第03話「天才」

 やっと正式契約を結び、多喜城たきじょうFCの契約資料を見た清川は、しずくを呼んで書類を指差した。


「今年5試合しか出てないけど、この『財満ざいまん 信行のぶゆき』ってのは、まさか財満か?」

 財満と監督が言ったのは、U-16日本代表選手として16歳以下のワールドカップに出場し、そこで日本をベスト4に導き、自身も日本人選手としては大会初のベストイレブンに選ばれた、天才サッカー少年の事だった。

 高校卒業後に引く手数多あまただったJリーグとの契約はせずに、スペインのクラブチームと契約を結んだという記事を数年前の雑誌で見た記憶が、清川にはあった。

 しかし怪我に祟られ、その後は日本のメディアでも大きく取り上げられた事は無かったように思う。


「ええ、たぶん監督の言う、財満選手です」

 少し得意気に雫は頷く。

 もう一度書類に目を落とした清川は、ほうっと感嘆の声を漏らした。


「驚いたな、こんなチームに居たのか……」

「監督! こんなチームって!」

「お、悪い。失言だった」

 契約書に書かれた財満の年俸は数百万円。シーズンフル出場全勝したとしても一千万を少し超える程度の、経歴から考えれば微々たる金額だった。


「去年、補強の目玉として、リハビリ中と言うのを承知の上で財満選手を獲得したんです。地元では結構大きなニュースになったんですが……去年はシーズン終盤に復帰したものの、試合感が戻る前にシーズン終了。今年は開幕後に数試合活躍したものの、二度目の靭帯断裂じんたいだんれつで戦線離脱。今は自宅で療養中です」

 元日本代表ボランチの森の加入もあって、スポンサーの打診は増えてはいるものの、台所事情は芳しくはない。

 しかし、清川の脳裏に浮かんだ財満のプレーは、荒削りながらもこのチームの中心選手として申し分ないものだった。


 早熟な選手というのは居る。

 若い頃に将来を嘱望されていた選手が、プロではパッとした成績を残せず、すぐに引退するような姿を、清川は何度も見てきた。


 天才少年だった財満もそんな選手の一人なのか。それとも怪我のせいでくすぶっている導火線なのか。

 清川は思わぬところで見つけた大物の名に、心を踊らせた。


「よし、とにかく会おう」

 書類の入ったファイルをぽんと机の上に放り投げ、清川はコートを肩にかける。

 清川の知っているあの財満なら技術は申し分ないはずだ。あとは、心。

 直接話しをしてみればそれはすぐに分かる。それは清川の持論だった。




 クラブハウスからほど近い小さな市民病院に財満は居た。

 ほとんど毎日この病院に通い、自費で医学療法士の治療を受けていると言う事だった。

 驚いたことに彼の治療に関して、チームは全く関与していない。

 スポーツ専門の医療施設もない小さな街だ。

 専門のトレーナーと契約しているわけでもない。

 それは確かに口を出せる人間も居ないだろうが、プロチームとしてはあり得ない対応だと、清川は眉をしかめた。


 手術から半年以上、やっと松葉杖なしで歩くことが出来るようになったと言う財満は、それでも腐ること無く懸命にリハビリのメニューをこなしていた。


「よっ、雫ちゃん久しぶり」

 12月だというのに滝のような汗を流して、財満はベンチに腰を下ろした。

 汗を拭きながらチラリと清川の方を見る。

 その視線に気づいた雫が、監督を紹介しようとするのを清川は制した。


「いつ、ボールが蹴れるようになる?」

 雫の前に体を割りこませ、財満を見下ろすように立った清川がぶっきらぼうに質問をする。


「開幕に間に合えば早い方っすね」


「スポーツ専門医ドクターには見せたのか?」


「そんなもん、この街には居ないっすよ」


「またU-16ワールドカップの時のようなプレーが出来るか?」


「怪我さえ治れば、あんなの目じゃないプレーをして見せるよ」


 睨みつけるように見上げる財満と、腕を組んで見下ろす清川の間に、電気が走ったように雫には見えた。


「……帰るぞ」

 くるりと背を向ける清川を雫は慌てて追いかける。

 財満がベンチから立ち上がり、清川の背中に声をかけた。


「俺……クビっすか?」

 その声に清川は立ち止まる。


「……お前以上の選手を獲得できる資金も宛てもない。お前には給料分は働いてもらうさ」

 振り向きもせず、清川はそう告げた。


「それからな、俺の知り合いのスポーツドクターが横浜に居る。近いうちに見てもらいに行くぞ。それから、アスレティックトレーナーとも契約する。今後の治療計画はチームとともに決めていくことになるからな。今かかってる先生にも伝えておけ。……いいか? もうお前は一人で怪我と戦う必要はない。サッカーはチームで戦うスポーツだ、わかるな?」

 それだけ一気にまくし立てると、清川はそのまま出口へ向かって早足に立ち去る。

 清川の姿が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、ただ呆然と立ち尽くしていた財満は、もう既に見えなくなった清川の背中に、深く……深く頭を下げた。




