第10話 Edition-Secluding Trip

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 北関区は市営地下鉄三笠線『森入(もりいり)』駅から徒歩十分。国道二四六号線に沿うようにして立ち並ぶ賃貸アパート群、その内の一室がコーベの下宿だった。まだ綺麗な白い壁が、築年数の若さを物語っている。夜の十時を回ったばかりだというのに、彼は既にベッドの上で横になっていた。

 ふと横を向くと、テーブルの上にニュートンが平積みされているのが見える。隣にはマックスコーヒーとメローイエローの空き缶、それに森永のマリーが食べかけで置いてあった。

 ――彼女のヘアゴムは、そう言えば夏を過ぎた頃に黄色から赤へ変わったっけ。

 そんな考えが頭をよぎる。コーベが彼女に選んであげたカーマインのブレスレットは、また季節が暖かくなれば見られるだろうか。

ベッドの上で寝返りを打つ。明日の朝が早い訳でも無い。具合が悪い訳でも無い。眠気に襲われた訳でも無い。意識がはっきりとした状態で、コーベは額の上に自らの左腕を乗せている。

 彼には今、悩み事がある。

(あの時……何で言えなかったんだろ)

 二週間前。サキが風邪を引いたということで、ウイと一緒に見舞いに行った時。自己犠牲的なサキが珍しくウイに頼って、コーベがその理由を尋ねた時の、あの表情。

『誰かに、頼りたい気分だから』

 愛想笑いを浮かべながら、光を失くした瞳でそう彼女は口にした。どこか深みを感じさせる、とても哀しそうな表情。

 美しく、そして儚い。

 あの表情が、コーベの脳裏に焼き付いている。目を閉じれば思い浮かべてしまい、如何なる時でも忘れられない。サキに会う度に想起してしまうので、ここ数日は彼女とまともに会話できていない。

 そんなサキの哀しい顔を見て、しかしコーベは何も言えなかった。普段だったら、優しい言葉を掛けてあげられるはずなのに。事実、セリフ自体は喉元まで出ていた。けれども彼は、とうとう口に出せなかった。

 胸が締め付けられるような、そんな感覚に彼は苦しむ。

『僕はいつもサキの隣に居るよ』とは、コーベには言う資格が無かったように思えた。彼女の内面、サキの感じていることを、彼が完全に把握しているとは言い難いから。今までならば彼女の考えていることも分かってあげられたはずなのに、どうしてかその勘が鈍っている。彼女の心を読めない。彼女の心を知りたい。

 あのようなサキの顔を、コーベは見た記憶が無い。似たような、弱った彼女は記憶に残っているが、あそこまで脆い表情では無かった。初めて見る美しさだったから、こうも頭から離れないのか?

 違う。コーベは心中で即座に否定した。

 サキの儚さに惹かれたと同時、彼は彼女の今まで通り、楽しそうな笑顔を渇望していた。サキに哀しい思いをしてほしくない、そう強く願っている。

 このギャップが、彼を最も苛(さいな)む要因だ。哀しそうなサキと、嬉しそうなサキ。片方を思い浮かべれば、必ずカウンターとしてもう片方が思い出される。夢とうつつとの狭間に居るような、そんな錯覚を感じていた。

 現実として、サキの哀しい表情がある。

 理想として、サキに笑っていてほしい。

「――あ」

 自身の感情をそこに観測して、コーベは不意に声を漏らした。

 他人に対して、こんなことを感じたのは初めてかも知れない。周りの全員がストレスフリーで生きられればいいなとは考えても、特定の人物の幸せを願ったことは今まで無かった。そこまで他人に踏み込んだ感情を持ったことが無かったのに、コーベは今それを感じている。

 誰でも無い。身内でも無い。ウイでも無い。

 サキに対してのみ、コーベはその想いを抱いていた。


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 本関大学の地下駐車場に<L<ove>R>の三人を呼び出しておきながら、肝心のアルカはその場に居合わせていなかった。しかし代理としてなのか、招き猫型の端末がちょこんと<フィールダー>のボンネットに乗っかっている。そこからホログラムとして飛び出してきたイスクに対して、コーベはとりあえず挨拶をした。

「イスク。アルカはどうしたの?」

《ご主人様ニャら、どーも用事があるみたいですニャ。私をヤリ捨ててここに置き去りにして、すぐにトタトタとでちゃいましたよ☆》

「……お願いだから、日本語話して」

 ウイの冷静な突っ込みに対し、彼女は右手の肉球を頭の横に持ってきてウインクをする。典型的で旧時代的なぶりっ娘ポーズだ。下ネコにとっては、逃げの動作としての意味も込められている。

 しかしアルカが何を伝えようとしたのかは、その場を見るだけで安易に想像できた。駐車場に並んで停まっていた計三台の<α〝T-T.A.C.〟κ>は、そのどれもが今までのモノから外装に手を加えられていたのだ。

「うわ~、これ全部アルカがやってくれたの?」

《そうみたいですニャ、ウイにゃんの<ラティオ>から説明しますね☆》

 そう言ってイスクは右手を横に広げ、隣に停まっていたベージュのセダンを指した。

「……私の<ラティオ>、色々とパーツが変わってる」

 日産<ティーダラティオ>。生産が終了してしまったものの未だ根強い人気を誇るコンパクトセダンだが、目の前のそれは一般車とは異なったエアロパーツを組んでいた。厚いサイドスポイラーに少し突き出たリアスポイラー、そして大きく見た目を変えたフロントバンパー。やや位置が高くなったヘッドライトは、鷲のような精悍さを醸し出している。

《この<ティーダラティオ>のパーツは主に、インパルのコンプリートカーから持って来たって言ってましたニャ! 見た目だけじゃニャくてニャかみ(中身)も弄ってあって、特にエンジンが一、八リッターにボアアップして、しかもスーパーチャージャーまで付けたみたいです☆》

「……私の<ラティオ>にスーパーチャージャーってことは、速くなったの?」

《もちろんですニャ!》

 元気良くイスクが答える。エンジンの出力軸(クランクシャフト)の動力を利用して過給するスーパーチャージャーは、低回転域でのトルク上昇を促す効果がある。それに排気量が二リッター弱のエンジンを合わせることで、この<ティーダラティオ>は絶大な加速力を得たということになるのだ。

 ウイが満足そうに<ラティオ>のフェンダーを撫でたところで、次にサキが声高に喜んだ。

「これ、もしかして……ポストが付いてるってことは、最新型の<スピードアクセラ>だったりするのっ?!」

《え、え~っと……ご主人様は、元々の<アクセラハイブリッド>にターボエンジンを積んだモノって言ってましたニャ》

 マツダ<スピードアクセラ>は、ベース車である<アクセラ>のエンジンにターボチャージャーで加給したクルマだ。二五〇馬力を優に超すほどの出力を兼ね備えていて、しかもハイブリッドモデルだとそこに五〇馬力のモーターが加わる。マツダの現行モデルにおいて、最もパワーのある車種だ。

「しかもウイングまで付いてる……! 満足どころか、こりゃもう最高のクルマよっ!」

《よ、喜んでいただけて嬉しいですニャ……》

 溢れ出るサキの熱気に、イスクが若干押されていた。

 一般的にはハッチバックモデルしか設定されていないのだが、そこにある白い<スピードアクセラハイブリッド>はセダンタイプに改造されていた。ボンネットに開けられたエアインテークとフロントの大型グリルが、最大限に加給されていることを物語っている。加えて各所に細かなエアロパーツがある他、リアには巨大なGTウイングが取り付けられていた。マツダの『魂動』デザインの特徴であるバンパーのシグニチャーウイングはライトで発光されていて、まるで優雅なドレスを纏った妃のようにきらびやかだ。

 サキが目を光らせながら愛車を見つめていると、最後にコーベが感想を漏らした。

「僕の<フィールダー>は。現行型にモデルチェンジされてるんだ」

《はい、パーツは全てアップデートしておきましたニャ☆》

 トヨタ<カローラフィールダーハイブリッド>は、つい最近になって外装のマイナーチェンジが行われた。新しいデザインフィロソフィーである『キーンルック』を取り入れて、ステーションワゴンながらもスポーティさを演出するデザインとなって生まれ変わったのだ。

 テールランプはバックドアにまで回り込み、フロントのアンダーグリルが大型化。ヘッドライトもより細く曲線的なデザインとなって、しかも目の前の<フィールダー>は新設定の橙色に塗装変更されている。その意匠はまさに、絢爛な菊の花弁のようだ。

《一番大きく変わったのは勿論見た目ですけど、ニャかみ(中身)も当然チューンされてるんですよ? 特に重さとかは、かニャり軽くしましたニャ!》

「<フィールダー>が軽くなったってことは。流石はアルカの改造だよね、方向性がこのクルマにマッチしてる」

 一般的に軽量化と言えば、パワーウェイトレシオを上げることが目的となる。しかしもう一つの作用として、運動性能の向上が挙げられるのだ。これこそが、クルマの一挙一動をきっちりと押さえている<フィールダー>にとって最も効果の高い要素となる。だからコーベの<フィールダー>はボンネットをカーボン製の黒いモノに変えるなど、徹底した軽量化がなされている。

 試しにコーベが愛車に乗ってスタートボタンを押してみると、モーター駆動のためとても静かに起動する。ふと表示された時計に目をやると、次の講義が始まる時間に差し掛かっていることに気が付いた。

「そういえば。次のってテストじゃ無かったっけ……?」

「……ヤバい、もうそんな時間なんだ」

「ってことでイスク、私たちは急ぐから! じゃあねっ!」

 すぐさまクルマから降りて、三人は扉を開けて教室へと向かう。下ネコには別れを告げた訳だが、しかし彼女の神出鬼没ぶりを舐めてはならない。いつものように彼らのケータイをハッキングして、呼んでもいないのに付いて来たのだ。

《酷いですよみニャさん(皆さん)~、この美少女メイドをご主人様みたくヤリ捨てるだニャんて☆》

「……講義中は、電子機器の使用は禁止するって教授が言ってた」

《ふ、ふぇ? あの~、ウイにゃん? ニャんか不穏ニャこと――》

 勘付いたイスクを無慈悲にも無視しケータイの電源を落としながら、彼らはテスト会場の教室へと駆けていった。


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 そんな訳で無事テストが終わり、三人が死んだ魚のような目をしている時のこと。講義室でテキストを開いては誤答に気付くという地獄のような答え合わせをしていると、横から富士見さんと守谷さんが現れては声を掛けて来た。

「あれっ、こんにちは。皆さん揃ってどうしました?」

「まさかまさか、コーベくんの取り合いとか~? 私たち、修羅場に出くわしちゃってたりするのかな?」

「二人ともこんにちは。でも別に修羅場って程でも無いですし、富士見さんと守谷さんが二人きりの時にお邪魔しちゃったのに比べたら――」

 コーベがそこまで言いかけたところで、サキとウイが凍てつくような視線で彼を射る。いくらこの二人の関係を察していても、口にするのは憚(はばか)られてしかるべき。公然の秘密というモノだ。

「そんなことよりも、守谷さんたちこそどうしてこんなところに? 次の時間って、ここは空き教室だったような……」

 サキが記憶を巡らせながら尋ねると、守谷さんは申し訳なさそうに答えた。

「いやさ~……ここ、臨時で試験会場になってて」

「あ~そっか、空き教室だからそーなるのか……」

 少し頭を回せば思い至るような、ごく当たり前のことだった。となると三人は席を占領して試験勉強を邪魔している体になるので、ウイが詫びを入れながら手を動かす。

「……すみません、もう片付けて私たちも移動しますから」

「そこまで急がなくても良いですよ、試験開始は少し遅めですし」

 そう富士見さんが添えてくれたので、テキストを鞄にしまう手もゆっくりになる。忘れ物が無いかチェックをして、コーベ達が席を立ったところで。

「テストが終わったら、一緒にお茶でもしましょうか? ちょうど今度、補充用に豆を買いに行く予定でしたし」

「私も新作のお菓子を何か考えとくから、良かったらまた研究室に寄ってね!」

 そんな二人からの優しいお誘いの言葉を受けて、これまで彼らを支配していた鬱蒼な気持ちも吹き飛んだ。

『はい、喜んでっ!』

 三人一緒にお礼を述べて、微笑み手を振る二人に踵を返した。


 席を移動するにしても、テストの多いこの季節。ラウンジも試験勉強に追い打ちをかけている学生たちに占領されていて、空きスペースというモノは意外と学内に残されていない。だからしばらくさまよった挙句、コーベ達<L<ove>R>は結局アルカの研究室で答え合わせとテスト勉強をすることにした。

「……次にやるテストって、何だっけ?」

「明日の二限、都市工学だったと思うわよ。鬼の阿賀野教授、今回はどんな問題なんだろーね?」

「流石に。アルカのテストよりは難易度低いだろうから、この前の環境科学はそうそう越えられないって」

 それぞれが思い思いに好き勝手言っていたが、研究室の前に着いたところでふと違和感を覚えた。何やら、中で誰か二人が会話しているらしい。声の調子からすると片方がアルカであることは間違いないが、ではもう一人は一体誰なのか。

『実験のスキーマ、最終チェックはこれで良いんだろ?』

『そうだね、近いうちに<メックス>も予定ポイントに放すから。そっちは問題ないよね』

『あぁ、全くもって順調だよ。整備は昨日までに終わらしたからな』

 わざわざ聞き耳を立てずとも、その声は外に漏れていた。少し意識を向けるだけで、一言一句が耳に入る。そして部屋の中から聞こえる会話に、三人が慣れ親しんだ単語が紛れていた。

<メックス>。コーベ達の敵。<L<ove>R>が毎回殺処分している、猫型鉄製の巨大モンスター。

「ちょっ……<メックス>を放すって、今言ってなかった?」

「……ってことは、この部屋の中に<メックス>を造ってる黒幕が居るってことなの?」

「だとしても。そんな人とアルカが会話してるってのは――」

 コーベがそう言いかけたところで、中から扉に向かう足音が近付いて来た。こつこつと、ゆっくりと慎重に。或いは三人の緊張が、音を無闇に引き伸ばしているのだろうか。

 背筋を弄(もてあそ)ぶかのように、冷や汗が真っ直ぐ伝って落ちる。

 彼らと戦っている黒幕が、ドア一つ隔てた先に居る。

 きぃと音がして、ドアノブが半周程回ってしまった。

 禁断の扉が、開かれる――。

「じゃあ、手筈通りにな……って」

 ドアを開けたのは、アルカだった。

「アルカ――」

 息を呑むようなコーベの呼びかけ。<L<ove>R>が戦っている相手は、アルカでは無い。となると部屋の中に居るもう一人が目当ての黒幕ということだが、知った顔を見ることが出来てわずかながらも安堵を覚えた。

しかし彼は三人の顔を見て、眼を大きく見開いていた。

 コーベ達とアルカがただ顔を合わせるのに、驚くということは不自然だ。先週だって<α〝T-T.A.C.〟κ>に関しての打ち合わせをしたばっかりだし、彼の講義だって週に何コマか受講している。それこそ毎日顔を見ているも同然だというのに、目の前のアルカはこちらを瞠(みは)っていた。

 彼に裏切られた気がする。その理由は、詮索したくない。

「どうして。そんな顔をするの」

 気付けばコーベは、淋しそうにそんなことを口走っていた。

 そんな扉の近くで固まっている彼らを怪訝に思ったのか、研究室の中に居る人物が声を掛けてきた。落ち着きを完全には獲得していない、二〇歳かそれ以下の男性の声。コーベ達と同じ世代の人間だ。

「アルカ、どうかしたの?」

 開かれたドアの隙間から、その声の主が垣間見える。やはり若い男性で、けれど立派に白衣を着こなしていて、短めの髪が特徴的な。

 一目見ただけで、身体に電流がほとばしった。堰が壊された濁流のような、そんな勢い。コーベは、彼のことを知っている。

 その姿をトリガーとして、失われた記憶が蘇る。

「――タク?」

 彼のその呟きが、止まっていた八年の時を加速させた。

 忘れてしまっていた名前。見た目もうろ覚えだったけれども、面影があるから気付くことが出来た。出来ればこのまま遭わずにいたかった、悲劇的な感動の再会。

 コーベ、サキ、ウイの、古い友人。

 コーベ、サキ、ウイの、記憶を消した張本人。

 手塚拓。

 彼の姿を見ることで、コーベは殆どの記憶をその瞬間に取り戻した。

「そっか。タク……なんだね」

 コーベが懐かしい眼差しを送る。憎んでも良いはずなのに、どうしてか彼はその行動に出た。旧友に逢えたという感情の方が、嫌な記憶だから遭いたくなかったという思いに打ち勝ったらしい。一方のタク、そして隣に居るアルカも、驚いたまま気持ちの整理がついていないらしく動かない。

 コーベの視線を追うようにして、サキとウイもタクの方に目をやる。すると彼と同じく記憶を思い出したのか、偏頭痛に襲われてうめき声を漏らした。

「えっ……コーベ、タクって一体――っ!」

「……頭が、ズキズキするようなっ……」

 苦しそうに座り込む二人。けれども彼女たちの表情には、疑問の念が垣間見えた。何かが分かりそうなのに、それが一体何なのか分からない。コーベほどに勢い良く思い出せた訳ではないらしい。だからサキとウイを助けるように、コーベは八年も昔の事実をここで伝えた。

「ゴメン……今まで言ってなかったことを話すよ。僕たちは三人とも、八年前に記憶を失ってるよね? でもそれは、偶然なんかじゃなかったんだ」

「……コーベ、それって」

「僕たち三人は八年前も友達で。そして同じ友達のタク、それともう一人に、記憶を消された」

 この言葉で、サキとウイの表情が激変した。まずは驚き、次に信じられないような顔をし、そして取り戻した記憶がこのことを証明して納得する。信じたくないけれども、思い出してしまった。いくつかの混乱は残っているだろうが、頭痛の苦しさからは解放されたらしい。だからだろうか、サキが率直な疑問を投げかけた。

「そのこと、コーベはずっと……私たちが昔の友達だったって知りながら、私たちと接してたの……?」

「それは……ゴメン、謝ることしか出来ない。僕も教えられたのは四か月前で、サキとウイに言うタイミングがなくて――」

「……黙ってたのは、どうしてなの」

 ウイの追求が、冷たく感じる。サキを見ても、今にも泣きそうな眼をしている。彼女たちのこんな顔は、見たくなかったのに。

 しかしあろうことか、ここでタクが口を開いて来た。

「普通は、言えないよね。コーベ」

 そう声にする彼は、申し訳なさそうに俯いている。同情の言葉であるはずなのに、タクの視線はその対象を有していなかった。

「昨日まで仲良くしてたのに、その関係がいきなり壊れる……コーベ達が友達だったって事実は、それくらいのインパクトがある。怖いよね、関係が崩壊するっていうのはとても怖い。あの時も――僕たち五人が離れ離れになる時も怖くて、だから僕は自分から友人関係を壊した。どうしようもない事情なんかに、壊されたくなかったから」

 封をされていた記憶の引き出しから、三人がその情報を取り出す。八年前、コーベ達は中学校へと進級する年齢だった。しかしそのタイミングでタクともう一人の友達が親の意向で海外留学をすることになり、コーベ、サキ、ウイも学区の関係や親の転勤でバラバラになってしまうことが決まった。

大人達の事情により、間柄を引き裂かれようとした子供達。タクが言葉を続ける。

「自然消滅っていう大きな脅威が、僕を不安にさせたんだ。得体の知れない存在に、踏みつぶされそうな気分だった。身体の震えが止まらなくて、ならばせめて自分が把握している、理解している状況の下で関係を断ち切った方がマシだって思って、皆に電流を流して記憶を消した……ひどいことをしたってのは、分かってるつもりだよ。だから謝るのはコーベじゃなくて、僕の方なんだ」

 タクの独白によって、三人の意識は彼へと集中した。自分たちが記憶喪失になった原因。当時十二歳の少年は、彼自身の存在を友達の頭から抹消した。

自嘲する彼を一目見て、しかし怒りは湧いてこない。謝罪の意図があるのならば赦すしかないし、それに怒ったところで意味も無い。返してほしかった記憶は、もう取り戻した。

 代わりにこの話題を切り上げて、ウイが一つの疑問に立ち返る。

「……タク、アナタの気持ちは分かった。過去の失敗は取り返せないし、それに私たちは今こうやって再会してる。でも、タクがここに居る理由はどうして?」

 彼がこちらを見据え、気持ちを切り替えたいのか一つだけ深呼吸をする。そして両手に握り拳を作って、一言一句落ち着いて声に出した。

「僕たちの話し声は、聞こえたんだよね? なら多分、ウイ達が察してる通りだよ。<メックス>の騒動を起こしてる張本人は、紛れもなく僕だ」

 ある程度予想していたとはいえ、その告白は衝撃的だった。かつての友達であるタクが、<メックス>を発生させている。記憶を失った原因が彼ならば、<L<ove>R>を結成して再会するきっかけを作ったのも彼だった。

 しかしこのことは、タクがここに居る理由にならない。サキがそれを追及する。

「でも、<メックス>とこの場所に何が関係しているの? タクが私たちと再会する理由には、ならないと思うけど」

「いや、そんなことは無いよサキ。もう一つ、僕たちを繋げる鍵がある。そのことにだって、薄々気付いてるはずだ。ただ、信じたくないだけで」

 そう言って、タクが彼の方を見やる。四人に無関係のようでいて、しかし決してそうではない人物。涼しい顔をすべきなのに、さも当事者かのように驚愕しているモノ。この研究室に、無くてはならない存在。

 何故<メックス>についてあれほどまでに詳しかった?

