第5話 Edition-Willow's Mind


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 夏も佳境へと差し掛かってきた、八月の終わり。普通の学生ならば今頃は夏休みの宿題に追われているのだが、しかし彼女ら大学生は違う。そう、夏季休業期間は八月と九月の二か月間なのだから。むしろ、夏はこれからだ。

 サキもそんな大学生の一人で、夜の優雅なひと時をアイスバー片手にベッドの上で過ごしていた。気持ち良く開け放たれた窓から、星の光と熱気が入り込む。いくらミディアムボブといえども、首筋から背中にかけて少し蒸れる。若草色のノースリーブは、彼女の肩を流れる汗を隠さなかった。

ここ関市の夏は、毎年暑い。フィース随一の海洋である瀬野灘(せのなだ)が近いので、季節風が熱のこもった湿気を運んでくるのだ。本国日本の関東平野と、立地的によく似ている。

 棒に書かれていたのがストライクだったことに落胆していたら、彼女のケータイが一通のメールを受信する。すぐにチェックしてみると、差出人はコーベだった。

「えっ、何?」

 思わず、サキはドギマギしてしまう。何たって、コーベからの連絡なのだから。

 先月の初め、蜜柑色の夕陽に染まった講義室。そこでコーベは、サキの心に溜まっていた負の感情を引っ張り出してくれた。

『お姫様の部屋』と彼女が名付けた頭の領域に隠されていたその感情は、誰にも打ち明けないことによって更なるストレスを呼び寄せていた。しかしこれを彼が指摘することで明るみに出してくれて、サキの閉じ込められた想いを解放してくれた。

 ――彼ならば、自分のことを全て分かってくれるのではないか。

 気付けば、サキはコーベに恋心を抱いていた。今まで誰も彼女という人間を理解してくれなかった中で、彼は初めてサキの心中を把握してくれた。だからこのようなたった一通のメールでさえ、彼女にとっては大きなイベントとなりうる。

 慌てふためいてケータイを床に落としそうになりつつ、彼から来たEメールの内容をチェックする。本文は以下の通りだった。

《夏も終わりそうだし。今週末、三人で海に行かないかな?》

 三人で、ということは、彼女とコーベの他にウイも誘っているということだ。

友達同士で海に行くなんて、サキにとっては初めてのことだ。『好きな人であるコーベと一緒に海へ行く』という期待よりも、こちらのイメージの方が先に思い浮かんだ。

「ウイも一緒に行くってことは、ウイの水着も見られるのよね……」

 じゃ無くて。

「ウイ、そもそも行きたいのかな?」

 そう思い立って、彼女はシャイな友人に電話をかけてみた。

「もしもし、ウイ? ねぇ、コーベから海に行かないかって誘われたんだけど……そっちにもメール来てる?」

『……うん、来てる。でもサキ、どうしたの?』

 いつも通りの落ち着いた声で彼女が返してきたので、サキは勇気をちょっとだけ振り絞って言葉にした。

「いや……ウイと一緒に水着を買いに行きたいな~、って思ってね。というか、ウイを私好みのウイにしたい」

『……サキ、犯罪の臭いしかしないんだけど』

「大丈夫、女の子同士なんだから至って健全だよ!」

『……健全な人は、そんなに息を荒げたりしないと思う』

 そうウイに指摘されて、サキは初めてスピーカーに口を近付け過ぎていたことに気付く。ウイをコーディネート出来るチャンスだと考えたら、ついいつもの少女趣味が前面に出てしまった。

「あはは、ゴメンゴメン……それで、どうする?」

『……うん、行くよ。明後日が暇だから、その日でいいよね?』

「了解、楽しみにしててね~!」

 アポを取り終わり、サキは通話を切った。


「という訳でアルカ、クルマ貸してよ」

「は? ふざけんなよこの腐れリア充どもめが」

 至ってナチュラルな調子でそう言い返された。

 海へ行く予定の二日前。考えてみればどうやって行くのかを何も決めていなかったので、三人はアルカから可変自動車を借りようと頼み込んでいた。

 この可変自動車は、簡単に言ってしまえば人型に変形するクルマのロボット。ウイが日産<ティーダ>、サキがマツダ<アクセラ>、コーベがトヨタ<カローラフィールダー>にそれぞれ搭乗し、鋼鉄で出来た巨大な猫のモンスター<メックス>を殺処分するのが彼らの役目だ。と言ってもこれら三台はクルマとしても十分に機能するので、今回のようなタウンユースにだって使える。

「そこを何とか。アルカが一緒に行けないのはすごく残念だけど……」

「そう思うんならよぉ、いっそのこと計画を中止してしまえばいいんじゃねーのかね」

「……アルカ、今鬼畜発言したこと分かってる?」

「うっせーな! あぁそうさ、どうせ俺は今週末も研究でここにこもりっきりさね!」

 そうなのである。コーベ達大学生が夏休みを満喫している間も、若き十九歳の天才である新井悠教授ことアルカは仕事が山積みなのだ。だから遊びに行く暇なんて無く、結果としてこのようにお留守番を余儀なくされていじけているのだろう。

《ご主人様、元気を出して下さいニャ! 誠心誠意、私がお口でねっとりとご奉仕しますから☆》

 そうウインクをしながら横槍を入れたのは、ネコミミメイドのホログラムをした情報統合/支援機器制御AIであるイスク。このように下ネタを普段から容赦なくかますので、別名は下ネタ猫かぶり変態AI(略して下ネコ)だ。

「お前……プログラム製作者の俺から見ても気持ち悪いぞ、その思考アルゴリズム」

「じゃあ、何でそんな性格にしたのよ……?」

 サキが呆れながら突っ込む。そんな時、アルカの脳内で一つのアイデアが弾けた。

「そうだ……この手があったか! おいお前ら、可変自動車を自由に使ってもいいぞっ!」

「……本当なの?」

「あぁよぉ、俺に二言はねぇ! 嘘じゃないぜ、しかし条件が一つだけある――」

「アルカ、その条件って二言目に該当するわよ」

 彼が言葉を溜めている間、三人が息を呑む。そうして出てきたその一言は、衝撃的なモノだった。

「イスクも一緒に連れて行け」

「アルカ。妥協してくれないかな?」

 コーベ、間髪入れずに交渉開始。

「するわきゃねーだろ、海と水着のコラボにイスクをぶっこむのは確信犯だ」

《ご主人様、確信犯で私にぶっこむだニャんて……☆》

「いや、お前は黙ってろよ下ネコ」

 アルカが軽くあしらう。それにしても、これはコーベ達にとってとても厳しい条件だ。この下ネコに水着なんてモノを見せてしまったら、そういうことしか言わなくなってしまい周囲の海水浴客にまで精神的被害が及ぶ。呟く程度だったらまだ許容できたのだが、如何せんこのイスクは声が大きいのだ。

「……どうしよっか」

「悩ましいわね、これは……イスクと一緒だなんてダイナマイト抱えながらガソリンスタンドにダイナミック入店するようなもんだし、けどクルマが無いと交通費もかさむし……」

 足を取るか、恥を取るか。二者択一の葛藤が三人を支配する。そんな彼らににじり寄るアルカは、妥協の二文字を認識しない。

 結果、コーベ達が選んだ結論は――。


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《お疲れさまでした、目的地の七浜(ななはま)に到着ですニャ☆》

 彼らが選んだ結論は、これだった。

「イスク。お願いだから黙っててね」

《コーベくん、それはつまり私に騒げって言ってるのでしょうかニャ?》

「……コーベ、諦めた方が良さそう」

 とりあえず暴走する気満々の下ネコは端末である招き猫を灼熱地獄の車内に閉じ込めておくとして、サキとウイは更衣室へと先を急いだ。

「それじゃ、私たちはちゃっちゃと着替えてくるから~。海の家の前で合流しよっか」

「そうだね。じゃあ、行ってらっしゃい」

 そう言って二人を見送ってから、彼も準備をしようと<フィールダー>のバックドアを開く。中には彼の荷物のほか、シートやパラソルが入っていた。こんな時、ステーションワゴンは便利である。

