Good tomorrow
ヤスラベ
戦場の少女
砂漠の真ん中、どこからとも聞こえる美しい歌声の旋律が支配する激しい砂嵐の中に死体がいくつも散らばっていた。手足や胴体が散り散りに散乱としている。どれ一つ、まともな状態で残っている死体はなかった。流れるように聞こえる美しい歌声とは正反対に残虐なまでに姿をさらしていた。 下半身だけの体。骨の突き出している腕。内蔵がはみ出している胴体。眼球の無くなった顔。無惨に転がる死体の中には子供の死体もあった。女の子と男の子の死体。そのどちらもやはり体の半分を欠いていた。しかしその二つの死体は、お互いを補い合うかのように寄り添いながら横たわっていた。死体には見覚えがあった。よく見知った顔だ。そう、あれは……。
――あれは、……私……?
「キキ、キキ。起きて、キキ」
体を揺らされながら名前を呼ばれる。まだ微睡む意識を無理に覚醒させられ、少しぼやけたままの目覚めを強要される。
「……ジル、どうしたの?」
私を起こした少年、ジルの顔が目の前にあった。幼い顔が視界に入った瞬間、見ていた夢を思い出した。砂漠に広がる死体の中に自分の死体ともう一つ、恐らくは――。
「なに?」
横になったままいっこうに起きあがらないどころか、ジルの顔を見たままじっとしている私をジルは心配そうに窺っていた。
「ゴメン、何でもないよ。どうしたの?」
「中隊長が呼んでる。急いで来てほしいって」
「隊長が? わかった、すぐ行く。ありがとう」
「うん」
ジルは頷きを一つ見せてから私に背中を向けて、テントの外へと走っていった。歳は今年で八になったばかりの子供だ。そんな子供が野戦服を着て銃を肩に担ぎ、野戦地にいる。おかしな事、とは思わない。私だって物心ついた頃から戦場にいた。ジルが私と同じ部隊に送られて来たのが七歳の時。もう一年も一緒に戦場を駆けずり回っている。子供が戦場で銃をかざして戦争をしている事が普通。私が生きているのはそんな世界だ。
感性に浸たるのをやめて私はさっきまで見ていた夢の事を思い出していた。さっきまで見ていた夢はどんな内容だったろうか? 砂漠の中、自分が死体になって横たわっていた。確かそんな夢だ。
私には未来予知の能力がある。一瞬先を垣間見る事ができれば、予知夢で遠い未来を見ることもできる。だけどそれは決して珍しい力ではない。子供なら誰でも一つ、不思議な能力を持っている。宙を浮く能力。遙か彼方、それこそ地平線上の物体を正確に見定める千里眼の能力。そして私のように予知能力を持つ子供。様々だ。しかしそれらは大人になるにつれて力を失っていく。詳しくは知らない。学のない私には知りもしないし、理解も出来ない事だろうから。ただ、その能力のお陰で私は今まで生きることができた。一瞬先の未来は、確実に私の生きる道しるべになっていた。敵の現れる場所、自分が死ぬビジョン。どれもが次の瞬間に生き残る為の選択を多くしてくれる。そして未来予知は私だけでなく、部隊の仲間も多く救ってくれた。この能力がなければ私はきっと今頃死んでいるだろう。物心ついたばかりの子供が生き残るなんて、こんな力が無い限り絶対に無理な話だ。現に同じ頃に戦地に送り込まれて生き残っている子供は私の知る限りいやしない。
いや、正確には先週まではいた。一人、二つ年上のジャンという少年が私と一緒にこの部隊で生き続けていた。ジャンは賢かった。すぐに私の能力の有効な使い方を考えだし、彼自身と私、二人が生き残れる方法を導き出し続けた。そんな彼も先週死んだ。私と別行動を取っていた時、不意を付いた一撃に死んだ。ジャンの死に涙は流れなかった。いつの間にか人の死も当たり前になっていた。散髪した髪に別れを惜しまないように、ジャンの死に私の感性の入り込む余地は無かった。
そして、そんな自分が異常だと気づかせてくれたのはジルだった。あの子はジャンの死に泣いていた。この部隊では子供は私とジル、そしてジャンの三人だけだった。他は全員大人で、そうしたら私達は自然とお互いの距離も近く、いつも三人一緒に行動を共にしていた。情は吐いて捨てるほどあった。ジルは、それを私に思い出させてくれた。だけど、涙はでなかった。戦場での人の死。それこそ、吐いて捨てるほど私の日常の中にはあった。人の死に、今更涙なんて出ない。