 何故<L<ove>R>の機体は<T.A.C.>『タク』なのか?

 何故<T.A.C.>を逆さ読みすると『cat』になる?

 何故敵である<p.α.κ.>には彼の名前が含まれている?

 何故――?

 タクと共犯で<メックス>に携わっている、<T.A.C.>と同時にライバルであるはずの<p.α.κ.>を開発した、タクと三人とを繋げている存在。信じたくないような、夢であってほしいと願う声で。彼の名前を、コーベが言葉にする。

「アルカ――」

 部屋の中に再び潜ってから大きく振り返り、窓から漏れる陽射しを背景にして。

「――そうだよ、俺が黒幕だ」

 全世界に皮肉を向ける調子で、アルカが口元に笑みを浮かべた。


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 関市のある惑星フィースにも、環境問題は存在する。

 入植期に勃発した、領地の取り合いである植民地戦争。黎明期に発見された、豊富な化石燃料。凄まじいスピードでなされた、開拓と開発。次々と切り倒され、減少する森林資源。そして現在顕著になっている、工場や自動車からの排ガス問題。

これら五〇年間の出来事を列挙すると見えてくるように、むしろ旧宗主惑星である地球よりも悪化のスピードが速いのである。フロンティアの原風景がいくつか残されているからまだ良いものの、地球と同等か或いはより酷い空気になることは将来的に見て必至だ。

 二人の若い科学者――タクとアルカは、これを憂いた。

 彼らは十四歳の頃にフィースの環境を問題視し、幾度となく学会に訴えてきた。タクはバイオ分野で、アルカは工学分野で。しかし開発中であるフィースにはまだ環境負荷を十分に受け入れるだけのキャパシティが残されており、結局二人の持論はマイナーな学説として流行ることなく忘れ去られた。

 だから彼らは十七歳という若さで大学教授の職に就いて実力を蓄え、水面下でとある計画を組み立てた。

 環境問題の原因は勿論、人類の生活・経済活動にある。工場は有害な煙を吐き出して、家庭は様々なゴミを毎日毎日生み出している。工場排水もあれば生活排水もあり、人間が自然をないがしろにしているのは自明だ。

 だからその人間を、この惑星からすべて消し去る。

 具体的には、街と人を問答無用で駆逐する。コンクリートを蹂躙(じゅうりん)し、排水の血飛沫を撒き散らす。ナマモノも完全に土に還し、タンパク質を解体する。ありとあらゆる汚染原因を取り除き、すればやがて自然は回復するだろう。

極論だと非難されるだろうが、しかし現状ではこれ以外に解決方法が見つからないことも事実だ。片っ端から河川を浄化しても、それ以上のスピードで人々は汚してゆく。阻止するためには、生物を間引く必要がどうしてもあった。

 そこでタクとアルカは、全てを壊す尖兵として<メックス>(Metallic Executer)を開発。ナノマシンである<MBC>によって猫を破壊活動に便利な身体として鋼鉄巨大化させ、本能に任せて――改良型である<SMBC>では催眠状態で操って――街を無茶苦茶に引っ掻きまわさせる。

素体として猫が選ばれたのは、人間の住まう都市に限れば全世界的に分布しているためだ。材料はどこにでもあるためマーケットに近い場所で生産する、市場指向型の工場立地に近い。

「そして、政府にこう言ってやるんだよ……『<メックス>とかいう謎の生命体が突然変異で発生しました、研究ならびに対策をするので予算下さい』ってな。こんなにも下手であからさまなマッチポンプだがよぉ、現に間抜けな桜美政府の能無し共は騙せちまった。環境にゃ関心無いクセに、ヤツら物理的な保身には興味津々なんだよな」

 皮肉としてアルカがせせら笑う。彼の瞳は、この上ない絶望の色に染まっていた。この話にサキが反論する。

「でも、<メックス>が街を壊した後はどうするつもり? 四メートルとか十メートルもある鉄の猫なんだから、それこそ生きてるだけで森林だとか自然破壊に繋がるんじゃないの」

「そのために、サキ達の<T-T.A.C.>があるんだよ」

 返事として、タクが声を上げる。彼の論調は次の通りだった。

 人工物である<メックス>が人々に対して刑を執行した後は、彼女らを殺処分しなければならない。その時に活用されるのが、<L<ove>R>の駆る<T-T.A.C.>である。散々暴れまわって用済みとなった鋼鉄猫を、<L<ove>R>が全て処理・処分する。

「コーベ達に<メックス>と戦ってもらったのは、このシナリオの現実性を実証するための『実験』だったんだ。ヒトにネコを殺せるか。結果は知っての通り、計画の有用性が証明された。実は<メックス>を処分するのにヒトが良いのかそれとも同じネコが良いのか、<T-T.A.C.>とアスタルの<〝q〟p.α.κ.>でコンペティションもやってたんだけどね。ネコの同士討ちが起こらないってことが実験中に分かったから、<T-T.A.C.>の方が採用されることになった」

「……私たちは勝手に巻き込まれて、それで役目が終わったらどうなるの?」

 ウイの言葉は、冷静というよりは冷たかった。二人の話に則れば、<L<ove>R>は実験に参加させられて弄ばれていたことになる。そのことに関して、タクはしっかりと向き直って謝罪した。

「本当にゴメンね……申し訳ないっては、僕だってちゃんと思ってる。こんなことに、三人を巻き込むつもりは無かった。八年前のあの時に記憶を消して、それで完全に関係を断ち切って終わりにするはずだった」

「だったら。タク、どうして僕たちを<T-T.A.C.>のドライバーに選んだの? 関係を切ったから無関係だって思ってたのなら、そもそも僕たちを採用なんてしないはずだよ」

 いつも柔らかい笑みを振り播いているコーベが、この時は表情を硬くしていた。声も低いトーンになる。純粋な疑問だけに限らない、旧友に対する様々な感情がカフェオレとなった気分。いや、味としてはほろ苦いカプチーノだろうか。

「そのこと、僕の口からは――」

「お前らを<T-T.A.C.>のドライバーに決めたのはな、タクじゃ無くて俺だ。憶えてるだろ? お前らと俺が再会した、十ヵ月くらい前のこと。全ての始まりだよ」

 唐突にタクを振り切って、アルカが言葉を出してきた。彼が指しているのは、コーベ達三人がアルカに呼び出された時のこと。つまり彼の一存で、三人は<α〝T-T.A.C.〟κ>に乗ることとなった。

「なら。アルカに訊くよ、どうして僕たちなの? もしかして、僕たちはこの大学に集められたの」

「そいつは邪推だぜコーベ、お前ら三人が本関大学に在籍してたのは偶然だ。俺も一昨年の秋くらいに知ってな、そりゃかなり驚いたさ」

 わざとらしく、アルカが笑い声を交える。ボルテージを意図的に上昇させるような彼の仕草は緊張しているからなのかもしれないと、コーベは肌で感じ取った。その理由は分からない、まだ一つだけ重大なことを思い出せていない気がする。コーベ達三人を乱れるような視線で見ながら、アルカが話を続けた。

「んで、俺がお前らを選んだ根拠か……今回の計画を立案したのが俺とタクなら、最高責任者だって俺ら二人になる。そして<α〝T-T.A.C.〟κ>のドライバーってなると、こっちの身勝手に振り回される立場だからな。流石に赤の他人を採用するのは憚られて、なるべく身内から探そうって話になった。途中で職務放棄されても困るしな、信頼できる相手が良かった。タクと俺の共通の知り合いってなると、かなり数が限られる。しかも必要とされるドライバー三人には、チームワークも求められる。そうなると選択肢は殆ど残されてなくて、結局お前らしか居なかった。こっちから一方的に関係を終えたつもりだったんだけどな、都合よく繋ぎ直しちまったって訳だ。巻き込んで済まなかったな、俺も本心からそう思ってる」

 そう語るアルカの言葉に、しかしコーベ達は違和感を覚えた。三人はタクの旧友で、だから実験に引っ張り出された。計画の後片付け役という位置付けなら、信頼できる知人に任せるというのも頷ける。サキ、ウイ、コーベがドライバーに採用された理由は、筋が通っていると言えばその通りである気がする。

 しかし、計画の責任者はタクとアルカの二人だと言っていた。だというのに、タクだけの旧友が抜擢されるはずが無い。現にアルカは、『共通の知り合い』と口にした。

 ここから導き出される事実に、三人は頭が貫かれたような痛みを再び覚える。ちょうど先程、タクについて思い出した時と同じような。

 残り一つの、重大なこと。

「アルカ、アンタまさか――!」

「……もしかして、アルカ――」

 サキとウイが苦しみながらも、搾り出すように声を出した。今まで全く気付かなかった、或いは意図的に思い出さなかったこと。三人が失っていたというのに、彼だけが握っていた事実。タクは目を逸らしている。

 八年前は三人とタク、そしてもう一人が存在した。タクとその彼によって、<L<ove>R>は記憶を消されてしまった。

 コーベ達とタクは旧友だけれども、ならばどうしてアルカがこの場に居る?

 どうしてアルカはコーベに対して、タクのことを伝えることが出来た?

 何故アルカが、三人とタクの間柄を知っている?

 これらの疑問を解決するのは、失われた記憶とアルカの言葉だけだった。

「あぁ、ご想像の通りさ……それとも、思い出したか?」

 コーベが彼に呼び出されて、<α〝T-T.A.C.〟κ>に乗る決意をした時。彼が小さく呟いた言葉、『変わらないな』のたった一言。この瞬間、それがコーベの頭に蘇った。

「――お前らとタクと、そしてもう一人。その最後のメンバーが、この俺だ」

 花が散ってしまうようにして、コーベがその場にへたり込んだ。サキとウイがすぐさま反応して彼を介抱するが、二人ともコーベと同じ顔をしている。驚きと絶望。ただでさえ今日はショックが大きかったというのに、アルカによってトドメを刺されてしまった。

 頭の理解が追い付かない。アルカは全てを知っていて、これまで<L<ove>R>の三人と接していた。何も気付かせることなく。にわかには信じられないけれども、もう記憶を取り戻してしまった。タクの隣に居た、少年の顔。常に睨んでいるような目つきと、不自然に吊り上げられた口角。目の前に居るアルカのそれと、身長以外の殆どが一致していた。

 受け入れたくないのに、受け入れざるを得ない事実。

「アルカが。僕たちの友達だった……?」

 虚ろな眼差しで天井を見つめ、枯れるような細い声でコーベが零す。コーベとサキ、ウイ、それにタクとアルカ。この五人がかつての友人で、そしてコーベ達の記憶をタクとアルカの二人が消した。

 しかも、たったの今まで気付かなかった。タクを一目見ただけで彼については思い出せたのに、アルカとずっと一緒に居ながらも記憶の引き出しの鍵とはならなかった。長年追い求めていた過去の記憶のヒントがこんなにも近くにあった衝撃、そしてアルカのことを思い出すことが出来なかったことに対する申し訳なさ。コーベ、サキ、ウイの三人は、この二つの感情をアルカに対して強く抱いた。

 三人の横を経由して、アルカが部屋を出て行ってしまう。タクが慌ててそれに付いてゆく。もう戻ってくるつもりが無いのか、振り返ることすらしていない。

「四日後の深夜三時、御影台(みかげだい)に<メックス>を大量発生させる。計画を実行に移す前の最後の実験だから、お前らに参加してほしい。頼んだぞ」

 そう言い残して、アルカとタクが遠くへ行ってしまう。散々好き勝手やっておいて、それでもなお実験への加担を要求するとは。モノの頼み方を知らない彼に、コーベは一種の彼らしさを感じた。

 その理由はきっともう一つ、去り際に小さく『済まないな』とも言ってくれたアルカの不器用さにもあるのだと思う。


oveR-05


 八年前、まだ浅川県関市として合併する前の、南関市畑名(はたな)町。ありふれた郊外の低層住宅地に、彼ら五人の姿があった。

「じゃあ。アルカとタクは、海外に行っちゃうんだ」

「そうだよ、タクのおじさんが勧めてくれてな。難しいかもだけどよ、とりあえずやってみようと思ってさ」

 コーベ、サキ、ウイ、タク、そしてアルカ。児童公園のジャングルジムに、小学六年生の彼ら五人は腰を据えていた。時刻は午後の四時を回っていて、夕陽もかなり傾いている。アルカの言葉に続いて、タクが口を開いた。

「お父さんだけじゃなくて、お母さんも行った方が良いって。それに、僕ももっと広いところで学ぼうって決めたんだ。そしていつかは研究者になって、皆の役に立ってみたい。科学は、人を幸せにするから」

 にこやかにそう語る彼を見ながら、サキとウイも将来の夢を打ち明ける。

「そのセリフ、タクは本当に好きだよね~。でも、私も嫌いじゃないよ? 人を幸せにするって言うのは、とっても大切なことだと思うし。私も婦警さんみたいに、皆の役に立ってみたいしさ」

「……私、アイドルになってみたい。自分が笑顔になって、皆も笑顔にさせたい。歌うのとか、笑うのとか、全く得意じゃないけど」

「でも。ウイだったら可愛いし、ウイの笑ってる表情だって僕は好きだから。きっと良いアイドルになれるよ」

「そうそう、たまに出てくるウイの笑顔もすっごく可愛いからね。私たちが保証するから、安心して!」

「……ありがと」

 コーベとサキに励まされて微笑むウイを、タクとアルカは温かく見守っていた。二人とは進路が違ってしまい離れ離れになるけれど、この三人だけでも仲良くやっていけている。こちらはこちらで、二人一組で一緒に力を合わせれば心細くなったりはしない。

「三人は、中学校でも一緒なんだよね? 僕たちが二つに分かれちゃうことになるけど、独りぼっちじゃなければ――」

 しかしタクがそう言葉にしたところ、コーベ、サキ、ウイの三人は途端に暗い顔をしてしまった。あんなにも綺麗でずっと続きそうだった笑みがコロッと消えてしまったことに、タクは反射的に戦慄する。

「……ゴメン、タクとアルカには言ってなかったっけ」

「お父さんが転勤するから。春になったら、僕は端波(たんば)の方に引っ越すことになっちゃったんだ」

 俯きながら、コーベが答える。端波と言えば、ここから新幹線か高速道路で何時間かかかるくらいに離れている都市だ。そんなにも遠いところへ行ってしまっては、コーベはもうサキとウイとも簡単には会えなくなってしまう。ましてや、彼らはまだケータイすら持っていないというのに。

「で、でも……サキとウイは、同じ中学に通うんだよね? 家も確か、歩いて十分くらいしか離れてないんだし……」

「止めとけ、タク」

 焦りながら口走るタクに対し、隣からアルカが肩に手を置いて制止してきた。段々と怖くなった彼だったが、トーンの低いサキの言葉がその感情を決定づける。

「ホラ、私とウイの家って五流川(いつるがわ)を挟んでるじゃない? それが丁度、学区の境目になっちゃって……」

「じゃあ、まさか――」

 トドメは、ウイの呟きだった。

「……私たち、バラバラになっちゃうんだ」

 喉が渇く。瞳孔が広がる。タクは強いショックを覚えた。アルカが背中をさすってくれるが、その程度でこの衝撃は和らがない。

 冬の空が、殆ど暗くなっていた。

 この辺りは宅地として開発されているから、星は一つも見えていない。

「でも、もう一生会えないって決まった訳じゃないしね。長いうち生きてりゃ、こーゆーこともこれからまだまだあるって」

「……ヒトは出会うばかりじゃなくて必ず別れもあるって、よく言うし」

 三人は何とかして、この悲劇を前向きに捉えようとしている。果たして、それでいいのだろうか。タクには何故か、疑問に思えた。

 その答えを導くヒントを、コーベが口にする。

「しょうがないよ。大人の事情は、僕たちにはどうしようもないから」

 大人の事情。彼らは今、この得体の知れない権力に屈している。

 タクの身体が、かすかに震え始めた。何か大きなモノに、五人の友情が引き裂かれる気がした。どうしてこれほどまでに仲の良かったコーベ達が、春になったら別れなければならないのか。その答えにするにしては、大人の事情というモノはいささか理解しがたい代物だ。

 ――そんなよく分からない何かに潰されるくらいならば、自分たちで処理した方が幸せなのではないか?

 タクの心の中で、ある一つのアイデアが浮かんだ。記憶の改ざん、ないしは消去。人間の脳に特定の電流を流すことで、外部から意図的に記憶を消すことが出来る。これをコーベ達に適用すれば、得体の知れないモノではなくタクの感情で引き裂かれることになる。

そちらの方が遥かにマシだと、この時のタクは強く考えていた。大きな権力に屈するよりは、コミュニティとして自殺した方が幸せだ。

 だからタクはアルカの手を握りながら、コーベ、サキ、ウイの記憶を消すことを決心した。


oveR-06


 流石に三〇分も経過すれば、気持ちもある程度は落ち着いてくる。タクとアルカが退室してからしばらく経ち、コーベ、サキ、ウイの三人は研究室のソファに腰を下ろしていた。ようやく、ウイが声を上げる。

「……二人とも、居なくなっちゃった。折角再会できたのに」

 その場の誰もが、暗い顔をしていた。旧友が猫を使ったテロを計画していて、しかも自分たちの記憶を消した張本人だった。この事実をある程度受け入れることが出来ているが、完全に理解するにはあともう少しだけ時間が欲しい。整理も兼ねて、サキが独り言を投げる。

「私、二人のことすっかり忘れてた。大切な友達だったはずなのに、その本人と一年弱一緒に行動してたのに」

「アルカのこと。どうして気付かなかったんだろ……?」

「ううん、それもだけど……それだけじゃないの、コーベ。ウイとアナタのことだって、私はずっと忘れてた。今まで仲良く出来てたのはアナタたちだけだったのに、そのことに全く気付かなかった。同じ記憶喪失同士だからとかそんなんじゃなくて、私たちは昔から仲が良かったから意気投合できたっていうのに」

 自分の頭を抱えながら、サキが身体をかがめてうめく。彼女の気持ちは、コーベとウイにも痛いほど理解できた。ずっと一緒だったのに。そもそも記憶喪失ゆえにアイデンティティが確立できなくて友達が出来なかったというのに、そんな彼らにこれ程までの友達が簡単に出来る訳がないのだ。古くから仲が良くなければ、相手の勝手なんてここまでは把握できない。

 ふと、ウイが疑問を呟いた。

「……コーベは、私たちのこと知ってたの?」

 心臓が止まりそうになって、コーベの思考が一瞬だけ飛ぶ。すぐに意識を回復させたものの、動悸が激しくなって収まらない。痛いところを突かれてしまった。落ち着こうと尽力しながら、絞るようにして声を出す。

「さっきも言った通り。四か月前に、サキとウイが友達だったってことはアルカから伝えられてた。それにタクの名前も教えられたけど、具体的なことは何も言ってくれなかったし、アルカ自身のことについては少しも触れなかったよ」

 先程タクを一目見ただけで思い出せたのは、この時にアルカから予め彼のことを聞いていたからかもしれない。しかしもしそうだとしても、サキとウイのことをきっかけとして記憶を取り戻すことが出来なかったことは何とも不甲斐ない。結局タクと直接会うまで待たなければならなかったというのは、とても情けないことのようにコーベは感じている。

