第05話「マランドロ(なまけ者)」

「リストアップしてある選手一覧とか見せて頂く訳にはいきませんか?」

 ブラジル・サンパウロ行きの飛行機の中で、伊達だて しずくは清川監督に切り出した。

 移動時間を除けば、年末のスポンサーとの懇親パーティまで、実質の滞在時間は3日しか無い。

 通訳をする事になる雫も、知りうる限りの情報は知っておきたかった。


「リスト? そんなもんないぞ」

「……はい?」

「だから、最初からリストアップ出来るんだったら、現地に行く必要ねぇだろ。リストなんかないぞ」

 清川は、まるで物覚えの悪い学生を相手にした教師のような顔をしている。

 やる気に満ちていた雫は一気に肩の力が抜け、その後、猛烈に怒りが湧いてきた。


「そ……それ! ほ……本気で!? 本気で言ってるんですか!?」

「ベロオリゾンテに昔俺が指導したやついる。そいつがアトレチコ・ミネイロでコーチをやってるから、そこで何人か見せてもらうつもりだ。いいから静かにしろ。周りに迷惑だ」

 周りから聞こえる咳払いと今にも駆け寄ってきそうなキャビンアテンダントの視線に、雫は口を抑えて頭を下げ、狭い椅子に体を収めた。

 清川はイヤホンをして既に眠る態勢に入っている。

 釈然としない思いを感じながら、仕方なく目をつむった雫は、全く気の休まらない浅い眠りを何度か繰り返した。


 サンパウロから国内線に乗り換えて更に一時間以上、標高800メートルという高地に整備されたベロオリゾンテの街並みは、雫の沈んだ心とは裏腹に、強い日差しに照らされて美しく輝いていた。


「空港まで迎えに来てくれるって言ってたんだが……」

 空港の車止めで自分のスーツケースに腰を下ろし、のんびり構える清川に雫がイライラしながら待つこと一時間半。ピカピカの日本車でそこに現れたのは元プロサッカー選手の面影もない、かなり太めの男だった。


「エビ! 久しぶりだな!」

「キヨ! おはよゴザマス!」

 エヴェウトン・ドス・サントス。

 運動量豊富なボランチで、選手生活の晩年を清川監督の元、横浜アルマーダで過ごした。

 選手時代の登録名は「小さなエヴェウトンエビーニョ」だったが、清川を含めた親しい人々からは「エビ」と呼ばれていた。


『はじめまして、多喜城たきじょうFC広報部長の伊達 雫と申します。早速ですが、練習場へご案内いただけますか?』

 再会を喜び合う二人の間に名刺をねじ込むようにして、雫が流暢なポルトガル語で挨拶をする。

 少し身を引いてその名刺をマジマジと眺めたエヴェウトンだったが、日本語は殆ど読めないため、名刺の内容を確認するのはすぐに諦め、雫に向かってにっこりと微笑んだ。


『広報のお嬢ちゃんが何だって? 今日は横浜アルマーダの取材なの?』

『横浜アルマーダさんとは関係ありません! 私共わたくしどもは多喜城FCと言うチームです! うちの清川から何もお聞きになっていないんですか?』

『うーん、会いに行くからイキのいいストライカーを見せろって言ってたよ』

『……私たちの多喜城FCで、来季J3で活躍できるストライカーを獲得するために、私たちは来たんです。時間も予算も多くありません。頼みの綱はエヴェウトンさんだけなんです。よろしくお願いします』

 雫の真剣な表情と言葉に、エヴェウトンの表情が引き締まる。

 勝手に自分の荷物をエヴェウトンの車のトランクに突っ込み始めた清川を尻目に、二人は移籍の大雑把な内容を今更折衝し始めた。




「いい車乗ってるじゃねぇかエビ。飛行機よりシートも広いし、エアコンも効いてて最高だ」

 リアシートで終始ごきげんな清川だったが、車内には重い空気が漂っていた。

 運転席のエヴェウトンは、ヘッドセットにつないだスマートフォンで次々と知り合いにアポイントメントをとってくれている。しかし、雫の提示した年俸で、日本の3部リーグに行っても良いという奇特なサッカー選手の宛はそう多くは無いようだった。

 ヘッドセットのスイッチを切ると、エヴェウトンは大きなため息をつく。


『……うちの若手には日本のトップクラスのチームで、私も在籍したことのある横浜アルマーダの監督が、有望なストライカーを探しに来るって言ってあったからね……何人残るか……』

 真剣な顔で他の宛はないかと思案するエヴェウトンに、助手席の雫はただ頭を下げる。

 カーラジオから流れる陽気な南米のリズムを刻む音楽に合わせるように、リアシートからは清川のいびきが響いてきていた。



  広々とした練習場に横付けされた車から降りた清川が、大きく体を伸ばす。げっそりとしたエヴェウトンと雫を尻目に、軽くストレッチをして体をほぐすその表情は、活き活きとしていた。

