第3話「追憶:出会いの時」

 羅刹との邂逅かいこうから四年経った頃。現在からは二年前のことだ。

「あの時は、なんかかっこよかった気もしたんだけどなぁ……。デカい奴の時だけだったか……」

 自宅のリビングで、郷愁きょうしゅうに浸るかのような目をしている涼太。

「うう……、面目ない……」

 姉弟で力を合わせて生きていく。そうなるはずだったのだが。

なんでお前は、未だに戦えないんだよ? 一応、家で練習してる時はそこそこの力が出せてるのに」

「じ、実戦は緊張して……」

 霊力を身につけてから、同じく霊力を持つ存在の気配を感じ取れるようになって、町に喰人種がいるようであれば、退治することにしている。

 幸い、今のところ強大な敵は現れておらず、小型の喰人種相手に試行錯誤しながら、武器の扱いを覚えていけた。

 だが、実際に倒すのはいつも涼太で、優月はおまけのようについていくだけ。

「今は逆に緊張感ないけどな」

 優月はソファに寝そべって、だらだらしている。

 特別な力を持ったところで人間性まで変わる訳もなく、相変わらずの駄目人間だった。

「優月さん……」

 優月がはめている指輪から、女性の声が発せられる。

 この指輪は、羅刹の刀が変化へんげしたもの。人間界で帯刀していると警察の厄介になりかねないということで、携帯しやすい形になってくれたのだ。

 涼太が回収した剣もブレスレットに変化へんげしていた。

「責任は私の本体――風花ふうかにあるのですが……、涼太さんにばかり負担をかけるのは……」

 羅刹の武器は、『魂装霊俱こんそうれいぐ』と呼ばれており、魂と意思を持っている。その意思に基づいて人語を話すことまで可能。

 風花というのは、四年前に会った羅刹の女性のことで、魂装霊俱に込められているのは羅刹自身が持つ魂の片割れとのことだった。

「すみません……、せっかく譲っていただいたのに……。他の人にも雪華せっかさんが使えればいいんですけど……」

 指輪の姿となっている刀に話しかける。

 『霊刀れいとう雪華せっか』――それが、風花より託された魂装霊俱の名前だ。

「前にも言いましたが、霊力のない人間が魂装霊俱を持っても、こちらの力を引き出すことができないんです。優月さんが使ってくれないことには……」

 喰人種も含め羅刹は、物理的な攻撃ではまず死なない。人間界の警察や軍隊が動いたところで、無駄なことである。

 無駄で済めばいいが、霊力というものを解析する目的で拉致され、人体実験などに使われる可能性すらある。人間が必ずしも喰人種より善良とは限らない。

(わたしは、ずっと家でゴロゴロしてたいのに……)