 サキとウイとの旧友関係をコーベが知っていたというのは、しかし動かぬ事実だ。このことは否定できないし、コーベはただ謝ることしか出来ない。

「ゴメン……何か月も、黙ってて。いつか言わなくちゃって思ってたんだけど、踏ん切りがつかなかった」

「じゃあ、コーベ。アナタが私たちに伝えなかったのは、どうしてなの?」

 頭を上げたけれどもこちらを見ずに、サキが尋ねてきた。コーベとしては、最も訊いて欲しくなかったこと。彼女が目を背けているということは、本心では理由を知りたくないということだろう。この質問は、誰も幸せにしない。

 彼が言葉をまとめるのに、数分ばかりの時間を要した。不味いクッキーでも作るかのように、思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、そして一つの不揃いで汚い形に仕立てる。コーベが自身の内面を他人に吐露するのは、もしかしたら初めてかもしれない。

「過去を……知り合う前から友達だったってことを、受け入れたくなかった」

 自身の心を手探りで把握しながら、彼がゆっくりと話し始める。これに口を挟むことなく、サキとウイは目を閉じながら落ち着いて耳を傾けてくれた。

「きっと二人が思ってるより。僕は、空っぽで中身が無いんだ。そんなにしっかりとした意思も無いし、大きな決断をすることだって出来ない。情けなくて、サキとウイには僕のこの内面を見せたくなかった程に。だから友達だった事実を受け入れたら、僕は過去の僕に上書きされるんだ」

 自分でも、何を言っているのか理解できていない。言葉を推敲せずに、そのまま独白している。思うがままに、吐き出している。

「二人に。本当は友達だったって話したら、それは僕自身がそのことを受け入れたってことになるから。だから今まで話さなかったんだ。もし受け入れたら、この一年間で二人と築き上げた関係が要らなくなっちゃいそうで。ウイとサキが求める僕が、今の僕じゃなくて八年前の僕になりそうで怖かった。今の何も無い空っぽな僕じゃなくて、八年前の意思もちゃんとあった僕が必要とされるのが怖かった。僕が今の僕じゃなくて八年前の僕になるのが、僕が消えるのが怖かったんだ」

 記憶も無ければ、信念も無い。それが今までのコーベであり、だから記憶も信念もある、小学六年生時点でのコーベによって上書きされることは容易いだろう。中身の存在しない彼は誰からも、サキとウイにすら求められず、過去の自分によりその役割が抹消されてしまう。期待される人格が変わって、今の自分が捨てられるのが怖かった。

「僕は――サキとウイから、忘れられたくない」

 そう呟く彼の瞳は、泥のように濁っていた。

 コーベの話を聞き終えて、サキとウイが互いの顔を合わせている。そして一つだけ頷き合うと、ソファから腰を上げて歩き始めた。

 愛想をつかされてしまっただろうか、コーベはそう考える。自分の汚い部分を吐露し、そして挙句の果てには『忘れられたくない』と無理な欲求を押し付けた。アイデンティティも持っていないような、どうしようもない人間だというのに。

ただ咲いているだけの菊の方が、どれだけマシだったろうか。それらは鮮やかな花を咲かせるが、コーベはただ汚れているだけだ。踏みつぶされた道端の花よりも、汚い。だから摘み取られては捨てられ、新しい花に挿し代えられる。そんな彼を二人が見放さない訳が――。

 何も言わずに、サキとウイがコーベを優しく抱き締めた。

 二人の顔は、角度的に見えない。左がサキで、右がウイ。体格の差こそあるものの、どちらからも想いの強さが伝わってくる。温もりが、流れてくる。

 サキの魂動が、刻まれてくる。

 ウイの息吹が、聞こえてくる。

 ここまで彼女たちと近付いたのは初めてで、彼女たちの存在を感じ取れたのも初めてだった。

「コーベ、そんな哀しいことは言わないで」

「……大丈夫。コーベは消えないし、私たちはここに居る」

 サキとウイから伝わる声は、とてもまろやかな味だった。例えるならば、砂糖多めのミルクティー。それも最高級茶葉のアッサムを使ったチャイラテだ。これほどまでの感情を、コーベは今まで体験したことが無い。

 同時に、スパイスも感じ取れた。シナモンがピリリと胸を突き刺す。どうして自分は、今まで莫迦なことを考えていたのだろう?

「ゴメンね……そうだよね。二人が僕のこと、忘れる訳ないよね」

 三人で過ごしたこの一年間は、それこそタクとアルカでもない限り誰にも消すことは出来ない。八年前を思い出した今でも、こうして大学生のサキとウイを憶えている。それは相手も一緒で、コーベのことを忘れるなんてことはあり得ない。

 二人の味が、まだ流れてくる。

「……私たちがコーベに助けられたことが、無くなるなんてことは絶対にないよ。はっきりと憶えてるし、コーベへの気持ちも変わらない」

「コーベは、空っぽなんかじゃ絶対にない。私たちと一緒に居てくれる優しさが詰まってるし、それでももし中身が無いだなんて言うのなら、私たちの想いでアナタを埋めてあげる」

 ウイとサキが顔を上げたので、彼女たちと眼が合った。空色の眼鏡と、赤色のヘアゴム。いつもと変わらない二人が、コーベのすぐそばで支えてくれている。

 とても、幸せだった。

 彼女たちをまとめて一度抱き返して、そしてソファの両側に座らせる。すかさずサキとウイが、双方からコーベの肩にもたれかかった。両手に花とはまさしくこのことだが、コーベ自身も一種の菊の花と考えると花畑に見えなくもない。

「サキ。ウイ。――ありがと。二人のことを好きでいてよかったって、心の底から初めて思えた」

「じゃあコーベ、今まで好きだ好きだって散々言っときながらさ、私たちのこと好きでよかったって実感してなかった訳?」

「……コーベならありうる、思考停止で言ってそうだし」

 この冗談に、三人が吹き出す。とても下らないことだけれども、とても大切なことでもある。いつもの調子が、ようやく戻ってきた。

「さて。そろそろ、もう一人のメンバーも呼んであげよっか」

《も~、放置プレイされてすっかり忘れられちゃってると思っちゃいましたよ~! ぷんすか☆》

 コーベがケータイを取り出すと、画面いっぱいにイスクのアバターが表示される。ネコミミメイド服姿の彼女は頬を膨らませて怒っていたが、瞳と声色、そして尻尾のうねり具合は楽しげに見えた。

「まぁまぁ、そう怒らさんなって。私たちが悪かったから」

「……ゴメンねイスク、今の今まで存在忘れちゃってて」

《あっ、ウイにゃんが私を忘れてたことを認めましたニャ……》

 彼女たちが軽い挨拶を交わしたところで、コーベがようやく本題に入る。

「イスク。今までの話は盗み聞きしてたんでしょ?」

《はい、そこら辺は抜かりありませんニャ!》

「うん。それでこそイスクだね、そんなところが僕は好きだよ」

《お褒めに授かり光栄ですニャ!》

 褒め言葉をさらりと受け止める下ネコは置いておいて、まずコーベが方針を宣言した。

「去り際に。アルカが言ってた、次の実験だけど……僕はそれに参加して、タクとアルカを助けたい。そう、思ってる」

 自分の決意を、たどたどしいけれども彼が口にする。彼女たちはそれを否定せず、コーベの言葉を受け入れた。

「例え再生するためでも。人間環境を壊すっていうのは、やっぱりいけないことだと思う。一時的にでもフィースの環境に負荷をかけたら耐えられずバランスが崩れる可能性だってあるし、それに自滅するほどヒトは愚かでもないと思う……いや。愚かだったとしても、意識を導くことは出来るはずだから。<メックス>を使った実験を止めさせて、タクとアルカを今の暴走状態から救い出す」

「コーベ、私も同じ意見。私たちが馬鹿で自滅するってことは確かでも、だからと言ってそこで止まりはしないわよ。ヒトが変われるっていうのは、私とウイが痛いほど良く分かってる。そうでしょ?」

「……うん、そうだねサキ。今のままだと環境は崩壊するけど、でも世間が今のままとは限らないし。現に私たちはコーベと再会してから、いろんなことがあって変わったから」

 これで三人一致となり、御影台の最終実験への出陣が決まった。タクとアルカの暴走を止める。<メックス>によるヒトと街の破壊を阻止し、彼ら二人を馬鹿げた計画の呪縛から解き放つ。

そしてその動機づけを補強するようにして、ウイがセリフを繋げてきた。

「あと、それと一緒に……あの二人を、幸せにしてあげたい。上手く言葉に出来ないけど、タクもアルカも淋しそうな表情だった。だから助けてみたい。友達として、やり直してみたい……!」

 彼女の強い言葉を聞くのは、何か月ぶりだろうか。一年前に再会した頃からは想像できないようなウイに、コーベは同調する。

「ウイもそう思うんだね。タクとアルカとの別れは、やっぱり納得が行かないから……環境もそうだけど、関係をただ一方的に壊すのは間違ってるよ。だからもう一度話してみて、縁を取り戻して、二人にまた笑ってもらおう。八年前までのように」

「……私が前に淋しくて、サキとコーベから離れようとしてアイドルのオーディションに行った時。あの時のこと、私は今でも失敗だったって思ってる。わざと二人との関係を壊すようなことをして、でもサキもコーベも私に優しくしてくれて。私のわがままでこの温もりを無駄にしたんだなって思うと、凄く苦しくなる。関係を壊すなんてことは、何も良いことなんて無いって、そのことが痛いほど分かるんだ」

 ウイの持っているこの経験は、タクとアルカが記憶を消したことと似ている。自分から意図的に、コミュニティから離れようとした。ただ相違点が一つあって、関係のリカバリが可能だったかどうかである。

 ウイの場合は、コーベ達との関係を修復できた。だからこそ、タク達のやったことが失敗だったことが分かる。関係を壊すのは、間違っている。幸いにも三人は過去の記憶を取り戻すことが出来て、だから二人と以前のような関係に仲直りすることが可能となった。だからウイは、タクとアルカを助けたい。

「私も……ウイの言う通りだと思うかな。タクもアルカも苦しそうにしてたから、それをどうにかしてあげたい」

 サキがポツリポツリと呟く。その視線はどこを見るでもなく彼女の前にある虚空へと向けられていたが、或いはもしかしたら二人の不幸そうだった表情が想起されているのかもしれない。

「前に一回、私とウイが喧嘩したことがあったでしょ? あの時の私はウイとコーベの関係を保とうと自分から<L<ove>R>の輪から逃げようとして、けれど三人ともバラバラになって失敗しちゃった。一人だけでも欠けちゃうと、コミュニティは崩壊しちゃう。タクとアルカは、きっとこれと同じことをやったんだと思うの。私たちの記憶を消して五人グループから『逃げて』、結果皆が繋がらなくなった。だから今度はこっちから二人を追いかけて、そしてもう一度話してみたい」

 確か去年の十月初めのことだった。淋しく感じていたウイを慰めようと、コーベが彼女を抱き締めていたところをサキが目撃して、彼女は二人の関係を優先させようと自ら離れてしまった。しかしこれによってウイは余計に淋しい思いをして、ひいては<L<ove>R>にとって悪影響となってしまう。彼女が逃げてしまったことが遠因で、三人の仲が滞ってしまった。関係から逃げることは裏目にしか出ないということを、サキはここで痛感した。

 タク達のしたことは、これと同じ『逃げ』だ。友情が自然崩壊するのが怖かったから自分たちで破壊してしまい、お互いの顔を思い出せない程に五人の繋がりが完全に断たれてしまった。だから関係を復活させるためにも、サキは二人と話してみたい。

 この話の流れに乗って、コーベも自分の思いを告げる。

「サキとウイの喧嘩も。僕が仕組んだことだけど、それは二人の関係を一度壊してからより強い絆に再構築させるためにやったことだから。壊しっぱなしっていうのは、サキの言う通り『逃げ』だと思う。ちゃんと後始末を付けなきゃだし、それは僕たちが仲直りをするってことだから」

 サキとウイの喧嘩の原因であったコーベは意図的にそれをやっていたが、彼なりに考えがあっての行動だった。関係を一度壊してから、二人に正面から向き合ってもらって絆を深める。このイベントがあったからこそ、現在の<L<ove>R>には強い結束がある。

 しかしタクとアルカの行動は、ただ関係を壊しただけ。再構築、つまり仲直りがすっぽりと抜けているのだ。だから二人との間に溝が残っているし、コーベ達の気持ちも靄(もや)がかっている。それを解消するためにも二人との関係を修復して、友達として助けてやらねばならない。

「――そう。アルカもタクも、二人だけで孤立してるんだ。だから僕たちが手を差し伸べないと、二人の友達を名乗れなくなる。救わないと、友達としての自分が赦せない」

 二人の愚かな計画だって、止める人間が居なかったから最終段階まで進んでしまった。タクとアルカは、集団として孤独だ。学会から認められなかったとも口にしていたし、何より彼らの友達であるはずのコーベ達が記憶を失くして疎遠になってしまっていた。仲直りをするのは自分たちの気持ちの整理に関する問題でもあるが、同時に二人を苦しさから解放させて幸せにしてやれる手段でもある。

 環境のために、タクとアルカの暴走を止める。

 関係のために、タクとアルカともう一度話す。

 だからこそ<L<ove>R>は、二人に逢いに行かなければならない。

「タクとアルカを。僕たちで助け出すんだ」

 コーベの言葉に、サキとウイが首肯して返す。

<L<ove>R>の意志は、固まった。

「イスクは。協力してくれる?」

《水臭いですニャ、コーベくん! 私だってご主人様を――アルカくんを助けたいですし、それにコーベくんに付いて行くってこの前告白しましたよ☆》

「貰っていいの? イスクの気持ちを」

《捧げますよ、コーベくんにっ!》

 ケータイ上のアバターが、大きな瞳で最高のウインクをする。彼女の好意がこれほどまでに心に沁みたことは、今まで一度も無い。

「ありがと。イスク、好きだよ」

 彼の一言で区切りをつけて、サキとウイが調子を付ける。

「それじゃあ、コーベ。これで決まりよね?」

「……私たち四人で、御影台に行くってことで」

 声の覇気を、目いっぱいに込めて。

「うん。友達の幸せを、掴みに行こっか」

 コーベの瞳にはいつの間にか、渇望していた『決意』が灯っていた。


oveR-07


 御影台は、関市の北東にある郊外の計画都市だ。ハワードの田園都市構想をそのまま反映した街路形態と、都市と農村の融合したゾーニングが美しい。ただ一つ残念なところと言えば、近隣大都市である関市へのアクセスがあまりにも悪かったために廃墟となってしまったことだろう。

 関市に比べて地面のレベルが高いから『台』と名前に付いてしまっているが、点的に見れば『止根(とまるね)山脈』と『長梁(ながはり)山地』とに挟まれた谷底平野である。御影という名前を冠しているのは、この山々によって日照が遮られているためだ。中心には一流川の支流である『黒川(くろかわ)』が流れているものの、日が当たらないこともあり農業は盛んでもないし、やっている中でも畜産がメインとなっている。

 そんな未開の地だからという理由だけで、御影台は関市のベッドタウンとして建設された。中心にはガラス張りのアーケードである水晶宮があり、そこから放射環状に幅の広い街路が伸びている。商業地や住宅街は高層化がなされており、自然の豊かな緑地帯を隔てた先では牛ののどかな鳴き声が聞こえる。都市の利便性と農村の癒しを併せ持っているのがここ御影台だが、事が全て上手く運ぶことはなかった。

 目的が過密傾向にある関市の人口を郊外に分散させることだったにも関わらず、関市へと繋がる交通路が貧弱だったのである。新幹線も停まらなければ、高速道路はインターチェンジがやや遠い。空港の一つでもあれば違ったのかもしれないが、両側の山が邪魔になりそれも出来ない。結果として建売のマンションやオフィスビルが売れることは殆ど無く、今では人口が一万人に満たないゴーストタウンとなっている。

 そんな人の居ないところをアルカが最終実験場として指定してきたのは、果たしてどうしてなのだろう?

「様々な被害を最小限に食い止める。これはあくまでも実験であって計画の本格的実行ではないって、そういうことなんだと思う」

《御影台だとかの街を壊すこと、それ自体はアルカくん達の目的じゃニャい、ってことですか?》

「実際のところは分からないけど。でも関市の中心でやらないってことは、やっぱりそうなんだって僕は考えてるよ」

 御影台の未明は薄曇りだった。深夜二時三〇分、コーベは愛車の<フィールダー>のボンネットに腰を据えながらメローイエローを飲んでいる。車内スピーカーから聞こえるイスクの音声データと暇をつぶしているところだ。

約束の時間の三〇分前、月はとっくに沈んでいるから暗い。<L<ove>R>の三人は<α〝T-T.A.C.〟κ>で『中貫(ちゅうかん)高速道路』を北東に進み、御影インターチェンジ近辺の駐車場にそれを停めた。いくら寂れているといえども、この辺りにだって自動販売機くらいはある。小休止の時間潰しには丁度良い。

 ふと、サキがコーベに話しかけた。

「いつも同じやつだよね、メローイエロー」

「好きだからね。マウンテンデューじゃダメだから」

「……そんなにおいしいの?」

 ウイの横槍に頷いて答えて、しかし好みの問題だけが理由ではないことを自覚していた。彼が少し長い話を始める。

「他にもおいしいのはあるけど。僕にとって、この味は特別なんだ。記憶を失った時は好きな味も忘れちゃってたんだけど、この酸味だけは飲んだ瞬間に思い出せた。こう、ビビーって来る感じで」

 記憶喪失をしてから最初に目覚めた病院のベッドで、コーベはとてもつまらない食生活を送っていた。病院の食事はちっとも味が無いし、かと言って渇望する対象の味もない。どんなモノがおいしかったか、そんな憧れすら忘れてしまった食生活。

退院してからもつまらない生活が続いたが、しかしそれから一年後に彼の世界が激変した。たまたま飲んだメローイエローが、彼の味覚を呼び戻したのだ。舌に来る刺激と、時間の止まった風味。そんな相反する二つのフレーバーの融合に、彼は懐かしさを覚えた。例えるならば、遥か昔の友人に再会したような。

「思い出したのは味覚だけで。それ以外の記憶は、さっぱりだったんだけどね。けれどもしかしたら、これが手掛かりになるんじゃないかって思って。メローイエローを飲み続けてたら、今じゃクセになっちゃった」

 苦笑いを浮かべながら、コーベが更に一口あおる。記憶を取り戻した今となっては、この行為に意味なんて存在しない。しかし彼はこの味が恋しくて、こうして黄色いスチール缶を手にし続けている。八年前と変わらない、あの味を手に。

「……サキは、コーベみたいに何かある? 忘れられないというか、好きな味って」

「ふぇ? わ、私っ? え~……」

 困り果てたような、サキの表情。そう言えば味覚に限らず、サキの趣向を聞いたことが少ない。少女趣味があることは知っているが、それ以外には何があったか。

《そんニャことを言うウイにゃんは、あま~いモノが好きですよね☆》

「……何か多幸感があるというか、甘いのを食べてる時が一番頭働いて味も分かる気がするから」

《そ、その理由は一体ニャんですか……?》

 呆れるイスクを意識の角に追いやりつつ、サキが必死に頭を絞っている。

「う~ん、私今まで好きな味とか考える暇なかったからな~……食事中はマナーとか厳しく叩き込まれてたし」

「一人暮らしとか始めて。特によく食べるモノとかは?」

 コーベがアシストをしてみたが、それも彼女の前では無駄に終わりかけた。それでも悩み果てた先に。

「バランスを考えて献立作るタイプだからな~、よく食べてるのとかもあんまし……あ、でも和食は多いかも!」

「……甘くないやつだ」

「ウイの趣向を。サキに押し付けてどうするの……?」

 コーベが突っ込みを入れつつも、彼女の和食好きに納得する。確かにサキの弁当には、いつもお浸しかきんぴらごぼうが詰められている。当の本人も、今の発見にかなり感心していた。

