第3話

 「新しい」という言葉が引っかかったまま、毎日催事運営に関わって、取引先との連絡で業務が終わるの日々を送っていると、アイデアが出る間もなく、一日が終わってゆく。

「日々の仕事に追われている感じだな」

 夕方前の休憩時間、本田はため息まじりにつぶやいて、屋外の階段にある喫煙所への扉を開いた。寒い。さすがに年末だ。ビル風も強くて、長居はできない。

 喫煙所には、太田と島田がいた。

「あー、寒いね本田君」

 いつも少し眠そうな太田係長は、今日も眠そうだ。

「そういえば島田君は、もういいイベントのアイデア温めてるぞ」

「え、そうなの?島田さん。どんなことすんの?」

 僕はたばこに火をつけながら、聞いてみた。

「いやぁ、完全に趣味っすよ。ラーメン博をやったら、自分もお客さんになって食べられるなと思って」

「まあ、実現するにはクリアしないといけない部分もあるけど、百貨店でラーメン博は聞いたことがないんじゃない?でも実現するかはいったん置いておく、これ、大事だから」

太田が灰皿に、たばこの灰を落としながら、言う。

「で、本田君は新しいこと思いついてる?」

「いやぁ...それが...」

「なに!?そんなことを!?」

「まだ何も言ってませんよ!」

 太田と僕による出来の悪いボケとツッコミを見て、島田が笑った。太田係長とのこういうやりとりは、疲れていなければ割と好きだ。

「しょうがないなぁ。今日仕事終わりあいてる?三人で飲みに行かない?」

 たばこを吸い終えた太田が言った。

「いいっすよ、忘年会っすね」

 島田が元気に返事した。島田は結婚していて子どももいるのに、他の既婚者では見られないフットワークの軽さがある。

「こっそりだよ?」

急にヒソヒソ声になった太田に、

「行けますよ」

と僕もヒソヒソ声で返した。

「よし、いつものバーで! 22時! 」

 太田の元気な言葉で、寒い喫煙所から全員撤退して、催事の持ち場に戻った。


 年末の百貨店催事と言えば、お歳暮だ。

自分がお歳暮を贈るようになったのは、職場の売り上げに貢献しようと、百貨店に勤めるようになってからで、大学の研究室や、職場の上司にビールを贈り続けている。人付き合いは苦手な自分だが、お歳暮を贈るくらいはできるということなのだろう。

 夜九時に百貨店が閉店した後、催事部の人間は取引先との連絡を取る時間になる。欠品にならないように商品を注文したり、売れ行きを話したりして、時間が過ぎてゆく。

 なんとか10時に間に合いそうな時間で、仕事を終えた。そろって職場を出ると目立つので、3人はバラバラのタイミングで職場を出ていった。


 職場を出て帷子川の橋を渡ってバーへ急ぐ。この時間だからか、忘年会シーズンのせいもあるのか、通りに人が多い。横浜駅を通り抜けて歩いていくと、バーのある鶴屋町はすぐだ。

