三つ目の鉢:重なる歌声 2

 朝の公園で出会った、草色の髪の男の子。歌が上手なのに、まるで誰かに聞かれるのが嫌みたいだった。

 彼を喜ばせると言ったって、話もできなかったしなぁ……。

「……あれ?」

 とぼとぼ歩いてきた町の外れ。たまたま顔をあげると一枚のポスターが貼ってある。それは音楽会のお知らせで、僕が驚いたのはそのポスターに写るひと――さっきの男の子じゃないか。

 唖然としている僕の背後から足音。

「興味があるのかい?」

 燕尾服を着たふたり。

「初めて見る顔だね。観光か何かかな?」

 あ、と思った。草色の髪。

「さっきの、」

「ん? どこかで会ったことがあったかな、少年?」

 変だ。だってついさっき、と続けようとした言葉をぐっと飲み込む。僕の目の前で穏やかに笑うそのひとは、確かに髪は草色であの男の子にそっくりだったけど、もっとひょろりと背が高く大人に見える。白縁の眼鏡もかけていないし。

 ふむ、と顎に手をあてた彼の肩をもうひとり、最初に僕に声をかけてくれた青年が軽く叩いた。

「仕方ないさ。お前は有名人なんだから」

「しかしね、コクスィネル。ファンの子を覚えていないとなったら、これは由々しき事態だよ」

「あ、あのっ」

 揃って僕を見る、緑と赤の髪の青年。

「すみません、人違いでした。僕、ピエリスといいます。はじめまして!」

「おやおや、これは丁寧にありがとう。ボクはツェティア、歌うたいをやってる。こっちが専属ヴァイオリニストのコクスィネル。気にすることはないとも、少年、間違いは誰にでもあるものさ」

 いい声だなぁ。流れるような所作のツェティアさんから「よろしく」と差し出された手を握り返す。背がちょっと低めで、燃えるように鮮やかな赤い髪をしたコクスィネルさんも、そばかすのある顔に人懐こい笑みを浮かべて握手してくれた。もう片方の手に持つ黒いケースにはヴァイオリンが入っているのだろう。

 専属ヴァイオリニストだなんてすごい。ああ、そっか。あのポスター、きっとツェティアさんなんだ。

「時に少年。まだ音楽会の開演までには時間があるが、どうしてこんなところに?」

「ええっと……」

 何と答えよう。迷子、というのも正しくないし……それより、ツェティアさんとそっくりなあの男の子のことが気になる。

「そうだ、コクスィネル! 少年にボク達の曲を聴いてもらおう」

「え?」

 聞き返したのは僕だけ。急な提案にもかかわらず、コクスィネルさんはため息を吐きつつも笑って、既にケースから飴色に光る楽器を取り出していた。

「やれやれ、早く行ってリハーサルをするって張り切ったかと思えば、すぐにこれだ。君、時間は平気かい?」

「あ、はい。大丈夫です」

「キミはラッキーだよ。ボクの歌と彼の演奏を、生で独り占めできるのだからね!」

 ウインク。そして一瞬の静寂。

「……ウーヌス、デューオ、トレース」

 たん、たん、たん。革靴が地面を叩く、カウント。

 せせらぎのような前奏。聞き惚れる間もなくツェティアさんが息を吸い込んだ。

 唇から紡がれる旋律は驚くほど可憐で、かつ、安定感がある。それは生命の歓びの歌。生きる者全てを讃える讃美歌。

 最後の一音まで僕は全身を耳にして傾けた。余韻をたっぷりと味わって、そこだけ取り残されたような静寂の中、そうっと息を吐き出す。

「……どうだった?」

 歌っている時とはまた違うツェティアさんの声。

「すごかった、です」

「ありがとう」

「ありがとう」

 なんだって僕の語彙は貧弱なのだろう。ふたりは喜んでくれたけど、それがどうにも口惜しいと思う。ソルさんの演奏を聴いた時も、僕は気持ちをうまく言葉に乗せられなかった。……そう考えると、音楽というのはますます素敵に思えるのだ。

「ツェティアさん、コクスィネルさん。ひとつお願いがあるんですけど、いいでしょうか」

「言ってごらん」

「今日の音楽会、飛び入り参加とか、可能ですか?」

 ふたりはびっくりしたように顔を見合せる。

「飛び入り参加って、キミがかい?」

「いえ。僕じゃなくて、知り合いに歌が好きな子がいて」

「……」

 やっぱり突然はだめかな。

「少年」

「は、はいっ」

 見上げたツェティアさんは……にこりと笑った。

「ここで出会ったのも何かの縁! 音楽会は音を楽しむ会だからね、歓迎するよ」

「あ、ありがとうございますっ!」

「ボクは出会いを大事にしているのさ」

 ふっと髪を掻き上げるツェティアさん。ピエリス君、と久々に名前を呼んでくれたのはコクスィネルさん。

「本当はオレ達にそんな権限はないんだけど、まぁゲストのツェティアとオレが言えば、断られることはないと思うから」

「はい!」

「それにツェティアも言うように、みんなで音楽を楽しむための集まりだしさ。難しいこと考えないで、安心してその子を連れて来なよ」

 じゃ、また後でね――そう言って去っていくふたりの背に僕はもう一度、大きなお礼をぶつけたのだった。

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