第28話「懇願」
「龍次さんは無事、
沙菜の言葉を聞きながら、涼太と共に歩いていく優月。目的地は雷斗たちが人間界での活動拠点としている場所だ。
「ラセンカイ……?」
聞き慣れない単語が出たので尋ねてみる。
「ああ、羅刹の世界のことです。羅刹界では語感がいまひとつでしょう?」
語感の話が出て、龍次と同じクラスになった時のことを思い出した。
龍次のことを『日向さん』と呼んだところ語感が悪いと言われ、下の名前で呼ぶこととなったのだった。
随分と懐かしいことのように感じられる。人間界を離れた彼は今どんな気持ちでいるのだろうか。
「龍次さんは……向こうでどんな風にしてるんですか……?」
「とりあえずうちの屋敷の一室を与えてあります。研究室のメンバーともうまくやってるみたいですよ。くせ者揃いの第四研究室に馴染めるとはさすがですね」
「そうですか……」
どうやら心配するような状況ではないらしい。ただ、優月としてはもう一度傍に行きたい。
「屋敷って、お前結構金持ちなのか?」
「如月財閥といえば羅仙界じゃ有名ですよ。私はお嬢様に見えませんか?」
「見えねーな」
涼太の言う通り、沙菜の振る舞いからはこれといって気品のようなものは感じられなかった。しかし、彼女もまた相当な実力者であることは間違いないはずだ。
「雷斗さまは沙菜さんよりさらに強いんですよね?」
「そりゃそうですよ。というか、雷斗様が私に劣っていたら、なんか嫌でしょう?」
「それは……まあ……」
今の優月に誰がどの程度強いのかを見極めるだけの能力はないが、なんとなくのイメージからしてそうだった。
「自宅のコレクションを見た限り、優月さんの理想のタイプじゃないですか? 雷斗様は」
「えっ……」
思いもよらぬ方向に話が飛んだ。
確かに優月は、漫画やアニメを見ていて主人公よりクールなライバルキャラを好きになることが多い。現実ではお目にかかれないものとばかり思っていたが。
「今度、雷斗様の勇姿を収めた秘蔵写真を分けてあげますよ」
「……! い、いいんですか……!?」
つい食い付いてしまった。涼太の視線が痛い。
「優月の好みはともかく、あっちはおれたちに協力してくれるのかよ?」
ちなみに涼太にはとうの昔に趣味嗜好を知られている。優月にとって、雷斗のような人物と直接関わることは難しいが、眺めるだけなら話は別だ。
しかし今回は直接関わる為に出向いている。
「優月さん次第でしょうね。優月さんに鍛えるだけの価値があるかどうかは、少なくとも私が決めることじゃないですし」
「それはそうか……」
自分の価値が高いとは思っていない。だが、龍次を本当の意味で守る為の力を得ることには価値があると考えている。
「そろそろ着きますよ」
景色は、先ほどから通っていた住宅街から特に変わっていない。閑静な雰囲気で人通りは多くないが、普通に人里といえる場所を拠点としているようだ。
「あれです、あれ」
沙菜が指差すのはなかなか立派な邸宅。
「あそこに雷斗さまと惟月さんが……」
羅刹が人間界で活動するにあたって普段どんな生活をしているかはあまり想像していなかったが、少なくとも住居は人間界に元々あるものを使っているらしい。
そこでふと、赤烏のことを思い出す。彼の身なりからすると、おそらく雷斗たちほど安定した生活は送れていなかったのだろう。
沙菜がチャイムを鳴らすと聞き覚えのある声が。
「はい」
応答したのは惟月。
「優月さんが折り入って頼みたいことがあるそうなんですが、入ってもらっていいですかね?」
「どうぞ」
惟月の許しを得て門をくぐる。
外からは塀に囲まれていて様子が見えなかったが、かなり広い庭が付いている。優月の自宅とは大違いだ。
「こんにちは、優月さん」
玄関では、羅刹装束を纏った惟月が出迎えてくれた。やはり一見しただけでは性別が分からないほどに中性的な美少年だ。
「あっ、こ、こんにちはっ……。せ、先日はお世話になりましたっ……」
深々と頭を下げる優月。
前回、惟月に会ったのは玄雲との戦いの中だった。もしも彼と雷斗が現れてくれなければ、今頃自分たちは生きていなかっただろう。大変な世話になったといえる。
惟月は柔らかく微笑んで家の中へ招き入れてくれる。
羅刹二人が拠点としている室内は、余計な物がなく小綺麗な空間だった。そして――。
「…………」
部屋に客人が入ってきたにも関わらず雷斗は無反応。テーブルの前で優雅に紅茶をすすっている。
場は人間界の日常と変わらない一方で、雷斗の周囲だけは荘厳で侵しがたい空気が流れていた。
「雷斗さん、優月さんからお話があるそうです」
雷斗は、惟月から呼びかけられてようやく動き、一行の前に立つ。
「あっ、あのっ、ら、雷斗さまに……、お、お願いしたいことが……」
「…………」
「その……、わたしに……戦い方を教えていただけないかと……」
「…………」
震える声で必死に懇願する優月。
対する雷斗は無表情のまま。
「つ、強く……なりたいんです……。どうか……」
凍てつく瞳でこちらを見据える雷斗は腰に差した剣に手を掛け――。
(――っ!)
