第4話 あくと3
どうやら、時間稼ぎは成功したようだった。
法子が助けに来てくれたのだ。
いつも困ったときには助けてくれた彼女。よくいじめられていた仁をかばってくれた彼女。モニターに彼女の顔が映っている。栗色のショートヘアに、たくわんのような太い眉毛が特徴的だ。細目のヒメとは違ってぱっちりとした目。くりくりっとした瞳。普段の彼女とは違って厳しい眼光を放っていた。
『仁、開けて! いますぐ開けて!』
その声を聞いて仁はすぐロックを解除した。ヒメがすぐそばに来ているのも構わずに。ドアが開くやいなや、法子はヒメに向かって錫丈を突きつけた。
法子の服装はといえば、修験者が着る白い服。仁はかつて、彼女が修行時に見につけていたのを見たことがあった。背の高さはヒメより少し高いくらい。
法子の表情が険しさで満ちているのが仁にはよく分かった。彼女の静かな怒りと敵意が仁の隣のゴスロリ服を着たヒメに向けられている。
「間に合った!」
法子のその言葉に、仁は彼女の名前を呼んだ。
「法子!」
ヒメはといえば、法子に対して瞳を赤くらんらんと輝かせて、冷たく言葉を放つ。
「意外に早かったのう」
「あんな、仕掛けをして。卑劣ね。姑息な手段よ」
「姑息、まあ確かに一時しのぎではあったのう。お前が来るまでに仁と家を出ている予定であったが」
そして、仁のほうをちらりと見やる。
「仁、そなたも姑息な手を使ったの?」
黙りこくったままの仁。こうなれば法子の法力に賭けるしかない。時間稼ぎをしたのは確かなのだから。
「あんたの方が姑息よ。封印を解けていないように見せかける仕掛けを施してあったなんて。お祖父ちゃんが慌てて電話をかけてきてやっと気がついたんだから!」
怒気を隠さず、法子はヒメに言う。
「ふん、まあよいわ。どちらにしろお前と戦う予定じゃったからな。早いか遅いかだけじゃ。今ここで決着をつけるとするかの」
「ちょっと、僕の部屋をめちゃくちゃにする気? ここで戦うの?」
かつて、法圓が妖怪と戦ったときのことを思い返した仁。あんなバトルをこの部屋でやられてはたまらなかった。
「仁が困ってるでしょ! 表に出なさいよ、ヘビ女!」
法子はヒメを挑発して戦いやすいところにおびき寄せようとしてるらしい。多分、少し離れたところにある公園だろう。そんなところで朝っぱらから妖怪と戦えば目立ちすぎるが、仕方のないことだ、と仁は思った。
「その手には乗らぬ。ここで戦う方法があるのじゃ」
そう言うとヒメの瞳が妖しく金色に光った。すると、彼女の体から黒い煙がもくもくと湧きあがっていく。仁は思わず目をつぶった。
目を開けると、そこは薄暗い空間だった。玄関は狭かったはずなのにいまいる場所はやたら広い。さっきまで玄関に立っていた法子はといえば、少し離れたところに立っている。なにやら仁はうすら寒さを覚えていた。これは彼の怯えからくるものではなく、実際にこのヒメが作り出したであろう空間に冷たい空気が流れているのだ。上を見ると、なにやら煙のようなものが漂っている。仁は足元がおぼつかない感じがした。下を見下ろすと真っ暗で今にも吸い込まれそうな闇のみがあった。なぜ立っていられるのだろう、と思えるくらいの果てしない闇が下に広がっている。
「やってくれるわね。何かの結界? あたしの力が抑えられてる」
法子が厳しい顔でヒメを睨みつけている。仁は法子のもとへ駆け寄りたかった。だが体が動かない。これもこの空間の影響なのだろう。
「ほっほっほ。これは蛇じゃ空間くうかんと言っての、我ら蛇精が戦うときに作り出す空間じゃ。この中では妾の力は増し、敵対するものの力は抑えられる。それゆえ、蛇精は戦うときには必ずこの空間を作り出すのじゃ。それにこうすれば仁の家を荒さずに済むゆえの。一石二鳥というわけじゃ」
ヒメが言っていることが確かだとすれば、法子はかなり不利な立場に立たされているといえた。この空間の中ではヒメの力は十分すぎるほど発揮できるだろう。ヒメが戦うときに使う妖術――蛇術はいったい如何なるものなのか、仁は知らない。法子が優れた法術を使えることは、仁も知っている。だが、彼女の祖父の法圓ほどではない。まだ修行中の身だ。果たしてこの蛇空間とやらの中で、法子はヒメを倒せるのだろうか?
