カニ用スプーンすらこの世界を壊しかねない
「キオ、いるかな」
「ルカどの、お久しぶりですな」
「例の異世界人を連れてきた……」
キオの部屋に行くと、すんなりした体型のエルフが出迎えてくれた。
「よろしく」
彼はおれに手をさしのべた。
彼がキオだろうと思った。おれは少しためらってからさしだされた手をにぎり返す。彼の指は細かったが、握手はやたらと力強かった。
「ど、どうもどうも」
キオはおれを少し越すぐらいの背丈だった。細い体つきで、ベストに似た袖のない服を着ていた。ぼさぼさした感じのショートヘアで、髪の色はほかのダークエルフよりも少しだけグレーに近く見えた。
その外見は、女だと言われたらボーイッシュな女に見えて、男だと言われたらガーリィな男に見えるような、みょうなあわいに位置していた。といっても、人間の基準で言えば、だが。
「拙者の顔が珍しいかな?」
キオが言った。
「ウッドエルフとダークエルフのハーフだ。珍しいか?」
「あ、ジロジロ見過ぎでしたか?」
「かまわん。慣れておる」
「なんかすいません」
「こちらから見れば、お主の方がずっと珍しいがな。まあ、中に入られよ」
キオの部屋はまるで古道具屋のようだった。
室内には棚や木箱のたぐいが無数にあり、機械のようなものや陶器、あるいは錆びた道具、そんなものがぎちぎちと収納されていた。
「またモノが増えたね……」
ルカは呆れたようすで室内を見回す。
「まあ座られよ、座られよ」
「どこに座るのさ」
「いま場所を作ってさしあげる」
キオはあわただしく箱やガラクタを片付けはじめた。
彼はベッドの上にあった雑多なものをどけて、あいた空間におれとルカを座らせた。そうしないと座れる場所がなかった。何か工作のようなことをしていたらしく、広げられた図や不規則な穴の開いた木板などが目についた。
「見れば分かると思うが、彼はがらくたが好きだ」
ルカはおれに言う。
「ウッドエルフの血なのか、好奇心がとにかく強い」
「そう何でも血筋のせいになさるな」
キオがおれとルカのあいだに入ってくる。
「たんに性分というもの。それにガラクタではない」
「手当たりしだいじゃないか」
「ちがう。たまに、使い道のわからない異世界の道具やら、古代の遺品やらが、古道具屋で投げ売りされていることがある。そういうものを集めている」
「ふーん」
「たとえば……そうだ。おまえ、これが何か分かるか?」
キオは、ガラクタの山の中から金属の道具をとりだす。手のひらサイズのそれは、くすんではいるものの、元の形をじゅうぶんとどめていた。
「それはホッチキスですね」
「何に使うの?」
「ホッチキスの芯を出します……ええと、まあその……」
おれはホッチキスの概念について二人に説明した。
「面白いじゃないか」
キオは喜んだ。
「つまりそれ、芯ってものがないと役に立たないんだよね? 貴重な鉄を使って、貴重な紙に穴を空けて留める? すごい浪費だ」
ルカはまるで価値を感じないようだった。
「じゃあ、これは?」
キオは見覚えのある金属の道具をとりだす。
片方はスプーンのようになっていて、もう一方は小さく割れている。
「カニを食べる用のスプーンですね」
「カニ?」
おれはカニについて説明した。
「クモじゃないか! 海クモのことか! あれ食うの? 専用の道具まで?」
ルカはカニを食うという行為にドン引きした。
「ルカどの、今度試しましょうぞ」
いっぽうキオは興味を示した。本当に好奇心が強いらしい。
「いや、やめておくよ。あんなものは食えない……」
「緊急時の食料になるかも」
「イヤだね。あんなものを緊急時に食うぐらいなら死を選ぶよ。キオはこの異世界人と一緒に食ってくれ。ボクは絶対イヤだ……ほんとに食べるの?」
「高級ですよ」
ルカのおれを見る目がちょっと冷ややかなものになった。
「だが、この金属はめずらしいな……」
ルカはカニ用スプーンを汚そうにつまんで、じっと見る。
そのカニ用スプーンはステンレスであった。
「そういえば、ボクは会ってないんだけど……」
ルカはおれをちらと見る。
「きみとはべつの異世界人が、いま領内に滞在しているんだよね? 城に入れられるほど信頼できるかどうかわからないが、学識は高い、とさっきウィルから聞いたよ」
「あ……あはは」
「彼にこの金属について聞いたらわかるかな?」
まずい。
おれはそう思った。
話題の人物、エコー先生は極悪魔王である。
先生はもとはいい人、というかいい人造人間だったが、おれが悪い影響を与えたらしくて悪堕ちしてしまったのだ。彼はダークエルフたちに科学技術を教えて戦争させようと思っているらしい。
そしてエコー先生の見立ては正しかったようだ。ダークエルフは科学技術と相性がいい、そして技術を覚えれば戦争に使いたがる。という見立てだ。ルカはステンレスに興味をもっている。
「か、彼は、どうでしょう」
おれはなんとかこの流れをジャマしなければならない。
「ちょっと、彼の時代にはカニ用スプーンはないんじゃないですかね。はは、大した金属じゃないんですよ。それ、おれの世界の安売り店で売ってるぐらいで」
「ふーん……なんだ。安物か」
ルカは金属への興味を失ったようだった。
