第8話 Edition-Without Him


oveR-01


 十一月の半ばにもなると、小路もイチョウの落ち葉で山吹色に染まってくる。止根(とまりね)山脈から下りてくる空っ風に打たれながら、ウイはサキと一緒に本関大学のメインストリートを歩いていた。

「さ、寒い……どうしてこの国はこう、夏は暑いのに冬は寒いのよ?」

「……温暖湿潤気候帯だから?」

「ウイ、そーゆー堅めのボケは求めてない」

 サキがやや呆れた口調で返す。そんな他愛の無い会話を二人で繰り広げている最中、ウイは道角に一枚の看板を見つけた。

「……学祭、今年は月末なんだ」

「そっか、去年はもっと早かったっけ」

 本関大学の文化祭は、例年ならば十一月の頭に開催される。しかし今年は祝日の都合なのか、今月末に開催されることになっていた。

 ふと周りを見渡せば、資材のベニヤを運ぶ学生たちがちらほらと見受けられる。テントの下でスニッカーズ片手に学祭ライブのチケットを販売する者も居れば、ラッパの音を外しながらもヴィヴァルディの『秋』の猛練習を重ねる者も居た。

「ちょっと待って、このラッパ吹いてる人は絶対に学祭まで完成は間に合わないでしょ」

「……まぁ、オーケストラだったら一人のミスくらいバレないし」

「こらこら、そんなこと言わないの」

 彼女に軽く頬をつねられたが、痛さはあまり感じない。最近、サキのスキンシップが増えた気がするのは気のせいだろうか。

 そんな時、ウイはあることを思い付いた。

「……ねぇサキ、一緒に学祭回らない?」

「ふぇ……えっ?」

 思考の繋がっていない気の抜けた返事をされたので、彼女はサキの目を見ながら首を傾げてもう一押しした。

「……ダメ?」

 その言葉を受けてサキは嬉しそうな顔をして、『こんなに可愛い娘を拝めたのだからもう息絶えても悔いは無い』とでも言いたげな涙をジワリと浮かべた。普段通りのナチュラルショートに空色の眼鏡、それに今日下ろしたての赤チェックマフラーを加えると、どうやら彼女に対して効果は抜群らしい。

「もちろん、お供しますとも!」

「……集団自殺する武士みたい」

「いや、それを言うなら特攻か割腹じゃない? これも違うかな……?」

 とりあえず彼女とのアポイントもゲットできたので、ウイは自然と微笑む。それをのぞき込んで、サキの方も柔らかい表情を浮かべた。

「……どうしたの?」

「可愛くなったな~、って思って。ちょっと前のウイだったら私のことも誘わないし、そんな風には笑わなかったから」

「……コーベみたいなこと言うね」

「そうかな?」

 彼女にこんなことを言われるのは、ウイにとって意外だった。自分が変わったなんて思ってもいないし、ましてや可愛くなったとは。

「……優先順位、付けなくなったからかも」

「私と、コーベのこと?」

 サキのアシストに首肯で応える。

「……うん。サキのこともコーベのことも、同じくらいに好きになったから。だからどっちかに偏らないで、二人の両方ともに同じくらいの気持ちで接してるんだと思う」

 コーベのことは好きだけれども、サキのことも同じくらいに好き。そう思えるようになって、相手に気兼ねすることも無くなった。ウイとサキの想いが互いに通じ合っていれば、それが幸せであることが分かったから。

 話し込んでいる内に、すっかり手が冷えてしまった。手袋はまだ下ろしていないので、ここまではカバーできなかった。

「どこか、お店でも寄ってこっか?」

「……ドーナツが食べたい気分」

「じゃ、駅前で食べてこっか。確かセールやってるのよね」

 学祭前の慌ただしい雰囲気の中、ウイとサキの二人だけはゆっくりと進んでいた。


 学祭一日目は、気持ちいいくらいに秋晴れだった。

「ねぇねぇ、あっちに関西風焼きそばがあるよ!」

「……普通の焼きそばと何が違うの?」

「多分、店の背負ってる『関西風』のプライド……かな」

 適当なことを吹かしながら、ウイとサキは出店を満喫していた。こう二人で楽しんでいるところだけを切り取ると、彼女たちはごく一般的な女子大生である。記憶喪失を理由に自我があまり確立できていないコミュ障には、とてもでは無いが見えなかった。

 先ほど買った綿あめを、ウイは一口ぱくついた。それを見ていたサキは、無許可に隣からついばむ。そしていたずらっ子のように、彼女に向けてはにかんで見せた。ミディアムボブと赤いヘアゴムは、彼女にとても似合っている。

「……お腹空いてたの?」

「ウイって、偶にボケなのか天然なのか微妙な発言するわよね……そーゆーのじゃなくて、私はその……」

 サキが言葉に詰まっている。照れているのか、顔がわずかに上気していた。

「ウイにちょっかい出したかったって言うか、ウイと一緒のモノを食べたかったって言うか……何だろ、どう言葉にすればいいのか分からないっ! ウイ、お願いだから察して!」

「……いや、察してって言われても」

 正直、それは無理難題である。ただでさえ彼女の行動が突拍子の無いモノだったというのに、加えて謎かけみたいな感情吐露をされてしまっては余計混乱する。ウイは少し思考を巡らせた。

 そう言えば、サキは『他人に自分の気持ちを分かってもらいたい』って言ってたっけ。

「……私、悪い思いはしてないけど。むしろ、ちょっとだけ嬉しいかな」

 彼女が自らの素直な気持ちを伝えたら、どうやらこれで良かったらしい。サキが感無量の一言を投げかけてきた。

「ねぇウイ、揉んでいい?」

「……サキって、そんなキャラだったっけ」

「流石に冗談だって……だからそんな怖い目つきはやめてってば」

 サキが冷や汗を流していた。ウイとしては、別に睨んだつもりは無かったのだが。どれだけの悪気でいっぱいだったことやら。

「……私に心を開いてる、ってことだよね」

「ふぇ、どしたの?」

「さっきの言葉、『察して』ってやつ」

 ウイのその問いに答えるように、彼女はとろける甘みの笑顔を浮かべた。やはり正解だったのだろう。

「そうね……そういうことなのかも。ウイ以外には、私も今みたいなことしないし」

 先程率直に自分の感じたことをサキに伝えたのは、何となく互いが同じ気持ちになっていると思ったからだ。同じ時間を共有して、同じ綿あめを共有して、同じ甘さを共有する。二人とも、今この時が幸せでならない。

 ウイはサキのことが好きで、サキはウイのことが好き。

 二人ともこう想うことで、友達として付き合っている。しかしそれ以前――具体的には一月前――は、自らの勝手な都合を押し付け合っているだけの関係だった。ウイは自分へとサキの視線を独占させたくて、サキは自分のことをウイに分かってもらいたい。

 そうして、それぞれの抱くコーベへの慕情がぶつかり合った。

「……そう言えば、コーベはどこに行ったんだろ?」

「あの植物、誘っても『用事がある』の一点張りだったもんね~……探してみれば、イスクもアルカも留守だし」

「……じゃあ、三人で仲良くドライブとか?」

「想像したくないわよ、その絵面……」

 植物に下ネコ、そしてイカレ科学者。サキの呟き通り、それが実現していたら大変なことになりそうだ。

 コーベに対する恋愛感情は、それぞれが似ているようで違う。ウイは彼に自分を見ていてほしくて、サキは彼に自分を理解してほしい。だがこの想いを抱いていてはウイとサキが衝突して、脆い友人関係が崩壊してしまう。だから二人とも、コーベへの気持ちを無理に棄てようとした。

 それを正してくれたのもまた、コーベだった。

「コーベが、私に心を開かせてくれたんだよね。ウイに対して」

「……コーベのお蔭で、今のサキと私が居る」

「ホント、何かの皮肉よね。三角関係の中心人物が、両端の私たちをくっつけさせて関係を安定させるなんて」

 二人して溜め息をつく。恋愛競争という四字熟語は、コーベの前では意味をなさないらしい。

 普段からウイとサキに対して『好き』の単語を振りまく彼にとって、仲が良いということは『互いが互いを好きである』ということだと言う。だから二人の衝突を落ち着かせて再び友達同士にさせるため、コーベはウイとサキがそれぞれを好きになるよう補助した。

 こうして彼によって、ウイはサキの幸せを願い、サキはウイの幸せを願っているという想いを引き出された。決して重なり合うことの無い、すれ違いの願い事。

「……でも、私とサキがこうして笑い合ってるのは嘘じゃないよ?」

「そうね、ウイの言う通り。コーベがあぁしてくれたから、私たちが幸せでいられる」

 ウイはコーベのことが好きで、サキはコーベのことが好き。

 そして同時に、ウイとサキは互いのことを好きだと感じている。

 結局、この関係が一番幸せなのだ。

「それにしても、本当にコーベは何してるんでしょうね? 私たちを放っといて……すっごく気になる」

「……さぁ、私たちの知ったことでも無いから」

 そんな呑気な会話を繰り広げていると、またサキがウイの綿あめを一口ぱくついた。


「ほらよ、お前も食うだろ?」

「ありがと。アルカの奢(おご)りだよね?」

「だから、お前ら大学生はどーして俺ら教授職に奢ってもらうことしか考えてねーんだよ……」

 関市よりも南にある、真沢(まざわ)サービスエリアにて。学祭の一日目だと言うのに、コーベとアルカはどうしてかこんな辺鄙(へんぴ)なところまで来ていた。ただし最終目的地自体はもう少し先にあって、ただエッソで愛車の<フィールダー>のガスを補充したかっただけだ。こんな調子で道草を食っているが。

「フランクフルトだね。そっか、そういえば……」

「そうだぜコーベ、ここはクリスタル豚だとかヘンテコなネーミングのブランド豚の産地だからな。おまけに地ビールまで作ってるから、俺はもうここをドイツの植民地と称しても良いと思う」

「はは……アルカ。そこまで言わなくても」

 乾いた笑いを浮かべながら、彼はアルカからそのフランクフルトを一本受け取った。試しに一口ぱくついてみると、瞬時に濃厚な肉汁が口の中を淘汰する。ケチャップもマスタードも必要無いくらいに、このソーセージには味があった。

《ご主人様が自分のフランクフルトをコーベくんのおクチの中に……あぁ、先端から透明ニャ汁がいっぱい溢れてきて……ニャニャニャ☆》

「おい黙ってろそこの下ネコ」

 コーベのケータイをジャックして、イスクが唐突に汚いボケをかましてきた。当人は手を胸の前で組み目を閉じて、勝手に妄想の世界に浸っている。

「んっ……アルカ、おいしかったよ」

「お前までこのボケに乗るなよ、コーベ」

 そう彼のことを小突きつつ、アルカも自分の分を完食した。これで一休みを終え、二人はコーベの<カローラフィールダー>に乗り込む。しかし、運転をするのはコーベでは無くてアルカだ。

「珍しいよね。アルカが自分から運転したいって申し出るの」

「偶には、な。自分のチューンした<α〝T-T.A.C.〟κ>に乗っておきたかったし、それにお前にだけ苦労させるのも何か違うと思った」

「僕だけが苦労してる。ねぇ……」

 その言葉の意味を考えつつ、コーベは初めての助手席で感じる愛車のトルクに身を委ねた。


oveR-02


 時刻はおおよそ午後の二時。昼食も摂り終わって一息ついていたウイとサキだったが、後ろから突然声を掛けられた。

「お~、佐浦さんじゃない? 久し振りだね」

 その人は彼女たちよりも少し年上の女子大生で、ウイの知らない人だった。どこにでも居そうな茶色のエアウェーブに、どこにでも居そうなベージュのコート。化粧は無駄に濃くて、スカートの丈も無駄に短い。

それでいて大して女性としての魅力を発揮できていないのだから、一種の奇跡だとウイは思う。典型的な量産型女子大生、そんな感じの人だった。サキの名前を呼んだということは、彼女の知り合いなのだろうか。

「え……っと、久し振りですね~」

 わずかにたどたどしい声で、サキが笑顔を浮かべながら応対する。彼女のことをあまり知らない人にならば通用するだろうが、ウイの目は誤魔化せない。このサキは、反射的に作り笑いを浮かべている。

「最近サークルに顔出してないけど、どうしちゃったの?」

「いや、ちょっとゼミの方が忙しくて……新井教授のゼミに入ろうって考えててちょくちょく通ってるんですけど、やってることが色々とハードで……」

 嘘だ。ウイはすぐに見抜いた。この知らない女子大生相手に、サキは本心から接していない。例えばウイに見せるような、あの幸せそうな笑顔を浮かべていない。つい今までは、あんなに笑っていたのに。

「そっか~、それじゃあ仕方が無いよね。私たちはいつでも活動してるから、暇になったら遊びに来てね。それじゃあ!」

「はい、その時はよろしくお願いしますね~」

 へこへこと頭を下げながら、サキがその女子大生を見送った。高いヒールを履いているからなのか、とても歩きづらそうに去っていく。見えなくなるくらいに遠ざかって、ようやくサキは警戒を解いた。

「……さっきの人、誰?」

「私が幽霊やってるサークルの、いっこ上の先輩。顔覚えられちゃってるみたいで、たまに学内でも会うのよ」

 そう告げる彼女は、無表情だった。つまらない一仕事をようやく終えたような、或いは自らの感情を意図的に殺した顔。

「……サキ、全然楽しそうじゃ無かったね」

 気が付けば、ウイはこう口走っていた。こちらもつまらなさそうな表情を浮かべながら。楽しそうにしていないサキを見ても、彼女は全然楽しくない。

「そう……ウイには、そう見えたの?」

 尋ねてくるサキの声色は、やや険悪なモノだった。少し苛立ちを覚えた、自分の仕事を否定されて機嫌を損ねた調子。ウイは一度頷いて返し、続けて思ったことを素直に述べた。

「サキ、あの人の口元を見ながら喋ってた」

 目を瞠(みは)って驚かれた。サキにとってそれは図星だったのか、ウイに指摘されたことがショックだったのか。

「……普通の人が見たら、サキが相手の顔を見てたように映るんだと思う。けど私には、相手の言葉に対して慎重になってるように見えた。喋るスピードとか、声の抑揚の付け方が少し大袈裟だったし。それに顔は笑っているのに、肩から下はちっとも動いてなかった」

 別段、ウイに抜群の観察眼がある訳では無い。大好きな友達の有様を、ただ淡々と述べているだけだ。サキとの関係が希薄な人を騙すことは容易いが、ウイにはそんなモノなんて通用しない。トドメの言葉で畳み掛ける。

「……サキ、楽しくないお芝居をしてるみたいだった」

 彼女の作り笑いはとても上手く、だから演技は一級品だ。一般人はまず騙されて、サキの芝居を本心だと信じる。けれどもウイにはそれがただの演技、それも無理にやっているモノにしか思えなくて、だから眺めていてつまらなくなる。