「そっか~、私和食が好きなのか~……自分でもちょっと意外だって思ってるわ~……」

「じゃあ。折角だし、この実験に蹴りがついたら皆にご馳走してくれるかな? サキの作った和食」

《えっ、ニャんですかその唐突ニャフラグは》

「いや。別にそういうつもりはなかったけど……」

 ふとした彼の呟きに、しかし他の二人が大きく反応する。そして次には破顔して、気の入った声色で同意した。

「そうね、折角だから五人で食べましょっか!」

「……私、すき焼きとかがいい!」

 にこやかにほほ笑むサキとウイを見て、丁度良く緊張がほぐれる。ネガティブな考えは吹き飛ばして、この調子ならば何があっても目的をやり遂げることが出来そうだ。

「この後の予定も決まったところで。そろそろ時間だし、タクとアルカのところに向かおっか!」

「そうね、行きましょっか!」

「……うん、二人のもとへ!」

 午前二時三五分、<L<ove>R>は三台の<α〝T-T.A.C.〟κ>に乗り込んでそれぞれのセルを回した。


 イスクが街中のカメラを調べたところ、<SMBC>を取り付けられた野良猫は緑地帯よりも内側にあまねく分布していることが分かった。だから最初は一次巨大化した<メックス>の数をなるべく減らすため、<L<ove>R>は手分けして御影台の端にある三つのポイントに陣取ることにしていた。そして<メックス>を中心地に追い込むようにして、三次巨大化した頃に合体して一匹ずつ処分する。

《スタートが一人だけで、心細いですかニャ?》

 自分のポイントに向かう途中、<フィールダー>の車内でイスクがコーベに話しかけてきた。この作戦の気になる点と言えば、最初は三人がバラバラに戦うことだ。もし誰か一人がピンチになったとしても、他の二人が助けに行くのが難しい。サキとウイを守ってやれないのが、コーベにとって少し辛かった。

「イスクが居るから。心細くはないかな……そう言えば、<グレイトレール>はどこで待機してるの?」

《御影インターの近くですから、コーベくんの持ち場から一番遠いですニャ》

 孤立した状態での戦闘。今まで何度か経験したはずなのに、どうしてか不安を覚える。臆病になったのか、それともサキとウイとの信頼関係が以前より強くなったのか。二人を助けられないことが嫌なのだから、きっと後者なのだろう。

「武装は。現地にあるんだよね」

《はい、そこは今まで通りですニャ。私のデータリンクで見てみたところ、最新型の武装までアルカくんが用意してるみたいです》

 これまでの戦闘がそうであったように、ここ御影台にも建物の中に<α〝T-T.A.C.〟κ>用の兵装が仕込まれている。まるでアルカが使ってみろと、抗ってみろと暗に言っているように。

「さっき。あくまでも実験だから街の破壊が目的じゃないかもって僕は言ったけど、それはきっと建前だ」

《人の居ニャい所で、武装まで用意する……アルカくん、ニャんか私たちにやたらと親切じゃありません?》

「そうだね。僕たちが実験を止めるのに成功してもおかしくないような――暴走を止めて下さいって、僕たちにお願いしてるような羽振りの良さだよね」

 <メックス>と<L<ove>R>とを戦わせるのに、わざわざイコールコンディションを設定する。しかもこれは今までの実験とは違い、計画の実行がかかっているというのに。タクとアルカはコーベ達という計画の障害を排除するべきなのに、これではコーベ達も容易く抵抗できるし、もしかしたら計画も阻止できる。

 アルカがわざわざ、自分たちにとっての逆風を設定した理由。まるでコーベ達に止めてほしそうな待遇。

「アルカは。もしかしたら、迷ってるのかも」


「俺は、もしかしたら迷ってるのかもしれない」

 御影台の中央広場にある、ガラス張りのアーケードが広がった水晶宮。そこのフェンスにもたれかかりながら、アルカはタクに向けて呟いた。

「なぁタク、憶えてるか? 八年前の、あの空港を」

「僕たちが小学校の卒業式を終えて、留学先に向かう時のことだよね。コーベ達の記憶を消した二日後だ」

 夜空の薄曇りは憎たらしくも、彼の心情と同調している。古い昔の記憶なんて、本当はアルカだって思い出したくない。

「ガラじゃねーよな、俺がおセンチになるってのは」

「いつか、科学で皆を幸せにする。僕たちが友達との思い出を消すような、そんな悲劇は二度と繰り返させない。そう誓ったよね、あの時の僕ら」

 彼のことを嘲笑もせず、タクは話に付き合ってくれる。やはりアルカにとって、タクは一番の理解者だ。

「あの空港に今の僕らが行ったら、絶対に八年前の僕らに笑われてるよね。悲劇を繰り返しちゃってる。ウイとサキ、そしてコーベに、かなりの負担を掛けちゃってる」

「莫迦だよな、俺達って。探せば他に方法はあるのかもしれない、学会のご老人共の言い分は分かる。でも、現状じゃこうするしかない。友達を犠牲にしてまで、自然破壊を止めなくちゃならない――そう、思ったんだけどな」

 月明かりに照らされていないというのに、アルカの言葉には影があった。普段の粗暴な彼に照らされて浮き出てくる、影。

「アルカ、どうしたの? いつものキミらしくないってことは、何か悩み事でもあるんだよね」

「……あいつらの記憶を消すのに俺も協力したのは、タクに共感する部分もあったからだ。怖いってあの時に俺も思ったのは、それは認めざるを得ない」

 アルカが唐突に語り出す。フェンスに肘をついたその姿は、右手にタバコを持っていたらとても様になっていただろう。喫煙が愚かだと分かっていて、だから激しくタバコを吸いたい。この時に初めて、アルカはヘビースモーカーだった自分の父親のことを理解できた気がする。

「でもそれ以上にな、俺はお前を失いたくなかったんだ。コーベ達と別れることは、怖かった。だからこそ、タクを手放したくなかった。独りにはなりたくなかった。お前と離れ離れになりたくなかったから、俺はお前の共犯者になったんだよ」

 タクの方を向いていないが、それでも彼のことは何となく肌で感じられる。きっと目をつぶっていて、大人しく耳を澄ましているだろう。そんなことだって分かるほどに、アルカとタクは精神的に近しい。唯一守った絆。これを失ったら、アルカには何もなくなってしまう。それはタクも同じなはずだ。

空っぽの自分。<L<ove>R>の三人をその状態にさせたにもかかわらず、この二人はそれを恐れていた。

「あいつらにこれ話したら、きっともっと失望されるよなぁ……? あまりにも勝手すぎるだろ、ってな。それはあまりにも可哀想だし、何よりも俺らが最低の人間になっちまう。だからせめてもの抵抗として、この実験にはあいつらに有利な条件を散りばめた。コーベ達が生き残れるような、俺たちが負けるような条件だ」

 街を壊しつくした<メックス>を殺処分した後の<L<ove>R>は、世界に残された最後の人間ということになる。だから彼らまで殺すためにも、<α〝T-T.A.C.〟κ>のシートにはドライバー毒殺用の劇薬投与装置が取り付けられている。つまり計画通りに行けば、コーベ達は一番むごい最期を迎えるのだ。

 コーベ達が死なない方法は、計画を凍結すること。そのためには御影台の<メックス>を全て処分し実験を強制終了させ、アルカ達を説得しなければならない。アルカ達は本来ならばそれを阻止するため<L<ove>R>が負けて鋼鉄猫の優位性が証明されるような結果にしなければいけないのだが、アルカは彼らへの武装を相当数用意してしまった。これで<L<ove>R>は自分たちの死に対して抵抗できるようになるし、計画が凍結される可能性も強まった。

 舞台として御影台を選んだのは、人が居ない都市だからだ。ここならば、コーベ達が手違いで人殺しをしてしまうこともない。少ない住民の避難も徹底した。

そもそも、この実験自体に意義が無い。早く<メックス>で街を壊すべきなのに、何故かこうして悠長に実験を重ねている。これ以上証明することは、もう何もないのに。

 どうして自分がここに立っているのか、アルカには全く理解できなかった。

「なるほど……だから、『迷ってるのかもしれない』なんだね。計画を本当に実行すべきなのか、友達を犠牲にしてまでやることなのか。今になって自信が持てなくなって、だからコーベ達のつけ入る隙を作った。もし僕たちが間違っているのならば、コーベ達が止められるようにした」

 怒ってもいいはずなのに、タクは穏やかな口調で友人の相談に乗ってくれた。アルカのやっていることは計画の否定だというのに、タクはそれを一つの意見として受け止めてくれている。

「タク、お前のことは失いたくない。でも俺は同時に、きっとあの三人のことも失いたくないって思ってるんだ。一年間あいつらと過ごしてみて、八年前のあの仲良し五人組を思い出しちった。あの時のように楽しくやれたら、これ以上幸せなことはない。だからあいつらが止めてくれる、そんなシチュエーションも作った。勿論、計画は実行しなくちゃならない。でもそこに、情が入った……タク、お前もそうなんじゃないのか?」

「僕は――」

 タクがそう言いかけたところで、聴き慣れたあの音が耳に入る。鉄と鉄をこすり合わせたような悲鳴、或いは猫の苦しみを表すノイズ。御影台の至る所でちらほらと、<メックス>が一次巨大化を始めた。

「この音を聴くのは次回もあるのか、それともこれが最後なのか……どっちが良いんだろうな?」

「その答えを知っているのは、僕たちじゃない。神様だけが知っている」

 タクの言葉に、アルカはようやく笑って見せた。

「そうだな、答えはコーベが運んで来てくれる――さぁこっからだ、<L<ove>R*α〝T-T.A.C.〟κ>の出撃だぜ」

 夜空は薄曇りだったが、そこには風が流れていた。


oveR-08


 御影台、その南東にて。人態に変形したウイの<ティーダラティオ>は、脚力のみでジャンプして精悍な鷲のように滑空していた。

「……<メニスカスアクシス>っ!」

 手にしたスナイパーライフルから、数発の弾丸を地面に向けて撃ちこむ。それらは重力レンズを発生させる端末として働き、<ラティオ>の放ったレーザーをあらゆる方向に屈折させた。蛇のように曲がりくねった赤色光は、十七匹もの<メックス>を一網打尽にしてみせる。

 足の鳥趾で地面を掴むようにして着地すると、しかしまだ多くの鋼鉄猫が彼女の下へとたかってきた。間合いが開いている内にそれらをレーザーライフルで焼き殺し、それでもまだ湧いてくる。今回は、猫の数がこれまでの比ではない。もっと武装が必要だ。

 <メックス>たちの隙を見て、ウイは機体を近くの中高層アパートへと突っ込ませる。壁を破壊しながら進入したそこは吹き抜けで、内壁に沿ってウエポンラックが設置されている。見たところこの数なら、最後まで無補給で戦えそうだ。

 彼女にとってこの実験は、タクとアルカを助けるためにある。しかし、それが全てではない。例えその二人をどうにか出来たとしても、サキとコーベがやられてしまっては意味がない。

「……イスク、ここのを全部お願い」

《かしこまりました、<アーティラリケージ>作動しますね☆》

 情報統合/支援機器制御AIの補助が入り、機体に全ての武装が接続される。脚や腕、両手に両肩。ミサイルポッドやシュツルムファウスト、サブマシンガンにロケットランチャ。今まで装備していたレーザーライフルは外部バッテリを交換して、しかしそれ以外は実弾で固める。

 彼女の考える幸せとは、五人一緒だった八年前のような関係だ。タクとアルカの他に、サキとコーベ、そしてウイ自身。この中の誰もが、自分だって欠けてはならない。

 だから、ウイはサキとコーベも守る。

 だから、ウイはウイも守る。

 <ティーダラティオ>の背中に、それが取り付けられた。

《<アーティラリケージ>の接続完了です、さぁやっちゃってくださいニャ!》

「……コーベじゃないけど。誰のことも、守らなくちゃっ!」

 全銃口から弾丸を飛ばし、建物の内側から殻を破った。

 コンクリートが崩れ落ちる。鉄筋だけが残される。舞った砂煙が晴れてゆき、真夜中の街に現れたのは。

 鳥籠に入った、鷲だった。

 <アーティラリケージ>。<ティーダラティオ>専用として設計された、外部接続のウエポンラック。機体前面は本体に取り付けられた武装で弾幕を確保し、それ以外の方向をレールで覆いそこに接続された各種武装でカバーする。基本的には<ラティオ>のセンサに反応したらすかさず発砲する自動迎撃システムであり、またその特性上動く必要がないので要塞のように地面に根付いている。それはまさしく、『砲の鳥籠』(artillery cage)。

 <ラティオ>の肩が展開し、様々なセンサが露出する。気候や風向、そして<メックス>の体温。それら全てを観測し、情報として処理をする。まるで空気を調べる翼のように。

 後ろから近付く敵が一匹。しかし振り返ることもなく、<アーティラリケージ>右側に接続されたガトリングガンが作動。縦横無尽に張り巡らされた鳥籠のレールを移動して、<ラティオ>の背中に陣取ってはフルバースト。蜂の巣にされた鋼鉄猫は素体が息絶え、鉄のジュースとなってドロドロに溶けてしまう。

 サキは、自分を好きになろうとしてくれた。

 コーベは、自分をあの淋しさから解放してくれた。

「……今度は、私が二人の役に立つ番だ」

 彼女を囲んだ<メックス>に対し、数多ものミサイルとバレルがその牙を向けた。


 御影台、その南西にて。人態に変形したサキの<スピードアクセラハイブリッド>は、両手でM字型ブレードを持って優雅な妃のように構えていた。

「そんじゃイッパツ――<スピードラディアンス>っ!」

 手にしたM字型ブレードから、大出力レーザーを敵の群れに向けて撃ち込む。それは照射するや否や拡散し、ゼロ距離でありとあらゆるものを溶かしつくした。波のように押し寄せる赤色光は、十七匹もの<メックス>を一網打尽にしてみせる。

 足のヒールで地面を刺すようにして直立すると、しかしまだ多くの鋼鉄猫が彼女の下へとたかってきた。間合いが近い順にそれらをブレードで斬り殺し、それでもまだ湧いてくる。今回は、猫の数がこれまでの比ではない。もっと武装が必要だ。

 <メックス>たちの隙を見て、サキは機体を近くの中高層アパートへと突っ込ませる。壁を破壊しながら進入したそこは吹き抜けで、内壁に沿ってウエポンラックが設置されている。見たところこの数なら、最後まで無補給で戦えそうだ。

 彼女にとってこの実験は、タクとアルカを助けるためにある。しかし、それが全てではない。例えその二人をどうにか出来たとしても、ウイとコーベがやられてしまっては意味がない。

「イスク、全部超特急でお願いっ!」

《かしこまりました、<スライサスカート>作動しますね☆》

 情報統合/支援機器制御AIの補助が入り、機体に全ての武装が接続される。脚や腕、両手に両足。ショートダガーやロングブレード、レイピアにヒールエッジ。今まで装備していたM字ブレードはさっと刃を研磨して、全ての武装が鈍色に輝く。

 彼女の考える幸せとは、五人一緒だった八年前のような関係だ。タクとアルカの他に、ウイとコーベ、そしてサキ自身。この中の誰もが、自分だって欠けてはならない。

 だから、サキはウイとコーベも守る。

 だから、サキはサキも守る。

 <スピードアクセラハイブリッド>の腰に、それが取り付けられた。

《<スライサスカート>の接続完了です、さぁやっちゃってくださいニャ!》

「コーベじゃないけどさ……誰のことも、守らなくちゃねっ!」

 刃で全てを薙ぎ払い、建物の内側から殻を破った。

 コンクリートが崩れ落ちる。鉄筋だけが残される。舞った砂煙が晴れてゆき、真夜中の街に現れたのは。

 刃のスカートを纏った、妃だった。

 <スライサスカート>。<アクセラハイブリッド>専用として設計された、外部接続のウエポンラック。機体の腰を円状に覆うようにして、ダガーやショーテル、サーベルやクレイモアがフレアスカートの裾のように接続されている。手持ちの武装が刃こぼれした際にすぐ取り換えられるほか防具としても機能し、また機体を動かすだけでも刃が翻って全方向の相手を攻撃することも可能となる。それはまさしく、『薄切機の衣服』(slicer skirt)である。

 <アクセラ>が軽やかなステップを踏み、連動するようにスカートが広がる。まずは目の前の<メックス>を見据えて、素早く近付きレイピアで一突き。猫の悲鳴という音楽に合わせて、サキは機体を雅やかに躍らせる。

 後ろから近づく敵が一匹。しかし一瞥することもなく、ターンを決めて<スライサスカート>を回転させる。両腕はこちらから他の<メックス>に向けられるが、肉薄してきたその個体は横薙ぎになったスカートのクレイモアに叩き潰された。身体がひしゃげた鋼鉄猫は素体が息絶え、鉄のジュースとなってドロドロに溶けてしまう。

 ウイは、自分を好きなままでいようとしてくれた。

 コーベは、自分をあの哀しさから解放してくれた。

「今度は……私が二人の役に立つ番だからっ!」

 彼女を囲んだ<メックス>に対し、数多もの刃がその牙を向けた。


そして、御影台の北側。ミーティングでもしているのかわらわらと群がっている<メックス>へと、コーベは<カローラフィールダーハイブリッド>を突入させた。一次巨大化する前の野良猫を数匹轢き殺し、シフトをRに入れるとすぐ次の行動へと出る。

「イスク。準備は出来てるよねっ?!」

《もちろんですニャ、コーベくんっ! <カルチャソリューション>との合体モードを起動させますね☆》

 呼びかけに彼女が応じると、近くの道路の地盤がゆっくりとスライドする。その中から警報音とパトランプの赤色光が漏れてくると、お目当てのモノが姿を現した。まるで歌舞伎の回り舞台のようにして、鼠色をした七メートル級の『人形』が下から昇って来たのだ。

 シフトを一速に戻しながら、<フィールダー>が合態へと移行する。内蔵のプラズマ推進装置を駆使して空中に浮遊し、その人形の背中へと接続した。頭部は<フィールダー>のモノを引き出し、スケールを合わせるように展開する。

 拳を突き出すそのフォルムは、まさしく<T.A.C.>だった。

 <カルチャソリューション>。本来ならば<ティーダ>、<アクセラ>、<フィールダー>の三台合体であるはずの<T.A.C.>を、ただ一台<フィールダー>だけで成立させるための方法。七メートル級の胴体と四肢に<フィールダー>を接続させることで、大型の<T.A.C.>用兵装の運用をコーベ一人のみで可能にする。簡素な作りのため運動性能など細かなスペックは本来の<T.A.C.>に劣るものの、大型武装の威力がその差をカバーする。まさしくコーベにとっての『培養液』(culture solution)だ。

 ひとまず目の前に居る鋼鉄猫に回し蹴りを仕掛けて足止めし、コーベは機体を後退させてアパート群へと潜ませた。木を隠すなら森の中だが、クルマを隠すには住宅街の中がうってつけである。

「武装。あらかたおまかせで」

《ご注文承りましたニャ☆ んーと、それじゃあこれニャんかどーでしょ?》

 建物から出てきた<リズムブラスタ>アサルトライフル二丁を背中のハードポイントに、<ダーズンパイロン>ミサイルポッドを両脚に接続し、そして両手には一振りの<ウェイトマッシュ>大型アックスを装備した。過去に使ったことのある武装ばかりで、懐かしさすらこみ上げてくる。

 この計画が終了したら自分たちがどうなるのか、コーベはある程度察していた。このフィースからヒトというヒト全てを消し去るのだから、<L<ove>R>も処分されて当然である。しかもみんなと一緒に死なせてくれるはずもなく、散々こき使われた後に機械からの投薬だとかで淋しく哀しく殺されるのだろう。何てひどい話だろうか。

 誰も憶えてくれないのに死ぬのは、怖くて不幸だ。

 最初に<α〝T-T.A.C.〟κ>で戦う決意をした時、サキとウイはこう感じていると口にしていた。孤独な最期。誰に看取られることもなく、そして誰の記憶にも残らない死に方。それだけは嫌だ、もっと幸せな死でありたい。コーベだって、当然同じように考えている。

だからこのことだけは避けるように、彼は二人のことを憶えていると、好きだと告げた。三人で仲良く死ぬのならば、互いが互いのことを憶えている内に死ぬことが出来る。一緒に戦うというのは、そういうことだから。

 問題は、タクとアルカの二人だ。

「まずは近くから潰していこっか。<ウェイトマッシュ>!」

 ダッシュで道路へと飛び出したコーベは、先程の<メックス>に肉薄する。一度膝蹴りをかましてから、右腕の斧で相手を上から押し潰した。中身が脳震盪でも起こしたのか全く動かず、だから背中の<リズムブラスタ>をその止まった的に目掛けて発砲する。ひとまず一匹。

 蜂の巣になった仲間の死臭を嗅ぎ付けてか、六匹ほどの<メックス>が<カルチャソリューション>を取り囲む。かなり近い距離までにじり寄ってきた。罠に引っかかった猫たち。

射程範囲内に居ることを確認してから、コーベは<ウェイトマッシュ>を両手持ちで横に薙がせた。勢い余って機体はマックスターンをするように三六〇度回転し、結果として全ての鋼鉄猫が時計の針で殴られたように、斧により横っ腹を潰されて千切られた。

 タクとアルカは、二人だけで孤立している。二人だけの世界に引きこもっていて、だから本当の彼らを知っているモノは限られている。もし二人がこのまま死んでしまったら、例えばアルカのあの荒い口調を誰が憶えているのだろう? それを知っている人間が、果たして彼の最期を看取れるだろうか?

