第08話「貴公子」
寒さもますます厳しくなる東北地方の2月。
リーグ開幕まで一ヶ月を切り、忙しく練習試合を積み重ねる
右サイドの攻撃的MFで、多喜城の運動量の要とも言える福石
幸い両者とも1~2週間程度で復帰できる軽い怪我ではあったが、この出来事はギリギリの人数でやっている多喜城FCにとって、シーズン中の累積警告による出場停止や怪我人に対する不安が噴出する契機となった。
「練習量を減らさないのに、週に2試合も3試合も本番みたいな練習試合をするのが無茶なんですよ」
広報部長の伊達
雫がノートパソコンのキーボードを叩く音がいつもより大きく響き、椅子をくるりと回した清川は、聞こえないふりをしながら移籍リストにチェックを入れた。
「両サイド出来るサイドバックと、FWもMFもできるやつが一人ずつは欲しい所だな」
「そんなお金、ありませんよ」
コーヒーをすすりながら高梨経理部長がさも当然のことのように呟く。
コーヒーカップを左手に持ったまま書類をめくり、パチパチと電卓を叩くと、メガネの端を軽く持ち上げ「アマチュア二人ならなんとか」と溜息をついた。
清川は一瞬ニヤリと笑ったが思い直して首をひねる。
「いや、どっちかはプロが欲しい。もう一人は……そうだな、練習試合で対戦した高校か大学から2種で引っ張るか」
2種登録、正確には特別指定選手と呼ばれる選手は、学校のサッカー部やユースチームに所属しながらプロの練習に参加でき、試合にも出場することが出来る。
プロでもアマチュアでもないこの契約形態は、あくまでも将来性のある選手の強化を目的としたものであるため、契約金や給料がかからない所が、今の多喜城FCには有りがたかった。
清川は何やら思案しスマホを取り出すと、指先で連絡先をひょいひょいと飛ばし始める。
雫に「今年の練習試合の書類を全部くれ」と告げると、そのまま一つの電話番号を選択し、電話をかけ始めた。
「……おう、山田か、俺だ清川だ。俺ぁ今宮城県で監督やってるんだけどよ、……あぁ、綺麗なところだぜ。どうだ? 急な話だが、明日にでも遊びに来ねぇか?」
雫が練習試合の資料を清川の執務机の上に置くと、清川は軽く手を上げて礼をする。
「お! そうか、うん、出来れば午前中がいいな。おう、場所は……そうだ、多喜城FCのクラブハウスだ。……わかった。じゃあ明日な」
ピッと電子音を立てて通話を切る。僅か1分にも満たない会話だったが、清川の顔にはしてやったりという表情が浮かんでいた。
翌日の練習開始30分前、黒いスーツに黒シャツと黒いネクタイ。肩までの長い金髪に真っ黒なサングラスという出で立ちの男が、金色の金具が輝くクラッチバッグを片手にクラブハウスを訪れた。
「ご無沙汰してます。キヨさんの新しいチームが決まったのにご挨拶にも来れなくてすみません」
サングラスを外して挨拶をする山田
「なに、気にするな。それより昨日の今日でよく来てくれたな。あと30分もすりゃ練習始まるからよ」
もう既に集まり始めた選手がアップをしているグラウンドを指さして清川は山田の腰を軽く叩く。
「あ、それじゃあ、僕はそっちでお待ちしてます」
気を利かせてサポーターたちが観戦している方に向かおうとした山田を、清川は引き止めた。
「おいおい、なんだよ。折角だから練習に参加していけよ」
「……はい? いやでも、今日はシューズも持ってきてませんし――」
「なんだよ、自分のシューズじゃなきゃ練習も出来ねぇのかよ。っつうかお前……太ったか? まぁダメなら無理すんな。座っとけ」
肩をポンポンと叩いて練習場へ向かおうとする清川に、カチンと来た表情の山田が食って掛かる。
「出来ますよ! シューズとウェア貸してください。それからロッカーもお願いします」
練習場の方を向いたまま、清川は山田に気づかれないようにニヤリと笑う。たまたまそこを通りがかった雫に案内を頼み、山田をクラブハウスへ向けて送り出すと、そのまま選手の待つグラウンドへと歩き出す。
その歩みは、スキップでも踏まんばかりに楽しげだった。