 ウイのそれを聞いた途端、サキは彼女のことを珍しく睨みつけた。低い、自分の愛娘を怒るような声で。

「どうして、ウイはそんなことを言うの」

 サキにこうされたのは、初めてだった。大きな喧嘩をしたことはあるが、その時だってこんなトーンは使っていない。ウイは責められているようで、少しだけ恐怖を覚えた。

 いくらつまらないからと言っても、何も彼女にそのことを伝える必要は存在しない。けれどもどうしてか、ウイは指摘してしまった。特に考えも無く反射的にやったことなので口にした理由など持っていないが、少し考えてみれば答えはすぐに見つかった。

怖がらなくていい。素直な気持ちを、同様にぶつけるだけでいい。さっきやったみたいに。だって、相手は友達なのだから。

 サキの瞳を、凝視しながら。

「……サキのこと、もっと分かりたい」

 耳にして瞬時、サキはウイに身体を預けた。肩を抱くと、彼女の力が完全に抜け切っていることを感じる。

 サキは、他人に自分を理解してほしいと思っている。傷ついて来た自分のことを、理解してほしいと思っている。だから彼女の心を覗き見てくれたコーベに惚れたし、ウイにもこのことを強要していた。

 二人の関係が一度壊れかけた理由の一つに、ウイがサキのこの気持ちを否定したことがある。だから関係がもう壊れないように、ウイも彼女を受け入れようと、内心でずっと思っていた。サキのことを、少しでも分かってあげたいと。

「ゴメン……私、バカだった」

「いいよ、サキ。アナタのことを傷つけたのに、変わりないから……私も謝る」

 サキが怒っていた理由は、きっと自分が否定されたと錯覚したからだろう。関係の薄い知り合いといかにストレスフリーに接せるか、彼女なりの処世術が今しがたの演技だ。そのことを形だけでも批判したウイは、つまりサキが今まで積み上げてきたモノを壊したに等しい。

 けれど、ウイにそんなつもりは微塵も無い。サキのことを、もっと知りたかった。楽しくなさそうにしているサキのことを、分かってあげたかった。

「……とりあえず、場所変えよっか?」

 ただでさえ普段から人通りの多いメインストリート、加えて今日は文化祭で出店がここに集中している。だから、ここはより人目に付く。

 サキを落ち着いて泣かせてあげたくて、ウイは彼女をとりあえず屋内へと手引きした。


「着いたぞ、ここが目的地だ」

 アルカが<フィールダー>を駐車したのは、関市より五〇キロメートル南にある『中畑湖(なかはたこ)ファミリー牧場』だった。今日は休日なので客は多い方なのだろうが、アクセスの悪さのせいもあってかそれでも閑散としている。

「男二人で。こんなところ……」

「別にいいだろ、そんなん気にしなくても。俺らの心が落ち着きゃな」

 アルカはそう言うが、コーベとしてはどうも落ち着かない。周りを見渡しても、親子連れかカップルばかりだ。完全に、彼らは場違いである。

《見てくださいニャ、あそこのオジサンと女の子! あれ絶対に援交ですって!》

「いや、どっからどー見てもただの幸せそうな親子だろ……一体どんな思考回路してんだよ下ネコ」

「でも。アルカだよね、その下ネコ作ったの」

 そんなイスクの戯言に付き合いつつ、二人と一匹は受付の女性に入場料を支払った。

《ご主人様って、こんニャ感じのホルスタインみたいニャニャいすばでーのおねぃさんが好みだったりしませんか?》

「あ、この音声プログラムは無視していいので~」

 優しい新井教授モードを駆使して、アルカがイスクのセクハラを軽く流す。そしてギロリと彼に睨まれたので、コーベは彼女にハッキングされていたケータイのスピーカーを完全に切った。

 中畑湖は数本の河が合流する、言わば河川のジャンクションだ。その中には、関市を縦断する一流川も含まれている。

元々湖があった場所に河川が接続して現在の姿になったらしいが、どうしてここに湖があるのかは議論が繰り広げられている。有力な説では、遥か昔の寒冷期に形成された氷河湖だとか。

しかし火山の噴火により形成されたと考える学者も居る。それは湖の外周をなぞるように、火山灰層が分布しているからだ。そのため土壌のミネラル分が豊富であり牧畜や畑作に適していて、例のクリスタル豚などの銘柄品種が盛んに生産されている。

「牧場ってよりは。畑って言った方がしっくり来ると思うんだけどな」

「牧草やクローバーだけに飽き足らず、ジャガイモまで作ってるからな……さっきの真沢SAだってこの湖の北側すぐにある訳だし、やっぱ俺もうここはゲルマン湖って名前でいいと思うんだ」

《ご主人様、そんニャ卑猥なワードを口にしてはいけませんニャっ!》

「てめーどっから湧いて来たっ?!」

 慌ててアルカが自らのケータイを確認すると、イスクは音の出ないコーベのケータイからそっちの方へと移っていた。流石に二人共のケータイの電源を切っては緊急時に対応できないので、彼らはしょうがなくイスクを野放しにすることに決めた。

「ったく……まぁいい。んなことよか、わざわざこんな辺鄙な土地まで来た理由だ。実はな、コーベに訊いときたいことがある」

「どうしたの?」

 次にアルカが口にしたのは、とある人物の名前だった。

「タク――手塚拓のことを、知っているか?」

 最初にその人のことをあだ名で呼んでから、フルネームを提示してきた。手塚拓。コーベには聞き覚えが無いが、けれどもどこか懐かしい気分になる。

 サキやウイと初めて出逢った時と同じ、親しみに近い感情の何か。

「どうだろう……憶えてない」

 反射的に、コーベはそう答えてしまった。アルカは嬉しいような淋しいような、とても微妙な言葉で反応してくる。

「そうか……憶えてない、か。分かった、この件はそれだけで十分だ」

「僕の記憶喪失と。何か関係があるのかもしれない」

「そうかもな、そうなのかもしれないぜ」

 こちらの目を見ずに、アルカは素っ気なく言った。


oveR-03


 工学部講義棟三階の階段に、覇気を失ってしょんぼりしたサキが座っている。そんな彼女に先程出店で買ってきたコーンポタージュを手渡し、ウイはすぐ右隣に腰を下ろした。周囲に人影は無い。

「……落ち着いた?」

「うん……ありがと。少なくとも、さっきよりは」

 いただきます、と囁くように呟いて、サキが菜の花の色をしたポタージュを飲む。同じくウイも自らの分を口に含むと、とろけそうな甘さが流れ込んできた。

「ゴメンね、ウイ。私、何をやっても自分勝手で」

「……そんなことないよ。サキが私に強く当たったのは、誰でもそうすると思う」

 むしろ怒られて当然のことをしたのだから、そう何回も謝られることにウイは違和感を覚える。けれどもサキにとって、彼女のとってしまった行動は謝罪してもしきれないのだろう。ちょっとでも弱ると自分のことを相手よりもすぐ下に見る、そんな彼女の悪い癖をウイは知っていた。

 もう一口コーンポタージュを飲むと、サキの方から話を切り出してきた。

「ねぇ、ウイ。私の話を、アナタに聞いてほしい」

「……うん、分かった。私は、サキの隣に居るよ」

 ウイは視線を、窓の外に広がる秋晴れに移す。サキの方を向かないのは、どうせ泣き顔だろうから。そんな表情を見られるのも、サキにとっては恥ずかしいだろう。

「私ね、本当はこことは違う大学に行きたかったの。もっと頭の良い、私立のところ。受験には落ちちゃって、結果ここに入学したんだけど……一歩届かずって感じだったから、浪人すればきっと入れた」

「……じゃあ、どうして本関大に?」

「親がね、反対したの。浪人は絶対にダメだ、って」

 空は彼女の眼鏡のフレームと同じ色なので、空を見るとフレームが消えてまるで裸眼のように見える。とてもクリアだったけれども、隣のサキが見ている景色は多分滲んでいるモノだ。辛かったことを辛い気持ちで、今伝えている。

「世間の目とか、よく気にする両親でね。何かあの人たちの中では、浪人はニートと同じ扱いみたい。だから、総じて世間からの受けも良い国立大に行きなさいって。浪人してもっと良い大学に行けば、もっと見栄も張れるのにね。目先のことしか見えてないんだよ」

「……サキのこと、サキの気持ちとか、お父さんとお母さんは全く考えてないの?」

 言葉は、すぐに返って来た。

「――私のことを体裁で愛してるんだよ、あの人たち」

 隣の方から、息の詰まった声を聞く。実在しない何かにとらわれて、本人それ自体のことを微塵も考慮していない。そんなモノが『愛』であっていいのだろうか、とウイは薄ら寒さを覚えた。吐き気さえも催してしまいそうな、最低な偽善の押し付け。

「あの人たち、多分私のことは責任を取ろうって考えてるんだと思う。子供を捨てたら世間様から非難轟々だから、出来たモノはしょうがないから育ててやろうって。そうでもしないと、愛情ってここまで失敗しないよね。しかもその子供がこんな人間だから、育てるのだって失敗してる」

「……そこまで、自分のことをひどく言わなくても」

「ううん。私はあの愛情の結果である自分を責めることで、あの人たちを攻撃できるの。……いや、それしか出来ない」

きっと今までに何度も、彼女はこれに苦しめられて泣いて来た。ウイの感じた比では無い、これが直にのしかかってくる。ただ勘違いの愛情を向けられているだけではなく、サキは本来の『愛情』というモノを知らないのだ。

「そんな両親だからね、本心で接したくなかった。この人たちに自分を汚されたくないって思って、自分の感情を隠すことにしたの。本当の私を隔離するための領域――私は『お姫様の部屋』って呼んでるんだけど、それを頭の中に作って、無垢な自分はそこに永遠に閉じ込めた。それに加えて、私が反抗するとあの人たちは怒るから、私の意見だとか意志だとかもその部屋に押し込んだ。そしたら、自分を取り繕うのが上手くなった」

 ――哀しみの産物だよね。

そう呟くサキの言葉を、ウイは拾った。下らない偽善に育てられ、下らない感情処理を覚え、そして下らない人間関係を渡る。先程の女子大生に対する接し方はまさしく下らない処世術で、だけれどもサキはそれを頼りにするしか無い。

「空っぽなのよ、佐浦紗姫って。親からは中身の無い愛情だけを押し込まれて、自分の感情は辛うじて自分を守るために閉じ込めては自殺させちゃって。残ってるのは、さっきみたいに上手な作り笑いの作り方だけ」

 涙と同時に、次々とセリフが頭から流れている。もう言葉を選ぶことも止めて、サキは思ったことをそのまま口にしていた。

「そりゃ、自分のことなんて見失うなって言う方が無茶よね。……誰もね、私のことなんて求めてない。だから私は、いつも簡単に自分のことを棄てちゃうのよ。自己犠牲に走って、自分よりも他人のことを優先する。周りからは『優しいね』って言われるけど、本当はそんなんじゃ無い。私が居ても居なくても、誰も何も悲しまない――」

 もう耐えられなくなって、ウイは彼女を強く抱き締めた。

「止めて、サキはそんなに悪い子じゃ無いよ……っ!」

 驚いたサキが、言葉に栓をする。ガラスのような彼女の身体を、ウイは壊してしまいそうなくらいに強く抱く。そしてガラスの心さえも、ウイは温めたいと思った。

「私の知ってるサキは、私のことをちゃんと見てくれた……私のことを気にかけてくれるし、私のことを好きだって言ってくれたよ。だからサキは空っぽなんかじゃ無くて、サキの中には私が居るから……っ!」

 か細くて、涙もろくて、けれども好きな相手を大切にする声。ウイの発したこれを受けて、サキは彼女のことをゆっくりと抱き返した。周りには誰も存在しない、たった二人だけの時間。

「ウイ……そうだよね、私の中にはウイが居る。それにコーベも居るし、だから私は独りじゃ無いんだ。どれだけ私が求められなくなっても、アナタはずっと私の中に居る」

 左肩に、サキの涙が温もりをくれる。ウイのことを想う雫。彼女のそれだって、ウイにとっては十分優しいモノだった。

「大丈夫。ウイのためにも、私はまだ隣に居続けたい」

 左の袖で目元を拭って、サキがウイを解放して言った。彼女の瞳には、揺るぎない生気が灯っている。

 ウイは、一つだけの首肯で答えてみせた。

「……私もね、サキの気持ちが少しだけど分かる。お父さんとお母さんは、私と会話してくれない人だから」

「それって、喧嘩してるってこと? それとも……」

「……娘の育て方が分からない、ってことだと思う。でもサキの状況ほど酷くは無くて、子供への接し方が分からないってだけみたい。不器用で……だからかな、私もあんまり喋るのが上手じゃ無いのは」

 他人にこの話をするのはウイにとってかなり心苦しかったが、相手がサキならば我慢が出来る。彼女の環境を伝えてくれたことへの『お返し』でもあるが、それ以上に自分のことをサキに知ってもらいたかった。

「……親のことが嫌いなのはサキだけじゃ無くて、私も同じだよ。学校のことも、クラスメイトのことも訊いてくれない。きっとお父さんお母さんなりに私のことを愛そうとは思ってるんだろうけど、でもどうしていいのか分からなくて何も出来ないから全然伝わってこない」

「そう……そっか。じゃあ同じだね、私たち」

 小さく微笑みながら、サキはウイの輪郭を撫でてくれた。こうされるのは初めてで、思えばサキの手の温もりを感じたのも多分初めてだ。

 いつからか床に置いていたコーンポタージュのように、甘くまろやかでほのかに暖かい。

「……うん。サキと、一緒だね」

 自然と笑みが零れたことを、ウイは強く感じ取った。


oveR-04


 中畑湖岸には、霧が立ち込めている。遠くを見渡せない中、アルカが適当な石を拾っては水面に投げ入れた。二、三度だけ弾んで、そして見えなくなり深く沈む。

「さて、コーベよぉ。俺が今投げた石ころは、もう永遠に浮かび上がってこない。そうだろ?」

「そうだけど。でも、水流に乗って動き回ることは出来るよ」

 彼の質問の意図を考慮せず、コーベは思うがままに言葉を返した。アルカが話を引き伸ばす。

「でもよ、それって流れに『乗せられてる』だけだ。あの石は、自分からは動けない」

「どんな水流に乗せるかは。それを決めるのは、石じゃなくてアルカだ」

 運命というモノがあるのなら、人はそれに決して逆らえない。ただ流されるだけだが、どんな運命にするかを決めるのは超人的存在――今の石ころで喩えるところ、好きな場所へ投げるアルカだ。

