Ma-pRe.

柊 恭

Ma-pRe.


 彼としては、イスラームがとても羨ましい。

 一、五リッターのジンジャーエールをボトルごとあおりながら、その若人――手塚は戦地での酒盛りを冷めた目で見つめていた。大の大人が酔っ払いながら騒ぎ合う。何と愚かな光景なのだろうか。ここは前線なのだから、いつここに<トマホーク>巡航ミサイルが降って来たっておかしくは無いのに、何とも呑気な兵士たちだ。

 彼は酒が嫌いである。五年前の成人式で飲んだきり、もうあの苦みを味わいたくはない。確か、あの酒は壱岐のむぎ焼酎だった。あんなモノを再び飲めと要求されたら、彼は愛しのカナダドライと一緒に八幡の藪知らずへと逃げ込むだろう。

 そんなことを思いつつ、手塚はまた一口ジンジャーエールを飲む。するとペットボトルが空になってしまった。再利用が出来るので、捨てずにちゃんと取っておく。と言っても、よくあるリサイクルなぞには使わない。簡易改造を施して、軍事転用をするのだ。

 第二次世界大戦終戦により各地へと散らばった一千万人もの兵士が帰国してから早二十数年。その溢れるほどの帰還兵たちを労働力として用いることにより、日本などの旧列強はどこも高度経済成長を達成していた。宇宙開発事業の発展が、その一番の好例だろう。人類が月に着陸したのなんて、一九五〇年代前半のことだ。

しかし早期決着を狙って中枢機関のみをピンポイントに攻撃することが流行した先の大戦により、大都市や軍事都市は多くが疲弊していて、新興都市がいくつ出来ようと人の住む場所は確実に不足していた。コレでは産業革命直後のロンドンの二の舞だ。目先の成長に目が眩んで、クオリティオブライフを軽視する。そんな時代に飛び込んできたのが、『新たなる地球型惑星の発見』という吉報だ。

 人口過密により誰もが新天地を求めていた矢先、『フィース』と名付けられたその惑星に各国の希望が集まった。地球とさほど変わらない環境、豊富な資源、地球との近接性……この星を開拓して利用しない手は無い。どの先進国も渡航用の大型スペースシャトルを開発し、『調査』の名目で軍隊を派遣させた。

 フィースへと向かったのは、日本を含む東西両側の大国ばかり。一九世紀のアフリカ分割よろしく、先にその土地を発見した調査軍の所属国がそこを自国の領土とすることが出来る。

当時は冷戦の真っただ中だったが、新たな領土を持ってしまえば絶妙なパワーバランスの中で優位に立つことが出来る。NATOのような軍事同盟内でも、相手に情けはかけられない。敗戦国であるドイツが戦勝国のイギリスよりも強い発言力を有することだって、夢物語では決して無かった。

だから各国は躍起になって調査軍を送り込み、他の調査団と戦火を交えて相手の見つけた土地を奪ってでも、自国の領土を広げようとした。死人に口なし、第一発見者を殺してしまえば第二発見者が土地を最初に発見したと言い張れるのだ。

 こうして『フィース侵略戦争』が始まった。

 手塚はまだ結成して十数年の日本自衛隊に所属している歩兵だ。しばらく本国で勤務した後に駆り出され、この辺境の惑星へと派遣された。ここに国旗を立てた分だけ領地が増えるので、この遠征は言ってしまえば国の威信を背負わされた島流しのようなモノである。ソレにしても一体何が『自衛』なのだろう、この隊は?

 彼ら日本国調査隊一団は現在、どこの国に所属しているかも分からない軍隊の領地を攻略するための下準備をしていた。彼らが今居るベースキャンプから西、盆地を挟んだ崖の上に相手が駐留しているのは確認済み。だからその盆地を突っ切って崖を登れば済む話なのだが、そうは出来なかった。

 盆地には、深い紅葉の海が広がっているからだ。

 ただ、盆地と言っても崖と山の裾に挟まれた猫の額ほどの谷底平野である。しかし積もった紅葉が平らな面を形成しているので、視覚的にはやはり谷というよりは盆地と表現するのが適切だろうと手塚は思う。

この星のカレンダーはまだ作成されていないのだが、恐らく今は晩秋から初冬にかけての時期だ。まさしく紅葉狩りの季節である。その崖の上には落葉広葉樹であるカエデが何本も軒を連ねているので、だから落ち葉が偏西風により崖の下へと落とされ、断面図がレ点のようなこの盆地に溜まっているのだ。