自分が寝ていたテントを出た私の目の前に広がったのは一面砂ばかりの光景だった。これが今の私の戦場。現在私達の部隊は岩山を背にして陣作りテントを張っていた。後方の補給部隊と合流するために待ちぼうけを食らっている最中で、ここ三日は前進もせずにこうしてのんきな戦場を味わっている。私のテントから少し離れた場所に隊長のテントがあった。
「失礼します」
簡易設置型のテントに入り込むと、そこには隊長のニック中尉と副隊長のギャルソン曹長がいた。二人して机の上の地図を凝視しながら何かの算段を立てていた。
「キキか。丁度いい、意見を聞かせてくれ」
隊長のニックに手招きされ、私はテントの中央に設けられた机の地図を覗き込んだ。ここら一体の地図だ。
「昨日先発した部隊と連絡が絶えた。最後に連絡があったのがこの地点」
説明を始めたのは副隊長のギャルソンだった。屈強な体を持った大柄の男だ。体のあちこちに傷を持つ歴戦の猛者であるギャルソンには私も何度が命を救われた。だがそれと同じくらい、私も彼を予知能力で救った事がある。それに加え女ながらに幼い頃から戦場におり、兵士として並以上の実力を持つ私をギャルソンは評価してくれている。
「敵の部隊の待ち伏せがあるかもしれない」
今私達がいる戦場は砂漠の真っ直中だ。見通しはいいが、砂の中に隠れられた奇襲には十分に気を付けなければならないし、明確な前線がないため、いつ敵の領土に自分たちが足を踏み入れて敵中に孤立してしまうかわからない。慎重に行動を取らなければならない戦場だ。そのために各部隊ごとの連携は怠らずに行っていたが、その内の一つ、偵察を兼ねた先発の部隊との連絡が絶えてしまった。そういう話だ。それにもう一つ気を付けなければならない事があった。
「ここら辺はワームの生息地だから、もしかしたらワームに襲われたのかしれないな」
ニックが地図に赤いペンで大きな円を囲んだ。その中に通信の絶えた部隊が最後に連絡を行った場所も含まれているし、私達の部隊がテントを張っている地点もその範囲内にあった。
「隊長、その事なんですけど」
「どうした?」
「もしかしたら部隊が全滅するかもしれません」
私の言葉にニックとギャルソンの顔つきが険しくなる。
「夢に見たのか?」
「正確なビジョンではありませんでした。ただ襲われ方と死体の状態からしてワームと考えて間違いありません。ただの夢にしては、人の死体がリアル過ぎました。予知夢で間違いないかと」
ワーム―― 一部地域で生息する大型のミミズ科の生物だ。その大きさは全長二十メートルに及ぶ物もおり、人間など簡単に飲み込んでしまう。地中から震動を頼りに獲物に襲いかかってくるため、足下からの奇襲を当たり前として仕掛けてくるやっかいな相手だ。
「日時はわかるか?」
「いえ、そこまでは……ただ砂嵐が」
「砂嵐か、今晩には直撃するかもしれないと連絡があった」
「明るさ的には日中でしたので、夜襲はないかと」
それを聞くとニックは少し安心したように肩の力を抜いた。
「そうか、なら今夜はゆっくり寝れる。最近は徹夜が多くてな、そろそろ限界だ」
「今日は自分に任せて休んで下さい。どうせ後続の部隊と合流しなければ動けませんし」
「そうだが、警戒は強くした方がいいな。曹長、他の連中に伝えといてくれ」
「わかりました」
ギャルソンはそう言うと綺麗な敬礼を残してテントを後にした。
一息吐くとニックは目と目の間をつまみ、少し疲れた顔を見せた。珍しい光景だ。ニックは普段あまり人にこんな姿は見せない。
「大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、問題ない。しかしまだ前線が安定しないで動きっぱなしなるだろうし、おちおち休んでいられないだろうな」
「そうですね……」
「……」
不自然な沈黙が流れた。その原因が私でなくニックにあるのだと、沈黙が苦痛に思えてきた頃に私はわかった。ニックが何か言いたそうで、しかし躊躇している様子だったからだ。こういう場合は私から何か言った方がいいんだろうか?