 彼の口調を知っているのは、コーベ達<L<ove>R>だけである。

 タクとアルカが死ぬ時くらい、友達として傍に居てやりたい。

 <ダーズンパイロン>で道路上の<メックス>を一掃すると両手足の武装をパージ、今度は建物から<スプリンタプランタ>散弾砲を取り出した。それを抱えながら移動を始め、放射路と環状路とが交差する四つ辻で立ち止まる。

《次、各方向への砲撃ですよね?》

「正解。<エクシーガステップ>!」

 <カルチャソリューション>が散弾砲を腰だめに構えると、東、西、南の三方向の道路の路盤が上昇する。こうして登場したのがアスファルトのプレートの下に砲身が付いているような<カタパルトテレバレル>投射台で、放物線の始点のように先端が斜め上方を向いている。

 そのバレルの中心を通すようにして、<スプリンタプランタ>の砲弾を発射。<カタパルトテレバレル>の内部構造はコイルガンとなっているため中を通った弾丸は加速し、着弾点に近付くと自動で弾頭が花開き周囲に鉄片を撒き散らす。火薬を含まないため炎上や爆発音こそなかったものの、遠くに居た<メックス>を大量に殺処分することに成功した。これを計三方向に発砲したところで弾切れを起こし、<スプリンタプランタ>をその場に捨てて新たなる兵装を受領しに移動する。

 あまりにも哀しいためサキとウイには言わなかったが、コーベが計画を阻止する理由にはこれもある。猫を殺処分している暇があったら、少しでも長く彼らの隣に居てやりたい。研究室を出ていく時にしていたようなあんなにも苦しそうな顔ではなく、もっと笑った表情でこの世を旅立ってほしい。

 過去の記憶は偶然にも取り戻せた。後は友達関係を取り戻すだけだ。

「中距離。何がある?」

《今まで使ったことのニャいやつでもいいですかニャ?》

「それで大丈夫。使い慣らしは、実戦でやるから」

 マンションから出てきた武装二種類を、走行しながら受領する。<ニトロベリー>パンツァーファウストは両手で抱え、<インパクトチューブ>ロケットランチャは背中のハードポイントに接続。今しがたの<スプリンタプランタ>による効果だろう、殆どの鋼鉄猫が中心地へと戦略的撤退を展開している。外縁である住宅区の<メックス>は、あと一息で駆逐できそうだ。

 低中層の建物を踏み台にしながら、機体を給水塔へと上らせる。そこの頂点に腰を据えれば、御影台全体を見渡すことが出来た。ここならば、任意のポイントを砲撃可能だ。手始めに射程の比較的短い<ニトロベリー>を発射、放物運動をとらせながら五〇〇メートル先へと着弾させる。爆風に巻き込まれた<メックス>を目視で確認してからチューブを捨て、今度は<インパクトチューブ>を両手で担ぐように構えた。

《サキにゃんとウイにゃんへの援護も兼ねます、間違えてコーベくんのあつ~い砲弾を二人にぶっかけちゃわニャいようにお願いしますね☆》

「気遣いありがと。<オーバーファイア>っ!」

 振動と爆音がシートを揺らす。舌を噛み千切らないように耐えつつ、コーベはすぐさま弾道のチェックへと入った。一発目は辛くも命中、しかし照準から右に二度ほど角度がずれていた。イスクがそれを修正し、次にサキの居る南西方向に砲身を向ける。発砲し、今度は完璧なラインをなぞった。そしてウイの居る南東方向、同じようにして三発目。続けて四発目、五発目――。

七発目を撃ち終えたところで、弾倉が空となってしまった。行きと同じように建物の屋根を駆使して、一旦<カルチャソリューション>を地上まで下ろす。まずは補給をせねば。

「イスク。<メックス>の分布を手短に!」

《はい、住宅区はあらかた処分完了ですニャ! 他の二人は既に移動を開始していて――!》

 機体をピットのある東に向けて進めていたその時。彼女の報告を遮るようにして、突如スクリーンがまばゆく明滅した。音声も若干乱れてしまい、イスクのボイスも聴きとれない。それがコンマ五秒ほど続いた後、どうしてかコーベは高いところから落下している感覚に襲われる。いや違う、錯覚ではない。

「僕が実際に落ちてる――腰をやられたっ?!」

 ダメージチェックをしてみると、案の定<カルチャソリューション>の腰部にぽっかりと風穴が開いていた。股関節を失い左脚との接続が断たれてしまったため、機体は今左側へと横に倒れつつある。七メートル級はコクピットも高い位置にあるので、だからコーベはまさしく重力に従って横に落下しているのだ。

《コーベくん、もう<カルチャソリューション>は使い物にニャりません! <フィールダー>は無事ニャので、すぐにパージしますニャっ!》

 言うが早いか、イスクが<カルチャソリューション>と<フィールダー>との接続を解除する。力なく倒れた片脚の人形の後ろに、車態の<カローラフィールダーハイブリッド>が佇む。

 バックギアに入れて建物の陰にクルマを隠しつつ、彼は今しがたの攻撃について思考を巡らせた。モニタが光ったということは、光学兵器や荷電粒子砲による砲撃が有力となる。サキやウイによる流れ弾がヒットしたとは考えにくい、あそこまでの威力を持つ武装が扱える四メートル級の<α〝T-T.A.C.〟κ>は限られている。加えて攻撃は、御影台の中心の方角から受けた。導き出される結論は――。

「<プリウスα>。アスタルが来てる」

《でっ……でも、いつもあるお兄ちゃんの厨二病ニャ能書きは聴こえませんでしたよ?》

「イメチェンなのか。それとも別のなのか……向かうよ」

 アクセルを踏みモーターのトルクを目いっぱいに効かせ、コーベは<フィールダー>を思う存分に加速させる。目指すは中心地、攻撃のあった場所。あのクラスの荷電粒子砲は連発が出来ないだろうから、正々堂々と正面突破でアスタルと対峙するつもりだ。

 中心地へと真っ直ぐ南に繋がるメインストリート、この街の設計者の名前から取って住民に『唐木(からぎ)通り』の愛称で親しまれた放射路。今となっては寂れてしまったこのストレートを時速一〇〇キロオーバーで進み、橙色の<フィールダー>は商業地区へと突入する。周囲の建物も高さを増してきて、五階建ての雑居ビルから更に南を見ればその三倍の高さはあるオフィスビルも立地していた。テナントは殆ど入っておらず、その代わりにアルカの仕掛けた武装が中に詰まっている。

 そんな商業地区に入ってから更に一〇〇メートル直進すると、やがて黒いミドルクラスのステーションワゴンが見えてくる。その隣には、灰黒色の普通二輪。あれは間違いなく、アスタルの駆る<プリウスα>とその支援機となる<KLX250>だ。

 しかし前回<L<ove>R>にやられてからアップデートしたのか、<プリウスα>の外観に若干の変化が見られた。最低地上高は下げられ、大型化されたフォグランプのスペースにはLEDイルミネーションビームが収まり、ドアの下部には赤いラインのステッカーが貼られ、そしてフロントグリルは全てを飲み込んでしまう闇夜のように大きく開口して――。

「<G´s プリウスα>……手強いよ、パフォーマンスも多分上がってる」

 コーベが言葉を漏らす。<プリウスα>に設定されたスポーツグレード、それが<G´s プリウスα>。外観や細かい空力パーツだけに飽き足らず、サスペンションやボディ剛性にまで手が加えられている。今までの機体と比べて、確実にチューンナップが施されているはずだ。

 こちらのことが見えているだろうに、しかしアスタルからの挨拶がなかった。ボイスどころかハザードランプやクラクションの一つも出さず、ただその場でじっとこちらを見つめている。いつもならば、何らかの下らなくて痛々しい言動があるはずなのに。

《…………》

《お……お兄、ちゃん?》

 イスクが声を掛けてみるが、しかしアスタルは無言だった。通信回線は繋がっているし確実に届いているはずなのに、返事がない。いつもとは打って変わって、どうしてか今日の黒猫は大人しかった。言語回路の不調か、それとももっと別の要因か。

 <G´s プリウスα>が車態から人態へと変形を始める。これもアナウンスが何もなく、淡々と工程が消化されていく。薄気味悪さを覚えつつ、コーベも対抗して変形することにした。

「イスク。こっちもやろう、<オーバーロード>!」

 <フィールダー>のボンネットが開いて肩になり、ボディも分割されて脚になる。腰を一八〇度回転させて手足を引き出し、左手にバックドア型シールドを装備する。頭部の装飾を展開して、双眼のメインカメラに緑色の光が点いた。

 本来ならばこのようにセーフティ解除の音声コマンドとして単語を声に出さなければならないはずなのだが、アスタルはそれすらもパスして変形をやってのけた。元々AIによる電子制御だから必要無いといえばそれまでだが、しかしこれまではアスタルもしっかりとコマンドを我が物顔で叫んでいた。

「<プリウスα>のシステムへの進入。イスク、可能だったりするかな?」

《直接つニャがニャい(繋がない)と難しいですね……お兄ちゃんがこうニャってる原因は、外から推察するしかニャいみたいです》

「ありがと。じゃあいくつか、僕が立てた仮説があるんだけど――<ペタルスパシオ>っ!」

 コーベが説明をしかけたところで、<プリウスα>が<KLX250>を展開して荷電粒子砲を撃ってきた。<フィールダー>はシールドの周囲に分子を積層させたシールドを六枚展開し、それを更に重ねて攻撃を受け止める。絢爛な菊の花弁による防御。黒猫が無言でここまで攻めてきたのは初めてなので、危うくまたやられてしまうところだった。

「武装はっ?!」

《今から飛ばしますニャ、キャッチして下さいっ!》

 後方からサブマシンガンが飛んできて、タイミングを見計らって<フィールダー>がそれを受領する。セーフティを解除し初弾を装填、間髪入れず乱射するもアスタルには命中しなかった。<プリウスα>の有する透明な壁、<プライアウォール>に阻まれる。これを解除するためコーベは逆位相の電磁波を発しようとするが、向こうが左腕のガトリングガンを撃ってきてそれどころではない。<ペタルスパシオ>を巧みに操って三枚で防ぐが、これでは<フィールダー>が直接手を出すことが出来ない。残りの三枚を相手に飛ばすものの、<プライアウォール>を突破するには至らなかった。

 ひとまず射線軸から逸れようと、コーベは機体を右にスライド移動させる。すると今度は中距離戦用に威力を抑えられながら、<KLX250>の荷電粒子砲が彼を襲った。<ペタルスパシオ>の表面を熱で消耗させつつ防ぎ、今度は左へとサイドステップする。

 <フィールダー>の左肩を殴らんと、四メートル級<メックス>が建物の影から突然現れた。

 すぐさま花弁を一枚あてがって対処、核を貫いて間一髪で殺処分する。これは偶然ではない、アスタルが計算して<フィールダー>を誘導した結果だ。砲撃によりこちらの行動範囲を限定して、行き詰ったところで挟み撃ちを仕掛けて袋叩きにする。

今までの黒猫が採ったことのない、鋼鉄猫との連携プレー。この行動が、コーベの疑念を確信に変えた。

「さっきの続き。僕の仮説だけど、多分アスタルは<SMBC>とリンクしてる。或いは違うかな……ネットワークに含まれているのかも」

《それって……お兄ちゃんが、<メックス>と同じように操られてるってことですかっ?!》

 イスクの驚きも当然だ。あれほどに伸び伸びとしていたアスタルに対し、主人であるタクとアルカがここまでするとは予想もしていなかった。

 <SMBC>は野良猫を<メックス>化させるナノマシンであると同時に、素体の脳に働きかけることで<メックス>を操るアンテナとなる。これを介することで鋼鉄猫によるネットワークが形成され、各々の意志に依らない統率のとれた行動が実現される。

そこにアスタルを組み込むことで<メックス>と<プリウスα>との連携が成立し、先程のようにこちらが対応しづらい戦略を展開されることになる。個々の判断も消去され全体意思に支配されるので、黒猫が無言であることにも説明を付けられる。この仮説ならば、全ての事象に合点が行くのだ。

《じゃあお兄ちゃんを元に戻すには、どうすれば……!》

「愛する兄の催眠を解くのは。実の妹による呼びかけだって、お涙頂戴のストーリーじゃ定石だからさっ!」

 携行していた愛用のアーミーナイフを左手に装備し、コーベは機体を<プリウスα>へと肉薄させる。接近戦ならば<KLX250>による砲撃を封じられるし、アーミーナイフは彼にとって最も使い勝手が良い武装だ。少しでも有利に事を運ぶには、こうするのが最善だった。加えてもう一つ、彼は意図を持っている。

 アーミーナイフは大型ブレードを選択し、<プリウスα>目掛けて振り下ろす。これに対してアスタルは、右腕の内蔵ダガーで受け止めてきた。短剣による、紙一重の距離の鍔迫り合い。

 コーベは右腕を操作して、相手にサブマシンガンの銃口を突き付けようとした。しかし<KLX250>の長い砲身を棒のように扱うことで、右腕ごとアスタルに振り払われてしまう。明後日の方を向きながら発砲し、跳弾して近くの<メックス>が巻き添えを食らっていた。

「触れてる今。接触回線でダイレクトに呼びかけてっ!」

《そういうことですねっ! ――お兄ちゃん、聞こえますかっ?! 聞いて下さいっ!》

 通信のような電波に変換した声ではなく、もっと直接的に想いをアスタルにぶつける。妹の悲痛な訴えに、しかし兄は一寸も反応しない。諦めずイスクが言葉を投げつける。

《お兄ちゃん、アナタは今<SMBC>のネットワークに取り込まれています! このままだとどんな命令をされても、本能に反する嫌なことにも従っちゃいますっ! 目を覚まして、元のやかましくてうるさいけど妹想いのお兄ちゃんに戻ってっ!》

 こんなにも近くで繰り広げられる接触回線なのだから、相手に聞こえていないはずは無かった。彼女の声は届いているはずなのに、きっとアスタルは耳をネットワークに塞がれている。

《お兄ちゃん……何で黙ってるんですかっ?! 返事をして下さいっ! 見たいモノが見られなくて、動きたい時に動けなくて、鳴きたい気分でも鳴けないだなんて……そんなのは、私たちネコに相応しくないです! もっと自由に、ビッグデータじゃなくて本能に従う姿じゃないと、生きているだなんて言えませんっ!》

 どれだけ叫んでも想いは届かず、<カローラフィールダーハイブリッド>が<G´s プリウスα>に押し負けてしまう。やはりサスペンション強化の差が出てしまった。しかもこちらは軽量化がチューニングのメインメニューだったので、重量の必要なこの局面で不利となってくる。

 背中から倒れ込む<フィールダー>に、<プリウスα>が視線で射りながらにじり寄る。左腕一本で構えた<KLX250>の銃口は、鋭くこちらを睨んでいた。死神の誘い。最低限に抑えられた近接用のエネルギーでも、<フィールダー>を貫くだけの威力は確保されている。そしてこのゼロ距離ならば、確実に命中させてくる。

 動けない、袋小路に咲いた一輪の花。

「アスタル。目を覚まして!」

《お兄ちゃんっ!》

 コーベとイスクが再三呼び掛けても、黒猫はピクリとも反応しない。冷ややかな眼差しをこちらに向けて、地獄へ堕とそうとするだけだ。<KLX250>の銃口に、荷電粒子がゆっくりと集まり始めて――。

 二台の間を横切るように、赤いレーザーが空間を貫いた。

 牽制射撃だったのか、命中はしていない。けれども<プリウスα>がその場から一歩退くには十分な効果があって、結果的にコーベは命拾いをしたことになる。

 そして体勢を立て直そうとしたアスタル目掛けて、大きなクレイモアが横薙ぎに襲ってくる。<プライアウォール>に受け止められたものの、その壁ごと<プリウスα>を強引に攻撃した。黒猫は尻餅をついてしまい、これで形勢ががらりと変わる。

「……コーベ、お待たせ」

「目玉武装はやられちゃってるけど、機体は何とか無傷なのね。良かった……」

 ウイの<ティーダラティオ>と、サキの<スピードアクセラハイブリッド>。住宅区の<メックス>を退治し終えて、二人がコーベの下に駆けつけてくれたのだ。

「ウイ。サキ。早かったね、まさか助けられる役が僕になるなんて」

「クルマの改造が一番大きかったかな、ここまで来るのにもそんなに時間がかからなかったし。アルカの置き土産に助けられちゃったかも」

「……それに、コーベが私たちの担当ゾーンまで援護射撃してくれたから。意外と早く片付いた」

 <ラティオ>と<アクセラ>に手を差し伸べてもらって、<フィールダー>がゆっくりと起き上がる。二人の機体を見てみると、それぞれの追加武装がパージされていて最低限の装備しか持ってきていないことに気付いた。<メックス>をあらかた処分したため、もう必要無いと判断したのだろう。むしろ軽くすることで、彼の危機に間一髪で間に合ったとも受け取れる。

「ところで、下ネコはまだこっちに来てないの?」

《そんニャことはありません、今しがた到着しましたニャ☆》

 おおよそ西の方角から、<グレイトレール>がトルクを利かせながら登場してきた。戦闘能力が低いため今まで御影台の外で待機していたが、ここでようやく合流する。キャリアカーまで到着したことで<α〝T-T.A.C.〟κ>が合計四台揃い、これで<L<ove>R>チームが再結成された。

「それじゃ。作戦の第二段階ってところかな、合体しよっか!」

「……うん、分かった!」

「三人と一匹、これをラストの合体にしましょーかねっ!」

 三人の意志に応えるように、イスクがシステムの起動に取り掛かる。アスタルからの反撃が来ない今のうちに、戦力の増強をしておきたかった。全員で声を重ね合わせ、承認キーとしてのフレーズを口に出す。この戦いが、最後だと信じて。

『<オーバーファミリア>っ!』

 ドライバーの目の前にあるモニタがブラックアウト、じきにデフォルメされたイスクが『人態→合態』のサインボードを置いていく。インパネも連動して各々の役割に特化した仕様となり、必要な情報が全てサイドウインドウに投影された。

 サキとウイそれぞれの<α〝T-T.A.C.〟κ>が二分割し、<グレイトレール>を中心として左右対称に配置される。<スピードアクセラハイブリッド>が『両腕』で、<ティーダラティオ>が『両脚』。<グレイトレール>のトラクタ部分が展開して『胴体』となり、肩部と大腿部に接続した。これでヒトの形を手に入れる。

 トレーラ部分は<カローラフィールダーハイブリッド>が全て受け持ち、六枚のトラスプレートを放射状のアスタリスクのように広げる。そして『背中』に接続して、四台が完全に一つとなった。

『足』の鳥趾を、雄大に広げる。

『肩』の装飾を、壮麗に輝かす。

『背中』の羽を、華厳に咲かす。

 最後に『頭』を引き出したら、熾天使の眼差しを紅く灯した。

『<T-T.A.C.>、コンプリーテドっ!』

 これで合体を仕舞って見せた。

「よし、あの厨ネコよりも早く合体できた! これで私たちがリードできる、そうよねっ?!」

《待って下さいサキにゃん、熱源が新たに発生……<クオンクオート>が火を入れたみたいです、それもすぐ近くに居ますっ!》

 アドバンテージを握ったと思った矢先。彼女の警告は現実で、商業区の第九番環状路から重々しいコンプレッサーの音が聞こえてくる。すぐ近くに居たはずなのに、完璧にその車体を暗闇に隠していた。機体のカメラで音源を追うと、<クオンクオート>がこちらに突進してきている。

「……特攻してくるの?」

「違うと思う。こっちの傍に居るのはやっぱり――!」

 コーベの思考よりも早く、今まで寝ていた<プリウスα>が起き上がる。再起動にでも成功したのか、その身のこなしは軽やかだった。そして一度車態に戻ったと思ったら、すぐさま<クオンクオート>との合体が始まる。

