四つ目の鉢:廻るいのち 1

「今回の、ソルさんが行った方がよかったと思うんですけど」

 手近な棚の隙間に腰掛けて、角砂糖を舌で転がしながら、僕は珍しく不平らしきものを言ってみた。……肩を揺らしているところを見ると、彼にこたえている風はちっともなかったけれども。

「前にも言ったはずだけど、僕とルナはここから出られないんだよ。僕が動いてしまったら、本当に大変なことになるんだから」

「でも、ソルさんの方が音楽は得意だと思います」

 つい強く歯を立ててしまったせいで、ほろりと角砂糖が崩れた。もったいない。瓶からもう一個取り出して、今度は最後まで舐めようと口に放り込む。

「得意だからといって、それが必ずしも問題の解決に繋がるとは限らない。現に君はこうして花を咲かせた」

 カウンターの上、ソルさんが葉を撫でている三つ目の鉢植えはマーガレットだった。白く小さな花弁が愛らしい。

「それでいいと思わないかい、ピエリス」

 僕は無言で……ああ、また砕けた。

「ルナさんも音楽好きですか?」

 甘い水を飲み下し、カウンターの端っこに座って脚をぶらぶらさせていた妖精に話を向けてみる。「あたし?」と首を傾げた彼女だったが、「まぁ」と曖昧にうなずいたような。

「微妙、ですか」

「うーん、音楽は好きなんだわ。ソルの演奏も好き。ソルは楽器の腕だけは、確実に、絶対に、あたしが保証するんだわ!」

 なんだか素直に喜べなさそう。「君はねぇ……」なんていうソルさんのため息は、聞かなかったことにしてもいいのかな。

「ルナさんは歌ったりしないんですか? 上手そうなイメージがあるんですけど」

「どこから来るんだわ、その勝手なイメージ……」

「うーん?」

「……まぁ、いいけど。あたしは歌うことも嫌いじゃない。だけどあたしが歌うと皆眠ってしまうんだわ。それで、滅多に歌わないことにしてるんだわ」

「ふうん……」

 子守唄みたいな感じだろうか。聴いてみたいけど、聴いたら必ず眠ってしまうなら無理?

 ぼんやりとマーガレットを眺めていたソルさんが「でもね、」と付け足す。

「ルナの歌はとてもきれいだよ」

 へえ、と返す前に思い至る。――ということは、ソルさんはルナさんの歌を聴いても眠らないんだ。

 不思議なひと達。改めて思う。尋ねたら何か進展する可能性は皆無ではないかもしれないけど、何故だかそれは憚られた。僕はツェティアさんと別れ際に交わした言葉のことも、どうしても彼らに言えずにいるのだ。



 それからまた何日か経った。(僕は未だに“日”で数えようとしてしまう。大体だけど。)

 僕はまたまたまた鏡の前に立っている。……回数を重ねる毎に、次第に仕事の入る間隔が短くなってきているような気がするんだ。

「ああ、ちょっと待っていなさい」

 いつもと同じように旅立とうと思っていたら、ふわりと両肩に置かれた手が離される。寂しい、なんて大袈裟だろうけど、似た感情が生まれかけた自分はそれだけふたりのことが好きで、頼りにしているのかも。ソルさんはカウンターで何やらごそごそやってから戻ってきた。

「手を出して」

 おとなしく両手を差し出すと、ソルさんの右の握りこぶしから、ぽろぽろと小さな何かが僕の受け皿に注がれる。これは……種?

「持って行くといい。きっと役に立つだろう」

「何の花の種なんですか?」

「さぁ。適当に取ったからね」

 僕はそれをズボンのポケットにしまう。途中でなくさないといいけど。

「今度の仕事はちょっと大変かもしれない。けど君は自分に出来る精一杯をやってくればいいのだからね」

「はい」

 四度目ともなると感慨深いものがある。ソルさんの優しく切ない微笑みもあと少しで見納めかと思うと、僕は結局どこに帰るのだろうかと不安になるより先に、とにかく名残惜しい気がする。

 そんな僕の気持ちを、いつだって変わらず送り出してくれるソルさんは、たぶん知らない。

「宜しい。ではピエリス……アド・マイオーラ」



 目を開けると、菜の花畑。

 見渡す限りの黄色い海がどこまでも続く。後ろを向くとすぐそこに道があったので、僕は一面にぎっしり生えた菜の花を掻き分けてそっちに歩きだす。

 青空の下、一本道。途中から湾曲して、風景は徐々に黄色から白と薄ピンク……シロツメクサに変わる。

 どこかで見たことがある景色。ソルさん達を見て思うより、もっと胸の奥深くがじんわりする。時間はたっぷりあるのに何故こんなに焦ったような気になるのだろう。僕を急かすのは“何”だろう――?

 知ってるみたい。ここを曲がればスイートピー……ほら、あった。

 わかるんだ。あの小屋の裏手にはカタクリの花が……思った通り。

 “憶えていた”。風車の足元に……ニリンソウ。

 ここはどこなんだろう? 僕は誰なんだろう? 花々を揺らす風も答えてはくれない。

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