「……隊長」
「んっ? な、なんだ?」
「用件はそれだけで?」
「いや、その、なんだ……さっきのはギャルソンがいきなり持ってきた用件で、本題は別に、そうだな。……ちょっと話を聞いてくれないか?」
いつになく改まった物言いに私はちょっとたじろいでしまった。ニックは近くの椅子を寄て座ると、私にも座る様に勧めた。折角なので座ることにする。どうも話が長くなるようだ。しかし座ったのはいいが、いっこうに話を切り出す様子がない。少し焦れったいな。ニックは物事を結構明瞭に言う方だから、余程言いにくい事なのだろう。一体何を言われるのだろうと考えていると、ついにニックが口を開いた。
「どうだ、俺の子供にならないか?」
意を決した神妙な顔つきでニックの口から出たその言葉を私はいまいち理解できなかった。
「……そういうプレイが好みだったんですか?」
さすがに引いた。どん引きだ。色んな大人を見てきたから、その分だけ色んな性癖の人を見てきたが、流石にこれはない。失望に値する。するとニックは大げさに両手を振って否定した。
「そうじゃなくて、養子にならないかって事だ。ジルと一緒に俺の家に来ないか?」
何だろう。この変に気恥ずかしい気分は。養子? ジルと一緒に? 隊長の子供になる? いまいち頭の中に今言われた言葉が整理できない。
「俺も後三ヶ月で除隊だ。そうなったら堂々と家に帰れる」
除隊。部隊から、軍から退くのか。ニックは優秀な兵士だと思う。私もいくつも部隊を転々としてきたが、彼ほどの兵士はそういない。そう断言出来る。優れた状況判断に的確な指示。部下からの信頼も厚い。部隊長としては申し分人物だ。だけど、そのニックが後三ヶ月で除隊。と言うことは、彼はもう三年も戦場にいる事になる。
「それは……おめでとうございます」
と、あまり感情の乗っていない声で言ってしまった。自分でも驚いた。ここまで無機質な言葉を放ったのは久しぶりだ。どうやら私は彼の除隊を快く思ってないらしい。
「あぁ、ありがとう。……それでだよ、君たちをその時養子にすれば、一緒に除隊出来る」
「……えぇ、はっ?――除隊?」
今度は間抜けな声をだしてしまった。今なんて言っただろうか。私達が除隊? そんな事ができるの?
私のような戦争にかり出される子供は全員身よりのない孤児ばかりだ。そんな孤児を国が集め、国の所有物として扱う。兵士として。だから私達、戦場に送り込まれた子供は皆、死ぬまで戦場で戦い続ける。子供だけが持つ特殊な能力。それが今のこんなシステムをこの国に作られてしまったのだと、以前誰かが言っていた。しかし所詮は子供だ。命のやり取りをする残酷な戦場で大人相手に勝てるわけがない。私は例外だ。運が良かった。だから生き残れた。それでも優れた能力を持つ子供は戦場に送られる。常に、絶え間なく。
『戦争の為の子供』。私達はそんな言われ方をした事もある。
「特別な処置で、君たちを除隊させられる。しかしその為には保護者が必要だ。だから、僕の家に来ないか?」
「隊長の家にですか……迷惑では」
「そんな事はないよ。家の奥さんは子供好きだから、大歓迎だ。それに迷惑なら、こんな話を持ち出したりはしない。ちなみにこれが家の奥さんの写真だ」
ニックの左手にはめられている薬指の結婚指輪。私だってそれが安物だと程質素な指輪。そして手渡される写真。写真に写っている決して美人とは言えない隊長と同じくらいの年齢の女性。しかしそれを見る私には、それが彼の幸せの象徴に見えてしかたなかった。
「それに家には子供がいなくてね」
「いらっしゃらないんですか?」
「ああ、妻は病気を持っていてね、子供が産めないんだ」
「すみません」
「謝る必要はないよ。でも、だからこそ君たちに家に来てほしいんだ」
ニックの子供になる。そうすればもう戦場に出なくてもすむ。ジルにとってももちろんその方がいいだろう。だけど、私の中の何かがそれを拒んでいた。今更、というのもあるのかもしれない。物心ついた時から戦場にいた私にとって戦場こそ日常だし、ニックのような人間が口にする日常こそ非日常だった。そこには憧れもなかった。天の邪鬼な思考がより素晴しい未来への開口を邪魔する。
「すぐに返事はくれなくてもいい。だけど、三ヶ月後には確実に僕はいなくなる。徴兵されて三年。必死で生き残ってきた。そして君たちと出会った。多分、運命だと僕は思っている」