このベースキャンプはちょうど崖の向かい側にある山の峠にあり、調査隊はそこから進軍して紅葉の海を突っ切るつもりでいた。他には彼らの居るこの山の尾根線を伝って盆地を迂回するルートも考えられるのだが、コレは敵側も想定している進軍経路と見てまず間違いない。崖の両側、そのルートで進む際に経由するポイントに敵軍が既に展開されていることは偵察班が確認済みだ。しかし逆に言ってしまえば、敵側はこちらが紅葉の海を渡るとは想定しておらず、崖の中央部は守りが手薄になっている。彼ら自衛隊は、そこを攻撃することで意表を突こうとしていた。

 手塚が仮設テントの周りを見渡す。そこに置いてあるのは通信機や銃器類、生活物資、そして宇宙服。

 敵軍の目を盗んで盆地について調査したところ、紅葉の海は崖の真下では深さが三メートルもあった。もしこの海に飛び込んだら、最深地点では呼吸が出来ない。ソレに得体の知れない害虫が寄ってくるかもしれないので、潜航服の代わりとして気密性に優れた宇宙服が流用されていた。コレはフィースに渡る際に使用されたモノで、よって潜航服もペットボトルと同じくリユースで賄われている。

 さて、調査隊はどのようにして崖の下から攻撃するのか。いくらガードが弱いといえども、よちよちと崖を登っていてはすぐさま敵に発見される。そして崖の両側に居る主力部隊を呼び戻されて、こちらが登り切る前に撃ち落されてしまうのがオチだ。

 だから、崖の下からミサイルか何かを撃ち込むのだ。そうして崖の上に居る敵をある程度蹴散らすことで増援を呼べなくさせてから、こちらが安全に崖を登る。意表を突く電撃戦を仕掛けるのならば、紅葉の海の底から崖を飛び越えるミサイルを撃つくらいの意外性を持たせなければ意味が無い。

では、どのようにしてミサイルを発射させようか。一般的なミサイルは、燃料を燃やして推進する。或いは高温の水蒸気を噴射するのだが、コレらの方法では海を形作っている落ち葉が燃えてしまうのだ。そうすれば煙が発生するだけではなく、ミサイルの弾頭に引火して海の中で爆発してしまう。熱を伴わない、紅葉の中でも有効な推進方法が必要だった。

 ここで、手塚の飲んでいたジンジャーエールのボトルが役に立つ。

 ペットボトルロケット、というものが存在する。ボトルの中に入れた水を圧縮空気が噴射させることで空高く舞う、よく小学校の理科の実験に使われるアレだ。この方法ならば熱も伴わないし、燃料だって少なくて済む。ソレに自衛隊の駐留しているここは谷口となっていて、燃料となる水には困らないのだ。三メートルプラス崖の高さを超える程度だったら、このペットボトルロケットで十分である。

 弾頭として、ロケットの先端には時限式の手榴弾が取り付けられる。発射の前にピンを抜いておけば、崖の上に着弾する頃には破裂する仕組みだ。この方法で最も優れているのはコストで、実質水とゴミと手榴弾数発だけで敵に大打撃を与えられる。

 この紅葉の海の中から放たれる、いわゆる『紅葉魚雷』を発案したのは手塚だ。ペットボトルに入れられた炭酸飲料を消費するのは、調査隊の中でも手塚だけだった。他の兵士は大体酒を飲み、数少ない女性隊員は専ら水と日本茶を飲む。彼一人のために捨てられる炭酸飲料用のペットボトルをどうにか再利用できないかと手塚は考え、そしてこのクイック・アンド・ダーティーな兵器を発案した。

「どうした手塚、お前は俺たちと一緒には飲まないのか?」

 突然、小隊長が独りで居た彼に声を掛ける。酒が飲めなくて孤立している手塚を誘ってくれるなんて、自分の隊では仲間外れを作らせない、理想的な上司だ。実際手塚は今まで幾度となくこの言葉を浴びせられていて、そしていつも同じような返答をしている。

「いえ、お酒は苦手なので」

 やんわりと言ってやるのがポイントだ。今回も成功して、小隊長はそうかと呟き、楽しめるうちに楽しんでおくようアドバイスしてくれた。そして酒の席に戻り、その日はもう手塚に声を掛けなかった。

人によってはこの返答をしても勧めてくるのだが、小隊長はこの弱い拒絶だけで引き下がってくれる程度に優しかった。小隊長自身もソレほど酒が得意ではないのか、或いは身内の中に酒で痛い目を見た者が居るのか。また捻くれた見方をすると、彼のアドバイスはマッチョな兵隊さんには酒くらいしか娯楽が無いことを暗に示していた。

