1年G組


  1


「……どうしよう」

 G組の隣にあるA組廊下で、一人の生徒が、争い合っている2人の生徒を見つめていた。彼女はどうやら、慌てているようだった。小柄で、美しい。と言うよりも可愛らしいと言うのが相応しい少女。

 1年G組出席番号5番、海野うんのあかりは、1年A組、木根きね然一ぜんいちと、1年G組、篝火かがりび龍児朗りゅうじろうが争っているのを目撃。何をしていいのか分からず、困惑したまま立ち尽くしていた。

 隣のクラスの生徒と、自分のクラスのクラスメイトが“才能”を遣い争っているその光景は、まさに――『戦闘』と命題するに相応しいものであったからだ。

「チッ……ふざけんなよ。

 急に喧嘩売ってきやがって」

「あれ? 自分で転んだのを僕のせいにするのかい?

 ひどいなあ。さすが、粗暴な見た目だけある」

「見た目は関係ねぇだろ!

 問題はオメェが俺の足を引っ掛けたことだ! その木の根っこでな!」

 ……確かに、龍児朗の足下には、何故生えてきたか分からない、床の罅を押し退けて突き出ている木の根っこがあった。だが、それだけでは彼、木根然一が足を引っ掛けた理由にはならない。

 ――ここが普通の世界であった場合は、だが。

「この木の根っこ。これがオメェの“才能”か?」

「……へぇ。単細胞野郎かと思ってたけど、ちゃんと見ていたんだね。

 まあ、余程の馬鹿にぐらいしか出し抜け無いとは思ってたけど」

「つまり、俺をバカだと言いたいのか?

 だとしたら心外だな。俺ぁ、これでも勉強はできるほうなんだよ」

 出席番号8番、篝火龍児朗は、髪を真紅色に逆立て、更に派手な格好をしており、見た目だけは不良のそれに見えるものの、そこまで素行が悪いとか、成績が悪いとか、そんなことはなく、普通の人より少し変わっている。というだけの男であった。

「そんなことはどうでもいいんだよ!

 とりあえず、バレたからには保健室送りにさせてもらうよ!

 君がどんな“才能”を持ってるかは知らないけどさぁ。どうせ大したことないんだろうね。君の見た目みたいにさぁ!」

「お前の才能も、どうせ『木を操る』とか、その程度だろ?

 それなら、俺に負ける要素なんてどこにもねぇよ!」

「……その程度?

 確かに、僕の才能は『繁樹ウッドコントロール』っていう木を操る能力だけど、これでもかなり強いんだよ? しかも僕は毎日この能力を鍛えてる。そんじょそこらの自惚れクンとは違ってね。それでもその程度って言えるのかな?」

 そんな事を言ってはいるが、彼自身はとてつもなく自身を過信していた。

 彼は自分の才能に溺れ、自分に溺れた人間であった。無論努力はしていたし、才能を鍛える特訓はしていたが、それ以前に彼は自分自身を信じすぎるという致命的な弱点があった。

「いくぞ! 僕を護れ! 木!」

「……燃えろ!」

 篝火が声を発したその瞬間、廊下に炎が燃え上がった。


  2


 教室内がなにやら騒がしい。

 どうやら、クラスメイトの一人が『才能』を使用し乱闘を起こしたという話のようだった。

「えっ、うちのクラス?」

「おう。8番の篝火だったか? あいつA組の生徒に怪我させたらしいぜ」

「確かにあいつ、見るからにヤバそうだったものな。ありゃ不良だぜ、不良」

 クラスメイト達が、皆自らが思う事を好き放題に述べている。

 そのシーンを篝火が目撃すれば、本人としては心中良い気分にはならないだろう。

 多少、気性が荒い性分ではあるものの、不良と銘するには、とても無理なほど、彼は善人であったからだ。

「そんなことないよ……」

「海野さん?」

「私……見てたんだ。木根君って生徒が才能で篝火君の足を引っ掛けたところ」

 海野あかりのその発言を聞いた途端、クラスの状況が一変した。

 断片的にしか話を聞いていなかったクラスメイトは、木根のほうから仕掛けてきた事だとは認識していなかったからだ。

「じゃあ、篝火がケンカ売られたってことかよ?」

「保健室送りになったの、木根っていう子なの?」

 誰がどうしてどうなったのかも、クラスには知られていなかった。

 入学したてで情報が少なかった。というのもあるのだが、いかんせん暴力沙汰ギリギリの立ち回りになってしまったためか、率先して話したがる者もあまりいなかったようだ。

 おそらくそれらが、G組に断片的にしか情報が伝わらなかった一因だろう。

「あー、木根ってA組の木根然一か?

