第10話 あくと9

 スマートフォンの目覚まし音によって、仁は目覚める。外はまだ薄暗い。スマホを手に取り、時間を確認すると五時半だった。いつも彼が目覚める時間と同じくらいだ。

 がちゃん。

 どがし。

 ぐわき。

 %&$ш@。

 なにやらおかしな音が聞こえてくる。台所からだ。仁は、ヒメがお弁当を作ってくれると言っていたことを思い出した。しかし、料理をしている音とは思えない音だ。何かの工事をしているかのような音。

 仁はヒメがいったいどのように料理をしているか気になって台所へ向かう。

 ヒメがキッチンでなにやら切っているようだ。

「ちょっと、ヒメ。なにやってるんだよ」

 ヒメが振り返ってこう言った。

「なにって、見れば分かるじゃろ。仁のおべんとー作りじゃ」

 と、ガスコンロにかけてある鍋から黒煙が上がった。焦げ臭い匂いが辺りに充満する。

「ちょ、ヒメ。鍋なべナベ!」

「分かっておる! 安心せい!」

 そうヒメに言われても仁はもちろん不安だった。幸いここの火災警報装置は熱感知で作動するタイプなので、この煙でも誤作動はしない。

「そのさ、お弁当作ってくれるのはありがたいんだけどさ。もうちょっとちゃんと作れないの?」

 ヒメがムッとしてこう言い返す。

「妾の料理の仕方が下手と申すか?」

 下手だ。と言いたかった。だが、仁はせっかくのヒメの思いを無にするようなことを言いたくなかった。昨日のこともあったからだ。

「分かったよ、ヒメ。任せるよ。火と怪我だけには気をつけてね」

 ヒメの表情がほころんだ。全く彼女の表情はコロコロと変わる、と仁は思う。

「うむ。それでは仁はゆっくり朝の準備をしてたもれ。妾の愛妻弁当を楽しみにしておるのじゃ!」

「期待して待っておくよ」

 本当のところ、仁は微塵も期待はしていない。ヒメはきっとひょうたんの中で料理の知識を得たのだろう。だが知識だけで料理は作れるものではない。仁も最初は四苦八苦したものだった。

 仁は、台所から出て洗面所に向かった。洗面所の鏡に映されたのは眠気がまだ抜けず、ぼんやりとした自分の顔だ。

 そういえば、自分の顔は安珍に似ているのだろうか。ヒメに聞いてみないと分からないが。どちらかと言えば仁の顔は中性的な顔立ちだ。小さい頃は女の子とよく間違えられたものだった。

 冷たい水で顔を洗い、気持ちを引き締める。それが終わればヘアセット。寝癖を直して、ちょっとウェーブをかけるようにする。

 部屋に戻った仁は、制服をクローゼットから出した。ベージュのブレザー。そういえば、ヒメはどうするのだろうか。きっと蛇術で制服を出すのだろう、と仁は推測する。

 がちゃん。

 ごぎん。

 ぐちゃん。

 ☆л£@ё。

 ヒメはまだ、料理を続けているようだ。着替えをすませた仁は大きなあくびを一つした。昨日の疲れがまだ残っている感じだ。ソファーに寝ていたので体の節々が痛かった。せっかくソファーに寝ていたのに、ヒメはまた夜這いをかけてきたので、それをあしらうためにさらに疲労が増したものだ。

 台所から音が聞こえなくなった。仁はそーっと台所へと向かっていく。ヒメがお弁当の入った袋と水筒を提げて、台所の入り口に立っていた。

「仁~。できたぞえ。お昼は楽しみにしてたもれ!」

「ねえ、ちょっと中身を見てもいい?」

 仁は不安な気持ちを隠すことができず、ヒメに尋ねた。あの様子だと、どんな料理ができているか怖い気がした。今ちゃんと確認しておかないと大変なことになる。お昼に阿鼻叫喚の地獄模様が繰り広げられる可能性があった。

 しかし。

「ダメじゃ! これは開けるまでのお楽しみ、じゃ」

 それを断固拒否するヒメ。どうやら実際の中身はお昼にならないと分からないようだ。

「分かったよ。楽しみにしとく」

 ヒメの顔がぱあっと明るくなった。本当に嬉しそうだ。仁としては皮肉をちょっと込めたつもりだったが、ヒメにはそれは伝わっていないようだった。

「さ、仁。朝餉を作ってたも!」

「弁当は作って朝ごはんは作ってくれなかったの?」

「妾はおべんとーを作るのに必死で、そこまで気が回らなかったのじゃ。朝餉は仁が作ってたもれ」

 仕方ないなあ、という風に、仁は台所に入ると、その中はとんでもなく酷い有様だった。焦げ臭い煙が、充満している上に、卵の中身とおぼしきものがそこらじゅうに散らばっている。シンクには使い終わった鍋やフライパンが無造作に放り込まれてあった。

「ねえ、ヒメ……ちゃんと片付けておくくらいしておこうよ? 朝ごはん作る前にまず片付けなきゃならないじゃないか。それと換気扇もなんでつけないんだよ……」

 そう言って、換気扇のスイッチの紐をひっぱる仁。そしてシンクに溜まった鍋やフライパンを洗い出す。

「朝餉、期待しておるぞえ」

 お弁当袋と水筒をテーブルの上に置き、何事もなかったかのように仁の部屋にヒメは向かっていく。

 台所を片付けた後、仁は今日の朝食をどうするか考える。仁の朝ごはんはいつもパンだ。それにベーコンを焼いたやつとか、ハムエッグなどをつけるのが定番だった。昨日はベーコンエッグトーストを作ったが、同じものを作っては芸がないと仁は思う。冷蔵庫を開けて中身を確認してみれば、とろけるチーズとチューブ容器に入れられたピザソースが目についた。仁はピザトーストを作ることに決めた。後は、コーンスープの素でスープを作ればいいだろう。

 ピザソースをパンに塗り、チーズを載せる。そしてそれをオーブントースターに入れた。

「ほっほっほっほ」

 ヒメの笑い声が部屋から聞こえてくる。いったいなにをしているのだろうか、と仁はいぶかしんだ。テレビでも見ているのだろうか?