《コーベくん~、早く助けて下さいニャ~!》

「そこで頭冷やしてるといいと思うよ」

《逆に頭が溶けちゃいますよ~!》

 うるさいので、一旦イスクの招き猫を車外に出してやる。ホログラムとして漂う彼女は、汗を流しながら団扇を仰いでいた。

《ふ~、死んじゃうかと思いましたよ~。それにしてもコーベくん、色んニャお客さんが来てますね! ほら、あそこのおねぇさんニャんてカリカリ小梅がポロリと零れ――》

 コーベ、無言で招き猫を<フィールダー>の屋根の上に置く。

《熱い、熱いですニャ! クルマのボディが日差しを吸収してアツアツのグリル状態にニャってて、とってもウェルダンに焼け上がっちゃいますニャ~!》

「灸を据える。って言葉があったよね」

《いいから、早く~!》

 そんな苦しむ下ネコは放置しておいて、コーベも着替えに更衣室へと向かっていった。


 そして三〇分後。パラソルなどのセッティングを終えてから、コーベは約束した場所である海の家の前で二人を待っていた。あのままにしてもしょうがないだろうから、イスクの端末もとりあえず持ってきている。

《二人とも、そろそろ来ますよね。はてさてどっちがマイクロビキニニャのか気にニャりませんか、コーベくん?》

「いや。何でマイクロビキニが最低一枠あるのが当然のように言ってるの」

 そんなどうでもいい世間話を下ネコと繰り広げていると、サキとウイが手を振りながらこちらへと向かってきた。

「ゴメン、待ったよね?」

「……サキが、こっちの方が良いって聞かなくて」

 そんな二人を見るや否や、コーベは素直に可愛いと感じた。

 サキはいつもの黄色いヘアゴムで、ミディアムヘアをアップに纏めていた。あまり見られない彼女の首筋には、小さなホクロが一つだけちょこんと乗っている。深い青のホルタービキニは、サキの絞られたウエストと脚を余すことなく強調していた。

 ウイはいつもの空色の眼鏡を外し、コンタクトレンズを着けていた。彼女は近眼なので、レンズ越しに見ない眼は普段と比べて大きく映る。イエローのフリル付きバンドゥビキニは、ウイの溢れるバストを抑えようとしなかった。

「サキもウイも。似合ってるね、好きな感じだよ」

「……ありがと」

「ね、私の目に狂いは無かったでしょ?」

 ウイは目を逸らしながら恥ずかしげに呟き、サキは微笑みながらグッドサインを出している。最早告白魔コーベの定番とも言える彼からの『好き』の言葉が出た後は、当然下ネコの評論しか待ち受けていない。

《ニャニャニャ、ウイちゃんは大胆に来ましたね~! あえて紐の細いバンドゥビキニを選んでたわわに実る果実を隠さずセクシーに行くかと思ったら、フリルを付けることで可愛らしさもアピールっ! 身長低めで童顔のウイちゃんにはピッタリの水着ですね☆ 対してサキちゃんのホルタービキニは、弱点のまニャ板を目立たせずに自慢のウエストを強調して、堅実に攻めていってますニャ! 後ろに回っても紐が細くて、背中のラインを堂々と隠さニャいのもナイスです☆》

「あ、あはは……ありがと、イスク」

「……褒め言葉として、一応受け取っとこうと思う」

 彼女の熱弁に若干引きつった笑みを浮かべつつ、サキとウイはとりあえず礼の言葉を並べた。この下ネコの言うこととなると、信用していいのか悪いのかよく分からない。

 ふと、二人がコーベの方を向いた。

「……まさか、とは思うけど」

「コーベ、アンタ私たちのことをそんな目で……」

「ちょっと待って。僕完全にイスクのとばっちり受けてない?」

 こんな感じで実害が出てき始めたので、そろそろこの下ネコを棄てようかなと考えるコーベであった。


「ねぇ、ウイってやっぱり泳ぐの得意なの?」

「……そうだけど、どうして?」

《二つあるそのおっきニャおムネの風船が、プカプカと浮きそうだからですね☆》

 そんなことを指摘されたので、彼女たちは二人して招き猫を海の藻屑にさせようとした。

 ここ七浜海岸は関市の東側に位置する、春越湾(はるこしわん)に面した有名な海水浴場だ。浅いターコイズブルーの海は太陽の光を眩しく反射し、気候も暖流である御崎(みさき)海流のお蔭で暖かい。そのため今のような八月の下旬でもまだ開いており、特に泳ぎ納めとしてか海水浴客が他の時期よりも多かった。

「……コーベ、どこまで行ったんだろ?」

「さぁ、海の家とかじゃないの? この客足だから、多分借りられないでしょうけど」

 少し前、コーベはゴムボートのレンタルをどこかでやっていないかと一人で探しに出掛けた。その間サキとウイは暇になるので、こうして今は浅瀬で遊んでいる。

 膨らませたビーチボールを抱えながら一言、ウイが疑問を投げかけた。

「……ねぇサキ、このボールを使って何すればいいの?」

「ふぇ、ふぇっ? えーと、そりゃ……ビーチバレー、なんじゃないの? やっぱりさ」

「……二人だけで?」

「い、痛いところ突くわね……」

 何を隠そう、持病である記憶喪失の影響もあって中々友達が出来ないコミュ障のサキとウイにとって、海へ遊びに行くのは憶えている限りで初めてなのだ。だから何をどうすればいいのか右も左も分からず、今は半ば途方に暮れている。

「……サシでやるビーチバレーって、面白いのかな?」

「えっ、本当に一対一でやるの?」

「……じゃあ、何やろっか? ○ノ?」

「いやいや、海まで来てウ○って悲しくなってくるでしょーが……」

《ウイちゃんがサキちゃんの水着をドローツーしてから、ワイルドでサキちゃんのことを一夜でウイちゃん色に染めちゃうんですね! 分かりますニャ――》

 すぐさま手に持っているビーチボールで、ウイがイスク目掛けてダンクシュートを決めた。二点。

「……やっぱり、この下ネコは連れて来るべきじゃ無かったと思う」

「そうよね、その辺に棄てとかなくちゃね」

 その下ネコを激しく打ち付けたビーチボールは、水の上にもかかわらず跳弾する。そして明後日の方向へと飛んで行ってしまい、遂には近くに居た別の海水浴客の方へと流されてしまった。仕方が無いのでこんな状況を作った元凶を引き連れつつ、サキとウイはその二人組の男性客へと謝りに行くことにする。

「あの~、すいません……」

「……ボール、私たちのが飛んじゃって」

 特に強く出る訳でも無く、へりくだりながら二人が声を掛けた。こういうところにコミュ障の症状が現れて、傍から見れば今のサキとウイはもの凄く気の弱そうな女の子だ。だからだろうか、その若い男性たちにつけ込まれる。

「あ~、これのこと?」

「あっ、そうです。すいません、ありがとうございます」

「いいっていいって、それよりも二人だけで来たの?」

 このパターンはいわゆるナンパだと、すぐさまサキとウイは肌で感じ取った。コミュ障だから分かる、ただボールを返すだけなのに連れが居るかどうかを聞いて来るなんて不自然なことは常軌を逸している。

「……いや、友達が一人」

「そっかー、でもここには居ないよねー。はぐれちゃった?」

「良かったらさ、その友達が帰って来るまで俺らと遊ばない?」

 ウイなりに頑張って拒否をしたのに、男性たちはいとも簡単に打ち破ってきた。この会話の展開能力は、むしろ尊敬に値する。それでもサキが重ねて断ろうとするが、そうは問屋が卸さない。

「え~っと、その……私たち、そーゆーのは間に合ってるので……」

「とてもそうには見えないけどな~。さっきそこで、手持ち無沙汰にしてそうだったよね?」

「『遊び方が分からない』のなら、俺たちが教えてやってもいいよ? 何なら、場所変えてさ」

 下卑た笑いを浮かべながら、男性たちが二人の身体を舐めるように見つめてくる。しまった、先程の会話を盗み聞きされていた。これでは逃げ場が無く、どこだか分からない場所に連れていかれ――。

《いやいや、場所を変えるって言っても多分トヨタ<ハイエース>かホンダ<SM-X>だとか、広めのクルマのニャか(中)だと思いますニャ! そこでとりあえずおクチと胸から行って、セオリーだとその後水着の上からニャめて(舐めて)……あ、でもこれじゃカメラをいつ回せばいいのか……》

