強い人が闇堕ちすると本当に困る

 権利がないと言われて困ったが、五分でおれは気をとりなおした。

 よくわからないが、なんとかなる。

 そう思った。

 これまでなんとかなったんだから。

 そう思い直し、おれはフンフン鼻歌で好きなアニソンを歌いながら、流れる景色をながめていた。

 おれはいま馬車で護送されている。

 前に乗った馬車とは比べものにならないほどいい乗り心地であった。

 なにより、ちゃんと布の張った座席が用意されていたから、揺れる馬車のなかで木の床に体育座りして、ちんちんの根本のあたりが痛くなることもなかった。

 おれはいたってポジティブな気分であった。

 おれの扱いはだんだんよくなってきている。

 全裸でこの世界に来て解剖されかけたときにくらべれば、いまのほうが格段に扱いがいい。カエルから王子様になったようなものである。

 「ねえ、先生、先生」

 おれはとなりにいるエコー先生に話しかけた。

 いざみんなとお別れという段になって、彼はどういうわけかおれと同行することを希望したのであった。まさか……そこまでしておれの去勢を?

 「先生、見てください。あれ。ヘンな形の岩ですね」

 「ああ、砂嵐で削れてああなるんだね」

 外には、ボウリングのピンのようにくびれた岩が、いくつも塔のように並ぶ岩石砂漠が広がっていた。

 「柔らかい地層のところが早く削れて、固い部分が残る」

 「へー」

 「落ち着いたら、もっと詳しく調査しよう。なにか資源が見つかるかもしれない」

 「先生は熱心ですね」

 「生き残るためだよ……ていうか屈託ないな、きみ」

 エコー先生は銀髪をかきあげ、なにかうんざりしたようにおれを見る。

 「自由が奪われるっていうのに……」

 本人が気づいているかわからないが、彼のしぐさはどんどん人間くさいものになってきている。



 「だって、悪いようにはされないんでしょう?」

 おれは言った。

 「もちろん女の子がいっぱいの異世界ハーレムを期待していましたが」

 「よく恥ずかしげもなく言えるね……」

 「多少違っても、結婚できて楽な暮らしが保障されるならかまわんですたい」

 「そうなのかい?」

 「なにしろ、おれがもといた世界だったら、おれは結婚できる見込みなんかなかったんですからね。いい仕事に就ける見込みもなかったし、資産もないし」

 だんだん言っててみじめになったが、過去の話である。

 「友達もぜんぜんいなかったですからね!」

 「そ、そうなのか」

 「昔の仲間は、みんなちゃんと仕事をして、おれみたいなやつは避けるようになってましたからね」

 「そうなんだ」

 「出世したら友達も入れ替えるってワケですよ……」

 「き、気の毒だね」

 「だから二次元彼女どころか、友達もネトゲでしかできなかったです」

 「そ、そうなんだ。でもオンラインゲームでは友達が?」

 「ええ、おれのキャラはロリ巨乳のエルフ女でしたからね! だから人が寄ってきてくれたんですよまわりに!」

 「な、なるほど」

 「だからネトゲでできた友達とは、リアルで会うと関係が壊れてしまって」

 「…………」

 「親の介護がそろそろ視野に入ってきたけどどうしようもなくて」

 「………………」

 「異世界の夢にすがって儀式をくり返してたら、クムクムが呼んでくれたんですよ」

 おれは涙ぐんだ。

 「ありがとうクムクム……あの子は天使だ」

 「それでいいのかきみは!」

 エコー先生がおれの肩をつかむ

 「社会問題だろうそれは! そんな、異世界に来てハッピーで本当にいいのか! もっとほかに何か前の世界ですることがあったんじゃないのか!」

 「いいんですよ!」

 おれは断言した。

 「かまわんのです!」

 大断言した。

 「悪いようにされないんだったら、万々歳です!」



 「そうだな、悪いようにはしない」

 前の座席に座っていたナジェが振りかえる。

 「正直に言うが、私は貴様があまり好きではないし、アリコワ家の一員になることにまったく納得がいかぬ。だがそれが上意である以上しかたない」

 やっぱり好かれてはいなかったようだ。

 だが、女性に嫌われるのに慣れまくっていたおれにはまったく響かなかった。

 「家のために仕えてもらうぞ」

 「は、はい」

 「分はわきまえろよ。男ごときが同じ地位を求めるなど戯れ言だ」

 ナジェはそう言っておれとエコー先生を交互に見た。

 「おいきみ、差別されてるぞ。何か言うことはないのか?」

 エコー先生はおれをひじでつつく。

 「なんとか言え!」

 「えーっ」

 おれはとくに言いたいこともなかったので、困った。

 「エコー先生は未来から来たからそう言いますけど、おれのいた時代は……」

 「ふん、もういいよ。きみには失望した」

 エコー先生はすねたような顔でおれを見る。

 「きみもしょせん二十一世紀初頭の人間だな……」

 「時代はしょうがないじゃないですか」

 「こちらの話をしていいか?」

 ナジェがおれを睨む。そう睨まなくても。

 「有能であれば、相応の評価はかならず得られる。執事として家政を取り仕切ったり、内政に深く関わることもある」

 「ない……せい?」

 「きさまは平和な異世界から来たのだろう、おまえのいた国はどう統治されていた? 利害調整はどう行われていたんだ」

 「り……がい……ちょ……うせい?」

 「われわれは平和な時代に何をすればいいのか、本当のところわかっていないのだ。これはダークエルフに共通の問題だ。昔から仕えている家臣は武官ばかりで、彼女らはとくにそうだ」

