第96話「若菜の苦悩」

 現在。病室にて。

 ベッドに横たわりながら若菜が思い出す昇太との思い出は、ある地点まで来ると絶望に変わる。

 王家とも近い血縁であった蓮乗院惟月の反逆。月詠雷斗の圧倒的な力を前になすすべもなく倒れる隊員たち。そして――。

『初めて会った時に言いませんでしたか? 僕は第四研究室の研究員だと。僕の上司はあの如月沙菜ですよ』

 ――自分を背後から貫いた昇太。

 如月沙菜が敵であるということは、比較的早い段階で分かっていた。しかし、昇太はおそらく反逆の意思など知らされずに研究室に所属しているのだろうと思っていた。だからこそ、他の騎士団員から疑いの目を向けられた時にかばったのだ。

 それが、羅仙界に人間が侵入するずっと前、彼が入団した時点から既に騎士団の敵だったなどとは。

(さすがに都合が良すぎたよね……、昇太君があたしなんかと付き合ってくれるなんて)

 それも騎士団内での活動を有利に運ぶためだと考えたら納得だった。そもそも騎士団で信頼を得ておかなければならない彼としては、上官である自分を拒否できなかったのかもしれない。

(昇太君は、嫌々あたしと付き合ってたんだよね……。なのに一人で舞い上がって、あたし相当ウザかっただろうな……)

 恋人であることの確認などといって何度もキスをした。諜報員としての仕事とはいえ、好きでもない女とキスをするというのはどんな気分だったのだろう。

 激しい自己嫌悪に陥っていると、病室のドアがノックされる音が聞こえた。

蘇芳すおうだが、今いいかな?」

 第一霊隊第三位、つまり若菜の一つ上の階級の騎士である蘇芳伊織いおりの声だ。

「は……はい……。大丈夫……です」

 伊織が入室すると、若菜はベッドから身を起こす。

 伊織は、折りたたみ式のパイプ椅子をベッドの正面に置くとそこに座った。

「調子はどうだい?」

「えっと……」

 以前の若菜とは比べ物にならないはっきりしない受け答えだ。

 以前なら『絶好調ですよ!』と答えていただろう。特に、昇太と付き合い始めて以降などは。

 だが今は、何と答えていいのか分からない。

 傷の具合というのであれば、既に完治している。回復しているのだから、早く退院して騎士団の任務に戻るのが筋だ。

「つらいなら無理はしなくていい。騎士団員にも傷病手当金が支給されるようになったから、入院費の心配もない」

 『支給されるようになった』というのは、惟月たちが行った法改正によるものだということを意味する。滑稽な話だが、今は、かつて自分たちを追い詰めた革命軍に支えられて生活しているのだ。

 その後も伊織は色々と気遣いの言葉をかけてくれたが、いまひとつ耳に入ってこなかった。

「――東雲君。君は強い人だ。今すぐにというのは無理でも、いずれは騎士団に戻ってきてくれるものと信じている」

「……っ」

「第一霊隊から他の隊へなら異動もそう難しくはない。一応考えておいてくれないか?」

「そう……ですね……」

 異動を提案した理由は明白。昇太と顔を合わせることが、つらい記憶を呼び起こすと考えたためだ。

 昇太の名前は意図的に出さなかった。裏切りの場に居合わせた伊織としては、若菜が昇太のことでどれだけ傷ついているかは理解している。

 伊織は、ふと若菜の髪に目をやる。

 そこには、昇太からもらったのだと皆に自慢していたヘアピンが付けられていた。

 手ひどい裏切りを受けたにも関わらず、若菜の心はいまだ昇太に囚われたままなのだ。

 これ以上騎士団の話をしても、かえって若菜を追い詰めるだけだと判断した伊織は、椅子から立ち上がる。

「また来るよ。今はゆっくり身体を休めてくれ」

 退室する伊織に対して何も言葉を返すことができなかった。

 仲間に対する申し訳なさ、無力な自分に対する怒りにも似た感情、そうしたものに心を痛めていると――。

「おー、いおりんは最後まで私に気付きませんでしたね」

「――!?」

 不意に部屋の奥から声が聞こえてきた。

 驚き振り返ると、そこには金色の着物をまとった女の姿が。

「き、如月……沙菜……」

 霊子学研究所の室長、そして昇太の本当の上司。若菜が会うことを恐れていた人物の一人だ。

 姿を消して室内に潜んでいたらしい。

「声が震えてますね。そんなに私が怖いですか、シノやん」

 若菜のことをなれなれしくあだ名で呼ぶ沙菜。

 おどけた調子のまま、若菜のベッドに近づいてくる。

 対する若菜は、怯えを隠しながら、沙菜をにらみつけた。

「あ、あんたが昇太君を……」

 そそのかしたと考えられなくもない。騎士団で諜報活動を始めた時には、既に彼は沙菜の部下になっていたのだから。

 何よりも、若菜はすべての元凶が沙菜だと思い込みたかった。昇太自身は、本当はあんなことをしたくはなかったのだと。

「あなたがトリやんに刺された原因が私にあると言うなら否定はしませんよ。私が彼を救ったんですから」

 沙菜は、意地の悪い笑顔でいけしゃあしゃあと言った。

 『トリやん』というあだ名は、昇太の苗字『おおとり』から取ったものと思われる。若菜はそんなあだ名があることすら知らなかった。

「救った!? ふざけないで! あんたさえいなければ昇太君は……!」

「私さえいなければ? 彼の何を知っていてそう言っているんですかね? あなたは恋焦がれるばかりで、鳳昇太という人物について何も理解していなかったでしょう」

 反論できなかった。昇太のことを愛する気持ちだけは誰にも負けないという自負を持っていたが、人羅戦争の際に彼が見せた本性は自分が全く知らないものだった。姿と表情は恋人として過ごしていた時と何も変わらないにも関わらず。

「私は何も吹き込んじゃいませんよ。裏切りはトリやん自身の意思でやったことです。まあ、諜報活動自体は惟月様からの指示ですが」

「昇太君は……昇太君は、そんな人じゃ……」

「だったなぜ、あなたはこんなところにいるんですか? さっさと騎士団に戻ったらいいじゃないですか。前よりも団員の待遇は良くなってますよ」

「それは……」

 確かにそうだ。昇太のことを信じているなら、あくまで沙菜にそそのかされただけだというなら、早くもう一度会って目を覚まさせてやらなければならない。

「あなたは彼のことを何も知らない。何を望んでいるかも、どんな苦しみを抱えて生きてきたかも」

「苦しみ……?」

 自分は今まさに苦しんでいる真っ最中だが、昇太の苦しみと言われると何のことだか分からなかった。恋人のフリが苦痛だったというのはあるかもしれないが、そんなニュアンスではなさそうだ。

 沙菜は急に真剣な面持ちになって告げる。

「一つ忠告しておきましょう。――天才が凡人よりも楽に生きてると思うなよ」

 若菜は、この時初めて鳳昇太の真実を知らされることになった。

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