 幸か不幸か、このタイミングでイスクが会話に割り込んできた。ナンパが中断したことは二人にとってありがたいが、この人たちにとっては決してそうではない。いきなり音声を発したその浮かぶ白い招き猫を、男性たちが怪訝に見る。

 ここで一つ、ウイが素晴らしいアイデアを思い付いた。

「……ねぇイスク、この二人のお兄さんだったらパートナーとしてどっちを選ぶ?」

《ふにゃ? う~んと、そうですね……》

 招き猫の上に投影された全長四センチのホログラム、ネコミミメイド姿の美少女がその男性たちを舐め返すように見つめた。やがて、一つの結論を導く。

《私だったら、この緑のサーフパンツの人の方が好みですニャ! 特に腹筋とかが鍛えてあって、それってつまり初めての時に途中でニャえ(萎え)ちゃったってことじゃニャいですか☆》

 イスクの申していることだが、サキとウイにはさっぱり分からない。腹筋があると何が萎えた経験があるのか。少しだけ二人で考えあぐねていたが、しかし男性たちには通じたらしく、その緑のサーフパンツの男性が図星を突かれた表情をする。下ネコの説明は続いた。

《そうですよね~、よく竿の硬さは腹筋で決まるって言いますもんね~! さしずめ待ちに待った高校一年生のニャつ(夏)の日、初彼女の前でガチガチに緊張し過ぎちゃって、アソコが逆にしぼんじゃったりしたんですかね~? それがず~っとトラウマとして残っちゃって、だから毎日の腹筋トレーニングも欠かさニャいし、挽回したいからおんニャのこをニャんぱしちゃうっ! とゆーことは、けーけんにんずーはそこまで多くニャい……一人かあるいはゼロと見ました☆ あぁ、そーゆーところも含めて私はこの人のことを押しますニャっ!》

『……あ~』

 ここまで聞いて、サキとウイにも何となく話が読めてきた。つまり、不能なのだろう。その証拠として男性がみじめにも泣き出し、相方が肩を叩いて慰めていた。

「ぐすっ、だってよぉ……ケイコ、元カレと俺のを比べてきたんだよ……こっちは初めてで、何をすればいいのかも分からないのにだぜ? もう泣くしかねぇよぉ……っ」

「あぁ、そうだなトシオ。お前は悪くない、ビッチなケイコが悪いんだ。お前は不能なんかじゃない、たった一回だけ緊張で萎えちまっただけじゃないか。慣れればそんなことねぇって、な? だから、ナンパして経験積むって一緒に誓ったろ?」

 見捨てるのは可哀想だったが、この隙を利用してサキたちはその場を後にした。情けない男たちの遠吠えが聞こえてくるが、そんなモノを聞いたって何の益にもならない。無視するのが一番だ。因みに、腹筋を鍛えれば不能が治るというのは迷信らしい。

「ふ~……何とか抜け出せたわね。ウイ、ナイスだったわよ。あとイスクも。連れてきて良かったって、よーやく思えてきたわ」

《酷いですニャ、サキちゃん~! 私はいつでも、みニャさんの役に立ってるつもりですニャ☆》

「……戯言はいいけど、イスク。コーベのこと知らない?」

 冗談を軽くあしらいながら、ウイがゴムボートを借りに行った彼のことを気に掛ける。いくら何でも、戻ってくるのが遅すぎやしないか。もう何十分も経っている。イスクに訊いても無駄だろうとは思ったが、しかしこの下ネコはまたも二人の役に立ってくれた。

《コーベくんニャらほら、あそこに見えて……ニャニャニャ☆》

 イスクの指差した先には、綺麗な水着のお姉さんたち十数人からラブコールを貰っては戸惑っている植物が居た。慌てて断ろうとしているが、顔も赤らんでいて満更でも無さそうなのが遠くからでも見て取れる。

「ねぇ……ウイ、いっそのことアイツもほっとこっか?」

「……賛成」

《えっ、あの、コーベくんは完全に被害者ニャだけだと思いますけど……》

 散々人を待たせてその上自分だけ良い思いをしている(だろう)から、サキとウイはあのコーベに救いの手を差し伸べようとは微塵も思わなかったのであった。


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 時刻は正午をとうに回った、午後二時頃。海上でのウ○も一段落着いたので、サキたち三人はパラソルの下で休憩しようと海から砂浜へ上がった。

「ふぅ~、青空の下でやる○ノも意外と楽しいモノね!」

「……やっぱり私、海での遊び方が何か違う気が」

 傾き始めた陽が斜めから、広がる海原を照らしている。これも空も蒼が深みを増して、底も無くどこまでも続きそう。砂浜も眩しく輝いていて、波が穏やかでのんびりしている。まるで止まっているみたいに、時間がゆっくりと流れていた。

「そうだ。飲み物とか、何も無かったよね。買ってこよっか?」

 思い付いて、コーベが提案した。予め持って来たドリンクは、午前中で既に飲み干していた。岸を登って街の方へ行けば、自動販売機くらいはあるだろう。彼がとりあえず水色のTシャツを着たところで、サキが慌てて口を開いた。

「あっ、私も行くよ! コーベに任せると、何選ぶかも分かったもんじゃ無いし。運ぶのだって一人じゃ心許ないでしょ?」

「……じゃあ、私も付いていこっか?」

「ウイは……いや、いいよ。荷物とイスクを見張っててくれる? この下ネコ、通りすがりの人に何か声を掛けないか心配だし。ミルクティーでいいんだよね?」

「……うん、なら分かった。あと、アイスココアがあったらそれで」

「了解、ウイ。じゃ、ちょっとだけ待っててね」

 サキが自分のバッグから、白い薄手のパーカーを取り出す。それを羽織ってポケットに財布をねじ込むと、コーベの隣へと小走りで寄った。

「それじゃ、行きましょっか」

「待って。僕の財布が……っと、これで良し。サキ、オーケーだよ」

 持ち物の確認を済ませて、二人は街の方へと向かっていった。


 浜辺から街へは上り坂が続いていて、また少し進めば海水浴客も疎らになってくる。泳ぎに来たのだから当然だ、誰もわざわざこの坂を好き好んで歩こうとは思わない。

「サキ。ありがと、付いて来てくれて」

「ふぇ? いいってコーベ、このくらいはね」

 二人きりで勾配を進みながら、少し後ろを歩いているコーベが声を掛けてきた。サキが振り返る。彼女としては、このことが少し嬉しい。彼と二人の時間を過ごしたかったから一緒に来たのは良いものの、何を話そうか名案が思い付かなかったから。

「でも。女の子にこのきつい上り、しかも荷物持ちをさせるなんて……」

「何言ってんのよ、飲み物は三本くらいなんだからアンタが一人で持つに決まってるでしょ?」

「たはは。酷いよサキ~」

 同時に小さく、二人で笑った。こんな風に冗談を言い合って、サキは今幸せを感じている。

 振り返ったこの状態から、七浜海岸と春越湾が一望できた。瀬は空のように淡い浅葱(あさぎ)色、しかし遠くの海溝からは色の深みが増す。東には三切山(みつきりやま)がそびえ立ち、その深緑がアクセントを添えていた。

 そんな少し離れた場所でも、さざ波は聴こえてくる。凪の海から醸し出される、落ち着いていて優しい波の音。海も綺麗に煌めいていて、流れる風が心地良い。

 そんなシチュエーションの中、サキはコーベと二人きり。

 潮騒と魂動が、一つに重なる。

「立ち直ったね。サキも」

「ん~?」

 居心地のせいか、とてもラフな彼女の返答。対してコーベが話を続けた。

「今までだったら。サキはきっと、自分独りだけで買いに行ってたりしただろうから。面倒事は全部自分が背負うべきなんだ、とか考えて。でも今のサキは、全然違うよ」

 先月の始め、あの黄昏時のことだ。確かアルカがこの二人に研究室までレポートの束を運ぶよう命令し、それをサキが一人で引き受けようとしたところをコーベに止められた。そしてサキの性格の特徴である自己犠牲を指摘して、それが今まで彼女が受けてきたストレスの数々に由来することまで察してくれた。この時に自分のことを理解してくれたと感じて、サキはコーベに惚れたのだ。