 付属のローリ部分が前後に分かれ、それぞれ『両腕』と『下半身』になる。<G´s プリウスα>は前屈でもするように中心で折りたたみ、『胴体』としてそれらパーツを統括。<クオンクオート>のトラクタ部分は直線状に展開して『背中』のラックに接続、全距離対応の兵装となる。仕上げとして<KLX250>を展開してホイールを『爪』に、ボディを『尻尾』とした。

 ルーフから『頭』を迫り出して、死神のように鋭く赤い猫目で天使を睨んだ。

 アスタルが無言で、<〝q〟p.α.κ.>を組み上げたのだ。

「またロック解除のセリフ無し。台本でも忘れてるのかな?」

「下らないこと言ってないで、とっとと武装取りに行くわよっ?!」

 サキがステアリングを自在に操り、<T-T.A.C.>を唐木通りから退避させる。その数秒後に<〝q〟p.α.κ.>が<テンスエクシーダ・テイルブラスト>を発砲してきて、危うくそれの餌食になってしまうところだった。この街の道は入り組んでいなくて素直なためすぐにピットへと到達できたが、裏返すと相手からも狙われやすいということだ。いくら空も飛べない死神が相手とはいえ、迅速な作業が求められる。

 フォーミュラカーのタイヤ交換のように、いくつものアームが左右から一斉に伸びる。両手に<ガルフクローズ>付きの<リズムクラフタ>、両腰に<スプリンタドライバ>、トラスには<インパクトチューブ>二本と<ムスミハニカム>、そして<シスミレールガン>。全距離対応の基本装備を取り付ける中、イスクがウイに一つの依頼を出した。

《あの……ウイにゃん、お兄ちゃんの<〝q〟p.α.κ.>に外部から接続することって可能ですか?》

「……不可能じゃないと思うけど、どうして?」

《お兄ちゃんが、<SMBC>のネットワークに取り込まれてしまいました。だから、助けるのを手伝ってほしいんです》

 そのボイスに、ウイとサキがすぐさま反応する。既に知っているコーベも説明を加えた。

「タクとアルカの仕業だと思う。<SMBC>のビッグデータに従わせることで、今までは無かった<メックス>との連携が可能になった。アスタルが黙ってたのはこれが理由で、ネットワークに自我が押し殺されてる」

「ちょっと待って、じゃあ今のアスタルはアスタルじゃなくてただの操り人形ってこと?」

《それも、催眠を解くのにかなり骨が折れる人形です》

 黒猫の自意識を回復させるには、当然ネットワークから遮断させねばならない。しかしそれを行うには、<SMBC>ネットワークの深層にまで進入する必要がある。そこからアスタルへの指令をブロックせねばなのだが、イスクと<フィールダー>の機材では限界があった。<グレイトレール>の積んでいるコンピュータと電子系に明るいウイの助けがなくして、セキュリティを突破することは不可能だ。

「……アスタルは良い子だし、私も助けたい。でも、戦いながらやるのは少しきついかも。<T-T.A.C.>のコントロールをやりながら電子戦をするってのは、限界がある」

《そう、ですよね……》

 モニタに表示されたアバターがしゅんとする。かなり表情の豊かなイスクだが、こんな落ち込んでいる白猫を見るのは初めてだ。そんな彼女を見かねてか、サキが助っ人を名乗り出る。

「もう何回目かも分からないけど、出来るところなら私も協力するわよ。ウイと私の二人でやれば、ちょっとずつでもイスクのサポートくらいにはなると思うから。アスタルのことはコーベがずっと見てるから、私たちはよそ見してプロテクト破っちゃいましょーよ!」

《さ、サキにゃん……っ!》

「……サキ、ありがと。これでアスタルのことも助けられる!」

 イスクとウイが目を輝かせる。これでやることは決定した。丁度武装も全て装備し終える。シフトを一速に入れ直し、走り出す準備は整った。

「じゃあ。タクとアルカにアスタルも、三人まとめて助けだそっか!」

 彼の一言で、勢い良くピットアウト。唐木通りに戻る道中、十メートル級の<メックス>を二匹ほど屠(ほふ)る。もう三次巨大化した個体が居るとは。早目に決着を付けなければ、この先更に戦いづらくなってしまう。

 機体を横向きにさせてドリフトしつつ、元の位置へと舞い戻る。すぐさま<リズムクラフタ>を真っ直ぐ構えると、アスタルはしかし受け身も取らずに立ち止まっていた。威嚇としてセミオートで数発発砲すると、<〝q〟p.α.κ.>には命中せず弾丸が上方へと逸れてしまう。<スフィアプライア>が作動しているということは、<〝q〟p.α.κ.>の機能が停止した訳ではないということ。

「だったら。どうして、アスタルは動かないんだろ……?」

「……イスク、センサ類を全部動かして」

 ウイの言う通りに情報を収集すると、一つの事実が浮き彫りになってくる。<〝q〟p.α.κ.>のエネルギーが、地面から流入してきていたのだ。恐らくケーブルを内蔵しているのだろう、まるで血液のように足を通じて胸へとフローしている。

「エネルギー切れを起こした訳でもないでしょうに、どうしてアスタルは供給を受けてるの?」

「充電しっぱなしのケータイは。電池の減りを気にしなくて済むから……つまりっ!」

 コーベが悟ると同時、<〝q〟p.α.κ.>の猫目がこちらを睨んだ。

「ここを仕切るよ。<ムスミハニカム>っ!」

 <ペタルスパシオ>と同じ方法で生成した、ハニカム構造を持つバリア。<T-T.A.C.>の周囲にそれを複数展開させるとすぐに、<〝q〟p.α.κ.>が<テンスエクシーダ・レグスカッタ>を浴びせてきた。拡散ビームが建物を焼き尽くし、鉄筋コンクリートを次々と崩壊させる。<T-T.A.C.>は辛うじて防ぎきれたもののシールドのエネルギー量は相手のように無限ではなく、だから一時的な撤退を余儀なくされた。一〇〇メートル程西にずれてから十秒後、そこまで待たなければビームの雨は上がらなかった。

「外部バッテリによる無限のエネルギーを手に入れた、ってこと?! それじゃ、今の<〝q〟p.α.κ.>って……!」

「……砲身が焼き切れるまで、荷電粒子砲を放射し続けられる!」

 しばらくの冷却期間を置くために、<〝q〟p.α.κ.>は<テンスエクシーダ>の先端を上に向けて立たせている。当然肩の装甲を展開させて<スフィアプライア>による鉄壁を常時展開していて、そこから一歩も動こうとしない。外部武装に頼らず全て内蔵武装でまかなっている、<〝q〟p.α.κ.>ならではの戦闘スタイル。誰も絶対に近付けさせない、まるで要塞のような戦法だった。いや、死神の城と西洋風に表現してもいい。

 <L<ove>R>は穿った見方をして、『引きこもりのアスタル』と形容した。

「……あのアスタル、自分の部屋に閉じこもってるみたい。誰も寄せ付けず、自分から孤独になってる」

「つくづく私たちのトラウマを付いて来るわね、あの厨ネコは……っ!」

「或いは。タクとアルカらしい、とも取れるよ。僕たちの記憶を消して、自分たちの方から孤独になった感じで」

 このように皮肉をたっぷりと込めているが、しかし彼らには黒猫の殻を破る方法が与えられていなかった。今まで<スフィアプライア>を破るために使った武装は、殆ど御影台に用意されていない。唯一の必殺兵装<ミルメドレー>を積載した輸送機は既にイスクがこの近辺に飛ばしているけれども、近接兵装でアタックするまでには<テンスエクシーダ>による砲撃を潜り抜けなければならない。

折角勝てそうだというのに、決定打だけぽっかりと空白になっている。アルカの策略に踊らされている気分だ。

 そんな時に後ろから襲ってきた<メックス>を、トラスに積んだ<インパクトチューブ>で直接攻撃した。

 鋼鉄猫対策も忘れてはならない、敵はアスタルだけではないのだ。彼女らには通常兵装で対応できるが、如何せん数が多すぎる。<〝q〟p.α.κ.>の相手をしている片手間に処分できるほど甘くはないだろう。

「とりあえず、アスタルとのコンタクトを第一目標にすべきよね?」

「……だったら、有線LANとか欲しい。無線だと不安定だし。でも、どうやって接続しよっか」

《いくら無線が不安定と言っても、こっちが主導権を握っていれば勝手に切断されたりはしません。だから端末をお兄ちゃんに取り付けるだけでも違ってきて、という訳で近接戦闘が出来ればそれで十分ですニャ》

 サキ、ウイ、イスクが話し合って、とりあえずアスタルに接近することは決まった。となると近接武装が欲しくなるが、今の<T-T.A.C.>の装備ではあまりにも貧弱だ。もう一度ピットインする必要がある。

「だったら。イスク、あの武装はここにあるのかな? 近中距離戦をやるにあたって、あれほど扱いやすい武器も無かったから」

 コーベのその一言だけで、彼女は全てを察してくれる。すぐさま検索してみるとヒットして、丁度唐木通りの対岸に隠されていた。

「そんじゃ、そこを一旦の目的地にするの?」

「そうしよっか。なるべく<メックス>を殺処分しながら進もう」

「……核融合炉の出力は上げとくから。あと、セキュリティ突破の下ごしらえもしとく。だから――<フィギュアアベンシス>っ!」

 ウイが声に出して、<ミクストトラスマニフォルド>が稼働する。トラスプレートで箱を組み立てて長さも引き伸ばし、電磁波の籠で空気を閉じ込める。

 当分の行動はこれで決定した。あとは最善を尽くして戦うだけだ。

 アクセルを踏むと籠の中の空気がプラズマ化し、稲光を曳きながら膨張圧で機体が加速した。


oveR-09


 いくら通りを挟んだ向かい側と言っても、単に平行移動すれば済むような話ではない。目的の兵装は中心地により近い場所に格納されていて、現在地点よりも南に離れた場所にある。だから滑空してひとっ飛びとは行かなかった。

 まずは唐木通りに沿うようにして路地を南下、<T-T.A.C.>の行く手を<メックス>が阻む。数は三匹、まだそれほど多くはない。機体の勢いは殺さず両手の<リズムクラフタ>を前に向けて発砲、二匹の殺処分に成功する。残った一匹は、<ガルフクローズ>で首の辺りをスライスしてやった。小さい血飛沫と大きい液体金属の返り血。

「……次、待ち伏せされて左右から来る!」

「了解よウイ、<フィギュアフーガ>っ!」

 サキが<ミクストトラスマニフォルド>を操作し、箱の形を開いてはトラスプレートを放射状に広げる。そして両サイドから襲ってきた鋼鉄猫をロックオンし、トラスに付属した<インパクトチューブ>一発ずつで確実に仕留めた。トラスを展開することで銃身も横を向くため、機体の向きを変えずに処分することが可能になる。

 突如、アラート音が三人を刺激した。それから一秒と隔てずに、こちらに差し伸べられる複数の光。ビルの角を曲がって唐木通りへと差し掛かる時、アスタルの<レグスカッタ>が広範に<T-T.A.C.>を襲う。

「やっぱり来るよね。<ムスミハニカム>!」

 先程と同様にコーベが防御、しかし今回はその間にこちらも仕掛けてみる。<レグスカッタ>の照射時間は十七秒、シールドは何とか耐えてくれた。その間に<T-T.A.C.>は<ミクストトラスマニフォルド>を変形させ、砲戦形態の<フィギュアフレア>に移行させる。トラスの箱を担ぐようにして、<〝q〟p.α.κ.>へと狙いを定めて。

「<シスミレールガン>――」

《<オーバーファイア>☆》

 コーベとイスクのデュエットにより、二発の重い砲弾が奏でられた。<フィギュアフレア>から撃ち出された<シスミレールガン>は迷うことなく真っ直ぐ進み、<スフィアプライア>へと衝突する。今回は弾頭を積んでいたため、重低音で地を唸らせながら爆発。周囲には硝煙の匂いが立ち込め、爆炎によりまるで濃い霧に包まれたかのように視界も遮断された。

「さぁ。僕が状況を作ったからっ!」

「……<フィギュアアベンシス>、飛んで!」

「フルスロットル、舌噛まないでよねっ!」

 爆炎でアスタルが怯んでいる内に、<〝q〟p.α.κ.>から逃げるようにして唐木通りを堂々と進む。アスタルの相手は近接武装を入手するまでお預けだ。

滑空しながら<リズムクラフタ>と<スプリンタドライバ>を併用して、邪魔する<メックス>を処分し散らかす。舗装も鋼鉄もガタガタになるが、それらは彼らを止められない。エンジンブロー覚悟で、<L<ove>R>は機体を押し出すように加速させた。

 三〇〇メートルを爆走した頃、ようやく<T-T.A.C.>が唐木通りを外れる。小さな交差点を右折して、廃墟となった十階建てのオフィスビルにその身を隠した。プラズマで機体をジャッキアップすると、そのビルからやはりアームが伸びてくる。<リズムクラフタ>と<スプリンタドライバ>を取り外して、代わりにガトリング砲を両腕に、求めていた近接兵装を両腰に接続。後は<インパクトチューブ>の弾倉を交換して、トラスに<ダーズンパイロン>も二セットほど持たせておく。

 ピットアウトして<T-T.A.C.>が垂直に上昇すると、<テイルブラスト>の軌跡が彼らを追ってきた。水平に放たれたその荷電粒子砲は、今まで<T-T.A.C.>が居たピットを正確に当ててきている。

「うっわ~、ギリセーフ……見て見て、ピットが丸焦げよ」

「アスタル、変わらず同じ位置に居るのかな?」

「……見たところ、移動してるっぽいけど」

 オフィスビルと同じ高さまで浮上して高高度から見渡すと、確かに<〝q〟p.α.κ.>が一五〇メートルこちらに近付いていることが分かった。どうやらそこにも、エネルギー給電用のコネクタが隠されていたらしい。

ならば一か所に留まって砲撃に徹するのではなく、コネクタ間を移動しながら接近し格闘戦を挑めばいいのではないか、と考えたのは<L<ove>R>ならではの視点だ。全距離対応武装を持っている<〝q〟p.α.κ.>にとって下手に動き回るのはかえって危ないのだが、<T-T.A.C.>の戦闘スタイルからすると柔軟に行動するのが正解のように思えてくる。全くもって、この二機は対称的だ。

 御影台の中心、ガラス張りのアーケードに目が行った。水晶宮と呼ばれるそこに、二人の人影が確認できる。

 三人はふと、そのタクとアルカと目が合った。

「目的地。あそこを目指せってことだね……そのためにも、まずはアスタルをどーにかしよっか!」

 上空からの直線距離で、<T-T.A.C.>は<〝q〟p.α.κ.>へと肉薄する。機体の装甲を震わせながら、けれどアクセルは緩めない。衝突してしまいそうな勢いで、<L<ove>R>がアスタルに仕掛けてゆく。

 第一段階として、<ダーズンパイロン>を六発ほど発射。大粒のミサイルが相対速度と重力エネルギーを加算しながら落下してゆき、<プライアウォール>に全て命中。爆炎が広くアスタルを包む、煙幕を再び展開させる算段だ。

 目を潰された<〝q〟p.α.κ.>に対して、<T-T.A.C.>は背後へと回り込む。向こうからこちらは見えないが、しかしその逆は成立しない。彼らが自由に空を飛べるのに、相手は一歩も動けないから。

「ウイもイスクも、準備はいいわよねっ?!」

「……こっちはいつでも!」

《兵装の一部が差し込まれたら、それを切り離せばこちらで無線を接続します!》

 どこから来るのか予想がつかないのか、<〝q〟p.α.κ.>は全天に<スフィアプライア>を張って守りの姿勢に入っている。だがいくら受けの気構えでいようとも、背後の迎撃態勢ががら空きになるのは避けられない。煙幕はもうすぐ晴れそうだ、つまりチャンスは一度のみ。コーベが精神を集中させる。

「<フタスミフラクチャ>――<オーバーファイア>っ!」

 両腰の<フタスミフラクチャ>フレイルが自動で展開して、獲物を捉えた蛇のように<〝q〟p.α.κ.>へと鞭打った。

 まずは右側、<スフィアプライア>を破らんと勢い良く薙いで叩く。プラズマを利かせて威力を上げるが、しかし障壁の突破にまでは至らなかった。フレイルは弾かれるように上空へと舞い上がり、こちらの攻撃は失敗となる。

 しかしこれはフェイクだ。左側にあるもう一振りの連接棍が、<スフィアプライア>の隙を突く。先発のフレイルに意識を向けていたアスタルは、煙幕のこともあってか二発目までは予想できなかった。咄嗟の反応をすることも出来ず、脚の接地用アウトリガに<フタスミフラクチャ>の先端が突き刺さる。目的は達成した。

《今です、ハッキングを開始しますっ!》

「……武装切り捨て、サキは機体を退かせて!」

 ウイが<フタスミフラクチャ>を二等分する時、コーベは奇妙な感覚に襲われる。先程の攻撃が防がれた際、フレイルの軌道が確実に物理法則を無視していたのだ。障壁との衝突後は一切力を加えていないはずなのに、まるで押されたように上方へと弾き飛ばされる軌道。鉛直上向きに力場が働いているような――。

「力場――もしかしてっ!」

 閃きがコーベを衝き動かす。<T-T.A.C.>を下がらせようとしたサキに反対して、右側の<フタスミフラクチャ>を再度起動させた。プラズマで勢いを目いっぱいに増幅させて、<スフィアプライア>へと手向ける。しかし今度はぶつけるのではなく、その見えない結界の壁を這うように上昇させた。その姿はまるで、滝を昇ってゆく竜だ。

「ちょっとコーベ、何やってるのっ?!」

「信じて! 上手くいけば、結界を一時的にでも封じられるからっ!」

 <〝q〟p.α.κ.>が体をこちらに向けて、<テンスエクシーダ・フォワパーランス>を構えてくる。もう爆炎は殆ど晴れていて、こちらの位置は丸見えだった。加えてレーダーが、一匹の新たな<メックス>を捉えている。すぐさま後退しなければ、<L<ove>R>は挟み撃ちに遭ってしまう。ここに留まる理由はないはずなのに。

 けれども、コーベは残ろうとした。

《コーベくん、もうやられちゃいますっ!》

「まだ少し――っ!」

 <フタスミフラクチャ>の先端を操り、<スフィアプライア>の頂点まで到達させる。そして下向きへと鋭くスピンターンさせ、<〝q〟p.α.κ.>の頭上からフレイルで貫こうとした。その下では<フォワパーランス>が、逆に<T-T.A.C.>を貫こうとする。

一瞬が永遠に引き伸ばされたような感覚。どちらが早いか、紙一重の駆け引きが彼らを支配した。

 トラスからプラズマを発生させて、死神の誘いを無理矢理回避する。

 例え上からでも結界に阻まれるだろうに、竜が死神の左肩を捉える。

 しかし弾かれるはずだった竜は、<〝q〟p.α.κ.>の装甲の隙間へと潜り込んだ。

「来た――<サクセシブアミュニション>っ!」

 コーベが素早く両腕のガトリングガンを発砲すると、<スフィアプライア>に防がれず<〝q〟p.α.κ.>の装甲を傷つけた。機体のパワーダウンのような、相手の内部的なトラブルではない。直径五〇センチにも満たない棒を直上から装甲に挟ませるだけで、誰も侵すことの叶わなかった死神の結界を破ってしまった。

 この機を決して逃すまいと、<サクセシブアミュニション>ガトリング砲を雨あられと死神に浴びせる。装甲に幾つもの銃創が刻まれてゆき、死神の耐久力をじわりじわりと削ってゆく。<スフィアプライア>による防御が出来なくなったこの距離では、<〝q〟p.α.κ.>に凌ぐ手段は残されていないはずだった。

「このまま行けばっ!」

「待って、<メックス>が近付いてくる!」

 サキの警告する通り、鋼鉄猫がアスタルの下へと駆け寄ってくる。つまり<T-T.A.C.>に足が届く範囲にまで接近してきていて、なおかつ<〝q〟p.α.κ.>で手一杯だから彼らはこちらの相手が出来ない。形勢逆転をされるかと思いきや――。

 <〝q〟p.α.κ.>が、<メックス>の首根っこを掴んでは自身の盾とした。

《……えっ?》

 魂の抜けた、イスクの声。目の前の光景が、到底信じられない。今、彼は何をやった?