「あたしを舐めないでほしいわ。これでもお祖父ちゃんから免許皆伝って言われてるんだから!」
法子はそう言って、錫丈を大きく振る。真言を唱える。
「おん あびらうんけん ばざら だどばん!」
法子が真言を唱えたと同時に、激しい光が錫丈から放たれ、あたり一面を照らし出す。仁は、ヒメが作り出した蛇空間の澱んだ空気が少しだけ浄化されたように思えた。
ヒメは意外だといったふうに目をぱちくりさせた。だがすぐに冷たい表情に戻る。
「ふむ、やるのう。大日如来の真言か! じゃがまだその程度では妾の蛇空間の力を抑えるに足りぬわ!」
法子が舌打ちをしたのを仁は確認した。ヒメの力はよほど強いらしい。
「あたしは、負けないんだから! オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ!」
法子の周りに風が巻き起こる。法術で作られた風だ。その風はほのかに緑がかった光を放つ刃に姿を変えていく。きゅるきゅると音を立て、風の刃はまるでブーメランのように法子の頭上で回転する。彼女が錫丈を回しだすと、その風のブーメランはそれに合わせて大きく動く。回れば回るほど大きくなっていくそれは、もちろんヒメに向かって放たれるのだろう。
その対象となっているヒメは仁から少し離れた。こちらを巻き込まないための配慮だろうか?
「仁よ、見ておれ。あの小娘がどれほどおぬしの頼りにするに足らぬ存在かを」
ヒメは冷たく言い放つ。法子がその言葉を聞いて、こう返す。
「これを食らってから言ってちょうだい!」
そして、ぶん! と錫丈を大きく一振りした。風のブーメランはヒメ目掛けて飛んでいく。蛇空間を切り裂いて、それは進んでいく。ヒメを切り刻まんと、大きく回転しながら。
そこで、ヒメの目が赤く光った。
炎が、吹き上がった。
ヒメの上に五メートル程の炎が吹き上がっていたのだ。仁にはそれが蛇のようだと思われた。炎の蛇だ。その蛇は、鎌首をもたげて法子を呑まんとしていた。
大きく炎の蛇が首を一振りすれば、法子の作った風のブーメランはあっけなく弾き飛ばされた。その様子を見て、法子の顔が青くなる。仁も顔が蒼白になっていた。
「さて、今度はこちらからじゃ」
ヒメが冷たい微笑みを見せて言った。かつて安珍を焼き殺したのがこの炎の蛇術なのだろうか。
このままでは法子が危なかった。仁は自分の無力を呪った。止めることはできないのだろうか。なんとか体を動かしたかった。ちらりとヒメが仁を一瞥する。彼女はきっと法子を焼き殺そうと思っているはずだ。仁は、声を上げようと全身に力を込めた。
――自分は安珍とは違う。確かにヘタレかもしれない。でも何とかヒメを止めたい。
「やっ……やめ」
絞り出すように仁は声を上げた。だが、仁は恐ろしいものを見てしまった。炎の蛇は、あっというまに法子を呑み込まんと進んでいく。
「オン・アミリティ・ウン・バッタ!」
法子が真言を唱えると、青い光が彼女を覆った。それはまるでヴェールのようだった。炎の蛇が法子を呑み込んでいく。怒涛のごとく呑み込んでいく。仁は思わず両の手のひらで目を覆った。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ひたすら仁は叫び続ける。小さいときから一緒だった法子が、ヒメの蛇術によって殺されてしまった。その事実に、仁は気の触れたように叫んだ。涙が溢れて止まらない。
気がつくと、仁は自分のマンションの玄関に突っ立っていた。ヒメの作った異空間――蛇空間はどうやら無くなっているらしい。玄関の入り口のところで法子がうずくまっていた。彼女は骨のかけら残さずヒメの炎によって焼かれたと思っていたが、そうではないらしい。そして法子が呻いた。
「法子!」
仁は弱りきった法子に声をかけた。
「ふん、ちと甘かったかの?」
苦痛に歪む法子の様子を見ながら、サディスティックな表情を浮かべてヒメはそう言った。
「最後の軍荼利明王の真言を唱えていなければ死んでおったの?」
「て、手加減……した……わね……」
あれで手加減していたのか、と仁は驚いた。もしヒメが本気を出せばどうなるのだろう?