運命、それは私が最も信じていない言葉だ。私は未来を見る事が出来る。一瞬先の出来事は見ようと思えばいつでも見れる。しかし数日先、数週間先、数ヶ月先、数年先は予知夢でしか見ることはできない。そして予測した未来が遠ければ遠いほど当たる可能性は低くなる。自分の行動で全てが変わる。予測した未来を変えようと努力すれば、それに伴なって未来も変わる。だから定められた運命など、ない。私は私自信がそれを実証してきた。だから私は運命など信じない。あるのは偶然と必然と誰が何をしたかだ。それで未来は決まる。
「少し、時間をください」
普通に考えれば私は愚かな選択をしようとしている。それはきっと誰が見ても明らかなことなんだろう。でも、私は常に自分が――
「隊長」
声と共にテントに入ってきたギャルソンに私と隊長が同事に目をやる。ギャルソンは一枚のメモを持っていた。
「先発隊の安否の確認。それと後続の補給部隊の為に他の隊と合流して現地点の安全確保を行えと、本隊からの伝令がありました」
ニックはギャルソンからメモを受け取ると内容の確認を始めた。
「他の部隊? E中隊か。あそこは前の戦闘で人数が減ってから補充されてなかったんじゃないか?」
「おそらく、このまま合流して、一つの部隊にしてしまう腹でしょう。こちらも一週間前に欠員がでましたから。一つの部隊を他にばらまくより、他とくっつけてしまった方が書類上は面倒が少ない。そういう事では?」
ギャルソンの意見を聞いたニックは苦笑をもらし、
「二つの部隊を一つにするなんて、人間関係への考慮が何一つないな。うんざりするよ。なぁキキ」
「えっ、……あぁ、そうですね」
私の頭の中は養子の件で一杯だった。
それが夢だとすぐわかった。それも予知夢だと。昨日見たのと夢と同じ。砂嵐の吹き荒れる砂漠の真ん中。もとの形を残すことなく無惨な姿となった人だったモノが散乱している。だけど、歌が聞こえる。どこからともなく流れて来る美しい歌声。そしてその歌声の聞こえる砂漠の真ん中に一人の子供が立ちつくしていた。誰だろういか。私――ではない。男の子が一人、大粒の涙を流し、世界の果てまで響かせんとするように大きな声で泣きながら死体の砂漠で立ちつくしていた。その腕に抱いているのは私? 頭だけの私。私だったモノを大事にかみしめる様に抱きながら、男の子が泣いていた。歌声に抱かれるように、砂漠と死体の真ん中で。……結局、私は死ぬんだ。
「部隊の全滅は免れないと」
私の夢は人に希望か、それか絶望を与える。今は絶望だ。しかし、希望は捨てたくない。
「恐らく。二日続けて予知無を見るのは初めてなので何とも言えません。ただ……」
「ただ?」
「……いえ。何でも」
最後の結末は違った。誰も生き残る事の出来なかった夢から、誰かが生き残る夢になっていた。なら、一人だけでなく、全員が生き残る方法もあるかもしれない。
「しかし中尉、その夢自体どれほど信頼できるんだ?」
ニックの横から今朝合流したE中隊のハリング少佐が話に加わってきた。今、私はニックとハリング少佐の二人とニックのテントで今後の方針を話し合っていた。もっとも、私はたまたま居合わせただけなのだけど。
「彼女の夢は信頼できます。それで幾度となく窮地を脱してきました。それに外の砂嵐。偶然にしては……」
「わかった、信じよう。軍曹、名前は」
ハリング少佐が私の階級章を窺いながら言った。
「キキです。ファミリーネームはありません」
「ない?」
「物心着いた頃から戦場にいましたから、親の顔もしりません」
「そうか……今年でいくつに?」
「おそらく十五かと。戦場には十年ほど」
「おそらく、か」
ハリング少佐の表情に影が差したのがわかった。
「なぜそんな質問を?」
「いや、別に。……十年か。ベテランだな。それで軍曹、予知夢というのはいつでも見られるのか?」
いいえ、と私は答えた。私の見る予知無はいつ見ることが出来るのかは定かではない。だが確実に言えるのは私の命に危険がせまっている時、見ることができるという事だ。それにも様々な見え方がある。自分の視点で未来を見る場合と、まったく別の第三者の視点から、見える場合だ。大体にして自分の視点から見る未来の方が多いが、自分が死んだ後の未来を見る時は第三者の視点からになる。それがまさしく今回の場合だ。昨日今日見た夢はどちらも私が死んだ後の未来を見せている。そこに何の意味があるのかはわからないが。