 コーベのそんな意見を聞いて、アルカはどうしてか肩を落としてはげんなりとした。

「たまに思うんだが……お前がユニークなのは良いんだけどな、俺の考えていることに対してドンピシャすぎてちぃと怖い。コーベ、お前本当は何もかもお見通しなんだろ?」

「そんなこと。無いと思うけど……」

 彼の口にした内容が、コーベには全く理解できない。現実なんて目の前の霧みたいに不鮮明だし、ましてやコーベがどのような流れに乗せられているのかだなんて想像も付かない。

「でもなぁ、そうか……分かったよコーベ、お前の言うことには一理どころか百理ある。決めるのは俺だもんな、やっぱお前には話しとこうと思う」

 加えて、アルカが奇妙なことを言ってきた。

「どういうこと? やっぱり、僕にはさっぱりだけど」

《コーベくん、とりあえずご主人様と突き合って……はニャし(話)に付き合ってあげて下さいニャ!》

「おい何だ今の言い直し」

 イスクはいつもの調子だからスルーするとして。遠くの方、見えない湖の対岸に目をやりながらアルカが口を開いた。

「コーベ、お前はサキとウイのどっちが好きだ?」

「どっちも。というか、いきなりどうしたの」

「いや、ただの前置きだ。にしても、お前はどうしていっつも二者択一が出来ねぇんよ?」

 自らの頭を軽く押さえる彼に対して、コーベは答えあぐねてしまった。そんなこと、今まで尋ねられたことも無ければ考えたことすら無い。十秒ほど思考を巡らせて、ようやく返事がまとまった。

「僕にとっては。他人は皆、『好きな人』か『嫌いな人』かのどちらかなんだ」

「えらく極端な二元論だこと」

「そうだね。で、このことから言えるのは――残酷だけど、好きな人に対しては『好き』っていうたった一つの感情しか抱けない。バリエーションが無いんだ」

 コーベにとって、人間は二種類に分類できる。彼の好きな人か、それとも彼の嫌いな人。つまり、彼にとって『普通』と感じられる人が居ないのだ。余程のことが無い限り、初対面の相手でさえ好きな人のカテゴリに入る。

言い換えてみれば、コーベにとっての好きな人とは一般人にとっての『普通』の人である。だから優劣が付けられない。

「成程なぁ……『普通』の人も好きな人とカウントする代わり、好感を持つだけで頭打ちってか。一般人が『普通』の人にそうしないのと同様、お前はサキやウイみたいな『好きな人』に対して恋愛感情を抱かない。案外ドライなんだな、お前」

「確かにドライかも。サキとウイのこと、守りたいって思うだけでそれ以上は踏み込めないし。かなり語弊があるけど、僕は……優先順位を考える程まで、サキとウイのことを愛してはいない」

 コーベにとって、『好き』と『愛している』の間には天と地ほどの溝が存在する。方やその人のために頑張れるがただそれだけの感情、方やその人にとっての自分ただ一人でありたいと思う感情。前者は今まで多くの人に対して抱いて来たので他人から優しい人だと評価されがちだが、しかし後者は未だ誰に対しても馳せていないので他人からの求心力に欠ける。

《それ、サキにゃんやウイにゃんが聞いちゃったらショックで寝込んじゃうんじゃニャいですか?》

「だから言わないんだよ。好きな人を、悲しませないために」

「けどその二人はあくまでも友達で、それ以上の関係では無いってか……善意が人を殺すって言葉、こういうことだったんだな」

「殺してるの?」

「報われない恋、って考えるとな」

 もう一度、アルカが湖に石を投げる。二人して、視線でその石を追った。霧に消えても、目を凝らして見ようとする。今度はどんな流れに乗ったのだろう。

「二人の気持ち、気付いてるんだろ?」

「答えを出していないところ。かな」

「そうかい……じゃあ、ヒントをくれてやる。事の顛末がどう転ぶかは、神のみぞ知るって感じだがな」

 彼の笑みが、少し淋しかった。それを受け止めて、コーベが素直なセリフを口にする。

「神様って。アルカじゃないの?」

「お前、その言葉は本当に考え無しで出してるのか……?」

「ヒントを出す人は。大体のことを知ってる立場だから、それは神様に近いと思う」

「成程……本当に全知全能の神だったら、俺も気楽に生きてられたんだろうがな。まぁいい、本題に入るぞ」

 言葉が頭に引っかかったが、コーベは彼をそっとしておいてやる。眼差しはそのまま霧に向けられ、アルカが静かに語り始めた。

「ある時、五人の子供たちが居た。そいつらはとても仲良しでな、何をするにも一緒だった。うち二人はまだ比較的無垢な子供で、うち二人は頭脳のずば抜けたマセガキで、その四人をたった一人が繋ぎ止めていた」

 単語の一つ一つが、やはり含みを持っていた。ある程度の予想を立てつつ、コーベはアルカに耳を傾ける。

「やがて彼らは小学校を卒業することになって、引っ越しやら留学やらで、進路はバラバラになる。仲良しグループも解散だ。けどな、それまでずっと一緒だったんだ。こんなのに対しハイそうですかって簡単に頷ける訳も無く……マセガキの片方が、関係の自然消滅をひどく嫌った。だからこう考えたんだ――親だとか大人の事情だとかよく分からないしがらみに踏みつぶされるなら、いっそのこと自分で壊そうか、ってな」

「それで。その子は、何をしたの?」

 尋ねるとアルカが無茶に口角を上げ、瞳の光が過去の悲劇を照らした。

「グループのうち数人、わざと記憶喪失にさせた」

 記憶喪失。そのワードに、コーベは驚きを隠せない。彼を形成する最大の要素で、同じ記憶喪失仲間のサキやウイと友達になれた一番の理由で、恐らくコーベが最も慣れ親しんでいる単語。

 彼の言葉に、怒りのような主観は無い。完全なる第三者視点で、事実だけをガラスみたいに色を失った声で告げていた。

「僕の記憶喪失は。つまり、それが原因ってこと?」

「あぁ、五人の中でも中心人物だったのがコーベだった。他の四人にとって最も大切だったお前が、その一人によって記憶を殺された」

 コーベの、失った過去。それが意図的なモノで、しかも友人によるモノだった。小学生までの自分自身を、その信頼していた子に殺された。

「そんな――」

「待てよコーベ、絶望するにはまだ全てを話しちゃいない。あともう少しだけ、俺の言葉を聞いてみろ」

 そう言うアルカは、コーベの目を見ずに会話している。落ち込むのを少しだけ堪えて、コーベは彼に意識を集中させた。

「さっき、数人を記憶喪失にさせたって言ったろ? 記憶を消されたのは、勿論お前だけじゃない。あと二人居るんだよ。お前と仲が良くて、お前のことが好きで、お前と一緒に殺された奴が」

 セリフが進むにつれ、徐々にアルカの語調が強まる。小さい頃のコーベの友達で、コーベのことが好きで、そしてコーベと同じ運命に乗せられた者。

 一度だけ深呼吸をしてから、アルカがそれを吐いた。

「佐浦紗姫と、若狭羽衣――サキとウイは、記憶を失くす前からのお前の友達だ」


oveR-05


 一方その頃。ウイとサキは仕切り直しをして、二人だけの学祭を満喫していた。

「さっきの劇、守谷さんが出てたじゃない? ホラ、あの生まれたての小鹿から毛皮を剥ぐ役で。あれって、守谷さんが助っ人頼まれてやってるって言ってたよ」

「……そうなんだ。やっぱり私たちと違って、守谷さんは人懐っこくて人望あるみたいだね」

「まぁ、そうじゃ無かったらあの遅刻サボリ魔のダメダメな先輩は生きていけないと思うけど――」

 そんな他愛の無い会話を繰り広げていた、十六時十三分。楽しいはずの文化祭が、一旦中断されることとなる。

 久し振りに、不快を凝縮した断末魔が聞こえたのだ。

「……これって」

「間違いない、<メックス>が出現しちゃった……!」

 耳をつんざいて、ノイズが割り込んでくる。金属を叩き引き延ばす音が永久に連続したような、そんな音だった。聞くのは何か月ぶりだろう。これは<メックス>が発生する際に、副次的に響き渡る雑音だ。

「聞こえるってことは、それくらいこの近くで生まれちゃったってことよねっ?!」

「……多分、大学から一キロも離れてない。ひとまず、アルカに連絡しなくちゃ!」

 遅ればせながら公共のスピーカーから、<メックス>発生警報が鳴らされる。学内にもシェルターはいくつかあり、人々はそこへと速やかに避難していく。ウイは自らのケータイを取り出し、すぐさまアルカにコールした。

《ウイにゃん、どうしましたかニャ☆》

「……えっ、何でイスクが出るの」

《ドン引きしニャいで下さいニャ~! ただご主人様のケータイをハッキングしてるだけですよ☆ とりあえず、今ご主人様につニャげ(繋げ)ますね!》

 その一秒後、普段と比べて落ち着いたアルカの声が流れる。

『おう、ウイか。どうした?』

「……大学の近くで、<メックス>が発生した。私たちはどうすればいいの?」

『そうかい、マズったな……とりま、お前らだけで先に出撃しといてくれ! サキもそこに居るんだろ? 誘導とかはイスクに任せっからな』

 ウイは短く返事をして、サキにこの内容を伝える。しかし一つだけ引っ掛かることが。

「……コーベはどうするの?」

『言ってなかったっけか……コーベと<フィールダー>は今、俺と一緒に居る。後から追いつくから、しばらく持ち堪えてくれよっ!』

「……分かった。なるべく早くお願いね」

 通話を切り、サキの方を振り向く。

「……コーベ、アルカと一緒に居るんだって。後から追いつくみたい」

「そっか、分かったわ。にしても、男二人でドライブデートとはねぇ……」

「……何かサキ、最近言うことがイスクに似てきたね」

「えっ、本当……? 気を付けなきゃ、あんな下ネコと一緒にされちゃたまったモンじゃ無いわよ~……」

 そんな彼女の酷いセリフを受け流しつつ、二人で大学地下のガレージに向かった。


 研究棟の地下に潜り込むと、そこには既に明かりが灯されていた。ひとまずクルマのドアを開け、キーだけ先に挿入する。

《お待ちしてましたニャ☆》

「……イスク、状況を教えて」

 すぐさまウイが<ティーダラティオ>に、サキが<アクセラハイブリッド>に搭乗して、車内のモニタに映る情報統合/支援機器制御AIに現状を確認した。

《敵<メックス>は、今のところ五体は発生してますニャ! 一応、まだ一か所に集中してますが……》

「イスク、『今のところ』ってどーゆーことよ?」

 サキがつっかかると、彼女は直ちに応答してくれた。

《それがですニャ。最初に一体発生して、その後に二体発生って感じで……タイミングがずれてるんです》

「……時間差?」

《はい、ウイにゃんの言う通りだと思いますニャ! <メックス>の三次巨大化も時限式ですし……多分、私たちにまとめて仕留めさせてくれニャいのではニャいでしょーか?》

「ったく、黒幕さんも面倒よね……とりあえず、とっとと出ちゃいましょっか!」

《サキにゃん、そんニャに急いで出したり吹いたりしニャくても……☆》

 ひとまず下ネコは放置するとして。ウイとサキは同時にアクセルを踏みサイドブレーキを引いてドリフト、方向転換して目の前に停まっていた<グレイトレール>のトレーラに乗り上げる。イスクがすぐさまクルマを係留し、出撃ゲートめがけてトルクを働かせた。

「……それじゃあ、コーベが足りないけど」

「<L<ove>R>の出撃、行こっか!」

《かしこまりました、<グレイトレール>発進です☆》

 モニタ上でイスクがロリポップを持ち上げ、大型のキャリアカーが狭い地下通路を走り出す。T字路も多く道が入り組んでいたが、各所のシャッターが上下したのでルートはひとりでに形成された。

 やがて倉庫ほどの小部屋に行き着く。中央の台座に<グレイトレール>を駐車させると、ブザーと同時に赤色灯が回転し、床がエレベータとして上昇を始めた。連動して天井がスライドし、そこからどっと光が漏れる。エレベータが止まり上がり切って地上に出ると、そのキャリアカーは本関大学裏手の護国通りにあった。

 まずは目の前に、まだ四メートルの<メックス>が二匹。他の三匹はその後方に居る。<グレイトレール>のステップを下げて、<α〝T-T.A.C.〟κ>である<ラティオ>と<アクセラ>が急加速で降りては車態から人態へと変形した。

『<オーバーロード>っ!』

 二人一緒に叫んでは、鷲の<ラティオ>と妃の<アクセラ>が姿を表に現す。セミトレーラのトラスに保持されていた専用武装をすぐさま受け取り、まずはウイがスナイパーライフルを構える。機体肩部の羽がセンサとして働き、周囲の環境から<メックス>の核の所在まで把握した。頭部のバイザーを下ろし、前方二匹のうち片方とおまけをロックオン。

「……サキ、撃ったら行って」

「分かったわ、ウイっ!」

 短いやり取りと発砲、ライフルから伸びる精悍なレーザーが鋼鉄猫を『二匹』屠った。

 相手が前衛と後衛の縦方向に分裂しているのならば、軸線さえ合えば前後一匹ずつの計二匹を一回の射撃でまとめて撃ち抜くことが可能になる。弾薬やエネルギーの節約は当然のこと、それとは別にもう一つの効果をウイは狙っていた。今回彼女が狙ったのは向かって右端の個体で、つまり――。

「三匹、これでっ!」

 左端に偏った三匹を、サキの弩状をしたV字ブレードが優雅に捌(さば)いた。

 ここ護国通りは片側一車線で道幅が決して広くなく、だから片側に弾幕を張られたらもう片側のスペースに寄って避けるしか無い。そのためこれら<メックス>三匹は道路左側に集中せざるを得なくなり、結果ブレード横薙ぎたった一閃だけで壊滅してしまう。

「ウイ、いくら喋るの苦手でもさっきのは不器用すぎない? 私じゃ無かったら、絶対に誰も分からないって」

「……でも私の言いたかったこと、サキには分かった」

「当然でしょ、私はウイの友達なんだし」

 そう言って、機体越しにサキがこちらにはにかんでくれた。コーベ抜きの二人だけ、十秒ほどで鋼鉄猫を五匹殺処分。成績は上々だったが、気を緩めるにはまだ早い。イスクからアラートメッセージが入ってくる。

《大変です! ここからみニャみ(南)、住宅街のど真んニャか(中)で<メックス>が三匹出現しました! 急いで向かって下さいニャ!》

「了解よ、イスク! って……」

「……イスクは、付いて来ないの?」

 彼女の操る<グレイトレール>はハザードを点けながら停車していて、動く気配を微塵も見せない。どうしてか二人が尋ねると、とても申し訳無さそうな音声データが再生された。