 次の週、清川と財満は横浜の吉田スポーツクリニックに居た。

 清川の横浜アルマーダ時代からの友人に、財満の前十字靭帯の様子を診てもらうのが主な目的だったが、清川にはもう一つ思惑がある。

 検査後、財満が器械治療を受けている最中、清川は透明なガラスで囲まれた喫煙ルームの中で、吉田院長とタバコをくゆらせていた。


「こんな箱の中じゃねぇとタバコも吸えねぇんだな」

「ああ。そう言う時代だ。今のサッカー選手なんぞ酒もタバコもやらんのだそうだ」

 難しい顔で二人同時にゆっくりと煙を吐き出す。


「何が楽しいのかねぇ」

 そんな独り言のような言葉をつぶやいただけで、あとはそのまましばらく、無言で煙を味わい続ける。


 なんの合図もなく、清川は不意に灰皿へとたばこを押し付けて火を消すと、吸い殻を指先で弾いた。


「……どうだ、あいつの膝」

「まぁ……ギリギリだ」

 吉田院長は相変わらずの難しい顔で大きく煙を吐く。


「……だが、治るよ。本人とトレーナーと……周りのサポート次第だが、夏前には試合に出られるだろう」

「そうか」

「次はないぞ」

 難しい顔のまま「ギリギリなんだ」とつぶやく。清川はうなづいた。


 吉田は、いつのまにか根元まで灰になったタバコを灰皿に放り込む。同時に無言のまま清川が差し出したタバコを一本受け取り、また火をつけた。


「そのサポートをするトレーナーの事なんだが」

 自分でももう一本のタバコに火をつけ、ライターをポケットに仕舞いながら清川が言った。


「……そっちもギリギリだな。今どき設備もない、報酬も低い所にこのんで行くような奴は居ない。……でもな、一人だけ、行っても良いって奴が居る。俺に比べればまだまだだが、若い奴らの中では勘もいい」

「そうか、居たか」


 タバコをつまんだまま何かを考えていた吉田が、初めて面白そうな表情を見せる。


「……そいつがよ、その若造が……行くかどうかはお前と話をしてから決めるってよ。生意気にもお前の心意気を試す気で居やがる」


「俺をか」


「ああ」


「そうか」


 二人は顔を見合わせると、さもおかしな事があったかのように同時に吹き出した。

 しばらく腹を抱えて笑った末、それぞれ白衣とスーツのポケットに手を突っ込んだままそこを出る。

 後には煙と笑い声の余韻だけがふんわりと漂っていた。




「はじめまして。寺島と申します」

 190cm近い長身の青年は、折れ曲がるように挨拶をすると、緊張した面持おももちで右手を差し出した。


「清川だ」

 握り返した手の大きさに清川は驚いた。

 元プロサッカー選手なのだ、体格はかなり良い方だと自負している。

 しかし、その手の大きさは大人と子供ほどの差があった。


「失礼だが、なにかスポーツを?」

「はい、中学まではアルマーダのジュニアユースでゴールキーパーを、その後は大学卒業まで柔道をやっていました」


 サッカー経験者なのはありがたい。

 机上だけでない経験は得難い財産だと清川は考えていた。


「それで? 俺を試してから引き受けるかどうか決めると言う事だったが」


 気の短い清川は単刀直入に切り出す。

 清川の言葉に赤面した寺島は吉田を睨んだが、吉田はただ面白そうな顔をして壁にもたれかかっているだけだった。

 一度目を閉じ、大きく深呼吸すると、意を決したように清川に目を向け、寺島はゆっくりと話し始めた。


「……清川監督は、Jリーグの拡大指向と、それにそぐわない地方の零細クラブの現状をどう思われますか? ひいては地方政治のあり方にも通じる話だと思います。先ほど財満選手ともお会いしましたが、世界レベルの選手ですらあのような治療しか受けられていないと言う現実は――」

「ああ、ちょっと待て」

 吉田の今にも吹き出しそうなニヤニヤを睨みつけ、清川は寺島の口上を止める。

 ポケットをゴソゴソ探りタバコを取り出したが、ここが禁煙なのを思い出すとスゴスゴとポケットに戻した。


「あー……あのな、あんたが俺にどんな高尚な理想を求めてるのかは知らんが、俺は『地方政治』とか『Jリーグの未来像』とか、そんな話には全然興味ねぇぞ」

 清川の言葉に寺島は奥歯を噛みしめる。

 今までにもトレーナーとして招かれたことは何度かある。そしてこの言葉は、これほど率直な言葉ではないにせよ、その面接の際に何度か聞いたことのある言葉だったのだ。


「……だけどよ、上がどうあれ、変えていくのは底辺に居る者自身なんじゃねぇか? このひどい現状を変えるためには、まずチームが勝つことだと、俺ぁそれしか考えられねぇ。理想がなくちゃ動けねぇって言うなら仕方ねぇ。でも俺は、二年後三年後に『地方の弱小クラブはこうあるべき』って言うお手本に、ウチがなってれば良いと、そう思ってるよ。それじゃダメだって言うなら……縁がなかったってことだな」


 清川の言葉が終わると三人は黙りこむ。

 シンと静まり返ったその狭い部屋に、財満が勢い良く飛び込んできたのはその時だった。


「キヨさん! ここに居たんだ! すごいよ! 膝の動く範囲が凄く広がってる! イケるよ! こんなに手応えがあったのは初めてだ!」

 いつのまにか清川の呼び方が「監督」から「キヨさん」に変わっている財満のその満面の笑顔を見て、寺島は清川の顔を見る。

 大騒ぎする財満に苦虫を噛み潰したような表情を向けながら、それでもその奥底から溢れ出す喜びを隠しきれずにいる清川を見て、寺島はもう一度手を差し出した。


「……よろしくお願いします」

「そうか、よろしく頼む」

 寺島の決意に満ちた表情に、清川の顔も引き締まる。

 手を伸ばし、がっしりと握りあったその手は、やはりしなやかで、とても大きかった。

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