第7話「学園生活」

 涼太には支えてもらい、羅刹からは刀を託され、龍次とは友達になり、そして現在に至る。

 みなの思いに報いる為にも、まずは人にあだなす喰人種を退治できるぐらいにはならなければいけないのだが、気持ちはすぐに揺らいでしまう。

 優月は、人知を超えた力を持て余しながら普通の高校生として過ごしていた。


 高等部一年生の教室。

「優月さん。授業終わったよ」

 柔らかな呼びかけを受けて目を覚ます。

(ん……)

 『目を覚ます』というからには眠っていた。

「あ……。りゅ、龍次さん……」

「おはよう」

 机に突っ伏していた優月のかたわらで、控えめな微苦笑びくしょうを浮かべる龍次。

 どうやら居眠りをしているうちに放課後になっていたらしい。

 普通の高校生といっても、優月の場合限りなく劣等生に近い普通だった。

「す、すみません……。昨日あんまり寝ていなくて……」

「うん、分かってるよ。優月さん真面目だもんね」

 純粋な眼差しがまぶししくて胸が痛む。昨晩十分寝ていない理由は遅くまでゲームをしていたからで、特別な事情がある訳ではない。

 もちろん喰人種退治に駆り出されるのは特別中の特別だが、それを抜きにしてもほぼ昼夜逆転の生活を送っていた。

「い、いえ……、わたしなんて全然……」

 本当に真面目なのは龍次の方だろう。全教科でトップの成績を誇りながら、おごることなく普段の授業でも手を抜かない。

 大抵の者なら授業のレベルが低すぎるといって適当に済ませてしまいそうなものだが、龍次の場合はどんなところにも学ぶべきことがあると他の生徒や教師のサポートまでしているぐらいだ。優月もずいぶん世話になった。

「あ、それでさ、今度みんなで試験対策の勉強会しようかって話になってるんだけど優月さんも来る?」

 龍次本人に対策は必要ないだろうが、人に教えることから得られる経験も多い。

 こちらの立場が得であるのは間違いないが、せっかくの好意なので受け取ることに。

「は、はい。よろしくお願いします」

「じゃあ、詳しいこと決まったらメールするね」

 今では優月の携帯電話に龍次のメールアドレスが登録されている。

 アドレス交換をしたあの時の感動は生涯しょうがい忘れないだろう。

(中学の頃からずっと憧れてて、でも見てることしかできなかった龍次さんとこんな風に話せるなんて……)

 身に余るほどの幸せ。この上、欲をいえば付き合いたいなどと贅沢ぜいたくは言うまい。

 そうして感慨かんがいひたっていた時のことだ。

「龍次、ちょっといいか?」

 クラスの男子が龍次に声をかけた。

「なあ、お前またそいつ連れてくる気か?」

「は?」

 龍次は意味が分からないといった反応だが、優月は思わず息をんだ。

 『そいつ』という言葉が自分を指しているのは間違いない。嫌な予感がする。おそらくは、ここしばらくまぬがれていたような。

「いやさ、女子から不満の声が上がってるんだよ。中学の時から一緒だった自分ら差し置いて、なんで天堂ばっかかまってもらってんだって」

「――!」

 心のどこかでは危惧きぐしていた、もっとはっきりと危機感を持つべきだったこと。

「なんの話だよ。別に優月さんのことばっかりなんて――」

「いや、多分それがまずいんじゃねーか? みんな抜け駆けせずにやってきたのに、ぽっと出の天堂が『優月さん』『龍次さん』とか」

 いよいよもって自分のせいだ。高校生の時点でクラスメイトの男子に『さん』付けは珍しいほう。つまらない意地を張った結果、下の名前を使うなどということになった。

 いくら本人が許容していても、龍次に想いを寄せる者からすれば図々しいことこの上ない。

 クラスのはみ出し者にまで気を配る龍次の優しさにつけこんで一人いい思いをしているのだから。

「ぽっと出ってお前――!」

「いや、別に俺が思ってる訳じゃなくて。実際、どーもギクシャクし始めてるんだよ。自分の立場分かってないこともないだろ? 代われるもんなら代わってほしいぐらいだけど無理なもんは無理なんだし」