《ごめんニャさい、住宅地の路地に<グレイトレール>は大きすぎて入りません……だからしばらくここで待機してますニャ。でもでも、もしこのままネコにゃん発生前線カッコカリがみニャみ(南)に下がるようでしたら、その先まで回り込みますから!》

 デフォルメされたイスクが涙のエフェクトを飛ばしながら、ぺこりぺこりと頭を下げている。原画の数は実に二枚、そのパラパラ漫画のような動きを見て本当に謝る気があるのか二人は疑問に感じた……というのはどうでもいいとして。

「まぁ、しょうがないわよね。じゃあウイ、早速行きましょっか!」

「……うん、サキ。行こ」

 シフトをアップさせアクセルを強く踏み、二機は住宅街の方向へと進んでいった。


 悪いことが起こっている最中は、大抵更に悪いことが重なってくるモノだ。

「さぁ、一纏めに――<スピードラディアンス>っ!」

 サキの<アクセラ>が持つV字ブレードの両刃が中折れし、全体としてM字の形を呈する。弩の引き金を右手で握り、弓を引くようにして照準合わせ。艶麗(えんれい)な光が銃口に灯る。ディーゼルとモーターのトルクを利かせ、矢を放つと近くに居た鋼鉄猫から順に六匹も消し飛んだ。

「これで一丁上がり、でしょっ?!」

「……惜しい、また出てきちゃった」

 視界がクリアになったのも束の間、今度は新たに三匹も<メックス>が湧いて出てきた。しかしそちらに目を向けた途端、また別に後方からいつ発生したのかも分からない二匹が寄って来る。典型的な挟み撃ち、もしかしたら更に数を増やすかもしれない。

「……警戒しつつ、前のをやって」

「後ろの奴は、任せたわよっ!」

 二人同時に意思疎通するが、コンビネーションだけで戦は出来ない。ウイの<ラティオ>は後方にライフルの銃身を向け、一時的にサキと分断してしまうことになった。

 道中で受け取った予備弾倉を装填し、その二匹の猫を狙撃する。命中し比較的楽に殺処分できたが、エネルギーを三発分も消費してしまった。これから消耗戦が激化するだろうから、なるべくエネルギーを温存しておきたいと言うのに。

 やられた二匹が液体金属となり溶けるのを確認する。そしてふとウイがバックミラーを覗くと、その空間だけ切り取られているかのように、サキの<アクセラ>に黒い何かが被って見えた。

「……サキっ!」

 ノールックで大体の目安を設定し、背中を向けながら<ラティオ>がその黒い影――路地裏から突然飛び出してきた<メックス>を撃ち抜いた。

 後ろから苦しそうな猫のうめき声が聞こえたからか、サキが彼女の担当分を片付けてから尋ねてくる。

「えっ……ウイ、もしかして私狙われてた?」

「……うん、危ないところだった。新しく、家と家の合間から出てきて。どこから狙ってくるかも分からないね」

「そうね……とりあえず、守ってくれてありがと。それにしても、コーベが居ないだけでこうも戦いづらいなんてね」

 彼女の言う通り、コーベの<フィールダー>がこの場に居ないことは大きな不安要素だ。いつもと違って彼による全距離対応の支援攻撃も無いし、それにたった今のように咄嗟(とっさ)の防御が非常に危うい。ウイが気付いていなければ、サキは今頃どうなっていたか。守ることに意識を注ぎながらの戦闘行為が、ここまで難しいことだと二人は思ってもみなかった。

 その時、辺りに一際目立つ鳴き声が渡った。見回してみると、戸建て住宅の屋根より少し上に大きな猫の頭が一つだけ伸びている。推測するに、全長十メートル――離れた箇所で発生していた<メックス>の三次巨大化が、もう始まってしまったのだ。

「って、こんなこと喋ってる場合じゃない……! ウイ、とりあえずあの大きいのを狙える?」

「……多分出来る、やってみる」

 <ティーダラティオ>に後付けされたターボチャージャーを動かして、機体の馬力を底上げさせる。次にウイは鳥趾の足で地を蹴り、脚部をバネとして一時的に空を飛んだ。翼を雄大に伸ばしながら。

 肩の羽を自由に広げて、周囲の情報を掴み取る。巨大化した個体の他にも、<メックス>は街中に数多く発生していた。確実な弾道予測を見積もったら、ライフル下部の機関砲から特殊弾頭を六発ほど発砲。地面の各所にそれらを根付かせ、うち一つに向けて高威力のレーザーを浴びせる。

「……<メニスカスアクシス>、展開っ!」

 ウイが叫ぶと重力レンズが発生、レーザーが屈折し、何匹もの鋼鉄猫を貫いた。小さい個体はさることながら、三次巨大化の奴も逃さず。糸を通した針で縫うように、赤色光の軌跡は六つのコーナーを曲がりながら、素体の位置を正確に撃ち抜いていた。

 これであらかた<メックス>を仕留めたのだが、空からだと新たな個体が続々と発生しているのが見て取れる。状況として、絶望に近い。加えて<ラティオ>が着地する寸前、ウイは一台の黒いステーションワゴンがこちらに向かって走行しているのを確認した。

「……サキ、悲しいお知らせ一つ。またあの子が来た」

「えっ、また……? 本当に懲りないわね」

 別に返事を求めていた訳では無いはずなのに、サキのその言葉に反応するネコの声が新たに割って入ってきた。

《懲りニャいとは、ニャんだニャ~!》

 二人の目の前に、黒いワゴンが音も無く出現した。フロントスカートの両端はやや奥まっていて、グリルは深い闇への入り口のようにあんぐりと大きく開けられている。そして極め付けが、近未来を連想させるヘッドライトとボディライン。見紛うことなくあれはトヨタ<プリウスα>で、動かしているのはアスタルだ。

《お帰りなさいませ、お兄ちゃん☆》

《だからいっつもニャんニャんだニャ、その妹系メイド喫茶風のお出迎えはっ?!》

 今日も普段と変わりない十五歳くらいの執事服姿でモニタに映り込み、イスクと下らない漫才を広げている。誰だって、傍から見ていてほんわかするこの厨ネコがこれまでウイたちと激戦を繰り広げてきた強敵だとは思いもしないだろう。

《って、コーベはこの混沌により創り出されし闘技場(コロッセウム)に降臨していニャいのかニャ?》

「……ただの遅刻。そのうち来ると思う」

 これまた恒例の厨ネコによる厨二病発言も、ウイが軽くあしらう。彼女の返答を聞いてすぐ、アスタルはあまり様になっていない薄ら笑いを浮かべた。

《ニャら……コーベのいニャいこの時こそ、ニャんじ(汝)らを断罪する絶好の機会という訳だニャ!》

「えっ、私たち何か裁かれるような悪いことしたっけ」

「……動物愛護法違反とか?」

《お兄ちゃん、とっても乱暴で激しすぎますニャ~☆》

 相も変わらず、女性陣は緊張感が欠落していた。こんな風に舐められたことが気に障ったのか、アスタルはぷんすかと怒ったような声色で叫ぶ。

《えぇい、だから真面目にやれっていつも言ってるニャ……我が眷属たる<プリウスα>、<オーバーロード>だニャっ!》

 黒塗りの<プリウスα>のバンパーが縦に割れて肩となり、フロントドア部分が引き出され腕となる。腰になる箇所は一八〇度回転、リアドアが後ろに伸びて足を形作り、バックドアは右腕に装備されシールドに。頭部のメインカメラに月影のような赤眼を光らせる。

 その姿は、まさしく不幸を呼ぶ黒猫だった。

「<プリウスα>、人態に変形しちゃったわね……」

「……何だろう、トイレットペーパーのお歳暮くらいに迷惑」

《ウイにゃん、果たしてそれは迷惑ニャんですか……?》

 ただでさえ<メックス>が未だ発生し続けているというのに、アスタルまで相手にするのは流石に厳しい。特に、コーベの不在が痛かった。相手方は今まで以上の戦力で、一方のこちらは普段の三分の二程度しか有していない。

 この状況だけならまだ良かったのだが、黒猫は更に余計なことを仕掛けてくる。

《ニャニャニャ……フニャハハハ~! ニャんじ(汝)らを一気に地獄へとあんニャい(案内)するためにも、今日は吾輩の新しい従者を使わせてもらうニャっ!》

 そう高らかに声を上げると、<プリウスα>の左横にこれまた黒く塗られたバイクが近寄ってきた。当然ながら、人間は誰も乗っていない。

「ゆ、幽霊だったりしないよね……?」

「……サキ、あれもきっとアスタル操縦だろうから。ビビりすぎ」

《あれは……多分、カワサキの<KLX250>だと思いますニャ☆》

 <ラティオ>と<アクセラ>のモニタデータから、イスクがそのバイクの車種を特定する。<KLX250>自体はオフロード向けの一般的なバイクなのだが、アスタルが操るビークルに何の仕掛けもなされていない訳が無い。

《さぁ、我が新たなる従者よっ!》

 <プリウスα>が左手を横に差し伸べると、バイクの胴体を引き抜くように掴み取った。その際に前後輪を一時パージし、右手はハンドルの部分に添える。そうして弓を引くように腕を広げるとバイクのボディが伸長し銃口がせり出して、大口径のビーム砲にその姿を変化させた。

「いやいや、あれ絶対にヤバいでしょっ! 勝ち目無いわよ、相手にビーム砲なんて使われたら!」

「……でも、先手必勝。私があのバイクを撃てば――」

《その通り、先手必勝だニャ!》

 ウイがアスタルにスナイパーライフルを向けるより早く、ある程度のサイズを抱えているにもかかわらず<プリウスα>は機敏に動き、逆に<ラティオ>のライフルがビーム砲により横から撃ち抜かれてしまった。長いバレルが途中で消し飛んで分断されてしまい、中心部分も高熱に侵食されている。<ラティオ>自体にダメージが無かったのは不幸中の幸いだったが、ウイが武装を壊されてしまったことに変わりは無い。

「……えっ、ライフルが無くなった?」

「ウイ、危ないっ!」

 ウイの後方にある路地から、一匹の<メックス>が突如不意打ちを仕掛けてきた。サキがそれに鋭敏に反応し、M字ブレードの可動領域を駆使して刃で挟み込む。すぐにその個体の核を切断することには成功したが、やはり鋼鉄猫は一匹だけとは限らなかった。

「……サキ、右側っ!」

 <アクセラ>の横から、また新たな<メックス>が忍び寄ってくる。今度はウイの方が早めに気付けたが、しかし彼女の<ラティオ>には今武装が無かった。

「ふぇ……あぁっ!」

 だから阻止することが叶わず、サキはブローによるダメージを受けてしまった。飛ばされ地面にへたり込み、同時にM字ブレードが綺麗に放物線を描きながら、遠くへと飛んで行ってしまった。サクリと地面に突き刺さるが、その刃の輝きにここからでは手が届かない。回収するには、あまりにも距離が離れすぎていた。

これで二人とも、武装を喪失してしまった。

《ニャニャ……手加減はしニャいニャ! 降参をすることは許さニャい、おとニャしく(大人しく)地獄の門の前で跪(ひざまず)くがいいニャっ!》

 <KLX250>の砲身が、ウイの<ティーダラティオ>を正確に捉える。しかしこの一度に回避機動を取ったところで、抵抗手段を失ったことに変わりは無い。サキの方だって<アクセラハイブリッド>がブレードを取り戻す前に、あの鋼鉄猫に殴られて大ダメージを負ってしまう。加えて、未だ発生し続ける<メックス>がいつ彼女たちの前に現れるかも分からない。

目の前の見える恐怖二つと、周囲の見えない恐怖多数に苛(さいな)まれる。誰がどう見ても、この状況は絶体絶命だ。

 やはり、コーベの<フィールダー>さえ居てくれればこうはならなかったはずだ。彼による<メックス>駆除の援護攻撃があれば個体数をもっと減らせることが出来ただろうし、彼はアスタルや鋼鉄猫の攻撃からウイとサキを直ちに守ってくれる。そう、例えば銃を突き付けられたこの状況でさえ――。

「……コーベ、私たちを守って!」

 気が付けば、ウイは叶わぬ望みを口にしていた。神にすがりたい、彼にすがりたい、そんな気持ち。ただひたすらに一つだけ願う、コーベが自分たちを守りに来てくれれば。

 銃口に光の粒子が宿り、着々と威力を蓄える。<プリウスα>がこちらを睨み、視線をそれで固定する。わざと外してくれる慈悲は無い、だって相手は地獄が寄越した黒猫だから。

《さぁ、刑の執行だニャっ!》

 アスタルが電子上でトリガーを引き、大口径ビームが開放される。それは真っ直ぐにウイへと進み、滅ぼすために貪欲な口を開き――。

 透明な壁に、隔たれた。

《ニャ……ニャニャっ?!》

「……えっ?」

 アスタルもウイも、状況を飲み込めない。目を凝らして見ると、その壁には薄く黄土色がかかっていた。ビームの粒子はそれを通過することが出来ず、結果として<ラティオ>に届かず立ち往生してやがて消える。

こうして壁が役割を果たすと、<アクセラ>に向かって飛んでいった。そして<メックス>の鉄槌からサキを守り、ついでにその壁が猫の胴体を切断する。これら行動が終了したら、一旦天へと引き返した。

 その方向に、視線を移す。

「僕はいつでも。ウイもサキも、守るから」

 ひらりと舞い降りる菊の花、<カローラフィールダーハイブリッド>が空中を漂っていた。


oveR-06


『こちらアルカ。どうよコーベ、お姫様と小鳥ちゃんのガードには成功したか?』

「うん。アルカのお蔭で、何とか間に合ったよ。サキもウイも、武器は失くしちゃってるけどダメージは少ない」

 イカレ科学者からの通信に返事をしながら、コーベは<フィールダー>を宙に浮かせていた。中畑湖でウイから<メックス>発生の報を受けた後、コーベとアルカはすぐさま<フィールダー>に乗り込んで本関大学へと走った。そして到着したらすぐさまアルカが降りて指令用のPCに向かい、コーベはそのまま近くの建物から武装を受け取ってサキとウイの下に直行した、というのが今までのあらましである。

『そうかい、じゃあお前があらかたの<メックス>を片付けねぇとだな! コーベ単体での殺処分スコアは累計ゼロだけどよぉ、行けるよなぁっ?!』

「痛いところ突くね……大丈夫。実績なんてこれから作るモノなんだし、そのためのこの装備だから。合流するまでは、持ち堪えるよ」

 自信を有した満開の笑顔で、コーベは彼に笑いかける。現在彼がすべきことは、全<メックス>をとある一か所へ誘導することだ。まだその程度だったら、コーベたった一人にだって出来る。

