第07話「練習試合」

 多喜城たきじょうFCの清川新体制最初の対外試合は、地元の大学生との練習試合だった。



 まだチームの完成度も選手のフィジカルも、何もかもが完全には程遠いこの時期だというのに、公式戦と同じ前後半45分ずつの試合形式に決めたのには、清川の狙いがある。

 去年までの戦術やメンバーから大幅に変わった新生多喜城FCに足りない実戦経験を、開幕までの間になるべく多く積ませようと言う思いと、地元サポーターへのアピールがその主な目的だった。


 ここ宮城県営サッカー場は、天然芝のグラウンドで観戦スタンドもあり駐車場もある。しかも入場料を取らない『非営利の』試合であれば、公立学校同士の定期戦でも使えるほどの格安な金額で借りる事ができる。多喜城FCがまだ完全なアマチュアチームとしてJFLに参戦していた頃には、公式戦で使用したこともある小さな、そして馴染みの深いスタジアムだった。

 これから開幕までの練習試合はここがホームとなる。事前告知の反響が大きかったため、今回はソシオのメンバーからボランティアの場内整理係まで出してもらっている。

 学生とJ3チームの練習試合としては異例づくしとなったこの試合は、大学生側の応援だけで二百人、多喜城FC側の応援に至っては、去年の公式戦平均観戦者数よりも多い千人近いサポーターが集まっていた。


「……すげぇ」

 既に太鼓も据え付けられ、多喜城FCの応援の歌チャントの練習を始めたゴール裏を見て、今日はスタメンで行くと監督に告げられたFW平山 さとしは身震いを止められなかった。

 SOMY多喜城工場サッカー部に入部後、僅か2年でサッカー部は解体。市民クラブとして蘇った多喜城FCが、特例として参加し、快進撃を続けた全国社会人サッカー選手権大会以来、このクラブの11番、エースストライカーの番号はいつも平山の背中に輝いていた。

 しかし、J3昇格を決めた3年前のピーク時でさえ、1万5千人収容の多喜城スタジアムには三千人以上の観客が集まったことはなかったのだ。

 当然、練習試合を見に来るような物好きは片手に収まる。

 今、眼前に広がっているのは、そんな時代を経験して来た平山にとって、正に夢の様な光景と言えた。


「サトシ、あの大学側スタンドの右端の女の子かわいくない?」

 突然背後から声をかけてきたテルが、冬の日差しに目を細めながら反対側のスタンドを指さす。


「え? あ、どの娘?」

 平山はひざの震えを気付かれないように、慌ててそのスタンドの方へ目をやる。


「ほら、右端の……下から三人目」

「……ってあれどう見ても小学生じゃん!」

「うん、かわいいよね!」

 思わずツッコミを入れた平山の横で、にこやかにもも上げをするテルに苦笑いを返す。


「周りよく見て、サトシはとにかく走ってよ」

 ぐんっと大きく体を捻ってストレッチをすると、テルは平山の胸の11番を軽く拳で叩き、別の選手の元へ走り出す。そこでもテルはにこやかに声をかけ、そして平山の発したのと同じような苦笑いともとれる笑い声を受けていた。

 よく見ればキャプテンの森も、あちこちで選手に声をかけて回っている。目が合うとゆっくり近づいてきた森は平山の肩をもんだ。


「相手は学生だ、最初からガンガン来るぞ。よく体を温めておけよ」

「はいっ」

 森の手のひらのぬくもりを感じ、平山はウォームアップの回転を一つ上げる。

 ひざの震えはいつの間にか収まっていた。



 大学側から出してもらった主審の笛が鳴った。副審の一人には財満ざいまんが入る。

 試合開始とともに、大学生はまるでこの試合がトーナメントの決勝でもあるかのように、自分の力がどこまで通用するのかありったけをぶつけて来る。

 まだ動きの硬い選手の隙をつくように細かいパス回しからサイドを深くえぐられ、開始わずか3分でオープニングシュートを放たれた多喜城FCは、バリッチが何とか体に当ててボールを弾く事ができたものの、いきなりCKのピンチを招いてしまう事になった。


「ヤマ、サイドに流れすぎない。テル、戻りが遅い」

 バリッチの落ち着いた指示が響く。ダブルボランチの森と千賀もお互いの距離の確認をしていた。


「ナオキ! ニア! ニア!」

 清川監督からは、落ち着いたバリッチとは正反対に大声の指示が飛ぶ。

 慌てて千賀がニアサイドの選手のマークに付くと、低く速いボールがその足元に蹴りだされた。


 千賀の左はタッチラインだ、そこにボールが出ることはない。つまり右に反転されるのだけを防げばいい。


 足を広目に開き、腰を落とす。

 千賀が相手の横の動きにいつでもついていける体勢をとったその瞬間、長いホイッスルが鳴った。


「え?」

 自分がファールを取られたのかと後を振り向いた千賀の目に入ったのは、ゴールに転がるボール。そして、千賀の目の前に居た選手が高々と手を上げて彼の横を走り抜ける。その選手は次々とチームメイトに祝福を受けていた。


「くっそやられたー」

 テルがゴールからボールを拾って千賀の肩をポンとたたき、センターサークルへと走る。

 GK片端は両手を何度も打ち合わせて仲間を鼓舞していた。


 その時初めて、千賀は自分が股抜きされた事に気付き、体から血の気が引いて行く。

 プロが、学生から股抜きのヒールシュートを食らった。大学生側の応援が千賀を笑い、多喜城FC側の観客席からは千賀へのため息が漏れたように千賀には聞こえていた。


 [0-1]