 あいつとは中学一緒だったんだけど、性格があんまりよろしくなくて、クラスでも嫌われてたって話だぜ」

 そう言ったのは、出席番号7番、生妻おづま夏利なつとしだった。彼は木根とは同じ、えんじゅ中学の同級生で、このクラスの中では一番彼のことを知っている人間であった。

「マジかよ! それ本当なのか、ショウガ!?」

「ショウガじゃねえ! 俺はオヅマだ!」

 この場を借りて言っておくが、彼の苗字は、「生妻おづま」である。

 決して「生姜ショウガ」ではない。

 彼はよく他人に名前を間違えられる性分であった。

 おかげで中学時代の渾名は、『ガリ』である。

 そのせいか、彼は生妻というこの苗字が嫌になっていたのである。

「まあ、ということなんで、おそらくあいつから喧嘩売ったんだろうな。

 俺あいつの才能見た事あるけど、木を操るっていう何の変哲もないありふれた才能だったぜ」

「へえ。なかなか便利な才能じゃない」

「でもやられたんだろ?」

「篝火はどんな才能なんだろうな」

 才能。

 この世界ではごくありふれたもの。

しかし、三百年前ぐらいまでは全く縁のない存在であった。

 その、三百年前の、旧世代の地球では、それはSFやファンタジーの中のものでしかない存在。いわば超能力や霊能力といった、不思議な力として認識されていたものであった。

 年月が経つに連れ、人間には不思議な力が宿る比率が高くなっていった。

 当時は架空のものと思われるほどごくわずかの人間しか発現してはいなかった。が、今では全ての人間がその才能を手に入れるに至ったのだ。

 お蔭で、今では超能力や超常現象、伝説上の生物などという言葉は廃れ、全ては『才能』というふた文字の言葉のみで括られるようになった。

 木根の才能は、木を操る才能である。それ以上でもそれ以下でもなく、それでいて今ではごくありふれた自然操作系の才能だった。

「昔は超能力とか言われてて、漫画やアニメの中だけの話しだと思われてたんだってよ。才能って」

「あ、それ小学校のとき習った。

 確か、ドラゴンや狼男、ヴァンパイアとかも架空の実在しない生き物だって思われてたんだよね。

 みんな才能が使えるようになってからは、そんなの当たり前にいる程度にしか思われなくなったって、ばあちゃんから聞いた」

 そんな話をしていると、後ろの席の牛岡がおもむろに立ち上がり言った。

「それが本当なら、ナメらんねーように、オレがいっぺんシメてやろーか?

 オレなら一瞬で人間なんて食用に出されたブタ肉みてーにできるぜ?」

 出席番号4番、牛岡うしおか豪犠ごうぎは牛人である。

 両親は普通の人間であるが、彼には闘牛の血が混じっており、半分は人だが半分は牛。かつての神話生物と言われていたミノタウロスそのものである。

 そして、それこそが彼の才能であり個性。その名も『牛人間ミノタウロス』。

 彼はこれを今は誇りに思っていた。

「いやいやいや、お前が暴れたらシャレになんねーって! マジで退学になるから!」

「退学がなんぼのもんじゃい! 殺るのがダメなら半殺しにしてやる!」

「ちょっと、あんた達やめなさいよ! 牛岡も落ち着いて!」

 牛岡が教室で暴れ出す。

 彼をも凌ぐ才能を持っている者も数人いるものの、この牛人間に暴れられれば、教室はあっという間に崩壊してしまう。クラスメイトは必死に止めようとしていた。その瞬間だった――

