第2話「追憶:羅刹の刀」

 六年前。

 当時十歳の天堂てんどう優月ゆづきと、八歳の天堂てんどう涼太りょうた

 二人は、両親の帰りが遅くなるということで、夕食用の弁当を買いに行く為、夜道を歩いていた。

「あ、あの……、アイスも買っていい?」

「買うのはいいけど、食べるのは明日にしとけよ。今日一日で二つ食べたんだし」

「う、うん。分かった」

 二人の間では、これが普段通りのやりとりだ。

 優月は対人恐怖症で、他人とうまく話せない。家族の場合は大丈夫なのだが、涼太には世話になりっぱなしということで、頭が上がらない。

 家での生活だけでなく、登下校中、さらには自分の教室――涼太からすると上級生の教室――でも、色々とフォローしてもらっている始末。

 そうした背景もあり、最早、涼太の許可を取ってから行動するのが、優月の習慣になっている。

 並んで歩いていたのだが、突然起こった寒気に、思わず身震いした。

 体調不良ではない、嫌な予感でもない。ただ単に寒かっただけだ。

なんだ? 今の風……」

 不自然なほどの強烈な冷気が駆け抜けたことに、眉をひそめる涼太。

 立ち止まった涼太に合わせて、優月も立ち止まる。

 その時、背後で轟音ごうおんが響き、地面の震動が伝わってきた。

 驚いて振り返ると、視線の先では、道路を完全にふさぎ切るほどの巨獣がうなりをあげている。四本の足がアスファルトを打ち砕いていることから、先ほどの震動は、これが落下してきた衝撃によるものと判断していいだろう。

 道を埋め尽くすほどの巨大さを別にしても、何の動物か分からない。背中から何本も触手らしきものが生え、頭部からは牛のような角、口元からは牙が伸びており、爛々らんらんとした赤の目を持っている。

(え……? 何……あれ……)

 全身がけがれたような黒一色のおぞましき姿を前に、優月は呆然と立ち尽くす。

「何やってる! 早く逃げるぞ!」

 かつてない切迫せっぱくした様子の涼太が、優月の腕を掴んで駆け出した。

 巨獣は二人を獲物と見なし身を動かす。そして、触手の一本を伸ばし、その先から一筋の光線を撃ち出した。

「涼太……!」

 迫ってくる光は、涼太のほうを捉えている。

 そう直感し、涼太を覆うように飛びついた。

 背中を焼かれ、激痛を感じると共に倒れ込む優月。

「優月!!」

 涼太は抱き起そうとするが、そんなことをしていては、逃げられるものも逃げられない。

(……わたしなんかいいから、逃げて涼太……)

 自己犠牲の精神などという高尚こうしょうなものは持ち合わせていない。ただ、世話になりっぱなしの弟から命まで奪う自分のみにくさを思い知らされずに終わりたいだけだ。

 そんな願いも虚しく、先端が牙を持つ口のように変化へんげした触手が、間近に迫る。

 喰われる――、そう思った矢先、空から降ってきたやいばじょうの何かが触手を斬り落とした。

 そして、舞い降りる月白げっぱくの着物に身を包んだ女性。

 二人をかばうように前に立ち刀を構えるその女性は、先ほど吹きつけたのと同じ冷気をまとっている。

「あなたたち、二人揃って逃げられますか?」

「いや……」

 振り向いて尋ねる女性に、涼太は否定の言葉を返すほかない。

 体格的に、涼太が動けない優月を背負って逃げることは難しかった。

「分かりました。大丈夫です」

 女性は、落胆した様子も見せず、柔らかく微笑む。

 意を決したように巨獣のほうへ向き直ると、刀を高く掲げた。

「もう、あの子たちに私の力なんて必要ない。それに、あの人も……雛形ひながたさんも……。だったら――」

 女性を中心に周囲の大気が激しく震え出し、さらに、空を暗雲あんうんが覆い尽くしていく。

(この人……人間じゃない……?)

 地面に伏しながらも女性の姿を見ていた優月は、放たれる凄まじい波動から、彼女が人ならざる者だと感じていた。

 こちらに襲い掛かろうとしている巨獣の遥か頭上で、莫大ばくだいな量の雪が集い、一つの柱となって降り注ぐ。そのまま、巨体の全てを飲み込んだ。

 視界を埋め尽くしていた豪雪が収まると、少し前まで巨獣だったものは、凍結し、細切れの肉片と化していた。

 途轍もない力を放った女性は、消耗し切った様子で膝を突く。

(た、助かったの……?)

 眼前に迫った脅威が消えたことに安堵していると、女性はふらつきながらも優月たちに歩み寄ってきた。

「その子の傷、見せてもらえますか?」

「あ、ああ……」

 涼太としても、優月をこのままにしておきたくはないだろう。手当てをしてくれるなら拒む理由もない。

 優月のかたわらにしゃがみ込んだ女性が、優月の背に手をかざす。てのひらから、淡い光がこぼれ出し、それに触れた傷口はみるみるうちに治っていった。

 傷が一瞬で回復するのも驚きだが、既に常識を超えた体験をしているので、いまさら何か言ったりはしない。

 いずれにせよ痛みが引いたので立ち上がろうとする。

「無理すんな」

 いつになく優しげに声をかけ、涼太が身体を支えてくれた。

「あ、ありがとう……」

 なんだかんだいって自分を気遣ってくれる弟を愛おしく思っていると、女性が穏やかな口調で話し始める。

「分からないことだらけだと思うけど……、時間が残されてないので、そのまま聞いてください」

 敵も味方も人知を超えた存在。正体を明かしてくれるらしい。

「まず、私はあなたたちと同じ人間ではありません。『羅刹らせつ』――、そう呼ばれる種族です。先ほど使った攻撃も治癒の術も、『霊力れいりょく』という力によるものです」