「そうか、なるほど。では君を無理に眠らせても確実に予知無が見れるというわけではないんだな」
「そうなります。むしろ、ストレスが溜っている状態では予知無が見えづらくなります。無理に寝ると、寝ることに対するストレスがありますから」
私の話した言葉にハリング少佐はいぶかしげな表情をした。
「君はこんな砂漠の真ん中の状況でストレスを感じないと?」
「私の最初の戦場は山岳地でした。標高の高い山は酸素が薄くて、すぐに息切れを起こしましたし、寝付きが悪かったのを覚えています。その次はジャングル。ジメジメとした湿気による暑さ。常に虫が体の何処かに張り付いていました。あの環境に慣れるのには一ヶ月あってもたりません。市街戦もやりましたが、三日三晩寝ずにずっと走り続け、銃を撃ち続けていました。気がついた時には部隊の仲間は全滅していて、よくあの戦場で死ななかったと自分でも思います。市街地に良い想いではありません。その次は森林です。この戦場が一番長かったですが、一番良かったかもしれません。草や枝を集めてベッドを作ることができました。ただ冬になると寒くなるし、雪が降ってきて、寒さで寝れませんでした。そういえば狼にも追われました。あの時初めて狼の鍋を食べましが、調理した人が悪かったのかあまり美味しくはありませんでした。そしてこの砂漠の戦場に来て、二年になります」
ハリング少佐は私の言葉に無言になる。今時軍人なら別に珍しく経歴だ。しかし、今ハリング少佐の前でその経歴を語ったのはおよそ十五歳の少女だ。自分の中の常識は、やはり他人とは異なる。戦場は私にとっての日常であるが、ハリング少佐にとってはそうでなかったようだ。
「すまない、私の部隊には今まで君のような子供がいなかったので、予想以上だった。軽率な事を聞いてしまったな」
「いえ、別に……こちらこそすみませんでした」
まさか謝れるとは思ってなかった。大抵の人は私の話を聞くと同情するくらいしか反応を見せなかった。自分には責任はない。そういう態度だ。結局他人事。子供が戦場にいる事が当たり前なのは国の政策のせい。一国民であり、一兵士である自分にはどうしようもない話。どんな階級でも、どんな役職の軍人でもそれは同じ事だった。私やジルを気遣ってくれるニックでさえ、始めそんな感じだった。もっとも、彼の場合はその状況を少しでも改善しようと、できるだけの努力はしてくれたけど。
それなのにこのハリングという軍人は謝罪の言葉をくれた。今までにない種類の反応にはたしはたじろいでしまった。
「話はそこまでにして、対策を考えましょう。部隊の全滅は避けねばなりません」
私の様子を見たニックが助け船を出してくれた。たじろぐ私を見て口元を緩めていたけど。
「そうだったな。ありがとう軍曹。君の夢、裏切ってみせたいな」
ハリング少佐の言葉に見送られ、私はテントを後にした。
砂嵐の吹く中、私はジルと休憩用のテントで昼食を取った。部隊の方針として砂嵐が止むまで現状待機が決まった事がさっきニックとハリング少佐から部隊に伝えられた。砂嵐の強さは十メートル先の視界が見えないほど深刻で、その中を闇雲に進むのは危険だという判断だ。私の夢の事もあり、警戒態勢を厳重にし、砂嵐が止むか、もしくはその勢いが衰えてから連絡が絶えた部隊の捜索に向かうらしい。警戒は交代で行われ、私とジルは一時間の見張りを終えて待機中のテントの中にいた。激しい砂嵐の猛風の中、一時間も見張りを続けて疲れはてたジルは昼食を食べるなりすぐに寝てしまった。
私達の他にも待機中の兵士が何人かいる。見知った顔に初めて見る顔、半分ずつ。E中隊が合流して人数の増えた陣地はちょっとした混雑状態にあった。
「寝てしまったのか」
声を賭けてきたのはニックだった。彼はテントの入り口で手に持っているフード付きのマントを叩くと、激しい音を立てながら砂がドサドサと落ちていく。それが砂嵐のすごさを物語っていた。
「この砂嵐は子供にはつらいわよ」
隣に座り私に寄り掛かる様に寝てしまったジルの頭を、私は自分の足下に誘導する様に動かし膝枕の体勢にした。するとジルは八歳という年相応のかわいらしい寝顔を見せてくれる。