「そうね~……まだ完全には抜け切ってないけど。何も全て背負い込むことが幸せに繋がる訳じゃ無いって、あの時コーベに教えてもらったから」

 自然と頬が緩んだ。馬鹿正直に何もかもを抱えていた過去の自分を、今のサキは莫迦みたいだと考えている。彼女がストレスを感じなくても、他人を幸せにすることができる。こんな簡単な方法を、コーベに伝えられるまで気付かなかったなんて。

彼がサキのことを見上げながら言う。

「そっか。その気持ちと笑顔、忘れないでいてね。今のサキが、僕の好きなサキだから」

「ばっ……そーゆーこと、人前で言わないでよ……っ」

「ゴメンゴメン。でも、周りに人も居ないから」

 コーベによる『好き』のバーゲンセールは、何も今に始まったことでは無い。この告白魔の植物にはこれまで幾度となく息を吸うような軽さで『好き』と言われ続けて来たが、流石にこれは照れてしまった。彼に慕情を抱いてしまったことも影響しているのだろうが、それよりもこの情景のせいだろう。

輝く海と空をバックに、シミ一つ無い花のような彼に『好き』と告げられる。しかも、自らの名前を呼ばれて。

「ほ、ホラ、ここの自販機でいいんじゃない?」

 正気を保てそうになかったので、サキはとりあえず話を本筋に戻そうとした。一応二人の目的は、飲み物を買うことである。彼女の指差した先には、よく見るコカコーラの自動販売機があった。

「じゃあ。ここで買うとして、サキからどうぞ。僕はもう決まってるから、レディファーストってことで」

「ありがと、恩に着るわ」

 五百円玉を投入し、どれにするか指でなぞりながら選んだ末、サキはストレートティーのボタンを押した。続けてウイのために、隣のミルクティーを買う。その二つを取り出した後にウイのリクエストであるアイスココアがあることに気が付いたが、もう買ってしまったモノはしょうがないのでスルーした。

「先に買わせてくれたお礼に奢ってあげるからさ、お金このままでボタンだけ押しちゃって」

「いいの? じゃあ、ありがたく……」

 コーベは一寸たりとも迷わず、メローイエローのボタンをプッシュした。カコンと軽い缶の音が落ちてきて、溶けそうな黄色のそれを取り出す。

「それ、おいしいの?」

「えっ? サキ、飲んだこと無いの?」

「うん、不思議とね」

 ややマイナーな銘、個体数の少なさ、そして想像のつかない味。サキの人生は、この飲み物との縁が無かった。珍しそうに見つめていると、彼がその場で缶を開けた。プシュ、と軽快な音がする。とりあえず、炭酸らしい。

「飲んでみる?」

「ふぇ……えっ? 飲んでって、アンタ――」

「サキのお金で買った訳だし。一口、どう?」

 黄色い缶を、コーベが差し出してくる。一口、ということは残りを彼が飲むということだ。コップだとか文明の利器は、生憎持ち合わせていない。つまり、サキが口を付けたモノをコーベが飲むということに――。

 彼女は顔を紅潮させたが、一方の彼はこの凪の海のように平然としている。相手は気にしていないらしい。今の時代、むしろ気にする人間の方が少数派なのだろうか?

「い……いただくわ。謹んで」

 缶を受け取ろうとして、コーベと手が触れる。彼はとても温もりに満ちて、肌も花弁のように滑らかだった。

 サキがメローイエローを口に含む。炭酸の泡と、シトラスの香りがしゅわっと弾けた。味はとろけるように甘くて、だけど奥にわずかな酸味がある。飲み込み終えるまで、彼女の思考はゆったりと停止していた。

「これ、時間を忘れそうになる……」

「不思議な味だよね。のんびりとしてる、夏の晴れた昼下がりにピッタリな」

 コーベに黄色い缶を返す。ロゴも色も、この味を上手に再現していた。メローイエロー。とりあえずサキは、コーベの教えてくれたこの甘酸っぱい味を忘れないようにする。

 踵を返そうとした傍ら、サキが彼に兼ねてからの疑問を投げかけた。

「ねぇ、コーベ……一つだけ、訊きたいことがあるんだけどさ。どうして、私たちを海に誘ったの?」

 いくら普段から仲が良いとはいえ、三人で遊びに行くことなんてそうそう無い。ましてやこの植物から話を持ち掛けてくることは、通常では考えられない出来事だった。ところがコーベはいつもの柔和な表情で、彼女の疑問にすぐさま答える。

「サキもウイも。デリカが死んじゃって、落ち込んでるかなって思って。でもいつまでも引きずって喪に服してる訳にもいかないし、だから気分転換にでもって」

 デリカとは、三人とアルカで飼っていた猫のことだ。元々野良だったのをサキとウイが拾ってきて育てていたのだが、ある日逃げ出してしまって<メックス>化され、コーベの手により殺処分された。

 このことに気を落とし、最近調子が悪かったのは事実だ。ずっとその状態では流石にいけないと考えて、彼はこの七浜に連れて行ってくれた。

「コーベって、面倒見良いんだから……」

「お節介だったかな?」

「ううん、そんなことは絶対に無い。私もウイも、嬉しいから」

 小走りで坂を下り、コーベを追い越して振り返る。

「コーベ、ありがと」

 今度は輝く蒼を背景に、サキは眩しく笑ってみせた。


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 時刻は夜の八時を回っている。関市への帰路の途中、コーベ達は三輪(みわ)サービスエリアで小休止をとっていた。辺りはすっかり暗くなっていて、中貫(ちゅうかん)自動車道を行き交うクルマのテールライトが綺麗に軌跡を残してゆく。雲行きが怪しく、星は見えずに朧月が浮かぶ程度。流石にもう熱帯夜の季節は過ぎていて、だから夜風が少しだけ身体に応えた。

「お待たせ、コーベ。中が混んじゃっててさ」

「……あっちの方に、生コークスが売ってたけど」

「ウイ、それ買ってどーするつもり……?」

 そんな彼女たちの漫才に乾いた笑みを浮かべていると、三人の可変自動車それぞれのカーナビからアルカの通信が入ってきた。

『おうよぉ三人方、海でのダブルデートは楽しかったかね?』

「うん。アルカにも、お土産あるから」

『俺のボケをスルーすんなよ……まぁいい、ちょいと面倒事が入った! 東関(とうぜき)区で<メックス>二体と、あと同時にアスタルが確認されたっ!』

 前回は単独で出て来たので、アスタルが猫と一緒に登場済みというのは新鮮だった。まさか、猫同士で手を組めたとは。コーベ達はすぐさま自らのクルマに乗り込み、シートベルトを締めてエンジンに火を入れる。

《ご主人様、具体的ニャ座標を送ってくれますか? 私たちは今三輪SAに居るので、もしかしたらここから直行できるかもしれませんニャ☆》

『そうかいイスク、そりゃ好都合だな……んじゃ、場所は転根(ころがね)工業団地の東端だからよぉ、次の転根インターで降りて向かえっ!』

 本関大学のある中央区から東に行った東関区のうち、高見町(たかみまち)と河止町(かわとちょう)に跨って形成されているのが転根工業団地だ。近くの三広(みひろ)炭田から産出される石炭製錬を中核とした工業団地のうちの一つで、本関大学の卒業生の有力な就職先ともなる。古くは桜美鉄道二重(ふたえ)本線による貨物輸送に依存していたが、近年では中貫自動車道の開通もあってモータリゼーション化が進行、そのため石炭製錬だけならず他産業も立地するようになってきた。

「分かったわアルカ、じゃあ直行するわねっ!」

「……二匹とアスタルだけだし、まぁちゃちゃっと」

 サキ、ウイ、コーベの三人が、加速車線へと躍り出る。エンジンのトルクを目いっぱい利かせ、法定速度ギリギリの時速百キロで一気に飛ばした。

「それじゃあ。アルカ――」

『あぁ、<T.A.C.>の出撃と行こうかっ!』

 いつものセリフをアルカが叫び、三つのヘッドライトが闇夜を切り裂いた。


 転根ICを降りると、南に向かって下り坂が続く。これは工業団地が止根(とまりね)山脈の麓に立地したからであり、つまり平地でも無いのに工場が建つほどに三広炭田は供給過多だ。