「うるせぇ! ナメられてんのに泣き寝入り……ぁ、はれ……?」

 牛岡が急に目を閉じ、倒れた。

 どうやら気絶……いや、眠っているようだった。大きな鼾をたてて突っ伏している。

「……牛岡?」

「寝てるわ」

 急に眠り出した牛岡に困惑を隠しきれていなかった。

 そんな牛岡に、出席番号15番、木庭こば忍彦おしひこが近寄って行き、彼の口に顔を近づけた。どうやら臭いを嗅いでいるようだった。

「……この臭いは、睡眠薬のものに近いでござるな。

 拙者はそういうものも見ているが故、分かるのでござるよ」

 木庭は、黒の忍装束と覆面を身につけており、見た日本人は千人に千人は忍者と言うだろう姿をしていた。

 彼はそのまま、忍者であり、忍者一族の末裔でもあった。

「忍者ってござるとかよく言うよね。実際は言ってなかったみたいだけど」

「それは雰囲気とか印象とか、そういうものでござる。

 いめえじはより分かりやすいほうが分かりやすいのでござるよ」

「そんなものなの?」

「ところで、睡眠薬とはどういうことだ。そんなものを何故嗅がされた?

 A組の闇討ちか?」

 おもむろに、なぜ、誰が、どうして睡眠薬を盛った。のかを凛々しい瞳を持つ少女が言い放った。

 G組のクラス委員、出席番号12番、紅林くればやしマナだ。

 彼女は、愛くるしい見た目と可愛らしい声を持ってはいるものの、その性格は男らしく品行方正。まさにクールビューティーと冠することのできるものだ。

 成績優秀、スポーツ万能。まさに才色兼備、容姿端麗を絵に書いた少女であった。

「闇討ちならば、本当に油断してはならなくなる……。

 暴れた牛岡を止めるためにこのクラスの誰かがやったのなら、すぐに言え」

 ……誰も答えはしなかった。

 誰が睡眠薬を盛ったのかは分からないが、このクラスの誰かではないことは確からしい。

「……いないか。しかし、私は常に気配を探っていたのだがな……謎だ」

 紅林は神妙な面持ちで眠りこけている牛岡を見る。

「入れ!」

 唐突に扉が開き、担任の馬場が入ってきた。

 国語兼体育教師で、見た目は髭面の中年男性である。筋骨隆々のその体は、日々ジムで鍛えているからだとか言われているが、その理由は定かではない。

 馬場と共に入ってきたのは廊下で喧嘩騒ぎを起こしていた、篝火であった。一発殴られたのか、頭を抑えていた。

「いってーな……急に殴ることねえだろ」

「勝手に暴れた挙句、才能を馬鹿な事に使った罰だ。鉄拳でなかっただけマシだと思えよ」

「馬鹿っていうんじゃねえ! 体罰教師!」

「……今回はこれぐらいで許してやるが、次やったら本気で殴るからな?」

「……わーったよ」

 一瞬、凄んだ馬場の拳が鉄に変わった気がした。

 実際、気のせいではなく、それは彼の才能。『鉄人登場アイアンジャイアント』のためであった。

「俺が鉄人ゴーレムにならないだけマシだと思え。俺が本気で説教をする時は、俺が本気を出した時だ」

 『鉄人登場』の能力は、鉄の巨人、ゴーレムに変身するものである。普段は肉体全てが変化する才能であるが、才能の制御により、彼の場合、体の一部のみをゴーレムにすることもできる。

 変身系の才能の制御が可能なのは、馬場など、教師レベルの実力者くらいである。

「じゃ、授業始めるぞ」

 こうして、G組の授業が、今日も始まった。……一部煮え切らない部分がある生徒もいたにはいたが。


  3


 現在の学園は、学業やスポーツ、道徳などを学ぶ事は旧時代と同じであるが、現在は才能の正しい使い方を学ぶところとしても認知されている。

 才能は強力だが、それ以上に危険なものである。

 才能を利用して犯罪行為を行う人間も新時代の初期には多数存在した。新たな力をほぼ無力だった生物が手にいれたのだ。それは当然のことだっただろう。

 それを防ぐべく、全ての学園で新たなカリキュラムが発足された。その一つが『才能』の授業である。

 草薙学園は、都内の有名校で、入学試験時の『学力』・『体力』・『才能』・『素行』を総合的に算出し、実力順にクラスを分けている。

 まずは、B組からF組までの『普通クラス』。

 普通科の中でもそのランクは、B~D組とE~F組に分けられており、BからD上位ランクは学園の一部の特典が解放され、EとFの下位ランクは、特に変哲もない、普通の学生として扱われる。