 「はあ」

 「彼女らは戦いの時代を懐かしんで、そこから抜けられない。私の言うことなど聞かないし、ミフネ様も手を焼いている。おまえのような新入りはとくに気を使わないと難癖をつけられるぞ」

 「…………異世界にも老害っているんですね」

 「老害? なんだそれは……ああ……」

 ナジェは顔をひきつらせる。

 「貴様……私にだからいいが、よそで言ったらその場で殺されるぞ」

 「わお」

 「武官はみな気性が荒い、獣人なみだ、ウェルグングとたいして変わらん」

 と、いいつつナジェはちょっと笑った。

 どうも、老害という言葉が面白かったらしい。

 彼女なりに不満がいろいろあるのだろう。同じ敵がいれば仲良くなれるのはこの世界でも変わらないらしい。

 これで好感度をかせいだ。そう思った。



 緊張がとけたのか、ナジェは多少屈託なく話すようになった。

 「アリコワ家は、内政において能力があるものがひどく不足している。その種の能力が高いと言えるのは、ミフネ様の一番目の夫だけだな」

 彼女の言葉で、おれの中にもやっとしたものが生まれたのは否定できない。

 「内政問題は山積みだ。ひとつでも異世界の知識とやらで解決してくれたらそれだけで一目置かれるだろうな」

 「おおっ。黄金パターンじゃないですか」

 おれは言った。

 異世界で起こっている問題を、いわばクエストを、あざやかに解決して賞賛とカタルシスを得るのは、いわば異世界ものの王道ではないか。

 「ついにこのチャンスが」

 「黄金パターン? なんの話だ?」

 「気にしないでください。とにかく、どんな問題があるかおしえてください」

 「ああ、まず外交だ。となりの領地の貴族とうまくいってない。原因は水の利権だ。一つの水源から両方が水を奪い合っている。武官のひとりがいきり立っていて、兵士を勝手にまとめている。このままだと身内を処刑せねばならなくなる」

 「うーん」

 このクエストは難しそうだ。

 ほかのもっと簡単なのを当たってみよう。

 「決まった地域に風土病があるが原因がまったくわからない。感染せず、よその地域に移動させて療養させると治るのだが原因がわからない。そのせいで迷信がはびこりはじめた」

 ナジェは風土病の症状についてひととおり説明したがわからない。

 「うーん」

 このクエストも難しそうだ。

 「コボルト労働者の不満がたまっている。商人が税をごまかしているのに、労務者だけきっちり税をかけられるのは不平等だと。だがこの地域の市場は大きくなりすぎて、商人の活動は把握しきれない。このままだとコボルトが暴動を起こす」

 「うーん」

 このクエストも難しそうだ。

 「鉄器が過剰生産だが、買い上げ価格の改定に鍛冶ギルドが猛反発している。戦争の時代に鍛冶ギルドの権力が大きくなりすぎて、奴らは政治にまで口出ししてくる。かといって奴らをしぼれば末端の労働者が泣くだけだ」

 「うーん」

 このクエストも難しそうだ。

 「ここまでで、なにか意見は?」

 「……ほっといたら自然に解決したりしませんかね?」

 「もういい。わかった。お互いよかったな」

 ナジェはにっこり笑う。

 「もし私がお前の主人だったら、今すぐ窓からおまえを放り捨てるところだが、おまえにとって幸いなことにそうではないし、私はお前の主人でなくて本当によかった」

 「…………」

 クエスト失敗である。



 「ぼくなら手伝えるよ」

 おれが黙ったところで、エコー先生が口をはさんだ。

 「似たような問題はこちらの世界でもあった」

 「ほう」

 「だから、同じようなケースでこちらの世界の人間がどういうやり方をしてきたかと、その結果を話すことはできる。成功例にせよ、失敗例にせよ、ケーススタディとして参考になるはずだ」

