第29話「霊子学」

「おはようございます、優月さん」

「お……、おはようございます」

 修行初日。貸し与えられた部屋を出ると惟月から笑顔で挨拶された。

「朝食はできていますので、召し上がってください」

 食事に関しては昨日の夜も惟月が用意してくれた。修行そのものの内容はまだ分からないが、現状はかなり恵まれているといえるだろう。

 涼太を伴いダイニングルームへ。

「いかがでしょう? 霊力で調理されたものを食べるのは初めてですよね?」

「え……? 料理にも霊力が使われてるんですか?」

 昨晩食べた惟月の料理は絶品だったが、どうやら霊力によって実現したものらしい。

「羅刹の世界では霊力はあらゆる場面で活用されています。戦闘や医療はもちろん、家事や音楽の演奏なんかにも使われていますね」

 高い霊力の持ち主がいれば、広い屋敷を一気に浄化することができ、掃除は一瞬で終わるとのことだ。

 また、霊法の中には音を鳴らす性質のものがあり、得意とする者であれば楽器の代わりとして十分だとか。

 そんな話を聞きながら箸を進める。

「そういえば……、雷斗さまは……?」

「もう出掛けられています。喰人種の気配を見つけましたので」

「また出たのか。最近多くないか?」

 涼太の指摘する通り、以前はこれほど続けて喰人種は現れていなかった。

「確かにここのところ人間界の喰人種の数が増えています。だからこそ雷斗さんがこちらに来たんです。――征伐士せいばつしという言葉はご存知ですか?」

「いえ……」

 どこかで聞いたような気もするが、少なくとも知っているといえる言葉ではない。

「喰人種は人間だけでなく通常の羅刹にとっても『敵』というべき存在です。その討伐を生業とするのが征伐士。雷斗さんは征伐士としてこれまで数多の喰人種を倒してきました」

 ――敵。優月にしてみればそのような認識はないが、変異を止める為に同族すら喰らう喰人種は、やはり忌むべき存在なのだろう。

「なるほど。それで、喰人種の数が増えてる原因は?」

「まだはっきりしたことは分かりませんが、何者かが羅仙界側から人間界へ渡る手引きをしているのではないかと」

 涼太の問いに答えた惟月は、二人に対し頭を下げる。

「申し訳ありません。こちらの都合であなたたち人間を危険に晒してしまって」

「い、いえっ、惟月さんが謝ることはっ……」

 優月は、謝ることには慣れているが謝られることには慣れていない。下手をしたら謝る時以上に胸が苦しくなってしまう。

 そうこうして食事を終えると。

「それでは修行を始めましょうか。最終目標は優月さんの魂そのものの羅刹化です」

「魂の羅刹化……」

「はい。優月さん、あなたが今まで行っていたのは肉体の羅刹化です。あの状態では羅刹本来の能力は十分に使えません。あなたにはこれから本物の羅刹となってもらいます」

 ――自分自身が羅刹となる。事の大きさを感じて息を呑む。

 気合いをいれなければ――そう思っていたところ。

「――といっても、まずは座学から。肩の力を抜いて私の話を聞いてください」

 惟月曰く、修行は三つの行程に分かれるとのこと。

 第一に、霊力の扱い方を学問として学ぶ――すなわち霊子学を修める。

 第二に、自身が持つ霊力そのものと魂魄の強度を高める。

 最後に、今まで共に戦ってきた霊刀・雪華を活用し、魂魄の羅刹化を図る。

「――雷斗さんには修行の第二段階から協力していただきます。それでは――」

 惟月は優月の隣の席に座って霊子学の講義を始めた。

「霊力を用いて発動する技にはいくつか種類があることはご存知ですね。具体的には、汎用戦技・霊戦技・秘奥戦技・断劾だんがいの四つです」

「あ……、はい。霊戦技と断劾は使ったことがあると思います」

「霊戦技はある意味羅刹が使う技の中で最も基本的なもの。秘奥戦技は単純により強力になった霊戦技という認識で構いません。そして汎用戦技と他の戦技の違いですが――、ここには霊源れいげんという概念が出てきます」

「霊源……」

「この霊源は、羅刹や魂装霊倶、あるいは霊力に目覚めた人間の中に存在するもので、『主霊源』と『副霊源』とに分かれます。主霊源が霊気そのものを生み出すのに対し、副霊源は特定の技を司るものです」

 惟月の説明を聞いて、優月は指輪に変化している霊刀・雪華へと意識を向けてみる。

(あ……)

