第98話「追憶:昇太の過去Ⅱ」

「僕は誰のことも好きになれない。好きになっちゃいけないんです」

 室長として部下のことを案じる沙菜に打ち明けられた昇太の本音。それは沙菜も予想していないものだった。

「私のことが嫌いな人ならいくらでもいますがね。『誰も』とはまた異なことを言いますね」

「室長の趣味もかなり変わっていると思いますが、僕にも特殊な性質があるんですよ。僕は今まで誰かを好きになると、その人を傷つけたいという衝動に駆られました。喜んでいる姿より、悲しんでいる姿を見たいと」

 彼が語った性質については見当がついた。いわゆるサディズムだ。

 沙菜自身は逆にマゾヒストを自認している。殺された者たちには、『どこがだ』と言われそうだが、相手が美男子の場合に限っては、罵声を浴びせられる、あるいは暴行を加えられるといったことで快感を得られる。

 自分が傷つく方はそれほど問題ないかもしれないが、相手を傷つけたいとなると人間関係において問題が生じるだろう。

「――ですが、そんなことは許されません。僕は社会不適合者なんですよ。だから人間ではない、コンピュータに向かうことだけが唯一の生きがいなんです」

 そうして話す昇太からは、暗く陰鬱な霊気が感じられた。

 霊力を生み出しているのは、その人物が持つ精神。そのため、霊気から感じ取れるイメージは、そのまま持ち主の精神状態でもある。

「なるほど、そういうことですか。――よし、薬で治しましょう」

「……? 僕の性質が薬で治るようなものとは思えませんが」

「そっちじゃありませんよ。今のあなたは心が満たされず、ずいぶんと気分が沈んでいるようですからね。鬱に効く薬なら普通に存在してますよ」

 精神疾患というと、性格の問題だとか、薬で治るものではないといったイメージを持たれがちだが、実際には薬で脳内の物質に影響を与えることである程度改善を見込めるものだ。

 サディスト的な性質までなくすことはできなくとも、気持ちを抑えたまま生きることによって感じる苦痛をやわらげることができれば、昇太を救うことはできるだろう。

「第二研究室と協力して全く新しいものを開発しましょう。昇太さんが使うのに最適な薬を用意してやりますよ」

 第二研究室は、霊子学研究所の中で特に医療分野を中心に研究している。

 第四研究室も、戦闘に活用するものとして霊薬の類は研究しているため、二つの研究室が連携すれば鬼に金棒だ。

「室長……。やはり僕も含め皆、あなたを誤解していたようです」

 人を人と思わず残虐な行為に及び、常におどけた態度で誰とも真剣に向き合わない。それが、周囲の沙菜に対する印象だった。

 しかし、この時少なくとも昇太は考えを改めた。如月沙菜という人間は、単なる悪人でもなければ道化でもない。

「まあ、大船に乗った気で私についてくればいいんですよ」



 第二・第四の合同で開発した抗鬱霊薬を服用し始めた昇太は少しずつ回復していった。

 相変わらず人前では好人物として振る舞っているが、その裏で苦しみを感じることは少なくなった。

 それだけでなく、だんだん普段の生活の中でも本性であるSっ気をのぞかせるようにもなり、同僚を戦慄させた。といっても、周りから嫌われるようなことはなく、むしろ畏敬の念を持たれるようになったぐらいだ。

 希望を取り戻した昇太は、自らの性質と折り合いをつけながら第四研究室の一員として過ごしていく。


「どうですか調子は。私の作った薬は効くでしょう?」

 就業時間を終えた研究室で、沙菜が昇太に声をかける。

「そうですね。前より気分が明るくなりましたし、感情を無理に抑えなくてもいいと思えるようになりました。これも室長に盗撮癖があったおかげですね」

 薬の作用だけでなく、研究室内に既に本性を知っている沙菜がいたことも大きいかもしれない。

 昇太以外の研究員からも徐々に信頼されるようになっていき、沙菜は名実共に第四研究室の室長となっていた。

「いい傾向です。なんなら私を踏んでくれてもいいんですよ?」

「僕が傷つけたいのは好きな人です。室長を傷つけても仕方ありません」

「言うやないかい」

 ニヤリと笑う沙菜の表情は、一見すると敵に対して見せるものと変わらないようにも思えるが、第四研究室の研究員ならばこれが仲間と喜びを分かち合うものであると分かっていた。