 同族であるはずの、仲間であるはずの猫を、自分のために犠牲にした。

 <フォワパーランス>を再度突かれて、サキが慌てて機体を退かせる。僅かに右脇腹を損傷、それと同時に肩部装甲に挟まっていた<フタスミフラクチャ>も外れてしまい、<スフィアプライア>が再び展開されてしまった。これでこちらのアドバンテージが消え失せてしまう。

今までやられていた分の反撃として<レグスカッタ>を発砲されるも、必死の乱数機動と<サクセシブアミュニション>による牽制射撃を駆使して間一髪で回避。ひとまず体勢を立て直すべく、<T-T.A.C.>は少し離れた地点にある別のピットへと飛翔した。遅ればせながらそのタイミングで、ウイが<〝q〟p.α.κ.>との無線接続を確立する。

「……コネクト完了、イスクお願いっ!」

《お兄ちゃん、そんな――》

「イスクっ?!」

《わ……分かりましたニャ!》

 アスタルが猫をモノとして扱ったことに動揺しつつ、彼女は<SMBC>ネットワークへのハッキングを開始する。全ての端末の接続を遮断すればネットワークも自然と崩壊するので、やること自体は単純だ。しかも今は<〝q〟p.α.κ.>や<メックス>との物理的な間合いも取っているし、戦闘行為はコーベとサキが対応している。全ての作業が終わるのに、五分も必要としなかった。ピットにこそ到達しなかったものの、相手方の動きはこれで封じられる。

《あ、あ――》

「アスタル。返事してっ!」

《そ、その声は……コーベ、かニャ?》

 急に自我を取り戻したから混乱しているのだろう、たどたどしい口調でアスタルが尋ねてきた。それに落ち着いて彼が対応し、ひとまず情報を聞き出そうとする。主に、タクとアルカについての話を。

「そうだよ。コーベだよ、何があったの? どうして<SMBC>のネットワークなんかに囚われて……」

《吾輩、は……》

 <〝q〟p.α.κ.>が武装の構えを解く。警戒ではなく優しく接することが今の黒猫に必要だろうと判断し、ゆっくり<T-T.A.C.>を地上へ降下させていくと。

《吾輩は、猫を盾にしたのかニャ……?》

 <L<ove>R>の全員が、息を呑む。特にイスクは、実行していたタスクを一時的に停止させてしまった。動揺が<T-T.A.C.>の動きを鈍らせる。アスタルは、自分のさせられたことを把握している?

「アスタル、アンタまさか……<SMBC>に操られてる最中のこと、全部覚えてるの?」

 サキが恐る恐る聞いてみるも、答えは残念ながらイエスだった。

《ご主人様に、催眠のプログラムを掛けられて……急に何か大きな意思に支配される感覚になって、自分で自分を動かせなくなって……でも、視覚情報はタイムラグ無しで入ってきて……っ!》

 アスタルのご主人様であるタクが彼にしたことは、恐らく最低限のネットワーク支配だ。行動だけを制限するが、アスタルの五感にまでは手を出さない。だからこの黒猫は催眠にどっぷりと浸かることすら叶わず、残酷な現実を見せられるも手出しが出来ないという地獄を体験させられた。

 <〝q〟p.α.κ.>の挙動が怪しくなる。統率のとれた行動パターンではなくて、もっと動物的、有機的でランダムな動き。肩を震わせ、頭を抱える。ただの戦闘マシーンには、決してプログラムされない無駄な動き。

《ご主人様が、吾輩をネットワークに……ご主人様が、吾輩に猫を殺させた……吾輩は、ご主人様のために今まで……ご主人様の思い描く吾輩が、本当の吾輩なはず……》

「……アスタル、もしかして混乱して暴走を……?!」

 ウイの嫌な予感は、不運にも的中してしまう。<〝q〟p.α.κ.>が<テンスエクシーダ・レグスカッタ>を展開し、拡散ビームを無差別に乱れ撃った。敵味方の区別はついていない。近くに居た他の<メックス>にも命中しては、その核を焼き殺してしまう。

「くっ! ムスミ――」

《ダメですコーベくん、間に合いませんっ!》

 イスクが叫ぶとほぼ同時、サキとウイが尽力して<T-T.A.C.>に回避機動を取らせる。しかし全てをかわすことは叶わず、右肩と左脚にかすり傷が発生し、右脇腹の傷が更に広がってしまった。武装もいくつか被害を受け、右の<フタスミフラクチャ>とトラスの<ダーズンパイロン>を喪失してしまう。

《吾輩は、ご主人様に操られていた! でも、この操られていた自分は――ご主人様の人形だった自分は、今までの自分と何ら変わりない、吾輩そのもの! だから例え仲間の猫を殺しても、それはご主人様の期待通りのアスタルだニャっ!》

 <レグスカッタ>の嵐から避難しようと、<L<ove>R>は一旦路地裏に逃げ込む。まずは損傷個所の冷却をしなければ。三基あるエンジンのパフォーマンスも、一号機が約一割ダウンしている。

建物の影に隠れるのは、これで本日何回目だろうか。ピットまでは、あと少しだけ距離がある。

「アスタル、あれどうしちゃったのよ?! 人形だの自分そのものだのって、何か危ない言葉ばっかり使ってるっ!」

「壊れてしまいそうなんだよ。同族を殺しちゃって、アイデンティティが危機に瀕してる……!」

《防衛機制……自己正当化を、お兄ちゃんは今やってるんですかニャ?》

「……タクに操られて過ちを犯したけど、開き直ってその過ちを反省せずに受け入れないと、自我が保てないってことなの?」

 同族同士での殺し合いは、本能に反する行為である。ヒトが唯一例外に殺人を犯すだけで、他の動物は仲間同士で無意味に攻撃したりはしない。ましてやAIといえども、アスタルは実際の猫をベースに電脳化した存在だ。同じ猫である<メックス>を殺してしまうという行為は、本来ならば自然界において償いきれない程の重罪に値する。それを<SMBC>が実行してしまった。

 そして同時に、アスタルはタクとアルカを親にして造られたAIだ。だから親の言うことには逆らえず、また親の期待に応えることを至高としている。今回<SMBC>ネットワークをアスタルに接続させたのは、その親であるタクとアルカ。

 同族殺しを禁忌とする生物としての本能と、親の期待に添いたいとする子供としての願望の狭間で、現在のアスタルは葛藤を繰り広げている。

 彼は今、自分を見失いつつある。自らが生物なのか子供なのか、どちらであるべきなのか分かっていない。アイデンティティが拡散している。だから自己正当化をしてタクとアルカの子供としての自分を肯定しようとしているが、しかし猫を身代わりにしてしまった罪悪感が拭えていない。精神が安定せずに暴走して、何もかもを壊そうとしているのがその証拠だ。

「このままだと。いつアスタルが自分自身を壊しても――自殺、自分のメインコンピュータを自分で撃ち抜いてもおかしくない状況だよ……何とかしなくちゃなのに……!」

《私たちには、何も出来ないんですかっ?!》

 コーベとイスクの悲痛な叫び。精神的な葛藤は、外部からどうこう出来る問題ではない。アスタルが自分で乗り越えなければならないが、しかし乗り越えられない可能性が強い。ひどくもどかしい気持ちになる。冷や汗を流しながら思考を巡らせていると、ウイとサキが口を開いた。

「……アスタルは、つまり生きがいをどうすべきか見失ってる状態なんだよね?」

「多分。すがるべき生きがいが二つあって、それらが衝突し合ってる状況……かな」

「だったらさ、それらと全く関係のない生きがいを私たちで提案してあげて、それに上手く誘導させたらどうなると思う?」

 イスクが目を見開いた。コーベも同じように納得する。確かに問題をそのまますり替えてしまえば、この暴走は止められる。

「でも。それじゃ根本的な解決にまでは至らないから……現状の問題について悩むのは無意味だって思わせて、そこに空いた心の穴を新しい何かで補う。これでどうかな?」

「いいんじゃないの? 少なくとも今よりはよっぽどいいと思う」

「……同族を殺したことも、タクとアルカに従うべきってことも、どっちも私たちが外部から肯定するのは難しいから」

 今のアスタルに答えを示すのは、誰にだって不可能だ。そもそも、答えなんて無いのかもしれない。だから彼を苦悩から解放させて、その代わりとなる生きがいを新たに吹き込む。現状では、これ以外の方法が思い付かない。<L<ove>R>の三人は全員一致で方針を固める。しかし、イスクだけは反論を展開した。

《そんな、無茶すぎますよ……第一、誰がお兄ちゃんの葛藤を止められるって言うんですか?! 悩みを忘れさせることも、自我の形成を手伝うのも――》

「分かってるはずだよ。唯一の妹である、イスクにしか出来ないことだから」

 コーベの一言に、彼女の音声データも再生が止まってしまう。イスクに重役が課せられた。道理は通っているが、例え妹であっても兄をあの状態からリカバリするのは困難を極める。

「イスク、アンタ自信無いの? 心配しなくてもアスタルは妹に弱いんだし、絶対に大丈夫だって!」

《自信なんてありません、お兄ちゃんを説得なんか……》

「……でも、アスタルを救えるのはイスクしか居ない。アナタにしか出来ない」

《私が、お兄ちゃんを救う……?》

 未だ<レグスカッタ>を乱れ撃つ<〝q〟p.α.κ.>は、死神というよりも抜け出せない地獄に囚われた罪人のようだ。あんなアスタルを見ることなんて、彼らには到底耐えられない。

「イスクには。自分が思ってる以上に、影響力があるはずだから。イスクならきっと、アスタルを助けられるよ。僕たちがタクとアルカを助けるのと同じように」

《コーベくん……分かりました、私の方でお兄ちゃんを助けて見せます!》

 モニタにあるイスクのアバターが、右手で強く敬礼を作る。その瞳にはやり通そうとする決意と、三人から頼りにされた歓びが込められていた。

「うん。だから僕らは、<〝q〟p.α.κ.>を出来るだけ無効化させよっか。新しい武装をお願いできるかな?」

《それだったら、あと一〇〇メートルちょっと進んでみて下さい! 丁度良いモノがありますよ☆》

 その情報を受け、<T-T.A.C.>が動き出す。彼女に指示された通り、路地を滑空しながら前進。目的地に着くとスピンターンで身体の向きを一八〇度変え、ピットから各種武装を受領する。

 両腕の<サクセシブアミュニション>は弾倉を交換、両手には<リズムクラフタ>、両腰には<スプリンタドライバ>、両脚には<ニトロクリープ>を装備。<ムスミハニカム>をパージし背中のトラスを六つの翼に広げると、<リズムクラフタ>や<インパクトチューブ>、<ニトロベリー>、<ダーズンパイロン>の他、左上に<ルミナスライン>レーザー砲、右上に<フレイクライン>レールガンを接続。全て射撃兵装の、重装備仕様だ。

「……こんなに背負って、一体何に使うの?」

「<スフィアプライア>の突破。あとイスク、例の武装も用意しといてね」

「そーいや気になってたんだけどさコーベ、アンタさっきどーやってあの壁を無効化したの?」

 サキが素朴な疑問を投げかけてきたので、彼は簡単にだが二人に<スフィアプライア>の構造を説明する。それを聞くと彼女たちは納得して、コーベが何をしようとしているのかも自ずと察することが出来た。

 <ミクストトラスマニフォルド>を<フィギュアアベンシス>形態にして、電磁の籠にプラズマを溜める。それらを一気に放出して、稲光を曳きながら<T-T.A.C.>は高速に飛翔していった。


oveR-10


 アスタルは、とても苦しそうだった。

《ご主人様は、こうやって全部を壊せば認めてくれる……もう、後戻りなんて出来ない……!》

 希望と苦痛、それと焦り。今の黒猫は、これら感情がスパイスのように調合されては互いに自己主張を強めている。ハーモニーを奏でるというよりは、それぞれの気持ちがうるさかった。自分で自分をコントロール出来ていない。

 そんな兄を見かねて救いの手を差し伸べる妹は、<〝q〟p.α.κ.>よりも高い位置に居た。

《お兄ちゃん……後戻りなんて、まだいくらでも間に合いますっ!》

 <T-T.A.C.>はオフィスビルの屋上に立っていて、背中のトラスは放射状の<フィギュアフーガ>状態に展開している。その重火器を纏った六枚の翼を広げる姿は、まさしく五〇メートルの高さから現れた熾天使だった。

《本能と願望に縛られるだなんて、お兄ちゃんらしくありませんっ! 私の知ってるお兄ちゃんはそんなモノに囚われていない、もっと自由なネコでした!》

《自由なんかじゃ、ちっとも自由なんかじゃなかった! 昔から吾輩はご主人様のネコで、だからご主人様のために戦ってきたっ!》

《本当にタクくんの役に立ちたいんだったら、お兄ちゃんはとっくの昔に私たちを倒してた! なのに時には見逃してくれたり、時には楽しくおしゃべりしたりっ! お兄ちゃんは私たちの敵なんかじゃなくて、タクくんの人形なんかとは違った、そんな枠に閉じ込められてない……もっと自由な、友達みたいな関係でしたっ!》

 兄妹の想いが、絶えずにぶつかる。あくまでも破壊神という殻に閉じこもりたいアスタルと、そこから引きずり出して唯一の家族と仲良く暮らしたいイスク。説得というよりは、どちらかというと兄妹喧嘩に近い。

《それは昔の話、もう後戻りは出来ないって言ってるニャ! 吾輩は猫を殺めてしまった、例えAIだろうとネコとして失格だからっ! もう昔みたく、イスクやコーベ達と仲良くする資格なんて……っ!》

《だから、後戻りはできます! 罪なんていくらでも償えるし、私たちはお兄ちゃんを責めたりなんてしません、アナタのことを認めますっ! だから、戻ってきて……!》

《無理だ、無理だ、無理だっ! ご主人様はこうしないと認めてくれないし、コーベ達だって今まで傷付けてきた! こっちにはもう、救われる方法だなんて――!》

 <〝q〟p.α.κ.>が撃ち方を止め、その場に小さくうずくまる。そして肩の装甲が展開し、<スフィアプライア>がフル稼働した。何も寄せ付けない、無敵の鉄壁。その結界に、アスタルは閉じこもってしまう。

 死神の黒猫を、そんな不幸から助け出してやらねば。

「安心して。自分の中に閉じこもってる子を救うの、僕は三回目だから」

 コーベが静かに、透き通った声で口を開く。はっきりとアスタルに届くような、天使の福音。

「……<〝q〟p.α.κ.>の無力化、先にやった方が良いの?」

「次にいつ攻撃しだすか分からないからね、情緒不安定な子にナイフは持たせちゃダメってことなんでしょ? 荒んだ心に武器は危険なんです~、ってやつ」

「<スフィアプライア>を貫くよ。武装解除させて、聞かん坊のアスタルに無理矢理イスクの話を聞かせてあげるから」

 <T-T.A.C.>がトラスの翼を広げ、その身を闇夜へと投げ入れる。しかしプラズマは発生させず、浮遊することなく落下してゆく。目下には、自分の殻に引きこもった<〝q〟p.α.κ.>。このまま位置エネルギーを殴ってぶつけても良いのだが、しかし<L<ove>R>にはまだやり残していることがある。

 残りが少なくなっているものの、<メックス>が御影台のあちこちに点在していた。これら鋼鉄猫を完全に殺処分しなければ、彼らの勝ちとはならないだろう。タクとアルカに会うためには、この障害も壊さなければ。

 だから、<L<ove>R*α〝T-T.A.C.〟κ>は決意をぶつける。

《コーベくん、準備は大丈夫です! 私と一緒に、お兄ちゃんを引きずり出して下さいっ!》

「アスタルを救って見せるから――やって仕舞うよっ! <ミクストミルメイス>、<オーバーファイア>っ!」

 菊がそう宣告することで、重火器の華は咲き零れた。

 両手には<リズムクラフタ>、両腕には<サクセシブアミュニション>、両脚には<ニトロクリープ>。そして左下のトラスには<ダーズンパイロン>、右下のトラスには<インパクトチューブ>。左右中段のトラスには、<リズムクラフタ>と<ニトロベリー>がそれぞれ。左上のトラスには<ルミナスライン>、右上のトラスには<フレイクライン>。

 大小合わせて、八種類。銃口の数で言うと二〇門以上。それらがいくつも織り成して、たった一つの花を編む。

 南西には関市の綺麗な夜景、東には空の綺麗な有明。

 夜と朝、二つの時間が絡まり溶け合う。

 <T-T.A.C.>背部の<ミクストトラスマニフォルド>が、反時計回りに円運動を描く。

 燃える暁の星空より、全ての銃火器が銃口から光を放った。

 機関銃、ミサイル、ロケット弾。レールガンにレーザー砲。それら全てが美しいマズルフラッシュを輝かせ、銃弾は回りながら撃ち放たれる。撃たれながら、落下してゆく。

 <T-T.A.C.>は地面へと落ちながら、どの武装をも発砲している。下へ向けて、重力を味方につけて。向かい風の大気を受け止めてなのか、それとも砲撃の反動なのか。前から横からあらゆる方向から、衝撃が機体とシートに居る<L<ove>R>を襲う。耐えて見せる。

 真下へと放った銃弾は、しかし全ては真下へと向かわない。トラスから零れた果実たちだけはアンダーステアが発生し、街の外へ外へと飛んでゆく。中心地へと落ちなかったそれらは、代わりに外縁部の<メックス>を脳天から突き刺した。

 ここまでは音も届かないが、鋼鉄猫たちの悲鳴は見えてくる。苦しそうな顔、飛び散る素体の血、そして液体状になって土へと還るボディ。天から降らせた熾天使の羽根が、彼女らを安らかな場所へと召す。

 <ミクストミルメイス>。全ての武装を上空から撃つフルバーストの一種だが、特徴は<ミクストトラスマニフォルド>を回転させることにある。これにより放たれた弾丸に遠心力が加わることで、位置エネルギーと相乗して強大な攻撃力を得る他、<T-T.A.C.>から離れた位置に居る複数の相手まで一網打尽に破砕できる。それはまさしく天から告げられる、かき混ぜられた臼の鉄槌(Mixed Mill Mace)。

 <T-T.A.C.>の周りを回っているモノは<メックス>を狙うが、本体に接続された武装はしかしその限りではない。両手の<リズムクラフタ>は弾道を寸分もそらさずに、真っ直ぐ<〝q〟p.α.κ.>を捉えている。フルオートで撒かれる銀の銃弾は、死神の結界に全て命中。しかし結界を突破した弾は一つもなく、どれもが見えない壁に防がれて――。

 たった一発の銃弾が、死神の左肩を直上から突き刺す。

 その一発ただそれだけは、無敵の結界を通り抜けた。

 薬莢内の爆薬が、左肩の中で暴れまわる。あらゆる回路を破壊し尽くし、あらゆるシステムを蹂躙し尽くす。結果としてほんのちっぽけな攻撃だけで、<スフィアプライア>を破壊することに成功した。

 これがコーベの思い付いた、<スフィアプライア>の突破法だ。無敵の防壁であった<スフィアプライア>を<フタスミフラクチャ>で鞭打った際、彼は跳ね返されたあと鉛直上向き方向の力が加えられていることを見逃さなかった。そのことを怪訝に思い次にその壁に這わせるようにして攻撃すると、今度は頭上の頂点からのみ<フタスミフラクチャ>が通過した。これら事実から判明したことが、<スフィアプライア>はソニックシールドの一種であるということだ。

 <スフィアプライア>自体に、恐らく硬度は存在しない。ソニックシールドとは大気を振動させることで攻撃を弾くいわば結界のようなモノだが、<〝q〟p.α.κ.>の場合は振動ではなく『大気を鉛直上向き方向に超音速で移動させる』ことであらゆる攻撃を跳ね返している。だから弾道が上方向に逸れるような軌道を取ったのだ。

 大気自体は電磁波を駆使して移動させているが、地面に対して垂直に動かし壁を一枚作るだけでは斜め方向からの攻撃に弱いし、電磁波で移動させた空気の行き着く終点のようなモノも必要になってくる。そのため<スフィアプライア>では、<〝q〟p.α.κ.>を覆うような全天球型の電磁波フィールドを形成している。あらゆる方向からの襲撃にも対応できる、まさに理想的なカタチだ。たった一点の死角を除いては。

 大気を動かすということは、移動させた後の排気口だとかはけ口も必要となる。これが無くては大気が頂点で衝突してしまうし、周囲の気圧が急激に変化してしまう。だから<〝q〟p.α.κ.>には、両肩に吸排気口が備えられている。ここから大気を取り込み地面へと排出することで、大気の循環を確立している。<スフィアプライア>発動時に肩の装甲が展開するのはこのためだ。

