第6話 あくと5
昼飯時にはまだ早いが、このハンバーガー・チェーン、モグモグバーガーはやはり人で混みあっていた。
ヒメはカウンターの上にあるメニューを眺めながら、感嘆したように言った。
「おお、あのはんばあがあには目玉焼きが挟んでおるぞえ。卵は妾の好物じゃ」
こうして子供のようにはしゃいでいるヒメを見ると、まるで彼女が蛇精じゃないと錯覚してしまう。だが、ヒメがメニューを注文するときに、やはり彼女が妖怪であることを再認識してしまうことになる。
「目玉焼きばあがあ、三十個を所望するぞえ。ここで食べるぞ?」
その言葉に周りの客の視線が彼女に一点集中した。当たり前だ。こんな可愛らしい少女が、ハンバーガー三十個を食べるとはとても考えられないからだ。仁が、只野のほうを見れば、やはり目を点にしていた。
「あはは、やっぱり変わった娘だね」
「む、何かおかしかったかの?」
只野の言葉を聞いて、ヒメは仁のほうを向いて小声で尋ねた。
「まあ、いいんじゃないかな」
彼女の好きにさせてあげよう。そうしよう。仁は自分自身に言い聞かせた。クルーはちょっと驚いた様子だったが、すぐに普段の笑顔に戻る。
「承知いたしました。目玉焼きバーガーを単品で三十個。店内でお召し上がりですね。そちらのお客様は何になされますか?」
仁はちょっと考えてから答える。
「あ、僕はモグモグバーガーセットで。ドリンクはコーラでお願いします。只野は何にするの?」
「じゃ、俺はチキンバーガーセットでドリンクはオレンジジュース」
「注文を繰り返しますね。目玉焼きバーガー単品で三十個、モグモグバーガーセットでドリンクはコーラで。チキンバーガーセット、ドリンクはオレンジジュースで、合わせて一万二百九十五円になります」
只野の額から汗がだらだら流れている。もちろん値段を聞いてびっくりしているのだ。
「ああ、ヒメの分は僕が払うよ。只野は自分の注文したやつだけ払えばいいから」
仁はいくらお金持ちとはいえ、ハンバーガーにこれだけのお金を払うのがバカらしいと思う。これだけのお金があれば焼肉でも、寿司でも、もっといいものを食べられるだろう。それでも少しでもヒメの機嫌をとっておきたかった仁は、彼女のお金を支払うことにした。
「目玉焼きバーガーのほう、作るのに少々お時間がかかりますので、お席でお待ちください」
さすがに三十個となれば、少々どころではない時間がかかるだろう。
「む、今すぐは無理なのかえ?」
「清野さん、店員さんの言うとおり席で待とうよ」
「只野の言うとおりだと思うよ。ちょっとくらい待ってもいいんじゃない?」
「仕方ないの。少し待つとするか」
仁は不満げなヒメをなんとか納得させ、席へ座ってコーラを飲む。そしてモグモグバーガーをひとかじりした。
「ねえ、こういうときさ、綱島さんも一緒に来るはずだよね。なんで今日は来てないの?」
只野はチキンバーガーをかじりながら、そう言った。仁にとっては一番されたくない質問だ。
「うん、まあ、あの」
言葉を濁す仁。只野は本当に痛いところを突いてきた。ヒメと戦って、手傷を負って仁のベッドで寝ている法子。そんな彼女をほうっぽって、街に遊びに来ているのだ。
「仁は、あんな小娘と遊ぶより、妾と遊ぶのが楽しいのじゃ。のう?」
ヒメは法子について触れられてちょっと機嫌が悪くなった様子でそう言った。
「本当に、綱島さん大丈夫なの?」
心配げな様子の只野に仁は返答の言葉がなかなか思いつかない。
「実は、法子、病気でね。一緒に来られなかったんだ。はは」
なんとか言い訳をひねり出して答える。
「ふうん。でもさ、いつもだったら病気の綱島さんをほうっておける安藤じゃないよね」