やった。
しかし、キオは納得しなかった。
「安売り店で売ってる……? ……ということは量産可能な物質……!」
キオはむしろ、ステンレスへの興味を増した。
「ま、まあまあ。キオさん」
おれはどうにか話題を変えようとした。
「異世界の道具については。またゆっくり話しましょう」
「そうだね。キオ、今日は手短にすまそう」
ルカもそう言った。
「むう」
「このあと、アドニスにも紹介するつもりだ。あんまり長居はできない」
「なるほど、左様で」
キオは納得してくれたようだ。
「アドニスどのに迷惑はかけられませんな」
よかった。
しょせん一時しのぎに過ぎなくても、おれは戦争を遠ざけた。
キオのような、好奇心が強くて異世界マニアみたいな人物がエコー先生に会ったらもうおしまいである。そうなったらエコー先生は喜んで科学を教え、ダークエルフはモリモリ技術を吸収し、戦争まっしぐらである。
「そ、そうそう。そうですよ」
おれは全力で同調する。
「では、お客さんも急いておるようだし」
「うんうん」
「別件を先に済ませますかな……」
そう言ってキオはいそいそと、
服を脱ぎはじめた。
「あの、なぜ服を脱ぐの、ですか?」
「ああ、脱がせたかったかな?」
「違います」
事態があまりに急だったので、おれの思考は止まった。
下着だけになったキオを見て、あーきれいな背中だなー、とか、のんきなことを思ったりした。
おれが身の危険を察するころには、キオはおれの足をつかんで持ちあげ、おれをベッドの上に転ばせていた。
「これは……ずいぶん変わった服ですな」
「ちょ、ちょっと! やめてください!」
彼はおれにのしかかる!
異世界の品物を見なれているせいか、キオはジャージにそれほど驚かず、すぐにおれのジャージのジッパーをさぐり当てて開けた。
「あー、その服、そうなってるんだ。すごいね」
ルカは押し倒されるおれを見てのんきに言う。
「こ……ここの人、他人の服を脱がすのに抵抗なさすぎ!」
「おうおう、おまえ、いい顔をしよるなあ。いいものを食って安全なところでのうのうと育った顔だなあ。うらやましい。どれ、少しいじめてやるか?」
キオはおれの顔をぺちぺち触りながらそう言った。
そんなに敵意は感じられない。からかっていたのだろう。だがおれはおびえていたので冗談とかは通じない。
「いやあああああ! やめてええええ!」
「いやあ嗜虐心をそそるのう。さて……」
彼はおれのジャージの下に手をかける。
「こ、こんなところでおれの貞操がッ!」
「はいキオ、ストップ」
ルカがキオの肩を押さえた。
「エッチなこと、いけない」
「なにゆえ?」
キオは不思議そうにルカを見上げ、
おれとルカの顔を交互に見る。
「はて、まさか、ルカどのもこやつにまだ手をお付けでない?」
「まあ……ね」
「なぜ?」
キオは理解できない、といった様子だった。
「彼に問題でも?」
「まあ、そのね……」
「なにか異世界の性病とか?」
「性病じゃありませんよ!」
「そう、病気とかではない」
ルカは両手のひらを下に向けるジェスチャをする。
「この異世界人は童貞だから、その点は問題ない」
「ど、どどど童貞?!」
キオは信じられないといった顔でおれを見る。
「やめてください!」
「……信じがたい」
「っていうか、早くおれの上からどいてください!」
おれはキオを押しのけ、ジャージを着直した。
「健康問題じゃないよ。文化の問題というか……」
お互いが落ち着いたあたりで、
「この異世界人さんは、ダークエルフの性文化に慣れていない」
「というと?」
「男色に抵抗があるらしい」
「はぁ?」
キオはものすごく驚いていた。
「なぜ?」
「さあ?」
ルカは肩をすくめる。
「理由はわからない」
「異世界人、なぜ男色に抵抗が?」
「真顔で聞かれましても」
「彼らヒューマンはそうらしい。エルフとは違う」
「そ、そうなんですよ!」
おれは必死に説明する。
「エルフはみんな男と女どっちもアリだってことらしいけど、人間は、なんていうか、人によるんですよ! 人に!」
「なるほど」
「だ、だから! あなたたちと文化が違うというか」
「なるほどなるほど」
キオは深くうなずく。
「わかり申した」
キオはおれの足を持ちあげてひっくり返す。
「分かってねえええ!」
「ルカどのも不親切ですな。啓蒙してあげればいいではありませんか」
キオは軽々とおれをベッドに倒し、ジャージをふたたび脱がせる。
すごく……手慣れている。
「安心せよ。まだ少し弄くっただけだが、ヒューマンも身体の構造などほとんど変わらんではないか、ということは、行為は可能ということにあいなる」
「できるかどうかが問題じゃないんだってば!」
「ここはひとつ、文明人としてこの野蛮人に衆道を教えてやらねば」
「お断り申す!」
「まあまあ、そう言わず」
「断じてお断り申す!」
口調を相手に合わせてみたが、やめてくれる気配はない。
「ル、ルカ、助けて……!」
「やめてあげてくれ」
「むう」
ルカがおれを助けだす。
「ほら、もう大丈夫だから……」
おれはキオと距離をとり、ルカの背後に隠れる。
われながら格好がいいとはいえない。
……格好悪いかも知れないが、しかたないだろう?
