第4話 Edition-Her Rainy


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「あれっ……?」

「……どうしたの、サキ?」

 七月下旬、この頃雨が続いている。傘を差しながら大学構内の脇道を歩いていたサキとウイだったが、そんな彼女たちを遠くから見つめているモノが居た。

その視線に気付いたサキは、思わず立ち止まっては振り向いてしまう。そこに居たのは、一匹の仔猫だった。

「猫が、一匹居るのよ。こっちの方をずっと見てて……」

 その猫は白い毛並みをしていたが、腹のところにだけ三角形の模様がある。首輪が付いていないから、きっと野良だろう。この雨で、全身がずぶ濡れだった。

「……かわいそうだよ。せめて、屋根のあるところに移してあげないと」

「そうは言うけどね、ウイ……どこに連れてけばいいのよ? 部屋の中に入れるにしても、どこがいいか……」

 サキが溜め息をつく。ただ物置の陰だとかに移してやっても、どうせすぐどこかへ行ってしまってまたずぶ濡れになる。だからと言って室内に入れようにも、野良猫を受け入れてくれそうな部屋はまず無い。

「猫が彷徨ってたら飼い主の下に帰してあげるのが一番だけど、野良じゃあその飼い主さんが居ないからね~……」

 せめて首輪の一つでも付いていれば、状況はもっと変わっていただろう。飼い主の居ない猫というのは、とても扱いづらい。見捨てるか、保健所に預けてやるしかない。

「……でも、このままじゃ気が落ち着かないのはサキも一緒でしょ?」

「そりゃそうよ、ウイ。こんなに愛くるしい眼で見られちゃね」

 その猫は、ずっとサキとウイを見ている。まばたき一つせず、一瞬たりとも目を離さない。このしとしとと降る雨をも吸い込んでしまいそうな澄んだ目で凝視されたら、こちらも段々と魅入られてしまう。完全に相手のペースに乗せられている。

「……そうだ」

 一つのアイデアを思いついて、ウイが不意に呟く。サキがそれを訊き返した。

「何かあるの、ウイ?」

「……とりあえず、アルカの研究室にでも連れていけば」


「で……俺の部屋に来たと」

 すごく苛立たしそうに、変態イカレ科学者が言ってきた。

「……ダメ?」

「いや、ダメなモンはダメだろ。常識的に考えろって。勝手に他人の研究室にだなぁ、そのドブネズミみたいな猫を連れてくるのは非常識だって分かんだろーが……!」

「アルカ。ドブネズミはひどいって」

 隣に座っていたコーベが猫じゃらしを手に彼を咎めるも、効果は薄い。大学教授というモノは、つくづく心の無い人種である。

「別にいいでしょ? 猫だったら、うるさくないんだし」

「そーいう問題じゃねーだろ! 第一、世話は誰がするんだよっ?!」

「……富士見さんなら、きっとやってくれる」

「地味に説得力のあること言うのはやめてくれよっ!」

 アルカがわめき頭を抱える。あの爽やかイケメンな富士見さんだったら、絶対に自ら進んでしっかりと世話を見てくれるだろう。皿にキャットフードを盛る富士見さんの絵が容易に浮かぶ。

「僕は飼うのに賛成だけど。この仔猫、僕は好きだよ」

「お前の意見は聞いてねぇよ、地蔵にでも話しかけてろっ! いいか、とりあえずここで飼うなんて話は――」

 そう突っぱねようとした瞬間、不意に猫とアルカの目が合った。既にサキとウイを落としている、綺麗に澄んだ瞳。まるで、この世の暗部を嘆いて救いを求める聖人のような。

「無し、だから……」

 徐々に徐々にと、アルカが猫に吸い寄せられる。目を逸らしたくても逸らせない、そんな訴求力を彼女は持っていた。

《私のことを見捨てるニャんて……そんニャこと、しませんよね?》

「くっ……な、何を言っても無駄だぞ! 俺はだなぁ……!」

 猫の声が聞こえたらしく、イカレ科学者が言葉を口に出し始める。ひどく狼狽えた様子で、上半身をのけ反っていた。

《私……この雨のニャか(中)、ずっとお外に居たんです。誰かに拾われることを夢見て》

「だったら……だったらっ! そんな夢を見たまんまなぁ、覚めぬ眠りにでもついていればいいんだ! 元来、俺とお前は関係ねぇ……っ!」

 必死に抵抗するアルカは、人でなしと非難されそうなセリフまで駆使する。しかしそれを咎めることも無く、ただ純粋に助けを求める猫。まるで罪人と聖人の対比だ。だからアルカという比較対象によって、その猫の無垢さがより一層際立っている。