優月の顔に向かって振るった。
頬に真っ赤な線が浮かび上がり、血が流れ出す。
「なかなかやるもんでしょう?」
「……そのようだな」
何故か得意げな様子の沙菜と、一応納得したらしい雷斗。
今の一撃は、以前戦った時のことを思えばあまりにも遅かった。反応できなかった訳ではない。その気になれば躱せただろう。
しかし、強くなりたい、その為の修行に協力してほしいと願い出ている以上、逃げるべきではないと思った。
「――その刀に相応しくないようであれば命はないものと思え」
その刀とは、惟月の母の形見である霊刀・雪華のことだ。
ひとまず協力は得られると考えてよさそうだ。その上で、修行の中で覚悟を示さなければならないといったところか。
「あ……」
優月の頬に、惟月がそっと指先を添えてきた。
彼の白くか細い指から放たれる淡い光を受けて、頬の傷は消えていく。
やはり彼も、彼の母・蓮乗院風花同様に治癒の力を持っているようだ。
「あ、ありがとうございます……」
「あなたの意気込みは伝わってきました。私たちが人間界に滞在している間だけですが、協力させていただきます。時間は限られていますし、部屋を一つお貸ししますので修行は泊まり込みで行いましょう」
「は、はい……!」
惟月の提案を聞いた涼太は、小さく首を傾げた後沙菜の方を見る。
「貸せる部屋があるなら、なんでお前はうちに泊まりにきたんだよ?」
「雷斗様が私と一つ屋根の下は嫌だとおっしゃるのですよ」
沙菜は肩をすくめて苦笑した。
「お前、そんな扱いなのかよ」
その日の夜。
今日のところはいつも通りの修行を惟月に見てもらい、本格的な修行は明日からとなったので、貸し与えられた部屋で寝る支度をする。
「部屋他にもあっただろ。なんで二人でひと部屋なんだ」
「やっぱり、嫌……?」
不満げにしている涼太におそるおそる尋ねる。
「別に……」
恥ずかしそうにそっぽを向いたかと思うと、涼太はそっと息を吐いた。
「……それにしても、ここ最近でお前もだいぶ成長したよな……」
「そう……かな……?」
あまり実感はない。だが、他ならぬ涼太がそう言ってくれるなら信じてみるのもいいかもしれない。
「ああ。ちょっと前のお前だったらこんなとこまで来てないだろ。それに――、修行が終わったら行くつもりなんだろ? 羅仙界とやらに」
「……うん」
龍次は羅刹の世界で沙菜たちの研究に協力し、その対価として人間界を守る羅刹の人員を増やすという契約を交わしている。また、研究自体も喰人種と戦う為の技術開発らしい。
彼は彼のやり方で今も戦っているのだ。
もう一度会いたい。そして、今度こそ彼の力になりたい。
「大進歩じゃねーか。ところで――」
しみじみと話していた涼太の視線が、部屋に一つだけのベッドに向けられる。
「あ……、わ、わたしは床でもいいけど……」
せっかくいい話をしていたところなので、久しぶりに一緒に寝たいなどと言って怒らせるのはやめておこうと考えた。
「いや……、おれにまでそんなに遠慮しなくていいって。一つしかないんじゃしょうがない」
「え、じゃあ……」
いつになく素直な涼太と、微妙な距離感の下、夜を明かすことに。
明日からは、おそらく厳しい修行が始まるはずだ。今のうちに英気を養っておくべきかもしれない。
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