スーパーギスギス人間関係ファンタジー
「泣いてるの?」
アドニスははじめおれにそう言った。
「別に泣いては……」
「目が赤いよ」
アドニスはガーゼのような生地でできた薄いシャツを着ていた。彼はその服の袖をおれの目もとにそっと押しつけた。
彼はくるくると巻いた髪を耳が出るぐらいの長さにしていた。髪は柔らかそうで、黒髪だったが、細いせいかオリーブ色に見えた。
「何かされたの?」
彼はひどく心配そうな顔でおれを見た。
まるで迷子になった子供のような表情で、おれがこれまで見たダークエルフたちの中でそんな表情をする者はひとりもいなかったから、おどろいた。
これまで見てきたダークエルフたちの表情は、豪快に笑っているか、あるいは敵意に燃えているか、あるいはまったくの無関心、あるいは完璧に作ったような笑顔、ほとんどがそれらのうちのどれかであった。
ようするに、多くのダークエルフには、相手に……少なくともおれのような異種族に対しては、弱いところを見せるような習慣がまったくない。そう言っていいと思う。
だから、アドニスが不安そうな顔を見せたのは衝撃だった。
「ねえ、何かされたの? 話してみてよ」
「だ……だいじょうぶ、です。そんなには」
彼はルカを睨んだ。
「なに、痛めつけたの?」
「いや別に」
ルカは口の端を少し上げた。
アドニスに比べると、ルカの表情はずっと落ちついている。彼は自分がいまどんな顔をしているかきちんとわかっている。
「いろいろ刺激が強かったみたいだ」
「きつく当たったんでしょ」
「重要なことははっきり教えておかないと……」
「きみの思い通りに彼を操れなくなるんだよね?」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。アドニス」
「……相変わらず好かれてはいないみたいだ」
ルカはあごを少しあげて、アドニスを見おろすようにする。
「でも、きみが……」
「まあいい、今日はそんな話をしにきたんじゃない」
ルカは結構ピリピリしているようだ。
彼はアドニスに会うまえに着替えてきていた。
いまのルカは、体型にぴったり合った黒い服を着ている。剣のマークが入った金のボタンが並び、肩と胸元には銀糸のししゅうがあり、竜の頭蓋骨が縫いとられている。
その服はおれの世界の軍服に似ていた。たまたま似たのか、おれの世界からだれかが持ちこんだ服がまねされたのかは分からない。
髪はきっちりくしを入れて、後ろに流してまとめられいた。ひたいがあらわになったので、髪をおろしていたときより理知的に見える。むろん髪を結うのはメイドたちがすべてやった。
たんに夜だから着替えたのか、それともべつの理由かはわからない。
「異世界人を紹介しにきてくれたんだよね?」
アドニスのほうは、服装はそれほど豪華なものではない。貝でできたシャツのボタンに小さな彫刻がほどこされているのをのぞけば、むしろひかえめだ。
エグい性格、とルカから言われていたので心配していたのだが、実際のアドニスはむしろ清潔感があって、きまじめそうだった。
彼の部屋も、ごくシンプルなものだった。同じ色の素材でそろえられた品のいい家具と、筆記具やインク入れといった必需品があるだけだ。
余計なものといえば、香水ビンらしきものがいくつかと、壁に絵がかかっているだけだ。霧のかかった入り江の絵だった。ダークエルフで絵が好きなのは変わり者なのかもしれない。とふと思った。
「ルカ、せっかくきてくれたところ悪いけど……」
アドニスは困惑したような顔で、ぼくをちらと見る。
「彼と少しふたりで話したいな」
「何をするつもりだ?」
「話すだけだよ」
「内容のことだ」
「ルカにとやかく言う権利が?」
うわあ。険悪だ。
おれはすこしづつ二人から離れた。
「そう睨まないでよ。ルカ。彼が怖がってるじゃないか」
ルカはすこしばつが悪そうにおれを見る。
「すこし話すだけでいいのに」