 そしてトドメは、このセリフだった。

《このまま死ぬのは……ヒトの愛を知らないまま死ぬのなんて、私は嫌ですっ!》

「っ……! お前、そこまで……」

 彼の琴線に触れでもしたのか、アルカの意志が揺らぎ始める。次には、エサ代など諸経費の計算。そして、彼女と一緒に居てあげられる総時間の計算。

 いけるんじゃないのか、と彼は結論付けた。

「いいぜ……お前が知りたいって言うんなら、俺が教えてやるよ。その、ヒトの愛ってやつをな」

《ホントですかご主人様っ?! じゃあ早速今夜、私と鴬谷のホテル街へれっつご~☆》

「あ? って……イスクっ?!」

《そうですよ、気が付きませんでしたかニャ?》

 何を隠そう、傍らで事の成り行きを見守っていたイスクがアフレコをしていたのだ。常識的に考えて、猫が喋るなんてことはあり得ない。

「……まさか、本当に猫と会話してたんじゃ」

「そんな訳無いでしょウイ、コイツは仮にも大学教授なのよ?」

「ねぇアルカ。イスクと一緒にホテル行くのと、僕と一緒に病院行くの。どっちがいいかな?」

「どっちも嫌に決まってんだろーがよぉっ!」

 終いにはウイ、サキ、コーベの三人にまで馬鹿にされる変態イカレ科学者。これは、三日間寝込んでも仕方が無いくらいの心的ダメージだろう。

《と・こ・ろ・で~、ご主人様はさっき、このネコにゃんを飼うって言いましたよね?》

「は? 言ってねーよ、お前一回デフラグした方がいいんじゃねーの」

 そんなイスクの揚げ足取りを皮切りに、サキとウイが怒涛の勢いでプッシュする。

「いいや言ったわね、少なくともアンタの心は飼う方向になびいてた」

「くっ、痛いとこ突いてきやがる……けど、ダメなモンはダメだぞ」

「……ヒトの愛を、この子に教えてあげるんでしょ?」

「お前それ忘れろよ、恥ずかしくて俺の火山がバーニングしちまう」

 しかし中々落ちないアルカ。だからコーベが躊躇なく、最終兵器を投入する。

「はい。この子のこと、よーく見て」

 彼の目の前に、その仔猫を持ってくる。コーベに抱えられた彼女は、じっとアルカの眼を見ていた。今度はイスクのボイスも聞こえない。

 吸い込まれるような、純真の瞳。

 ふと、お腹に三角形の模様があることに気付いた。

「デリカ……だな」

「うん。三菱<デリカ>がどうしたの?」

「ちげーよ、コイツの名前だ。三角形の模様から、デルタをもじって『デリカ』にしようって言ったんだ」

 そう口にしたアルカは、珍しく微笑んでいる。

「……ってことは」

「アルカ、もしかして――!」

 彼女たちの嬉しそうな声色に答えるように、その科学者は誇らしく宣言した。

「あぁ……このデリカ、ここで飼うぞ!」

 こうしてめでたく、アルカの研究室に新メンバーが加わった。


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 それからの日々、特にアルカが楽しそうだった。

 研究室の角の方には、デリカ用のスペースがある。そこから一番近い席に座っているのがアルカなので、よく彼が世話を見ていた。この前なんて、膝の上にデリカを乗せたまま昼寝していたりもした。普段の彼からは想像も付かない光景だ。

 アルカがリラックスしていることを、サキたちや富士見さんは嬉しく思った。元々教授職は心労も多く、だからデリカのような癒しがアルカのそばに居てくれるのは効果絶大だ。

 勿論、彼だけがデリカを可愛がっている訳では無い。富士見さんもよくキャットフードを買ってくるし、三人だってこうして時たまデリカに会いに来ている。

「お邪魔しまーす」

「……サキ、研究室には『失礼します』の方が良いんじゃ」

「気にしなくていいと思うよウイ。アルカだったら、絶対にこだわらないから」

 三時限目の昼下がり。いつもと同じく、軽い調子で入室する彼女たちだったが――。

 目の前の光景に目を瞠(みは)る。

 床に倒れるようにして、男女二人が絡み合っていた。うち男性の方は、あの富士見さんだった。

『……ご、ごゆっくり~』

 そう言い残して退室するサキたちだったが、流石にその二人に呼び止められた。


「それじゃあ、守谷(もりや)さんって富士見さんの先輩なんですね!」

「そうそう、だから富士見くんとは一年前からの付き合いなんだよ~☆」

「あはは……先輩、そんな言い方をしなくても……」

 そう愛想笑いを浮かべる富士見さんと先程絡んでいたのは、アルカのゼミ生のうちの一人である守谷さんという人だった。

よくこの研究室に入り浸っているサキたちとは初対面であるが、これは彼女に極度のサボリ性があるためである。講義どころか、ゼミまでよくサボっているとのこと。そんなのでいいのか大学生。

《守谷さんは、私の言語アルゴリズムを作成してくれた張本人でもあるのです☆》

「メインは新井教授主導だし、私は言われたままにプログラム書いただけだけど……つまり、私はイスクちゃんの母親ってことねっ!」

「……あー、納得しました」

 富士見さんが『頼れるお兄さん』なのに対し、守谷さんは『気さくなお姉さん』と言えよう。自由奔放で、人懐っこい。だからイスクを見ていると、この親にしてこの子あり、と感じさせてくれる。