ダークエルフ、みんな怪力で、体力で勝てないのだ。
「キオ、彼に手を出さないように」
「わかり申した。まあ、無理強いはしません」
「さっきむりじいしたじゃないですか!」
おれはルカの背後からリオを睨む。
「はは、ルカどの、異世界人になつかれていますな」
「なついてません!」
「お互い誤解があったようだな。人間よ」
「ご、誤解だといいですけどね!」
「まあまあ、水に流そう」
こうしておれとルカはキオの部屋を出た。
おれの貞操はまだ無事である。童の貞はそのままである。清いままである。問題は、これを捧げるべき相手が誰かという問題であるが、それは置いておいて……。
「は、早く行こうよルカ」
「あ、うん」
「ははあ……」
キオはわけが分かったようにニヤニヤ笑う。
「ルカどのも鈍いのう」
「なにが?」
「ルカどの、この異世界人に気に入られておるのだ。今からでも彼を抱いてやれ。こんなもの、口先でイヤと言うとるだけだ。本当は誘っているのですぞ。しぐさのようなもので」
キオはルカに小声で言う。だいたい聞こえた。
「そうなの? ポーズなの?」
ルカはおれを見る。
「違います!」
「じつはいいの?」
「……違いますって!」
「わかったわかった。まず二人で楽しめ、拙者とはまたあとで」
おれたちは立ち去った。
おれたちは廊下を歩きながらぽつぽつと話す。
すでに日は落ちて、暗くなった廊下にはいつの間にか灯明がともされていた。
「……あー……怖かった……」
「ええと、ごめん。彼に、キオに悪気はない」
「あったでしょ! 悪気!」
「ない、彼の行動はダークエルフの基準ではそう変でないというか、きみがもしダークエルフだったら、普通に……」
「合体ですか」
「とどこおりなくね」
「おぅふ……」
「というか、さっきも言ったけど、結婚したらほかの夫たち全員と一度は寝るのはうちのルールだ。本当なら拒否するのは失礼だ。これは社交だ」
「ぬふぅ……」
「ぼくらにとっては、麦でできたパンぐらい当たり前なんだ」
「あいえぇ……」
「キオとしては、外国人に自分たちの食べ物を食べさせたがるような気持ちで」
ルカはいちおうおれの味方をしてくれているが、あくまでダークエルフ、キオを弁護して、向こうの文化を押してくる。
「こう言うと気分を害するかもしれないけど、ダークエルフの価値観からすると、男色を理解しないのは『野蛮』なので、彼は単にきみを『文明化』しようとしただけだ。完全に善意だ」
「ど、どうかと思いますよ」
「啓蒙主義ってやつだね」
「どうかと思います」
「そうだね。どうかと思う」
ルカは苦笑いしながら同意した。
「まあでも、きみのいた世界の理屈が通用することは期待しない方がいいよ」
「お、おれ……帰ります! 仲間のもとに帰ります!」
「無理」
ルカは笑顔でおれの肩をガッとつかむ。
さっきとは笑顔の質が違う。
「きみはこの城の構造を見てしまっている。軍事機密に触れてしまっている。困るんだよ。そういうのはとても困るんだ。ここできみを帰らせるぐらいなら、殺す」
「は、はい……」
「もう暗くなってきたが、これからアドニスを紹介する。二番目の夫だ。外交にかなり関わってる。けっこうエグい性格だから、気をつけた方がいい」
「ルカもじゅうぶんエグいよ!」
「あは……」
ルカは乾いた笑いをもらす。
「ボクなんか比じゃないよ……」
「こっ怖い! いやあ!」
「さっさと来て、まあ、アドニスは夜型だから、まだ起きてるけどね……」
ルカは強引におれを引っぱっていく。
「さあ、来たまえ」
「ううう……助けてクムクム…………」
「クムクムって誰?」
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