 ところが彼の<カローラフィールダー>は、とても奇妙な装備をしていた。人態の左腕には三角定規のような大盾、右手にはハンディサイズのアーミーナイフ(俗に言う十徳ナイフ)、そして背中には機体の胸と同等の体積がある『タンポポの綿毛』をくっ付けている。それが空中にプカプカ浮いているのだから、地上から見上げればさぞかしシュールな光景なのだろう。

《こっ、コーベ! ニャんだニャ、そのヘンテコニャ格好はっ?!》

 アスタルの突っ込みから察するに、やはり<フィールダー>はシュールに映っているらしい。

「本気モード。ってところかな……とりあえず、ウイには僕に<メックス>の核がどこにあるかのデータを逐一送って欲しい。それと、サキとウイは二人で南に進んで。なるべく、猫たちを引き連れながらね」

「ふぇ? えっと……分かったわよ、コーベ」

「……そういうことか。核の方は、センサの有効範囲内までならサポートできる。コーベ、<メックス>をあの子のところまで誘導すればいいんでしょ?」

「うん。お願い、僕はこっちを片付けるから」

 <アクセラ>と<ラティオ>が車態に戻り、本関大学とは反対方向に走行する。出来るだけ遠回りをしながら、鋼鉄猫の目を引き付けるようにして。二人ともすぐに理解してくれたのは、例の彼女と予め示し合わせていたからだ。

 地上六メートルまで降下し、鋼鉄猫の分布がそこまで広範では無いことを確認する。周囲の戸建て住宅と同等の高さの目線を以て、敵の行動をシミュレートした。

「南を引き付けてくれるなら。僕は北側をやるとして……アスタルは自動で付いて来てくれるかな」

《ニャ……ニャにを言ってるニャ、コーベっ?! 大体だニャ、そんニャ大きニャ盾を持っていてニャにが出来ると言うのだニャ?!》

「だから~……アスタル。『盾で何が出来るのか』ってセリフ、それは僕には禁句だよ。そうだね、例えば……そこの、行ってみよっかっ!」

 ひとまず機体をその場で一八〇度回頭させ、後ろに居た<メックス>をインサイト。左腕にある盾の先をそれに向け、五発連続でその先端から杭を発砲した。

 <インフルエンスドパイル>。シールド兼用の隠し武器として設計された、直角三角形状のニードル射出器だ。白兵戦での補助的な運用が想定されているため、火薬が積まれておらず撃発性が全く無い。その代わりとして射出機構に組み込まれているのが圧縮空気と磁力の吸引力で、特に後者は作用・反作用の法則に従って二発目以降が一発目を押し込むように力を加えるのに用いられている。元々は<T.A.C.>用の武装だが、<フィールダー>のバックドア型シールドに接続して使用するのでこの機体単体でも運用可能だ。

 ウイから転送されてくるサーモグラフィは半径三キロメートルが限度だが、それくらいでも十分に機能してくれる。空から撃ち込まれたその杭は<メックス>の素体を貫通し、見事に液体金属として自然に還元させた。同じような要領で、少し遠い鋼鉄猫も二つほど撃ち抜く。殺処分、まずは三匹。

 アスタルの<プリウスα>が、地上からビーム砲を撃ってきた。とりあえずそれをひらりと避けて、さらに北へと空を飛び、近くの寺をオーバーパス。当たると高熱の粒子によって溶かされてしまうビーム兵器だが、当たらなければどうということは無い。

《ニャーっ! ブースターも使ってニャいのに、どーしてそんニャにも飛べるんだニャっ?!》

「カラクリを晒すと。いつもと同じ、プラズマ推進だよ」

 <カローラフィールダー>の背中に取り付けられている『タンポポの綿毛』。試作品のため正式名称は存在しないが、表現するならばプラズマ発生装置の集合体だ。<フィールダー>のバッテリから得た電力を用いて、中央から三六〇度に伸びているファイバー状の電線から周囲の空気をプラズマ化させ、その際の膨張圧で機体を動かす。至る方向に索が伸びているので、前後左右どころか上下方向にも移動できて汎用性がとても高い。見た目こそ奇抜でふわり宙に浮くタンポポの綿に見えるが、その実情は全方位対応のプラズマブースターだ。

「さて。じゃあ、猫さんたちを追い込もっか!」

 護国通りまで北上してから再度スピンターン、今度は南へと進撃する。こうすることで<メックス>はこちら側に逃げることが出来なくなり、必然的に南下するしか許されなくなるのだ。

 <フィールダー>を地上数センチの高さで滑空させ、鋼鉄猫たちを順々に各個撃破する。まず鉢合わせした個体はウイのデータによると、核となる猫が丁度首筋の箇所に収まっている。ならば、丁度良かった。

 アーミーナイフから缶切りを選択し、その首筋に引っ掛けては突き刺した。

<メックス>の特徴として、核が外側に偏ることが挙げられる。例えるならば、ゆで卵の黄身のようなモノだ。これは野生の猫を<メックス>に仕立てる装置である<SMBC>による発生方法に起因する問題で、重力に従って巨体の中にある白身に沈むかのように、猫は鋼鉄化した際の体勢における『下側』に存在する。<SMBC>発動時に、依代となる猫が歩いている状態だったら<メックス>の腹から胸のあたりに収まるし、お座りしている状態だったら脚の方、ゴロゴロと仰向けになってニャーニャー鳴いていたら背中の方に片寄るのだ。

 だから、奥深くまで突き刺すほど刃渡りのある武器でなくても処分することが出来る。コーベのアーミーナイフはこの性質を上手く利用した武装で、最低限の威力しか備えていない代わりに軽量コンパクト。取り回しにも非常に優れており、だから現在のような滑空移動しながらの近接戦闘には持って来いの装備だった。

 次に出会った<メックス>の腹を、プラスドライバーで一突きする。小学校の角を右折して次の肩を栓抜きで抉(えぐ)り、更に左折し脚をノコギリで削ぐ。顔の中に素体が隠されていた個体が居たので、そいつには爪楊枝で目を刺してやった。彼女らもまさかこんな死に方をするとは想像もしていなかっただろう。殺処分、これで八匹。まだまだ行ける。

 これから一次巨大化するであろう<SMBC>付きの首輪をぶら下げた一般サイズの猫も含めて、多くの<メックス>が南に逃げていたのは事実だ。しかし、いくつかの個体ははぐれて東へ西へと散っていた。このままでは各地にあまねく広がってしまい、相手をするのが面倒になる。だからコーベは一旦住宅よりも上の高度にまで戻り、その迷子の仔猫ちゃんたちを視界に入れた。

「この距離なら。ここを仕切るよ、<ペタルスパシオ>!」

 機体の左手を更に高い位置へと挙げ、周囲には先程サキとウイを守った透明な壁が複数枚出現した。形は水晶のようなペンタゴン、大きさは機体と同じ四メートル。花弁のように手首の周りで円陣を組むその光景は、まるで<フィールダー>の腕を花柱とした可憐で華奢な菊の花だった。

 その花弁がグルグルと回り出し、遠心力を味方につけてははぐれた<メックス>へと突撃し突き刺す。そしたら腕に戻りまた回り、別の相手を探しては突き刺す。このサイクルを繰り返すことで、鋼鉄猫たちは北側だけでなく東西も封鎖されてしまった。殺処分、累計で十五匹。

 猫の追い込みに復帰する。まず駐車場に居たやつを蹴ってはゼロ距離<インフルエンスドパイル>で貫き、その隣の個体の耳をプライヤペンチで引き抜いては釘を刺す。直進して現れた猫にはナイフで傷口を開きそしてワイヤーストリッパで核の毛皮を剥ぎ、スリーエフの陰から仕掛けてきた<メックス>を<ペタルスパシオ>で防御しては口の中に右手をねじ込みハサミで素体の胴体をちょきんと切断。殺処分、これで十八匹。

 サキとウイの方に目をやると、二人とも目的をある程度達成してくれたらしい。何匹もの猫たちが、護国通りよりも一本南に位置している下刻坂(げこくざか)に集められている。数も減って来たしそろそろ切り上げて、コーベも彼女たちに合流すべきだろう。しかしそんなタイミングに限って、厨ネコのアスタルがちょっかいを出してくる。

《ニャニャニャ、みんニャがエグい天への召され方を……コーベ、いくらニャんでもその惨殺はひど過ぎるニャ~!》

「そんなこと言ったって。十徳ナイフじゃこのくらいしか出来ないんだから、仕方ないよ」

 そんなヒロイックとはかなりかけ離れた言葉を口にする。戦いとは迷いのある方が負けるのだ、とカッコいいことも言ってみようかと一瞬頭をよぎったが、それではこの厨ネコとキャラが被ってしまうため、すんでのところでコーベは踏み止まった。

《この悪党め! 吾輩が地獄の業火で粛清してくれるニャ~っ!》

 黒猫のその音声データに、ビーム砲の攻撃が添付される。警戒していたのでコーベはすぐに避けられたが、しかしこれは厄介だ。アスタルは良い子なので無闇に家や街を破壊したりはしないだろう、正直<プリウスα>を放置しても問題は無い。しかしサキやウイと合流しようとしたら、途端に彼は障害となるのだ。飛び道具で常に狙われていては、まともに移動できるはずが無い。

 二発目のビームが<フィールダー>を襲う。今度は回避も難しそうだったので、<ペタルスパシオ>で防御した。高熱のハイドロが盾を包み込む。耐え凌ぐことは容易なのだが、前進することがままならない。

「確かに。死刑執行人も死神とか言われてるけど――って、あ」

 ところがふと、コーベはこの行動にヒントを見出した。

 空対地の戦闘に、コーベ自身がまだ慣れきっていなかった。そう、こんなにも簡単な方法があるのだ。アイデアを働かせることで、この戦闘をもっと有利に運ぶことが出来る。

《いい加減に、墜ちるがいいニャっ!》

「思い付いた。悪いけど、まだ僕が散る季節じゃ無いからねっ! <ペタルスパシオ>!」

 <KLX250>が光と唸りを発すると同時、堅い花弁を一枚<カローラフィールダー>の下に敷く。ビーム砲がそれに阻まれ、アスタルがストレスを感じるところまでは先程と同一。しかしそれからコーベはその花弁の上に機体を立たせ、まるでスケートボードで遊ぶかのように空を滑った。

《し、シールドで下からの攻撃を防ぎながら移動したのかニャっ?!》

「そうだよっ! 盾の上に立ちながらならば、対空砲火も気にせず飛べるんだ!」

 目下の黒猫が諦めて、攻撃から追撃へと目的を変える。手持ちの<KLX250>をバイクに、自身の<プリウスα>も車態へと変形させた。そしてコーベと同じ方向へと走り出すが、道も入り組んでいることだしこちらにはまず追いつかないだろう。

 とりあえずコーベは一安心して、サキとウイの待つ合流地点へと急いでプラズマを吹かした。


oveR-07


 <フィールダー>が下刻坂のアリオ前に着地すると、目の前ではトラスに小口径の機関砲や十メートル級のアサルトライフル、長筒状の散弾砲をくっ付けて直接発砲している一台の白いキャリアカーの姿があった。先に到着していたサキとウイに話を聞く。

「これ。戦闘要塞<グレイトレール>って感じかな……?」

「……新しいロボットアニメみたい」

「どうも、イスクが私たちよりも一足先に武装を受け取ってドンパチやってたみたいでね。来てみたらこの状態だったわ」

《あ、コーベくん! 一時間ぶりですね☆ このネコにゃんたち、結構良い声で喘いでくれるんですよっ!》

 そんな猟奇的な音声を再生しながら、イスクがこちらにはにかんでくれた。もうこいつは狂っているんじゃないかと疑いたくなるが、彼女ならばここまではネタでやっているのだろう。

 コーベがサキとウイに向かうよう伝えた行き先は、このイスクのところだった。道幅の狭い住宅街では身動きもとれないが、広い片側二車線道路を擁する下刻坂ならば大型のセミトレーラを曳いたキャリアカーでものびのびと戦える。彼女が二人に先回りしていると言っていたのは、コーベも戦闘開始前に予め本人から聞いていた。

 現在彼らの周囲には、大小様々な<メックス>がはびこっている。一次巨大化で留まっている個体や、既に十メートルにまで大きさを変えてしまった個体。尻尾を地面に挿していて、まさしくこれから三次巨大化をしようとしているモノまで居た。

「とりあえず。早いところ、片付けないと」

《了解ですニャ、コーベくん☆》

 イスクの敬礼と笑顔を認証キーとして、ウイ、サキ、コーベの三人が声を重ねてセリフを叫ぶ。

『――<オーバーファミリア>っ!』

 合態へ向けたシークエンスが始まりを告げ、三機のモニタもブラックアウトした後、すぐに同一カメラの視点を表示した。

 車体のままの<ラティオ>と<アクセラ>が、シンメトリーに分割する。それぞれが『脚』と『腕』になり、<グレイトレール>のトラクタに幅寄せ。セミトレーラ部分は<フィールダー>が統括して『背中』に。そうして<グレイトレール>の装甲が咲くように開き、それらパーツを接続してゆく。

 精悍な『足』が、地を蹴り跳ねる。

 流麗な『肩』が、気品を振りまく。

 絢爛な『羽』が、満開に咲き誇る。

『<T-T.A.C.>、コンプリーテドっ!』

 合体はこうして完了した。

 武装はイスクが使用していたモノがあるので、まだ補給を受けずにそれらを使い切る。トラスの翼から二丁のアサルトライフルを両手に、二つの散弾砲を両腰に受け取り、また頭にはヘッドホンのような装置を取り付けた。

「さぁ。まずは小さいのからっ!」

『了解、コーベ!』

 サキとウイの返事を受けて、それら武装を一気に放つ。撃ち出された弾は踊り狂うが、迷うことなく猫に飛び込んでいった。全てでは無いが数匹が殺処分され、やがて銀色の水溜まりと化す。

 <ポップシリーズ>バルカンポッド。現在頭部に取り付けられている武装のことで、カチューシャのように<T-T.A.C.>の頭の上でアーチを描いているのは弾倉のベルトだ。威力は決して高くはないため、<メックス>の中でも一時巨大化で留まっている個体に対して使用する。

 この発砲音(pop)を、連続させる(series)。

 <リズムクラフタ>アサルトライフルや<スプリンタドライバ>散弾レールガンとこの<ポップシリーズ>を併用していたが、イスクの使いかけなだけあって流石に残弾が心許なくなってきた。

「軽くなってきたし。早速だけどイスク、次のピットは?」

《東の方にありますので、ネコにゃんの真っただニャか(中)を突っ切って下さいニャ☆》

「ってことで、飛ばすわよウイっ!」

「……分かった。<ミクストトラスマニフォルド>――<フィギュアアベンシス>っ!」

 <T-T.A.C.>の羽が長さを伸ばし、そして後ろ側で四角い箱を構成。機体をその東側、坂の上流へと向けて睨む。膝を曲げ鳥趾でアスファルトを蹴り、弾丸のように突き抜けた。