 エヴェウトンにいざなわれて向かったアトレチコ・ミネイロの2軍練習場では、今まさに激しい紅白戦が行われている最中で、エヴェウトンが2軍コーチに確認すると、その中の4人のFWが清川のテストを受けたいと申出たと教えてくれた。

 あからさまにほっとした表情のエヴェウトンは清川の肩を叩くと『キヨ! あれがうちのとっておきの若手だよ!』と練習試合中の選手を指さす。

 赤ビブス組の11番、17番、青ビブス組の24番、26番がそうだと説明された雫が清川に通訳すると、清川は勝手に2軍監督の隣に陣取り、早速それぞれの選手の動きをチェックし始めた。


 雫が見る限りどの選手も上手く、強く、速い。

 どの選手でも十分な戦力なるだろうと思われたが、中でも11番の選手は図抜けていた。

 前線でワンタッチゴールを決めたかと思えば、ポストプレーからワンツーで裏に抜け出しシュート。中盤まで下がって守備もこなし、守備からカウンターのアーリークロス、ミドルシュート、自らドリブルで持ち込んでのシュートと、全てが高いレベルで融合したプレイヤーだと思えた。


「監督。あの11番の選手……」

 そこに口を挟むのは越権だと分かっていたものの、雫は思わず口に出す。

 清川は選手を見るのを止めずに、そのまま「ありゃあダメだ」とつぶやいた。


「え?」

「確かに上手いが、あれじゃあ通用しない。丸い選手だ。もちろん基本ができている事は大前提だが、もっと1つ2つ尖った武器がないとJリーグじゃあ結局何もさせちゃ貰えんよ」

 メモを取りながら練習を見る清川の前で、4人が次々と交代する。雫の通訳を介してその4人と話をしてみたが、清川にピンと来る選手は居ないようだった。


『……仕方がないね。今日はこれからセリエBのアメリカ・ミネイロの練習も見に行ける、そこでキヨの眼鏡にかなう選手が見つかることを神に祈ろう』

 エヴェウトンの言葉に励まされ、清川と雫は車に向かう。

 車のドアを開け、振り返って見た練習場では2軍の練習が終わり、3軍の選手が自主練習を始めようとしていた。

 ふと、その中の一人の選手が清川の目に留まる。

 そのひょろりとした長身の選手は、一人黙々と何度も何度も繰り返しシュート練習を行っていた。


「……どうしたんですか?」

 動きの止まった清川に、雫が声をかける。

 清川の視線の先でシュート練習を繰り返す選手に目を向けると、そのシュートは無人のゴールだと言うのに、半分も決まっていなかった。


「上手いな」

 雫が「下手だな」と思ったその時、同時に清川のつぶやきが耳に入る。


「一人で練習しているのに、ちゃんとその時々の状況を自分で設定してシミュレートできてる。ただ蹴るだけじゃない、ボールにメッセージを込められる選手だ」

 思わず「え?」と聞き返した雫に、語るでもなく清川は説明してくれた。


 清川の強い要望で3軍も指揮している2軍コーチに話を聞くと、ノートから目を上げたコーチは、肩をすくめてすぐに練習メニューの確認に戻った。


『あいつはなまけ者マランドロだ。だめだよ』

 ノートから目を離さずにそれだけを言う。

 めんどくさそうなコーチにエヴェウトンを通して無理に話を聞くと、そのアリオス・パウロ・リベイロと言う選手は練習もまじめにこなし、ポストプレーも上手くスピードもあるのだが、すぐファールを貰いに行き、すぐカードを貰う、そしてすぐ怪我をすると言う傾向があり、年間の半分しか試合に出られない。

 シーズン通して計算の出来ないダメな選手だが、しかしそれでもスッパリ切ってしまう事もできない、そんな選手だった。


「それでついたあだ名が『なまけ者マランドロ』だそうです。監督、だめですよ怪我しやすい選手は……」

 そんな話をしている間にも、黙々と練習を続けるアリオスを見て、清川はニヤリと笑った。


「どこがなまけ者だよ。あいつは自分の武器の使い方を間違ってるだけだ。他の選手みたいになんでも出来る必要はねぇんだ。あいつに合った戦術と練習を教えてやれば……ありゃあ化けるぞ!」

 興奮した清川を誰も止めることは出来ず、仕方なく始めた移籍交渉だったが、半分アマチュアのような給料でサッカーを続けていたアリオスの獲得は案外スムーズに決まってしまった。

 年明けからの合流と言うことで契約書を交わし、清川と雫の初ブラジル出張は滞在時間僅か36時間で終了となる。


 こうして多喜城FC初のブラジル人助っ人、アリオス・パウロ・リベイロは年明けの1月7日、日本の地を踏むことになったのだった。

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