「貴様の力では妾には勝てぬわ。なぜ殺さなかったか教えてやろうかの?」
「言わないで!」
法子の目から涙が零れ落ちていた。
「仁が悲しむからじゃ。妾としては骨のかけら一つ残さず貴様を焼いてしまいたかったがの、それをすれば仁は妾をけして許さないじゃろう」
ヒメもちょっとはいいところがあるんだな、と仁は思ったが、次のヒメのセリフにその考えが甘いことを思い知らされた。
「ただ、もう一度はないぞえ? これはお前に対する同情ではない。警告じゃ。二度と妾と仁の愛の道を邪魔するでない。もう一度同じようなことをすれば……」
「くっ……仁……」
唇を悔しそうに噛みながら目を閉じて法子はがくりと倒れ伏した。どうやら意識を失ったらしい。
「法子っ!」
仁はすぐさま法子のところへと駆け寄った。そして彼女を抱きかかえる。ヒメの表情が曇る。
「何をしておるのじゃ、仁」
「部屋に運ぶんだよ。休ませなきゃ」
「そなたのベッドに寝かせるのか?」
語気荒く仁に尋ねるヒメ。
「うん」
「妾とそなたの愛の巣にか?」
憂いを含んだ瞳で見つめられても、これだけは譲れなかった。
「仁っ」
彼女の声を無視して、法子を背負って部屋に運ぶ仁。重いがそこは辛抱だ。ヒメの心中は察することができるが、構っていられなかった。
ベッドに法子を寝かせ、布団をかけてやる。ヒメは部屋の隅に座り込んでふてくされた様子だった。
「もう、僕は決心したよ」
「なんじゃ、仁」
「僕は、キミといっしょに暮らす」
ヒメの仏頂面が、一気に喜色で溢れる。分かりやすかった。
「おお、分かってくれたか!」
「だけど約束してほしい。法子にはもう手を出さないで。お願いだから」
ヒメは暫く黙りこくったままだ。
「……いいじゃろう。ただ再び小娘が妾に牙を剥かなければ、じゃがな」
「ありがとう」
仁が感謝の気持ちを言葉にした直後、ヒメは立ち上がり、法子のベッドの傍に座っている仁の手を引っ張った。
「のう。当初の予定通り外に遊びにいかぬか?」
首を横に振る仁。法子を置いて遊びにいく気にはなれなかった。
「……安心せい。その小娘は案外丈夫と見ておる。夕方にはピンピンしているであろうよ。さあ、妾はこの時代の外の世界が見たいのじゃ。案内あないせい」
仁の手はさらに強い力でヒメに引っ張られた。
「仁はその小娘が好きなのかや?」
ヒメの唐突な言葉に仁は動揺した。どうやらヒメにとっては大事なことらしい。
「法子は、大事な幼馴染だよ」
「恋愛対象でのうて?」
仁はヒメの言葉に対して頷いた。仁にとって法子は本当に身近な存在で、それこそ物心ついたときから一緒に遊んでいた仲だった。彼女の裸も見たことはある。法子も仁の裸を見たことがある。だけど、恋愛対象、と言われればそれは違うと仁は思う。
「うん。少なくとも僕は、恋愛感情を抱いてない」
「ふむう」
少し黙考したヒメは、ニッコリと笑った。
「そなたがそうなら、それでよい。ささ、出かけようぞ!」
仁は法子のことが心配だった。だがヒメを怒らせては元も子もない。仁は嬉しそうに玄関へ歩いていくヒメの後をついていく。彼女の和風ゴスロリ服はあれだけの戦いをしていながら、少しも汚れてはいなかった。
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