第81話「殺し屋・湊」
蓮乗院家で暮らし始めた優月は、新生活の記念ということで龍次にプレゼントを渡そうと考えていた。
彼には本当に世話になってきたので、できる限りいいものを選びたい。
そんなことを思いながら、霊京・五番街を歩いていると。
「ちょっとお嬢さん、少し聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
黒い帽子を目深にかぶった男性に呼び止められた。
『お嬢さん』などという柄ではないため、一瞬自分のことではないのではと思ったが、周りにそれらしい人はいない。
「えっと……、わたし、ですか……?」
「そう、君。ちょっとだけでいいんで一緒にきてもらえると助かるんだけど」
「は、はい。分かりました」
こんな自分でも誰かの役に立てるならと、特に迷うことなくついていくことにした。
男性の後ろを歩いていくと何やら人気のない裏路地に入ることになった。
こんなところを通る必要があるのだろうか。
疑問に思っていると、その男性は突然スナイパーライフルを取り出す。
取り出したというより、何か小さいものから変化させたといった方が正しい。
「えっ……?」
「悪いな、天堂優月さん。ここで死んでもらうぜ」
男性が引き金を引く直前に、優月は慌てて飛びのく、なんとか撃ち抜かれることは避けられた。
「ど、どういうことですか……?」
質問すると、男性はあっさりと正体を明かした。
「オレは殺し屋の
湊と名乗った男性は、再び銃口を優月に向ける。
危険な状況のはずだが、優月は妙なことが気になった。
「狙撃銃ってこんな近くで使うんですか……?」
優月の言葉を聞いて、湊は初めて気付いたように慌て始める。
「ああ! しまった! 遠くから狙撃すれば良かったのか!」
なんとも間の抜けた様子で、接近してしまったことを後悔する湊。
「ま、まあ、近い方はなんとかなる。この距離ではずすことは――。あれ?」
今度は引き金を引いても弾が発射されない。
湊が不思議に思って見てみると、銃口が氷漬けになっていた。
「あ、すみません。死にたくなかったので凍らせてしまいました」
優月は、自身の
魂装霊俱は、羅刹の強大すぎる力から自身を守るために魂を分割してその片方を込めた武器だ。優月の場合、普段は指輪型に変化させて持ち歩いている。
刀の変化を解いただけで、羅刹化はしていないので優月の服装はシャツとズボンのまま。
羅刹化するまでもなく、敵の魂装霊俱を封じることができた。
百済や朱姫との戦いを経て、優月の力はかなり成長しているのだろう。
「こ、これじゃあ、また依頼を達成できないじゃねーか!」
『また』というからには、今までも失敗してきたのだと思われる。
「その依頼というのは……?」
「百済隊長のファンだったおばさんから仇であるお前を殺してくれって頼まれたんだよ」
依頼に関する事情もあっさりと明かした。
「聞いておいてなんなんですけど……。それってしゃべって良かったんですか……?」
「あっ! そうか、依頼人に関する情報は秘密だった!」
この湊という人物、殺し屋というわりに全然怖くない。
むしろ少しかわいらしくさえ見える。
「今まで一回も依頼達成できてねえから、今度こそって思ってたのに……!」
口振りからすると、まだ誰も殺したことはないようだった。
(わたしよりいい人なんじゃ……?)