 エアロストリームを味方に付けて、小さい猫は弾き飛ばす。もっと重い、四メートル以上の個体に対しては、両腕の<リズムクラフタ>で撃ち抜いた。弾速はマッハ三まで上がり、即死にならないモノなど居ない。結果としてこの下刻坂は、登るごとに猫が減っていく。

 勾配が小さくなったところで、振り向きざまにピットストップ。プラズマをわずかに吹かし続けて、機体をジャッキアップする。沿道のビルからアームが伸びては、武器の弾倉を換えていった。ついでにガトリングキャノンをトラスに保持させ、また<リズムクラフタ>二つにそれぞれダガーを取り付けた。

「銃剣だね。上手く扱えればいいけど」

「……コーベだったら、まぁ大丈夫かと」

「補給、まだある?」

《今終わりましたよ、サキにゃん! ピットアウトをお願いします☆》

 画面上でイスクがロリポップを上げ、すぐさまサキがアクセルを踏む。電磁波の籠に閉じ込められたプラズマを、背後ただ一方向にのみバーストした。目指すは先程まで居たポジション。

《前方に、お兄ちゃんが出てきますニャ!》

「アスタルね、分かったわっ! 轢いちゃいましょう!」

「……サキ、残酷なこと言うね」

 こちらの時速は三〇〇キロを超え、たかだか三ナンバーボディのステーションワゴン程度だったら衝突で弾き飛ばせる。こちらは回避する余裕も無いのだし、アスタルには犠牲になってもらうことにした。

《ニャニャ、見つけたニャっ! さぁ、この我が暗黒の楔により――って、こっち来るニャ~っ?!》

《お兄ちゃん、私のゼンブを受け止めてっ!》

 そうして<プリウスα>が飛ばされる。と言ってもジャストミートはしてくれず、のけ反り尻餅をついて脚部の窓ガラスが割れた程度の被害しか与えられなかったが。

《私のこと、優しく受け止めてくれニャいニャんて……☆》

「……イスクって好きだよね、『優しくして』のセリフ」

《乙女だったら、誰でもオトコの人にエスコートしてもらいたいモノですニャ!》

「知識量と積極さって観点では、アンタの方が下手な男を追い越してるでしょうけどね」

『おいお前ら、無駄話はそこまでだぜっ! <メックス>はもっと増えていやがる、心してかかれよなぁっ!』

「了解。アルカ」

 コーベが返事をしたところで先程のポイントに到着し、そこは数分前よりも鉄の臭いが濃ゆかった。主に十メートル級にまで成長した鋼鉄猫がその数を増やしていて、恐らくそのクラスだけでも三〇匹は下らない。他にも四メートルが同数は確認できる。

 しかし、この程度ならば彼らにとって朝飯前だ。

「一段階のクッションを置いて。<リズムクラフタ>、<スプリンタドライバ>っ!」

《<オーバーファイア>ですニャ☆》

 計四門から、マズルフラッシュ。リズムを奏でクラスタを飛ばし、<メックス>を一網打尽にする。あらゆる猫を砲弾で潰し、そこを制圧するかのように。

 この勢いを以てしても、しかし前にしか撃てないことに変わりは無い。右や左に後ろからも、鋼鉄猫が続々と湧く。腕を動かしライフルで応対するも、それにだって限度がある。そして面倒臭いことに、三方向から肉弾戦を仕掛けてきた。

「……これって、マズいんじゃ」

「コーベ、弾幕張るのは一旦中止にしないとっ!」

「うん。大丈夫、これくらいは予想できてた」

 打ち方を止めて両腕を払い、大きく後ろを振り返る。<T-T.A.C.>へのアプローチが最速なのが、その方向に居る個体だった。突撃してくるその一匹とアイコンタクト、腕を広げて待ち構える。

「<ガルフクローズ>っ!」

 コーベが叫ぶと同時にして、その<メックス>がハサミで裁たれた。

 銃剣のダガーに、僅かな血痕が付着する。呆気ないほど綺麗に両断、鉄の塊は上半身がきりもみしながら飛んでいった。残る半分は道路に倒れ、液体金属となり溶け出す。

 <ガルフクローズ>近接戦闘システム。単体ではオプションとして<リズムクラフタ>にくっ付くただの銃剣だが、両手に装備して二本同時運用することでその真価を発揮する。薄刃のブレードの切れ味は勿論のこと、更にこの二丁で対象を挟み込むことにより、十メートル級の扱う『裁ちバサミ』として機能する。

 広大な湾(gulf)を、閉じるように(close)。

 もっとも、挟み込むことだけが用途では無い。刀剣としてのポテンシャルも高く、だから直後に襲ってきた左右の<メックス>も薙いでクリア。レコード盤のようなアクセルターンで振り返り直る際に両足で下半身を二つ回し蹴り、右と左が溶けてしまう前に身体の半分をトレードさせてやった。

「……<メックス>、まだ減らないね」

《でもでも~、新規発生分を除けば今のところは残り十五匹ですよ?》

「イスク、アンタはそーいうけどね……その新規発生分とやらが最終的に幾つなのやら」

 アウトラップよりも敵の絶対数が減少していることは確実なのだが、少しペースを落とせばどっと<メックス>が湧いてくる。しかも大きな銃声に吸い寄せられているのか、やや遠くで巨大化した猫は全てがこちらに向かっていた。まだまだこれから、相当きつい戦いになる。

「だから。行ってみよっか、<ルミナスモザイク>!」

 <T-T.A.C.>の右トラス羽、アームが伸びて本体右腕にガトリングキャノンを接続する。グリップは手で握ることになるが、その代わり<リズムクラフタ>をトラスに接続。丁度手持ち武装を入れ替えた形になる。

 一般的なガトリング砲にしては、外観が少々歪に見える。武装後方からどうしてか、横方向に四角いタンクが伸びていた。そして反動を受け止めるための、アウトリガがどこにも見当たらない。見た目にもどこか軽そうで、コーベはそのライトなガトリングを目の前の<メックス>一群に向けた。

 そうして引き金を引くと銃口の束が歯車のように回り、先端からは短いレーザーが出続けた。

 大小さまざまな鋼鉄猫に、光によって風穴を空ける。素体を狙うことも面倒で、だから一体につき何発も費やし、平均四、五か所が空洞となった。位置のバラバラなその光景は、まるでモザイク壁画のよう。

 <ルミナスモザイク>レーザーガトリング。タンクに見えるモノは大容量のバッテリで、つまり実弾が入っていない。そのため武装の総重量を抑えることができ、取り回しが優秀だ。またバレル一本当たりのレーザーの照射時間を短くすることで、他のレーザー兵装に比べて寿命を大きく引き伸ばしている。

 小さな光(luminous)の、寄せ集め(mosaic)。

 十匹超を殺処分すると、猫たちも流石に大人しくなる。が、そんな一息つけそうなタイミングに限って、どうしてこの黒猫はいつもやってくるのだろう。

《よう、やく……追いついたニャ~っ!》

 黒い<プリウスα>と<KLX250>――つい先程轢かれかけていたアスタルが、今になって戦線復帰を果たしてきたのだ。

「……アスタル、よくこんなとこまで。頑張ったね」

「ホラホラ、お茶にアンタの大好きなお魚さんもあるわよ~」

《ニャニャ! やっぱりホッケにはブーアル茶が――じゃニャ~いっ! ニャに(何)吾輩を懐柔しようとしてるんだニャっ?!》

 ウイとサキの作戦には、流石に引っ掛かってくれなかった。いや、引っ掛かったらそれはそれで相手を疑ってしまうのだが。

《ともあれ、どうやら我が同志たちが癒えることニャき(無き)痛手を負っているみたいだニャ……ということは、とうとう吾輩が奥の手を招来する時がやって来たのだニャ!》

「……猫の手?」

《奥の手、だニャっ! えぇい……出でよ我が従者、<クオンクオート>っ!》

 小さいけれど確実に、アスファルトを削るようなスキール音が聞こえてくる。下刻坂のちょうど上流の方、アスタルの後ろ側に一台の黒いセミトレーラ――<クオンクオート>が現れた。二六キロリットルのタンクローリを牽引していて、<プリウスα>の真横で停止する。

「あれ、アンタのそのトレーラってこの前はコンテナ曳いてなかったっけ?」

《あれは世を忍ぶ仮の姿だニャ……そう、このタンクローリこそが、<クオンクオート>の真の姿ニャのだニャ~っ!》

 モニタ上でアスタルが、誇らしげに胸を大きく反らす。そして気分が乗ってきたのか、もっとややこしいことをしてくれた。

《更に、この<クオンクオート>にはっ! 新たニャ合体が隠されているのだニャ! とくと見るがいい、<オーバーファミリア>っ!》

 アスタルがそう叫ぶとすぐに、<プリウスα>が車態に戻る。そして<クオンクオート>はトラクタとトレーラを切り離し、加えてタンクローリも前後で分割。

 そのタンクの後半部分が、伸長して『腰』と『脚』を形成、更に展開して『足』も出す。次に前半部分は左右に開いてタンク自体を『肩』、そこから『腕』を伸ばしてくる。こうして『下半身』と『上半身』が出現した。

 <プリウスα>が中心で山折りになり、これを『胴体』として上下半身を繋ぎとめる。トラクタはキャビンを回転させ、『背中』として本体に接続。また<KLX250>はそのボディを引き伸ばして、腰にくっ付き『尻尾』となった。余った二つのタイヤは展開し『爪』とする。

 前時代的な四肢はごつごつとしていて、近未来的な胸は流線型。その尻尾を綱にして、過去も未来も牽引してくる(quote)。

 黒猫の頭部がせり出され、全ての時制を統括する。

《コンプリーテド、これが吾輩の<〝q〟p.α.κ.>(キューパック)だニャ~っ!》

 黒き死神が、こちらに笑んだ。

《お兄ちゃんのあの機体……見たところの推定スペック、私たちの<T-T.A.C.>と同等レベルですニャ!》

 驚いた声でイスクが叫ぶ。全高十メートル、全幅五メートル。身体のパーツの殆どを肩と脚が占めていて、どれだけ押しても倒れそうにないほどにずっしりしている。その割に胸と頭は華奢で、だからこちらに激しい違和感を与えていた。三本の爪はとても鋭く、尻尾の先端には砲身がある。五角形の肩は前後方向にストレッチされて、それ自体がワンボックスカーのよう。

「……あの時よりも、パワーアップしてる?」

 ウイが厳しい顔をした。ついこの前までアスタルの乗機であった<p.α.κ.>と比較して、この<〝q〟p.α.κ.>はよりマッシヴになっている。サイズが一回り大きくなっただけではなく、主に足回りがずっしりしたモノに変化していた。加えて手持ちの鎌を廃止した代わりに手甲の三本爪や尻尾のビーム砲を装備し、背中に付いた<クオンクオート>のトラクタヘッドも何か仕掛けが隠されているように<L<ove>R>の三人には見える。

《さぁ、吾輩の方から仕掛けさせてもらうニャ! 出でよ、我が白銀の逆鉾(さかほこ)っ! <テンスエクシーダ>、<フォワパーランス>!》

 そんな彼らの予想が悲運にも当たり、トラクタの右半分が機体の脇から伸びてくる。それを右腕で受け取ると、フレーム後方、丁度半分になったリアのナンバープレート左側から、長く細い一本のブレードが伸びてきた。だから全体として見てみると、<〝q〟p.α.κ.>は一筋の『槍』を携えていた。

 その矛先を前に向け、死神がこちらに肉薄してくる。<ルミナスモザイク>では対応しかねるので、<T-T.A.C.>は左手に<ガルフクローズ>をマウントした。片手だけでは心許ないが何とかして<フォワパーランス>を受け止め、一振りの銃剣でその一槍と鍔迫り合いを繰り広げる。

「ったく! <〝q〟p.α.κ.>だかゆうパックだか、知らないけどっ!」

《まだ、これが吾輩の全てではニャいのだ!》

 空いている左腕を活用して、アスタルがもう一本の<テンスエクシーダ・フォアパーランス>を背中から引き出す。

「そんな――っ!」

コーベ達はその追加された一撃を予想できず、必死になって回避行動を展開した。しかしその努力も虚しく、胸部装甲に引っ掻き傷が刻まれてしまう。左手の<ガルフクローズ>だって、武装の重量からしてじきに押し負かされそう。槍を二本も持ち込まれては勝ち目がない、近接戦では<T-T.A.C.>の方が圧倒的に不利だ。

「……サキ、一度後退してっ!」

「分かったわ、ウイ! 一旦立て直しかしらね……!」

「いや。立て直してる暇が勿体無いよ! <ルミナスモザイク>、<オーバーファイア>っ!」

 バックステップで十五メートルほどの間合いを開けて、その黒猫に照準を合わせる。面倒臭いのでついでとして、視界に紛れ込んだ<メックス>もロックオン。<T-T.A.C.>が光輝のガトリングを相手に浴びせた。

 鋼鉄猫たちの方は無事蜂の巣にして殺処分できたのだが、しかし<〝q〟p.α.κ.>はそう簡単にやられてくれない。レーザーが何発も命中したが、風穴は決して開かなかった。

「ちょっ……何で効いてないのよっ?」

「……待って、データを収集して……今のアスタル、<プライアウォール>を使ってるみたい。それで、周囲の大気どころか自分の機体まで温度を下げて……」

《まさかのまさか、レーザーをぶっかけられては<プライアウォール>の低温でオナクール……じゃなくて、装甲を冷やしてるんですかニャ?!》

 言葉が若干汚いが、まさしく下ネコの申す通りだ。<プライアウォール>は大気を圧縮して固体にし硬度を出すため、熱力学第一法則よりその『見えない壁』自体はマイナス二〇〇度を下回ることになる。それを複数枚重ねることによって、<ルミナスモザイク>の高温レーザーやそれの被害を受け表面温度が上昇した装甲を冷却しているのだ。

《そうだニャ、<プライアウォール>にはこんニャ使い方もあるのだニャっ!》

 これで、レーザー攻撃が無効化されてしまった。<T-T.A.C.>の高いジェネレータ出力を有効活用できる武装なだけに、この決定打を封じられては戦いが厳しくなる。

「でも。それだったら……<リズムクラフタ>に<スプリンタドライバ>、<オーバーファイア>っ!」

 コーベが武装名を叫びアンロック、左手と両腰の残弾を費やす。レーザーが無効化されるのだったら、実弾で攻撃すればいい。アサルトライフルと散弾砲が、爆煙と鉄片を撒き散らしながら<メックス>とアスタルに噛み付いた。猫が続々と昇天し、絶えず断末魔が聞こえてくる。