「それで。守谷さんはさっき、富士見さんと何をやってたんですか?」

 コーベがそんなデリカシーの無いことをいつものボケ調で尋ねると、しかし守谷さんはテンションの上昇をストップさせて少し気まずそうな声色になった。

「あ……っと、そのことは置いといて。チーズケーキあるから、皆食べないかな?」

「そ、それじゃあ。先輩の付け合わせにでも、僕もコーヒーを淹れましょうか?」

『い、いただきます……』

 聞いてもいないのに、富士見さんまではぐらかしに参加する。どうやら深入りは禁物らしい。何となく察した三人は、大人しく彼女たちの厚意に甘えることにした。

「……ケーキって、どこかで買ってきたやつですか?」

 デリカの背を撫でながら、ウイが守谷さんに質問する。すると手をぶんぶんと振って否定し、ブラウンの落ち着いたエプロンを着け始めた。

「違う違う、私が作ったのよ。喫茶店でバイトしてて、だからお菓子作りは任せてねっ!」

「へ~、凄いですね! じゃあ将来はパティシエとかですか?」

 サキが目をキラキラと輝かせている。そういえば、女の子のなりたい職業第一位がパティシエだったか。少女漫画の趣味といい、つくづくこの十九歳は精神年齢の成長がどこかでストップしている気がする。

「就職先とかどこも無かったら、多分今のバイトから正社員にランクアップするかな~……別に目指してる訳でも無いんだけど、将来は結局パティシエで落ち着きそうかな?」

「守谷さんの作るお菓子は、お店でも結構評判なんですよ。僕もたまに寄るんですけど、いつも早い時間に売り切れるんですよ、彼女のチーズケーキ」

「富士見くん、お世辞はそのくらいで止めといてよ~☆」

 コーヒーをドリップしながら楽しそうに話す富士見さんと、満更でも無い表情をしながら作り置きのケーキに包丁を入れる守谷さん。傍から見て、二人はとてもお似合いだった。

「ねぇねぇ、イスク」

《ふぇ……どうしましたかニャ、サキちゃん?》

 そんな二人には聞こえないように、サキがイスクに耳打ちする。

「あの二人って、どんな関係なのよ?」

《どんニャ、って言われましても……ただの先輩後輩の関係ですよ? 夜の生活は分かりませんけど》

「最後の補足、悪意を感じるわよ……?」

 少なくともイスクの前では、守谷さんと富士見さんはそういう関係では無いらしい。

《第一、自分の娘の目の前で男と寝る母親ニャんて――》

「守谷さ~ん、もう出来ましたか~?!」

 サキが大声を出してイスクの失言を繕う。その時にちょうど、ケーキとコーヒーの準備が終わった。

「はいは~い! 守谷先輩特製の~、レアチーズケーキを召っし上っがれ~☆」

「コーヒーの方は、多分砂糖控えめで十分ですからね」

 小奇麗なプレートとマグカップに、それぞれクリームとブラックが彩られている。富士見さんの忠告通り、砂糖はスプーン少々に留めておいた。

「……それじゃあ」

「遠慮なく!」

「いただきます。まずはケーキから……」

 フォークで一口サイズに切り取り、そのクリーム色を口に含む。するとまろやかな甘さが一気に広がり、こちらの意識までとろけてしまいそうになった。

 その勢いで、今度はコーヒーを飲む。微糖にしろというアドバイスは、ここでようやく効いてくる。チーズケーキがとろとろに溶けた砂糖の代わりとなり、甘さが丁度良い塩梅となった。

『……おいしい』

 この言葉は、やはり三人一緒に。

「そう? だったら、お姉さん嬉しいな~☆」

「そう言ってくれると、守谷さんのケーキに合わせて淹れた甲斐がありますよ」

 二人の先輩も、その感想を聞いて喜んでいる。

「いやもう、すごく息ピッタリですよお二人!」

「……ケーキとコーヒーが、とてもマッチしてます」

「守谷さんのケーキはまろやかだけど。富士見さんのコーヒーが、その後味を引きずらせないでくれてますよ」

 サキ、ウイ、コーベが零した感想はどれも守谷さんのケーキ単体に対してでは無く、富士見さんのコーヒーと合わせた時の印象だ。それが一番記憶に残っているほどに、二人のコラボレーションが素晴らしく纏まっている。

《あのあの~、私の分はまだですか~?》

「イスクちゃんのは、え~っと……そうだ、デルタにもあげよっか!」

《無視ですかニャっ?!》

 いくら世界広しといえども、この下ネコイスクをここまで足蹴に出来るのも守谷さんただ一人だけだろう。

 そんな午後のひと時だったが、外の天気はあいにく崩れていた。


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「失礼しま~す、っと……あれっ?」

「……どうしたの、サキ?」

 サキが研究室のドアを開けると、途端にデリカが出迎えてくれる。しかしこちらが彼女を抱くことは許してもらえず、そのままの勢いで部屋から出て行ってしまった。

「……大変、追いかけないと!」

「あぁもう、誰よ放し飼いにしといたのっ?!」

 悪態をつきながら、二人が全力でデリカを追いかける。因みにサキが今研究室の鍵を開けたばかりなので、部屋の中は実質デリカ一匹だけだった。だから、部屋の中で彼女の面倒を見ていた者は居ない。