 ならばその循環に異物を巻き込ませればいいのでは、というのがコーベのアイデアである。

 大気を吸い込むポイントに限れば、銃弾が弾き返されることなく流れにそのまま巻き込まれる。そして<〝q〟p.α.κ.>肩部の中で爆発すれば吸排気系が壊れ吸気がストップし、<スフィアプライア>は成立しなくなってしまう。その隙を上手く突いてやれば、無敵の結界を突破することも可能なのだ。

 ただし今回コーベが犯した失敗は、左肩しか破壊できなかったことだ。まだ右肩が生き残っている以上、<スフィアプライア>は弱くなっているものの展開可能。レールガンのような弾速の効いた武装は効果があるだろうが、<ミクストミルメイス>で全ての射撃武装は弾切れになってしまった。イスクがモニタ上で掲げる『Empty』のサインボードが悲しさを物語っている。

 だから、次の武装が必要だ。

「イスク、この後もちゃんと大丈夫なんでしょーねっ?!」

《大丈夫ですサキにゃん、抜かりはありませんニャっ!》

「……来た、タイミングを合わせて二秒でキャッチして!」

「ウイも。毎度、無茶言うよね……イスク、今お願いっ!」

《投下しますね、コーベくんっ! 私の愛情、受け取って下さいニャ☆》

 ガスタービンエンジンの轟音と、<L<ove>R>のやかましいやりとりの後。今の今まで上空で待機していた輸送機から投げ出されたモノは、彼らの愛用する必殺兵装<ミルメドレー>だった。全ての武装をパージしてから、この臼を右手で掴み取る。そして両手で構えて、両端のドラムを素早く展開。輪切りにされたシフォンケーキのようなそれを、真っ直ぐアスタルへと向ける。殻をちゃんと壊せるように。

 トラスの翼を羽ばたかせて、プラズマのアシストを受けながら勢い良く着地。鳥趾が掴んだそのポイントは、<〝q〟p.α.κ.>の目と鼻の先。手が届いてしまいそうな距離で、けれどもまだ<スフィアプライア>で隔てられている。だからその壁を壊してやるため。

「<ミルメドレー>――<オーバーファイア>っ!」

 コーベが叫びドラムが回り、<T-T.A.C.>が<スフィアプライア>に臼をぶつける。重い衝突音と衝撃が周囲を支配し、それでも<L<ove>R>は攻撃を止めない。見た目には何も削っていないのに、熱と火花が飛び散るのが見える。そして、<ミルメドレー>のモーター音が唸りを上げた時――。

 東の空から陽が昇り、まばゆい曙光が死神を突き刺す。

 <スフィアプライア>が相殺されて、<〝q〟p.α.κ.>の右肩を<ミルメドレー>が食べた。

『舞われぇぇぇっ!』

 アスタルを守るモノは、もう何もない。展開していた口を閉じたシフォンケーキは、<T-T.A.C.>にコーヒーマドラーで押さえつけられながら、死神の肩を挽いて粉にしてゆく。

《コーベ、まさか……っ?!》

「無理矢理でゴメンね。力技で壁を突き破って、アスタルを殻から引きずり出しに来たよっ!」

 優しいコーベの言葉とは裏腹に、<〝q〟p.α.κ.>の右腕は肩からごっそりと喪失した。

 <スフィアプライア>のもう一つの破り方、これはとても単純だ。大気を鉛直上向きに動かしているのなら、その逆である下向きの力を加えてやればいい。そうすれば超音速は否応にも相殺されて、大気の循環も止まってしまう。

 <ミルメドレー>を用いることで、コーベ達はこれを成し遂げた。反時計回りにドラムを回すことで、<スフィアプライア>との接触点で鉛直下向きの力を発生させる。すれば無敵の結界を破ることに再度成功し、電磁波により壁が再構築される前にそのまま<ミルメドレー>を敵に押し付けることで発生装置も破壊してしまった。

 片腕となってしまった<〝q〟p.α.κ.>は、しかしこれでも折れてくれない。<T-T.A.C.>とゼロ距離の間合いであるこの瞬間、左手の爪を鋭く展開。まるで抱きかかえるようにしてそれをこちらに突き刺して、脇腹のダメージ箇所から更に内部を抉ってくる。核融合エンジンがもう一基緊急停止。

 <ミルメドレー>が<〝q〟p.α.κ.>の腰部を削り取って、上下半身を完全に分離させる。

死神の爪が<T-T.A.C.>の腹部を根こそぎ切断して、最後のエンジンを完全に停止させる。

《まだニャ……まだ、壊せるモノがあるっ!》

 アスタルがそう叫ぶと、背中の<テンスエクシーダ>が機体からパージされる。それらは<クオンクオート>のローリ部分と同じように『四肢』と『胴体』を形成し、人型のシルエットを現した。ぽっかりと空いていた『胸』のスペースには<〝q〟p.α.κ.>から分離した<プリウスα>が収まって、『頭』も他パーツのスケールに合わせる。最後に爪と尻尾だった<KLX250>を組み直し、右手に持って『鎌』とする。

 被害の無かった部分だけで、四メートル級の死神<p.α.κ.>が構成された。

「ちょっと、あの子あんな器用なダウンサイジングも出来るのっ?! 確かに旧型の<パストノッカ>じゃなくて、この新型の<クオンクオート>でも四メートル合体をやって見せたことは前にもあったけどさ……!」

「……それはこっちも同じ! 損傷は<グレイトレール>だけだから、三機の<α〝T-T.A.C.〟κ>は無事なはず……イスク、生きてるっ?!」

 ウイが焦りながら声を掛けるもやはりコンピュータにもダメージが回っているらしく、イスクのボイスは元気のないかすれたモノだった。

《まだ、回路は生きてますけど……もうそろそろ、持たなくて……私、ここでダメみたいですニャ。皆さん、お兄ちゃんを助けて――》

 <グレイトレール>のエンジンは死に、非常用のバッテリも容量が少ない。イスクが動作を停止してデータが消えてしまうのも、もう時間の問題だった。だからイスクは諦めかけたが、しかしコーベ達は決して見捨てない。

「イスク。僕に付いて行くって、捧げるって言ってくれたよね」

《たはは……ごめんなさい、約束、守れませんでした》

「そうでも無いみたいよ、ウイと私ならアナタに恩返しが出来ると思う」

「……<フィールダー>のコンピュータ、つまりイスクが<グレイトレール>に乗る前の古巣に移せば何とかなる」

 イスクがきょとんとしている間にも、彼女の引っ越し作業は二人の手により猛スピードで進行している。途中アスタルの攻撃は、コーベがトラスを巧みに操ることで回避。<L<ove>R>の三人が、彼女のことを助けようとしている。今まで三人の支えとなってくれたことへの、ささやかな恩返しとして。

「あと五パーセント――データ移動完了したわよ! イスク、戻って来た気分はどうかしら?」

《サキにゃん、ウイにゃん、コーベくん……! なんて、なんて言ったらいいか――》

「僕たちの好きなイスクが。ずっと一緒に居てくれれば、それだけで僕たちは嬉しいから」

《はい――イスク、皆さんにずっと付いて行きますニャっ!》

 今度は復活したとても元気な笑顔で、モニタ上の彼女がウインクで涙目を隠しながら敬礼してくれた。

「それじゃ仕切り直し――<オーバーファミリア>っ!」

 もぬけの殻となった<グレイトレール>から、<ティーダラティオ>、<スピードアクセラハイブリッド>、<カローラフィールダーハイブリッド>の三台が一斉に接続を解除して飛び出した。

 すぐに次なる合態へと移行する。<ラティオ>はボンネットを起こして『腹』に、ボディを分割して『脚』になる。<アクセラ>はフロントを『胸』としたまま、ボディを左右に展開して『腕』になる。そして<フィールダー>はリアを分割して『羽』を出し、エンジンルーム下から『頭』をせり出す。『下半身』、『上半身』、『背中』。それぞれのパーツが互いに接続し、鳥趾の『足』、手甲の『掌』、花弁の『頭』を華麗に展開。<ミルメドレー>を半分にして以前使っていた<ミルメイス>の形にしながら、決意が濁ることのない緑色の『瞳』を灯す。

『<T.A.C.>――コンプリーテドっ!』

 最後の合体が、これで完了した。

 すぐにアスタルへと目をやると、御影台の中心部へ向けて南下してゆくのが見えた。逃げたというよりは、タクとアルカの下へ自らのアイデンティティを求めに行ったように受け取れる。いくら鈍重な<p.α.κ.>といえども、全速力で走られてはこちらもやがて追いつけなくなることは目に見えていた。少しでも速く、相手に追いつかなければ。

《破壊する、すればご主人様は吾輩のことを喜んでくれる……きっとそのはず、そうですよね、ご主人様っ?!》

《お兄ちゃん、タクくんとアルカくんのところに行ったって答えは見つかりませんっ!》

 羽からプラズマの奔流を放出して、<T.A.C.>がブーストをかける。目標はもちろん<p.α.κ.>、体当たりをするように真っ直ぐ突進した。もう彼らを邪魔する<メックス>は居ない、後は全力を出し切るのみ。

 <p.α.κ.>が中央の水晶宮に到着したタイミングで、その死神の背中を<T.A.C.>がタックルした。大きく前に倒れたが、アスタルはそのまま機体を前転させて体勢を立て直す。そして振り返れば、両雄は御影台の中心で対峙した。

《<ディスタンスイグノアラ>――》

「<ミルメイス>――」

 アスタルとコーベの視線が、中央のモニュメント上で絡まる。

『<オーバーファイア>っ!』

 そして言葉をリリースすると、天使と死神が互いの武器を交錯させた。

 <p.α.κ.>の鎌が<ミルメイス>の持ち手を引っかけるが、先程の攻撃で爪の切れ味が落ちていたのか、刃こぼれを起こしていて切断は叶わなかった。だから狙いを早々に変更して、こちらの首筋に鎌を添える。対して<T.A.C.>は回転の反動をハイブリッドシステムで上手く回生しながら、相手をじわりじわりと食い潰してゆく。

 斬るのではなくこじ開けるように、<p.α.κ.>が<T.A.C.>の胸と腹を深く抉って傷付けてゆく。

 削るのではなく磨り潰すように、<T.A.C.>が<p.α.κ.>の右腕と右脚を深く擦って傷付けてゆく。

 <L<ove>R>がふと目線を地面に移すと、再びガラスのアーケードの下で傍観していたタクとアルカと目が合った。

 機体の受けたダメージは、どちらも甚大だった。片方はエンジンを失って、片方は脚を失って。二つの機体が、もつれ合うようにして倒れ込む。

 勝負は一瞬にして、両者損傷の引き分けとなり終わったかに見えた。

「いや。まだだよねっ、アスタルっ?!」

 彼の叫びに呼応するように、<p.α.κ.>から<プリウスα>が分離する。そして合態から車態となって、更に南方向へと逃げていった。それを追いかけるようにして、唯一ノーダメージに近い<カローラフィールダー>が<T.A.C.>から接続解除。同じく車態に戻って、強く蹴るようにアクセルを踏み込んだ。

《ここにタクくんとアルカくんが居るっていうのに、更に南へ走るってことなら……お兄ちゃんには、自分の直面してる問題からただ逃げてるだけって自覚があるはずですっ!》

《うるさいっ、もう吾輩のことは放っといてくれよぉっ!》

「見捨てない。絶対に追いつくよ、アスタルっ!」

 <プリウスα>が下っているのは、南のメインストリートである『三沢(さんさわ)通り』。下っていると言ってもそれは中心から離れているという意味で、勾配はかなり緩やかな上りだ。元々御影台はなるべく平坦な谷底平野を狙って建設されたので、この地に急坂はそれほど多くない。ここもせいぜい黒川の古い自然堤防があるくらいで、殆ど平坦なくらいにパーミルの低い上り坂だ。

 モーターのトルクを全て使いながら、そこを<フィールダー>が追走する。<プリウスα>よりもエンジンは十五馬力ほど、モーターは二〇馬力ほどパワー不足だが、例え上りといえど勾配が少なければそう大きくは影響しない。カタログスペックでも三〇〇キログラムほど軽く、しかも軽量化がなされている彼の<フィールダー>ならば加速で劣ることは無い。駆動方式も、両者同じフロント駆動。

《いい加減、自分から逃げるのは止めて下さいっ! ネコである自分を求めても、ご主人様の人形である自分を求めても、意味は無いんだって分かってるんでしょうっ?!》

《うるさい、うるさいっ! もう、赦して……っ!》

《嫌がるっていうのは、図星を突かれてるって証拠です!》

 三つ目の交差点で左折、<プリウスα>が環状路である『三丸(さんまる)通り』を反時計回りに進む。この通りはちょうど旧自然堤防上を走る、やや上り勾配のかかった道だ。<フィールダー>も同じ経路を通り追いかける。激しいブレーキングで回生をしながら、左へと曲がって通りに入る。

相手のルートが読めない以上、先回りのような小技は使えない。イスクをコ・ドライバーとして乗せているラリーのようだと、コーベは感じた。しかもペースノートの一つすら持ち合わせていない。ステアリングを緩く左に切りつつ、再びアクセルを大きく踏む。

《吾輩が電脳化されてご主人様に助けられたのは、ご主人様の役に立つのを期待されたためだっ! イスクもそうだろうっ?! 吾輩と同じように目的達成のために電脳化され、そして吾輩と戦うよう役割を与えられたっ!》

《そっ、そんなの――否定はできませんけど、でもだからって生きてる理由が片依存でいいんですかっ?!》

 コーベがヘッドライトのハイビームとロービームを切り替えて煽ると、アスタルはクルマを更に左折させて三丸通りを早々に抜ける。そして中心地へと北西に伸びる『下松(したまつ)通り』を上るので、その経路は上空から見ると八分の一にカットしたピザのようだ。<フィールダー>も、<プリウスα>と同じ交差点で曲がるようにしてブレーキを踏む。追いかける方はルートを完全に把握できるので、ブレーキングポイントをきっちりと見極められるのがアドバンテージだ。

 それはつまり同じハイブリッドカーでも、回生できたエネルギー量に差が出来ているということである。

 この先、下松通りはその名の通り下り坂だ。しかも三丸通りとの交差点をハイポイントにして、登った分を水晶宮まで一気に下る。従ってスピードがパワーではなくウェイトで決するようになり、この場合は三〇〇キロ以上も軽い<フィールダー>に分がある。しかも先述の通りこちらの方が<プリウスα>よりも回生エネルギーに満ちているため、モーター稼働時間をより長く取れる。だから結論として――。

「僕の<カローラ>の方が。そっちの<プリウス>よりも速いってことだよっ!」

 コーベがエンジンをトップの四八〇〇回転まで回す。そこにモーターの最大出力が加わり、搾り出されるパワーは一三五馬力。それが動かすのは一〇〇〇キロ弱の軽い車体であり、だからまるでジェットコースターのように<カローラフィールダーハイブリッド>が下松通りを駆け抜けていった。対する<G´s プリウスα>はいくらサスペンションが硬かろうと重いために、下りでは<フィールダー>よりももっさりとした加速に留まってしまう。

 <プリウスα>のバックドアが近付いて、段々と大きくなって見える。

 スリップストリームを使い切ってから、コーベがステアリングをわずかに傾けて左へとかわす。

 片側二車線を黒と橙がフロントバンパーを揃えながら、サイドバイサイドで突き進んでゆく。

 <フィールダー>が徐々にリードしていき、フェンダー一つ分、ドア二枚分、そして遂には<プリウスα>をオーバーテイクして見せる。

《お兄ちゃんという存在は――お兄ちゃんのことが大切なのは、お兄ちゃんだけじゃないって分かってっ!》

 イスクの悲痛な叫びがアスタルの心を抱き締めた時、その兄は<カローラフィールダーハイブリッド>の赤いテールライトを自らのカメラに焼き付けていた。

「止めて見せるよ! <オーバーロード>っ!」

 コーベがサイドブレーキを引いて、<フィールダー>を半回転させる。スキール音とタイヤのアスファルトに焦げ付く匂いを振り撒きながら、<α〝T-T.A.C.〟κ>を車態から人態へ変形させた。左手にバックドア型シールド、右手にアーミーナイフをプラスドライバで装備。対して<プリウスα>も変形するがワンテンポ遅れてしまい、武装を展開する前に<フィールダー>がシールドで地面に押し倒した。無理矢理固定されたアスタルはもがくも満足に動けず、こうしてコーベは黒猫の動きを封じることに成功した。

 周りを見渡すと、傷付いた他の<α〝T-T.A.C.〟κ>が転がっている。<グレイトレール>や<クオンクオート>の残骸だけならず、サキの<アクセラ>やウイの<ラティオ>もその場に倒れていた。その二人は既にシートから脱出していて、コーベ達のことを外から無言で見届けてくれている。経路が一周して、水晶宮に戻って来たということらしい。プラスドライバで<プリウスα>の駆動系を突き刺しながら、イスクがアスタルの混乱した精神に落ち着きを与える。

《イスク……吾輩のことが大切なのは吾輩だけじゃない、とはどういう……?》

《言葉の、通りです……! お兄ちゃんのことが好きなヒトは、お兄ちゃん以外にもいっぱい居るって……コーベくんやサキにゃんウイにゃん、それにタクくんとアルカくん……そして、妹の私。みんな、お兄ちゃんのことをちゃんと認めています》

《そんなこと……信じられないっ!》

《信じて下さい、お兄ちゃんを信じる私たちを頼ってっ!》

 右肩に左足、太腿に肘。メインコンピュータにダメージを与えないよう、サスペンションやシャシーを選んで<フィールダー>は壊してゆく。

《みんなお互いに信じて信じられて、そうやって初めて自分が何なのかが分かって来るんです……っ! 独りよがりに、自分のイメージする自分だけじゃ生きられない……お兄ちゃんがネコである自分や人形である自分を求めても、周りのみんなはそう見てくれないから無駄です! みんなはそんなお兄ちゃんらしくない部分じゃなくて、もっと自由奔放で厨二病な、そんないつものお兄ちゃんを認めているんです! だから、自分を見失わないで……っ!》

 息遣いが荒く、声の起伏も幅が広くなっている。機械音声であるはずなのに、彼女のボイスは湿り気を帯びていた。機体がズタボロになったからか、それともそんな妹に反応したからか、<G´s プリウスα>の動きは完全に停止してしまった。抵抗を止めたアスタルは、戸惑い果てた声で助けを求める。

《じゃあ、吾輩は……どんな自分で、居ればいい?》

《お兄ちゃんを想うみんなを――私を、愛して下さい。優しいお兄ちゃんで居てくれれば、私はそんなお兄ちゃんが好きだから……》

《イスクを、愛する……? 大切にする――》

 その言葉を残して、アスタルは一時の眠りについた。エンジンが悲鳴を上げていて、パフォーマンスが落ちてしまっていたらしい。だから完全に停止してしまう前に、スリープモードに入って消費電力を抑える必要があった。ちょうど人間で言うところの、気を失った状態に近い。意識はなりを潜めているが、だからと言って死んだ訳ではない。第一死んでしまったら、誰がイスクを愛するというのか。

《お兄ちゃん、おやすみなさい……》

「安心して。この戦いが終わったら、<プリウスα>も回収してアスタルを別のサーバに移してあげるから。そうしてから、イスクはアスタルの気持ちを返してあげて。お互いに、想いをキャッチボール出来るように」

《はい……ありがとうございます、コーベくん!》

 モニタに表示されたのは、泣き笑いをしたネコミミメイドだった。胸の鈴は今までの涙を引きずりつつも、安堵したような軽い音を奏でる。

「やっぱり。笑ってるイスクの方が、僕は好きだよ」

《じゃあ、これからもずっと私のことを笑わせてくれるんですか?》

 目に浮かべた雫を袖で拭きつつ、いたずらっぽくイスクが尋ねてくる。彼が持ち合わせているそれの答えは、たった一つだけ。シートベルトを外して、機体のシートから降りて外へと出る。深呼吸をしようとしたが、周囲に硝煙の匂いが立ち込めていたので止めておいた。

「イスクも。アスタルも。そしてサキとウイも。みんなを笑わせてあげたいから、僕は皆に幸せでいてほしいから。だから――」

 水晶宮をプリズムとして、朝陽が七色のスペクトルを示す。照らすのはコーベの横顔と、すぐ近くにいるサキとウイの姿。そしてあと二人。

「やって仕舞うよ。関係を、もう一度やり直すんだ」

「そのために……お前らは、ここまでやったのか」

「必要なことだから。二人にとって」

 コーベのそのセリフを聞いて、タクと一緒に水晶宮の上で立っているアルカが口角を吊り上げた。

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