しかし、<〝q〟p.α.κ.>の様子が奇妙だった。硝煙が消え視界も晴れた頃、その死神だけが平然としている。どれだけの弾を費やしても、傷付けるどころか微動だにしない。防御姿勢を取る訳でも無く、ただ棒立ちでそこに佇むだけ。

《どうしたニャ、ニャんじ(汝)らの尽力はその程度だったのかニャ?》

「……そうやって絶妙に神経を逆なでしてくるの、やめてくれない?」

 例えウイが愚痴を零しても、解決するような問題では無い。ともあれ、一体何が起こったのかを確認する必要がある。今度は煙を立てないように、左手の<リズムクラフタ>だけを発砲した。

「観念して泣き喚いて家のコタツで大人しくゴロゴロ丸くなって引き籠ってなさいな、そこのガキで痛々しい精神未発達な厨ネコっ!」

《さりげニャくお兄ちゃんに対して酷いこと言いますね、サキにゃん》

 弾の軌道が緩い放物線を描きながら、黒猫に向かって突き進む。五打点のリズムが鳴り響き、そしてアスタルの胸をえぐらんと――。

 敵の目の前で、弾道が上方向に逸れた。

「イスク。何が起こったのか、すぐに推測してっ!」

 コーベが言葉に出すと、彼女は直ちに回路を働かせた。しかしデータがこれだけでは、結果が出るのはまだ先だ。

 <L<ove>R>メンバーが観測した印象では、ライフルの弾が『弾かれた』。<プライアウォール>とはまた違う、もっと別種の見えない壁。防いだ、という感覚では無い。<〝q〟p.α.κ.>を透明な天球が覆い、その表面で弾が滑ったような。

《フニャハハハ~! 見たか、我輩の新たニャる結界……<スフィアプライア>は、ニャんじ(汝)らには決して打ち砕けまいっ!》

 敵機の両肩が、装甲を展開させている。結界、という表現にピンと来た。そう、弾丸が死神の周囲に近づくことが出来ないのだ。言うなれば、謁見を許されない神の聖域。

《さぁ、こちらからも手を休めずに参るニャっ! 我が次ニャる手を甘んじて受け入れるがいい、<テンスエクシーダ・レグスカッタ>!》

 アスタルが今度は槍を二つ繋げて、<クオンクオート>元々のトラクタの形にする。そして車体側面をこちらに向けるようにして両手で保持し、両脚の脛からかなり太いアウトリガを地中へと打ち込んだ。その姿はまるで、大きなハモニカを構えているよう。

 そのハモニカのマウスピースから、幾重ものビーム砲が伸びてきた。

 砲塔を柔軟に動かしながら、レーザービームが踊り狂う。粒子光線は<T-T.A.C.>ただ一体だけではなくて、建造物や仲間であろう<メックス>までをも餌食にしていた。錯乱しているかの如く、コーベたちを容赦無く襲う。

「くっ……サキ。回避お願い!」

「言われなくてもやってるけど、コーベ……っ!」

 彼らがどれだけ逃げようとも、その猛追は止まらない。トラスを畳んで挙動も狭め、行動範囲をコンパクトにする。機体の領有体積を無駄に広げないよう努めたが、それでも左の<スプリンタドライバ>が溶断された。脚部装甲にもダメージが及ぶ。

「ウイ。大丈夫っ?!」

「……私は何とか。サキ、冷却のためにも建物に隠れて! それしか凌ぐ方法は無いっ!」

 ウイが背中のトラスからプラズマを吹かし、サキが無理矢理機体の挙動を捻じ曲げてサイドターン。近隣の雑居ビルの物陰に隠れたはいいが、このかくれんぼもいつまで持つことやら。因みにそのビルの一階には、テナントとしてモービルのガソリンスタンドが入っていた。

《フニャハハハ~! 我が偉大ニャる漆黒の鉄槌に恐れをニャしてもニャ、逃げ隠れは無駄ニャのだニャっ!》

 アスタルはこう口にしていたが、いくらあのビーム連装砲が強力だからと言っても、たったの一撃で建物を丸ごと吹き飛ばす威力までは備えていない。だからだろうか、言葉とは裏腹に<レグスカッタ>の雨が止んだ。これを機に<T-T.A.C.>は損害箇所の冷却を試みるが、空冷による自然冷却では日が暮れてしまう。

「……左脚、もう冷えないと思う。装甲を一部パージするから」

《みニャさん、気をつけて下さいっ! 後ろ、お兄ちゃんの方向から高エネルギー反応が――!》

 妹のアラートを遮るように、兄の音声が耳を撫でる。

《見つけたニャ、建物を盾にするとは卑怯ニャりっ! 正々堂々と現れてこニャいのニャら……第三の手を使わせてもらうニャっ! <テンスエクシーダ>――》

 コーベたちが見つめるモニタの端に、イスクがワイプで周囲にある監視カメラの映像を置いた。そこにはあらゆる角度からの<〝q〟p.α.κ.>が映っていて、アスタルの情報がリアルタイムで伝わってくる。

 それを覗くと<クオンクオート>が再度左右に二分割されて、今度はルーフをこちらに向けた状態で構えていた。そうして数秒のシークエンスの後、その屋根が開いてキャビンから先程の<レグスカッタ>とは比較にならない、大口径のビーム砲が計二門その頭角を現す。ホイールが腰に接続されていて、そこからエネルギーを供給している模様。加えて尻尾のビーム砲も、右側から前面へとひょっこり顔を覗かせていた。

「まずい。サキ、どっちでもいいから動いてっ!」

「ふぇ? こ、こっちで――」

《<オーバーファイア>だニャっ!》

 <〝q〟p.α.κ.>から何ルクスもの光が溢れ、大出力ビームがそのビルを吹き飛ばした。

 この時になってようやく、コーベたちは気が付いた。確かに<〝q〟p.α.κ.>には目立った外部武装が見受けられなかったが、その代わりとしての<クオンクオート>、これは兵装として最高の理想型だったのだ。

 <テンスエクシーダ>全距離対応多兵装システム。普段は背中にマウントすることで携行性を確保し、近距離の<フォワパーランス>(forepaw lance)、中距離の<レグスカッタ>(leg scatter)、遠距離の<テイルブラスト>(tail blast)を使い分けることにより、あらゆる状況、場面、そして時間をも制する。言うなれば、時制を超えるモノ(tense exceeder)。

 コーベの注意に反応して<T-T.A.C.>が回避を試みたが、どうしても間に合わなかった。大きな被害こそ受けなかったものの、<ルミナスモザイク>と右手を一瞬で溶かされてしまう。武装がやられる分には代わりはあるからまだ構わないが、武器が持てなくなるのはかなりの痛手だった。

 ビームの照射が一旦終わると、その雑居ビルが倒壊を始める。雪崩のごとく地へと畳み込み、瓦礫は自らを重力に委ねる。その巻き添えを食らわないように、サキは機体を建物からもっと離して距離を取った。そういえば、ここの一階は都市型のガソリンスタンドだった――。

「足りない。もっと……いや、背中を向けさせて! 飛ぶよ!」

 コーベが大きく叫んでは、サキとウイがその指示に従う。何が起こるか、そして彼が何をしようとしているのか、『飛ぶ』のたった一言で理解したから。

 そして、ビームの残滓がガソリンに引火して爆発が起きた。


oveR-08


《ウイ~、サキ~、コーベ~っ! ニャんじ(汝)らがまだどこかに隠れていることはお見通しニャのだニャ~っ! だから、早くその哀れニャ姿を我輩に献上するがいいニャ~っ!》

 灯油販売のトラック並みのデシベルで、アスタルが三人を呼んでいた。ガソリンスタンドの爆発の際、衝撃を利用して機体を飛翔させては緊急離脱したはいいが、<T-T.A.C.>は相変わらず状況を打破できずにいる。別の物陰に隠れてひとまず作戦会議をしていたが、解決策はなかなか思い浮かばなかった。

「必要なのはビームの防御よりも、あの見えない壁を壊す攻撃力よね?」

《いやいやサキにゃん、『壊す』ってよりは『突破する』って考えたほうが良いと思いますニャ! あれは多分硬度とかのおはニャし(話)じゃニャいと思います。もっとこう、すり抜けたりとか、遠回りしたりとか……》

「……じゃあ、<メックス>もろとも火炎放射器で燃やしちゃうとか?」

『火葬かよっ! とうとう殺処分も本格的になってきやがったな、オイ……』

 ひとまず、<スフィアプライア>の種を明かさなければ議論も先には進まなそうだ。どんな攻撃でも防がれてしまっては、こちらとしては手の打ちようが無い。何の対策も出来ないのだ。

 そういえば、前にもこんなことがあった気がする。二ヶ月ほど前の、まだパワーアップ前の<T.A.C.>と<p.α.κ.>の頃。アスタルの展開する<プライアウォール>を破れなくて、かなり四苦八苦していた。結果としてはコーベがカラクリを見破ることで乗り越えられたが、今回はまだデータが足りないため見抜けそうにも無い。

「いや。ちょっと待って……」

 <プライアウォール>を突破する前、他にも様々なことを試したはずだ。そのどれもが失敗に終わっていたが、中にはコーベたちの心的コンディションに原因があった方法もある。その心理的な問題を克服した今だったら、あの方法は成功するのでは無いか?

「アルカ。一つ、心当たりがある武装が」

『おう、どうしたよコーベ?』

 変態イカレ科学者に話を促されたので、彼はその兵器の名称だけを言葉に出した。するとサキやウイ、イスクまでもが驚きの表情をしては感心し、アルカに至っては面白そうだと言わんばかりの薄ら笑いを浮かべていた。

『成程な、そーいやそんな方法もあったか……よし分かった、これから示すピットに向かえ! そこにはいろいろな補助兵装の他、お前の求めてるヤツの後継モデルが仕込んであるっ!』

 幸運にも、アルカの示したポイントならば<〝q〟p.α.κ.>にも気付かれずに近付けそうだった。

「了解。じゃあ、行ってみよっかっ!」

 音も立てず静粛にプラズマを吹かしながら、<T-T.A.C.>は細い路地を縫うようにギリギリの車幅で通行した。


 アスタルはまだ、こちらのことを見つけられずに探している。だからその隙を突いて、<T-T.A.C.>が補給を完遂することは容易かった。

「何かさ、また私だけ仕事量がかなり多い武装を任された気がするんだけど」

「……サキ、安心して。二番は私のほうで操るから」

「そーゆー問題じゃない、絶対にそーゆー問題じゃない」

 不貞腐れたサキをウイがなだめる。機体に取り付けられたのは、右のトラスに断面がX字の砲弾、左のトラスに三本のアーム、両腰にロングスカートのようなメタルプレート、そして左手に一振りの黒い日本刀。傍から見たら、これから何をするつもりなのかさえ予想が付かない。

『おいメスネコ、あっちの準備も大丈夫なんだよなっ?!』

《はい、ご主人様とのホテルの予約はちゃんと入れてますニャ☆》

『誰が夜の方の予定だっつったよ?! しかも俺、お前とそんなとこ行くつもりねーしっ!』

《冗談ですニャ、こっちは問題ありません!》

 首を傾けながら、イスクが肉球で敬礼をする。ひとまずは、これで準備完了だ。

「確認するよ。武装の担当はウイが二番でサキが三番、そして僕が一番と四番を一括にやる。二人とも、オーケーだよね?」

「……勿論、大丈夫だよ」

「こっちも構わないわ!」

 三人の元気な声を受けて、アルカが今日は今まで言うタイミングの無かった、いつものセリフを思うままに叫ぶ。

『ならばなぁ……<L<ove>R>の出撃と行こうじゃねぇかっ!』

 その指令は言ってしまえば、彼らにとってのグリーンシグナル。

「……<フィギュアアベンシス>! サキっ!」

「オーライ、ウイっ! かっ飛ばすからね!」

「さぁ。行ってみよっか!」

 電磁の籠にプラズマを溜めて、背後へと一気にバーストする。後ろからスラストされるようにして、<T-T.A.C.>が信じられないほどのトップスピードを記録した。核融合エンジンのトルクが彼らを動かす。

 路地裏から下刻坂へと出る際は、ブレーキを踏まずにフルスピード。アクセルを抜きステアリングを左に振って、慣性ドリフトで難なくクリア。激しいスキール音の変わりに、プラズマの雷鳴がバチバチと響いた。

《ニャ、見つけたニャっ! さぁ、おとニャしく我が混沌の咆哮に――》

「アスタル。無駄口叩いてる暇は無いよっ!」

 減速をかけながら<メックス>の群れと対峙して、<T-T.A.C.>が左手の刀を振りかぶった。<〝q〟p.α.κ.>は肩部装甲を展開させて、<スフィアプライア>による防御を試みる。これが結界を張るための予備動作だということは、先程のデータから得られた数少ない情報だ。

 刀を振り下ろし虚空を切り裂き、その剣先を相手に向ける。アスタルがやや拍子抜けをしたようなアイコンを表示したが、まさか彼らの行動がたったこれだけで終わるはずが無い。

 壊すことは、これから始まる。

「さぁ――<リンクトエレクトロ>っ!」

《了解です、モードを発動しますね☆》

コーベとイスクの短いやり取り、背中のトラスが全開に広がる。アスタリスクの形を呈し、まるで後光の差した熾天使のよう。

 だから、刀から雷撃が伸びて死神を焼いた。

《ニャっ……! 痺れる、ニャんニャのだこれはっ?!》

「安心しなさいなアスタル、それはただの電気だからっ!」

 まるで杖から繰り出される魔法。機体を内側から針で突き刺すように、<〝q〟p.α.κ.>の全身を電流が駆け巡る。一時的に運動機能が麻痺して、アスタルが機体を自由に操れなくなっていた。電気は周囲の<メックス>たちにも伝播し、三匹ほどが感電していた。

 そして、コーベたちの目論む本来の狙いも。

《<スフィアプライア>が……作動しニャいっ?!》

 あれほどのマシンなのだから、<〝q〟p.α.κ.>も中枢系には絶縁対策が施されているはずだ。だからアスタルの減らず口も止まらない。フレームの油圧シリンダなど、駆動系も同じく目立ったダメージが無い。しかしそれ以外のパートにまではその配慮も回らなかったみたいで、肩に搭載されている<スフィアプライア>のシステムを、高圧電流で過負荷をかけることによって破壊したのだ。

『アクセルもブレーキもアナログで、メインコンピュータさえ電気から守れてればいいっ! そんなコンセプトで開発されたらなぁ、お前の結界みたいな付加価値はコストの観点からすぐに見捨てられんだよなぁっ!』