 この男子にも不満があるはず。龍次との仲が良くなければもっと攻撃的な物言いだっただろう。

 龍次はこの二年、女子からの人気を独占しながらも人柄の良さで男子ともうまく付き合ってきた。その調和を自分が乱している。あってはならないことだ。

「あ……、あの……。わたし……、やっぱり……遠慮させていただこうかと……」

「優月さん……!」

 席を立った優月は消え入りそうな声で告げると、一礼だけして足早あしばやに教室から出ていった。

 去り際に少し聞こえていた会話からすると、どうやら嫌がらせが起こりかねない状況にもなりつつあるらしい。

 その為、龍次も安易に追いかけることができなかったようだ。


 それからというもの、龍次に話しかけることができないのはもちろん、向こうが声をかけてくれそうになっても逃げてしまって言葉を交わせなくなった。

 自分が何を言っても気をつかわせてしまい、龍次にも周りにも迷惑がかかる。

 何故一年は一緒にいられるなどと甘い考えを持ったのか。自分が変わっていないのに、環境が変わっただけでいきなり友達になれる訳がない。

 その、こちらから壁を作っているなどとは無礼極まりないことだ。

(はぁ……。どうしてこうなるんだろう……)

 指輪型で携帯している雪華せっかは声色こそ大人の女性といった印象だが、こういう時にアドバイスはくれない。あくまで羅刹の武具でしかない為そうした思考自体が存在しないとも考えられる。

 龍次との間に距離ができてから数週間。

 今日も、余計なことを起こさないようにと授業が終わり次第すぐ教室を出る。

 なるべく早く出たのだが、背後から聞こえてきてしまった。

「ねぇ、日向君。聞いてほしいことがあるんだけど……ちょっと一緒に来てもらっていいかな?」

「えっ……」

 声をかけた女子の様子と龍次の反応から直感的に分かる。告白だ。

 女子生徒はそのまま龍次を連れていく。

(……っ……!)

 告白がうまくいくのかどうかは分からない。だが、いずれにせよ分かり切っていることがある。

 告白が成功――つまり二人が両思いだとすれば、まさしく自分は邪魔者。下心がある別の女がそばにいれば彼女は不愉快だろうし、龍次本人が嫉妬しっとされるようなことがあったら申し訳が立たない。

 告白が失敗――彼女が振られた場合、それは龍次を取り巻く人間関係の変化が原因とも考えられる。今告白するという判断自体が、調和の乱れからあせりがしょうじた結果だとしたら、自分の振る舞いのせいで人が傷つくということだ。

 どう転んでも自らの存在はやくをもたらすばかり。

 やはり、非礼であろうとも龍次からは離れて過ごすのがみなの為だろう。

つらい……。でも……そうするしか……。そうじゃないと……)

 最終的に、龍次からも他の者からも嫌われることになる。

 ――嫌われたくない。

 馬鹿にされるぐらいなら別にいい。パシリ扱いでもグループ内に置いてもらえたら幸運だ。殴られるとしても、相手の気が晴れて笑っていてくれるならば、どうにか耐えることはできる。

 嫌悪・厭悪えんお・憎悪。

 それが優月の最も恐れる感情だ。

 所詮しょせん何の努力もせず巡ってきただけの幸福は呆気あっけなく崩れ去った。

 とぼとぼと廊下を歩いていると馴染なじぶかい名前が耳に入ってくる。

「ねーねー、今日も中等部の校舎行かない? 涼太くん見に」

「行く行く。ちっちゃくて可愛いよね! しかもすっごい頭切れるんだって。これってギャップ萌えかな」

「あなたたち、あんまりにも頻繁ひんぱんだと危ない人だと思われるわよ」

「じゃあ、あんた行かないの? 涼太くんに勉強法訊いてみたいって言ってなかった? まあ、高校生でしかもガリ勉のあんたが勉強教えてとかドン引きかもだけど」

「なっ!? 私はあなたたちと違って教えてあげられることもあるわよ!」

 そんなことを話しながら三人は歩いていった。

 何やら真面目でお堅そうな女子の心までつかんでいるらしい。

 何故姉弟でここまで差が出るのか。

 理由は分かっているといえば分かっている。

 しつこくからんでくる上級生も波風立てずたくみにかわし、精神年齢の高さ故にクラスのまとめ役にもなっている涼太。物腰の違いこそあれど、優月ではなくむしろ龍次に近いタイプだ。

 もしかしたら、学内で龍次と双璧そうへきをなす人気者なのかもしれない。

(そうだ……。わたしには元々涼太が……。涼太と一つ屋根の下で暮らせるなんてわたしだけなんだし……。もしみんなが知ったらうらやましがるだろうなぁ……)

 まだまだ自分は恵まれた境遇にあると気付く。

 涼太とは姉弟きょうだいなので他人から文句を言われる筋合いもなく、家に二人きりなら嫉妬する者もいない。

(うん……。涼太は当分彼女作る気なさそうだし、今の内に思う存分……)

 龍次との関係が壊れた喪失感を、姉弟愛らしきもので埋めつつ帰途についた。

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