「……よし、終了。各自クールダウンして午後の練習試合に備えろ」
清川の笛がなり、1時間半の練習を終えた山田は、そのまま芝のグラウンドにへたり込む。
ランニングですらラインギリギリ、むしろラインの内側を走って距離を誤魔化し、その他の練習も出来うる限り省エネでこなしたものの、半年以上トレーニングをしていなかった山田にとって、フィジカルトレーニングメインのこの練習は想像以上にキツいものだった。
7月の中断期間前に負傷退場してから2ヶ月。復帰できる目処が付いた頃には、台頭してきた若手に既にスタメンを奪われていた。
元々親の借金を早く返すためにはどうしたら良いか考えた末に、プロから誘いのあったボクシングとサッカーの2択から、契約金の高さだけで決めたプロ生活である。借金の返済を終えた今、プロサッカー選手と言う職業に大した未練はない。
なし崩し的に引退のような形になり、元日本代表と言う肩書と、その甘いマスク、辛辣なコメントから「サッカー界の貴公子」などとあだ名されていた山田は、ある程度タレントとしての仕事が見込めたため、いくつかの芸能事務所と所属の交渉を行っている最中だった。
荒い息を吐く山田の横で、涼しい顔のテルがボールを集め、フリーキックの練習を始める。
「ヨシヒロもやる?」
テルの言葉に山田は小さく首を振った。息が整わず、返事はそれが精一杯だったのだ。
喜々としてボールを蹴り始めたテルに向かって、グラウンドの向こうから大きな声がかかる。
「テル! 午後から練習試合あるんだからな! 山田もだ! 早くシャワー浴びちまえ!」
「うぇーい」
そう返事を返しても、集めてきたボールを全部蹴り終えるまで練習を続けたテルを待って、やっと文字通り一息つけた山田は、テルからボールを3つあずかりドリブルしながらクラブハウスへ向かうと、熱いシャワーを頭から浴びた。
恩師に挨拶に来ただけのはずなのに、いつの間にか2部練習をこなし、午後からは練習試合にも出ることになっている。なんだこれ? 何だこの状況? この現状を考えると、たまらず山田は吹き出す。不思議と嫌ではないこの疲労感と、午後からの実戦の練習試合へのワクワク感が体を温め、山田はシャワーを浴びながら笑いを止められなかった。
午後、軽い食事とマッサージの後、練習試合の開始直前に、山田は監督の元へとゆっくり近づいた。
「キヨさん。僕、後半からでいいですね?」
「なんだ? まだ体がキツイなら別に出なくてもいいぞ」
清川の挑発に、山田は腰に手を当ててため息をつく。
清川のタブレットには後半から山田が投入されるプランが丸見えなのだ。
「違いますよ。味方の選手がどう動くのかも分からなきゃ試合はコントロールできません。前半のうちに全員把握しますから」
ふんっと笑って清川はベンチを指差す。ベンチコートを着込んだ山田は、そのままベンチへ腰を下ろした。
「よーし、はじめるぞー」
主審の笛がなる。
アマチュアながらも去年の天皇杯ではJ1チームをも破ってベスト8入りを果たした東京の飛脚印刷サッカー部が今日の相手だった。
攻撃的なMFが足りていない多喜城FCは本来FWの平山を右サイドに置き、ボランチを3枚にした4-5-1と言うシステムを組んでいる。
しかし、サイドからのクロスをアリオスが上手くポストで落としても、裏から走りこむ選手の少ないこのフォーメーションでは、なかなか得点機を演出することは出来なかった。
何度かあった得点チャンスも体を張ったディフェンスで防がれ、前半を0-0で折り返す。
後半開始から、多喜城FCはボランチの中山に替えて山田を出場させた。
平山がトップの位置に戻り、山田が右サイドに入る。
試合が始まると同時に、山田の細かい指示があちこちへ向けて飛んだ。
ある程度自分の指示に満足が行った様子でボールを受けた山田は、ゆっくりとルックアップ。プレスをかけてきた相手選手をギリギリまで引きつけ、コンパクトな脚のふりから矢のようなスルーパスを前線に供給する。
あまりのスピードに平山は追いつけず、ボールはラインを割った。