 コーベ達はその下り坂の中腹で左折して、東の方へと進路を変える。道幅拡張の間に合っていない片側一車線の産業道路を走っていると、やがて三つの影が見えてきた。左右の二つは鈍色をした八メートル級の大きな鋼鉄猫で、中央の一つは七メートル級の人型。暗い夜闇の中でも見間違えることは無い、あれは<メックス>に<p.α.κ.>だ。操者であるアスタルが、出迎えの言葉を掛けてくる。

《フニャハハハ~! よくぞ来たニャ、我が裁きを甘受せし者どもよっ! 我が裁きに飲み込まれよ!》

「裁き裁きって、もーちょいレパートリー増やせないの?」

「……甘受って言葉、多分ちょっとニュアンス違う」

《お兄ちゃん、私をこんニャ暗い夜に誘ってくるだニャんて……ダイタンですニャ☆》

《ニャ~っ! だからニャんじ(汝)らはもっと真面目にやるべきだニャ!》

 前回に一度死闘を繰り広げただけだというのに、最早みんな仲良し状態だ。緊張感の欠落というモノを超越している。

「それで。アスタルはどうしてここで待ってたのかな? ハチ公のモノマネ?」

《吾輩はネコだニャ~っ! 折角、宮本武蔵よろしく仁王立ちでカッコよく待ち構えていたというのに……<メックス>だって気まぐれだから、ずっとここに居る訳じゃニャいのだぞ?!》

「……やっぱ協力とかじゃ無かった」

 観察すれば、その二匹の<メックス>は自由に毛づくろいの仕草や欠伸をしていた。まるで統率が取れていないということは、別にアスタルに従えられていたりはしていないのか。

「まぁ、そんなことは関係無いんだし。ウイ、コーベ、私たちも合体しちゃいましょっか!」

「そうだね。早速行くよ、<オーバーファミリア>!」

 前哨戦など必要無い。車態から直接、ボルテージも高めずに、三機は合体シークエンスに突入する。要るのはただ一つ、勝利のための形態のみ。

 ウイの<ティーダ>がボディを引き伸ばし、鳥趾を開いて『下半身』に。サキの<アクセラ>がボディを分割し、腕を伸ばして『上半身』に。コーベの<カローラフィールダー>がトランクを広げ、頭をせり出し『背中』になる。それぞれが接続して人型となり、シールドを受け取りライトを灯す。

 鷹と騎士と、花のデザイン。

『<T.A.C.>、コンプリーテドっ!』

 合体はこれで完了した。

「さて。あのアスタルを大人しくするには、方法が一つしか無かったよね」

「コーベ、アンタ私に喧嘩売ってる?」

「……まぁサキ、落ち着いて。しょうがないことだから」

 <p.α.κ.>の特殊技、『見えない壁』<プライアウォール>。硬度も群を抜いていて原理も分からないこれを突破するには、質量と運動量の暴力である必殺技<ミルメイス>を使わなければならない。しかしこの武装は<T.A.C.>の腕部分である<アクセラ>に過負荷を掛けて壊すため、サキは若干敬遠しがちだ。

『サキ、安心しとけ! お前の<アクセラ>一台くらいだったら、この俺がたったの三日で板金七万円コースへと送ってやっからよぉっ!』

「あのねアルカ、私は<アクセラ>に修復歴が付くのが嫌なのよ」

『お前まさかそのクルマ売るつもりじゃねーよな?!』

 可変自動車はアルカが作ったのだから所有者も当然彼なのであって、コーベ達はあくまでも借りているに過ぎない。よもやそれを売ろうとは……。

「とりあえず。もう暗いんだし、早く終わらせた方が良いって」

「そうね……じゃあ仕方がないわ、私の方が折れるわよっ!」

「……という訳でイスク、供給お願い」

《かしこまりました、既に輸送機はこの近くまで来てますニャ☆》

 空を見上げても暗くて見えないが、ガスタービンの轟音は確かに聞こえる。胸のヘッドライトをローからハイに切り替えて、彼らは投下される<ミルメイス>の受領準備へと移行した。

 しかし。

《フニャハハハ~、この瞬間を待ってたのだニャ! 見よ、生まれ変わりし我が<p.α.κ.>の新たニャ姿っ! モード、<ルームアルファ>!》

 輸送機が降下し、薄らと輪郭を現した時。アスタルが突然声を上げ、手に持っている死神の鎌<ディスタンスイグノアラ>がスナイパーライフルへと形状を変えた。この全範囲対応多機能兵装システムが対象との距離に応じて<バリニーズ>、<オシキャット>、<ラグドール>とモードチェンジするのは前回の戦闘で確認済みだが、今回は一つだけ見なかった点が現れる。

 <p.α.κ.>の各部装甲が、やや開いては蜃気楼を生じさせた。

 具体的には肩と腕、そして太腿。どれもが合体パーツの片割れである、トラックの<パストノッカ>の主要部分だ。周囲の空気が揺らめいているということは、つまり熱を吐き出しているということ。<パストノッカ>で今まで以上のエネルギーを生産し、装甲を展開させることで排熱効率を上げているのだ。しかし、何のために?

 死神の眼の色が、紅から蒼へと変化した。

 見えないはずの星を見上げて、アスタルが銃口を空へと向ける。その眼は虚空を指しているようで、けれども焦点が定まっている。やがて人差し指がわずかに動き――。

「危ない……イスク、輸送機を今すぐ退かせてっ!」

《ふぇ? コーベくん、ニャんでそんニャこと……》

「いいから。早くっ!」

《残念だったニャコーベよ、もう手遅れだニャっ!》

 アスタルが言い放ち、<p.α.κ.>が弾丸を放った。

 輸送機のガスタービンが、その矢によって撃ち抜かれる。

「……嘘」

「あの距離……射程じゃ無いでしょ、普通っ?!」

『つまるこった、今のアイツはエネルギー作ってあそこまでの異常な射程を手に入れたってことだよなぁ……っ!』

 ウイ、サキ、アルカが、驚きを隠さない。この暗さで、正確に当てる。距離から空気抵抗による減衰まで鑑みたところ、威力まで強化されていることをコーベは感じ取った。

「確か。<ルームアルファ>って言ってたよね……射程と威力を、格段に跳ね上げるモードっ!」

《その通りだニャ、コーベ! 高倍率レンズと、バレルに搭載されたコイルガン……吾輩はこの新たニャる力で、ニャんじ(汝)らを冥府の底へと叩きつけるのだニャっ!》

 黒猫の画像ファイルと音声データが、誇らしげな姿を表現する。コイルガンということは、コーベ達が以前に使ったことのある<カタパルトテレバレル>のような砲弾加速装置として応用しているのだろうか。暗い場所であってもアウトレンジから攻撃できて、加えてダメージも比では無い。この<ルームアルファ>を使われてしまえば、<T.A.C.>は不利を余儀なくされる。そして今回は輸送機をやられて、必殺の<ミルメイス>が使用不可。

この彼らは、無力に等しい。

「……イスク、輸送機のダメージはどうなの?」

《厳しいですニャ……武器を投下しようにも、軌道の計算がままニャりませんニャ! それに一点モノの<ミルメイス>を不用意に壊してはいけませんし、残念ですが輸送機はこのまま撤退せざるをえニャいですっ!》

『そうだなイスク、悔しいがこれが賢明な判断だ……全く、誰が輸送機撃っていいって言ったんだよアスタル、えぇっ?!』

《それは吾輩のご主人様に決まってるニャっ!》

 警告音、こちらに照準が当てられる。すぐさまサキが回避運動を取るが、左肩のガラスを音速の<ディスタンスイグノアラ>で撃ち抜かれてしまった。避けなかったら、確実に頭をやられていた。

「おちおちしてられない、ってことね……!」

「……従来武装でいいから、在庫を教えてくれる?」

 ウイのリクエストに応えて、イスクが各所をポイントされた転根工業団地のマップを提示してくる。すぐに供給を受けられるのは<リズムブラスタ>アサルトライフル二丁と<スプリンタプランタ>散弾砲一棹、それとある武装の一部パーツ。殆どは比較的使い慣れた兵器であるし、牽制用には持って来いだ。