 こんな辺境の地に来てまで、孤独に新しいカナダドライのキャプを回す。

 自らがどうしてここに居るのか、手塚は分からなくなってきていた。

「あ~、またそうやって一人になってる……ダメですよ手塚さん、付き合いが悪いと」

 不幸なことに、小隊長とのこの場面をある女性に傍から見られていた。彼女の名は久地、調査員として同行している二〇代前半の地学者である。ストレートのロングヘアに眼鏡、そして白衣をいつも羽織っているのが特徴。手塚とは歳も近いため、たまに話す仲だ。

「そんな久地さんも、誰かと一緒に飲んでるようには見えないけど」

「私はちょっと席を外しただけです、独りでジンジャーエールを飲んでるような人と一緒にしないで下さい」

「……じゃあ、どうして席を外したの」

「独りでジンジャーエールを飲んでるような人が可哀想だな~、って思ったからです」

 彼女はよく、手塚にお節介を焼いている。しかも、口うるさいおばさんのようなしつこい口調で。ソレほど不快では無いから止めてほしいとは思わなかったが、しかしやはり厄介ではあった。

「暇だね、久地さんも。明日は戦争するんだよ? いくら直接は戦闘に参加しないとはいっても、流れ弾で死んじゃうかもしれないんだから。僕なんかに構ってないで、後悔しないようもっと楽しんでおくのが良いよ」

「ソレ、全然楽しくなさそうな人のセリフじゃ無いような……」

 彼女に痛いところを突かれる。全くもって、余計なお節介だ。いつも重い装備を担ぎながら行軍している彼としては、ジンジャーエールが飲めるだけで楽しいのである。外部からはそんな風には見えないが。

「ところで、ここの調査は終わったの?」

 話題から逃げるようにして、手塚がまた別の話題を久地に投げかけた。自衛隊としてはここを征服したらさっさと次の新天地を探したいのだが、しっかりと調査してその結果を本国に衛星通信で送り地球の学会で発表しなければ、土地を発見したとは他国が認めてくれない。敵が未だここに駐留しているのだって、余程使い勝手が良い土地なのか向こうでは地形調査がまだ終わっていないかの二択だろう。紅葉の海に地雷などが仕掛けられていないことを加味すると、崖のせいで盆地の調査が進んでいないと考えるのが妥当か。

だから久地ら調査班には、迅速な地形調査が求められている。どうやら今回はその期待に応えられるらしく、彼女は手にしていたフィールドノートを開いては彼に見せてきた。

「……そのノート、他の人と飲んでる時も持ち歩いてるの?」

「そんなことはどうでもいいです! ソレよりも、大まかな構造は掴めてきました。だから、後は教授たちと結論をまとめるだけです」

 左のページにはよく分からない単語、右のページにはよく分からない図表。一般兵である手塚には、フィールドノートはちんぷんかんぷんだった。お節介な久地が、そんな彼のために説明してくれる。

「いいですか? まず私たちの居るこの峠ですが、扇状地の扇頂部だと予想されます。そして扇央部があの紅葉の積もっているところで、扇端部は敵の駐留している崖ですね」

「アレ、扇端って扇央よりも低いところにあるんじゃなかったっけ?」

「そこがこの地形のミソなんですよ。扇状地っていうのは読んで字のごとく、山地の谷口から平地に向かっておおよそ扇状に土砂が堆積した地形のことです。コレは河川によって形作られるんですけど、当たり前のことですが、そもそも河川って下流の方は上流に比べて高度が低いですよね。扇頂部は谷口、扇央部は上流、扇端部は下流に位置しますから、コレら三つの間に緩やかな傾斜が出来るのは当然のことなんです。だから結果として、扇端は扇央よりも高度が低くなるんですよ」

 とても饒舌に彼女が喋る。地理オタクなんてそうそう居ないので、このような話をする機会がなかなか無くて普段からウズウズしていたのだろうか。

「でも、現にこの谷口の先には崖があります。そしてこの崖を調査したところ、どうも大きな断層によって形成されたものらしいんですよ。このテントの近くで、川の水が伏流してるのは見ましたよね? その伏流した河川水がどこにも湧水していないことから察するに、あの崖は元々扇端部の湧水帯だったけど隆起したために機能しなくなったので、現在の河川水は断層の裂け目に染み込んでいるんじゃないのか、というのが私たちの仮説です」

 地震などのような大きい営力によって、地盤同士がぶつかり合って歪むことで岩石がずれる現象を断層と呼ぶ。コレは主に地盤の隆起を引き起こし、つまり彼らが目標としている崖はこの断層により隆起した扇端部だと予測される。