 昇太が元気を取り戻してからほどなく、惟月から『霊神騎士団において諜報活動をせよ』との指令が下った。

 おそらく惟月は、昇太のコンディションを把握していたのだろう。あるいは、沙菜であれば彼の助けになるということまで予想していたのか。

 入団試験当日の朝、試験勉強などするまでもない昇太はいつも通り研究室にいた。

「昇太さんをスパイとして送り込むとは、惟月様も粋なことをしてくれますね」

「一体どういう人選なんでしょうね?」

 騎士団員の不幸を喜ぶように声をかけてきた沙菜に、昇太も微笑を浮かべながら答えた。

「人の目をあざむくのは嫌いじゃないでしょう?」

 沙菜は、人の『目』をあざむくと表現した。これは惟月がウソを嫌うためだ。あくまで行動で敵たちに思い違いをさせて任務を果たすのである。

 ウソを嫌うというのは沙菜も同様で、彼女の場合、真実の情報を選択的に与えることによって相手を混乱させる戦法を好んでいた。

「否定はしません。――それでは行ってきます」

 そうして受けた入団試験で、昇太はトップの成績を収めた。実際にはトップというよりは満点といった方が良い。単純な点数では表せない科目が存在しただけで、これから騎士になろうとする新人とは別次元の実力を備えていたのだから。



 昇太の騎士団入団から一年ほど経過した頃。研究室にて。

「室長! 聞いてください!」

 満面の笑みを浮かべた昇太が沙菜に話しかける。

「何やらテンションが高いですね。どうしました?」

 昇太の鬱は霊薬の効果で改善していたが、ここまで上機嫌なのは珍しい。

「実は騎士団に素敵な先輩がいるんです!」

「ほう」

 沙菜としても、昇太が素敵だと言う人物には少し興味が湧いた。詳しい話を聞いてみることにする。

「東雲若菜さんっていうんですけど、僕よりはるかに弱いのに張り切って指導役をしてるのが滑稽で」

 『滑稽』と表現しているわりには本気でうれしそうだ。

 昇太の霊格は『準霊極』。霊力を極め事象を司る存在となった『霊極』に次ぐ実力者がこう呼ばれる。準霊極以上の羅刹は騎士団にも数えるほどしかいない。つまり昇太は、下手な隊長より実力が上だった。

「まあ、あなたのように実力を隠した隊員がいればそういうこともありましょうね。それで、その先輩がどうしました?」

「昨日、彼女から告白されたんです! それで付き合うことになったんですけど、返事をした後も何度も『ホントに良かったの?』って聞いてきて、それだけ自信がないんだなあと思うとかわいくてしょうがないんです」

 無邪気な表情で残酷なことを言う昇太。

 昇太ほどの美少年相手なら、本当に自分で良かったのかと不安にもなろう。

「なるほど、恋人ができた訳ですか。そりゃテンションも上がりますね」

「そういうことなので、これからは僕のこと名前で呼ぶのやめてくださいね」

「苗字で呼べと? 鳳さんってのも、なんかくどいですね。先輩の方は東雲とかいいましたか? そっちはシノやんでいいか。よし、トリやんでいきましょう」

 若菜に勝手にあだ名をつけた沙菜は、昇太にも似たようなあだ名をつける。

「先輩の方はともかく、僕のあだ名は響きが微妙じゃないですか?」

「無理やり作ったんだからしょうがないでしょ。私だってあんまり気に入ってませんよ。それより、まさかこれを機に本当に騎士団に魂を売るとは言いませんよね?」

 沙菜としても昇太のことは信用しているため、単なる確認だが、一応聞いておく。

「それはそうでしょう。むしろ裏切る時が楽しみでたまりません」

「道理ですね」

 昇太は、若菜を強く愛しているが故に、その心身をこれ以上ないほど痛めつける瞬間を心待ちにしていた。

 騎士団側にそのことを知る者はいるはずもない――。

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