第04話「契約更改」
プロのクラブチームと契約するアマチュア選手の境遇は厳しい。特に親会社があるわけではない
一般の会社員と同様の業務をこなし、プロ選手と同様の練習もこなさなければならない。まさしく「体が二つ欲しい」と言う日々を過ごしている。
多喜城FCに所属するMF、
オフィシャルパートナーとして名乗り出てくれた倉庫会社で働きながら、試合に出ている。
練習場にも自転車で通い、試合では誰よりも走った。
運動量は技術の差を埋めてくれる。
J3に昇格したは良いが、常に降格の危機にある多喜城FCをギリギリで救ってきた影の立役者は、自分だと言う自負が彼にはあった。
そんな福石のサッカー人生は、幼い頃育った埼玉県で始まった。
地元のJリーグチーム「さいたまディアマンテ」の下部組織で才能を見出され、高校卒業後には練習生としてプロ契約の一歩手前まで決まりかけた。
しかし、ある日突然、体に力が入らなくなった福石は、何がなんだか理解も出来ないまま病院に運び込まれる。病院で告げられたのは「ギラン・バレー症候群」と言う耳慣れない病名で、それは四肢に力が入らなくなる難病だった。
数年の治療の末に病は完治したが、福石とプロ契約してくれるチームはもはや無い。
しかし、それでもサッカーは止められなかった。
アマチュアとして拾ってくれた多喜城FCに紹介された倉庫会社で、朝と夕方に数時間ずつの仕事をこなし、昼はチームの練習と自費でのジム通い。週に一度は倉庫で夜勤もこなし、週末には試合やアウェイへの遠征がある。
体はいつも悲鳴をあげていたが、辛いと思うことは無かった。サッカーを出来なかった数年間、あの絶望に比べれば、今は福石にとって幸せな時間だと言えた。
倉庫会社の常務からは「そろそろサッカーをやめて仕事に専念しないか?」と、役職につく話も何度かされたが、福石はまだサッカーを諦める気にはなれない。
「すみません」
頭を下げる福石に、常務はいつも「待ってるよ」と肩に手を載せ、笑ってくれた。
「プロにならねぇか?」
来年の契約書にハンコを押そうとクラブハウスへ向かうと、清川監督からかけられた言葉はそれだった。
「しばらくはC契約だし、その後もA契約してやれるかどうかは分からん。だが、お前の運動量はウチにとってのダイナモだと思っている。サッカーに専念して、全40試合3,600分、全力で走り続けて欲しい。……チームの勝利のために」
清川監督はスタッツ資料(※プレー内容の細かな統計資料)をタブレットに表示すると、福石の平均移動距離の欄を示す。
「お前の走る距離はダントツでチーム一だ。しかし、夏場からシーズン終盤に向かって、ガクッと距離が減る。俺ぁこれを仕事と掛け持ちしているせいだと思っている」
確かに、こうして数値を見るとそれは一目瞭然だ。
自分では一年間同じように走り続け、チームを動かし続けたと言う自負があった福石にとって、それは絶望に近い衝撃だった。
「……考えさせてください」
プロになれる。
その幼い頃からの夢に手が届こうとした今、自分がプロでもやっていけると言う自信の源とも言える「試合中誰よりも多く走れる」と言う自負が、もろくも崩れた。
福石はその日の判断を保留し、仕事に戻った。
同じ日、清川監督はプロA契約のGK岸川と攻撃的MFとしてもFWとしても活躍していた八巻に0円提示を行った。
来季の年俸は0円。つまりクビだ。
八巻はJFL時代にはエースナンバー10番を背負い、創生期からのチームの顔だった。岸川も守護神として1年間スタメンを守り通してきている。
この結果は予想外のものだった。
「すまん」
ただ頭を下げる清川に毒気を抜かれた二人は、その日のうちに移籍リストに掲載された。
その後もアマチュア選手2人、プロB契約のMF
そんな中、契約更改に呼ばれたのは、同じくプロB契約のMF
同期で同じポジションの灘島と常に比べられ、そして常に一歩下の評価しか受けていなかった千賀は、灘島の解雇を知った時から覚悟を決めていた。
清川が臨時コーチとして練習に参加するようになってから、一番怒鳴られたのが千賀だったし、怒られても練習への遅刻はそんなに減らなかった。
やる気はあるつもりなのだが、どうしても気持ちがついてこない。同じポジションで元日本代表の森が来季から加入することが決まったのも、なんとなくクビなんだろうと言う雰囲気となって、体にまとわりついていた。
「お前は今年3年目だな。お前には来年からプロになってもらうぞ」
「え? ……俺、B契約ですけど、一応今もプロっすよ」
清川の言葉に、ムッとして千賀は言い返す。
「お前のどこがプロだよ。練習も、プレーも、言動も、行動も、全部アマチュア以下だ。ガキなんだよ」
挑発しているな。と、千賀はそう感じた。