 因みに、伏流と湧水は扇状地によく見られる現象である。扇状地は扇頂部から順に土壌の粒径が小さくなってゆく。特に扇頂部の砂礫帯では粒が大きく隙間も多いため河川水が浸透することで扇央部の地中を流れ(伏流)、逆に扇端部の砂泥帯は粒が小さく隙間も少ないため伏流した河川水が浸透できずに地上へとあふれ出てくる(湧水)。扇状地の他には火山灰により形成された台地などにしか存在しないような、かなり特殊な現象だ。

 彼らが今駐留している扇状地では、川の水が伏流している地点が確認されている。ちょうどテントから五〇〇メートルほど離れたところにあって、紅葉魚雷の燃料だってそこの近くから調達している。また火山はここ近辺では特に発見されていないので、この土地は十中八九、扇状地だ。

 しかし、湧水帯がどこにも見当たらなかった。久地たち調査班は偵察班と共に紅葉の海の隅から隅まで調べたので、見落とした可能性は低い。第一、湧水して川が出来ていたら落ち葉が流されてしまうため、紅葉はここまで積もらない。だからこの盆地には湧水帯が無いと予想される。

「この盆地に川が無いってことは、伏流水が湧水せずに地下を流れたまま断層に遮られているということです。もしくはあの崖の下の方には巨大な水脈があって、伏流水もソレに合流してるのかも……崖をボーリングしてみないと分かりませんけどね」

「つまり、意地でも征服して調査班をあの崖に連れて行けと」

 手塚がイジワル半分に言うと、久地が頬を膨らませてきた。

「別に、私はそんな遠まわしにモノを言うような女じゃありませんよ! そんなことより、説明を続けますね……私たちの仮説では、扇状地が出来た後にその扇端部が断層活動により隆起して崖になったことになってます。だから、実際に登ってみないと分からないですけど……あの崖の上には、湧水した跡が残っていると思うんですよね」

「ホラ、やっぱり調査班を崖の上に連れて行けって」

「手塚さん、怒りますよっ?!」

 既に怒っているだろう、と彼は思ったが口にしない。絶対に『怒っていません』と返されて面倒なことになる。大体、物事を婉曲的に伝える女はそこまで嫌な人間だろうか? 今回手塚に話しかけてきた時といい、久地は何でもかんでもはっきりと言い過ぎている。しかしこのことを注意してもまた面倒なことになるだろうから、彼は適当に先ほどの話題を引き伸ばした。

「ねぇ、さっきの話だけど。久地さん、扇状地が出来た後に崖が出来たって言ったよね。その逆……断層で崖が出来てから扇状地が出来た可能性とかは無いのかな?」

「おぉ、手塚さんにしてはいい質問ですね」

「……今度は僕が怒ろうか?」

「冗談ですよ、冗談。お返しです」

 久地が右手を口元にあて、いたずらっぽく笑う。このようにして彼女からバカにされるとは、彼も思っていなかった。寸劇も挟まずに会話が継続される。

「答えましょっか。まず、扇状地はここくらいの大きさに成長するまで、およそ数千年もの時間が必要なんです。河川の侵食作用なんて、たった一年分ではたかが知れてますしね。対してあの崖ですが、かなり急峻で岩肌も露出してますよね? つまり侵食も斜面の植生も確認されていないんです。ということは、あの崖が形成されてからはまだソレほど時間が経ってないと考えられるんですよ」

 一概に崖と言っても、いろんな状態の崖がある。この扇状地のようにかなり古い、数千年単位の年月を生きたモノは風雨等に侵食されてある程度なだらかになっており、また木々や動物も寄生しては共生している。反対にここにある崖のような若いモノは、大して侵食されていないので岩のようにごつごつとしていて、動植物が住むことも許されていない条件だ。

「コレは普通では信じがたいことなんですが……多分ここ数年以内に大きな地殻変動――マグニチュード八を超える地震がこの近くであったんだと思います」

「てことは、僕たちがこの星に着陸する直前? そんな時に、あの崖が出来るくらい大きな地震が……」

 手塚が驚く。ごく最近に未曾有の大災害が起きたというのに、観測していないために自分たちが気付かなかったというのは確かに信じがたいことだ。特に情報化された、世界中のあらゆることがテレビジョンで報道される現代においては。

「はい。そのくらいの規模の地震でも起きない限り、崖が一気に三メートルも隆起したりはしませんから……ソレと、崖がかなり若いことの根拠はもう一つあります。肥沃度です」