「わかった。もういい」
ルカは空中の虫でも追い払うようなしぐさをした。
「少ししたら戻ってくる」
「ごめんね、へんな雰囲気で。別になにもしないから」
アドニスは部屋の隅からイスを持ってきてくれた。
「わかると思うけど、彼にあまり好かれてない」
「何か事情でもあるの?」
「……さあ、単になんとなく嫌いなんじゃないかな」
アドニスはそこで少し言葉を切った。
「……十二人集まって、全員が全員と仲いいなんてありえない」
彼はルカが本当に離れていったか気にしているようなそぶりだった。彼は声を落として、おれにささやく。
「ルカには気をつけたほうがいいよ」
「そうかな、たしかに……なんていうか、うたぐり深かったけど」
「それだよ、猜疑心が強いでしょ」
ルカはさかんにうなずく。
「ほとんどパラノイアなんだよ」
「でも……悪い人じゃないんじゃないかな」
「どうしてそう思う?」
「いろいろおれの世話を焼いてくれたし……」
「うん。そうなんだ。彼は最初いつもそうするんだ。いろいろ世話を焼いて、相手がなるべく自分に依存するように仕向ける」
アドニスは何もかも見透かしたように言う。
「自分以外のダークエルフは怖いぞとか、アドニスは信用するなとか、そんなようなこと、言われてない?」
「ま、まあ多少は」
「そうやって、自分に有利なようにしているんだ。きみがほかのダークエルフに不信感を持って、ほかと関係を作りにくいように。この城になじめなくなるように仕向けているんだ」
「そんな……」
「きみ、もう他のダークエルフに不信感を持ちかけてるだろ?」
アドニスはおれを指さす。図星だった。
おれは他のダークエルフを怖いと思いはじめていた。
「誰だって異種族の中に入りこんだら不安だ。考え方も習慣もまるで違う。もしぼくが君たち人間の世界にやってきたら、やっぱりそうなるだろう」
「ああ、わかるよ」
「そういうのにつけ込むのは……」
ドアがノックされた。
「話は終わったのか。アドニス」
「警告はしたからね」
アドニスがおれに耳打ちする。
戻ってきたルカは、すぐにおれを部屋から連れだした。
「なにか吹きこまれただろ?」
ルカは笑って、余裕があるそぶりを見せていたが、自分がいない間の会話を気にしているようだった。
「べつに言う必要はないけれど」
「うん……」
「アドニスはやることがえげつない。あまり信用しないようにね」
「あ、ああ……」
「せまくて悪いが、ひとり用の部屋を用意させたよ」
彼はおれを寝室に案内してくれた。
案内された部屋は、たしかに豪華で広いとは言えなかったが、おれはむしろ安心した。あまり広かったり豪華だったりすると不安になりそうだ。
「ちなみに、ボクの部屋に泊まってもらってもかまわないんだけど」
「え、遠慮しておきます」
「うん。いちおう訊いただけだよ。このあたりは夜は一気に冷えるから、気をつけてね……」
神経が高ぶって眠れないかと思ったが、そんなことはなかった。横になったとたん、糸が切れるように眠りに落ちた。ベッドにはフェルトのようなものでできた毛布があったが、暑いと思ったので、うとうとしながら端に押しやった。
「ざ、ざざざざざむい……」
「だから、冷え込むって言ったじゃないか!」
「寒いよう……」
翌朝、おれは風邪をひいていた。
寝冷えである。
疲れているのもあったろうが、主な原因は寝冷えだ。
「このへんは昼夜の温度差がすごいんだよ……」
早朝におれの様子を見にきたルカは、おれが毛布を蹴落として寝ていたのに心底呆れた様子であった。そんなの常識だろうと言わんばかりであった。
すでに日は昇り、じわじわ寒気は遠のいている。なんだこの気候。
「ここ、岩山の上だから、よけい極端なんだよね。看病してあげたいところだけど、ボクは仕事がある。だから他の人にきみの世話を頼んだ。寝ていたまえ」
ルカはそう言って部屋を出ていく。
冷たいが、大人の対応であろう。
……。
