第5話

 周りはスーツ姿のサラリーマンばかりだ。時間帯のせいもあるだろうけど、年始から出張とは大変そうだ。

 そういう自分も年始の二日から初売りに出勤して、四日間勤務した。くたびれた身体で、年末年始のUターンラッシュが終わった新幹線で、実家に帰り、一泊して、いま横浜に戻る新幹線に乗っている。

 テーブルに置いた缶ビールをちびちび飲みながら、縦に長い静岡県のお茶畑の風景を、窓の外に眺めていた。

 一泊二日で実家に帰っても、出来ることは限られている。親に顔を見せて、学生時代の友人と飲みに行ったら、それで終わりだ。実家に帰って落ち着いてのんびりできることなんて、出来ないものに思える。

 昨夜、友人飲みに行く前の時間に、自分の部屋でごろごろしていたときに、何気なく手に取ったものがあった。子どもの頃に、クリスマスか誕生日のプレゼントで買ってもらった図鑑だ。

 全二十巻あって、交通、地理、科学と堅いタイトルが付いている。これを幼稚園前から読んでいたと思う。当時は図鑑で写真が使われている部分は少なくて、子どもが好きそうな世界の乗り物などは、クラシックな雰囲気の手書き絵が使われている。

 そんな図鑑の中で、一巻だけ背表紙を修繕してある巻を見つけた。昆虫の巻だ。今ではカブトムシを捕りたいなんて思わないけれど、そう言えば子どもの頃は、父にせがんで山に捕りに行った記憶がよみがえってきた。

「そういえば、蝉も捕ったし、トンボも捕ったなぁ...。 」


 今朝の朝ご飯の時に母に聞いてみた。

「僕って、そんなに昆虫好きだったっけ?昨日図鑑を見たら、昆虫の巻だけボロくなってたんだけど」

母は昆虫という言葉に少しイヤそうな顔をして

「よう捕ってきてたよ、標本やいうて、死骸を箱に入れて、大事にしてたやんか」

「え、そんなことしてたっけ?記憶にないなぁ」

「よう昆虫館にも連れて行かされたよ。蝶が見たいって」

「蝶?」

「そう、あそこ蝶の飛んでる温室あったよ。あれが気に入ってたみたいやったなぁ」

「ふーん」

 新幹線は熱海の駅を通り過ぎた。

缶ビールを飲み干して、なんとなくだけれど、今朝の母との話で出てきた、蝶という言葉がいいような気がして、太田にもらった九マスの最後のマスに、「蝶」と書き込んだ。


「どうだった、実家は。ゆっくりできた?」

 太田は今日も眠そうだ。

「いや、ゆっくりは出来ないですよ。帰って親に顔見せて、学生時代の友だちと飲んで、寝たら、もう帰る時間ですもん」

 たばこの灰を落としながら、ちょっと不満げに僕は言った。

「いやね、気分をリフレッシュできたか?って聞いてるの。休みが少なくて、窮屈なのは分かるんだけどさ」

 少し申し訳なさそうに太田は言った。太田係長も、家族サービスで忙しい休みをおくったのかと思うと、ちょっと返事を間違えたなと思った。

「リフレッシュは出来たと思います。おかげで、太田さんにもらった九マスのアイデアも埋まりましたし」

「あ、ホント?」

 太田は新しいたばこに火をつけつつ、続けた。

「部長が今日の会議、えらく楽しみにしててね、頼むよ、本田君」

「まあ、頼りになるかは分からないですが、僕も他の人がどんなことを考えたか楽しみです。太田さんも考えたんですよね?」

「当然だよ、本田君。でもあんまり出しゃばる気はないけどね」

「あ、太田さん。全員野球じゃなかったんですか?忘れたんですか?」

 僕が少し意地悪な感じで言うと、

「分かってるよ。でも管理職っていう立場があるからね。分かってよ」

 僕は軽く笑って、たばこを灰皿に入れ、「じゃ、お先です」と太田に声をかけて、寒い喫煙所を後にした。


 夜の会議だった。いつもの十畳ほどの会議室に、催事部のメンバーが集まってきた。みんなアイデアを出し合うのが楽しみという面もちだが、一番楽しそうにしているのが、普段よりニコニコしている部長だった。