 残りの3クラス、A組、G組、S組は、入学試験時に優秀な成績をおさめる。またはレアリティのある強力な才能の持ち主のみが配属される、『特待クラス』と呼ばれるクラスである。

 特待クラスは、クラス専用の校舎や施設があり、色々な特典も適用され、優遇される。

 ただしこれは、優秀な生徒を優遇するというわけではい。

 色々な方面に優秀であるが故に、その力を危険な方向に使用する可能性がある。それを防ぐため、普通クラスとはまた違う教育を施されるのだ。

 それを知らない普通クラスの中には、優遇されている特待生を妬むものもいるが。

 AceエースClassを表すA組。

 GreatグレートClassを表すG組。

 SpecialスペシャルClassを表すS組。

 この三クラスは、毎年同じクラスになれるわけではない。期末の昇格試験で一定の成績をおさめなければ、普通クラスへの降格の可能性も出てくる。

 逆に普通クラスから特待クラスへと返り咲くことも可能である。

 それ以外にも、この学園には色々な秘密があるのだが、それはまだ説明するには早いだろう。

 所変わって、1年G組学食室。昼休み。

「お茶が美味しいですなぁ」

「黒子坂君……どこから座布団とか色々持ってきたの?」

「ワタクシの持参でございますが」

「いや、持ってくるか普通!?」

 出席番号25番円谷つぶらや良太りょうた、出席番号17番櫻木さくらぎジロー、出席番号13番の黒子坂くろこざか竹丸たけまるが昼食を摂っている最中だった。

 龍海真一と園咲工、篝火龍児朗も近くの席に座っており、その会話は彼らにも聞こえていた。

「黒子坂君って、どう見ても黒子だよね……座布団と湯呑持参してきてるし……」

「円谷と櫻木、あいつとよく一緒にいるよな。どっちも普通っぽい奴なのにな。まあ、黒子坂も悪い奴じゃないしな」

 黒子坂竹丸は、見た目はどう見ても歌舞伎の裏方こと黒衣である。実際黒衣の仕事をしていると言っていたらしいが。

 常に黒衣の着物と顔隠しで姿を隠しているため、素顔も分からない。が、性格はマイペースで明るく、悪印象は見受けられないため、エキセントリックな格好の普通の生徒とクラスメイトは認知していた。

 対する円谷良太は、実年齢よりも少し若く見える程度には幼い見た目をしており、性格もおとなしく目立たない、見るからに草食系をイメージさせる生徒で、櫻木ジローは、日焼けした肌が特徴的な、活発なスポーツマンをイメージさせる生徒だった。

 どちらもそこらへんの学校にいるという程度の外見であり、黒子坂とどう付き合うようになったのかは初見だけでは皆目見当もつかなかった。

「園咲君、龍海君、篝火君。あなた達も一緒にどうですかな?