やむにやまれぬ事情があったとはいえ、何人もの敵を殺してしまった自分の方がよほど凶悪であるように思える。
「そうだ! 銃がダメなら
一人で色々悩んでいるようだが、今斬りかかれば普通に倒せるのではなかろうか。
「よし! これでいこう! 霊法十五式・
ようやく使う術を決めた湊の掌から火の玉がこちらに向けて放たれる。以前、沙菜が使っているのを見たことがある術だが、沙菜はいくつも同時に放っていたのに対し、湊が放ったの一つだけ。大きさも心なしか小さい気がする。
優月は、霊刀・雪華の能力で氷の壁を作り防御する。
赤烏と戦った時などは、熱によって氷が一気に昇華したものだが、今回は表面が少し溶けただけだ。
「なッ!? てめえつええな!?」
相手が弱い――とは口に出せない優月。
「くそっ。こんな貧弱そうな女すら殺せないなんて……。オレ殺し屋向いてないのかなあ……」
「向いてない方がいいと思いますけど……」
さすがの優月でも、つっこみを入れざるをえない。
この分だと逃げるのは簡単そうだが――。
「百済隊長のことは、本当に申し訳ないと思っています……。死なない程度になら撃ってくださっても構いません」
龍次や涼太を守るために、死ぬ訳にはいかないが、多少痛めつけられるぐらいなら覚悟はできている。
「お前……、いい奴だな……」
涙ぐむ湊。
『いい奴』と評されるのは、赤烏の時以来か。
「でもオレは殺し屋だからな……。殺さずに傷つけても意味が……」
やはり彼も『いい奴』なのだろう。素直に殺してくれと言っても、なんだかんだで殺せない気がする。
「あの。その依頼人の方と会わせてもらうことはできないでしょうか……?」
普通ならそんなことはできるはずがない。自分を殺させようとした相手を前にしたら、逆に危害を加える可能性がある。
だが、殺し屋らしからぬ彼ならばあるいは。
「このまま戦っても勝てそうにないしな……。どうするか……」
「その方に直接会って謝りたいんです……。謝って済むことではないですけど……」
深く深く頭を下げる。
すると彼も分かってくれたらしい。
「分かった。とりあえずオレは帰って報告をするから、いいって言ったら部屋に入ってきてくれ」
湊に案内されてきたのは、霊京・六番街にある普通の邸宅。
霊京の街並みは、全体的に人間界より豪華だが、その中では一般的な方だろう。
「お前は扉の外で待機しててくれ」
「は、はい」
そう言って、湊は扉を開いて中に入っていく。
中からは、話し声が聞こえてきた。
「おお、帰ってきたかい。それで、ターゲットは始末できたんだろうね?」
「それが……、予想以上に手ごわくて殺せませんでした……」
「なんだい。やけに安い額で引き受けてくれたと思ったら、やっぱりダメだったのかい」
「それで、本人が謝罪ならしたいって言うから連れてきたんですけど……」
「連れてきた!? あんた殺し屋じゃないのかい」
「すいません」
「まあいい。その謝罪とやらを聞いてやろうじゃないか。それで納得できなきゃ、あたしの手で殺してやろうか」
「優月。入ってくれ」
湊にうながされて入室する優月。――入ってすぐに土下座をした。
「すみません……! 本当にすみません……! わたしには謝ることしかできないですけど、あの時はどうしても守りたい人がいたんです……!」
百済は、羅仙界に侵入した人間を誅殺せよとの命を受けていた。そんな彼から龍次と涼太を守るためには、戦うしかなかったのだ。
依頼人の女性は呆気にとられた様子で、床に額を押しつける優月の姿を見る。
「百済隊長を殺したっていうぐらいだから、どんな血も涙もない奴かと思ったら、こんなふぬけだったのね……」
頼りない殺し屋を雇うだけあって、標的の顔も知らなかったようだ。
今の優月の情けない姿からは、戦士らしい力強さはまったく感じられない。
依頼人の女性も、拍子抜けしてしまったようで、怒りの感情はそれほど見受けられなかった。
「まあ、あたしも王室の財産から出てる給付金を受け取っちまったしねえ……」
戦後改革の一環として、惟月は、それまで王室の財産として扱われていたものを分割してすべての民に配った。
そのおかげで、貧困が緩和された人たちも多くいる。
「百済隊長ももうけっこうなお歳だったし……」
百済は霊力のおかげで若い姿を保っていたが、実年齢は七十を超えていた。
「もういいよ。依頼は取り下げる。その代わり、あんたが百済隊長の分も羅仙界の民を守るんだよ!」
「は、はい……!」
ひたすらに卑屈な優月の姿を見て、とうとう依頼人の女性もほだされてしまった。
「また任務失敗か……」
肩を落とす湊に、依頼人の女性は一枚のお札を差し出した。
「え……?」
「こいつを謝りにこさせた分、依頼料の一割だけ払ってやるよ」
「お、おお! ついに依頼料が……! これで一歩前進だ! ありがとうございます!」
感激している湊とは裏腹に、依頼人の女性はあきれたように息を吐く。
「あんた、悪いこと言わないから商売替えしな」
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