第4話「追憶:憧れの人」
夜分、天堂家の洗面所にて。
血のついたハンカチを一心に洗っている優月。
「珍しいな、優月が洗い物なんて」
戸を開けて入ってきた涼太が、不思議そうにしている。不思議に思われるぐらい、普段家事に類することは一切やっていない。
「う、うん。血がなかなか落ちなくて……」
「血……? 怪我したのか?」
訊かなければ分からないぐらい、傷は跡形もなく消えている。これも霊力のおかげだ。どうせならば精神も同じように強くなってくれると良かったのだが。
「まあ……、大したことはないんだけど」
「落ちないぐらいなら捨ててもいいんじゃないか? それより食器とか洗えよ」
シンクの中を覗き込んで、ハンカチの状態を見ながら言う。
「か、貸してもらってるものだから、そういう訳には……」
実際には、返す約束もしていないし、相手もそこまで求めていないだろう。
「借りてる? 誰に?」
「えっと……、りゅ……龍次……さん……っていう人から」
苗字を知らないからには仕方のないことなのだが、涼太以外の男子を下の名前で呼ぶ機会はそうそうないので非常に緊張した。
「龍次……。最近中等部に転校してきた
優月が通う学校には初等部から高等部まであり、涼太も同じ学校の初等部に所属している。
その為、優月のクラスメイトなども涼太にとっての先輩だ。
「あっ……、確か転校生って」
聞いた限り、転校したてで注目を浴びているということのようだったので、おそらくその人だろう。もっとも、転校生であろうがなかろうが周りに女子は集まってきそうな容姿だったが。
意外にも涼太が龍次を知っていると分かり、水道の水を止めて話を聞いてみることに。
「やっぱりな。
何が『道理で』なのか察しがつかない、というほど鈍くはない。むしろ初等部の生徒――厳密にいえば児童――までが知っている理由にも察しがつく。
「うちのクラスでも『美形の転校生だ』って話題になってるからな。要はそういうことだろ?」
「う……、まあ……、そういうこと……かな……」
中学生になって、自分も周りも落ち着いてきてはいる。しかし、多感な時期であることに変わりはないので、余計な心配をかけることになりそうだ。
とりあえずハンカチを置いて、洗面台の横にかかっているタオルで手を拭う。
「そんなお前に朗報だ」
良い知らせを口にするとは思えない陰気な目で、吐き捨てるように言った。
「日向先輩は、上級生や下級生も含めたファンの間で見世物になってるらしい。他の連中に混ざってりゃ、少々付きまとっても文句はつかないぞ」
確かに朗報だ。付きまとうかは別にして、少なくとも見ているだけで不審者扱いということは避けられる。
「どうだ、嬉しいだろ」
馬鹿正直に嬉しいなどと言えば
ここはひとつ機嫌を取っておくことにする。
「わ、わたしのクラスにも、涼太のファンだっていう人いるよ? 初等部まで見に行くとか」
ファンを自称する割には、同じクラスに涼太の姉がいるとは気付いていないようだった。
「そいつはどうも。おれは風呂入るから」
気のない返事をすると共に奥へ歩いていく涼太に声をかけてみる。
「い、一緒に入らない? ほら、しばらく前まではよく一緒に入ってたんだし……」
「なっ……、ま、まだそんなこと言ってんのか!? この歳になってありえないだろ!」
当然ながら断られた。断られるのは分かっている。
だが、先ほどまで落ち着き払っていた涼太が、どこか慌てた様子になっている。
顔をほのかに赤らめてそっぽを向く姿。これが見たかったのだ。
優月にとって保護者同然のしっかり者であることとは裏腹に、実際の年齢より幼い外見をした可愛らしい弟が日々の癒しであった。
毎回少しずつ違う言葉を探してアプローチし続けており、今回盛り込んだのは、以前一緒に入っていたことがある、という部分。
「……馬鹿言ってないで、とっとと出てけ」
嫌われては元も子もないので素直に従う。
ハンカチについては、そもそも一度血を拭いたものを返すのではなく新品を買うべきだと考え直した。
翌日、学校でクラスメイトの話し声を聞いていると、確かに『日向君』という名前が頻出していた。
龍次は転校して
休み時間に同級生女子の後ろをこっそりついていったところ、すぐ近くの教室で姿を拝めた。もちろん、自分は教室内に立ち入っていない。
(け、結構みんな話しかけてるんだ……)
誰に対しても分け隔てなく接するとあって、積極的に近づいていく者も多かった。当人は、周りを囲まれてしまい、さすがに困惑気味だ。
(ハンカチ買ってきても、渡すタイミングが……)
女子の人気も高いが、それを鼻にかけない気さくな性格で男子とも仲がよさそうに見える。
男子同士で会話しているところに割って入ると場違いに思われそうだし、せっかく美人にちやほやされているのに邪魔をするのも申し訳ない。
実際には、女子たちの容姿も
結局、遠巻きに眺めるほかないと諦めてしまった。
微妙に血で染まったハンカチは、お守り扱いで持っておくことに。
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