 優月は一時いっとき不登校だったこともある。刀を貰う少し前ぐらいまでがそうだった。

 きっかけは些細なこと。

 当時、クラスに気になる男の子がいた。ちょうど異性への関心が高くなり始めていたこともあって、常に目で追っていた。

 元々引っ込み思案な優月は、話しかけることもできず、ただ彼の一挙一動を凝視し続けるのみ。

 そんなある日のことだ。いつものように彼を眺めていると、周りの友達が本人に向かって話しているのが聞こえた。

『あいつ、またジロジロ見てるぞ』

『気持ちわりぃな……。お前もなんか言ってやれよ』

 彼自身の反応はよく分からなかったが、これらの言葉だけでもう限界だった。

 次の日からは学校に行くのが怖くて、引きこもるようになった。

 向こうは友達同士で、自分は話をしたこともない赤の他人。彼らは単に友達の心配をしていただけかもしれない。

 激しい自己嫌悪に陥って気力をなくした優月に対し、両親はちゃんと学校に行けと叱りつけた。あまり成績が良くなかった為、ただサボっているだけだと思われたのだろう。

 そんな中、唯一辛いことがあったのだと察して慰めてくれたのが涼太だ。

 立ち直ることができたのも、気持ちが落ち着き始めた頃に、毎日学校まで付き添ってもらえたから。

 文句を言いながらも必ず助けてくれる涼太がいなければ、自分は生きていけないと思った。それは今も変わらない。



 家にいれば嫌な目に遭わない上、大好きな弟に甘えていられる。

 外に出ることにメリットが感じられない。自宅にこもって涼太と二人きりで過ごすのが一番幸せだった。

なにか、家の中でもできる簡単な仕事ないかな……? 単純作業なら量が多くてもいいから……」

 優月は、家事を中心に女性的な仕事全般が異様なまでに苦手だ。霊力のおかげで身体は強くなっているので、力仕事のほうがまだ得意といえる。

「喰人種はどうすんだよ」

「優月さん……。今のペースでもいいので、諦めずに頑張ってくださいね」

 頑張る気がない訳ではない。せっかく外にも出られるようサポートしてくれた涼太の思いを踏みにじりたくはない。

「な、なんとか……、少しずつ……」

「まあ、学校に問題なく通えるようになっただけでも大きな進歩か」

「あ……涼太……。宿題手伝って……」

「ほ、本当に優月さんがお姉さんなんですよね……?」

 宿題をやってこなかった為に怒られて、また学校に行きたくないなどと言い出されては困ると、二つ年上の優月が習っている範囲まで既に勉強している涼太だった。



 そんな調子で、優月が嫌々通っている中学校にて。

 昼休みは教室に居づらい為、涼太に作ってもらった弁当はグラウンドの隅に隠れて食べている。

 その帰りのことだ。

 端のほうに沿って歩いていると、その視線の先には読書に耽っている男子生徒が一人。

 メガネをかけ、優月だったら読む気にもならないような分厚い本を広げている姿から知的な印象を受けたが、堅苦しい雰囲気は全くない。むしろ爽やかな感じだ。

(わ……。かっこいい……)

 自分が不登校になった原因を忘れた訳ではないものの、反射的に見入ってしまう。

 悲劇を繰り返したくはないので、できるだけ不自然のないように、花壇の隣に腰かけた彼の前を通り過ぎていく。

 その途中、少しグラウンド側を向いていたところ、野球のボールが飛んでくるのが見えた。

 普通に歩き続ければ自分には当たらないはず。だが、本に目を落としている彼は気付いていないかもしれない。

 今度も反射的な行動だった。半歩戻ってボールを受け止めようとする。

 受け止めようとしたのだが――、失敗して額に激突した。力こそ強くなったものの、だらけた生活を送っている為、運動神経は悪いままなのだ。

(い、痛い……。霊力がなかったら死んでたかも……)

 ボールの当たった部分を抑えてうずくまる。ぬるっとした感触。出血しているらしい。

「大丈夫!?」

 声をかけられたかと思うと、先ほどまで本を読んでいた彼の顔が間近に迫っていた。

「えっ……? あっ……。だ、大丈夫です」

 心配をかけては申し訳ないと、慌てて立ち上がる。

(話しかけてもらえた……)

 動悸どうきが収まらない。まさか相手のほうから話しかけてくるとは思ってもみなかった。

 真正面から見るその顔立ちは端整たんせいそのもので、まぎれもない美男子だ。

「でも、血が出てるよ」

 額からほおの辺りまで、血がつたっていく。

 ただ、意識ははっきりしている。珍しく霊力が役に立ったらしい。

「た、たぶん、すぐ治ると思います。頑丈さだけが取柄なので……」

 霊力の存在を知らない者にしてみれば、頑丈どころか貧弱にしか見えないので意味不明だろう。

「これ使って」

 差し出されたのは、高級感漂う綺麗なハンカチ。

 受け取りはしたが、自分などの血を拭くことに使っていいのかと逡巡しゅんじゅんする。

「い、いいんでしょうか……?」

「うん。今の、君がいなかったら俺に当たってたよ。かばってくれたんでしょ? ごめん……。いや、ありがとうのほうがいいのかな?」

「い、いえ……、お怪我がなくて何よりです」

 お礼に言い直してくれたのはありがたかった。大したことはないのに謝られてしまったら、かえって萎縮いしゅくしてしまうところだ。

「とにかく保健室に……。なんだか平気そうにしてるけど、こんなに血が出るなんてよっぽど――」

「おーい、大丈夫かー?」

 おそらくボールを飛ばしてしまった生徒だと思われる男子が駆け寄ってきた。

「大丈夫じゃないだろ。この子が怪我したんだぞ」

 優月に話していた時より、強気に思える口調で答える。

「おお、龍次りゅうじか。なんでこんなとこに――、あー、教室だと女子が群がってて落ち着かないのか。いいよな転校生は注目されて」

「そんなことはどうでもいいからちゃんと謝れ」

 今の会話だけでも、教室を離れていた理由が自分とは真逆だと察しがついた。

 ボールを飛ばした男子生徒から、いまひとつ誠意が込もっていないような謝罪を受け、そのあとは龍次に保健室まで送ってもらうことに。

 家族以外とまともに話すのは久しぶりのこと。緊張はしたが、悪くない気分だった。

(龍次さん……。龍次さんかぁ……)

 分かったのは、名前と転校生だということぐらいだったが、彼の存在がやけに気になってくる。

 これが、優月と龍次の出会いであった。

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