「肥沃度、って……どういう事?」

「あまりにも養分がありすぎるんですよ。あの崖の上の林から、風に煽られて移動してきた落ち葉が下の盆地に溜まります。ということは、あの崖から栄養が循環せず盆地へと逃げていってるんですよ。だから崖の土は持久力が無くてすぐ枯渇するはずなんですが、この落ち葉の量を見るとどうも崖の林はまだ枯れていないみたいなんです。つまり、あの崖は扇状地の出来る数千年前なんかよりももっと新しいモノなんですよ。ソレに養分を含んだ水が湧水する扇端部は概して肥沃ですからね、あの崖が元々扇端だったら合点がいくんです」

 養分というものは、流入するか流出するか循環するかの三つに行動が限定される。例えば風や河川の運搬作用などにより養分豊富な土壌が流入し、作物が収穫されるとその作物分だけ土壌から養分が流出したことになり、木が枯れて葉が落ちると微生物がその枯葉を分解することにより土壌へ養分が戻って循環する。

今回の崖ではその枯葉が崖の下へと流出してしまっているため、養分も循環せずただ同様に流出するだけである。しかも高地のため、新しい肥沃土がそこに運ばれてくるケースはそうそう無い。ならばあの崖にある土壌は元々あった肥沃な扇端時代のモノで、その土がまだ残っているのならば最近隆起したばかりだと考えるのが自然だ。

 続けて、久地が自らの考察を述べる。

「私が思うに、この盆地は将来かなり肥沃な土壌を持ちます。扇端だった部分の養分が落ち葉という形で扇央部に運搬されることで、栄養が盆地に偏りますから。いつか崖の上の林が枯渇して紅葉も落ちなくなった時、盆地は耕作するのに絶対の条件を持ちますよ。伏流水があるんですから、井戸を掘れば水源なんていくらでも確保できるんですし」

「つまり、ここは絶対に征服しろと」

「だ~か~ら~!」

 再び彼女を怒らせる。彼を睨みつけようとして上目遣いになっているその瞳は、どうしてか触れたくなるようにさせてくれる。とりあえずその気分を発散させるべく、手塚は久地の頭を二往復だけ撫でてみた。

「え……手塚さん? ちょっと、そんならしくないことは――」

「いや、久地さんも頑張ってるなって思って。嫌だった?」

「別に、ちょっと驚いただけですから……」

 今度の彼女は照れているのか、目を伏せていた。月明かりは彼女を照らす。眼鏡を隔てずにその瞳を改めて覗くと、意外と大きいことに彼は気付いた。『近視用の眼鏡はかけている人の目を小さく見せるので、女性が眼鏡を外すと相対的に目が大きく見えるためかわいく見える』という超理論を述べたのは、一体誰だったか。

 久地の頭から手を離し、手塚は言葉を素直に紡ぐ。

「久地さんは、仕事が好きだからこんな惑星にまで付いて来たのかな?」

「そうですね……確かにその通りなんですけど、この仕事をやってなくてもフィースには来ていると思います」

 背筋を伸ばしたまま、彼女は懐かしむように応答する。身体が緊張しているのに心中はリラックスしている、そんなないまぜになった状況。一方、手塚には彼女がこんな辺境に来たがる理由の見当がつかなかった。

「……どうしてかな?」

「私、冒険記とか好きなんですよ。小さい頃から、本を読むと言ったらそういうジャンルのやつばかりで……でも、私が住んでいたのはニュータウンで、そんな冒険とかとは別世界のような環境で。だから、誰も足を踏み入れたことの無いところを冒険したかったんです。まさしくこのフィースみたいな。……だからこんな仕事をしてるんですから、結局仕事が好きでここまで付いて来たのは当然なんですけどね」

 冒険家になりたい。今までは『人類未踏の地なんてもう存在しない』とバカにされるような将来の夢だったが、惑星フィースという新天地のお蔭で状況も変わってきた。こんな小説の中にしか無いような職業の人気が出てきたのだ。事実この調査隊にだって、彼女のように冒険家を目指して入隊した者がわんさかいる。

 久地がここまで付いて来た理由を手塚は理解できるが、共感が出来ない。

「……やっぱり、遠いな」

「何か言いましたか、手塚さん?」

 彼の顔を覗いてくる。呟き声を拾うなんて、本当にお節介だ。

「僕はどうしてこんなところに来ちゃったのかな、って。どんな理由も、久地さんのように夢がいっぱい詰まった理由だって、僕には当てはまらない。どうしてここに居るのかが分からなくなっちゃって」