「辛いけど。応戦して耐え忍ぶしかないよ……っ!」

 まるで前回のシナリオをなぞるように。死神の隙を見極めるため、<T.A.C.>は武装を受け取って抵抗を始めた。


oveR-05


 アスタル目掛け両手の<リズムブラスタ>を発砲するが、洩れなく<プライアウォール>に阻まれる。相手は<ディスタンスイグノアラ>のバレルを折り畳みカービン形態の<オシキャット>とし、カウンターを仕掛けてきた。<T.A.C.>のシールドで何とか防ぐが、強化された銃弾をいつまで防げるかは未知数。プラズマ推進機構で機体を浮かせ、すぐさま射線軸上から退避した。

 策も刃も無く迂闊に近づいては、鎌形態の<バリニーズ>に刈り取られるだけ。右へ左へとスラストしながら、アサルトライフルのセミオートで牽制。効果は薄く、コーベは全然<p.α.κ.>の戦力を押さえられている気がしなかった。

「サキ。回避運動はまだ続けられる?」

「厳しいっ! 道幅も狭いから、基本的に後退するしか無くて……っ!」

 <T.A.C.>が逃げ、<p.α.κ.>が追う。速度のアドバンテージはホバー移動をしているこちらにあるはずなのに、攻撃力の差がこれを覆してくる。基本的には碁盤目の街路をグルグル周回するような軌道を取っていて、つまり状況は微塵も好転しない。

ということは、他の脅威からも逃げられないということだ。

「……コーベ、右側っ!」

「こっちでも目視出来た。ここで仕切るよ、<フィールドウォール>っ!」

 飛び出してきた<メックス>を<フィールダー>の特殊技、『柔軟な壁』<フィールドウォール>で覆い閉じ込める。アスタルとの戦闘を繰り広げる傍ら、この鋼鉄猫の殺処分も並行して実施しなければならない。

「ひとまず。すぐに蹴りをつけちゃおっか! <リズムブラスタ>、<オーバーファイア>!」

 右手のアサルトライフルを<フィールドウォール>に突き刺して、この牢屋の中の<メックス>相手に飽和攻撃をぶちかます。逃げ場も無ければ悲鳴も出せず、銃弾にただ貫かれるまま。コアを蜂の巣状にされて、牢屋は液体金属を溜めるボウルと化した。

 確か、もう一匹だけ取り巻きが居たはず。

「イスク。残りの索敵お願いっ!」

《三甲(さんこう)製鉄さんの近くに居ます、だからお兄ちゃんを優先して下さいニャ!》

 ちょうどこの周回軌道の中心点にあるのが三甲製鉄の工場だから、もう片方の<メックス>は早急に心配する案件では無い。そんなことよりも、今はアスタルを落ち着かせなければ。

「一勝負。打って出よっか!」

『了解、コーベ!』

 サキとウイの了承を受け、<T.A.C.>が方向転換。プラズマを唸らせアクセルを踏み、今度は逆に<p.α.κ.>へと真っ向から突撃していった。<リズムブラスタ>は二丁ともフルオート、弾速に機体の速度を上乗せ。

 対してアスタルが<プライアウォール>を展開するが、そのために足が止まってしまった。コーベ達が一方的に接近。やがてライフルの残弾も尽き、羽を広げるようにして両腕を払いそれを棄てる。しかしブレーキランプは点灯しない。彼我差はみるみると縮まってゆき、けれども速度はむしろ勢いを増して――。

 <T.A.C.>が<p.α.κ.>の横をすり抜けていった。

《ニャ、ニャんだニャっ?!》

「こーゆーことよ、アスタルっ!」

 鮮やかなオーバーランの後、再び<T.A.C.>が回頭する。三〇〇メートル先で急減速をして死神の方を振り向き、鳥趾を地に根付かせて衝撃を逃がした。

「……角度修正、大丈夫っ!」

「<スプリンタプランタ>。<オーバーファイア>っ!」

 左羽にマウントしていた散弾砲を引き抜き発砲、百メートル進んで砲弾から鉄片が播かれる。反動を吸収し終えた頃には足を浮かせ、次なるアタックへと備える。

 これを受け<p.α.κ.>はクイックにコーベ達の方を振り返り、肩のグリル部分がオープン。ロクに狙いをつける必要も無く、幾発ものマイクロミサイルをリリースしてきた。白煙を辺りに撒き散らしながら、<T.A.C.>を広範に狙う。

 そしてこれら攻撃を防御するため、二機は同時に壁を張った。

「ここを仕切るよ! <フィールドウォール>っ!」

《吾輩を覆う盾とニャれ、<プライアウォール>!》

 両弾頭が、着弾する。

 <フィールドウォール>は強度に欠けるが、しなやかで耐久力が高い。そのためミサイルなど爆発系の衝撃に強く、だからマイクロミサイルを受け止めることに成功した。辺りに爆炎が立ち込める。

 <プライアウォール>はとても脆いが、岩のように硬く強度に優れる。そのため鉄片など刺突系の衝撃に強く、だから<スプリンタプランタ>の弾頭は全て見えない壁に刺さって停止した。まるで宙を浮いているようで、だから<プライアウォール>を解除すると鉄片が鉛直方向に落下する。

 前回<インフルエンスドパイル>で見た同じ光景、これを合図に<T.A.C.>が加速し肉薄した。

 両手には<スプリンタプランタ>の砲身だった棒の両端に、片刃の刀を取り付けた薙刀を持っている。

 ただでさえ夜で灯りが少ないのに、周囲はミサイルの爆炎のお蔭で視界不良となっている。

 アスタルが墓穴を掘ってくれたから、こちらの不意打ちがより成功しやすくなった。

 警報が鳴り、鋼鉄猫の接近をキャッチ。煙で発見が遅れ、対象はもうすぐそこに居る。

「……コーベ、後ろから例の<メックス>がっ!」

「じゃあ。纏めて処分するよっ! <ラプトキット>、<オーバーファイア>!」

 後ろの刃で鉄の猫を貫く。そして前の刃で見えない壁の消えた一瞬を突き、黒猫の左耳を斬り落とした。

《ニャっ、そこに居るのかニャ?!》

《もう居ませんニャ、お兄ちゃん☆》

 慌ててアスタルが<ディスタンスイグノアラ・バリニーズ>を振るが、イスクの言葉通り彼女らはもうそこから退避していた。元々一撃必殺として練った作戦なので、成功しようが失敗しようがヒットアンドアウェイをするしか無い。

 <ラプトキット>。そのコンセプトは『大型武装を隠せないような低層地域においてどう隠すか』で、答えとして武装をパーツごとに分解して収納、使用時にのみ組み立てる方式を確立。全体として薙刀のフォルムをしていて、前方向だけならず後方向の敵にも対応。しかもパーツ一つ一つがそのまま単独武装として使用可能で、例えばバトン部分は今回のように<スプリンタプランタ>の砲身として機能している。

そして肝心の結果だが、あまりダメージを与えられなかったので失敗と見ていいだろう。視界不良はこちらにも災いして、狙いが少々ずれてしまった。しかし通常兵器で初めて<プライアウォール>を突破できたこと、これだけは成功とみなしても罰は当たらない。

「ってことは。やはり<プライアウォール>は常時展開では無くて……」

「コーベ、考察は後にしてっ! とりあえず距離を取るわよ!」

 煙幕が徐々に晴れてきた。これ見よがしにアスタルが<ディスタンスイグノアラ>でこちらを狙ってくるが、都合が良いので<ラプトキット>で串刺しにした<メックス>を黒猫に見せびらかす。

《ニャニャ……ニャんじ(汝)ら、卑怯ニャりっ! 吾輩の同胞たるネコにゃんを盾にするとは、これでは攻撃も出来ニャいニャ!》

「……やっぱり、同士討ちは出来ないんだ」

 ウイの分析も束の間。この隙を利用して<T.A.C.>がプラズマを吹かし上昇、的にならないようすぐさま煙突の陰に隠れ体勢を立て直すことにした。


 今回も皮肉なことに、<p.α.κ.>から逃げることだけは上手くいっている。この調子で簡単に倒せればいいのだが、現実はそう甘くない。『温故知新』ともよく言うことだし、コーベ達四人と一匹はアスタルの行動を振り返りつつ、次なる作戦を練ることにした。