 しかし彼女の足は意外と速く、加えて身体がとても小さい。だから小回りがとても効くし、どんな隙間にでも潜り込める。二人が彼女を見失ってしまうまで、追いかけっこを始めてから三分と掛からなかった。

「す、すばしっこいわねあの子……」

「……でも、どうしていきなり部屋の外に出たんだろ」

息を切らしながらウイが声にするが、答えはサキにも分からなかった。

「私の知ったことじゃ無いけど……野生の本性が目覚めたとか」

「……何それ?」

「冗談よ、ネズミでも追いかけてたんじゃないの?」

 だとしても、気がかりなのはそのネズミを見なかったことだ。デリカの進んだ方向には、動物なんて何も居なかった。だから何かを追っていた訳でも無いし、それに何か怖いモノに追われていた訳でも無い。研究室に戻っても、彼女をびっくりさせるような要素なんて皆無だった。

「もしかしたら、ただ外に出たかっただけとかかな……?」

「……そういえば、散歩とかもしてあげてなかったしね」

 その線はあり得そうだった。或いは、室内での生活に慣れられなかったのかもしれない。今まで野良猫だったのだから、外で寝た方が落ち着けるに決まっている。どちらにしろ、サキたちがデリカを束縛していた可能性は否めない。

 ふと、窓から空を見る。今日も雲がどんよりとしていて、雨が今にもポツリと降り出しそうだ。

「……デリカ、濡れないといいけど」

 その後は外に出て彼女の捜索を続けたが、結局見つからずに陽が落ちてしまった。


 翌日、<メックス>警報が鳴った。

「アルカ。出撃準備はっ?!」

「おうよコーベ、いつでも行けるぜっ! 今日もぱっぱとブチ殺して来い!」

 大学地下のガレージにて。そんな過激なセリフを吐く変態イカレ科学者をよそ目に、サキは自分の<アクセラ>に起こった変化に感激していた。

「わ、私の<アクセラ>が……フルモデルチェンジしてるっ!」

 前回の戦闘で壊れたこのクルマを修理するついでに、<アクセラ>は二代目モデルへとその姿を変えていた。中身は性能差もあまり無いのだが、外観はまるで別物だ。風に運ばれる葉のような『流』フォルムが、車体の随所に採用されている。

「アルカ、ありがと! アンタいい仕事したわよっ!」

「気に入ってくれたかサキ! 褒めてもらうのは嬉しいが、とっとと猫を殺処分して来いっ! イスクっ!」

《かしこまりました、エレベータまで誘導しますニャ!》

 運転席に乗り込むと、モニタの角でイスクが出迎えてくれた。

「……イスク、今回もよろしくね」

《はい、お任せあれ~☆》

 サキ、コーベ、ウイの三人はそれぞれ可変自動車に搭乗し、彼女の指示に従ってアクセルを踏んだ。


 大学前の高炭街道に到着し次第、三機は車態から人態へと変形する。<ティーダ>と<アクセラ>の武装を積んだ輸送機はまだここまで来ていなかったが、コーベの<フィールダー>は近くの三階建て雑居ビルからいつものサブマシンガンを引き抜いていた。

「はてさて、さっさと片付けちゃわないとね……!」

「……デリカ、きっとお腹空かせて待ってるだろうから」

 サキとウイがそれぞれ呟く。昨日逃げてしまったデリカは依然行方不明のままだが、きっとどこかに居るはずだ。そう遠くへは行ってないだろうから、早く見つけて研究室に戻してやらねば。

 ポツリと雨が降ってきた。それぞれがワイパーを動かし始める。

「あ~あ、降ってきちゃった……やっぱ早めに終わらせて、デリカを屋根の下に入れてあげないとね」

「それで。イスク、敵<メックス>はどこに居るかな?」

《え~っと、そろそろ目視でき――って》

 珍しく驚いた素振りをして、イスクが言葉を途中で切った。モニタに目をやると、彼女の言う通り<メックス>が見える。大きさはいつもと同じ四メートル。代わり映えのしない鈍色は、曇天のせいで艶を失っている。どこにでもいる鋼鉄猫が一匹だけ単独で発生したのだが、しかしサキたちの目につく点がただ一つだけあった。

 腹の辺りに、三角形の模様が見えた。

「……まさか、あれ」

「デリカ……なの?」

 あんな形の模様を持つ猫は、街を探してもそうそう居ない。彼女たちの知る限り、たった一匹の猫にしかないシンボル。あの三角形は、間違いなくデリカのモノだ。

『まさか、昨日研究室から出た後に<MBC>を取り付けられたのか……っ?!』

「嘘でしょ、そんな短時間で……!」

 しかし、そう不自然な話でも無かった。<MBC>が体内に入り発動するまで半日と掛からないし、首輪を付けていなかったため装置を取り付けるスペースはあった。部屋から脱走して大学外に出ていた彼女が、今日の朝に<MBC>を取り付けられた可能性は十分にある。