「お前だってまだ子供だろう。無理はするなよ」
「私は大丈夫。慣れてるから。それよりジルはまだ戦場に来て一年ぐらいだから、よく見て上げないと。慣れた頃が一番危険だから」
ニックは私の隣、ジルとは反対の方に座った。テントは大型の物で、二十人くらいなら余裕で入れる広さを持っていた。しかしその反面、こんな風の強い砂嵐の時には大きく揺らされる。外の強風が通り過ぎる音と、風がテントをなびかせる音とが混じり合って聞こえ、いつかこのテントが私達を中に入れたまま飛ばされてしまうのではないかと、不安をかき立てる。
「そうだな……昨日の話、考えてくれたか」
「隊長は確かに後三ヶ月で除隊できるかもしれない。でも、私達も一緒に除隊できるとはまだ決まったわけじゃない」
「だけどお前はそれを望んでいる。違うか?」
自信満々に訪ねて来るニックの顔が妙におかしく思えた。
違わない。違わないが、結末がいつも思い通りになるとは限らない。ニックの家でニックの奥さんと四人で暮らす。夢のような話だ。実際私に夢に等しいくらい、現実味のない話だ。だから、
「夢を見ました」
「夢?」
そんな夢を見たのだろう。
「私とジル。そして隊長と奥さん。四人で食事をしていました」
予知夢か! とニックは嬉しそうに声を上げた。けど私はそれに首を振って答える。
「違います。食事は支給品のレーションでしたし、食べている場所も瓦礫に囲まれた廃墟でした。ただの夢ですよ」
そうか、とニックは残念そうに苦笑する。その様子が少しかわいそうに見えた。
「でも楽しそうでした。私もニックも隊長も。隊長の奥さんは写真でしか見たことなかったけど、やっぱり楽しそうでした。まずいレーションでも、ああやってみんなで食べれば美味しいのかなって。それならそんなご飯も悪くないって」
そう思えた。思ってしまった。
こんな戦争なんて忘れて、どこか知らない場所に行って、そこで平和に暮らしたい。温かい食事。温かい布団。温かな家族。全部私の知らないモノだ。私が一度も経験したことのないモノ。いつも冷たい不味いだけのレーション。固い地面の上に申し訳程度に敷いた草のベッド。例え固い絆で結ばれた戦友だって自分を置いて先に逝ってしまう。
そんな不安と恐怖の毎日を過ごさなくていい。それはまるで……
「予知夢でなくても、正夢にならできるさ」
「正夢?」
「そうだ。みんなでキキの見た夢を現実にしよう。そうすれば――」
その言葉を最後まで私は聞くことは出来なかった。
「敵襲! 敵襲!!」
テントに息を荒立てて入ってきたギャルソンに、みんなの視線が集まった。それは敵襲という言葉に対してもだ。
「曹長、状況報告」
皆が焦りながらも装備を調える中、ニックだけが冷静に行動していた。
「ソナーに反応がありました。地中からワームの群れが迫ってきてます」
瞬間、ビジョンが頭を横切った。
「ギャルソン、下っ!! 避けてっ!!」
遅かった。ギャルソンのいた位置の真下からまるで生える様にワームが飛び出し、ギャルソンを丸飲みにした。
「ギャルソンっ!!」
ギャルソンが死んだ。一瞬にだ。状況が最悪に向かっていると、誰もが直感できた。
突然テントを破壊しながら現れたワームに、テント内の兵士は一斉に射撃を始める。テントで待機していた十八人分の銃撃がワームを襲う。
「キキここはいい、ジルを連れて行け」
「逃げろと!?」
いきなり天地が逆さまになった。銃撃に錯乱したワームは暴れだし、テント内に残っていた私達もろともテントを力任せにその長細い体で弾き飛ばした。何人かが外に投げ出され、残った私達はテントと一緒に飛ばされる。
投げ出された兵士がどこからともなく現れた他のワームに補食される。腕だけ喰われる者。頭から丸飲みにされる者、それぞれに。
「こっちだ」
ニックに腕を掴まれ、もう片方の腕でジルを抱き、私は走った。そんな状況の中、目を覚ましたジルは、怯えた声で私の名前を呼んだ。
「大丈夫、大丈夫。大丈夫だから」
ジルに念じる様に言うその言葉は、しかし自分自身に言い聞かせる言葉だった。
あちこちで戦闘の音がした。銃の発砲音。ワームの鳴き声。何かが破壊される音。爆発音。その中で不穏当な音を私は聞いた。
……歌声?