つまりそういう事だ、2年契約の1年目が終わった所の千賀を解雇すれば、チームには違約金を支払う義務が発生する。
千賀側からの自由契約希望と言う形になれば違約金は発生しない。
めんどくさい。元々の年俸から考えたって違約金なんか微々たる金額だ、辞めてやろうと千賀は考えた。
「そこまで言われたらしょうがないっすね。辞めますよ」
努めて冷静に、なるべくガキ臭くならないように、そう思いながら答えた千賀の言葉は、後から思い出すと顔が
「……辞めるだぁ? 全く、本当にガキだな」
清川が呆れたようにパイプ椅子を軋ませるて立ち上がる。小さな窓をガラッと開け、ポケットから取り出したタバコに火をつけ大きく吸い込むと、窓の外へ向かって煙を吐き出した。
「辞めたいなら止めねぇけどよ。お前は今、一足飛びにガキからプロになるチャンスを掴もうとしてるんだぜ? 『サッカーは子供を大人に、大人を紳士にする』って言う言葉、それくらい知ってるだろ?」
『日本サッカーの父』と呼ばれるデットマール・クラマーの言葉だっただろうか。千賀も聞いたことくらいはあった。
「プロってのはその紳士のさらに上だ。お前には尊敬できる見本が必要なんだ、サッカーでも、私生活でもな」
「それがあんただとでも言うわけ?」
思わず馬鹿にしたような言葉が口から出る。
気をつけていない訳ではないのだが、どうしても子供のような物言いは直せなかった。
「俺はそんなに立派な人間じゃねぇよ。イチが……森が来る。お前は1年間あいつに付いて学べばいい。それでお前はプロになれる。お前にはそれだけのポテンシャルがあると俺は思ってるよ」
「……今日
睨むように清川の背中を見つめ、逡巡の末に千賀は立ち上がると背を向ける。
向こうは契約したいと言っているんだ、他にやりたいことがある訳でもないし、あと一年くらい付き合ってやってもいい。
それに、監督がそこまで言う森と言う男を一度見ておきたいと千賀は思った。
「バリッチです。失礼します」
ノックの後に流暢な日本語で挨拶すると、長身のセルビア人DFが、頭をかがめて入室した。
「早速ですが監督、高梨さん。私が今年も契約するには条件が3つあります」
高梨経理部長に椅子を進められるとパイプ椅子に腰を下ろし、バリッチは青い目を真っ直ぐに清川へと向け、膝に両手を乗せて話しだした。
「いいぜ、言ってみな」
清川が椅子に深く腰掛け、腕組みをしながら先を促す。
「では……まず、トレーナーを雇ってください。それから、フィジカルトレーニング用の設備を選手が自由に使えるように設置して頂きたい。最後に……これが一番重要なのですが、練習が決まった時間から正確に始まるようにお願いします」
一気にそれだけ言うと、目もそらさずにバリッチは口を閉ざした。
「それだけかい?」
「ええ、私は3つと言いました」
バリッチは真剣な目で清川を見つめ続ける。
清川は唇に浮かびそうになる笑みをこらえ、バリッチを見つめ返した。
「じゃあこっちも答えよう。トレーナーはもう雇った。急な話だったんでこっちに来るのは25日になる。トレーニング用の設備はすぐには無理だが、スポンサーには掛け合おう。俺が年末に出かけるまでには返事をもらう。練習の時間については……当然だ」
「……良かった。やはりあなたはプロフェッショナルのようだ。では、私は25日の状況を見て契約するかどうかを決めましょう」
それだけ言うと立ち上がったバリッチは清川と握手を交わし「失礼します」と頭を下げ、踵を返した。
慌てて呼び止めた高梨の「年俸の折衝は……」の声には「常識的な金額でお願いします」とだけ返事を返し、そのままバリッチは退席した。
「
清川は吹き出し、高梨を見る。
暗に今までの年俸は常識的ではないと揶揄しているのか、それとも今まで通りで問題ないと言っているのか、どちらにせよそのあまりにも日本人的な感覚には、もう笑うしか無かった。
「こりゃあスポンサーの獲得をもっと頑張らなきゃならんな」
困惑する高梨の肩をぽんと叩くと、清川はポケットからタバコを取り出し、喫煙所へと向かうのだった。
そして12月25日。
朝からクラブハウスに横付けされた大きなトラックから、真新しいマッサージ用の設備と幾つかのトレーニング機材が運び込まれた。
プラスチックの板に「社長室」と彫り込まれたプレートが取り外され、薄いプラスチックの板にネームシール機で「トレーニングルーム」と書かれただけのプレートに張り替えられる。
この日、福石、千賀、バリッチを含め、契約を保留していた全選手が判を押し、現有戦力の契約更改は終了した。
それを見届けた清川はポルトガル語の話せる
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