『当たらずとも遠からず』という慣用句があるが、彼の場合は『当たらずそして遠い』というべきか。他人の理由を参考にしても、どうも手応えが無かった。こんな辺境の星まで付いてきた理由を、彼は見失ってしまったのだ。

暗い顔を呈した手塚の話に、久地は付き合ってくれる。

「いくら自衛隊だからって、兵隊さんだったら上司の命令は絶対なんですよね? だったら、命令でここまで来たってだけの話じゃないんですか?」

「うん、ソレは分かるんだ。命令が無かったら、こんな場所には絶対に来ていない。問題はね、僕がどうしてその命令に従ったのか――僕がどうして兵隊なんてやってるのか、ってことなんだ」

「確かに、手塚さんってあんまり兵隊さんらしくないですからね。大人しいですし、団体行動が苦手ですし……」

「相変わらずストレートに言ってくれるね、久地さんは」

 愛想笑いで誤魔化そうとするが、しかし疑念は消えない。彼女が会話を引き伸ばしてきた。

「ソレじゃあ、自衛隊に入隊するときに何か考えてなかったんですか? 日本をどげんかせんといかん~、ってな感じで」

「やることが無くて、途方に暮れていたんだよ。でも自衛隊に入ればとりあえず誰かの役に立てるだろうと思って、ここに入隊した。技能もあったしね。けれど久地さんの言う通り、僕の性格はこの仕事には向いてない。なのにどうしてか、僕はこの仕事を辞めなかったんだ」

「なるほど……手塚さんはこの仕事に就いた理由では無くて、仕事を続ける理由を見失ってるんですね」

 久地が上手く纏めてくれた。全くもってその通りである。

一八歳の頃、高校を卒業して間もなく、目標が無かったからとりあえず自衛隊に入った。そして時が経つに連れて、銃を握り続ける理由が存在しないことに気付いてしまったのだ。

 群れることが嫌いで、他人に合わせるのも嫌い。周りからわざと孤立したくて、手塚は自衛官を選んだ。高校でも、こんな進路希望を出したのは彼だけだった。そしてすんなりと入隊できて、だけど群れることと他人に合わせることを強要された。個人作業が好きな手塚にとって、団体行動が重要な軍隊は向いていないのだ。

 いつものお節介と同じ流れで、久地がいくつかの提案をしてくれる。

「手塚さんって、武器が好きだったりしませんか? 私みたいな地学者で例えるところの地形のような、仕事で主に扱う対象として」

「重いモノは好きじゃない。銃なんて、自衛官にならなければ触るどころか見ることすら無かっただろうし」

「じゃあ、運動不足解消としてこの仕事をやっているって考えるのはどうでしょう? ホラ、最近は生活習慣病とか話題になってますし」

「体を動かしたかったら、素直に何も背負わず皇居を反時計回りに走るよ。あんなに重い装備は要らない」

「本当に嫌いなんですね、重いモノ……だったら手塚さん、好きなモノって何ですか?」

「ジンジャーエールだけど」

「どれだけ好きなんですか、ジンジャーエール……」

 久地も段々疲れてきた。結局、彼は重いモノが嫌いでジンジャーエールが好きであることが判明しただけだ。もっと他の切り口は無いかと彼女が思索して、一つの問いを思いつく。

「手塚さん、好きな人って居ますか?」

 無邪気な声、聞き慣れない単語に、彼は当惑した。ソレは突然の言葉だった。目の前には、彼を見つめる久地の瞳。とりあえず横を向いて目をそらすが、彼女の真っ直ぐな表情が頭から離れない。

「久地さん、どうしてそんなことを……?」

「あっ、いや、別に変な意味とかは……! あの、社内恋愛とかよく聞きますし、ソレに手塚さんも恋愛とか興味あるのかな~って……」

 思い付きで尋ねてしまったことに気付いて後悔しているのか、彼女も手塚と同じような反応を呈した。慌てて振り向いてはうつむき、ずれた眼鏡を両手で直す。だから手塚が彼女の方を向き直すと、ちょうどしとやかに流れる黒い髪が彼の視界に飛び込んだ。この角度から久地を見たことがあまり無いので、本人の性格とは少し剥離したその上品な濡羽色の糸を意外に感じた。

「僕は……特に、無いかな」

「は、はいっ?!」

 彼が喋り出したのがいきなりだったから、久地が驚いて手塚の方を向く。すると彼と彼女の目が合ったので、お互い少しだけ、必要最低限分だけ視線を外した。相手の顔はよく見える。