「<プライアウォール>、突破することは<ミルメイス>使わなくても可能なのね~……」

「……サキ、嬉しそう」

『どーせこれが分かったお蔭でよぉ、お前の<アクセラ>も壊れなくて済むって思ってんだろ? だがよサキ、あの壁をもう一回突破できるたぁ限らないんだぜっ?!』

 アルカのたった一言が、彼らの現状を表していた。確かに一矢報いることは出来たものの、またやってのけろと命令されてもあの攻撃は再現できない。不意打ちに十分な軌道と爆炎が必要だ。

「……煙幕とか、こっちで作れないの?」

『男のロマンに反するからな』

《できニャいんですね、ご主人様……》

 予測外の行動をとること自体は簡単で、それくらいならばコーベはいくつかレパートリーを有している。しかし視界を遮るモノは中々用意できないし、第一同じ手は通用しないだろう。

 コーベには一つだけ、気になることがあった。

「どうして。<スプリンタプランタ>には対応できたのにね」

《どうかしましたかニャ、コーベくん? 遂によっきゅーふまんで頭イッちゃいましたか?》

「イスク。更年期障害じゃないんだから」

『コーベってよ、偶に平然と超えちゃいけないライン超えちまうよな……』

 アルカの突っ込みをよそに、コーベが自身の疑問点を口に出した。

「<スプリンタプランタ>の時は。俊敏に機体の向きを変えてはちゃんと<プライアウォール>を張ったのに、<ラプトキット>の時だけは防げなかった。何かおかしくないかな?」

「だから、その原因はミサイルの爆炎でしょ?」

「そうかもだけど。でもこっちの姿が見えなくとも、<プライアウォール>を一瞬で新しく前面に張ることくらいは出来ると思うんだ」

 コーベの意見には一理ある。<スプリンタプランタ>の際はかなり不規則な軌道を取ったが、それでも相手は対応してきた。つまり何の故障も起きていない正常な状態だったはずなのに、<ラプトキット>の時は防ごうとしない。前回の事例も含めて、彼の推察が続く。

「一か月前のことだけど。前に<p.α.κ.>とやり合った時は<ウェイトマッシュ>、つまり近接武装が効かなかったんだよね。加えて<インフルエンスドパイル>も防がれてたから、接近戦での不意打ち、しかも見えづらい角度からの攻撃でも、アスタルは反応できる。遠距離攻撃の場合は今回がまさに良い例で、予想を超えてもやっぱり防御される。なのに今回の近接武装だけは通用した」

「……つまり、前回と違う要素が今回にはあるってこと?」

『ズバリ、<ルームアルファ>か』

 アルカの回答にコーベが頷く。

「<ルームアルファ>の。弱点を突く……」

攻撃力が通常時よりも上がる他、射程まで大幅に広がるモード。このいいこと尽くしの<ルームアルファ>に、欠点なんてあるのだろうか? 強いて言えば燃費なのかもしれないが、かと言って期待は出来ない。一か月前だってあんなにも<プライアウォール>を使用していたのに、<p.α.κ.>はトドメを刺される直前までエネルギー切れを起こさなかった。

もっと別のアプローチから探さねば。威力が上がり、遠くの目標もズームしたかのように狙える……。

「待って。これって――」

《どうかしましたかニャ?》

「一つだけ。思い付いたことがあるんだ」

 花の蕾が開いたかのような、そんな表情でコーベが笑った。


oveR-06


 近くの倉庫から一種だけ、近接武装を受け取った。やや心許ない様に聞こえるが、死神を貫くには十分である。

「それじゃ。やってみようっ!」

 コーベの合図一言で、<T.A.C.>の作戦が展開される。まずは見通しの良い産業道路上に躍り出て、<p.α.κ.>と対峙する構図を取った。彼我差は開いていて、二キロほど。

《ニャニャっ! 見つけたニャ、コーベ達っ!》

「目が良くなった割に私たちを見つけられなかったって、まさしく節穴よね。レーダー使えなくなってんの?」

《ニャ、ニャんだとサキ~っ?!》

 たったこの程度の煽りに対しても、アスタルはちゃんと反応して怒ってくれた。目にも留まらぬ早業で、<ディスタンスイグノアラ・ラグドール>を発砲してくる。サキが慌てて回避行動を取って半身を捻るが、右のヘッドライトに被弾してしまった。カバーが割れて、灯りも点かなくなる。

「あーもー、私の<アクセラ>に傷付けないでくれるっ?!」

「……売れなくなっちゃうもんね」

『くどいっ! んなこたいいから、とっとと逃げろよっ?!』

 プラズマを発生させながら、バックステップで坂を下る。しかしただ道路上を移動するだけでは、視界も真っ直ぐ開けているため非常に狙撃されやすい。だから脇にある建築物の物陰に隠れながら後退し、これだと<p.α.κ.>は遠距離から狙い撃つことが出来ないので、中距離戦を挑もうと接近してくる。

 半径五〇〇メートル程度の領域に相手が入ったら、<T.A.C.>は更に後退して別の建物を盾にする。そうすることでアスタルもこちらに寄って来て、まさしく一進一退の状況となった。こちらに不利ないたちごっこに見えるが、だがしかし、これはコーベの発案した作戦のシナリオに含まれている。

「やっぱり。ノリは良いから、アスタルは引っ掛かってくれる」

 このいたちごっこは尾を引いて、やがて彼らは転根工業団地南端にある『河止中央公園』に突入してゆく。サキが変わらずバックステップで、<T.A.C.>に緑地の雑木林を通過させた。周囲の木々は背が高く、枝葉が機体に軽く接触する。幹の合間を縫うようにしてジグザグに移動し、背後に芝生が広がった後は機体を雑木林の出口すぐ、一本の大きな柳の木の下で駐車させた。

彼の意図は、<p.α.κ.>をここまで誘導することにあった。後背の芝生はオープンスペースとして優秀で、格闘戦を繰り広げるには最適の場所であることが理由の一つだ。しかしコーベは保険として、もう一つの狙いをこの場所に見出している。

《待つニャ、おとニャしく鷹の目のように精悍ニャ吾輩の咆哮を受けるのだニャーっ!》

 <p.α.κ.>が追い付いて、雑木林に侵入する。速度はかなり出されていて、地を駆けるその姿は鷹と言うよりもやはり不幸を運ぶ黒猫だ。

「……アスタル、それ私の専売特許」

「黒猫だからって、宅急便じゃ無いんだから……そこまで飛ばさなくても、私たちはもう逃げないって」

《お兄ちゃん、あんまり早すぎるようなソーローさんだと嫌われちゃいますよ?》

 ウイ、サキ、イスクの突っ込みをよそに、アスタルは足を止めようとしない。たとえ機体の肩や腰に木々の幹がクリーンヒットしても、彼はこちらへ向けて真っ直ぐ走ってきた。

 その行動はダメージも大きく、合理的では無いというのに。

 これで、彼の仮説が立証された。

「よし。サキ、ウイ。決行するよ!」

 二人の首肯をモニタで確認。<p.α.κ.>が雑木林を抜けた時、<T.A.C.>との距離はせいぜい五〇メートル。近接戦の範囲内だ。

 アスタルがこちらを見つけると、まず相手が目と鼻の先に居たことにたじろぐ。そして慌てて<ディスタンスイグノアラ>を<オシキャット>形態にしようとするが、だがそれは結果として叶わなかった。

「覚悟の有無は訊かないよ。ウイ、準備はいいよね?」

「……こっちは万端、コーベ。サキも?」

「オーライ、じゃあかっ飛ばすわよっ!」

 鳥趾の足をバネにするように、<T.A.C.>が膝を曲げ前屈する。同時に左腰の兵装に手を掛け、素早い居合で引き抜いた。

 それは、一振りの直刀だった。

「アスタル。見えてる?」

《ニャニャっ……コーベ、まさか気付いたのかニャっ?!》

「ビンゴ。やっぱりそうなんだね」

 黒猫の動揺を肯と捉えて、コーベが不敵な笑みを浮かべる。

 再三だが、<ルームアルファ>の特徴として射程が伸びることが挙げられる。つまり遠くのモノまで精密に観測できるということなのだが、このカラクリはいとも簡単、ただカメラの倍率を純粋に上げているだけなのである。