 ついでにもう一品作ることにする。オレンジを剥いて、ヨーグルトに放り込む。そして冷蔵庫からブリッツパックに入ったオレンジジュースを二つ取り出した。

 チーンとオーブントースターがピザトーストの焼き上がりを知らせる。仁はそれを取り出して平皿に載せた。

 そして、ヒメを呼ぶことにする。

「おーい、ヒメ~」

「ほっほっほっ!」

 笑い声だけが返ってきた。来る気配がない。仁はヒメを直接呼びに、寝室へと向かった。

 そこにいたのは。

 なんとヒメは仁のノートパソコンを持ち出して、動画を見ていたのだった。

「ちょっと、ヒメ。なに勝手に僕のパソコン使ってるの」

 そう文句を言う仁にヒメはこう答えた。

「仁のものは妾のもの、妾のものは仁のものじゃ。そう文句を言わんでもよいではないか」

「文句を言うよ!」

 さすがに仁はこのヒメのセリフには呆れざるを得なかった。

「あのさぁ……」

「ほっほっほ、じゃから妾のものは仁のものと言うたじゃろ。妾の大事なものはそなたのものじゃ。それ、妾の処女も……」

「変な方向に話を持っていかないでよ。ヒメ、ご飯できたから、動画見るのはそのくらいにして、食べようよ」

 全くヒメは食えないやつだと仁は思う。話をそっちの方向に向かわせるとはさすがに想像ができなかった。

「分かったぞえ、ふむ、パソコンの落とし方は」

「壊さないでよ?」

「分かっておる、大丈夫じゃ。そのくらいの知識はあるぞえ」

 ヒメがちゃんとパソコンを落とすのを確認した仁。ヒメは立ち上がって、仁の制服の袖を引っ張った。

「ささ、朝餉を食べに行こうぞ!」

「うん」

 仁の後をヒメは跳ねるようについてくる。

「ふむ、いい匂いじゃ」

 ヒメは、テーブルに置かれた平皿に載せられたピザトーストと、ガラスの器に入ったフルーツヨーグルトを見て目を輝かせた。

 仁は、カップにコーンスープの素を入れると、ポットからお湯を注いだ。これで今日の朝食は完成だ。

「さ、食べようよ」

「うむ。これがぴざとーすとというものかの? 西洋派のやつらもこういったものを食べたことがあるのかの?」

 ヒメがわけの分からないことを言うので、仁はピザトーストを齧りながら彼女に尋ねる。

「西洋派?」

「ああ、仁は知らずともよい」

「気になるよ」

「……虹のやつがそなたを殺そうとした理由がの、それと関係あるのじゃ」

 真剣な表情をするヒメの様子を見て、仁はしっかり彼女の話を聞こうと耳を澄ます。

「蛇界、という世界がある。妾のような蛇精たちが普段暮らしておる世界じゃ。その蛇界はこの人間の住む世界のように色んな地域に分かれておって、それぞれに蛇精は派閥を作って暮らしておるのじゃ」

「で、それが虹が来た理由と関係あるの?」

「おおありじゃ。妾は実はの、自分自身の蛇力のみで復活したわけではない。派閥の一つ、東洋派の幹部、女媧娘娘が力を貸してくれておったのじゃ」

「じょかにゃんにゃん?」

「数万年以上生きておる女の蛇精じゃ。すさまじい力を持っておる。彼女が復活のための力を貸していたのはの、妾に他の派閥と争うときの手駒になってほしかったがため。じゃがそれは妾が意ではない」

 ヒメは、カップスープを1啜りした。そして話を続ける。

「妾は、安珍の生まれ変わりに会うために復活したのじゃ。そして今安珍の生まれ変わりとしてではなく、仁、そなた自身を愛しておる」

 そう言われて仁は赤面した。ヒメは自分を安藤仁として愛してくれているのだ。そのことがはっきり分かってなにやら照れくさかった。

「で、虹が僕を殺そうとしたのはなぜなの?」

「妾の執着の対象を消そうとしたというところかの。まったく、浅はかなことじゃ。もし仁、そなたがいなくなれば妾は死んだと同じこと。再び封印されても本望じゃ。もう復活も夢見ぬ。仁、妾はそなた自身が好きじゃ。安珍ではなくそなたが好きじゃ。だからもし復活して別の安珍の生まれ変わりと再会してもその者を愛せぬかもしれぬ」

 何度も好きと言われて仁の顔は真っ赤になった。ここまで何度も言われるとさすがに恥ずかしい。

「なんども恥ずかしいこと言わないでよ」

「ほほ、赤くなった。やはり仁は妾に惹かれはじめておるのかの?」

「知らないよ! それより早く朝ごはん食べようよ」

 仁はそう言ってピザトーストを齧った。ヒメの話は仁にはまだよくはっきり理解できない。ただ、もしあの虹とかいう蛇精が襲ってきたときは、またヒメが守ってくれるだろう。彼はもうすっかりヒメと暮らしていく覚悟を決めていた。

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