「……もしかしてアルカ、この子を殺せっては言わないよね?」

 恐る恐る、ウイが尋ねる。いくら敵になってしまったとはいえ、あれだけ可愛がったデリカをこの手で殺めることなんて、飼い主であるサキたちに出来る訳がない。だから可能ならばサルベージしてやりたかったが、彼の答えはノーだった。

『いや、もう<メックス>になっちまったら殺すしかない。救う手立てが無いことなんて、お前らだって分かってんだろ』

「……でもっ!」

 デリカがサキたちの目の前まで来るが、<ティーダ>と<アクセラ>は一寸たりとも動けない。自分たちが拾った野良猫を殺すなんて、そんな身勝手なことは出来なかった。

 ただ一人、彼を除いては。

「コーベ……何、してるの?」

 サキが呟いた言葉の先には、手持ちのマシンガンをデリカに向けて撃っている<フィールダー>が居た。

彼の弾丸の洗礼を受けて、デリカはとても苦しそうにしている。元々彼のサブマシンガンは牽制用なので、単体で<メックス>を屠るほどの威力は備えていない。だから残酷にも、結果として生殺しになっていた。

 どうしてか、コーベは何も喋らない。サキが声を掛けたというのに、彼は黙ってマシンガンの引き金を引き続けていた。

「……ねぇ、コーベ。すぐにそんなこと止めて――」

「ウイ。黙ってて、僕もしばらく黙ってるから」

 次にウイの制止さえも、コーベは突っぱねていた。普段の天然ボケだが優しい彼と、今のこのコーベとはまるで別人のよう。

「ねぇっ、止めてよコーベ! どうしてそんなことをするのっ?!」

 諦めずサキが訴えるも、彼に対して効果なし。しかしそんなコーベを代弁するかのように、イスクがサキに対して話しかけてきた。こちらも普段の人柄とは別人のような、抑揚と特徴的な口調を殺した声色で。

《サキちゃん、コーベくんの邪魔はしないで下さい》

「イスクっ……何でアンタがそんなこと言うのよ?!」

《それが分からないんだったら、そこで頭を冷やしてよく考えて下さい》

 この時ほど、イスクがAIであることを実感した瞬間は無かった。まさしく無機質な機械として、テンプレートのような文言をイントネーションのない音声データで再生しているだけだ。まるで、葬式にでも参列しているかのよう。

 今度はアルカに対して、ウイがアプローチをかける。

「……ねぇアルカ、例え<メックス>になっても、あの子はデリカなんでしょ? それを殺そうとしてるコーベを、アナタからも止めさせてよ」

『同じことを二度も言わせるな。いいか、一度<メックス>になっちまったら、その猫はもう元には戻れない。救出なんて夢のまた夢、俺たちにゃ殺処分してやることしか出来ない。アイツがデリカなのは間違いないんだろうが――』

 アルカが一旦ブレスを入れ、次の言葉を強調する。

『それ以上に、あれは<メックス>なんだよ』

 <フィールダー>のサブマシンガンが、その鋼鉄猫を絶えず攻める。装甲はもうデコボコで、数か所は遂に貫通していた。しかし核を撃ち殺してはいないらしく、のけ反ってはじたばたと暴れている。その姿の、なんと哀れなことか。

「コーベ、もういいっ! もう、デリカを痛めつけないでっ!」

 サキのそんな訴えも届かないのか、彼は無言のままでいる。

「何か言ってよ、ねぇっ!」

 苦しそうなその<メックス>は、起き上がると尻尾を地面に突き刺した。これは地中から追加の鉄分を吸収するための仕草で、つまり二次巨大化の予備動作だ。

「……コーベの攻撃のせいで、デリカがストレスを感じちゃったの?!」

「あんな身体になってまで、まだ辛い思いをするなんてっ!」

 鉄の装甲が泡のように膨らみ、<メックス>の新しい皮膚が形成されてゆく。今度は傷一つない八メートルの巨体になったが、けれどもそのデリカだったモノは未だに苦しそうな表情をしていた。

『コーベ、可変自動車三機を合体させろ。あのサイズになられたら、もうそれしか対抗手段が無い。合体後は、お前一人だけのワンマン操縦が出来るようにするからな……イスク』

《かしこまりました、ご主人様。コーベくん、操縦方法は基本的にその<フィールダー>と共通にセッティングします。それと、武装はこの二つを使用して下さい》

「了解。<オーバーファミリア>」

 三人のそのやり取りの後、<ティーダ>と<アクセラ>は何の前触れも無く、自動的に合態へと変形する。ドライバーのウイとサキには何の情報も伝わってこなくて、武装がどうのと言われても理解できない。操縦桿を動かしても反応なし、唯一モニタだけはちゃんと仕事をしていた。

「……何が起こってるの?!」

「アルカ、イスクっ! ちゃんと説明してっ!」

 サキがわめくも、相変わらずイスクの返答が水面のように落ち着いている。

《だから、そこで黙ってて頭を冷やして下さい。どうしてあの<メックス>を攻撃すべきなのか、ゆっくり考えて下さい。アナタたちには、その義務があります》

「……イスク、何を言ってるの?」

《もう一度言います、それを落ち着いて考えて下さい》

 そう突っぱねられて、イスクからの通信が一時的に断たれた。唯一の情報であるモニタ映像に目をやると、どうやら三機はもう<T.A.C.>に合体したらしい。ゆっくりと重いトルクをかけながら、一歩また一歩と<メックス>に近付いてゆく。