 なんとなくだが、内側に霊子――霊気を構成する小さな粒――が固まっている部分がいくつかあるような感じがする。これが霊源だろうか。

「基本的に羅刹の技は対応する副霊源を持っていなければ発動できませんが、例外的にただ霊気さえあれば使うことができるのが汎用戦技です。つまり汎用戦技は教われば誰でも使えるということですから、後で何かしらお教えしましょう」

 さらに講義は続く。

「そして、戦技系の能力としては最後の一つ『断劾』。これは飛び抜けて高い浄化能力を有する者だけが扱える霊力の奥義です」

「奥義……。そんなすごいものをわたしなんかが……」

 何故使えるのだろうと思いかけたが、そもそも断劾の力を有しているのは霊刀・雪華だということを思い出す。刀がすごいだけだと考えたら妙に納得できた。

「戦技の他に『霊法』という術式がありますが、これは複雑な構成式に則って霊子を組み上げなければなりませんので今は必要ないかと思います」

 戦技の話が終わると、次は霊子の属性について。

「優月さん、手を出してください」

「あ、はい」

 促されて手を差し出すと、惟月は優しく包み込むようにその手を握った。

「えっ……、あっ……」

 不意に美少年から手を握られ、思わず赤面してしまう優月。

 惟月の手の柔らかさと温かさが伝わってくる。

「今から私があなたの持つ霊子の中から特定のものを引き出します。その後、ご自身で同じ霊子を引き出してみてください」

「あっ……! は、はいっ……!」

 しどろもどろになりながら受け答えをしていると、後ろから涼太の冷ややかな声が。

「お前……、何の為に修行してるのか忘れてないか……?」

 龍次の助けになりたいのは本当だ。

 ただ、異性に慣れていない優月にとってこの状況はかなりドキドキする。

「そう……そうです。すごいですね、初めからこんなにうまくできるなんて」

「あ、ありがとうございます……」

 内在する霊子それぞれの特性を感じ取るには優れた感性が必要であり、優月にはそれがあるとのこと。

 不思議な気分だった。普通の人間として生きることすら満足にできずにいた自分が、人知を超えた存在からその才能を認められるなどとは。

 しかし、悪くない気分だ。戦って人を傷つけることはもちろん嫌だが、霊力を扱うということだけに関していえば、心地良さのようなものを感じていた。

「惟月。お前から見て優月は強くなれそうなのか?」

 優月のことを常に案じてきた涼太が静かに問いかけると、惟月は迷いを見せることもなくうなずいた。

「はい。霊子属性の概念は羅刹でも理解していない人がいるぐらいですから、優月さんの素質は間違いないと思います」

 惟月から見て優月は母親を奪った相手でもあるはずだが、それでも彼は優月を全面的に応援してくれている。

 どうしてそんなにもよくしてくれるのだろう。気にはなったが、惟月の優しげな眼差しを見ていると尋ねるのが無粋であるように思えた。

 そうして数日間は霊力について惟月から手取り足取り教わることになった。



 座学について一通りのことを教えたので次は実践だと告げられた日の翌日。

 早朝から控えめなノックの音が聞こえた。

「優月さん。よろしいでしょうか?」

「あ、は、はい……!」

 いつもならまだ寝ている時間。自宅であれば呼ばれても寝続けてしまうかもしれないところだが、今は修行の為惟月たちの活動拠点の邸宅にいる。緊張のせいもあって、すんなり起きられた。

 髪ぐらいは整えた方がいいかとも思ったが、惟月を待たせることの方が気が引けるので急いでドアを開ける。

「ふふっ。さすがは優月さん。すぐに出てきてくれましたね」

 惟月は、寝ぐせのついた優月の頭を見て小さく笑った。

 天堂優月という人間が、自分の身なりよりも相手のことを優先するということは、この数日で十分に理解されているようだ。

「あ、す、すみません、こんな状態で……。もっと早く起きて、ちゃんと準備するべきかとは思ってたんですけど……」

 手ぐしで髪を直しつつ、いつもの調子で謝る優月。

「いえ。こんな時間からお声をかけたのは見ていただきたいものがあるからなんです」

「……見せたいもの?」

 涼太でさえ今起きてきたところだ。これは優月に起きて準備まで済ませておけというのは酷というものだろう。

「はい。お二人共、用意ができたら庭に出てきてください」

 惟月の言葉に従い、最低限の身支度をしたのち外に出る。

 そこには――。

「……!!」

 朝の寒気の中、優月たちが目にしたのは、大輪の花が咲いたように広がる紅い影。

 その中心に佇むのは、凄腕の征伐士・月詠雷斗だ。

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