異世界チートのエコー先生は強すぎて困っている

 「は、速っ」

 遠くにいるオオカミの群れは、あっという間に遠くじゃなくなった。

 灰色の点は、灰色の粒になり、おれの目にも一匹一匹が見えるようになった。

 オオカミたちの群れははばの広い三角形だった。奴らはすさまじい勢いで丘をかけあがってくる。

 そして奴らの進行方向、三角形の頂点の先には、おれが居る。

 「ほ、本当におれを殺しに来てる!」

 「いぇいいぇい」

 アイシャが矢をつがえ、撃つ。

 まるで見えない糸に引っぱられるように、矢は直進し、先頭のオオカミの頭を正確に射貫いた。

 あまりの早業だったので、おれにもすべての動きは見えなかった。矢は俺からするとまるで点のように見えた。

 射貫かれたオオカミは、走っていたそのままの勢いで前に転げ、倒れる。あとに続くオオカミは、それを避けて右に左に分かれる。

 「うまく群れを広げたじゃないか」

 エルフの一人が言う。

 「やったやった。いちばん若いわたしが最初です」

 アイシャはそう言っておれを振り返り、おれの肩に腕を回してぴょんぴょん跳びはねた。革の胸当てをつけた体ががすがすおれに当たる。

 うれしい光景ではあるが、おれはオオカミが怖くてあまり余裕がなかった。

 「やっぱりエサが近くにいると違いますね。そのまま立っててください」

 そう言ってアイシャはぱっとおれから手をはなし、射撃姿勢に戻る。まったく切り替えが早い。

 「学者様になったから、アイシャは弓なんか忘れたと思ったよ」

 「あんまりいじめないでくださいよう」

 そう言いながら、アイシャはつぎつぎと矢を射る。

 腰につけた矢筒から矢を抜きとってから、弓をひきしぼって撃つまで、まったく動作が止まらない。すべての矢はすとんすとんと、あたりまえのようにオオカミの頭に当たって、オオカミたちを一撃で倒していく。

 他のエルフの射手たちも同様だった。矢をつがえて撃つまでが恐ろしく速いのだ。彼らはみな一秒かそこらでひとつの矢を撃ち終えていた。

 「は、速い……」

 「速いだけじゃないさ」

 エルフの一人が、前を見たまま言う。

 「ムダな矢はまだ誰も放ってない」

 そう、矢はすべて当たっていた。オオカミたちはバタバタと倒れていく。

 まるで見えないバリアがあるような光景だった。あるラインを超えたオオカミは、みな矢を受けて倒れていたので、オオカミの死体が並んで、灰色の帯のようになっていた。その帯はつまりエルフの早撃ちの射程なのである。

 しかしオオカミたちは、まったく死を恐れる気配はなく、こちらに突進してきていた。死体を飛びこえて、また射貫かれる。


 