 機体制御はウイの仕事で、機体操縦はサキの仕事。そうだったはずなのに、今の彼女たちが何もしていないのに動いている。

 二人の泣訴も届くことなく、デリカの生命がコーベによって断たれようとしていた。


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《コーベくん、このタイミングでお願いします》

「了解。<フタスミストリングス>」

 彼がそう口にすると、道路両側の店舗からワイヤに繋がれた矛が二本伸びてきた。それらは<メックス>の後足に巻き付き、アンカーとして地面に突き刺さっては鋼鉄猫を固定する。

 二角縛<フタスミストリングス>。<メックス>捕獲用というよりは足止め用のトラップで、このように二つの角から射出されるアンカーを使って捕縛し行動不能にさせる。デリカだったその<メックス>は唯一動く前足を振るが、それで何が変わる訳でも無い。ただ虚しいだけの抵抗だ。

「……コーベ、落ち着いて! デリカを助ける方法だって、きっとまだあるっ!」

 全然落ち着いていない声色で、ウイが彼を制止する。しかしコーベは相変わらずに聞く耳を持たず、それどころか反論をしてきた。

「ウイ。そう言うことは簡単だけど……それじゃあその方法が見つかるまで、デリカはどこで何をすればいいのかな?」

 音声通信が届くだけで、彼の表情はモニタに映らない。いつもはそんなこと無くて、例え戦闘中でもあの優しい笑顔を見せてくれるのに。

『そこの右手の建物に武器がある。それを使え』

「了解。アルカ」

 雑居ビルの外壁が開き、中から金属を削り出しただけのモノリスが出てくる。刃はあるが峰の幅が太い、断面図が三角形の武骨な刀。<T.A.C.>は左手にそれを取り、すぐに両手で構える。

「僕にやらせたいこと。分かったよ」

『なら良い。頼むぞ』

 コーベもアルカも、呟くような声量でのやり取り。その中身は、サキとウイには理解できない。

「ちょっと、何言って――」

《<T.A.C.>、前進させます》

 無機質なイスクのボイスが流れ、その通りに機体が動く。ゆっくりと、しかし確実に、彼女たちは<メックス>へと接近している。

「……待って! この機体、私の方から停止させるには――!」

《無駄です、ウイちゃん。<ティーダ>からの接続は断っていますから》

 その冷徹な宣告を受け、ウイがインパネを両手で叩く。二人に出来ることは何も無い。飼い猫すら、満足に守ってやれない。けれども最後の希望として、サキが必死にコーベへと言葉をぶつける。

「コーベ、ねぇ聞いてよっ!」

「サキ。お願いだから、口は出さないで」

「お願いしてるのは、こっちの方っ! このままコーベがデリカを殺すって、そうなっちゃったら――」

 彼が思い留まらなくても、それでも彼女は言葉を告げる。

「私……コーベのこと、嫌いになんてなりたくないよっ!」

 嗚咽を漏らしながら、彼女が絶えず訴える。視界が滲んで、もうモニタも見られない。この涙はデリカに対してのモノか、それともコーベに対してのモノか。

 だけれども、彼の答えは。

「ゴメン……サキに嫌われても、それでも僕は構わない。やることの意味さえ、それさえ分かってくれれば」

 慰めるような調子なのに。コーベの申し訳なさそうな表情まで思い浮かぶのに。そうなのに何故か、彼女にはそれが酷いセリフに聞こえた。

「コーベも、イスクも……どうしてデリカを殺さなくちゃなのかなんて、そんなの私には分からないよぉ……っ!」

 シートの上で膝を抱えながら、サキが俯いて泣き続ける。一方のウイも同じように、モニタから目を逸らしては悔しさと情けなさで唇を噛み締めている。

そして<T.A.C.>は、その鋼鉄猫の目の前まで肉薄した。

 長雨は止む気配を見せなかった。しとしとと降り注ぐ天の涙は、その場の全てを静かに濡らす。ずっと永遠に続きそうな。

 <メックス>は前足をじたばたとさせ、コーベの接近を許さない。アスファルトは大きくひび割れ、亀裂が彼とデリカとを隔てる。

 しかしその橋渡しとして機能したのは、残酷にもリーチの長い、<T.A.C.>の持つ武骨な刀だった。

「コーベ、止め――!」

「<デルタセパレータ>……<オーバーファイア>」

 サキの言葉が伝わらずに、<メックス>の首が刎(は)ねられた。

 血飛沫なんて、そんなドラマチックなモノは流れない。ただ製品を分解するかのように、デリカは解体されスクラップになってゆく。

 <デルタセパレータ>。見た目はただの鋭い三角柱のオブジェにしか見えないが、その大きさは生物の身体を開くのに適している。例えるならば、マグロの解体をするための大太刀。