 ぐわんぐわんと揺らぐ視界の隅で、めくられたスコアボードに表示されるスコアが目に入る。


「ナオキ! もどれ!」

 ふらつく背中に森の声が響く。

 千賀は脚をもつれさせながらポジションへと戻った。


 多喜城FCボールでの試合再開。

 そこから攻撃に転じた多喜城は何度もゴール近くまでボールを運ぶのだが、相手の素早いプレスに苦戦して少しずつボールを戻すシーンが増える。

 前半15分、サイドに開いてボールを受けた福石が、その日何度目かのバックパスを千賀に出す。しかし、それはもう相手に読まれていた。

 狙われ、足を出され、弾かれたボールが相手選手に渡る。千賀をかわしてドリブルする相手は、一気にカウンターを仕掛けた。

 慌てた千賀が思わず相手選手のユニフォームを引っ張り、二人はもつれるように倒れる。

 目の前で見ていた副審、財満の旗が上がり、主審は笛を吹いた。


 観客席からどよめきが上がり、主審は千賀にイエローカードを提示する。

 呆然と立ち尽くす千賀に森が駆け寄り、バリッチは早いリスタートを防ぐために、ボールを拾って主審に渡した。



「おいマナブ、アップのペース上げろ。すぐ行くぞ」

 ベンチでは清川の指示が飛び、千賀と同じポジションのMF中山 学が呼ばれる。監督の指示を受け、コーチは交代のボードを持ってピッチ脇に移動した。


 相手のフリーキックはFWに上手く合わず、ゴール遥か上を通り過ぎて事なきを得たが、プレーが切れたそのときピッチサイドに交代のボードが掲げられた。


 [7][15]と書かれたそのボードは、千賀直樹が中村学と交代することを示している。

 何がなんだか分からないまま、千賀はベンチに下がり、代わりに元気良く飛び出した中山は、森と軽く握手をかわすとそのまま千賀のポジションに入った。

 こうして、千賀の新生多喜城FC最初の試合は、開始僅か16分での交代、イエローカード一枚という不名誉な記録となったのだった。





「ありがとうございましたっ!」

 試合終了後、大学生は全員並んで選手たちに頭を下げた。

 スコアボードに表示されている最終結果は[8-3]

 若さに任せたハイプレスとショートカウンターに苦戦したものの、テル・アリオスのラインからの攻撃力は圧倒的で、アリオスと平山のアベックハットトリックを含む8得点という派手な結果を残し、この試合は決着していた。


「面白かった」「また見に来よう」「アリオスがすごい」

 観客たちの反応も上々で、練習試合としては大成功と言える。

 しかし、ロッカールームに戻った選手たちと、清川監督の表情は冴えないものだった。


「学生相手の3失点、ボール支配率もそこまで高くねぇ。失点3点のうち2失点はミス絡みだ。お前ら本当にJ3で優勝できるつもりか?」

 眉間を押さえる監督と、自らの不甲斐なさに沈黙する選手たちの中、テルが周りを見回して声を上げた。


「え? するよ。優勝」

 その甲高い声にロッカールームの空気が一気に和む。


 呪縛から開放されたように、テルに続いて今日ハットトリックを決めた平山が立ち上がった。


「……しなきゃダメだ! 今日のサポーター見た?! 学生との練習試合なのに千人以上居ただろ?! しなきゃ! しなきゃダメだよ! 優勝!」

 少し涙目になりながら、もう一度あのスタンドを思い出した平山は身震いする。

 それぞれに「優勝」を口にした選手を見回して、清川は「それならいい」とロッカールームでのミーティングを締めくくった。



 クラブハウスでの試合分析を終え、皆が解散したトレーニングルームに、窓から斜めに差し込む夕日を受けて千賀と清川だけが残っていた。


「……すみませんっした」

 オレンジと黒に彩られた景色の中、思い切ったように千賀は頭を下げる。


「何がだ?」

 スーツのポケットに両手を突っ込み、壁にもたれかかりながら、清川は突き放した。


「何って……学生に股抜きされたり、イエロー貰ったり――」

「ガキが」

 千賀の独白を清川は一刀のもとに切り捨てる。


「股抜きとかカードとか、そんな事は問題じゃねぇ。今日のお前の悪かった所は、最初のプレーに一丁前にショックを受けて、しかもそれを切り替えられずにズルズルと引きずったことだ」


「だってプロが学生に――」


「それがガキだってんだよ。お前はまだプロになっちゃいねぇって前に言っただろ。お前はこれからプロになって行くんだ、くだらねぇプライドで貴重な実戦を無駄にするんじゃねぇよ。お前は常に一番下手くそだと思っておけ。どんなみっともない姿でも、成長するための糧にしなきゃならねぇんだよ。今のお前は」


 清川の言葉を歯を食いしばって聴いた千賀は、握りしめた拳を震わせながら頭を下げるとドアへ向かった。


「……でもまぁ、謝りに来れただけ、少しは成長したじゃねぇか。この調子で頼むぜ」


 静かにドアを閉め、クラブハウスの外に出た千賀は、夕暮れの空に向かって長く白い息を吐く。

 冬の空に吸い込まれてゆく自分の息を見送ると、凍えるような道を自宅までゆっくりと走った。

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