「恋愛とか、そういうの。高校の頃、クラスメイトに告白して撃沈してからはソレっきりだね。脈無かったのが原因だけど」

 今度は手塚が、過去を懐かしんだ。確か相手は席が彼の一つ前だった人で、とにかく自己主張をしないようなおとなしい女性だった。そう言えば、その人に惚れたのはいつも後ろから見る綺麗な黒髪が理由だったような――。

「そう……ですか。なんか意外ですね、手塚さんにも思春期があったなんて」

 安心したような、久地の表情。とりあえず、息子がちゃんと成長しているのにほっとした親の心境なのだろうと彼は刹那的に解釈していたが、そんなことでは無いのは明白だった。

 どうにも現在の手塚と久地は、互いに同じ感情を抱いているように思えた。

 そんな頃合いに、遠くから女性の声がいくつか届いた。

「久地~、いつまでイチャイチャしてんのよ~!」

「ちょっと、お酒持ってきてくれない~?」

 見てみると、調査班の面々が久地を手招きしている。

「そう言えば、久地さんは飲みから席を外してたんだっけ」

「あ、確かにそうだったような……すみません先輩、今戻りますから~!」

 声を大きくして、彼女が調査班のテントに報告する。そうしてからすぐに、手塚を振り向いた。

「すいませんね、力になれなくて……」

「いや、いいよ。簡単に見つかる答えでも無さそうだし」

「そうですか……そう言ってくれるだけでも、嬉しいです。ソレじゃ、私はこの辺で――」

 久地が踵を返そうとする。

 揺れる黒艶が、手塚の視界を染めた。

「久地さん。話に付き合ってくれて、今日はありがと」

「はい、こちらこそっ!」

 久地が振り返り、手塚に笑顔を見せてくれた。


 こんな兵器を発案するんじゃ無かった、と手塚は思った。

 いくらメインの素材がポリエチレンテレフタラートといえども、手榴弾なり発射台なり、紅葉魚雷は重たかった。ソレを重たい宇宙服を着ながら、重たい落ち葉をかき分けて進みつつ、崖の縁まで運んでゆく。気を失いそうだった。

 しかしやっとの思いで、予定ポイントに到達。潜望鏡で上の方を覗いて、敵がこちらに気付いていないことを確認。後はさっさと魚雷を撃って、後続の突撃隊から武装を受け取るだけだ。

『ヨコカワ・ワンより各位へ。<メープル>を設置しろ』

 小隊長から通信が入る。<メープル>とは、この紅葉魚雷に付けられた名前だ。

 肩から装備を一旦降ろし、落ち葉をかき分けながら四苦八苦して<メープル>をセットする。そして少しでも抵抗を減らすために、上から見ても気付かれない程度の穴を魚雷の上にかき分けて開けておいた。コレで、手榴弾の安全ピンを抜き<メープル>の発射ボタンを押すだけで崖を簡単に超えてくれる。

 そんな状況だったが、手塚はやはり戦う理由を見失っていた。

『各位、設置が完了したら逐次報告せよ』

『ヨコカワ・ツー、完了しました』

『ヨコカワ・フォー、終了です』

『ヨコカワ・スリー、終わりやしたぜ』

 ヨコカワ小隊のメンバーが、次々と仕事を終える。一人当たり三発の<メープル>を射出するのだが、手塚以外の三人と小隊長はてきぱきと準備を終わらせていた。

『……ヨコカワ・ファイブ、完了です』

 覇気のない声で手塚が報告。仕事はミスも無くしっかりとこなしているものの、やる気はやはり伴っていなかった。このことを心配したのか、小隊長が個人回線を開いてくる。

『おい手塚。お前が落ち着いてるのはいつものことだが、今日はいつにも増して暗いんじゃないのか?』

 こういう機会はありがたい、言いたいことが言えるチャンスなのだから。

「……小隊長。人生相談と言っては何ですが、ちょっとお聞きしたいことがあります」

『お前の方から話を持ち掛けてくるとはな。時間にもまだ余裕がある。簡単なことしか言えんだろうが、聞いてやるぞ』

 彼が思うに、この人はやはり仲間想いの良い人だ。作戦の最中に人生相談なんてしたら普通は下らないと怒鳴り散らされるのだが、小隊長は話に乗ってくれる。だから遠慮無く、手塚は素直に口を開いた。

「どうしてこんなところで戦争をやってるのか、分からなくなってしまって。生きる意味を見失ったというか……自衛隊に入ったのに、僕たちは全然『自衛』していないじゃないですか。ソレで、どうしてここに居るのかなって――」

 彼がフィースに降り立ったのは、戦争をするためだろうか?