「中尉、こっちだ」
声の先、物陰に隠れたハリング少佐がいた。彼の周りには周囲を警戒する兵士が数人いるだけだ。
ハリング少佐のもとにたどり着いた私達に少佐は頷きを一つ見せ、
「私はこれから残った戦力をまとめて反撃にでる。援護してくれ」
「反撃? それより撤退しましょう。このままでは全滅です」
ニックの反論にハリングは首を横に振った。
「敵はこちらを囲む様に迫ってきている。組織的な統率の取れた鋭い動きだ。下手に逃げればいい獲物だぞ」
ハリングの言葉にニックは表情を硬くした。圧倒的に不利な戦況にも関わらず撤退する事も許されない。絶望的な現状だ。しかし、私にはこの状況をなんとか出来るかも知れないと、一つ心当たりがあった。さっき戦場で聞いた音が本物なら、打開できる術が見いだせるかもしれない。
「少佐、歌声を聞きました」
「歌声?……ディーバか!」
ディーバ、敵軍にいると噂されるワームを歌で操る事ができる能力を持った少女だ。実際に存在が確認されたわけではないが、ワームの群れに組織的な攻撃を受けた部隊の話は後を絶たない。そしてその話の共通点はワームの群れに襲われた時に、歌を聴いたという事だ。少女の美しくもガラスの様な歌声。しだいにそれはディーバという噂を生み出し、そのディーバがワームを操っているのではないかと言われる様になった。この砂漠で戦う兵士なら誰でも聞いたことのある話だ。
「それは本当かキキ」
「小さな音だったので確信は……」
だがその歌声は予知夢を見るたびに聴こえていた。確信はない。しかし可能性は十分にあった。
そしてそんな消極的な私の発言に、二人は決断した。
「中尉、私がなんとかワームの注意を引く。君はディーバを探し出せ。この砂嵐の中、声が聞こえる範囲ならそう遠くは無いはずだ。歌声を追え」
「わかりました。キキはここで待機だ」
「待ってください、私も行きます!」
「ジルはどうする」
咎める様なそのニックの言葉に、私は自分にしがみついている少年を見た。小さい子供だ。私とは違う。七歳になるまで戦争など知らない生活を送ってきた子供だ。戦場に出たのだって一年前だ。まだまだ兵士とも戦士とも言えない頼りない存在。それは他者からだけでもなく少年自信が感じている事だ。誰かが支えてあげなくてはならない。守ってやらなければいけない。しかし、それが今の私の役目だというのか!?
「今ジルを守ってやれるのはお前だけだ」
「でも隊長だけでは危険です。ディーバが敵の能力持ちの子供なら、その周りには護衛がいるはずです。一人では無理です」
「軍曹、それでは君一人が戦闘に参加すれば中尉は敵に勝てるのか」
「誰もそんな事は!!」
「聞き分けろ、お前は子供か、兵士か、どれだ!」
言葉につまる。反論が喉まで来て、しかし出ない。子供ではない。兵士だ。兵士としての自分を私は誇りに思っている。子供で、女で、だけど誰にも引けを取らない。私は一人前の兵士だ。そこには子供である事も女である事も関係なく存在する私がいる。しかし今私がやっている事は子供のそれだ。隊長を死なせたくない。だから私も一緒に行って力になりたい。だけど、それではジルはどうする? 一人待たせて置くしかない。こんな小さな子供を? この戦場で? それでは自分の事だけを考えて我が儘を訴えて続けるただの子供だ。私が誇りにしている兵士としての行いではない。
「キキ、命令だ。ここでジルの護衛をしろ。俺が戻るまでだ、いいな」
その言葉を最後にニックとハリングは走りだした。ワームの跋扈する戦場に。私の考えがまとまらない内に、私が戸惑っているその隙に。
置いて行かれた?私が?