「……キミさぁ。もう少し早く動き出せないわけ? 前半のキミのトップスピードに合わせてパス出してるんだからさぁ、さぼってないでちゃんと取りなよ」
平山を手招きすると、山田は文句を言い始める。
その間にも試合はゴールキックから再開していた。
「サトシ! 山田! なにやってる!」
森の激が飛ぶ。
平山は慌ててポジションへと走っていった。
「次のパスに触れなかったら、もうキミにパスは出さないからね」
その背中に容赦の無い山田の言葉が振りかかる。
平山はその言葉にイライラしながらも、先ほどのパスへの反応が一瞬遅れたことは、自分でも分かっていた。
次は絶対追いつく。あのクソ野郎のパスなんか、軽くトラップしてやる。
相手DFとラインの駆け引きをしながら、平山は裏へ抜けるタイミングを図っていた。
しかし逆に山田の側のサイドを破られ、多喜城FCは自陣深くまで守備に戻る。
それに合わせてラインを上げる飛脚印刷のディフェンスラインに、平山も引っ張られるように自陣へと戻り始めた。
自陣深く、ペナルティエリア付近で何とか千賀がボールを弾く。こぼれたボールに素早く反応したのは山田だった。
瞬間、平山は相手ゴールに向けて猛然と走りだす。
同時に山田が蹴り出したボールは、ディフェンスラインとゴールの間の広大なスペースへ、人と人の間を真っ直ぐに飛んだ。
相手GKが飛び出すが、ペナルティエリアの手前で、平山の伸ばした足先がなんとかボールに触れる。
ふわりと浮かんだボールは、伸び上がったGK指先をかすめ、コロコロとゴールに転がり込んだ。
「ピッピピーー!」
笛がなりこの試合最初の得点が多喜城FCに追加される。
「いいね。それだよ、サトシ」
駆け寄り、抱き合う仲間のはるか後方、ゆっくりと自分のポジションへ戻る山田から平山に声が掛かる。
「キミ」から「サトシ」へ。この王様のようなプレーをする司令塔から名前を呼ばれたことに、平山は少なからず喜びを感じていた。
この試合、後半だけで4得点した多喜城FCは、練習試合7連勝を記録した。
「……結局なんだったんですか。キヨさん」
夕暮れの中、元の黒スーツに着替えた山田が、呆れたように言い放つ。
窓から差し込む眩しい夕日を正面に受けていたが、流石に恩師の前でサングラスを掛けるわけにも行かない山田は目を細めた。こんないきなり呼び出して、説明もないまま練習試合に参加させるなど、Jリーグの常識から考えれば、正気の沙汰とも思えない。
「お前が使えるやつかどうか試したくてよ」
山田の眉間にシワの寄った顔とは真逆の悪びれた様子の微塵もない顔で、清川は笑った。
「で、どうだったんですか?」
「あぁ、引退は来年にしろ。うちに来いよ。おまえはまだまだ使えるやつだ。まぁ金はねぇけどな」
タバコに火をつけ、そう告げる清川に、山田は言葉を失った。
金が無いって、それじゃあ契約にならないじゃないか。一応恩師のチームだ、役に立てるなら力を貸したい想いは確かにあるが、ボランティアのような事をする気はなかった。
「どうした? やれる自信がねぇなら断れよ」
「出来ますよ! やれるに決まってるじゃないですか。だって僕ですよ?」
思わず即答した山田に、清川はニヤリと笑い、長く煙を吐く。
執務机から出した数枚の書類にペンを添えて、清川はまた山田の目の前に契約書を並べた。
「2年だ、2年でJ3優勝、J2に昇格する。どうせやることもないんだろう? 俺の下で学んでおけば、将来指導者や解説者になる道もあるからな」
ムチだけじゃなくアメの使い方も心得ている。手強い相手だ。
この人が相手ならば、少しくらい分の悪い契約を結ばされたとしても仕方がないじゃないか。
そう自分に言い訳して、山田はサインを入れる。
清川監督の「顔」で、一線級ではないものの、少し前の代表クラスで固められた中盤は、この時ついに最期のピースが嵌めこまれたのだった。
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