彼が自衛隊に入ったのは、戦争をするためだろうか?

 彼が今もまだ生きているのは、戦争をするためだろうか?

 確かに、彼に目標などは無かった。しかしだからと言って、そのことの罰が徴兵されることなのだろうか? そうとは思えない。何も考えずのうのうと生きて時間の流れに流されることは、コレほどまでに罪なのだろうか?

 ふと、久地の笑顔が思い浮かんだ。

 彼女には夢があって、そして現在はソレを実現している。だから彼女は楽しそうで、だから手塚にはまぶしく見える。目標のある人生を送った者は、あそこまで輝いているのだ。彼のような灰色では無い、この紅葉のような鮮やかな色に。

 そんな手塚に対し、小隊長は檄を飛ばした。

『お前、そんなしょうもないことで悩んでいたのか! いいか、お前のような若い輩にはまだ分からんのだろうがなぁ、そんなことはこの世の中ではどうでもいいくらいちっぽけなことなんだよ! そのうち歳を重ねていきゃぁ、答えは見つかっから安心しろっ!』

 あの優しい小隊長が、こうまでけなしてしまうとは。ソレほどまでに下らない悩みだったのだろうか。

「じゃあ、小隊長の戦う理由って一体――」

『うるせぇな、お前は妻子持ちじゃないからそんなことが言えるんだ! 家族の寝床を確保するために決まってんだろうっ!』

 久地と考えても答えの分からなかった疑問が、小隊長により一蹴された。家族のため。成程、確かにコレは歳を重ねて結婚しないと見つからない答えだ。

 大切な人のために戦うだなんて、とてもありきたりな理由だろう。今時B級映画にも採用されないような、とてもチープで陳腐な理由だ。

 人間は、そんなチープで陳腐な理由によって頑張れる。

『手塚。世の中ってのはなぁ、意外と単純なモノなんだよ。だからウジウジ悩んだってしょうがない。お前の言う『戦う理由』だって、腹が減ったからだとかでも十分なんだ。実際、飢饉による戦争なんて歴史が繰り返している悲劇の典型例だろう』

 少し落ち着いて、小隊長がセリフを続けてくれる。誰にでもある子供じみた欲求一つで、忘れてはいけない程の惨劇が起こる。だからこのフィース侵略戦争という惨劇に適当な考えで参加しても、実は大した問題では無いのだ。少なくとも、バチなんて当たらない。

「……僕は、深く考えすぎだと」

『そうだ。だからお前が好きな女のためだとかに戦ったって、お前をバカにするような人間は居ない。もっと肩の力を抜け、考えすぎて無駄に重いモノを背負うのはお前だって嫌だろう? 分かったら、さっさと射出準備!』

 こうまで言われると、自分が何のために戦っていたのかを考えていた彼自身が馬鹿馬鹿しく思えてくる。簡単な問いを難しい解法で挑もうとして、結果彼の嫌いな『重い』気分になってしまった。

 好きな女のために戦う、と小隊長は口にした。この解法はとても単純で分かりやすい。だというのに、とても立派な戦う理由である。

 好きな女のために戦う。

 ふと、久地の笑顔がもう一度浮かんだ。

 こっちの方が気分も軽くて、手塚は好きだ。

「小隊長、ありがとうございます。ヨコカワ・ファイブ、準備完了です」

『分かればソレで良い。……ヨコカワ・ワンより各位へ。ピンを抜け、<メープル>を放つぞ!』

 小隊長の掛け声で、計一五発の<メープル>が飛沫を上げてやや垂直に進む。意外と重かったその紅葉魚雷が飛んで行ってくれたので、手塚に重くのしかかるモノはもう無くなった。

 とりあえず、この作戦が終わったら彼女を食事にでも誘おう。

 でも、この惑星にはまだ喫茶店が無い。

 ならば、さっさと制圧して将来ここに喫茶店を開こう。

『……着弾確認。突撃班、武装を俺たちに分けて崖を登れ!』

 店名はどうしようか。

 『Ma-pRe』、なんてどうだろうか。

 紅葉(maple)とあと一つ、将来には過去となる今この時(PRE)とを掛けよう。

『電撃作戦は成功した、後は各員の頑張り次第だ! 俺らも突撃するぞっ!』

 今この時はやがて過去となるが、この気持ちは永遠に忘れたくない。

 コレで店名は決まった。だから――

 この戦争を、終わらせてやろうじゃないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Ma-pRe. 柊 恭 @ichinose51

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