 次に前足、そして後足。核を殺さない限りは消滅しないのが<メックス>なので、このダメージは苦痛として残る。するとやがて、核の猫がショック死をしてしまうというシステムだ。

 分離したデリカの顔は、とても悲しそうにこちらを見ていた。

「やめ、やめて……」

「…………」

 サキが覇気の無いうめきを上げ、ウイは言葉すら発せない。目の前の惨劇は、彼女たちにとって悪夢だ。仲間のコーベの手によって、飼い猫のデリカが捌(さば)かれてゆく。あの日猫じゃらしを楽しそうに振っていた彼は、果たしてこのコーベと同一人物なのだろうか。

 ダルマになった<メックス>の腹に、とうとう<T.A.C.>が刀を入れる。縦にぱっくりと大きく開くと、蜘蛛の巣のように張り巡らされた神経回路、そしてそれらに繋がれたデリカが見えた。

腹のあたりにある三角形の模様は、見間違えることなんか絶対に無い。でも、見間違いであってほしかった。

 アルカもイスクも、そしてコーベも、誰も一言も喋らない。

 神経の糸をすべて断ち切り、<T.A.C.>が素体を抜き取る。もう息を引き取って、心臓も動いていない。その素体からの接続が無くなった<メックス>の残骸は、溶けて鉄の液体になった。先程の亀裂に流れて、魂もその場を離れていく。唯一、亡骸に刹那の温もりを遺して。

 雨が<T.A.C.>を非難するように強く打ち、カメラアイから雨水が涙のように流れ続けた。


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 コーベの頬を叩く音が、ガレージ中に響き渡った。

「コーベ……信じてた、のに……っ!」

 サキが目を赤く腫らしながら、彼に向かってきつい言葉を放つ。戦闘終了後、大学の地下ガレージに戻ってクルマを降りた直後にこの状況が起こっていた。

 コーベは、何も喋らない。ただ申し訳無さそうに、俯いているだけだった。

「……コーベ、お願いだから何か言って。お願いだから、私たちを安心させて」

 何かにすがりたいような眼差しをしながら、ウイが彼に注文した。可愛がっていたデリカが死んで、加えて彼女たちの知っているコーベがコーベでなくなってしまったら。そう思うと、二人は気が気でいられなかった。

「ゴメンね。本当は、サキとウイにも事前に話すべきだったんだろうけど――」

《コーベくん、そんなことよりもやることがあるはずです》

 ようやく彼が口を割ったと思ったら、今度はイスクが乱入してきた。口調はまだ変わらず、機械のような無機質。

「そうだね。早くしないと……ウイ、サキ。ゴメン、話は後でするから」

「ちょっ、コーベ!」

「……待って、逃げないでっ!」

 二人で引き留めようとするも、彼は<カローラフィールダー>に乗ってどこかへ行ってしまった。すぐに彼女たちも自分のクルマで追いかけようとするも、イスクからストップがかかる。

《まだ……まだ、分からないんですか》

「……イスク、どうしてデリカをコーベに殺させたの? 助け出す方法だってまだあったかもしれないし、それにあの子だってそんなのを望んでなんか――!」

《いい加減にして下さい……!》

 キーを回したエンジンのように、彼女の声色に熱が籠った。いきなり強気に出られたので、サキもウイも一瞬狼狽えてしまう。

「い、イスク……?」

《夢を見るのは、終わりにして下さい。<メックス>を元の猫に戻す方法なんて、存在しないんです! 例え将来それが見つかったとしても、その時までデリカをあのかわいそうな状態で放ったらかせって言うんですかっ?!》

「それは……っ!」

 反論しようとして、サキが何も言い返せなかった。未来に希望を持っていいのは、現状がさほど苦しくない時だけだ。デリカが苦しんでいたというのに、彼女に『その状態でずっと待っていろ』と聞かせるのはあまりにも酷である。

《だからコーベくんは、デリカが哀しみから解放されることを望んだんです! ずっと苦しみ続けるよりも、死なせてあげた方がよっぽどいいって!》

「……それ、コーベがこの前言ってた……!」

 今月の頭に、彼は静かに述べていた。<メックス>になってしまったらもう助けられないから、だから自分は憐れむのも諦めて彼女たちを殺していると。そして、その行為は皆を守るためだけでは無くて、化け物になってしまった猫のためでもあるのだと。

《コーベくんは、自分がデリカを殺してあげようと考えました。誰でも無い、飼い主だったコーベくん自身が! 知らない他人に処分されるよりも、デリカの知っている人がその最期を看取ってあげた方が良いって! だから、神経接続を断ち切ってまでデリカの亡骸を残して持って帰ったんですっ!》

 神経を全てカットしてやることは、<メックス>の核を消滅させずに残す唯一の方法だ。猫を直接殺めず無力化するにはこれしか無い。

 そして、彼は核となったデリカの死体を本体から切り取って形だけでも残した。その行動の意味は、たった一つしか無い。

「……コーベは、デリカを」

「埋葬してあげたかった……?」

《そうです、その通りですっ! せめてもの供養の気持ちとして、コーベくんはデリカの身体を壊さなかったんです! サキちゃんもウイちゃんも、そのことに気付きましたかっ?!》