 みんなで食べたほうが美味しいのではないですかね?」

「どうする? 真一」

「うーん……一緒に食べようか」

「おう」

 真一と工は、黒子坂達の席に自分達の椅子を移動させた。

 と同時に、食していた弁当も相手席へ寄せる。真一は日替わり定食、工はオムライス定食を。

「篝火は?」

「俺はいい。一人で食いたい」

 篝火はコンビニ弁当を食べていた。あまりこういう拘りは持たないようで、近くのコンビニで売られていた安価の弁当を毎日買っているらしい。

「そうでございますか。またよろしければワタクシと食べましょう」

 黒子坂はそう言うと、篝火から、円谷達の方向に顔を移動させた。

「でさ、お前らの才能って何? クラスメイトになったんだから、それぐらいは知っておきたいなーって」

 工がそんな話を切り出した。

確かにクラス全員が各種別々の才能を持っている。が――

「うーん……僕は、あまり言いたくない。使う気もないしね」

「俺も。どうせ今は才能使えないし」

「僕は……父さんに気軽に使うなって言われてるから。それに危険な才能でコントロールも難しいんだよね」

 円谷、櫻木、真一が、間、髪入れず才能を見せることを拒否する。実際、龍海と円谷は学園の上層部から能力の使用を制限されていた。

「そっか。確か危険な才能だと学園から制限通知が来るんだっけ。俺も嫌がってるやつに無理に言わせるほど鬼じゃないよ。

 俺の才能は――こんな感じ」

 工が、スプーンに手を触れる。するとそれは瞬く間にフォークに変わり果てていた。

「あれ!? スプーンがフォークに!?」

「これが俺の能力。俺が触れた物質を別の物質に変化させる、『物創りモノヅクリ』。

 一応、任意で使用できるし、簡単な物なら自由に変えることができるぜ。まあ、簡単な錬金術みたいなモンかな」

 工はそう言うと、再びフォークをスプーンに変化させ、再びオムライスを口に頬張りはじめた。

「ワタクシも問題はないのでお教えしましょうか。それっ!」

 黒子坂が掛け声をかけると、学食室に煙が立ち上がった。

 煙は一瞬で消え、そこには黒子坂ではなく、黒毛の犬がちょこんと座っているだけだった。

「あれっ、犬!?」

「ワタクシですよ。ワタクシの才能は好きな生き物やモノに変化できる才能ですからな。

 今回は簡単に犬になってみました。どうでしょう?」

 犬が黒子坂の声で話し出した。

 というよりかは、この犬こそが、変身した黒子坂そのものなのだろう。

理由は黒子坂が言った事その通りである。

「黒子坂君は変身系なんだね。便利じゃない? 色々なものになれるとさ」

「いえ。ワタクシの『変幻自在ミラクルチェンジ』は超生物や巨大な物。武器など殺傷力のある物には変身できないんですけどもね。あくまで相手の目を惑わす事が目的の能力ですから」

 再び煙を立ち巡らせ、黒子坂がいつもの黒衣姿に戻った。

 そのままおもむろに後ろを向き、湯呑の中の昆布茶を啜った。彼はあまり自分の顔を見られたくないらしい。

「では、才能発表会はこれくらいにして、楽しい御相伴の時間に戻りましょうかね」

 その後、彼らは授業が始まるまで談笑を続けていた。


  4


 授業が終わり、放課後が訪れた。

日は落ち、既に空は漆黒に染まっている。すでに月すら出ている有様だ。今日は満月のようだ。

 真一と工は自分達の宿舎へと向かっていた。

 草薙学園は宿舎制であり、クラス・男女・出席番号でそれぞれ区切られている。

 龍海真一と園咲工は一年G組・男子出席番号11~15番の宿舎。1GM-3号室である。

 宿舎は21時には閉まってしまうため、生徒達は早めに帰宅する事が習慣的になっていた。

「真一、今何時?」

「えっと……8時……」

「あと1時間かよ! すまん、俺が忘れ物しなきゃ……」

「いや、1時間なら間に合うよ。急がずに行こう」

 幸い、校舎と宿舎はそう遠くないため、心の中ではそんなに焦ってはいなかったが、万が一時間を過ぎるとその日は野宿か校内泊まりになってしまうため、二人は少しではあるが焦りを見せていた。