 「しまった!」

 「撃ち損じた」

 一匹のオオカミが、無数の死体を飛びこえながら、こちらに走ってくる。

 べつだんエルフの弓兵たちが悪かったわけではない。単にオオカミの群れが多すぎたのだろう。たまたま殺されなかった一匹だけが、防壁のすぐそばに入りこんだ。

 「来るぞ!」

 オオカミは防壁にぴたりとついて走り。こちらに回りこんできた。

 そしておれに襲いかかる。

 で、でかい。

 近くで見るオオカミは、でかかった。

 犬とはまるで違う存在感がそこにはあった。

 もとの世界で見たオオカミのイメージはどこか牧歌的だったが、目の前にいるのは、おれを殺しに来た。何者かに操られた野生動物だった。

 灰色の目と、並ぶ牙。

 羊とか殺しちゃうんだよな……。

 オオカミはおれの脚にタックルして、噛みついてきた。

 「う、うおおおお!」

 重たい衝撃があった。おれはよろけた。

 オオカミの牙と鉄がすれ合ってギリギリとイヤな音がする。

 革が圧迫される感覚が脚に伝わってくる。

 その瞬間。

 「ウッ」

 オオカミが言った。

 たしかに、ウッて言った。

 オオカミは口をおれから放し、おれを睨みながら、行き場がないようにその場でグルグル回転した。

 そして、ぺっぺっと何か吐くようなしぐさをする。

 「臭かったんだ……」

 エルフの一人がうなる。

 「鎧がすごく臭かったんだ!」

 「あー、わかる。絶対に口に入れたくないニオイだもんな」

 うしろのほうでクムクムがつぶやいた。

 「悪霊みたいにくさいからな。その鎧」

 「悪霊みたいって……」

 とにかく、おれは鎧がくさかったおかげでピンチをしのげた。

 しかし、オオカミはふたたび身がまえた。

 オオカミは、何かを決意するような表情をして、おれにふたたび襲いかかる。

 「絶対に倒されないように!」

 そう言いながら後じさるアイシャさん。

 「転んだら首を噛まれますよ!」

 オオカミは全身を振って、おれを転ばせようとする。

 「た、助けてよ……」

 「助けますって。運よくスキができました!」

 アイシャは腰に差したベルトからナイフを抜いていた。ナイフと言うよりも忍者の使うくないのような形だった。

 彼女は小さな袋にそのナイフを突き刺している。

 「秘伝の毒っすよ」

 ひき抜かれたナイフには、どす黒いノリのような液がべっとりついている。

 「動かないでくださいね。当たったら死にますよ!」

 アイシャは投げナイフを構える。

 おれは言うとおり動かない。

 ナイフは難なくオオカミの胴体に刺さった。

 オオカミはおれの脚に噛みついたまま、すぐ動かなくなった。

 「す、すげえ毒……」

 「でしょう。ウッドエルフの秘伝です」

 そう言いながら、アイシャはナイフを回収し、動かなくなったオオカミを足で踏んでおれの足からはがしてくれた。

 「あ、これは絶対食べたらダメですよ。死ぬんで」

 「だ、誰が食うか! オオカミなんか……」

 「あれ? 食べないんですか?」

 アイシャはオオカミの耳の先をみょうな形に切り、何やら赤い印のようなものをしっぽにつけた。おまじないかな? とか思った。

 「わたしらはこいつら食いますけどねえ……」

 そう言いながら、ウッドエルフのアイシャさんは、そのオオカミを思いっきりけっとばした。どむ、とイヤな音がして。オオカミはふっとぶ。

 「う、ウッドエルフ怖ェ……」

 アイシャがオオカミにつけたおまじないのようなものは「食うな」というサインだとのちに知ることになる。



 おれたちが防衛をしているあいだに、一部のオオカミは左手に回りこんできた。十匹足らずの群れが弾丸のようになって、一人ぽつんと草むらに立っていたエコー先生に突撃してくる。