脱力感が体を襲う。確かにそうだ。私が一人加勢した所でニックがディーバを確実に討ち取れる保証はない。だけど私には未来予知の能力がある。力にはなれる。ニックの力に――
「キキ、僕、一人でも大丈夫だよ」
私の手をジルが掴む。子供が大人にせがむ手ではない。一人の人間が何かを訴える、力強い手だ。
「でも……ジル」
「大丈夫」
大丈夫というジルの瞳は、しかし涙に滲んでいた。怖いのだ。恐ろしい戦場で一人になることが平気な子供なんているものか。そうだ、私だってそうだった。初めての戦場。怖かった。脚が震えた。立つこともままならない戦場で、私は震えていた。知らない間に戦闘は終わって、ホットしたのも束の間、私は次の戦場へ連れて行かれた。やはりそこでも何も出来ずにただ怯えていた。だけどそんな私を助けてくれる人は誰もいなかった。みんな自分の事で精一杯で、小さな子供の事なんて構っている暇はなかった。だから私は強くなったんだ。強くならなければいけなかった。自分で立ち上がり、自分で戦って、自分で勝ち取った。そうしなければ生き残れなかった。私は一人で強くなった。強くなった私を必要とした人がいて、私は今、ここにいる。私は強くなるべくして強くなったんだ。
……じゃあ、この子は?
ジルはどうしたらいい。ジャンに、ギャルソンに、ニックに、私に守られながらこの一年、戦場を生きてきたジルはどうなる。強くなれるのだろうか。誰もいなくなった後、ジルは強くなれるのだろうか。答えはわからない。どうすればこの子が救われるのかは私にはわからない。だけど、私の、私なりの答えなら、この子に、ジルに教えてあげられる。私と同じように生き残る方法を……。
「ジル、泣くんじゃない」
腰を落としてジルと同じ視線に合わせる。真正面、お互いの瞳が相手を写す。
「泣いても意味は無いから、そんな物は忘れてしまうんだ。そのかわり、その忘れてしまった涙のかわりに強い心を持って。誰がいなくなっても、自分がどうなっても、涙を流して泣く事を忘れて強く受け止めて。泣くな、悲しむな、立ち止まるな。
いいか、これは私との約束だ。泣くことはもう許さない。立ち止まる事も許さない。前に進んで、ただ強くなる事だけを考えるんだ。振り返るな。下も向くな。横道に反れる事だって許さない。ただ前だけを見て生きればそれでいい。それで、ジルは壊れることなく生きていけるから。だから例え私やニックがいなくなっても、強く、生きて、生きていけるから」
キキ、とジルが小さく言葉を漏らす。瞳の涙はまだ消えてはいない。そこで私はまるで別れの言葉を言っている様だと、初めて気がついた。違う。違わないけど違う。私はまだ死ぬ気はない。私は生きて、温かい料理を食べるんだ。
「大丈夫、私には未来予知の能力があるから、簡単にやられたりしないよ」
ジルが頷きを見せる。すでにその瞳に涙はない。ジルの手に涙をぬぐった後がある。そう、それでいい。強く生きなければ死んでしまう。身体より先に心が。
「ジル――ありがとう」
走り出した私を、ジルはただ見送った。
戦場の跡地に砂嵐が吹いていた。激しく風と砂が舞っていた戦場はあらゆる残骸を残して終息した。
砂漠の真ん中、どこからとも聞こえる美しい歌声の旋律が支配する激しい砂嵐の中に死体がいくつも散らばっていた。手足や胴体があちらこちらに散乱としている。どれ一つ、まともな状態で残っている死体はなかった。流れるように聞こえる美しい歌声とは正反対に残虐なまでな姿をさらしていた。 下半身だけの体。骨の突き出している腕。内蔵がはみ出している胴体。眼球の無くなった顔。もとの形を残すことなく無惨な姿となった人だったモノが散乱している。そして、歌が聞こえる。どこからともなく流れて来る美しい歌声。その歌声の聞こえる砂漠の真ん中に一人の子供が立ちつくしていた。男の子が一人、死体の砂漠で立ちつくしていた。その腕に抱いているのは頭だけの人だったのモノ。大事にかみしめる様に抱きながら、男の子が立っていた。歌声に抱かれるように、砂漠と死体の真ん中で。
少年の瞳にはもう涙はなかった。
Good tomorrow ヤスラベ @yasurabe
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