開幕前
第06話「永遠のサッカー小僧」
有名な清川監督の就任から、元日本代表ボランチ森の加入、別メニューながらも天才・財満の練習復帰、そしてブラジル人FWアリオスの獲得で、J3昇格以来明るい話題の無かった多喜城FCにも地元メディアが押し寄せるようになり、連日ローカルニュースにも取り上げられるほどの盛り上がりを見せていた。
厳しいながらも順調にスポンサーも増え、盛り上がりに伴って倍増したソシオ会員のお陰で、この頃にはなんとか選手年俸についても目処がつき始めた。
周囲の環境は目に見えて変わりつつあった。
だが、変わったのは周りの環境だけではない。
キャプテンに任命された森の影響で、選手自身の練習に取り組む姿勢にも急激な変化が見られていた。
練習開始前に集合し、全体練習の前にアップを済ませる。
練習中も声を掛け合い、戦術に対する考えのすり合わせをする。
練習後には自主練習、クールダウン、マッサージを受け、ボディケアを正しく行う。
この変化にはトレーナーとフィジカルコーチの存在も大きく貢献した。
そして、シューズやウェア等の道具の手入れ、練習を見に来てくれたサポーターへのファンサービス。
最年長の元日本代表選手が率先してサインやサポーターとの交流をしている中、他の選手がさっさと帰るわけにはいかない雰囲気が自然に出来上がっていた。
そんな中、ある日の練習前、早くも集まり始めていた見物人の中から「キヨさん!」と監督に声がかかる。
聞き覚えのあるその高い声に、清川はネット際まで歩み寄った。
「おう! テルじゃないか! 久しぶりだな!」
そこに居たのは
かつては日本代表で10番を付けたこともあるMFだった。
「キヨさん、僕、今所属チームがなくてさ。ボール使った練習したいから、練習に参加させてよ」
「いいけどよ、なんで宮城に?」
「テレビ番組のロケだったんだけど、観光したいからそのまま残ったんだ。じゃあロッカー貸してもらうよ!」
清川の指示で急遽練習生として参加することになった石元は、もう一瞬も待っていられないとでも言うかのように急いで着替えを済ませると、チームの輪の中へ入り込み、アップを始めた。
「イチさん久しぶり!」
「テルじゃないか! こんな所でなにしてるんだ?」
森と石元には代表時代に交流があったため、石元は森を介して次々と親しげに選手に声をかける。こうしてアップが終わる頃には、彼はもうすっかりチームの一員になっていた。
石元は本当に楽しげに練習をこなし、高いレベルの個人技を披露する。石元の正確でスピードの速いクロスにチーム全員が歓声を上げたが、中でもそれを羨望の眼差しで見つめたのは、清川監督と、練習に合流したばかりのアリオスだった。
セットプレーの練習が告げられると、アリオスは真っ先にテルの元へ駆け寄る。テルが流暢なポルトガル語でクロスの確認をすると、ひょろりと背の高いブラジル人FWは目を輝かせて何度も頷いた。
一度目のクロスはDFに弾き返されたが、アリオスの『あと40cm高く上げてくれ』と言う要望に、寸分の狂いもないクロスを上げた2本目以降は「アリオスに合わせてくる」と言うのが分かっていても、誰も触ることが出来なかった。
「こいつは……すごいな」
清川監督が呆れたように言葉を漏らす。
しかし、テルからアリオスのラインのあまりにも強力なセットプレーにDF陣が諦めの表情を浮かべ始めたのに気づき、清川は慌てて指示を始めた。
「バリッチ! アリオスに付け! 仁藤も渡部もクロスをあげられる前にアリオスに体をぶつけて良いポジションを取らせるな! ボールを弾くだけがディフェンスじゃねぇぞ!」
その後、上手く手を使ってポジションを確保し、圧倒的な高さからボールを叩き込むアリオスを、それでもアマチュアの多い多喜城FCのDFが半分を弾き返すまでになった。
攻撃側もアリオスを囮に裏を狙い、テルの変幻自在なFKもあって、充実した練習はいつもより20分ほど長く行われる。
その濃厚な練習は、トレーナーの寺島と1対1で別メニューをこなしていた
「よーし、今日はこれまでだ。各自クールダウンして引き上げろ」
清川の言葉に選手たちはボールやコーンなどを片付け、それぞれにクールダウンを始める。
しかし、練習の後半ほとんど一人でクロスを上げ続けていたはずのテルが「キヨさん!
テルはそれから三日間毎日練習に現れ、ポルトガル語の話せる相手が広報の伊達
スペイン語の話せる財満も、単語と身振り手振りで会話に参加し、練習後に一緒に食事をとるなど、アリオスの寂しさを紛らわすのにも一役買ってくれていた。
三日間の練習を終え、明日には神奈川に帰ると挨拶に来たテルを、清川は執務室に呼び入れた。
「テルよ、お前何で今年のチームが決まってねぇんだ? 調べさせてもらったが、J2の湘南や町田からオファーはあったらしいじゃねぇか。やっぱり下部カテゴリではやりたくないのか?」
清川の言葉にテルは首をふる。
「じゃあ、金か?」
テルは面白そうに笑い、もう一度首を振る。
「じゃあ何だよ」
皆目見当もつかないと言った顔で、清川は腕組みをしたままため息をつく。
テルは腰に手を当て首を傾げた。
「うーん、僕もわかんないんだけどね。練習に参加してみたんだけど、何か……違うんだよね。必要とされてないって言うか、僕じゃなくても代わりはできるって言うかさ……面白くなかったんだ」
首を傾げたままチラリと清川を見る。
窓際に歩いて行ってタバコに火をつけた清川が振り向いて、目があった。
「ウチはどうだった?」
すぐに目をそらした清川が、窓の外に長く煙を吐き出しながら聞く。
クスクスと小さく笑いながら、テルは体を捻り、ストレッチを始めた。
「
楽しそうに話し続けるテルをニヤニヤ眺めていた清川が「わかった」と手を上げて話を遮る。
携帯灰皿に吸い殻を突っ込むと、執務机の引き出しを開け、数枚の書類を取り出した。
「とりあえず1年契約だ。夏の移籍ウィンドウでウチより良い条件のオファーが来たら違約金無しで移ってもいいオプションも書いてある。でもよ、ウチにはお前が必要なんだ。俺たちと一緒にJ3優勝してみねぇか?」
「え?」
思っても見なかった形での移籍オファーにテルは困惑する。
10年近いテルのプロ生活の中で、こんな適当な、世間話でもするような移籍オファーは初めてだ。
しかし、そんな現状にワクワクが止められない自分がいるのもまた事実だった。
「キヨさん、これマジ?」
「ああ。お前が練習参加してることは地元新聞にもすっぱ抜かれてるぜ。ここでお前にオファー出さなかったら、俺がサポーターに責められらぁ」
清川は執務机の上に出しっぱなしになっていた地元の新聞をポンッとテルの方に投げてよこす。
スポーツ面ではなく地域情報面ではあったが、そこにはそれなりの大きさで「元日本代表MF石元輝夫(28)、多喜城FCの練習に参加」と言う見出しが書いてあった。
そう言えば今日の練習は妙に見学に来てる人が多かったなぁとテルは思い出す。
サポーターにも、チームの仲間にも、監督にも必要とされている。
テルの心は既に決まっていた。
「いいよ。やろうよキヨさん、J3優勝!」
面白いイタズラを思いついた子供のように、テルは満面の笑みでそう応える。
こうして、清川の構想通り、新シーズンへ向けて、三人目の新戦力が多喜城FCに誕生したのだった。
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