 アルカの言葉通り、死神を覆っていた結界が機能を停止した。

 <T-T.A.C.>によるこの攻撃は、<プライアウォール>を破ろうと試行錯誤していた二ヶ月前にルーツがある。見えない壁に阻まれるのならば、それを回折してしまえば良い。そう思い付いて実施した作戦だったが、コーベたちの連携不足で<p.α.κ.>のタイヤ部分に電気が吸い取られてしまい失敗に終わった。

 しかし<プライアウォール>の原料が空気であることは判明していて、となると後継であるあの<スフィアプライア>も恐らく同じ空気で出来ている。それならば、空中を伝わる稲妻のように電気を通すのではないか。コーベはそう考えて、今度はタイヤに邪魔されないようポイントを調整して電流を流した。結果、大成功だった訳だ。

 目的は達成できたので、<T-T.A.C.>がその電撃を止めた。やはり駆動系は生きているらしく、ぎこちないながらも<〝q〟p.α.κ.>が体勢を立て直す。

《かニャり効いたことは認めるニャ……しかし、ニャんじ(汝)らは我輩を仕留めるまではかニャわニャかった(叶わなかった)! 電装系にダメージが残っているものの、<フォワパーランス>程度だったらすぐに使える……我輩の勝利だニャっ!》

《お兄ちゃん、私たちはまだゼンブじゃニャいですよ☆》

 メイド服を翻しながら、イスクがウインクで兄に返す。その仕草に連続するように、アルカが開幕のフラッグを振った。

『さぁ、フォーメーションラップはこいつで終わりだっ! ここまでは序章でしかねぇ! 下ごしらえが済んだんだ、ショータイムは今から始まるんだぜっ!』

 <T-T.A.C.>が刀を薙いで、プラズマによって少し浮く。対象を紅い眼で鋭く睨み、背中のトラスをフレキシブルに動かした。

「右側。<フィギュアフレア>っ!」

「左側は、<フィギュアフーガ>!」

 コーベとサキが言葉を並べ、翼のトラスがそれぞれの形になる。

 右のトラスは、四角形を作って前に突き出す。

 左のトラスは、放射状に広げて長さを伸ばす。

『さぁ――開演するぜっ!』

 アルカが声高に、力強く発した。

 モニタ全体にコーベが目を通し、アスタルの前方という一番狙いやすい位置に居た鋼鉄猫をロックオン。移動してポジションを変更してから右肩のトラスをその猫に向け、右腕のハードポイントと接続して射撃姿勢をとる。足の鳥趾をアウトリガにして、そこの地面を堅く掴み取った。

「まずはここから。<シスミレールガン>っ!」

 静寂と同時に閃光が走り、X型の砲弾が駆け抜ける。撃ち出され亜光速で宙を突き進んでは、狙ったその<メックス>に大きなクロスの風穴を開けた。血飛沫の代わりに鉄粉が舞い散り、少し遅れて流体の鉄が噴出する。

『四角軌』<シスミレールガン>。こうして、ひとまずは一匹を処分。しかし総数はまだ減らず、<〝q〟p.α.κ.>の取り巻きに一匹居る他にもあと四匹の反応がある。どれもが大きさ十メートル級。<T-T.A.C.>の背後、うち一匹がちょうどこちらに仕掛けてきた。

「サキ。繋げるよっ!」

「オーライ、コーベっ! さぁ猫ちゃんたち、いらっしゃいな!」

 <メックス>が殴りかかろうとして、しかしサキは機体を振り向かせない。他の敵に対応する訳でもなく、足を地面から離さない。それどころか見ることさえもせず、ガラ空きの背中を猫の殴打が――。

 到達する直前に、その<メックス>が八つ裂きにされた。

「<エクステリアセクタ>っ!」

 開かれた左のトラスには、三本の『腕』が各々取り付けられていた。そしてどの腕も手にプラズマソード発生器を携えており、鋼鉄猫を溶断したのはこの兵器という訳だ。

 元々やられた個体に続くつもりだったのか、隠れていた三匹の<メックス>も表に出てくる。下刻坂を下るようにして勢いをつけ突進してくるが、現在の<T-T.A.C.>にとってそれは無力だ。軽く一瞥しただけで全てを把握し、後は振り返らずに全てを始末する。

 最初の個体は、頭と胸と腹を突き刺して。

 次の個体は、四肢を削ぎ落とし首を刎ねて。

 最後の個体は、アスタリスク状に斬り刻んで。

 そこの左だけ、陽炎が湧く。

「<ミスミラディエーション>、抜かりは無いからねっ!」

 全てを一瞬で処分する姿は、まるで片側のみの破壊神。

『三角輝』<ミスミラディエーション>。背中の<ミクストトラスマニフォルド>が有する柔軟性を前面に出した兵装で、各トラスにホールドされた<T-T.A.C.>サイズのアーム――外腕である<エクステリアセクタ>(exterior sector)を三本駆使することで、三つの方角を基点としてどのような方位に居る敵にも対応可能。またアームには掌があるので今回のプラズマソードが基本なれども、これ以外にも様々な武装がオプションとして運用できる。

 残すは一匹、そして<〝q〟p.α.κ.>。アスタルはかなりの手負いなので、実質猫だけと考える。だがそれは間違いらしくて、耳をつんざく不快音が三人の頭を打った。前を見てみるとこちらの右側、新たに四メートルの<メックス>が発生している。

「良かったじゃない、ウイ。数が揃って!」

「……そうだねサキ、一匹だけじゃ物足りなかった!」

 鋼鉄猫を合計二匹、彼女がその射程に収める。中近距離の微妙な彼我差、今はさほど扱いに困らない。

 凸凹コンビのその二匹が、こちらを嘆願の眼で見つめる。

 熾天使はされども容赦無し。

「……<フタスミフラクチャ>、慈悲は無いからっ!」

 <T-T.A.C.>のロングスカートが、左右へと短冊状に展開して一対のフレイルとなった。

 これもプラズマを発生させて、自身の連接を自在にうねらす。勢いも同時に調子付けて、その二匹の<メックス>に対し棍で対物事故を起こした。右のフレイルで四メートルを、左のフレイルで十メートルを。鋼鉄の頭はどちらもひしゃげて、脳震盪どころか撲殺もいいところ。

 今しがた生まれた方の個体も、まさかこんな早さで殺処分されてリタイアするとは夢にも思わなかったろう。

 その動きは蛇というよりも、むしろ獲物を鞭打つ龍のよう。

『二角折』<フタスミフラクチャ>。普段は間接を蛇の字に折り畳ませて腰を後ろまで覆うスカートの形にしているが、一度展開してしまえばそれは二つの角を打つ二本の長い連接棍となる。一節それぞれがプラズマ発生装置ともなり、だから独立可動により幅広い柔軟性と攻撃力を備えている。

 新たな<メックス>の発生は、どうやらこれで打ち止めらしい。何のノイズも聞こえなければ辺りは液体金属のプールだし、もう<〝q〟p.α.κ.>はボロボロで独りぼっちだ。

「……コーベ、トリは任せたよ!」

「うん。ウイ、任されたっ!」

 三本の腕と二本の棍を、引き連れながら肉薄する。アスタルは満足に対応できず、自らの天命を待つばかり。

 下克上もいいところ、天使が死神に罰を与える。

 鳥趾で接地してブレーキング、トラスを羽ばたかせプラズマを煽る。バランスを取ったら黒猫を見据え、左手の刀で霞の構え。心の揺らぎを一瞬で鎮め、精神と太刀筋を一直線に。

「<ヒトスミバーティカル>。乱れは無いよっ!」

 垂直方向に振り上げて、雷の如く刃を落とす。

 蒼白い閃光が尾を曳いた。<〝q〟p.α.κ.>の右肩が、鉛直下向きに削ぎ落とされたのだ。

それは瞬きも許さぬ演舞で、電光石火のような切っ先。挙動も一糸乱れない。左腕だけで為されたというのに、<T-T.A.C.>は有無を言わさぬ威力を誇示した。

『一直角』<ヒトスミバーティカル>。<T.A.C.>が以前扱っていた、<リンクトボルト>と<ヒトスミストレイト>の融合と形容できるシロモノ。刃渡りが腕の長さほどある一本の角のような直刀それ自体がこれもプラズマ発生機構で、だから膨張圧による瞬発的な直角振り下ろしの加速が刃から得られる。またこのシステムを応用することで、先程の<リンクトエレクトロ>のような中遠距離の雷撃が可能だ。

《くっ、もうこの機体もニャがく(長く)は持たニャ――》

「イスク。出番だよっ!」

《かしこまりました、コーベくん☆》

 兄の言葉すら満足に譲らず、白猫が裏方を全て仕切った。

 頭上のほうから、ガスタービンの轟音が届いてくる。その正体はイスクがリモートコントロールする、<T-T.A.C.>用の支援輸送機。大して低空飛行でも無いのに、胴体を大きく開いては一つの物体を投下してきた。

 コーベたちはすぐさま飛翔し、それを空中で受領する。

 コーヒーマドラーの上下にシフォンケーキが二つ刺さったような、武骨な造りの必殺兵装。

『臼の連続』、<ミルメドレー>。

《まだ……そんニャモノまで残してたのかニャっ?!》

《お兄ちゃん、本日のデザートはこちらです☆》

 メイドの無邪気な営業スマイルに、執事服の黒猫は戦慄を覚える。

 左腕一本でそれを構え、一端のドラムをアスタルに向ける。そして出力最大で起動させ、臼を全力で回転させた。

 ちょうど舞い降り救済するように、熾天使が死神を下に見る。

「やって仕舞うよっ! <ミルメドレー>、<オーバーファイア>っ!」

 爆発的なプラズマの加速、鉄槌は回り振り下ろされた。

 普段はドラムに刻まれた隙間で対象を『磨り潰す』ところだが、今回は一味違っていた。まるでシールドマシンのように、底のただ一面だけで相手を『削る』。食べると言うよりは、侵食に近い。

 片面だけの、臼による研磨。

「<〝q〟p.α.κ.>を挽き殺すっ!」

 ワンボックスのような左肩を、<T-T.A.C.>はみるみると掘削する。ドラムの回転は勢いを増し、けれども反動は腕のハイブリッドが回生してくれる。

 肩を侵食し終わっても、彼らの仕事は終わらない。例え結界の装置を壊そうと、まだ削れる箇所が残っているから。

『舞われぇぇぇっ!』

 <L<ove>R>が三人で声を重ねる。

 死神の肩どころか、左腕までをも全て侵食した。


oveR-09


 結局、その後アスタルには逃げられた。

 逃がしてやった、と形容するのが正しいのかもしれない。三人は彼を殺処分したい訳では決して無いし、関市(と言うよりは自分たちの寝床)が無事ならばそれでいいのだ。何もAIの厨ネコまで殺すことなんてない。

 そして翌日、本関大学の文化祭も二日目。サキとウイに誘われて、今度はコーベも一緒になって食べ回っている。イスクは仕方が無いのでコーベのケータイから彼らの会話に参加させることにして、またアルカは野暮用があるため午後からならば一緒に回れると告げていた。教授職は忙しい。

「だからねウイ、あの主人公の女の子が焼きそばパンのパンの部分だけを食べさせられるシーンには読者への悲痛な訴えかけが隠されていて……」

「……サキ、いい加減少女マンガの趣味を隠し通すのは止めた方が良いと思う。どれだけ学術的なアプローチの言い訳を使っても無駄だし、それに私たちはそこまで少女マンガのこと気にしてない」

《そーですよサキにゃん! みんニャはサキにゃんのそんニャベルばら的ニャところより、その胸のパリ盆地の方を気にしてますから☆》

「イスク、私もうアンタと口利かなくてもいいわよね」

 そんな調子で女性陣が楽しそうに会話を繰り広げている中、コーベはただ一人物思いに耽(ふけ)っていた。このことを、サキとウイには話していない。前を見ずに、足元ばかりを見ながら歩く。まるで何か落とし物を探しているように。

 昨日、アルカに突きつけられた言葉。

『佐浦紗姫と、若狭羽衣――サキとウイは、記憶を失くす前からのお前の友達だ』

 彼の言葉が正しければ。話の流れから推測するに、ウイ、サキ、そしてコーベは、『タク』という旧友により意図的に記憶を抹殺された。そのタクがどんな子だったのかすら思い出せないのは、その為だろうか。

 ――奇妙な点が、二つある。コーベが怪訝に思った。

 まず一つ、どうしてアルカがこの話を知っているのか。この答えはどうだろう、もしかしたら彼はタクと直接の知り合いなのかもしれない。それでタクからこの話を告げられ、そしてコーベに伝えるよう頼み込まれた。勿論これはコーベの勝手な憶測で、真実は違うのかもしれない。いや、きっと違う。

 もう一つ、アルカは『五人の子供たち』と言った。うち三人が<L<ove>R>の面々で、また一人はタクのこと。三人の記憶を消したのはタクで、この時点での登場人物は四人だ。

 ――あと一人、足りない。

 確かに居るはずなのだ。この話に関わっているどころか、間近で観測していた子供が。事の一部始終を全て知っていて、記憶も消されていない者。タクに加担した者とも考えられる。

 その者に逢えれば、記憶を取り戻せるのかもしれない。

 けれども、その子供に関する手掛かりを持っていない。コーベがどうにかして思い出そうとしても、そうしようとすると頭痛が襲ってくる。まるで鍵を掛けて引き籠っているかのように、記憶が部屋から出てこない。

「誰なのかな。その子――」

 秋と冬の狭間の風が、コーベの頬を冷たく撫でた。


oveR-Ext.


「みんなは学祭なのに、キミは回らなくていいの?」

「その予定は……いや、お前に話してもしょうがないだろ」

「何、それ?」

 タクがクスクスと笑う。冗談が通じる関係はやはり、彼にとって心地良かった。

 文化祭二日目、いつもの屋上。下の方でかなり浮かれている中、この二人は仲良く仕事の話をしている。

「それで、<〝q〟p.α.κ.>の修理はいつ終わりそう?」

「残骸は回収したからな、そこまではかからない。<T-T.A.C.>も無傷同然だし……」

「それ、その<T-T.A.C.>のことなんだけど」

 唐突に、タクが話を切り出してきた。

「<〝q〟p.α.κ.>はさ、ちょっと負け過ぎじゃないかな? これじゃあ、何のための二台体制なのやら」

「そこはもう、ドライバの技量のせいとしか言いようが無い。数少ない突破口を、正確に射抜いて来るからな。奴ら」

「それだけ、発想力豊かってことか……何だか、久しぶりにあの三人と話をしたくなってきたよ」

「同窓会でもするか? 何なら今から学祭に参加して、コーベたちに会いに行けばいいじゃねーか」

 またタクが笑う。今日の彼は下のお祭りのせいか、やたらと調子が良い。

「流石に、そこまではしないよ」

 けれどこの言葉を口にするときだけ、タクの目はきりっと引き締まる。

「折角の計画を、台無しにしちゃ勿体無いから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る