 「エコー先生! 危ない!」

 おれは叫んだ。

 「やれやれ」

 エコー先生は、なんだかだるそうに言った。

 「こういうの、なんだかズルチートみたいで好きじゃないんだけど」

 エコー先生は右手を空にかざす。

 「レーザーメスをコンバット・モードに」

 エコー先生の右手首が、とれた。

 「もげた!」

 「もげたんじゃないよ……」

 オオカミがエコー先生に迫る。

 きゃしゃな少年に、飛びかかるオオカミ、それはもう絶望的な光景に見える。

 「コンバット・レーザーメス起動」

 彼の右手首は、ぱかっ、ととれて開いていた。彼の右手は、自分の手首をつかむようなかっこうで固定された。

 そして手首の切断面から、細い金属の刃のようなものが飛びだした。

 「出た! 光の鎌です!」

 アイシャさんが叫ぶ。

 「光のカマ?」

 オオカミが先生に飛びかかる。

 「やれやれ」

 彼はふっ、とそれを避けながら、右手をオオカミにかざす。

 飛びかかったオオカミは、そのまま草むらに落ちて倒れた。その横に、オオカミの右側の脚が二本、ぼたぼたと落ちて転がる。

 「……え?」

 まるで戦闘機が撃墜されるかのような光景だった。

 別のオオカミが先生に飛びかかる。

 「やめてくれないかな」

 先生は体をのけぞらせ、左手をついてブリッジのような姿勢になる。そして自分の上を通過していくオオカミに、右手をびゅんと振る。

 着地したオオカミの頭は、目から先がなかった。

 「困るんだよ……」

 エコー先生はひざの動きだけでブリッジから体を起こす。人間にはまずムリな動きだ。そしてそのままの動きで、オオカミを斬った。

 そのオオカミは、ななめ切りのちくわみたいになった。

 「望んでないんだ……」

 エコー先生はそのまま回転攻撃に入る。

 オオカミ二体が首をはねられる。

 「やめようよ……」

 オオカミが殺される。

 「お互いにとって不合理だろ?」

 オオカミが殺される。

 「なんの意味があるんだい?」

 オオカミが殺される。

 「わかってくれると望んでたのに」

 オオカミが殺される。

 「服を汚さないでやるのも大変なんだ……」

 オオカミが殺される。

 「……コンバット・レーザーメス、停止」



 「し、信じられん。魔神だ……」

 エルフの一人が矢を撃つ手を止めて言った。

 「異世界からきた魔神だ……」

 彼に襲いかかったオオカミたちはみな、バラバラになって転がっていた。

 エコー先生はその中心で、寂しそうに立っている。

 彼の白衣には、汚れすらない。

 「さすが、異世界人の光のカマです」

 アイシャが驚嘆したように言う。

 肉の焦げる臭いが風に乗ってこちらに来る。

 なるほど、レーザーメスか。それも未来の、戦闘にも使えるやつ。

 「すごいですよね?」

 「あ、ああ……」

 そのころにはオオカミの群れは、ほぼ全滅していた。

 「あなたは、あれ、できないんですか?」

 アイシャはおれを見ていう。

 「できるわけあるか!」

 「なんでできないんです?」

 「おれにはレーザーなんか出せない」

 「レーザーってなんですか?」

 「えっと……光かな」

 「じゃあランプはレーザーですか」

 「ち、違うと思う」

 アイシャは首をかしげた。

 「説明できないのに知ってるんですか」

 「そういうものがあることは間違いない」

 おれはそう言った。

 おれにはいちおう、レーザーは理解はできる。

 レーザーがなんなのかちゃんと説明できないが、そういうものがある事はいちおう知ってはいる。理解はしていないが、あることはわかる。

 「君、あんまりこの世界の人間に科学を教えない方がいい」

 エコー先生はじろりと僕をにらむ。

 今まで見せたなかでいちばん厳しい顔だった。

 「責任がとれるのかな?」

 「えっ……」

 「君が教えた科学知識のせいで、たくさんの人が戦争で死ぬかもしれないんだよ? わかってるのかな」

 エコー先生はおれにつかつか歩み寄って、おれにしか聞こえないように言う。

 「僕たちのいた世界では……クロスボウが発明された。この世界にも、同じようなものがすでに存在する。発明したのはハイエルフだけどね。彼らがクロスボウを発明したことで、長い訓練が必要な長弓を使わなくても、簡単に矢が撃てるようになった」

 「そ、それで?」

 「つまり、訓練が少なくても戦争に参加できるようになった。どうなったと思う? これまでは戦争にかり出されなかった一般人が、クロスボウを持たされて戦争にかり出されたんだよ。農民の子供が兵隊にとられることが増えて、死亡者が一気に増えた」

 エコー先生はおれをじっと見る。

 「技術って、人を殺すんだよ。マシンガンの発明で戦争がどれだけ悲惨になったか、考えてみたまえ」

 きびしい目だった。

 「え、ええと……」

 「君も異世界人だ。ぼくらの技術をかれらに教えることができるだろ。でも不用意に教えて何が起こるか、考えないとダメだ。科学技術で生まれたぼくがいうのもなんだけど……」

 エコー先生の言葉をのみこむのに、おれは少し時間がかかった。

 この世界の人におれが居た世界の技術を教えることの怖さについて、彼は言っているのだった。

 「これまでここに来た異世界人は……」

 エコー先生は寂しそうに首を振る。

 「ほとんどみんなそれに失敗して死んだからね」

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