 ダイニングバー「イルソル」は、十五人ほどが座れる、長いバーカウンターがあって、他にテーブル席も十席はある。

メインはあくまでもイタリア料理なのだが、それゆえに美味しい酒のつまみがあって、お酒の種類も多く取りそろえていて、バーとして飲めるのがいいところだ。

 お店には、もう島田は来ていて、カウンターに座っていた。僕はコートを脱いで、島田の隣の席に座る。島田は生ビールを半分くらい飲んでいた。

「島田さん早かったですね。太田さんも、もう仕事を上がってたと思うんだけど。僕の方が早かったか」

「まあ太田さんも、すぐ来るでしょう。先に飲んじゃいましょう」

 バーテンダーが注文を取りに来たので、生ビールとチーズの盛り合わせと、生ハムを頼んだ。

 ここのバーテンダーは、大学生のアルバイトだ。でも見ている限り、カクテルを混ぜるステアもスムーズだし、シェイクもさまになっている。

 店内のテーブル席は、ついたての向こうなのでどれくらい席が埋まっているか分からないが、それなりに人の声が聞こえてくる。

カウンターは、一人で店に来ている客が、二人ほど。一人は本を読んでいるみたいで、もう一人は別のバーテンダーと話している。

「本田さん、お歳暮のシーズン終わったら、軽く一回行きません?こっち。一月になっちゃうと思いますけど」

と軽く腕をふる島田。

「そうですね。行けるの年明けかなぁ」

 そこへバーテンダーが、コースターを出して、ビールグラスを置いた。島田が自分のビールグラスを持っていたので、軽く自分のグラスも差し向けた。

「「おつかれさまです」」

「とりあえず、年明けとバレンタインフェアの後は、軽く王禅寺くらいに行って、三月鹿留でどうです?」

「そうしましょうか。鹿留は三月で雪のこってるかなぁ?」

「残ってますよ、たぶん。雪遊びでもしたいんですか?本田さん」

「いや、雪が残ってたら寒そうだなと思って」

「雪が降ってる日だったら、ちょっとつらいっすね」

 半地下のお店の階段を下りてくる足音が聞こえて、お店のドアが開いた。カウンターだから太田が僕らを見つけるのに、時間はかからない。

「悪いね、遅れちゃって」

「お疲れさまです、生でいいんですか?」

 島田がたずねて、バーテンダーを呼んで、注文した。

「なんの話してたの?」

 太田が、僕にたずねてきた。

「いや、釣りの話ですよ。太田さんも行きましょうよ」

「いいけど、そんなに何回もいけないぞ。一応、係長なんだから」

「太田さんは腕あるから、いきなり鹿留でも大丈夫ですよね?」

 島田がつっこむと、

「まあ、私くらいの腕になるとね、大丈夫だよ。で、鹿留はいつくらい?三月くらいかな?」

「まあそのくらいの時期かなって、今話してたんです。年度末ですけどね」

 僕が返事する。

「いいね。でもあれだよ?まだ聞いてないかもしれないけど、四十周年イベントの第一弾は四月の予定なんだ。それに向けても頑張ってもらわないと。島田君は、もうアイデア持ってるから安心してられるけど、本田君。なんかアイデアがでるきっかけは、つかめそうかい?」

「うーん、それが...... 」

 太田が、たばこを1本取り出して、くわえた。

「あんまり難しく考えても、アイデアでないからさ、きっかけよ、きっかけ」

 太田がたばこに火をつけたところに、太田の生ビールが出てきて、みんなでグラスを一点に差し向ける。

「「「おつかれさまです」」」

 島田もたばこを吸い始めたので、自分もたばこを吸い始める。

「本田さん、最近写真は何撮ってるんです?」

 島田にたずねられ、

「最近も、動物園で動物を撮ってますね」

「そういうところから考えるのも、大事よ、本田君。実現するかどうかは別にして、小さな動物園を催事で考えたっていいわけだし」

 太田が話を差し込んできた。

 僕は写真を撮るようになって、5年くらいになっていた。最初は大船の植物園に通って、花を撮っていた。あそこは、温室もあって年中花が咲いている。桜の時期は、菜の花も一緒に咲いて、午後をゆっくり過ごすにはとてもいい場所だ。

 植物園に1年以上通った後は、他の被写体も撮ってみたいと思うようになり、大きなカメラレンズを買って、動物園に通い動物たちを撮っていた。

「そういえば、小さい頃から生き物は好きでしたね。金魚飼ったり。カメ飼ったり」

「あ、おれも熱帯魚好きですよ。そういうの、面白いと思うな。金魚をアートとして飾ってるイベントも、人が入ってるみたいだし。いいかも」

島田がアイデアを出してきた。

「うちの百貨店には、ペットショップ無いから、いいかもしれないね」

太田がたばこを消しながら話す。

「ペット博覧会かぁ...... 」

 僕がぼそっとつぶやく。確かに生き物に関する百貨店催事を考えてみるのは、実現できるかどうかを考えなければ、自分が楽しいのには違いない。

 でもそれを、お客さんが楽しんでくれるかどうか。だいたい催事は商品を売る場でもあるので、生き物を売るだけなんて出来るのか、他に何を売ればいいのか。

「そういうアイデアをね、広げることをして欲しいの」

 太田がそう言って、四角いコースターをひっくり返し、裏にペンで○×ゲームをするときに描く、九マスを作った。

そして、中心のマスに「生き物の催事」と書き、右上のマス一つに「ペット博覧会」、右中段一つに「熱帯魚」、右下段に「小さな動物園」と書いた。

 それを僕に差し出しつつ、

「こうやって、他のマスも埋めてみなよ。実現性を考えずに、他のマスとかぶってもいいから、気楽な感じでさ。で、気になる言葉が出てきたら、その言葉を中心にした九マスを作って、また埋めていくの。ペット博覧会だったら、もう一つ作れるんじゃない?」

「なるほど......」

 コースターを受け取った僕は、空いている他のマスに、何が書けるのか分からなかったけれど、太田がこうやってアイデアを出しているということが分かったのが、うれしかった。

「まだ飲みますよね?」

 島田が、僕と太田の空きかけのグラスをみて、声を掛けてくれた。

 僕はソルクバーノ、島田はラムコーク、太田は「俺は健康志向で行くぞ

!」と宣言して、ブラッディーメアリーを注文した。

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