三つ目の鉢:重なる歌声 3
聞くところによれば、ツェティアさんとコクスィネルさんは随分と有名な音楽家らしい。町の中を歩いていて、色んなひと達に教えてもらった。ツェティアさん達を一目見ようと、音楽会に向かうひとともたくさん擦れ違った。
僕は皆と逆方向、あの公園に向かって走る。
息を切らして入ってみると、ほら、あの男の子もまだ同じベンチにひとりで座って俯いている。今度は歌は歌ってない。
「ねえ、君!」
弾かれたように顔を上げた彼の方も、僕のことを覚えていたみたい。(当たり前かもしれない。最高の出会いとは言えなかったし。)
ともかく彼はまた、白縁眼鏡の奥から僕を睨んできた。
「なんだよ」
「君、音楽が好きでしょ。僕と一緒に音楽会に参加しない?」
「なんで、お前なんかと。それに俺は音楽も好きじゃない」
どうして? 僕は彼のことをきちんと知りたくなった。どうしてそんな意地を張るのかな。
「音楽が嫌いなひとはあんな風に歌ったりしない」
「忘れろって言っただろ!」
「もったいないよ!」
尚も僕が食い下がると、男の子はまた俯いて、「歌なんて嫌いだ」とぽつりと呟いた。有名人に会った時よりも内心ではどきどきしていたけど、やっと何か話してくれるだろうかと嬉しかったり、申し訳なかったり、少しだけ責任を感じてみたり。
しばらく迷っていた男の子は、落ち着かない様子で指先を弄りながら、ぼそぼそと話し始める。
「……ツェティアっていう、有名な歌い手がいるんだけどさ」
「うん――」
さっき、会った。
「俺、そいつとすごく似てるんだ。自分でもそれはわかるんだけど……似てるって言われるのが嫌で、眼鏡をかけて」
ちょっと頬を赤らめて眼鏡を外した顔は、なるほど、ツェティアさんの子供の頃はこうだったんだろうなぁという感じ。彼はまた度の入っていない眼鏡をかけ直す。
「だけど、そいつはやっぱりすごく歌が上手くて、でも俺も……歌は好きで、歌いたくて……」
「からかわれるんだ」、彼は泣きそうな顔で言う。「俺の方がどうしたって上手くないから」。
……なぁんだ。彼の悩みを聞いた僕はちょっぴり安心。本人にしてみれば一大事かもしれない、けれどもきっと話は単純明快。ルナさん達の助けはなくても大丈夫そう。
「だって君はツェティアさんじゃない」
「それはそうだよ、俺は俺だ」
「いいじゃないか、それで。……とてもハープが上手なひとを僕は知っているけど、そのひとの演奏だって同じ曲でも毎回微妙に違うんだ。ましてや別のひとの歌声だもの、同じなはずがないし、それでいいと僕は思う」
……ソルさん、くしゃみしてたら悪いなぁ。
でもこれが僕の素直な思い。実際にツェティアさんの歌は確かに素敵だったけど、だからってこの男の子の歌が変だということにはならない。彼の歌にも素敵なところはたくさんあった。十人いれば歌声は十通り。得意、苦手はあるだろうけど、それだけを理由に誰かの善し悪しを決めちゃいけない。……と、僕は思う。
「音楽会にツェティアさんと、ヴァイオリニストのコクスィネルさんが来てる」
「え……!」
彼の顔に一瞬よぎったのは、驚愕の感情だけじゃなかった。行きたいなら行きたいって言えばいいのに。
「行こうよ。行って、君の歌を歌おう」
「え、で、でも」
「僕は君の歌が好き。僕はずっと君の歌を好きでいるから、大丈夫」
戸惑う彼の手を取り、引っ張りあげる。抵抗はされなかった。
「走ろう。音楽会が始まっちゃう」
*
「――今の曲は、このケラススの広場に捧げます。ご静聴、ありがとう」
燕尾服姿のツェティアさんが優雅に腰を折ると、観客から割れんばかりの拍手と歓声が上がった。彼はたった今、華やかな
そして僕らはというと、その一部始終を見て慌てていた。……舞台の袖で。
「お前、こんなに客がいるなんて聞いてないぞ?!」
「ぼ、僕だって知らなかったよ」
冷や汗が垂れる。町がまるごと広場に移動したみたいな、とんでもない数のお客さんがそこにいた。
「しかもツェティアの後!」
ひそひそと、でも悲鳴。僕にも予想外の出来事だった。だってまさかツェティアさんが僕らのために順番の最後を譲ってくれるとは思わなかったし、コクスィネルさんが伴奏を申し出るなんて考えもしなかったし!
有名人ふたりに(善意で!)言われたら、僕達に断れるはずもなく。あたふたとしながら、とうとう出番がやってきてしまったのだった。
「さて、最後の一曲は、ボクが出会った小さな友人達に奏でてもらうとしよう。コクスィネル、準備はいい?」
「いつでも」
肩をすくめるヴァイオリニスト。ちらりと投げられた、ツェティアさんの視線。――行くしかない。
「ち、ちょっと待てって……わあ?!」
いざ!
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