 彼女曰く、人間の間でもてはやせされている霊媒師れいばいしなどは霊力を持っておらず、仮に持っていたとしても、現世にいる者が死者の世界と交信することはほぼ不可能とのことだった。

 そもそも、死して現世を離れた魂は、羅刹の頂点に君臨する者でさえ、決して現世に引き戻すことができない。それほどまでに、死という現象は重いものだとも。

「羅刹……、霊力……」

 言葉自体はどこかしらで聞いたことがありそうだったが、おそらく実在が判明したものとは別物だろう。

「私たちは普段、こことは違う世界で暮らしているのですが、中には人間界で人を襲うものもいます。それが、たった今倒した怪物『喰人種しょくじんしゅ』。羅刹の魂が変異した存在です」

 喰人種と呼ばれる怪物は、元々羅刹だった。人間にしてみれば、この女性と同じ側に属しているとも考えられる。

 身内が多大な迷惑をかけているといわんばかりに、女性の表情は曇っていた。

「被害を食い止める為に仲間と戦っていたのですが、他の二人が亡くなったようで……、そのことに気付いて動揺した結果、この有り様です……」

 優月たちとしても、どう言葉をかけていいか分からない。自分たちは助かったが、彼女の仲間は命を落としているのだ。そして、聞いた限り、死者の蘇生などという能力はどこにも存在しない。

「――ここからは、あなたたちに直接関わってくることなので、よく聞いてください。私がすぐそばで大きな力を使ってしまったことで、あなたたちの魂が影響を受け……、霊力を呼び覚まされると思います」

 声色はあくまでも暗いまま。

 自分たちが、あのような力を行使するところは想像できないが、何か不都合なことがあるのは予想がつく。

「わたしたちが……」

「さすがに、おれたちが今みたいなすごい力を持つ訳じゃないんだろうけど……、少なくとも性質は同じか……」

 涼太の口振くちぶりは落ち着いているように感じられるが、優月同様、驚いているのは間違いないはず。

「喰人種が人を襲う目的は、その魂を喰らうこと。多くの力を取り込む為にも、高い霊力を持つ魂を狙う傾向にあります。つまり……」

「周りが霊力ゼロの人間ばかりの人間界じゃ、おれたちが最優先で狙われるってことか……」

 言いづらいことだと察したのか、涼太が核心部分を口にする。

 羅刹の女性は苦渋くじゅうに満ちた表情をしていた。普通の人間を巻き込みたくなかったのだろう。

「叶うことなら私が傍についていたいところなのですが……。もう……時間切れのようです」

 今まで話していた女性が、その場で倒れた。

「私は生命力まで使い果たしてしまいました……。せめて、身を守る手段を……」

 息も絶え絶えに言葉を紡ぎながら、自身が握っていた刀を差しだしてくる。

 その時、着物の上に羽織っていた薄手の肩掛けが、ボロボロになりながら消えていった。

「え……?」

 刀を渡されたのは優月。

 仮にも姉である以上、その刀を使って弟を守るのが筋だとは思う。しかし、それができる自信がない。

「もう一つ……、あちらにも遺されているはず……。友人の持っていた武器が……」

 仲間の羅刹が戦っていたのだと思われる方角を指差す。

「これから……二人、力を合わせて……生き……て……」

 最期の言葉を告げると、羅刹の女性は静かに息を引き取った。

 その、涼太に肩を貸してもらって、家に帰った優月は、疲れ切って眠ってしまう。

 傷が治っただけで、失った体力までは戻っていなかったのだ。


 翌日、目を覚ますと、ベッドに寄りかかって涼太が眠っていることに気付いた。夜の間、優月の様子を見守っていたらしい。

「涼太……」

 気が強い面もあるが、自分が本当に弱っている時には健気けなげな姿を見せてくれる弟に心が温まる。

「ん……」

 起こすつもりはなかったが、声をかけると、涼太も頭を上げた。

「あぁ……、もう起きて大丈夫なのか?」

 寝ぼけまなこをこすりながら、具合を尋ねる涼太。

「……うん、大丈夫。涼太は、ずっとついててくれたの?」

「いや、あのあと、もう一本あるっていう武器を探してきた。それからだな」

 優月を送り届けた後で、さらに武器まで探しに出かけていたようだ。

「ごめんね……。涼太にばっかり大変なことさせて……」

「お前が庇ってくれたおかげでおれは無傷だったからな。これぐらいは……」

 案外あっさりと治してもらえた為、あまり意識していなかったが、とっさに涼太を庇って負傷したのだった。

「その……、あ、ありがとう……。守ってくれて……」

 照れくさそうにほお紅潮こうちょうさせながら視線をそむける。

(か、可愛い……! やっぱり、涼太みたいな弟がいて良かった……!)

 面倒を見てくれることを抜きにしても、涼太を弟に持つ自分は幸せ者だと痛感できた。

「ただ、この先どんな危険があるか分からない。どうにも、この霊力ってので羅刹の武器が使えるみたいなんだが」

 そう言って、涼太は掌に光を出して見せる。

「それが、霊力……」

「ああ。でも武器がすぐに扱えるとは考えにくいからな。生き残れるように、おれら二人で何とかやってかないと」

「う、うん」

 そうして、優月と涼太の姉弟は、霊力と羅刹の武器とを手にして、共に戦うこととなったのだった。

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