またも痛いところを突いてくる只野。
「ほうっておいて、いいのじゃ。の、仁」
ヒメのその言葉に仁はちょっとイラッとしてしまった。
「ヒメが、どうしてもさ、街に出たいって言うから」
仁がそう言い訳をしていると、モグモグバーガーのクルーが大量の目玉焼きバーガーを運んできた。まずは十個だ。
「おお、これは美味そうじゃの」
早速、袋を開いてハンバーガーにかぶりつくヒメ。
「美味美味」
美味しそうにハンバーガーを食べるヒメに、仁はこう言った。
「食べ終わったら、家帰ろうか」
その途端にヒメの表情が曇る。
「なれひゃ?」
口をモグモグさせながら、ヒメは言う。
「だって、法子が心配だし」
「そんなほほ、ほうっへほへはいいひゃろ?」
とりつくしまもないとかこのことだ。けれども、仁はやはり法子に申し訳ない気がして、せっかくのハンバーガーも美味しいとは思えなかったのだった。
「あ、そっか。清野さん、もしかして安藤のことが好きなんじゃないか?」
「ぐっ!」
只野の言葉に思わずハンバーガーを喉に詰めてしまいそうになる。勘のいいやつだと、仁は思った。
目玉焼きバーガー十個目をごくんと嚥下したヒメがあっさりと答える。
「そのとおりじゃ」
「ああ、だからか。病気の綱島さんを置いてきたのは」
「…………」
仁は暫く黙っていた。只野は大体のことを察したのだろう。細かい事情は違うが、自分のことを愛してやまないヒメに無理やり連れてこられたのは確かだ。ただそれに従っている自分も情けないが。だから、仁はやはりここで油を売り続けていられない、と思った。
「ヒメ」
「なんじゃ? 仁」
「食べ終わったら、帰ろう?」
「なぜじゃっ! もっと遊ぶぞえ!」
ふくれっつらしながら、怒気を含んだ声でヒメが言う。
「ここは、安藤の言うとおりにしようぜ」
「おぬしには関係ない!」
只野の仁へのアシストに対してさらに怒りを燃え上がらせて、ヒメは仁に怒鳴りつけた。周りの人がその声に驚いて、仁たちの様子を窺っている。
「ヒメには悪いけど、ここまで遊んでやったでしょ? お願いだから、帰ろうよ」
憂いと怒りに満ちた表情のヒメを必死に説得する。この場所で殺されるのだろうか、とも思う。だが、法子をほうっておくわけにはいかなかった。
「嫌じゃ! そんなに妾のことが嫌いかえ?」
「じゃ、僕一人で先に帰るよ?」
「勝手にするがよいわ! 妾はこの男と仲良くなるぞえ? それでもよいのかの?」
仁はそれを嘘だと分かっていた。ヒメが他の男に惹かれることはない。自分の気を引くためにそう言っているだけなのだ。
「只野、任せたよ」
仁はそう言ってトレイを持って、席を立ち上がった。これはちょっとしたヒメへの嫌がらせであり、彼女を困らせようとした行為だった。そして、ゴミを捨てて、店から出ようとする。
「ちょっと待てよ、安藤」
困った様子で只野は仁に声をかけてくる。仁は、ごめんと両手を合わせるジェスチャーをした。只野なら許してくれるだろうという考えがあった。
「仕方ないな。清野さんは俺がなんとか帰るように説得するよ。全く痴話喧嘩はどうしようもないぜ。綱島さんによろしくな!」
困った様子だが、どうやら只野は仁の気持ちを分かってくれたようだ。痴話喧嘩といっても、ヒメが勝手に嫉妬しているだけだが。
「むううううう! 妾が只野とやらと仲良くなってもかまわぬというのじゃな!」
仁はヒメのほうを振り返った。悲しそうな表情だ。後を追ってくるだろうか? だが、その素振りは見せなかった。苦笑いしている只野を無視して、目玉焼きバーガーをひたすら食べ続けていた。
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