「さあ、始めよう。みんなの考えてきたことを聞かせてよ」

 まずメンバーが考えてきたことを、一つのアイデアを一枚の付箋紙に書いて、それをホワイトボードに貼る。

 次にメンバー全員で、自分以外のアイデアにポジティブな反応をかえす。僕が面白そうと思ったのは、島田の「ラーメン博」、太田係長の「地酒フェス」、他にも「神奈川の有名ベーカリーのパンを集める」とか「ジビエ祭り」など、メンバーで考えたものを楽しめる時間になった。

「グルメ関係が多いね。やっぱりみんな手軽に、おいしく楽しめるものがいいのかな?」

みんなのアイデアを眺めた部長が言った。

「ところで、これ本田君のアイデアだっけ?「蝶」ってどんなことを考えてるのかな?」

「あ、蝶をですね、テラリウムっていうガラスとかアクリルの水槽に入れて、生態展示したら面白いかな、と思いまして」

「うん、ハードルは高そうだけど、面白そうだ。聞いたこと無いしね。並行して蝶のハンドクラフトを扱えば、女性のお客さんも喜んでもらえそうだし、いいんじゃない。そのあたりどうかな、小湊さん」

「ハンドクラフトがいいでしょうね。あんまりグロテスクなのは、女性には喜ばれないと思います。でも男性のお客さんには昆虫標本の方が喜ばれるかも」

 「神奈川の有名ベーカリーのパンを集める」というアイデアを出した、小湊奏が控えめに言った。やっぱり女性には昆虫は喜ばれないかな、僕はそう思ったので、言葉を付け足した。

「まあ、生態展示が苦手という人もいるでしょうし、生きた蝶だけじゃなくて、デジタル技術を使って実在しない夢の蝶を作れたり、その蝶と合成写真が撮れるようにしたら、楽しめる人も増やせるかもしれません」

「アニメっぽくするのかな?それならグロテスクさは、減らせるかもなぁ」

 と、太田が言ってくれたので、

「あの九マスを使ってみたら、色々考えられたんですよ」

 僕が言うと、太田は少し嬉しそうだった。

「合成写真だと、家族やカップル向けにもコンテンツ作れますね。記念写真みたいなやつ。そういうのをスマホに保存したり、写真プリントできたりしたら、面白いと思いますね」

 島田もアイデアを上乗せしてきた。

 そして、ポジティブな意見を言い合った後は、誰の意見に乗っかるか、ということが始まる。

 僕は「ラーメン博」に乗ってみることにした。

「これ平日は、近隣のサラリーマンの昼食としてよろこんでもらえるだろうし、休日は家族向けにいいんじゃないでしょうか。普段の催事場だと調理ができないのは、屋上に屋台を出せばその点は解消できそうだし」

「普段、女性一人でラーメン店には入りづらいので、こういうイベントなら行けると思います」というのは小湊の意見。

 太田は、百貨店では例がないと思うけど、ラーメンイベントは前例があるからイメージもわかりやすいし、イベントはやりやすいんじゃないか、という意見だった。

 島田は蝶のイベントに乗ってくれて、生態展示だけじゃなくて、デジタル技術もそうだし、アウトドアの商品販売もできると思うという意見を言ってくれた。

 話が少しとぎれたところで、部長が会議を閉めにはいった。

「うん、時間もいいところだし、そろそろ終わろうか。いろいろアイデアが出て楽しかったね。とりあえず、みんなの人気の高かった「ラーメン博」と「神奈川の有名ベーカリーのパンを集める」、「蝶」は、上に出す企画書を出してもらおうかな。ただ「パン」と「蝶」は、ネーミングもしっかりね。じゃ、そういうことで」

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