 このイスクの質問には、残念ながら首を横に振るしか無い。二人が頭を冷やして考えるべきことは、飼い主としていかにデリカを幸せにしてやるか、だった。あのまま生かしてやりたいという自分たちのエゴでは無く、ああなってしまった彼女にとっての幸せとは何なのか。それを落ち着いて思索して、そして理解した上で殺してやって亡骸を埋めてやるべきだった。

 正しいのは、コーベの方だった。

「あ……私、コーベに酷いことした」

 たった今、彼を叩いたことをサキが思い出す。ウイも戦闘中、何度コーベを惑わすような発言をしたことか。

「……謝らなくちゃ。コーベに」

「埋めるとしたら……イスク、コーベは今どこに居るのっ?!」

 必死の形相で、二人がイスクに問い詰める。すると彼女は一度だけ力を抜いて優しい表情を見せ、<アクセラ>と<ティーダ>のモニタに<フィールダー>の現在位置を表示する。

《私が言えるのは、以上です。後は、謝られる側のコーベくんの気持ち次第ですから》

「イスク、ありがとっ!」

 そう言い残して、サキとウイはそれぞれのクルマに乗ってガレージを飛び出した。


 そこから見えるのは、大きなアスファルトの亀裂だった。

「ここって、さっきの……」

「……デリカのことを、切り取ったところ」

 サキとウイが辿り着いたその小さな公園は、先程<T.A.C.>と<メックス>が戦闘を繰り広げた地点のすぐ近くにあった。だからあのひび割れは、デリカだった鋼鉄猫が溶けた液体が流れ込んだモノということになる。

 そんな公園の角で、コーベが膝をついていた。

「……コーベ、それって」

「ウイにサキ……ここだって、イスクが教えてくれたのかな。そうだよ、これはデリカのお墓。すごく簡単な造りだけどね」

 少し盛り上がった土の上に、雑貨屋で買ったらしき三角形の鉄製プレートが固定されている。コーベはそこに、赤銅色の菊の花を一輪だけ添えた。

「本当は。ちゃんとしたところにちゃんとしたお墓を造ってあげなきゃなんだろうけど……でも、デリカの魂はきっとここに残ってるから」

 そう口にする彼は、今だけ無理をした笑顔だ。自らの手で殺めてしまって、コーベだってきっと辛い。

「コーベ……ゴメンね。私、アナタのこと叩いちゃって……」

「……ゴメン、コーベ。私たちが、デリカの幸せについて考えてあげられたら――」

「ううん。いいよ、サキもウイも悪くない。僕だって混乱してて、二人に僕の思ってたことを伝えられなかったんだし。お互い様だよ、僕たちは」

 今は小雨に変わっていて、空も泣き止み始めている。いつまでも悲しみ悔やんでいては、どんなことだって進まない。

 デリカに対して彼がしたことは、きっと最善の策だった。

 とりあえず、今は三人ともそう考えることにしておく。

「さて。湿っぽいのも気が滅入るから、皆で何か食べに行こっか?」

 コーベが一つ背伸びをして、サキたちに提案してきた。

「食べに、って……えらく気楽ね、コーベ」

「そうでも無いよ。お通夜の時にお寿司を食べるのだって、ぱーっと明るくして悲しまないようにしようって理由らしいし」

「……私、甘いモノが食べたい」

「って転換早いわね、ウイ……じゃあ、守谷さんの働いてる喫茶店にでも行ってみる?」

「……場所、どこだっけ?」

「確か。大学の裏手の方だったと思うけど……駐車場も多分無いだろうし、一回ガレージに戻ってみよっか」

 率先して、コーベが<フィールダー>に乗り込む。さっきはあんなに無理をした表情をしていたのに、彼も気持ちの転換が早い。そんなこと、サキには到底出来そうにも無かった。

 けれど。

「ついて行けばいっか……そうよね、ウイ?」

「……ん? そうだね、コーベについて行けば」

 そんな会話を、彼女たちは交わした。


oveR-Ext.


 夜の十一時、いつもの屋上にて。

「タク……今回の件は何だ?」

 珍しく、彼がタクを睨みつけていた。原因は言うまでも無い。

「ゴメンね、僕としてはターゲットは無作為に選んだつもりなんだけど……本当に、偶然としか言えないんだ。ゴメン、この通りだから」

 そう言ってタクが頭を下げ、ようやく彼が落ち着きを見せる。

「まぁ、偶にはこういうこともある……ということにしておこう。いつまで悲しんでても、何も進まないからな。ただ、今度からはターゲットに仕掛ける前に俺を呼んでくれ」

「うん、分かったよ。これからは、気を付ける」

 これで、ひとまずは一件落着。タクが次の議題に入る。

「<p.α.κ.>の方は、直ったの?」

「あんなものは修理とは呼ばん、何せ三日と掛からなかったんだしな。もっと大変なモノが……」

「その件に関しては、お疲れ様。じゃあ、二回目の実戦投入も問題無し?」

 尋ねると、彼は静かににやけた。

「あぁ、例のシステムも完全だよ」

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