、山瀬がそう言った。恥ずかしげにヒメはうつむく。顔を朱に染めながら。
仁は椅子から転げ落ちた。吉本新喜劇ばりの転げっぷりで。あれだけ、余計なことは言うなと釘を刺しておいたはずなのに、ごらんの有様である。
「安藤、大丈夫か?」
只野が苦笑いをしながら、仁に手を差し伸べた。
「……なんというか。大丈夫じゃないよ」
只野の手をつかんで立ち上がりながら、苦笑いで返す仁。
「ちょっとー。安藤! ずるいぞ! お前には綱島さんっていう嫁さんがいるだろうが!」
山瀬の一言に、またしても仁は椅子から転げ落ちる。只野が今度は黙って、手を差し伸べた。苦笑しながら。
確かに以前から仁と法子は夫婦みたいだとは言われていたが、ここで出されるとは仁は思っていなかった。
ヒメの表情が悲しみに曇った。
「そ、そんな。わたくしというものがありながら」
手を目元に当てて、泣く素振りをするヒメ。法子が慌てて立ち上がった。
「ちょっと、山瀬くん。あたしたちそういうんじゃないって前々から言ってるでしょ?」
眉をつりあげ、起こった様子で法子がそう言った。
「ホント、罪深き男だよな。女みたいな顔してるくせに」
山瀬がそう言うと、ヒメと法子が同時に言った。
「仁をバカにするでない!」「仁を悪く言わないで!」
その激しい剣幕にクラスが静まり返る。
「あ、あの? 清野さん?」
広野先生がヒメの口調に驚いた様子でそう言った。
「あ、ごめんなさい。ちょっと先ほどの言葉は聞き捨てなりませんでしたので」
ヒメが笑ってごまかす。法子はといえば怒りの視線を山瀬に向けていた。仁も正直よく言ってくれた、と思っている。『女みたいな顔』と言われるのは仁にとって嫌なことだった。
「ご、ごめん。俺が悪かった」
真っ青な顔をして謝る山瀬。
「山瀬くん、言っていいことと悪いことがありますよ? でも反省しているみたいだから許してあげたらどうですか? 清野さん、綱島さん」
広野先生が、そう言うとヒメも法子も平静な表情を取り戻す。
「……質問はもうよろしいかしら?」
ヒメがそう言うともう手は挙がらなかった。余計なことは言わないほうがいい、とクラスメイトの皆は思ったのだろう。
「さて、清野さんの座る席なんですけど」
そう広野先生が言うと、ヒメははっきりこう言った。
「わたくし、色々不安ですのでやはり仁くんの隣がいいですわ」
「そう、ですね。机と椅子を空き教室から持ってくる必要がありますね。安藤くん、清野さんが机と椅子を空き教室から持ってくるのを手伝ってもらえます?」
こうなるであろうことは仁も予期していた。ため息一つついて、仁は立ち上がった。仁の後に続いて、ヒメがついていく。
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