おれはベッドに寝そべり、天井を眺めていた。
……寂しかった。
風邪を引いたとき特有の、うら寂しいあの気持ちであった。
気温が上がってきて、うつらうつらしてきたとき、枕元で声がした。
「……弱いッ!」
目を開けると、髪の短いダークエルフの女がおれを見おろしていた。
ナジェであった。
彼女は鎧を着ておらず、ベージュ色のローブのようなものを着ていたが、迫力があることに変わりはない。
「貴様、本当に弱いなあ!」
「し、しいません……」
「寝冷えとはなんだ! それでも軍人か貴様は!」
「軍人ではないです」
「なら仕方ないな」
彼女はおれのことが相変わらず気に入らないようだった……が、彼女の手には小さな鍋があった。
「さあ食え。死ぬな。体力を回復しろ!」
彼女はそういって、おれに鍋の中のスープをもりもり飲ませた。それは穀物の粉が入ったチキンスープで、雑炊のような感じだった。
おれはとくに抵抗せず、その人肌ぐらいのスープを口の中に流し込まれていった。ナジェは軍人の食事ペースでおれにせっせとスープを飲ませる。
おれが素直にスープを飲んだせいか、単に用事が済んだせいか、スープを飲み終わるころには、彼女の機嫌は多少よくなっていた。
「ミフネさんは?」
「会いたいか?」
「そりゃ……まあ」
「残念だったな。あの人はいま、公務ということで出払っている」
ナジェは「ということで」の部分を強調した。
「どんな用事なの?」
「領内で不審な言動をするハイエルフが目撃されたということらしいが、どうだかな。そんなことでわざわざ領主が出向くような話だろうか。どうせまた……」
ナジェは深いため息をつく。
「私と話しあいをするのが嫌で逃げたんだろう」
「そ、そうですか」
「私はな……実家に帰る。決めたんだ。もうあの人には愛想が尽きた」
「おれのせいですか」
「違う。おまえも正直気に入らなかったが……それはいい。気が多いのはあの人の性分だから、あきらめている。だが、あのウッドエルフだけは!」
アイシャとの間にどういう経緯があるのか、気になったが聞ける雰囲気ではなかった。
「……まあ、それは私とあの人の問題だ」
ナジェはなにか決心したように、短いため息をつく。
「そういえば、おまえが元気を出しそうな話がある」
「えっ」
元気が出そうな話と聞いて、真っ先に想像したのは、仲間がおれを訪ねてここにきてくれることだった。誰でもいいから慣れた顔が見たかった。
しかし違った。
「獣人の姿が領内で目撃されている。ヴェルグングだ。馬車ほどもある毛むくじゃらの化け物で、異世界人を追跡して襲って殺す。知っているか?」
「あ、はい……見たことあります」
「なんだ、見たことあるのか。よく生きているな」
「で、元気が出る話って?」
「今回の獣人も、おまえを殺そうと追ってきたのだろう。ここに異世界人はおまえとあの美丈夫しかおらぬからな。今回のヴェルグングはとみに大型で、こちらに近づいてきているそうだ。どうだ、いい話だろう。多少は元気が出たか」
「出ませんよ!」
「そうか? 敵がいるというのはいいことだぞ。張り合いが出る」
「張り合いか……」
ナジェが出ていってから、おれはふたたび天井をぼんやり眺め、つぶやいた。
仲間と別れてから、たしかに張り合いがない気がする。
クムクムに説教されたり、アイシャにいろいろ押しつけられたり、エコー先生にちんちんを切ろうとしつこく提案されたり、だいたい踏んだり蹴ったりだったが、あれはあれで悪くなかったのかもしれない。理想とは違ったが。
その日は一日中、そんなことを考えていた。
昼にアドニス、夕方にルカが見舞いに来てくれた。
どちらもおれに親切だったから、彼らのどちらかが悪だくみしているなんてあまり思いたくなかったのだが、考えずにはいられなかった。
その答えが出るのは、三日目の夜になる。
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