「このペースなら15分くらいでいける……って、ん?」

「何だ、真一?」

 真一は、背後に何か気配を感じた。

人間の気配――の、ようなものである。が、園咲工のものではない。もっと、別の何か。

 人間以外の――人間に近い、何かしらの気配を。

「……後ろに、なんかいない?」

「……は?」

 ふと後ろに目をやると、何か、黒い影が動くのが見えた。

 一見、人のようだが、一回り大きいその影は、人間と一瞬では確信しきれないものであった。

 何故なら、その人影は、獣の形を模していたからだ。

 その姿はまるで――

「……狼男?」

「狼男だあ? なんでこんなとこに? しかも変身系の能力は制限されてる――」

 工がそれを言い終わる前に、狼男は見つかったのが分かったのか、急速に動きを早めた。

 その動きは、二人を狙っているのだと、即座に理解することができた。

 二人も、奴が自分達を狙っているのだと分かり、すぐさま退避の形をとろうとした。が。

「ガアッ!」

「おわっ!」

「工!」

 獣の長い爪が、工の顔面を掠めた。傷はつかなかったものの、一歩間違えば怪我では済まなかっただろう。

「チッ。外したか」

「な、なんで……」

「うるせぇ……満月の日は、壊したくて殺したくて仕方がないんだよォ……っ!」

 獣は、執拗に指先の凶器を振り回す。

 その狼男が誰なのかは分からない。なので、二人は逃げた。それしか方法がなかったからだ。

 二人とも運動神経はそんなに高くなく、体育の成績も平均程度である。

そんな運動神経で獣人の爪の刃はそう何度と躱す事は不可能――そう思ったからこそ、二人は逃げるという選択肢を選んだ。

「とりあえず宿舎に逃げ込むんだ! そうすりゃ、あいつも追ってこねえ!」

「どうするの!? このままじゃすぐ追いつかれるよ!?」

「くっそ……。!

 真一、何か適当なもん持ってないか!? いいこと思いついた!」

「えっ!?」

 適当なもの――は、特には見つからなかった。

 真一は必要最低限のもの以外は持ってこない習慣があり、それゆえに、適当な所有物というものは存在しなかった。

「ごめん! ない!」

「ちくしょう……どっかに適当なものは……。

 下敷きか……これでいいか!」

 工は鞄から下敷きを取り出す。走りながら、その薄いビニールの板を上へ掲げた。

「俺の下敷き! 大きな鉄の壁になれ!」

 工は下敷きに力を込めると、すぐに後ろに放り投げた。

 するとその下敷きは、みるみるうちに大きな鉄の壁へと姿を変える。工の才能、『物創りモノヅクリ』だ。

 鉄壁が勢いよく路地に音を立てて落ちる。その壁は、狼男と工達を隔てることに成功した。

「よし! これで大丈夫だ! さすがにあの壁は奴も壊せねえだろ!」

「ありがとう、工!」


「クソ! こんなもん作りやがって! 小賢しいマネを!!」

 後ろで狼男が何やら喚いているが、気にせず宿舎へ向けて足を動かした。

「いったい何だったんだろう、あの狼男……」

「知らねえよ……とにかく戻ろうぜ……」

 二人は、宿舎へと戻って行った。あの狼男が何者だったのか、それを考えながら。

 その後、狼男は舌を鳴らすと、鍛えられた脚を使い、満月を背に跳んだ。

 その身体は、軽く鉄の壁を飛び越える。

 しかし、既に二人は逃げていて、そこには誰もいない暗い路地だけが彼の目には映っていた。

「チッ。逃げ足の早ええ……。この憤りをどこに持って行けばいいんだよォォッ!!」

 狼は月夜に吠える。

 赤く煮えたぎった血を抑えられず、夜空に向かって声をあげる。

 それでも彼の衝動は抑えられない。それは才能であり、呪いでもあった。

「ハァ……ハァ……オレも宿舎に戻らなきゃなんねぇ……。野宿なんてゴメンだからな……

 チクショウ……誰でもいいから、この衝動を……抑えてくれよォ!」

「グッナイ! 元気にしてるかい? ウルフマン」

「……あぁ?」

 狼男の目の前には新たな影が映っていた。

 それは、漆黒の衣装に身を包み、銀色の髪と鋭い牙を見せつけていた。

「吸血鬼か? お前がオレの衝動を抑えてくれるとでも言うのかよ?」

「いや、俺様は宿舎へと帰る前にこの夜の街を散歩していたんだよ。そこで貴様に遭遇した。というわけだ」

 吸血鬼はそう言うと、興奮気味の狼男に音もなく近寄る。

 狼男の顎を指で持ち上げると「そろそろ宿舎も閉まる頃だ。野宿が嫌なら帰った方がいい」と言った。そのまま、笑いながら夜の闇へと再び消えていった。

「チッ」

 舌打ちを残し、彼もまた闇へ消えていった。

 こうして、草薙学園の夜が過ぎて行った。

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