第80話「兄弟」

 騎士団再編会議後の蓮乗院家。

 今まで如月家で生活していた優月たちだったが、これからは蓮乗院家に部屋を用意してもらえることになった。

「本当は最初からこうしたかったんですが、戦いが終わるまでは優月さんたちと久遠さんを会わせる訳にいきませんでしたからね」

 そう言って惟月は微笑する。

 そんな惟月の姿に優月は惹きつけられる。やはり美しい。

 龍次と恋人になったというのに、こんな考えを持ってしまうことは後ろめたいが、それでも優月は美形に弱いのだった。

「如月の奴と同じ家じゃないのは安心だな」

 涼太は、あまり沙菜に好感を持っていないらしい。

 もっとも龍次にもその傾向は見られ、人間の中で沙菜を純粋に友人だと思っているのは優月だけだ。

「如月家の時もそうだったけど、好きな人と同じ家で暮らすって緊張するけど、なんかいいね」

 龍次に好きな人と言ってもらえて優月の頬が熱くなる。

 優月の緊張は相当なものだが、龍次も多少なりとも自分と一緒にいることで緊張しているというのはなんだか嬉しかった。

 惟月に案内されて、邸内を歩いていく。

「この廊下の突き当りの部屋を龍次さんに、その手前の部屋を優月さんと涼太さんに使っていただければと思います」

 豪華な屋敷に専用の部屋を与えてもらえるのは非常にありがたいことだが――。

「ちょっと待て。おれはまた優月と同室なのかよ!? 嫌がらせか!?」

「や、やっぱり嫌……?」

 涼太からそこまで嫌われてはいないと思っているのだが、年頃になった男女の姉弟が同じ部屋で暮らすというのは問題もあるのではないだろうか。

「沙菜さんからそうした方がいいと聞きまして」

「あいつの言うこと真に受けるなよ!?」

 涼太は思わずさけんだ。

 優月は、惟月と沙菜の関係についてよくは知らないが、他の者たちと違って惟月は沙菜に好意的であるように感じる。

「涼太が嫌なんだったら、寝る時とかわたしは廊下で……」

「いや、そこまで嫌って訳じゃないけども……」

 涼太は微妙に頬を赤くしながら、優月から視線をそらした。

 まだ人間界で暮らしていた頃、一緒に風呂に入りたいと言って断られた時の反応と似ていて、かわいらしく見える。

「ちなみに私や久遠さん、雷斗さんの部屋も近くにありますので、何かあったら気軽に訪ねてきてください」

 久遠はともかく、雷斗の私室を訪ねていくのは、かなり勇気がいると思うのだが。

 そうして話していると久遠もやってきた。

「優月君、涼太君、龍次君、君たちもこれから一緒に暮らすことになるのだな。よろしく頼む。何か困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ」

 久遠は、優月たちを優しく気遣ってくれる。

 この人が自分たちの敵だったとは、今でも信じられない。

 もっとも、直接戦った百済や朱姫のことも決して悪い人間だとは思っていなかったけれど。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 龍次が礼儀正しくあいさつを返す。

「よろしくお願いします」

 涼太もそれにならったが、優月としては他に話したいことがあった。

「あ、あの、久遠さま……」

「ん? どうした、優月君」

「朱姫さんのこと、本当にすみませんでした……。謝って済むことではないですけど……」

 久遠に対して深々と頭を下げる優月。

 そもそも朱姫は、当時の掟に従って人間の排除を命令しただけだ。

 どちらかといえば掟を破って羅仙界に侵入した自分たちにこそ非がある。

 最初に羅仙界に入ったのは、研究室に協力することになった龍次なので、その点について深く追及されると優月としてはすごく心苦しいのだが。

「顔を上げてくれ。その件についてはすべて私の不徳によるものだ。掟を守ることにこだわって、雷斗君のように不当な扱いを受けている者を救うこともできず、羅仙界に貢献してくれていた君たちを敵と見なしてしまった……。本当にすまない」

 互いに謝り合う優月と久遠。

 優月は、謝ることには慣れているが、謝られることには慣れていない。ましてや、久遠のような大人物に謝らせてしまっては恐縮するばかりだ。

「久遠さん。法は守られてこそ意味があるものです。私たちは、守る者と変える者、それぞれとしての役割を果たしただけです。それに反乱軍を指揮したのは私ですから、お二人に罪はありません」