『コーベと俺の読みは当たってた訳だ……<ルームアルファ>発動の際、どうせ高倍率用のバイザーか何かでもメインカメラの前に下りたんだろうっ?! でなければ、通常状態でもズームすりゃいい話だかんなぁ……加えてっ! そんなバイザーを下ろすなんて機構の場合、『モードチェンジ』っつー概念に縛られる! つまりはよぉ、高威力モードの際には永遠に、近くのモノに対し焦点が定まらないってことだっ!』

 カメラのレンズをズームすると、焦点はより遠くの位置に設定される。だから離れたモノも綺麗に見えるのだが、裏返すと近いモノに対しては焦点が定まらずぼやけて見えてしまうことになる。

 <ルームアルファ>の弱点は、この近くが見えない状態を強制してしまうことだ。カメラのレンズそれ自体がズームアップするよりも、外部の厚いバイザーに頼った方が倍率も高められる。しかし、これは言いかえると『追加装甲』だ。だからアルカの言う通り特性上モードチェンジに組み込まれることになってしまい、倍率を元に戻すには一度<ルームアルファ>を解除しなければならない。モードの一部だけオン・オフを自在にするというのは、科学者たちにとってあまり馴染みの無い概念だ。

「……だから、一気に近づくとアスタルには」

「黒い塊がただこっちに向かってくるだけに見えるのよねぇっ?!」

 両手で刀を構え、頭の上まで振りかぶる。地を勢い良く蹴り芝生を掘り返してプラズマをバースト、<T.A.C.>が<p.α.κ.>に対し突進を仕掛けた。ただでさえ目で追えないスピードを出しているというのに、アスタルにとってはよく分からない何かがただ近づいてくるようにしか見えない。それでも衝突予想時刻を数秒後に設定したのか、<バリニーズ>で受け身を取っていた。

「無駄だよ。僕たちは、まだっ!」

 アスタルと衝突する前に、コーベは柳の下で刀を振り下ろした。当然<p.α.κ.>には命中せず、虚空を切り裂く音が響く。衝撃が伝わってこないことが予想外なのだろう、死神は鎌での受け身を解除して逆にカウンターを仕掛けようとしてきた。

 しかしこれも達成しない。<T.A.C.>はプラズマの音を奏で、左側へと緊急回避。軌道が無理矢理捻じ曲げられて、だから鎌は何も刈り取れなかった。

《流石に、この動きくらいは吾輩にも観取できるニャ――》

 いくら黒い塊にしか見えなくても、右に動いたか左に動いたか程度の判別は可能だ。<p.α.κ.>から見て<T.A.C.>が右へと動いたことは分かったため、右腕だけで<ディスタンスイグノアラ>を一薙ぎした。これで金属のひしゃげる音や、真っ二つに飛んでゆく音が聞こえるはず。

 そうなるはずは、けれどもあり得ないのだ。

「やって仕舞うよ――」

 死神のおおよそ左側から、コーベが終幕の合図を囁く。先程まで居た側とは反対だ。当然、鎌はまたもや何も刈り取らない。アスタルにはもう、何が何だか分からない。どこに<プライアウォール>を張ればいいのか、それすらも彼には分からなかった。

 何が起こったのかと言うと、<T.A.C.>は左に自らの軌道を反らしてすぐ、<p.α.κ.>の周囲を二七〇度ほど回り込んだのだ。音も出さずに、息を潜めて。背後は見えていないだろうから、黒猫は瞬間移動でもしたのかと考えているだろう。

 <p.α.κ.>の左斜め後方にて、霞の構えで狙いをつける。やはりこちらが見えていない。例え今から壁を張ろうと、確実にもう間に合わない。それを超える速さで、仕留めるだけだ。

 柳の木の下に、幽霊は湧く。

「<ヒトスミストレイト>! <オーバーファイア>っ!」

 稲妻をほとばしらせながら、直刀が<p.α.κ.>の腹部を貫いた。

 一角線<ヒトスミストレイト>。見た目にはただの日本刀だが、柄の部分に小型のプラズマ推進機構が内蔵されている。そのため一挙一動に対し武装側から加速を加えることになり、一撃あたりの威力が大幅に増大するのだ。だから今回の刺突のような、一撃で仕留める際に相応しい。

《ニャ……ニャんじゃこりゃーっ?!》

「良かった。元気だ」

 <T.A.C.>が刀を引き抜き鞘に収めると、<p.α.κ.>の左手で自らの傷口を押さえながらアスタルが絶叫した。急所を外したのはコーベの思いやりで、彼を殺してしまいたくなかった。いくら敵といえども根は良いネコなので、アスタルを殺処分してしまうのはとても気が引けることに感じる。

《とっ、とりあえず……えぇい、仕方がニャいっ! 吾輩は一旦この場を退き、この深く邪悪ニャる傷を癒さねばニャらニャい!》

「つまり、もうよいこは寝る時間だから帰るって訳ね?」

「……大人しく、『おうちかえりたい』って言えばいいのに」

《行ってらっしゃいませ、お兄ちゃん! それとも、私の胸とお腹の間で眠りたいですかニャ☆》

 画竜点睛を欠いては締まらないので、最後まで女性陣三人組がアスタルで遊ぶ。すると不貞腐れてか、彼は半ば自棄(やけ)になりながら<p.α.κ.>を<パストノッカ>に変形させた。

《そんニャいかがわしい妹系メイド喫茶は嫌だニャ~っ!》

 トラックの荷台にクラッシュした<プリウスα>を載せながら、彼は北へと進んでいく。そんな姿を憐れんで、コーベは一言口にした。

「アスタル。捨て台詞がそれって、今世紀じゃきっと君しか言ってないと思うよ……」

『んなこたいいだろ、コーベ。とっとと撤収しろよな~?』

 この変態イカレ科学者ももう寝る時間なのか、アルカが合体解除を催促してきた。しかしコーベはその申し出にこうべを振り、機体の窓を少しだけ開ける。やや冷えた外の空気が入ってきた。

「ううん。少しだけ、こうさせてくれるかな?」

 しんと静まり返った街、今夜は工場も多くが停止している。

 少し湿っていたけれど、夜風がとても心地良かった。

 宵の柳の木の下で、<T.A.C.>は膝をつき休んでいる。


oveR-07


 海水浴から二日後、ウイは関市中心街の西貝(にしがい)に居た。

 駅前でタリーズのタンブラーを口にしながら、ケータイで情報を追っている。行き交うクルマの四割ほどがメルセデスやBMWなどの外車で、しかしそんなモノよりも人の数の方が圧倒的に多い。

 空には雲が差し掛かっていて、このことがウイを気落ちさせた。秋口の昼下がりには晴れが似合う。そう思って出掛けたというのに、電車を降りてから日が陰ってきては意味が無い。

 だからと言って、みすみすと引き返したりはしない。気になるモノをウインドウショッピングすることは出来たし、このコーヒーも中々においしい。駅近くにある行きつけのクレープ屋は比較的空いていた。わざわざここまで来て、収穫を挙げることにウイは成功していた。

 タンブラーの中身が底をついたことだし、彼女はそろそろ帰ろうかと思い至る。雨は降りそうにもないが、ここに長居する理由も無い。北口改札に身体を向け、その場所から踵を返そうとする。正面の噴水が綺麗だった。

 その湧き出る水を背景に、サキとコーベがそこに居た。

「……えっ?」

 思わずタンブラーを落としてしまった。仲良さげに、二人は喋っている。こちらには気付いていないようだ。他人の空似とは考えづらい。顔や容貌は勿論のこと、あの黄色いヘアゴムはサキのモノだし、コーベの着ている服も見覚えがある。

 ――自分の知らないところで、二人だけで会っている?

 反射的に、ウイはこう感じてしまった。

 傍から見ると、あの二人はまるでカップルだ。二人ともオフの日に、噴水の前で待ち合わせ。思い返せば、サキは最近コーベとよく話している。

 自分だけが置いてかれている、そんな気がした。

 一瞬、何かに頭を打たれたような錯覚に陥る。何を考えればいいのか分からない。次々と単語が思い浮かんでくるのに、それらをどう整理すればいいのか分からない。

 柳の花言葉――『淋しさ』――を思い出す。

 頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、ウイは改札を通って下り電車に乗り込んだ。

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