 「なるほど。聞かせてもらおうか」

 「……報酬が欲しいな」

 「報酬? いいだろう。なんだ? 金か? 宝石か? 名刀か?」

 「いや……」

 「おまえが本当に役に立つようなら、私邸を与えるように口添えしてやってもいい」

 「硫酸が欲しい」

 「硫酸?」

 「ダークエルフの鎧や金属製品を見たが、それぐらいの金属加工の技術があるなら、酸洗いを行っているだろう? 酸で金属の表面を溶かして加工する技術があるはずだ」

 「男のくせに鍛冶の知識があるのか」

 ナジェが彼を見る目が少し変わった。

 「たしかにそういう薬品がある」

 「それが欲しいんだけど。タルに半分もあれば足りる」

 「なんに使う」

 「ボルタ電池を作る」

 「電池?」

 「ぼくが動き回るのに必要な補給品のようなもの。そう思ってもらえれば」

 「なるほど。そのぐらい私の判断だけで用立てられるが」

 「頼めたら助かる」

 「だが、おまえは本当に役に立つ異世界の知識を持っているのか?」

 「いいとも。何について聞きたい?」

 「話が早くて助かる。戦争は終わったが、われわれの最大の関心事がこの大陸の覇権であることに変わりはない。それに使える知識をおまえが提供できるのであれば、いくらでもしかるべき助力が得られるだろう」

 「……戦争に使えればいい、そういうことだね」

 「左様だ」

 「先生、それだめだって自分で言ってたじゃないですか」

 おれは二人のあいだに割って入った。

 「戦争に使える知識を異世界に与えるなって言ってたじゃないですか!」

 「気が変わったんだ」

 エコー先生はおれを見て、笑った。

 「……気が変わったんだよ」

 その笑顔は、彼がこれまで見せたどんな顔とも、決定的になにかが違った。

 「で、でも……」

 「きみのせいだよ」



 「仲間割れを始めたところを見ると、あながち見栄でもなさそうだな」

 ナジェはかなり興味を示しているらしい。

 ああ、そういえばそうだ。

 もともとこの世界の人間は、戦争とかに使うために異世界人を召喚していたのだ。べつにおれにハーレムとかを提供するためではない。

 「どんな知識があるんだ」

 「そうだな……ふふ、ぼく次第か」

 「先生……」

 「どこまで教えようかな……さすがに原子爆弾の知識を教えるわけにはいかないな。うっかりするとこの大陸が焦土だ」

 「そこまでの知識があるのか」

 「うん、でもそれは、おもに資源と基礎技術の問題で君たちには無理だ。でも、君たちを戦争に勝たせてあげて、大陸の覇権を握れるようにするぐらいはかなり簡単だ」

 「かなり簡単だと?」

 「とりあえず。さっきナジェさんが話していた問題に戻ろうか。風土病はバッカク中毒かもしれない。原因は簡単に言えば汚染された麦だ。移動すると治るのは食べ物が変わるからだ」

 「……なん……だと?」

 「この世界の植物相は……ぼくたちのいた世界となぜか共通している。だから、麦につく菌類が共通でもおかしくない」

 「おまえの世界でも同じことが起こったのか?」

 「起きた。麦の中に肥大した黒い粒が雑じっていたらそれが原因だ」

 「す、少し待て」

 ナジェは紙をとりだし、メモをとりはじめた。

 「ギルドについては、段階をつけて会社制度に移行するしかない。より開放的な産業システムを作り、設立を自由化。同業の会社が互いに競争し合うようにもちこめば、彼らは自分たちのほうから値下げしていく」

 「ギルド制をやめろ? ……過激思想もいいところだな」

 ナジェは半ば呆れつつも、そのアイデアに興味を示していた。

 「だが連中に身内で競わせるのは面白い。あとは?」

 「もてあましている武官は、会社に重役として送り込ませて、彼らの給与やご機嫌取りは受け入れた会社が負担するように持ちこむ」

 「えげつないことを考えるな……だが、方針としてはありえる」

 「結論から言うが、もし君たちダークエルフが覇権を望むなら、ぼくたちが軍産複合体と呼ぶような社会構造を育てる必要があると思う。それに関する知識がぼくの提供するものだ。もちろん見返りと引き替えに」

 「なるほど……報告するぐらいの価値はありそうな提案だ」

 「そう思ってもらえればいいね」

 ナジェはうなずいて、それからおれとエコー先生を交互に見た。

 「…………比べものにならないな。見栄えも話す内容も」

 「悪かったですねえ!」

 おれは言った。

 異世界ファンタジーな展開になれば、おいしいところはすべてエコー先生に持っていかれる。それがおれの運命のようであった。ディスティニーなのであった。

 「でも、彼のおかげだ」

 エコー先生はそう言っておれを示す。

 「彼がぼくの気を変えさせた。前のぼくだったら、どんな報酬を差しだされても、きみたちに介入したりなんかしなかった。絶対に」

 「……先生」

 おれはエコー先生を見た。

 そこにはもう、おれやクムクムがしばしば迷惑しつつも尊敬していた、あの完璧なようで完璧じゃない、ちょっとおかしい彼はもういなかった。

 外見はそのままだが、なにかが完全に違った。

 彼はぼくに笑いかける。

 「きみがいけないんだ。きみがぼくに教えた、教えてはいけないものを」

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