 惟月は、羅仙革命軍のことをあえて『反乱軍』と呼んだ。

「俺に戦う力があれば、人間界で喰人種を倒してるだけで良かったんだし、如月の誘いに乗った俺のせいで優月さんが戦いに巻き込まれることになったんだよ」

 龍次もまた、自分を責めているようだった。

「日向先輩。最初に先輩を喰人種との戦いに巻き込んだのはおれたちです。あの戦いがなければ、先輩は普通の人間として生きてられたんですから」

 涼太が言ったのは、喰人種・赤烏せきうとの戦いのことだ。だが喰人種化は病であり、優月は、赤烏に罪があると考えることもできない。

 この場にいる誰もが、戦争の責任が自分にあると思っている。

「罪のない人間などいない。重要なのは罪を抱えながらどう生きるかだ」

 雷斗が私室から出てきて皆に告げた。

「雷斗さま……」

 雷斗は、高貴さを感じさせる紫を基調とした装束をまとっており、輝かしい銀髪を持っている。

 姿の美しさは前に会った時のままだが、彼からは霊気を感じられなくなっていた。

 聞くところによると、久遠との戦いで受けた技の影響で一時的に霊力を失っているらしい。

「天堂優月。貴様は己の使命を果たした。悔いる要はない」

 雷斗は優月をまっすぐに見すえている。

 かつて人間界で雷斗と戦った時、彼は優月のことなどまるで眼中にないかのようだった。

 だが今は違う。人を殺めたことは罪だが、最後まで戦い抜いた優月のことを雷斗は認めている。

「あ、ありがとうございます……」

 あの雷斗から認めてもらえたという事実に感激する優月。

 そして、悲しげな雰囲気を打破するように久遠が口を開いた。

「雷斗君の言う通り、悔やんでいても仕方がない。惟月。王家が失われた今、改めてお前と向き合いたい。私はこれまで、雷斗君や優月君のようにお前から信頼されていなかったのだろう。私の法を守るという信条を変えることはできないが、これからはお前の本心を打ち明けてもらえないだろうか」

「戦後の改革で、私が間違っていると思う法律は変えることができました。これからは久遠さんとも協力してやっていけると思います。もちろん霊神騎士団のみなさんとも」

「そうか、良かった。あとで私の部屋に来てくれないか? 渡したいものがある」

 惟月は久遠の言葉に首肯した。

 この時、惟月と久遠は本当の意味で『兄弟』になれたのだろう。

「そういえば……」

 張りつめた空気が緩和されたことで、優月の口から言葉が漏れた。

「惟月さんも久遠さまのことを名前で呼ぶんですね」

 わりとどうでもいい内容だが、それを言える状況になってくれたことがありがたい。

「昔からそうだな。直接兄と呼ばれた記憶はない」

「わたしもそうなんです。涼太からはずっと名前で呼ばれてて、『お姉ちゃん』とか呼ばれたことがなくて……」

 優月と久遠、存在としての格からして天と地の二人だが、意外な共通点があった。

「なんだよ、呼んでほしいのか? お前、姉らしいことなんもしてないだろ」

 この冷たさが逆に心地良い。一度ぐらいは『お姉ちゃん』と呼ばれてみたい願望はあるが。

「まあ、今日のところはみんな部屋に戻って休むことにしない? 優月さんは慣れない会議に出て疲れてるだろうし」

「あ、ありがとうございます」

 龍次のように常に優しく気遣ってくれるのも、もちろん嬉しい。

 彼が言う通り、休むことにしようと思ったが、その前に少し惟月に話さなければならないことがある。

「あ、あの、惟月さん。ちょっとお願いしたいことがあるんです。あ、もちろん時間がなかったらいいんですけど……」

「どうされましたか?」

「前にわたしが羅刹化の修行をした時に霊法の勉強だけは飛ばしましたよね? 今度それについても教えていただけたらと思うんです」

 霊法とは、戦技系の能力と異なり特定の副霊源ふくれいげんを必要とせず、構成式通りに霊子を組み立てることさえできれば誰でも共通の効果が発動できる術だ。

 霊源は、主霊源しゅれいげんと副霊源に分かれており、主霊源は霊気自体を生み出すもの。副霊源はそれぞれ対応する技を司るものである。

 霊法の難しさは、単に式を暗記するだけでなく、その場の状況や自分と対象の状態を数値化して変数に代入しなければならないところにある。

 羅刹として生きてきた者であっても、面倒だから一切使わないという場合が多く見られるぐらいだ。

 しかし、優月としては、これからも大切な仲間を守るために、できることは何でもしたいと考えていた。

「分かりました。優月さんのやる気に応えられるよう、できる限り時間を作ることにします」

「ありがとうございます」

 こうして優月は、新たに蓮乗院家の一室を与えられ、そこで生活することになった。

 惟月や雷斗と一つ屋根の下というのは、人間界で羅刹化の修行をした時以来か。

 考えてみれば、使用人などを別にすれば、この屋敷で生活する仲間は男性ばかりだ。

 龍次・涼太・雷斗・惟月・久遠、いずれをとっても美形ばかり。

 龍次と恋人という関係でありながらも、よこしまな考えが浮かんでしまう優月だった。

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